桜都の桜姫第一章「攻魔国(こうまこく)」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑、神剣・青龍を持つ炎の式神・出雲、神器の竪琴・水鏡の調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾、強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者・露雩。
帝の娘・空竜姫、帝都一の陰陽師・九字、九字の式神・結双葉。
ついに帝都に到着します。帝の勅命の前に、少し休息をとりつつ、修行して能力を伸ばします。
第一章 攻魔国
桜花が風にそよいでいた。
音もなく、花びらが舞っている。
一年を通して、桜の落ちぬ日はないと言われる、帝都・攻清地。
紫苑たちは、各国の王たる帝の治める攻魔国に、ついにたどり着いていた。
南の大きな赤い鳥居の門をくぐると、幅約百メートルの大路が一直線に伸びている。遠くの北端に白い三層の城が見える。その裏には針のように急に直立している、巨大な山があり、帝都への北からの敵を防いでいるかのごとくに見えた。
大路の両脇には、露天商が組み立て式の店を構え、往来の人々に品物を勧めている。ごった返してはいないが、歩くのに人をよけて頻繁に体を傾けなければならないほどで、これが人口の多い都市の日常かと、紫苑はあらゆる顔を珍しそうに観察した。
「じゃあ、私はお城で到着の報告をしてくるわ。謁見の時間を、聞いてくるわね」
城の手前の通りに着いてから、紫苑は三人を待たせて、門番の方へ歩いていった。
「霄瀾、スリに気をつけろよ」
「うん」
「スリよーっ!! 誰か捕まえてえーっ!!」
「え!?」
出雲の脇を、汚れだらけの服を着た男が駆けていった。そのあとから、水色の着物を着て編笠をかぶった、顔の見えない少女が、必死に走ってくる。
「チッ……早く追いつかねえと、人混みに!」
出雲が振り向きざま刀に手をかけたとき、
「神流剣!」
露雩の清く涼しい声が素早く響いた。
汚れた服の男は、蛇のように迫った水に全身ぐるぐる巻きにされ、窒息の危機にもがいたあと、気絶した。
神剣・玄武の神水が引いたあとに、きれいな服に洗濯された男と、豪華な錦の長財布が転がっていた。
「やったあ! 私の財布だわ! ありがとうね!」
少女の手に余る大きさの長財布は、少女の頬に寄せられている。
「……」
出雲は無言で刀から手を離した。
少女が露雩のもとに、足を弾ませながら近づいた。
「さっそくだけどお、あのスリを縄で縛ってくれない? ……あら……?」
少女の目が露雩をまともにとらえたとき、風が強く桜を駆け抜けた。
少女の編笠が後ろに落ち、無数の花びらがその顔を彩った。
黒炭のように滑らかですべすべした黒髪に、春の息吹にさそわれ枝から芽を出すような生き生きとした形の眉、花が幾重にも重なってできた影がどこまでも黒くなったかのような深い濃淡の瞳、ひまわりの花が満開に咲いたように大きく開かれた目、チューリップのように高く通った鼻筋。桜の花びらのような薄桜色のかわいらしい口唇、白い藤の花のように連なる白い歯、そしてハクモクレンのような、真っ白い肌をしていた。彼女からは、初春を思わせる、凜とした甘さのある匂いがした。
黒髪の美しい少女は、絶世の美を体現したような露雩を前にして、思考が止まっていた。
「なにあなた……すごく……」
編笠がないのにも気づかずに、やっと声が出たとき、スリが目を覚まして、脱兎のごとく逃げ去った。
「あーっ! スリが!!」
少女も目を覚まして、露雩の袖をつかんだ。
「さっきのまたやって! 水のやつ!!」
「あの男は二回も耐えられませんよ」
「えー!? 絶対逃がしたくなかったのにい……」
少女は、露雩の袖をつかんでいることに気づくと、急に顔を赤らめて、手を離した。
「あなたの財布は戻ったし、いいではありませんか」
「それは……そうだけど」
「でも、あなたの財布は豪華すぎます。これではお金が入っていることを見せびらかしているのと同じですよ」
すると、それまでうつむいてもじもじしていた少女が、突然食ってかかってきた。
「なによお!! 私が悪いって言うの!? 私は被害者なのに、なんで説教されなきゃいけないのよお!!」
「あなたは悪くありませんが、周りには悪い人がいます。二度と盗まれないためにどうしたらいいか、あなたが考えなければ、また狙われると言いたいのです」
波のない水面のように冷静に返す露雩に、少女は言葉に詰まって、背を向けた。
「とにかく、財布はありがと! でもそれ以外は最悪う! じゃあねっ!」
と、走り去っていった。
「オレ、言いすぎたかな? でも、次も助けてくれる人が現れるとは、限らないから……」
露雩が編笠を拾いあげた。出雲が肩をすくめた。
「お供もつけねえで、お嬢様が遊んだりするからだ」
霄瀾が、露雩の持つ少女の編笠についた土を、手で軽く払った。
「でも、きれいなおねえちゃんだったね」
「「うーん……?」」
「なんで二人して半分首をひねってるの?」
「そういや、紫苑はどうしてるかな?」
「あっ!」
三人は、スリのせいで大路から横道に入っていた。もし紫苑が戻っていたら、三人がいなくて途方に暮れているはずだ。
大路に戻って城門を見たとき――、三人の心を安らげるものが目に飛びこんできた。
一人の美少女が、花びらの降る桜の下ではしゃいでいた。
柔らかな花びらの薄桃色がちりばめられる中、硬いルビー色の髪が、しなやかな針のように流れる。
城壁に沿って一列に並んだ桜の下で、まるで遊ぶように扇をひらめかせる舞姫が、桜を浴びた心のままに舞を舞っているのだ。
「……きれいだね、紫苑……」
桜の精に出会ったように、霄瀾はみとれた。
三人は、各々が一番美人だと思っている、その少女のもとへ向かった。
「あら、お買い物はもう済んだの?」
紫苑は舞をやめて、三人に微笑んだ。どうやら三人が市場を眺めていたと思ったらしい。
「……また見せてくれる?」
「オレ、浮気しねえから」
「うん?」
「「なんでもない」」
露雩と出雲のぼうっとした様子に気づかず、紫苑は桜の木を見上げた。
「これ、一年桜って言って、都の名物なんですって。一年中花が咲いて、一年中散り続けるそうよ」
出雲も驚いて見上げた。
「風情があるな」
「毎日お花のおふろに入れるんだあ!」
霄瀾が両手を上げて花びらの方へ飛び跳ねた。露雩は花びらの一枚をつかんだ。
「一年中お花見ができるね」
紫苑は三人の発言に両肩を上げた。
「そうね、ウフフッ。さて、これからの予定だけど、帝は今ご都合がつかないから、一時間後に来るように言われたわ。市場を眺めていましょう」
「うん! あまいもの、見たい!」
「そうね、霄瀾。でも、城で何か出されたら完食しなくちゃいけないから、買ってもいいけどまだ食べちゃダメよ」
「はーい」
城壁の一年桜から離れていく美少女を眺めながら、桜の花と戯れるこんなかわいい子を偶然目にすることができて幸せだと、露雩は思った。
甘いものの屋台を見ている間、出雲は自分の刀を握りしめて、何か考えこんでいる風だった。
三十分後、四人は城門へ戻った。
「帝を待たせたら死刑かもしれないし」
「そんときは剣姫が出て死刑台ごと城を粉々にしちまうだろうよ」
出雲の予想に反論せずに、紫苑は城門をくぐった。
「まってよー……あれ?」
後に続いた霄瀾がぽかんと口をあけた。
城は、きれいな桃色の蓮の花が、三つ重なった姿をしていた。
「え? 確か遠目に見たときは、白い三層の城だったはず……」
驚く三人に、紫苑が振り向いた。
「その姿は、幻なんですって。遠くから帝が射狙われることのないように。この城門をくぐった者だけが、城の真の姿を見られるの」
霄瀾がまばたきせず蓮の城を見ている。
「ふーん、すごく守りがかたいんだね」
「それだけじゃないのよ」
出雲が城から紫苑に視線を向けた。
「まだ何かあるのか?」
紫苑は謁見許可書を取り出した。
「城の中は呪術的な異次元の迷宮になっていて、城の中の人間に呼ばれて、こちらも会いたいと思わない限り、永遠にさまよって、目的地にたどり着けないそうよ。私たちは、この許可書に出口まで導いてもらうの」
「厳重な警備だね……」
露雩が、三人の感想を代表した。
「すぐ着くから、三十分も遊んでられたってわけ! さ! 行くわよ! 大人なんだから、五分前には次の間に控えていなくちゃね!」
遊ぶために作られた花畑の迷路に入っていくような軽さで、紫苑は蓮の花びらを押し下げて扉を開けると、中へ入っていく。
「うわあ! 置いていかないでえ!」
仮にたどり着けなかったとき強制的に入口に戻れる方法をものすごく聞きたいと思いながら、三人も扉を通った。
出雲が、細長い板張りの廊下と、両側に連なる障子を見て驚いた。
「中は……普通だな。花びらの形に曲がってるのかと思ったのに」
露雩は、廊下の角ごとにある台に置かれている、大きな鉢の中の水に浮かぶ、蓮の花を興味深くのぞきこみながら返事をした。
「それも幻術の一種なんだね。みんな、障子は不用意に開けないことだよ。別の道に飛ばされる」
「大丈夫よー、廊下を歩いていけばそのうち突き当たりに出るわ、そこが目的地だって、教わったもの」
紫苑が迷路を楽しみながら笑った。
――十五分後。
着かない。
霄瀾を背負って、剣士三人が全速力で走っているのに、着かない。
「まいったわ……不備のある許可書だったのかしら」
いやな汗をかいた紫苑が、汗ばむ手に握りしめた許可書を睨みつけた。露雩が落ち着いて言った。
「いや……それよりも、この中に帝に会いたくないという邪念を持った人間がいるんじゃないか?」
真面目な顔の露雩に言われてみんなの顔を見回した霄瀾が、首を傾げた。
「……いるかなあ?」
「うーん、このまま走ってもらちがあかねえし、各自帝を思いながら自力でたどり着こう。一人でも着けば、九字がなんとかしてくれるんじゃねえか?」
出雲はそう言うなり、さっさと走り出してしまった。露雩も肩をすくめて続いた。
「仕方ないわね」
紫苑は許可書を霄瀾の手に渡すと、走った。
「えっ、えー!? ……あれ?」
霄瀾はその場に立ち尽くした。
「……誰だ? お前」
突き当たりの障子を開けた出雲は、戸惑っていた。
そこは帝のいる謁見の間とは程遠い、道場のように広い枯山水だった。
いくつかある灰色の岩の上の一つに、男が一人、器用に立っていた。
茶渋色の少しくせのある髪に、穏やかに垂れ下がった目、微笑をたたえた口元。大人びた、整った顔立ちだ。
年は二十歳過ぎくらいであろうか。しかし、出雲にはわかった。
「お前、式神だな」
「あなたが剣姫の式神、出雲ですね」
「珍しがってここに呼んだのか? オレはお前と思いあってるなんて思いたくねえな」
男は、口元を押さえて声を出さずに笑った。
「これは失礼いたしました。燃ゆる遙が倒された今、あなたへの関心は皆、そこですよ」
どうして剣姫について行けるのか、皆不思議がってるってことか、と出雲は不機嫌になった。
「で、帝に会う前にわざわざ先回りしたのか? 罰せられても知らねえぞ」
男は、出雲に一礼した。
「私は、九字様の式神、結双葉と申します。星方陣の勅命を受けて皆様がご出立なさる前に、どうか九字様をお訪ねください。あなたの今一番必要としている情報を、ご存知でございます」
「えっ……?」
出雲の足が一歩動いた。
「ほら見なさい! 私はちゃーんと帝にお会いしなければと、思ってたんだから!」
紫苑は勢いよく障子を開け、畳に手をついてお辞儀した。
「赤ノ宮紫苑、参上仕りました」
さらさらと、筆の走る音が止んだ。
「紫苑……?」
その声には、聞き覚えがあった。
「……九字様?」
紫苑が気づいて顔を上げると、金属の十二支式神「子」(鼠・ねずみ)を肩に乗せた、目を閉じた四十前後の男が、筆を置いた。濃茶の髪に、無駄な肉のない、鋭い骨格の顔つきをしている。
子の目が、紫苑をとらえた。
「陛下に謁見するはずであろう。何故ここへ参った」
横を向きながら話を続ける九字の姿を見て、紫苑はあっと気づいた。
九字は、盲目だったのだ。
では、なぜ紫苑のことがわかるのだろうか?
これまでの戦いでも、目が見えない様子はなかったというのに。
そこで九字は軽く笑った。
「式神の目が私の『目』だ。お前の顔だけでなく、光を失う以前と、何も変わらず、見たいものを見ることができる」
「ご無礼仕りました……!」
紫苑が畳に頭をすりつける間、子は紫苑を見ながら、九字の方は何か考えこんでいる様子だった。
「この城にかかっている術に興味があるのかな?」
「え? ……はい、敵をことごとくはじくこの呪術は、兵の忠誠と士気を確かめる、素晴らしい仕組みだと思います」
「そうか……。この術を城にかけたのは私だ。お前は無意識のうちに、術者に会いたいと願ってしまったのだろう。ついて来なさい。陛下のもとへ案内しよう」
「ありがとうございます」
二人は立ち上がった。
「帝にお会いするには、封印を破らないといけないのか……えいっ」
露雩は、障子の真ん中に張られている札を、玄武の神水で押し流してしまった。
「許可書があるとすんなり通れたんだろうなあ」
露雩が障子を開けるのと、中からも誰かが開けたのは、同時だった。
「姫様! 供をおつけくださいまし!」
部屋の奥から、老婆の声がする。
中から障子を開けた人物は、固まっていた。
「君……さっきスリに財布をすられた女の子だよね?」
固まっていた黒髪の少女は、露雩の声で、はっと目が覚めた。
「何奴じゃ! 無礼であろう! 畏れ多くも空竜姫様の御部屋に侵入するとは!」
後ろから、教育係らしき老婆が、早足で着物の裾をさばきながら、怒ってやって来た。
「え? ここ、陛下の部屋じゃないのか?」
露雩は、室内を見回した。部屋は遠くにあり、姫と老婆が立っているのは、桜の木々から散り続ける花びらに覆われた、桜のじゅうたんの上だった。
「陛下の名を使うとは! 賊め、神妙にいたせ!!」
老婆と、いつのまに現れたのか、官女たちが五人、なぎなたを構えている。
「待って。この城のこと、忘れたの?」
「……それは……」
空竜は露雩の美しい顔を眺めて、この男のことをなんでも許してやりたくなった。
「(この人、私に気があるんだわ。私もちょっといいなって思ってたのよね。両想いなら遠慮なくう……)」
露雩も空竜のじっと動かない目を見返していた。
「(この人が財布について無防備なままだったから、誤解を解いて説得したかったんだな、オレは)」
二人は各々(おのおの)納得した。
「それにしましても、姫様をお守りする高位結界を破るなど……! 殺し屋としか思えませぬ!」
なぎなたを持っていきりたつ老婆を、空竜が押しとどめた。
「待ちなさい、知頭世。この人は、さっき私を助けてくれたのよ。殺すつもりなら、護衛のいないそのときに、殺せたの」
「しかし……! では、油断させておいて、何か秘密を盗もうとしているやも!」
再びくわっと目を開く知頭世から、空竜はなぎなたを取り上げた。
「姫様!」
「この人は今日から私の護衛にするわ。お父様に、許可をもらってくるわねえ!」
「なんという!? なりませぬ、こんな得体の知れぬ男など!!」
空竜は露雩の手を握ると、走り出した。
「逃っげろおー!!」
「え!? え!?」
「姫様ーッ!!」
追っ手をみるみる引き離して、案外足の速い空竜と、露雩は一直線の廊下を走った。
出雲、紫苑、露雩の三人は、同時に帝の謁見の間に到着した。
既に霄瀾がちょこんと正座して待っている。
「まったく、みんなひどいよ! ボクだけじゃないか、ここにたどり着けたの!」
ぷりぷり怒って、許可書を握りしめている。
「はい……すみません」
三人は誠意を尽くして謝った。
広さの違いでいくつもある謁見の間のうち、紫苑たちに使われたのは六十畳ほどの広さのものである。一つの鉢につき一つずつ入れられた蓮が、壁に沿ってびっしり並んでいた。そして、その前に一人ずつ、帝の護衛となる金属でできた人形の式神が、鎧と刀で武装して立ち並んでいる。
そのとき、一番奥の紫色の房が下がっているふすまが開いて、豪華な錦の着物を何重にも着た人物が現れた。
「空竜、お前は呼んでおらぬはずだが」
衣全体に焚き染めた伽羅の香りが、六十畳の部屋にくまなく行き渡った瞬間、一同は礼をした。
「一同、面を上げよ」
紫冠をつけた三十六歳の帝が、一段高い畳の上で、金屛風を背に堂々と命令した。
灰白色の髪に、温和そうな目。月宮と違って、研ぎ澄まされたものがない。重々しい威厳も、まだ足りない様子である。これが世襲の限界なのであろうか。乱世を任せられるものが、この男にあるのであろうか。
「(ふぬけでなければいいが)」
紫苑は冷ややかな目で、人間の王を眺めた。
「空竜、なぜその男と手を握りあっているのだ? 男、姫に対して無礼であろう!」
帝が苛々(いらいら)しながら、努めて穏やかに怒った。
帝も人の子であるらしい。
そんな父親の気も知らず、姫は軽く笑った。
「この人は今日から私の護衛にするの。ねえ、いいでしょうお父様、この人、私の部屋の結界を破ったのよ!」
帝と九字の顔色が、さっと変わった。
「九字の高位結界を破るとは……!」
「……!」
九字の子の目つきが険しくなり、露雩を睨んだように見えた。
「ねえ、お父様!」
「……露雩とやら。赤ノ宮紫苑と結婚しておりながら、なぜ姫の部屋へ参った」
零下のように冷ややかな声で、九字がその場の空気を凍てつかせた。
「なに……? 貴様、妻がありながら我が娘を求めたと……、公開処刑だな」
「陛下、軽い刑から重い刑へ順々に執行し、全ての刑を味わわせるのがよろしゅうございます」
「違いますよッ!!」
露雩が権力者二人に大抗議した。
「お姫様に誤解されたままだったので、二度と財布を取られないように説得に来てしまっただけです!」
「えーっ、なんでよお!! 私を好きになって、私に会いたくなったからじゃないのお!?」
「全然違いますよ!!」
露雩と空竜が誤解を解きあっているのを見て、紫苑は一人ホッと胸をなで下ろした。
露雩が他の女の子と手をつないでいるのを見ただけで、紫苑は一気に思考が混乱してしまう。
もし、紫苑以外の誰かを露雩が選んだりしたら、紫苑は明日からどう生きていけばいいのか、わからない。
それほど、彼女は彼に救われていた。
「ふむ、つまらぬ理由で娘に近づきおって……。しかし、赤ノ宮と結婚しているのなら――」
「わーっ!! 陛下!! それには理由がございます!!」
突然出雲が立ち上がって、露雩があまりにももてすぎるために紫苑と夫婦のふりを「仕方なく」していること、本人同士に「その気はまったくない」ことを、大仰な身振り手振りつきで大演説した。
出雲は、ここで帝から露雩と紫苑がじきじきに祝辞を賜ったら、もう夫婦であることが確定してしまうと気づいたのである。
必死にまくしたてた出雲をぽかんと眺めてから、帝は露雩に顔を向けた。
「相違ないか」
「はっ、大体のところは……。しかし、私といたしましては、ゆくゆくは本当に紫苑と夫婦に」
「わーっ!! 露雩!! もう十分だ!! もう下がってよいぞ!!」
露雩の言葉を遮る出雲を見て、帝と九字は顔を見合わせた。
「……九字、見極めを頼む」
「ははっ……」
空竜は、唇を尖らせて、気に入らない様子で露雩と紫苑を見比べていた。
「陛下! 空竜姫の御部屋に賊が侵入したとの報告があがりました! 姫を連れ出し――、姫!? ご無事でございましたか!!」
突然、武具に身を固めた五十前後の男が、入口のふすまを開けて入って来た。
傷だらけの顔に深い皺、炎天下で戦い続けた証の勲章である、褐色の肌。鼻の下から口の周り、顎にかけて、約三センチずつひげが生えている。短く立つ髪と同じで白髪混じりなのだが、なぜかひげの方は薄く緑色がかって見えた。
「作門か。ちょうどよい、近う寄れ」
帝の仰せに従い、作門は帝から見て右側に、勢いよく座った。
「紹介しよう、私の武術の師にして帝国最強の武人、作門示期大だ。戦時には大将軍として兵を指揮する男だ」
作門が紫苑たちに一礼した。
「平時には帝の師、『王師』の名で呼ばれておる。私も剣には自信がある。機会があったら試合の申し込みをしてもらいたい。待っておるぞ」
その目は紫苑をとらえていた。
「私一人で月宮の死の報告を受けようと思っていたが、作門と九字、私の最も信頼する二人がいてもよかろう。赤ノ宮紫苑、あれの死に際を申せ」
「は……」
殺した本人が説明するのも妙な話ではあったが、とにかく、紫苑は月宮の薨去の様子を、包み隠さず語った。
紫苑の父・殻典からの報告書で知っているというのに、「正妃の息子の私こそ、妾腹の帝より皇帝になるにふさわしかった」という月宮の言葉を繰り返したとき、帝の竜顔が翳った。
そして、各国が軍を整え、いつでも反乱は可能であろうという観測も、紫苑は述べた。
「各国で魔物との戦いのために集めた兵が、帝都へ向かって来る可能性が高まっておるか……。人間同士、戦っておる場合ではないというに……」
作門が眉間に皺を寄せた。
「殻典から聞いていると思うが」
帝は紫苑たち一人一人を見回した。
「私は、星方陣の正体がたとえ封印術だったとしても、陣を成したいと思う」
一同は、黙って綸言を拝聴した。
「たった一つの神器でさえ燃ゆる遙を封じられたのだから、すべてそろえた星方陣ならば、全魔族を封印できるはずだ」
出雲は、神剣・青龍を眺めた。帝の声は続く。
「月宮が謀反を起こしたのは、私が人間の王でありながら、魔族の脅威を打ち消すことができなかったからだ。人間を守れない者に、人間の王たる資格はないのだ。私は、人々に無駄な野心を植え付け、無益な争いをさせるような、愚かな王になるつもりはない。赤ノ宮紫苑、私はお前に星方陣を成すことを命じようと思っている。一度言った帝の言葉は、二度と取り消すことはできない。秘密にし続ける者しか存在する場所を知らず、何年かかるかも知れないものを探さねばならなくなる。猶予を与えるから、受けるか受けないかよく考えておけ」
「ははっ。お心遣い、感謝いたします」
帝の言葉が終わったので、作門が声をかけた。
「どちらにしろお前たちは強力な人間側の戦士だ。もっと腕を磨きたければ、いろいろ教えてやるから、来い」
「ありがとうございます!!」
作門の好意に、出雲と露雩が顔を輝かせた。
「お話はこれで終わりよね? じゃあ、行きましょうよお、露雩!」
空竜が露雩の腕を取った。
「え? どこへ?」
戸惑う露雩に、空竜が天を指差した。
「私が、この帝都を案内してあげるうっ!」
「へー、良かった、都のこと詳しそうだ。ねえ、みんな」
「え?」
「よーし姫さん、全部の武器屋をまわってくれよな!」
「ボク、楽器屋さん!」
出雲と霄瀾に、空竜は慌てた。
「違うわよお、私は露雩と二人きりで……」
「だめっ!!」
いきなり大きな声がしたと思うと、紫苑が顔を真っ赤に膨らませて露雩の左腕を取っていた。紫苑自身こんなことをするのは不思議でしょうがないのだが、露雩を取られたくない一心だったのは、確かだった。
空竜は割りこんできた女に青筋を立てた。
「なによお! 平民の分際でお姫様に逆らうの!?」
「あなたこそ、剣姫に逆らうと後悔するわよ!」
「なんですってえ!?」
ええい、ええいと、二人の女は露雩の両腕を引っ張りあった。出雲は、空竜姫が剣姫をまったく恐がらないことに意外さを感じていた。
「おうおう、二人の姫に慕われるとは、色男もいたものだな」
「赤ノ宮、剣姫になってもっと強く引っ張れ! 空竜は渡さんぞ!」
「……」
豪快に笑う作門に、格闘試合を観戦しているような帝、そして無言の九字。この三者はそんな場面を見せあえる、友人のような気安さを互いに持っていると、見た者には感じられた。
「ちょっと、いい加減に……!! オレは紫苑と」
露雩がたまらず叫びかけたとき、ドサッと、露雩の外套の下から、黒水晶の表紙の本が落ちた。
「うわあ、豪華な本! 古文書!?」
空竜が感動してさっと触ると、中をめくった。
紫苑は剣を持っていない状態で敵に斬りつけられたときのような、よりどころのない震えを感じた。
この本は、紫苑以外は誰も開けられなかったはずである。
もし空竜が開けてしまったら、もう自分は露雩の「特別」ではなくなる――!
「……何が、書いてある?」
固まりながら、ゆっくりと露雩が尋ねた。
少なくとも、紫苑にはすべてがとてもゆっくり動いたように見えた。これから聞く言葉の一語でも、聞き落とすまいと全神経が集中した。
「何も書いてないわよお」
しかし、空竜は頁を開きながら、あっけらかんと言った。
露雩はがっかりしていたが、紫苑はホッとした。
「女なら開けられるのかな?」
「それでも紫苑のときは文が書いてあったんだよ」
「それ、何の話?」
出雲と霄瀾の会話に、空竜が耳ざとく割りこんだ。
そして、黒水晶の本が紫苑にしか開けられなかったことを知ると、不愉快そうに紫苑を睨みつけた。
「ふーん、文字があったんだあ……」
「良かったな露雩。そのうちどっちかがお前の日記読んでくれるかもしれないぞ」
無頓着な出雲の一言で、紫苑と空竜の視線が中央でぶつかり、火花を散らした。
「(紫苑が読めるのは、露雩が私と出会う前にちょっといいなと思ったからというだけよ。露雩がこれから私を好きになれば、愛の力で私が本を読めるようになるに決まってるう!)」
「(空竜姫だって、いつ文字が読めるようになるかわからない。その前に私が、この本の封印を解く鍵を探すわ!)」
二人の火花の間を平気で通過して、九字が黒水晶の本を手に取って、子の目で眺めた。
「なるほど……。これは『資格のある者』にだけ文字を与える書のようだな」
「資格?」
九字は露雩にうなずいた。
「うむ。これはお前が、この書に記されている内容を読むにふさわしい『何か』を得たとき、初めて読むことができるものだ」
「『何か』ってなんですか!? 例えば……!!」
露雩が身を乗り出した。失われた記憶の手がかりを求めるのに、必死さが伴う。
「それは術者によって違う。力、勝利、富……、人によって鍵は違う」
露雩は力なく本を受け取った。
「旅をしていれば様々なものに出会う。一箇所に留まっていては、情報も精神も変わらない。停滞は頓挫だ。何かを求めるなら、待つな。自ら動け」
九字の言葉に、露雩は力強くうなずいた。
「星方陣を成す旅……、世界の真実に触れる旅で、オレの失ったものに必ず近づいてみせる!」
一分でも多く露雩といたい空竜が、本当に都を案内することになった。
「この帝都は碁盤目状のつくりになっていて、城と役所は最北にあるわ。都の四方は城壁で囲まれていて、東西南北にそれぞれ、鳥居型の青龍門、白虎門、朱雀門、玄武門があるの。門を出たら四神相応の地になっていて、東には川、西には隣国に続く大道、南には窪地、北には丘陵――とは言えないけど、峻険な山があるわあ」
空竜は地図を広げて、四方を指差した。
「北は山しかないのにどうして玄武門があるの?」
霄瀾が北にある拒針山の等高線を読んだ。針のように急で高く、とても人の登れる山ではない。何のために玄武門を設けているのだろうか。
「古い遺跡があるのお。今でも力を宿す聖域なんだって。神器が見つかったところでもあるしい……」
そこで空竜は言葉を濁した。出雲は気がついた。
「そういえば、帝室にも神器があったよな。帝の血を引く一族にしか使えない――」
「……悪いけど、その話はできないわあ。ほら、朱雀門に着いたわよお!」
話をそらした空竜につられて一同が大きな赤い鳥居を見上げたとき、沈香の匂いが鼻に強い足跡を残した。
赤い鳥居の朱雀門の真ん中から香炉が下がっていて、風まかせに煙を吐いていた。
「いい匂いには破邪や退魔の力があるわあ。だから、都の外から邪悪なものが入ってこないように、都に通じる四方の四神の門には香炉が下げられて、ずっと香木が焚かれているのお」
「一年桜に見とれてて気づかなかった」
「ふふふ、ここは『帝都』でなく『桜都』・攻清地と呼ばれるくらいだもん。桜をめいっぱい楽しんでね!」
空竜が露雩に見えるように、それなりにある胸を反らした。それを見て、紫苑は思わずああっと口を開けた。
「(……相手がどう思うかとか、しかも人前で恐がるとかもなく、堂々と……)」
露雩は、紫苑の方が大きいなと思うだけったが、紫苑は悶々(もんもん)としていた。落ちこんでいる主に気づかず、出雲がしみじみと朱雀門の香炉を見上げた。
「これも月宮から都を守ったものの一つなのかなあ」
月宮と聞いて紫苑は少し現実に戻った。
「そういえば、帝の兄であらせられる日宮様には、確か御子が――」
空竜は、紫苑から目を逸らした。
「……ええ。当滴様ね。今年十五歳になられるわ」
年が近いなと思いながら、出雲が尋ねた。
「いい年だな。他の親戚と帝位を争うのかな?」
「……私も、もう十六歳だから」
「ふうん、帝位争いの主導権はお前が握りたいのか。一波瀾ありそうだな」
「こら出雲、無責任なこと言うんじゃないの!」
「だってよ、そのときはお前もどっちの陣営につくか決めるときが来るんだぜ」
「出雲っ!」
「……はーい」
陰陽師と式神の会話を、空竜は無言で聞き流していた。
学校や武器屋、楽器屋をまわってから、空竜は一目散に役所の刑部省に向かった。
「裁判所にどのような御用でございますか、姫様」
罪に対して判決を下したばかりの判事が、書類に署名し終えて筆を置いた。
「ちょっと、言い渡してほしいことがあって」
「おい、まさかさっきの発言でオレを罰するんじゃないだろうな」
出雲が神剣・青龍を握ってあたりを警戒していると――、空竜は露雩の腕に飛びついた。
「露雩が私の恋人になることお! 他の娘は一切近づいてはならないことお! 露雩は毎日私と、いろんなところへ楽しく出かけることお! これ、裁判で決定して!」
「はあー!?」
出雲を筆頭に、四人はあんぐりと口を開けた。
「なに言ってんだあ!? お前!?」
「裁判で決めたことは、民は守らなくちゃいけないのよお! 露雩が私の恋人になったら、もう誰も露雩に手を出しちゃいけないのお! 違反したら厳罰なんだからあ!」
「アホかお前、そんなの裁判で通るわけねえだろ!」
「通るもん! 私、次期女帝だもん!」
「オ・マ・エ・な!!」
出雲が腕組みして目から炎を出した。
「人の上に立つ者は、力を自分の欲望のために使っちゃいけねえんだよ! むしろ自分の欲望を全部殺さなくちゃいけねえんだ! 人の気持ちを無視して力ずくで何かする野郎に、人はついて行かねえぞ! 少なくとも、オレも露雩も、紫苑も霄瀾も、お前の側にはつかねえ! 露雩の気持ちを考えろ! このスットコドッコイ!!」
また出雲は、紫苑を想う露雩の味方になってくれた。
「ありがとう、出雲……!」
しかし、空竜は男二人の友情にはまったく気づかず、不満で唇を尖らせている。
「えー! なんでよ! あんた死刑になりたいの!?」
「オ・マ・エ・な!!」
再度出雲の目が噴火したとき、
「姫様、そのような判決はいたしかねます。法典に、そのような条文がございませんので」
判事が淡々と声をかけた。
「ええっ! 何言ってるのよ、じゃあ今作ればいいじゃない!!」
「おい!!」
空竜と出雲を気にせず、判事は淡々と告げた。
「誰かを恋人にするよう命令する条文はございません。後宮に入れる条文ならございます。しかし、嫁入り前でそれは、いかに臣下の私としましても、いたしかねます。どうしてもとおっしゃるのであれば、姫様から直接陛下に御奏上あそばしますように。この件は、臣下として、私の裁ける範疇にございません」
判事は体よくかわした。
帝に奏上せよと言われて、空竜はぐっと詰まり、
「……女帝になったら絶対……!!」
と、不穏な台詞を呟いた。それを聞いて動悸がする紫苑は、しかし、さっきから引っかかることの方に集中した。
「(おや……『女帝』……? この姫は帝の娘でありながら、冗談でも女が帝になれるなどと、なぜ不敬なことを言うのだ? まさか、『女が帝になってはいけない理由』を『知らない』のか? まさか、帝の娘が? ……この姫をそそのかして、利用しようとしている者がいるのか……?)」
民間人の露雩に熱い視線を送る姫を、紫苑は見定めがたい目で射た。
「赤ノ宮紫苑を使うのは、反対でございます!」
居並ぶ貴族たちが、何度目かわからない反抗をしていた。
「なぜ陛下が、『帝の弟殺し』の赤ノ宮をお使いになるのか、理解できませぬ! 危険でございます! あの者は、帝の一族を、敬う気持ちは持ち合わせておりませぬ! おそばにおれば、いつか――」
そこで貴族は、口をつぐんだ。「帝を殺害する」などという忌み言葉を、決して口にしてはならない。
「赤ノ宮は月宮と燃ゆる遙を倒してくれた。私がああならなければ、赤ノ宮は私を認めてくれるだろう」
「陛下! なぜ殺人鬼に認めてもらう必要があるのですか! 陛下は人間の王であらせられます! 陛下に飼えない猛獣など、この世から消すべきです! それが陛下の御世のためです!」
「いや、魔族を滅ぼすまではうまくだますべきだ。そのあと、なんとでも理由をつけて、離島に幽閉してしまえば、いかに剣姫でも出てこれまい」
勝手なことを……、と、九字は表情を変えずに閉じた目の奥が燃えた。
燃ゆる遙の狂気の強さと、すべての命の震えあがる破壊力は、その場にいた者でなければわからない。戦士にしかわからない凄みというものが、この世にはあるのだ。九字は、燃ゆる遙の黒い半球の中に、十二支式神を一体、忍ばせていたのだ。あの恐ろしさは、式神を通しても忘れられない。
やれ自分の娘が帝の一族に嫁いだだの、やれあの男より詩をうまく作って出世しようだのと言って、命を懸けずに小手先の謀略で帝の感情にすがって生きている、ぬるま湯の貴族に、剣姫のありがたみはわからない。
「(国の始めには建国の勇士が要職に就くから栄えるが、命を賭した戦いを知らぬ二世三世が要職を覆えば、それだけ『覚悟のない国』になるのは当然だな)」
要するに、貴族たちは剣姫を使うことを承認したあとで、剣姫が裏切ったとき、誰も責任を取りたくないだけなのだった。
「(自分の地位だけは永遠に安泰だと思っているのだから、めでたい連中だ)」
剣姫が本気を出せば、国の一つくらい転ぶだろう。すべての王は、民に、「剣姫と対峙してでも守るに値する人間かどうか」試されるのだ。「別の王が名乗りをあげてもおかしくない状況」に、追い込まれるのだ。
貴族たちは、それがわかっていないのだ。自分の所属するものが最上で、永遠に守っていけばいいと思っているのだ。だが、それは戦場では子供の理屈だ。馬に蹴られて終わりだ。
「そもそも、世界を滅ぼす予言のある娘など、星方陣に関わらせるべきではありませぬ」
老貴族が重々しい声を発した。
貴族たちが初耳にどよめくなか、九字の子はキッと老貴族――今年七十二歳の喉梶操を見据えた。「予言」は、一部の者しか知らないことであった。
「そうであろう? ――九字殿」
「……」
九字が言いかけたとき、帝が返した。
「確かに予言にはそうある。しかし、既に赤ノ宮のもとに神器である青龍、水鏡の調べ、玄武が集まっておる。各々秘された存在でありながら、なぜ赤ノ宮の前に現れたか、考えよ。私は、赤ノ宮こそ星方陣を成す資格があると思っている」
「まさか! 赤ノ宮は神器を集めたあかつきには、すべてを陛下に献上せねばなりませぬ!」
「それが臣下の務めでございます! そうお命じ下さい! でなければ我々はおちおち眠れませぬ! 赤ノ宮は何を願うかわからない、殺人鬼なのですぞ!」
「(……燃ゆる遙を倒して人間も魔族も救った赤ノ宮だけが、世界の真実に触れる権利がある。王権に、何の権限があろうか。人を守れなければ、王は王ではないのだ)」
だが帝は口を閉ざし、貴族たちの勝手な言い分を聞くにまかせた。
月宮を殺して「帝室への反逆」で罰せられるかもしれないと思っていた紫苑は、城の庭から夕暮れの帝都を眺めていた。
月宮が欲しかったもの。私が守ったもの。
守る価値があったのかどうか、確かめねばならない――。
それを屋根からそっと眺める十二支式神「酉」(鳥)が、九字のもとへ戻っていった。
「失礼します」
露雩が、九字を訪ねていた。
「何か用かな」
子と酉を従えて、九字が露雩に座布団をすすめた。
「本当に紫苑に星方陣の勅命が下りますか。貴族は承知していますか」
「ほう、どうしてそれを気にするのかな」
「旅で何度も妨害されれば、彼女は――、人を救う気持ちを失うでしょう」
「……」
九字は露雩の目を子と酉でのぞきこんだ。
「あの娘のことをよく見ているのだな」
「人間を愛し愛さないのが彼女の最強の力ですから。どちらにもなりうるのです。それに、そもそも彼女はもとから人間の味方という存在ではないのです――」
露雩は、あとを続けられずに両手の拳を強く握りしめた。
「――陽の極点なのであろう……」
露雩は、目を丸くして九字を見上げた。
「ご存知でしたか……!」
「巻きこみすぎる悪の燃ゆる遙と、はねつけすぎる正義の赤ノ宮紫苑。両者の力が初めに互角だったのだから、陰の極点と陽の極点が戦ったのだとわかる。陰の極点の燃ゆる遙が魔族も人間も殺したように、陽の極点の赤ノ宮紫苑が人間も魔族も殺せるのは道理であろう。『人間も魔族も同等である』という両者の原理は、ほぼ同じなのだ。一方が悪の極点、もう一方が正義の極点という、構成は正反対にしろな」
「……今の彼女はもう人を殺しません」
むっとして、露雩が口を挟んだ。
「それでも、帝を殺害するか廃位に追い込むかする可能性がある。帝を傷つければ赤ノ宮は人間の敵とされてしまう。だから帝から遠ざけられたのだ」
「? 紫苑は都で生まれたのですか?」
「赤ノ宮のいるところであとで話そう。それより露雩、赤ノ宮の心配より、もっと私に聞きたいことがあるのではないか? 私は、お前に星晶睛が出たとあって、とても驚いているのだが」
「……何か、判明していることはございますでしょうか」
「結晶睛と違って、伝えられていることは少ない。大変言いにくいのだが、世界が滅ぶとき必ず現れる存在で――」
九字は一気に言った。
「その後世界から消える運命にある」
露雩の表情は凍りついた。
世界が滅ぶとき、どういう結末に導くのかも、なぜ消えるのかもわからない。
なにより、紫苑と共にいられないのだ。
「おそらく、お前の使命を果たす時が来たら、その本も読めるようになるだろう。私はそんな気がする」
露雩は与えられた運命を受け止めてから、そしてそれを変えられるよう戦おうと決意した。たとえ最後はこの世界からやはり消失したとしても、そのときまで諦めまいと誓った。
「最後の時まで君といたい」
露雩は死を前にして、自分を一つも諦めなかった。




