桜都の桜姫第二章「栄光の都と予言」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑、神剣・青龍を持つ炎の式神・出雲、神器の竪琴・水鏡の調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾、強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者・露雩。
帝の娘・空竜姫、帝都一の陰陽師・九字、九字の式神・結双葉。
第二章 栄光の都と予言
いくつかの古い書物の断片をつなぎ合わせることによって、知られている伝説があった。
人間の世の初めには、現在とは異なる生活様式の国があり、そこで人々は何の悩みもなく暮らしていた。
天地を治める唯一の国、名は「栄光の都レウッシラ」。
大地は光に溢れ、豊かな自然の恵みが育まれる、喜びに満ちた場所だったという。
都を治めるのは、神に仕える神官、そして祝女たちであった。その中でも選ばれし祝女――「歌姫」は、神のために歌声で音を奏でていたという。
その歌姫の一人歌う演奏神事の折、ああ! 神はなんというお戯れをなさったのであろうか。
なんと、栄光の都に神が降臨せられたのであった。
その神の御名は神御自身しかお知りにならない尊い響。その御名に誓って神は言われた。
「人間よ、我、汝に我が名の一部を知らしめん。この響を祝せよ」
神の降臨を見、その響を記憶することを約束されたのは、歌姫のみであった。
歌姫の喉からは、絶対三度の美しい二重声が発せられたという。
それこそ神の求め続けた歌声であった。
神はその二重声を彩るために、一つの楽器を歌姫にお与えになった。
その水晶でできた楽器こそ、調律が永久にいらない奇跡の楽器、クリスタルハープであった。
歌姫は神の御名の一部とその楽器をもって、ますます美しい栄光の都で、神を讃える歌を歌い続けた。
しかし、それが悲劇の始まりであった。
神とただ一人会える歌姫を、神官たちは妬んだ。
苦悩のない世界は、神が降りたことで嫉妬と憎しみを知ってしまったのだ。
神官たちは、歌姫を神殿の一室に閉じ込めてしまった。
そして、自分たちの中から、「歌姫の代わり」が出ることを望んだ。
神への讃歌がくもり、栄光の都に暗雲の兆しが見え始めた瞬間であった。
神官たちの心が都に不作や枯渇といった禍を呼びだし、国には多くの、人心の乱れによる争いが起こった。
栄光の都が破壊と混乱に覆い尽くされたとき、神官たちはついに、それを歌姫の歌の不誠実のせいにしたてあげた。
神官たちが、歌姫を殺そうとして神殿の園に追いつめたとき、それは神の覆せない怒りを呼んだ。
神は歌姫と神官たちとの間に雷を降らせ、空を血色の真紅に染め、栄光の都を一片も逃さなかった。
一つの文明が完砕(かんさい・意味『完全に粉砕する』)せらるるときに必ず現れる紅き鬼神として、神は栄光の都レウッシラを、破壊し尽くしてしまわれたという。
「――これが人間の最初の国のお話です」
図書寮の長が、古い巻物に書かれた古語を、現代語に訳しながら読んでくれた。図書寮とは、秘伝から最新の資料まで、あらゆる情報を貯蔵してある、書物の宝庫のことである。
星方陣を成す成さないに関わらず、四神と神器を手にした者として、世界の中に秘された情報はできうる限り手に入れた方がよいというのが、九字の考えだった。図書寮の長に、伝説の話をするよう手配したのは九字である。帝も同意している。
「その二重声の歌姫も死んじゃったの?」
霄瀾が気になって訊ねた。
「それはわかりません。しかし、紅き鬼神は、悪しき者と、悪しき者の拠り所となった都を、徹底的に破壊したと言われています。ただ、あまりに昔のことですので、実際は天変地異が起きただけだと言う学者もいます」
図書寮の長は、丁寧に答えた。
「でも、クリスタルハープってどんな楽器だったんだろう。調律が永久にいらないだなんて、まるでこの水鏡の調べみたいだ」
霄瀾が楽しそうに空想する隣で、出雲が竪琴をのぞきこんだ。
「それなんじゃないのか? 神器として燃ゆる遙を押さえつけたくらいだし、純粋な者にしか弾けないし……」
紫苑も振り向いた。
「そうね。でも霄瀾、二重音で歌うこと、できる?」
「うーん……、やったことないけど……」
露雩は思いついた。
「鼻歌の構造も使って歌ったんじゃないかな。要は口と鼻で音を取ったということだと思うよ。本当に、歌うことにとても才能があった人だったんだね」
霄瀾はまた歌姫の歌声とクリスタルハープに思いをめぐらせた。
「でも残念よねえ。神様の名前の一部でも残っていたら、おもしろかったのに」
一緒に聞いていた空竜が、両頬を両手で支えた。紫苑も同調した。
「そうですね。言霊の研究からいっても、私も非常に興味があります」
長が、隠すように口を開いた。
「……。その約束された響は、『阿修羅』だと言われています」
露雩の心臓が一度だけ、大きく拍動した。
両眼が熱い。
何かを見通しそうだ――。
「私はあなたを同列に扱うつもりはありませんが」
図書寮の長は紫苑にそう前置きしたうえで、
「もし人の世が滅ぶとしたら、紅き鬼神と白き炎の最終兵姫の、どちらが先に世界を滅ぼすかと、貴族たちは本気で心配しているようですよ。『魔』を、どう祓おうか、と」
「……」
紫苑、出雲、霄瀾、露雩は、無言だった。
だが、人間は、「自分の計り知れないもの」に対して、極端に恐怖を抱く。
力を示す必要はないが、誤解を解く努力は必要かもしれない。
紫苑は、人の中で生きていく可能性を、得ることができたのだから。
紫苑たち一行は、九字からの提案で、修行をするためしばらく都に滞在することにしていた。
紫苑は九字につき、術の理論を詳しく学習している。
出雲と露雩は、剣術道場に入った。
百年もたてば剣技の型は増え、またそれに伴って攻略法も編み出されているはずだ。百年の空白に加えて記憶がすべて戻らない出雲と、記憶なしにほぼ勘で戦っている露雩は、最新の剣技の型と、剣の基礎を習得する必要があると考えていたのだ。
都の兵たちと一緒に道場に整列し、柔軟体操を丹念に行う。受け身の訓練では、どんな体勢に倒れても常に標的の位置を確認することを教えこまれる。なるべく体の一部に負荷をかけず、体全体に分散して衝撃を和らげる。一部だけ使い続ける攻撃では、疲労で動きが鈍る、だから多彩な攻撃を会得し、戦いの間にも各部の筋肉を休ませる瞬間を作らなければならない――等々(とうとう)。
走りこみや素振り、打ち合い稽古……。何もしてこなかったに等しい出雲と露雩にとっては、とてもためになる時間であった。練習試合ではもちろん二人にかなう兵士はいないが、共に練習に汗を流し、握り飯を食べながら兵士の故郷や家族の話を聞くのは、露雩にとっても、出雲にとっても、彼らの知らない話だらけの、得難い経験であった。
皆は、家族を大切にしていた。そして、国の組織というのはその家族を守るために権力も名誉も身も投げ出せる、勇気と覚悟のある頭のいい人間が集まったものだ、だから、国民は、家族――同じ思考の集団――を守るために、指導者の国王・帝とそれを支える組織のもと、一致団結して魔族と戦うのだと、誰もが自分の命を国のために投げ出す理由を確固として持っていた。
国を守ることは、自分と同じ思考の集団を守ること、それは自分の安全な居場所を守ることなのだ。
「家族……」
出雲は胸が妙にざわついた。――どちらかといえば、あまりよい感覚ではなかった。
「(……オレの家族、どんな人たちだったんだろう)」
自分も家族を守るために剣士になったのだろうか、と出雲は胸を押さえながら地面を見つめた。
剣術に必要な足さばき、手の力、さらに居合まで習ったところで、出雲は王師・作門のもとへ、露雩は二刀流の師範、意刀織斬のもとへと弟子入りした。
意刀は、気合いで叫ぶだけで剣先まで闘気の鋭い刃が覆う、熟練の六十五歳の剣士であった。戦いの跡に沿った勇敢なしわが見られる。また、肌は活性化して、六十五歳にしては生き生きとした色をしていた。
作門も意刀も共に、出雲と露雩に同じ方法で剣を教えた。
すなわち、「負ける稽古」である。
剣の打ちあいは、攻勢が続くとは限らない。
不利な状況で一太刀が来たとき、どう動くべきか、そのとっさの判断を養うのだ。
わざと片膝をついた状態、刀を振り切った直後、読み誤って逆方向へ刀を出したとき――。
作門と意刀は、直接相手になって、出雲と露雩に助言した。
「この構えはこの攻撃を誘うのか」
「この体勢で突かれたら、こうよけなければ」
出雲と露雩は、だんだんわかってきた。
今まで負けられない戦いばかりしてきた二人にとって、様々な状況の対処法を学べる、この「負ける稽古」は、とても勉強になった。
さらに意刀は、露雩に二刀流を意のままに操る訓練を課した。
左右の手に一つずつトンカチを持ち、木の板の上に少し打ちつけて立たせてある二本の釘を、左右同時に打って少しずつ板の中に埋めていくという修行である。
露雩は二本の刀を使うとき、右手と左手の扱いに差があった。右手がいつ術を使ってもいいように、左手は右手の邪魔をしないよう、意識して重要な一撃を避けていたのだ。
意刀はその「癖」に気づいて、この二刀流の道場では、術を使うことは忘れて、剣の道を極めることに集中するようにと指導した。
釘を何回かに分けて、同じ距離ずつ木の板に入れていく。
一回で全部入れないのは、力の加減が左右均等かどうか、目測するためだ。
「まず、自分の両手が同じ力で振れるかどうか、確かめること。次に、二刀流が各々の剣を両手の力で振れない分、剣をてこの原理で動かして、己の力以上の強い力を剣に加えることを会得すること。それが二刀流に欠かせない要素だ。
この修業は同時に、細かい力加減の訓練にも使える。力のある者ほど、繊細な刀の使い方で差が出るものだ。柔よく剛を制する境地に達すれば、もともと剛の剣のそなたのこと、さだめし剣の破壊力は熟達するであろう。
左右共に強弱自在の器用さを養うことは、様々な技の実現に役立つぞ」
意刀の言葉に忠実に、露雩は釘を打ち続けた。
「(同じ力で……同じ拍子で……最大の加勢を得られる角度で……)」
トントントン、トントントン……。
露雩が一心不乱に「できるとき」をつかむため集中していると、意刀は床に並んだその板の上を、確かめるように踏み歩いた。
「これでこの道場にも階段ができるわい」
「えっ!? 何かおっしゃいましたか!?」
「気のせいじゃ。今度からはしごを使っていた屋根裏の掃除が楽になりそう」
「……?」
何らかの目的を持って積まれているような板を打ちつけながら、露雩は集中に戻った。
陰陽寮の中を歩く九字のあとを、紫苑はついて行く。
両手に、九字の筆や紙といった仕事道具を持って。
九字は各種の辞典も常に携行しているので、正直、紫苑には、二つの大袋に入ったそれらは、すぐに走れないほど体の重心を奪う重さだ。
「いつもは私がお持ちしているのですよ。でも九字様は、紫苑様にご自分の持ち物をお知らせして、陰陽師として必要な勉強を、紫苑様が気づくことができるようにしていらっしゃるのですよ」
「結双葉。何を耳打ちしているのだ?」
「私にもお荷物を持たせてくださいと、九字様の式神としてお願いしておりました」
「余計なことをするな。赤ノ宮は雑用もしなければ成長せん。こういう類の苦労を、したことがないだろう」
「ほらね、殻典様が紫苑様を甘やかすはずがないのに、ご自分の秘密をお教えするために、九字様はわざと厳しい顔をして――」
「結双葉! 下がらせるぞ!」
「これは失礼いたしました。しかし、主のお役に立つのも――通訳するのも、式神の仕事でございますよ」
「……なんのことだかさっぱりわからぬ」
ずっと振り返りもせず、陰陽寮の奥へ九字はまっすぐ歩いていく。
九字を見て、仕事をしている陰陽師たちが居住まいを正して礼をする。その堂々とした態度は、力に伴う、皆を守る責任に溢れ、剣で戦う武人でもないのに、他を目覚めさせるように圧していた。
これは殺気ではない。
人を惹きつける威徳だった。
なぜ人々が九字にそのような眼差を向けるのか、紫苑にはわからなかった。
単に帝国一の陰陽師だからでは、なさそうである。
陰陽寮の一番奥、長である九字の部屋の中へ、三人は入った。
たくさんの惑星や星が、部屋いっぱいに散らばっていた。ただし、それらはすべて光だった。
「陰陽師は星の運行を知るのが仕事の一つだからな」
九字は星の中を歩いていく。
既に本日中に目を通さなければならない書類が、長の机の上に二山できていた。
紫苑がうわっという形に口を開けると、九字は十二支式神を呼び出し、書類を読ませ始めた。
「式神は忙しい主の代わりになれる。あとで式神の記憶を読みこめばいい」
九字は事もなげに言うと、部屋の中央の、実体のある天球儀に触れ、呪文を呟いた。
すると、天球儀がまわりだした。
『赤い……髪の……女……が』
記憶装置を再生したように、天球儀から誰かの声を録音したものが流れてきた。
声は、非常にくぐもっていて、かろうじて女のものとわかる程度である。
「これは?」
赤い髪と聞いて、紫苑が動揺した。その肩を、結双葉が軽く支える。
『白き炎に覆われた……世界……』
声はなおも続く。間違いない。自分のことだ。紫苑は唾を呑みこんだ。
『……の終わりに一人立っているのが見える』
紫苑は思わずよろめいて、腰から倒れそうになった。結双葉が体を抱きとめた。
「お前がなぜ都から遠く離れた千里国に住み、国外へと出してもらえなかったかわかるか」
九字が淡々と話す。
紫苑の動悸が止まらない。
「お前は世界を滅ぼす予言を受けた存在だったからだ」
ああ、捕まってしまった。紫苑の体には依然として力が入らなかった。
露雩がせっかく私を救ってくれたのに。
私は、どうしても人間の敵でい続けなければならないのか。
燃ゆる遙を倒しても、神は私が私の望み通りに生きることを、赦していないのだ。
死ぬために生きている。
なら、私が世界と自分を滅ぼす前に、世界は何ができるのだろう?
死ぬ前に、夢を見せてくれ。
星方陣にもし、人間すべてに関われる力があったら、私は人間が何のために生きているのか、一人ひとりに尋ねたい。
死を前にして、何をやり残したのか聞きたい。
その答えを、私は納得できなかったのだとしても――。
「星方陣を成したとき、世界の真実に触れてお前は怒るのかもしれぬ。それでも何もしなければ、人間は魔族との永遠に続く戦いで魔族と共に消滅するだろう。神器が集いたいのは赤ノ宮のもとなのだと、私は三つの神器を見て悟った。滅ぼしてもいい、救ってもいい、世界の真実を見てこい、そこで自分の気持ちに正直に、世界のために為したいことを成しなさい」
紫苑は、九字の目を見つめた。人間は皆、人間を殺す剣姫を敵視していたのに。「滅ぼしてもいい」と言ってくれた九字は、紫苑を、そして世界を理解する準備があるということだった。
『星……晶……睛……』
天球儀がまだまわり続けていた。
『世界の初めに……一人立っているのが見える』
「……」
紫苑の視線に、九字は答えなかった。
「この世界のどんな命も死に向かって生きている。後悔のないように」
その言葉以外、出しようがなかった。
「赤ノ宮、お前には正しい心に触れていなければ、人間の悪の気によって殺戮を起こしてしまうという予言があった。悪を滅する論理の剣を取れ。その剣舞で勝ち手練に成長できなければ、お前はせっかく世界の真実に触れても、理解できぬまま見過ごし、手を出しても誤った解釈で役に立たぬ言葉を得るだけであろう」
悪に負けない剣技を磨けと言われると思っていた紫苑は、驚いて剣を握りしめていた手を離した。
その紫苑に、九字は真の剣を説いた。
「神に捧げる剣舞とは、剣戟にあらず。精神の戦いのことだ。心を戦わせない者に、神の力など降りぬ。剣の腕だけ磨いても、心ない者は、心ある者にいずれ倒される悪にしか、なれぬ。精神の戦いの剣舞をせよ。そこに力は必ず降りる。神は精神の戦いを望む。人間の心が強く鍛えられていくのを、神は最も好むのだ。なぜかはわからない。神の力を受ける器が大きくなり、神の力を顕現する人間が増え、神が世界に善い干渉をしやすくなるからではないかと、神職の間では言われている」
「心を戦わせるのが、本当の剣の道……!」
「お前の旅は、『星方陣で世界の真実に触れる資格を得るために、精神の撃剣を精錬し続ける記録』だな」
そう言いながら九字が天球儀を止めたとき、
「お義兄様、紫苑さんが来ているならすぐお伝えくださいな!」
長の部屋のふすまがサッと開き、少し太った大柄な女が、小さい目をぱちぱちさせながら入って来た。
「これは塗目様、こんにちは」
「あら結双葉、あなたまで油を売って! 私に連絡してくださいって、言ったでしょ!」
名前に反してまったく目に化粧をしていない塗目が、目を吊り上げている。
「璃千瑠姉様の予言の子だって聞いて、飛んできたんですからね、私は!」
「えっ!?」
今いろいろ重要な情報が飛び交った気がする。えーっと、九字が塗目の義兄で、予言した人が璃千瑠といって……。
「璃千瑠様は九字様の奥様ですよ。紫苑さんの予言をしたのよ。姉様は都でも指折りの予言者だったから……」
「おい、塗目。そんな話はいいだろう」
不機嫌そうな声で九字が遮った。しかし、塗目はむきになって言い返した。
「よくありませんよ! 紫苑さんは、亡くなった璃千瑠姉様がどんな人だったか、知る権利があるんです! 予言者の人となりを知って、その人の予言を信じるかどうか、紫苑さんが決めるべきです! 予言されたのは、紫苑さんなんですから!」
「……」
九字はそれ以上何も言わずに、机の前に正座すると、書類の山に目を通し、仕事を片付け始めた。
璃千瑠という予言者のことが聞ける。
九字の妻だということにも、少なからず興味が増した。二人は、どんな人たちだったのだろう……。
「予言が次々に当たるっていうのは、詳しく話さなくてもいいわよね。ああ、でも姉様は冷静な方だったから、かわいらしいお話、あんまりないのよね。ご自分のことまで、予言でわかってらしたから」
「……!」
紫苑は、言葉が続かなかった。自分は、「何かを成したら」死ぬのだと思っている。しかし、「何も成さずに死ぬ」未来がもし視えたら、とても気力を保っていられないだろう。
予言者として、人の未来を告げて、璃千瑠は、人生に満足していたのだろうか。それとも何か成したのだろうか。
「自分の望んだわけでもない力」に踊らされて? それとも利用して?
紫苑が黙りこんでいると、塗目は目を輝かせた。
「そうそう! 一度だけ、予言があったのかなかったのか、わからなかったときがあったわ!」
「それはどういうお話ですか?」
「姉様が結婚相手をお決めになるときよ――」
そこで塗目はちらと九字に視線を投げてから、
「誰と一緒になるか、予言でおわかりなのでしょうと訊ねたのに、何もおっしゃらなかったわ。予言がなかったのかもしれないの。当時姉様には次から次へと求婚者が現れて、お父様はどの男性にするか、決められないほどだったの」
「予言者の能力が欲しいからですか?」
「それもあったかもしれないわね。でも、もともと我が家は大地主でね。財産目当ての男も大勢いたでしょうね。それに加えて、姉様はものすごく美人だったのよ。昔は姉様が私の分の美しさを母様からみんな持ってっちゃったって、ずいぶん恨んだものよ……ふふ、子供の頃の話よ」
塗目は懐かしそうに体を上下して笑った。
「では最終的に、国の護りとなるために、国家の意向で、力の強い者同士が結婚したということですか」
「いいえ、どんなに力の強い者同士の子供でも、同じ系統の力なら素質は強く受け継がれるかもしれないけど、別系統の二人から生まれた子供は、素質はあっても普通に生きていたら二つの力が中途半端にしか伸びない。両方開花させるには天才的な器用さがいるし、そうでなければ人の二倍かかる。つまり、それでも努力すれば開花するってこと。でも、単純なかけあわせで単純な二種類の力の獲得ができるほど、人間は簡単にはできてないわ。国家の中枢に必要なのはその道を心身ともに極めた達人で、中途半端な人材じゃないわ。術も予言も半端な子だったら、『親を超えられない子』として冷遇されるだけよ。だから国家は、才人同士の結婚を奨励したことはないわ。様々な男女の組み合わせを奨励した方が、社会の多様性に資するから」
「でも、術も予言の力も自分以下の中途半端な子になるかもしれないのに、なぜ結婚されたのですか? 自分の力を、後世に遺したくなかったのですか?」
そこで塗目は、真面目な顔をした紫苑を置いて、大笑いした。
「どんな子でもいいじゃない!」
塗目は涙をぬぐった。
「愛する人の子供なら!」
なぜか塗目の目が優しい涙に覆われているように見えた。その向こうに、璃千瑠と九字の暖かさが満ちているようであった。
父・殻典も亡くなった母も、自分のことをそう思ってくれていたのだろうか。紫苑の目を通してその暖かさが心にしみていったとき、塗目がゆっくりと語りだした、
「私のお父様はね、最後に姉様を別の大地主の息子と結婚させる気になったの。九字様よりお金持ちでしたからね。でも九字様が姉様にとても惹かれて、毎日、田畑が豊作になるよう、敵対する相手からの呪いを返す呪術のお祈りをしたの。そうしたらお父様も、不作の恐さを知っておりましたから、幸せを呼び込める男ならばと、姉様をくれたのですわ。もちろん、九字様は毎年お祈りしてくださって、私どもの田畑は豊作に恵まれましたわ」
紫苑は感心した。九字は、不作になったら大地主でもあっという間に没落するぞと、脅しを送ったに等しい。
「姉様も九字様を好いておられなかったら、九字様はこんな手段はとらなかったでしょうけど」
九字はそ知らぬ顔で書類を読んでいる。
「そんなわけで、そのときだけは、姉様は自分のしたいように生きたみたいね。結局、死ぬ運命は変わらなかったけど、きっと姉様はご自分で選んだ人生を、幸せだと思われたと思うわ。『人は死に向かって生きている。長生きするより、何を為すかだ』と、姉様はいつもおっしゃっていたもの。死ぬのを恐れるより、為したいことを成したご自分の幸せを思っていたのね。それに、姉様はご自分が死んだあとのことも視えていらしたから、きっと寂しくなかったはずですよ」
「――?」
その言葉に、九字と子が顔を上げた。
塗目は、紫苑に向かって改まった。
「予言者璃千瑠から、白き炎と剣の舞姫へ、予言状を言付かっております。本当に困ったとき、開いてください」
塗目が、縦長に折り畳まれて白い紙に包まれた文を、紫苑に差し出した。
「待て塗目、私は璃千瑠からそんな話は一言も聞いていないぞ!」
九字が荒々しい声で立ち上がった。手紙をひったくりそうな気配である。
しかし――
「いけませぬ!!」
ピシャリと、塗目が一喝した。
「九字万玻水の面前で剣姫に予言状を渡すことは、予言者璃千瑠の遺志でございます! 璃千瑠がこれまで、予言を誤ったことがありますか!」
「――」
九字万玻水は、何か言いたそうに口を開いては閉じた。愛する妻の言葉が知りたいのだ。
九字に渡したら、紫苑より先に読んでしまうことが、予言者にはわかっていたようだ。
「しかし、いつそんなものを……」
「祝言をあげる前日ですわ」
「そんな頃から既に視えていたのか……!!」
九字は力なく座布団の上に座った。
紫苑が予言状を受け取るのを、子の目の端に映しただけだった。
「あの……九字様に、お子は?」
ふと紫苑は、小声で塗目に囁いた。
「……」
塗目は黙りこくってから、
「いません。九字様は、ずうっとお独りです」
どこか硬い表情を見せた。
「……今日はもういい。しばらく一人にしてくれ」
九字の一言で、紫苑と塗目、そして結双葉まで外に出た。
「姉様はなぜお義兄様の前で……。いくらなんでも……」
塗目も姉から自分に与えられた行動を不思議がっていた。
「困ったときって、いつでしょう? 剣姫になるときは、いつも困っていますが」
紫苑は今開けるべきなのか、困惑した。
「璃千瑠様なら、その場合、もっと早くに予言状が渡るようになさるでしょう。あなたの剣姫の力は、一応露雩さんが止める手立てを持っています。困ったときというのは、剣姫に関してではないかもしれません」
結双葉に、紫苑は引きつった顔を見せた。
「剣姫以上に困ることが起きるってことですよね!? 困ります私、もう人生これで精一杯なんですよ!? 耐えられませんよ!!」
「大丈夫ですよ。露雩さんが支えてくれますよ」
「う、うう……」
紫苑が顔を赤らめて答えにつまっていると、塗目が目を輝かせて身を乗り出してきた。
「ねえ、その露雩さんって、どんな方なの? 紫苑さんの恋人なの?」
「え、ええ!? あ、あのですね、それは……」
「式を挙げていないだけで、結婚しているそうですよ」
「ゆ、結双葉さんっ!!」
わたわたと慌てふためいてぶつ真似をする紫苑を、結双葉は歯を見せて笑って受け流した。
「まあっ! これはぜひとも見ておかなくちゃね!」
「ええっ!?」
塗目の鼻息に紫苑が驚いたとき、
「紫苑!」
露雩が板をたくさん抱えて歩いてきた。
「これは露雩さん、こんにちは」
「まあ! この人が!」
「……? ええと、初めまして」
露雩は、塗目の見開いた小さい目の目力に押されながら、お辞儀した。
「まーまー、こんな素敵な人が! 良かったわね紫苑さん!」
「ええ……は、はあ……」
「私、塗目と申します。九字万玻水の義妹で、予言者・九字璃千瑠の妹でございます。どうか予言を受けた紫苑さんをお支えくださいまし。今は亡き予言者の言葉を継ぐ、親族としてお願い申し上げます」
塗目が礼儀正しく頭を下げた。露雩もそれにならった。
「そうでございましたか。紫苑のことはお任せください。全力でお守りいたします」
「それを聞いて安心しましたわ」
塗目は顔を上げると、紫苑の手を取った。
「じゃあね、紫苑さん。お体にお気をつけて。予言というのはね、結末が変わらなくても、どういう道を歩くかはあなたが決められるのよ。人はいずれ死ぬ。それまでにどう生きるかよ。決められた結末に、あなたなりの解釈、あなたなりの意味を与えなさい。忘れないで。璃千瑠姉様のように、あなたを待っている人はいる――」
確かに、璃千瑠は紫苑を殺した方がいいと国に進言しなかった。紫苑を助けるかもしれない文を残してくれた。
結末を変えられなくても、自分なりの意味を与えられれば、その人生は無駄ではないのだ――。決められた結末までに、何を残すか。紫苑は顔を引き締めた。
「ふふふ、本当にお似合いだこと。式を挙げるときは、私も呼んでくださいね」
「ぬ、塗目さん!」
塗目は紫苑と露雩を交互に見ながら、家へ帰って行った。
「も、もう……!」
「私も呼んでくださいね」
「結双葉さんまで!」
「でないと今の露雩さんの言葉、九字様にお伝えしちゃいますから」
「やめてー! 求婚に近い大事な言葉拡散させないでー!」
紫苑が泣きそうになりながら叫んだ。露雩が声をかけた。
「九字様の修行はもういいの? オレは自分の修行に使う板を運んでるんだけど」
「今は休憩中よ。それ、空手で割る板みたいね。二刀流で使うんだ」
「ああ。じゃ、続きがあるからこれでね。最近ゆっくり会えなかったから、元気な顔が見られてよかったよ」
「私もよ、露雩」
二人は笑顔で別れた。
「すっかり恋人同士の会話ですね」
「茶化さないでくださいよ!」
「おう、紫苑じゃねえか!」
首に手ぬぐいを巻いて汗を拭いている出雲が、歩いてきた。
「修行終わったの?」
「いいや。まだ夕方練習と夜練習が残ってる。今、休憩時間なんだ。城を見学しようと思ってさ」
「ふーん。どう、剣の稽古はおもしろい?」
「ああ! すっごくためになるぜ! なんでも吸収しようと思ってる!」
出雲は未来を語る明るい少年剣士のような顔をした。
「オレはオレでがんばるから、お前も九字の修行、音をあげんなよ!」
「大丈夫! 九字様は放任主義ってわけじゃないから!」
出雲と紫苑は片手をあげて別れた。
「あー! ねえ結双葉、紫苑! 露雩知らない!?」
空竜姫が、駆けて来た。
「ずい分探してるのに、全然会えないの! んもー、お姫様を走り回らせるなんて、もう絶対夫にするしかないわねっ!」
紫苑の表情が固まるのを隠すように、結双葉が前に出た。
「姫様、露雩さんは大切な修行の最中です。お邪魔しては、露雩さんにご迷惑がかかりますよ」
しかし空竜は理解できない顔をして、両手を腰に当てた。
「なんで? お姫様がわざわざ会いに行ってあげるのよ? 感激するに決まってるわ!」
「……」
結双葉は困ったように微笑んだ。
主である九字の許可なしに、権力者に意見することはできない。不用意な言葉で、九字を政争において窮地に陥らせることはできない。
そこで紫苑が代わりに口を開いた。
「姫様、露雩は今、姫様も都もお守りするために集中しております。姫様は、露雩が強くなるのはお嫌いですか?」
「まさか! そんなこと……」
「では、集中している時間帯はご自重くださいませ」
「紫苑! この私に上から物を言うの!?」
「姫様をお守りするのは何ですか? 家柄ですか? それで魔族が攻撃をやめてくれますか?」
「――っ!!」
空竜の頭に血が上ったところで、結双葉が間に入った。
「姫様、確かこの時間は弦楽器の勉強のお時間でしたはずでしょう。先生はどうされましたか?」
「うっ……えっと……」
空竜が意外な攻撃にたじろいだ。
「もし勉強から抜け出して男を追いかけていたと知れれば、貴族たちの格好の餌食ですよ」
「だ、大丈夫だもん! 私、次期女帝だし!」
再び不敬なことを言って、空竜は紫苑ほどではない大きさの胸を反らした。
「帝に恥をかかせるおつもりですか」
「……」
空竜は一瞬目が宙を泳ぎ、しゅんとうなだれた。
「……わかった。帰る」
とぼとぼと歩きながら、
「ごはんに呼ぼう」
と、紫苑を不安にさせる独り言を呟いた。
「はあ……、私、自己嫌悪です。戦いも知らないか弱い女の子に向かって、あんなこと言うなんて……」
紫苑が深く反省した。
「仕方ありませんよ、恋敵には冷たくしてしまうものでしょう」
「……人間の国を救うためだって言われたら、帝室に強い子孫を残すために、露雩は空竜姫と結婚してしまうかもしれないもの」
「それはあり得ませんね。王に必要なのは戦闘力ではなく統治力です。違いますか?」
紫苑は安堵しながらうなずいた。
「空竜姫はもう十六歳です」
結双葉は嘆息した。
「成人していながら統治力が未だに成長していないので、心ある者は皆嘆いています。姫の無知には理由があるのですが、もう大人なのですから、それに気づかないと……いけませんよ」
紫苑は空竜の非常識の理由を考えた。剣姫が発動するまでもないということは、空竜の心の何かを紫苑が感じ取っているということなのかもしれない。それか、あまりに明るいバカなので怒る気すら失せているか――後者かもしれない……。
「ところで、霄瀾君に会いませんね」
ふと結双葉が辺りを見回した。紫苑もそれに気がついた。
「城内にいないのでしょうか。楽士に曲を習うと言っていましたが」
「あの子は伸びますよ」
紫苑は結双葉を見上げた。
「九字様は、霄瀾君のことを、防御の曲に素質があると見立てておいでですよ」
「そうですか……。幻魔の調べ以外にも、曲が見つかるといいのですけど」
水鏡の調べの曲は、天降りの日に降り下りた神器のうちの、「音のみの神器」である。
形がないものなので、どこに眠っているかわからない。
だから神剣・青龍を探して旅をしたとき、霄瀾の祖父・降鶴たちは、各地の国風を積極的に吸収したのだろう。「曲神器」が紛れている可能性があったからである。
「遺跡や神社の古文書をお調べになるか、それとも――」
結双葉は少し、首を傾けて、
「敵の技を盗む、いや、なかなかそういう機会はないか」
と言って、そろそろ主のもとへ戻りますと、去って行った。
紫苑も、帝国の厨房へ向かった。料理見習いを兼ねて、見学するつもりである。
霄瀾は今、絶対防御の力が必要だった。
背負った水鏡の調べが、小刻みに震えている。
「おーい! 早くしろよー!」
「早くって……むりだよ!!」
霄瀾は湖まで十メートルの崖の上に立っていた。
なんでこうなったんだろう。霄瀾と同い年くらいの子供たちが五人、追いかけっこをして遊んでいた。ついぼーっと見ていると、仲間に入りたいのかと聞かれ、うなずいたとたん、「度胸試し」と称して崖から湖に飛びこむことを要請されたのだ。
「飛びこめなきゃ、なかまとみとめねーぞ!」
一足先に飛んだ男の子二人が、湖の中で立ち泳ぎをして、待っている。
「ねえ、たてごとおろしたら? ぬれちゃうよ」
女の子三人が水鏡の調べを指差した。
「これ、ぬれても弾けるから」
「ふうん、はっ水加工なんだ」
勝手に理解すると、女の子三人も湖へ飛んだ。
「えー! 女の子まで……!!」
十メートル。高い。五人が骨折していないのはおかしい……。
しかし、五人が冗談を言い合って笑っているのは、ひどく楽しそうだった。あの中に入りたい。同じくらいの年の子たちと、はやりの遊びも、話もしたい――。
霄瀾は意を決して、鼻をつまむと、崖を蹴った。
大きな水しぶきをあげて水中に落ちこんだ霄瀾の手を、一人が引っ張り上げてくれた。
乳歯の抜けた歯でニカッと笑って、
「飛べたな。楽しいだろ?」
霄瀾はまだ飛びこんだときの足がしびれていたが、
「うん!」
と、笑顔を見せた。
「美しい色彩ですね」
板と釘を片付けながら、露雩が壁絵に見入っていた。
神話をたどって、微妙な色に配合された岩絵の具が、良い色の配置で塗られていた。
「絵に興味があるのかね」
意刀が振り返った。
「はい、私も絵を描くんです」
「なら、都の画材店へ行ってみなさい。最新の道具から細かい色あいの絵の具まで、品ぞろえは豊富じゃよ。場所は玄武―朱雀門の大通り、青龍―白虎門の大通りに面していくつかある。都の店は、この二つの大通りにみんな出すんじゃ。本店はそれ以外の地区にあって、もっと詳しく見たい者は大通りの店で場所を聞いて行く。本店が奥まったところにあって人々に知られないのは不公平だから、大通りに全部の店が集められるんじゃ」
「便利なところですね、出店に目録を置いておけば全商品を掲載できるし、本店への地図も配れる。わかりました、近いうちに行ってみます」
「では明日、午前だけでなく午後も休みをやろう。不慣れな土地で店にたどり着き、商品を選ぶなら、時間に余裕がある方がよかろう。放っとくとわしはずっと修行させてしまうからな。修行は夜陰の中でもできる。明日、店の開いている時間に行って来なさい」
「ありがとうございます!」
嬉しそうな露雩が一礼すると、意刀はうむ、うむ、と微笑んだ。
料理見習いの下っ端は、皿洗いが仕事である。
紫苑はそれでも、帝国の厨房に入れたことが嬉しくて仕方なかった。
帝国が使う皿を、ことごとく見られたからである。
「豪華なお皿は先輩が洗ってたけど、普通のお皿も金粉が焼き込められてるし、わび、さびの極致みたいな渋い色の器があったし、いやー勉強になるわー、どんな食器をそろえればいいのかわかって! 旅に出たら似たので食事出そうっと!」
先輩たちの野菜の皮むき、千切りの手つき、火加減。紫苑は月宮の厨房で見習いをしていたことがあったのだが、ここは人数の桁が違う。泊まりこみもある軍人だけでも、朝食と夕食で、一日に二千食は作っている。自然、料理人の手際は良くなる。それを紫苑は眺められたので、嬉しいのだ。
上機嫌の紫苑が、いい食器になりそうな石の素材を探して森に来ると――、ザバ、と何かが水からあがる音がした。
「(しまった、獣かしら)」
紫苑はとっさに背の低い茂みの陰へ身をひそめた。
「――あ」
露雩が湖から出たところであった。
紅葉がそれを待っていたかのように、ちょうどきれいな配置でパアッと散り、露雩を美しく紅色に照らしだした。
その完璧に整った美しい裸体に、紫苑は顔を手で隠すのも忘れて、思わずみとれた。
紫苑は恥ずかしさと感動で、何も考えられなくなった。
この世にこんな美しい体があったなんて。
心臓だけでなく全身にも血流が脈打ち、紫苑に何かを促しているかのようである。
「……何してんだ? 紫苑」
いつのまにか、見つかってはいけない相手に、見つかってしまいましたとさ。
「シ、紫苑? 知らないなあ。ボクは森の精霊だよ? キョロロロン!」
と、紫苑はかわいくくるりんと目を一回転してとぼけてみせた。
視線を横に向けて唇をめいっぱい笑顔にしてぷるぷるとひきつらせている紫苑を見て、露雩はしばしの無言を経て、
「……脱がす」
「わーっ! ごめんなさいー! のぞこうとは思ってなかったからー!」
露雩は、逃げだそうとする紫苑の襟首をつかまえた。
なんかもう肩に手が入ってて最高に危険なとき、水を飲みに来た霄瀾が現れた。
「……なにしてるの?」
「霄瀾いいところに! 森の精霊を助けて一つ徳を積みましたな!」
「まだ言うか!」
露雩が紫苑のうなじをつかんでつまみ上げた。
親ネコにくわえられた子ネコのようにおとなしくなり、紫苑は、
「……ハイ。ウソです。すみません王様」
「王様? そういえばどうして露雩ははだかなの? ……あ」
霄瀾は露雩の裸を眺めて呟いた。
「あれ? 出雲とくらべると……」
「霄瀾シー! シー! それ以上言っちゃダメ! 出雲にも今見たこと言っちゃダメよ! いいわね!!」
「え? なんで?」
霄瀾と紫苑のやり取りを、露雩は仁王立ちで聞いていた。
「ほーう……。なんで紫苑が出雲の裸を見たことがあるのかなァー?」
首根っこを押さえられているからわかる。ああ……もう許してもらえないなこれ……。
「じっくり話を聞かせてもらおうか。……罪業街の一丁目でな!」
引きずられていく紫苑に霄瀾が声をかけようとした。
しかし、霄瀾は紫苑が露雩に怒られるのだと思い、放っておいた。
「ショ、霄瀾!?」
「そうだね。ここから先は子供に見せちゃいけないもんね」
「森の精霊を助けて徳を積もうよう!」
「くどい!」
露雩は無駄な抵抗をする紫苑と自分の服をつかむと、森の奥へと消えて行った。




