刻め神紋第三章「九字の依頼」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑、神剣・青龍を持つ炎の式神・出雲、神器の竪琴・水鏡の調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾、強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者・露雩。
紫苑を封印して自らの野望をかなえようとする、結晶睛という瞳の力によって術の能力に傑出した僧侶・河樹。
第三章 九字の依頼
紫苑は急いでいた。
そろそろ信時国の王都、重謝である。
いや、逃げていたのだろう。
峠で追いはぎを斬るのを「彼」に止められて、剣圧で追いはぎを谷底に吹き飛ばしたからだ。
剣姫を止めようとしていた「彼」――露雩は、今も無言の圧力を彼女に送っている。
剣姫は足が速い。いくら九字の依頼がこの王都にあったとしても、霄瀾を背負わなければならないというのは、速すぎる。出雲は、主の足が、こちらが駆け足をしないと追いつけなくなったとき、思わず、
「オレの手を離さないで」
と、その後ろ姿に呼びかけてしまった。
ほとんど走っていた紫苑が、振り返らずに立ち止まった。
出雲は、言ってから、しまった、泣き言だったと、口を押さえた。しかし、それに関して主は何ともとがめなかった。
そして、出雲と視線を合わせようがない角度でも、わずかに顧みた。
「はぐれるな。私の差し伸ばす手を、取りはぐるな!」
と、左手を後ろへ出してくれた。
その一瞬を出雲は慌ててつかんだ。そして二人は前後して走り出した。
竹の水筒に小川の水を補充して休憩しているとき、紫苑に聞こえないように露雩が呟いた。
「出雲はいいよな。『式神』だから、弱くても許される。そんな弱さを見せられたら、優しくて強いあの子が、放っておけるはずないじゃないか」
出雲は、露雩の初めて見せる心の奥に、息を呑んだ。
そして、この露雩の姿を紫苑が見たらと思うと、心臓が割れんばかりに鳴り響いた。
王都・重謝にいる低賃金労働者は、天災で、決められた量を収穫することができなかったため、年貢が払えずに没落した農民たちである。
家族で濁った水を飲み、一杯の粥を分け合う。朝から深夜までの長時間労働のうえに、有毒な金属の液体を多く出す様々な物体を素手で処理するなど、常に人体の危険と隣り合わせの作業をしていた。もちろん、健康を損なった場合の補償もなく、病気になったらその日から収入の道がなくなり、もう食べていけない。
人々が危なくてやりたがらない仕事を、この国の役人はすべて低賃金労働者――貧者に押しつけ、「適材適所」と、間違った言葉で笑っていた。
「税金を払わないクズが減るし、貧民だから死んでも平気だよな。いくらでも替えがきくし、老いて使えなくなる前に健康被害で死んでくれれば、医療費もかさばらなくてすむし」
「違いねえ。貧民は社会の底辺の仕事をさせるために、なくてはならない存在だ。貧民を増やすために、今年の年貢、もう少し重くしようぜ」
「オレ、故郷に気に入らなかった連中がいるんだ。そいつらを貧民にしてやろうっと」
役人たちは、とうに強力な権力を持て余し、全国からあがってくる数字だけで判断して、現在の民の内情や感覚を考慮せず、また、知ろうとしなかった。
だから、役人たちがある政策を「思いついた」とき、既に国から人心の離れていた民は激怒した。その「政策」とは。
『牢屋に入っている悪人は、出所しても社会不安を増大させるだけだから、全員処刑する。仕事もせずに税金も払わない無産貧民も、社会の負担だから全員処刑する』
民を使えるだけ使い、利益を搾り取ってきた役人たち。その金ですることが、これなのか。民が呆れ果てて口を開けているところへ、民を本気で怒らせる「補充政策」が発表されたのだ。
『処刑によって失われた人口は、他国の若くて将来性のある人間を移民として連れてくることで補う』
この安易な机上の空論に、遂に民衆の怒りが爆発した。
「おれたちの文化と互いの信頼関係をめちゃくちゃにする気だ!」
「どの国も移民で失敗しているのに、何も学んでいないのか!」
「おれたちを、見限ったな!」
と、裏切られたことに怒った民たちによって、もうこの馬鹿たちに任せていたらこの国が破壊されると、反乱ののろしがあがった。
役人たちは、最初、「大局を見ない馬鹿ども」と優越感に浸り、正規軍を出して余裕の表情だった。
ところが、武士たちは、貧民を殺しても何の名誉もなく、また貧民に殺されるのは不名誉なことなので、尻込みして前に出ようとしない。給料はもらっていても、役人のために命を懸けてやる義理はないのだ。
反乱軍の侵攻を全く止めようとしない正規軍に業を煮やし、役人たちは、次に農民を足軽として戦わせようとしたが、同じように役人から搾取されていた農民たちも役人を嫌っていて、役人たちの情報を武士にではなく貧民に教え、反乱に加わらないが、援助した。それは、農作物のある畑で戦わないこと、という裏取引も含んでいた。
役人はあとで覚えてろと思いながら、仕方なく金で傭兵を雇い、反乱を鎮めようとした。が、その雇う金を出すよう軍命令を受けた商人たちが、渋った。
「あんたらが生き残る可能性はあるのですか?」
商人は、必ず元が取れるものにしか手を出さない。今、口約束をして、ある役人に金を出しても、その役人が殺されればうやむやにされてしまうのが、この彼らの常である。
それにこの役人たちが生き残っても、反乱で役所の顔ぶれはガラリと変わり、何の力にも役にも立たない役人に、自分たちは金を貸してしまうことになるかもしれないのだ。役人たちは、
「自分たちはいずれ役所の要職に就く」とか、「政権基盤は安定している」とか強調したが、商人たちは武士をはじめどの階級も役人を見限っているのを見て、
「あんたらの自国の民を信じなかった裏切りのツケの尻ぬぐいを、なんで我々がしなければならないのでしょう」
と、拒絶した。
商人に断られ、反乱を抑え込む手だてがなくなると、初めて役人たちは血相を変えた。
「どうする、他国に鎮圧の軍を頼むか」
「その国に居座られて占領されるぞ。オレたちの権力が制限される」
「給料がもらえるなら、どこの国に支配されてもかまうもんか」
「いや、反乱軍がここに来る方が早い」
ならどうするか。
今まで自分の懐を肥やすことしかしなかった役人たちは、民に反省して謝罪することもなしに、その懐の金を使って国外逃亡することに決めた。
しかし、国境の関所では、いくら金を積んでも通れなかった。関所の番人は、役人全員の顔を覚えていて、わざと通さないのだ。
「一体どういうわけだ、国家の法律も知らんのか! 正規の値段で通せ!」
「そうだ! 賄賂を取ろうとは、不届きな奴らめ!!」
拳を振り上げてわめく役人たちを見て、番人たちは笑いあった。
「おい見ろよ、賄賂をもらうしか能のない奴が、自分で自分を否定してるぜ」
「本当だ。賄賂を取ったら何も残らない奴らが、一人前に法律なんか話してら」
役人は、言葉よりも先に顔が真っ青になって、真っ赤になった。
「貴様ら、私たちを馬鹿にしたな! 許さん!」
しかし番人は平然とそれを見下ろした。
「もう誰もお前たちなんか敬わない。お前たちこそ、オレたちを馬鹿にしてなめた政策ばかり作ってきたじゃないか。『意見を聞く価値もないほどの馬鹿の集まりだから、どうなろうと知ったことか。馬鹿は馬鹿な頭の程度に合った仕事をしてろ。馬鹿の言うことを聞いたら、国が傾く』。その挙句が、このざまだ。国は、一部の人間の物じゃない。みんなの意見で決めるものだ。一部の人間ではまわせない、それが真理だ。そのことに、民が気づかないとでも思っているのか?
そもそも、お前たちは失われた人口を我々が自力で回復する政策を出さず、いきなり我々を無視して――『終わった者たち』として扱い、我々の歴史を継承しない者たちを、数だけで決めて移民にしようとした。自分から自分の国を『さあ、植民地にして下さい』と明け渡す『馬鹿』があるか。融和? ありえない。誰だって自分の出身国、出身民族が一番大事なのだ。移住先の国で数が増えれば、『もう無理してこの国の中で自分自身の言語も文化も変えることはない』と、第二の本国に塗り替えてしまうだろう。自分が移民したと思えばよくわかる。人数で圧倒的に勝っていたら、その外国を自分好みに暮らしやすく変えるだろう? 他民族の文化や歴史なんて、守ったって意味がないだろうが。この国は各国にばらばらに食いちぎられる。なぜなら、『早い者勝ちだから、みんな早く来い』と、本国に呼びかけるだろう? 私たちでさえ。『だって、外国に領土が増える滅多にない好機が、もったいないから』。その真実をなぜ国民に言わない? なぜ国民に説明したうえで了解を取らない? だから、もうどの階級も、我々を国防の危険にさらし、我々の国をよくするためにいつでも協力したいという信頼を裏切ったお前たちを、信じていない」
隣の番人が役人の出した金を小突いた。
「なんで関所を通るのに有り金を要求したと思う? それはもともとオレたちの金だからだ。お前たちはオレたちみんなの金を賄賂に使って、自分だけ助かろうとした。だから絶対許さねえ」
役人は憤りと焦りから、血管がはち切れんばかりに盛り上がった。
「何を言う、これは私たちの仕事の正当な報酬だ! もう私のものだ!」
番人は冷ややかな目を静止した。
「民から恨まれるのが仕事かい。楽な商売だな。……捕まえて王都へ連行する!」
紫苑たちは、反乱に殺気立つ王都へ入った。
いきさつは、九字からの説明を聞いていたので、宿屋ごとに集まっている反乱軍たちを見ても驚かなかった。むしろ、彼らに気づかれないようにし、王宮の裏口から国王のもとへ向かった。
九字の名前を出すと、すぐ謁見が許された。そしてそれは、謁見の間ではなく、国王の寝室で行われた。
「九字様の使者ですね……」
咳をしながら上体だけ起き上がった、無精ひげのまばらな王、冬薪のために、召使いが上着をその肩にかけた。
「この国の詳しい現状のご報告をお願いいたします。処置は我々に任せるとの仰せです」
紫苑が代表して九字からの言葉を伝えた。冬薪は下げた顔が苦悶に歪み、顔色の悪いのが陰でさらにかげったように見えた。
「私は一年前から病に伏せっておりましたゆえ、政治は役人にすべて任せるほかなかったのでございます。息子はまだ三才、とても私の代わりにはなれませぬ。そこで私は、弟に国王の権限を仮に与えることにしたのでございます」
冬薪は、咳が続いた。しかし、皆まで言わずとも、皆にはわかった。
国王の弟・近石の行方を尋ねたあと、紫苑は国王から、全権を委任された証である盾を預かった。国王一家の家紋である若草が彫られていた。
王宮の大広間では、逃げ場を失い、どうしたら反乱を鎮圧できるかを必死に考えている役人たちが集まっていた。
王の盾を持った紫苑が入って来たとき、彼らはすぐ、少女が帝都からの使者だとわかった。
「やった!! 都が救ってくれるならありがたい!!」
多くの者がこれで命を守ってもらえる、助かったと安堵したが、紫苑に助ける気はなかった。当然、大広間は紛糾した。
「薄情者!! 我々が殺されてもいいのか!!」
詰め寄る人々に、紫苑は平然と答えた。
「貧民が生きるか死ぬかの状態だったのを放置しておいて、自分だけは生きる権利があると思っているのか。滑稽な奴らだ」
出雲も主に従った。
「民は生かさず殺さず統治せよなんて、それは欲をかいた古い時代錯誤者のセリフだ。民を守れないなら、役人に存在価値はねえ」
役人は紫苑たちに取りすがろうとした。
「助けてくれ! まだ死にたくないんだ!!」
すると、落ち着いた水面を思わせる声が発せられた。
「ではこれまでの賄賂を含む、全財産を持って来なさい」
役人は一斉に、その声の持ち主の露雩へ、振り向いた。
「それはもともと民のものだから、民にその金を返しなさい」
役人たちはめいめい、指輪や装飾品を手でかばった。
「いやだ! なぜ貧民だけでなく民全員に!」
露雩は静かに目を閉じた。
「誰もお前たちを助けようとしなかったのを忘れたのか。もうお前たちはこの国を食い物にした罰として、死ぬことでしか罪を償えないのだ。それが嫌なら全財産を捧げて、これからは貧民が受けてきた年数と同じだけの時間、同じだけの給料で働かねばならない――人々に『食い物』にされなければならない。子孫まで続いてもだ。そうでないとお前たちの一族は永久に人々の『憎しみ』で呪われる。人々の『憎しみ』さえ、役人の権力で抑え込めると、まさか思っているのか? いいか、これが人々の『憎しみ』を納得させる罰だ。人々の認める罰が終わったら、お前たちも子孫も努力次第でまた幸福を回復させることができる。さあ、全財産を民に分けなさい」
しかし役人たちは、目に見えぬ未来の禍など信じていなかった。ただ目の前にある持てるだけの金品を、一つでも奪われることに耐えられず、全て消えたら泡を吹いて倒れるかと思うほどであった。紫苑は彼らのその表情を無言で見つめていた。
「(露雩は優しいから、役人を生かし、幸せにするために助言してやったのに、やはり悪は罰せられるまでとことん悪のままか。露雩は役人たちをも愛しているから、人々の恨みというとてつもないものを回避する方法を、教えてくれているのにな)」
なんとしても財産だけは死守しようと役人全員が腹に決めたとき、王宮の前の広場で歓声があがった。
皆が大広間の障子を開けて見下ろすと、広場はたくさんのかがり火が昼のように明るく燃え上がり、周りを反乱軍と群衆がごちゃまぜに囲んでいた。
「あ! あれは関所に逃げた連中だ!」
広場の中央へ引き立てられていく一団を見て、役人たちが波うった。
縄で縛られているのは役人本人だけでなく、役人の家族も含まれていた。
「あいつら、何をする気だ……」
一団が一列に並ぶと、もうあとは予想の通りだった。有毒な金属の液体だらけの手で槍を握りしめた貧民たちが、豪華な衣装をまとった一団を、恨みをこめて殺していった。
喝采と炎が天へ昇るのを見て、初めて役人たちは顔色が変わった。民衆の望む罰の形を目の当たりにして、ようやく自分たちも殺されることがわかったのだ。これまでは、頭のいい自分たちがいなければ国はまわらなくなるから、生かしておかざるを得ないはずだという甘い考えがあった。だが、もうそんな理性は、民衆には残っていないのだ。本能のままに行動されたら、どんな論理も机上の空論なのだ――!
「役人も貴族も、少しでも身内がやられればおとなしくなるものだ。無駄な誇りや優越感が、自分でも無駄だとようやくわかるようになるからな」
救いを求めるように露雩へ駆け寄る役人たちの後ろ姿を、紫苑が無表情に眺めた。
「本当に、金を払えばあいつらは引っ込むんだな!?」
「せめて出す金を半分に減らしてくれないか、今後の生活もある!」
しかし露雩は聞き入れなかった。
「広場は盛り上がっている。死体を片付けないうちに、今にもここへ突入してくる可能性が高い。決断なさい。金と命を取られるか、金を取られるか」
「う、うう……!!」
口を曲げる役人たちに、紫苑は王家の盾をかざした。
「王宮に反乱軍が侵入した時点で、王の命を危険にさらしたかどで私がお前たちを処刑する。帝都は王の命を最優先とする。反論は認めない」
まだ帝都に助けてもらえるのでは、と少なからず期待していた者たちは、自分たちが「逆賊」の烙印を押されると、力なく膝をつき、うなだれた。
広場は、血と興奮に満ち満ちていた。
特に、役人を殺したのは貧困から家族を失ったみなしご、病気で保障なしに捨てられた重病人といった、役人の政策の犠牲者だったので、なお感動までついた。
反乱軍の指導者はそれを見逃さなかった。
「さあ、立ち上がる時は来た! 二度とこの苦しみを繰り返さないために、今こそ役人を打ち倒そう! 役人を野放しにした国王、冬薪も、王座から引きずり降ろせ! 民の泣かされる国が、あってはならない! 嫌ならこの国を変えよう! オレたちの手で、オレたちの住みよいように!!」
「おおー!!」
民衆の雄叫びが炎と燃えたとき、
「その前に話を聞いてくれないか」
炎があっという間に鎮静するような、せせらぎを思わせる声の水面が、一帯に広がった。
自分の演説を冷静な気分にされて、指導者は少し不愉快そうな顔をして振り返った。その目に金銀財宝が続々と飛びこんできた。
露雩が、役人の全財産を馬に積ませ、運ばせていた。金貨の詰まった大袋が何百袋もあり、銀貨のきらめく大袋も数百袋、宝石のあふれる革のかばんが数十個、その他に絵、壺、刀剣といった芸術品が、広場の中央にたまっていく。役人が自ら積み荷を上げ下ろししていた。
その場にいた貧民も民衆も反乱軍も、これだけの富を見たことがなかった。これだけためこんでいたのかと、驚くやら呆れるやらであった。
「皆さん、彼らは全財産を放棄し、皆さんにお返しします」
露雩の言葉に、金貨の大袋を百袋まで数えていた人々は、我に返った。
「当然だ!」
「今まで賄賂を渡さないでどれだけこいつらに商売の邪魔をされたことか!」
「殺してしまえ!!」
「殺せ!! 殺せ!!」
再び興奮したように叫び始める人々を見て、役人たちは積み荷の陰で舌打ちした。
「くそっ、オレたちより頭の悪い、身分も低い愚民の分際で!」
「シッ聞かれるぞ! なあに大丈夫だ、今は無一文になっても、また金は稼げばいい、抜け道なんかいくらでも見つかるさ、なんてったってオレたちは奴らとここが違う」
そう言って、頭を指して笑った。
「馬鹿な奴らをだますのなんか、簡単さ」
しかし、叫ぶ民衆に対して、露雩は役人たちの思惑と違うことを、その清流のような声で宣言した。
「彼らは今日限りで役人を辞めます」
人々がどよめいた。
「何い!?」
役人たちも寝耳に水だった。
「この国はどうする!!」
「辞めてどうしろと言うんだ!!」
役人たちが抗議するのに構わず、露雩は、役人を貧民の仕事に就かせ、次の政府は役人を、それぞれの階級から選ぶことにするということを告げた。
「貧民の仕事だと……冗談じゃない!!」
「あれは人間を使い捨てにする仕事だ! 頭のいいオレたちのする仕事じゃない!!」
役人は、自分の「頭のいい」頭脳が編み出した非人道的な政策に、自ら浸かることに対して、目の前が恐怖に震えた。自分が嘲笑と侮蔑と廃棄の対象になるなど、「誇り」が許さなかった。
「待て! 私たちにはこの頭脳がある、他に使い道があるはず――」
役人が膝をついて露雩の服を必死につかもうとしたとき、
「待てー!!」
と、広場になだれこんでくる一団があった。
「近石様!!」
役人たちが安堵の表情を浮かべた先に、ひげをきれいに剃り上げた、脂ぎって目までぎらぎらしている男が、近衛兵百人を連れて立っていた。
王の弟・近石は、紫苑たち四人を、ぎっと目を固定して睨みつけた。
「いかに帝都の使いといえども、他国の政治に口出し無用! これ以上勝手な内政干渉をすれば、国家扇動罪により逮捕する!!」
この近石こそが、役人から賄賂を取り、役人の好き勝手に民衆を搾取させていた、大元締だった。
そして、紫苑より先に人々に向くと、高らかに話しだした。
「役人どもを野放しにした元凶は、現国王、冬薪である! 王が黙認しなければ、ここまで国が乱れることはなかったのだ! 安心しろ、皆の者! 今、私の兵が冬薪の首を取りに行った!」
「なにっ!!」
紫苑が顔色を変えた。そしてその声は、歓声をあげた民衆の熱気に埋もれた。
「首が届いたら、これからは王の弟であるこの私が王となる! 役人たちの処遇も、任せてもらいたい! 約束しよう、この国を立て直してみせると!」
「炎式出雲、律呂降臨!!」
その意味を理解して、炎を体から噴き出しながら、出雲が王宮へ走り出した。
民衆は迷っていた。冬薪の首を持ってくるという近石はいいことをするが、役人を自分たちの手で殺せなくなるのは惜しい。誰かの一声で、どちらにもついていく状態だった。
ここで冬薪の首が示されれば、もう民衆は近石に傾く。近石は、そこまで計算していた。
それを紫苑が待つはずがなかった。紫苑は王の盾を掲げた。そして、王が病で、近石と役人に政治をすべて任せていたことを告げた。
民衆は混乱した。どちらが正しいのか、話だけでは判断できなかった。
そのとき、彫金師が民衆の熱気の前に恐る恐る進み出た。
「私は偽の王の盾を作りました」
民衆が一斉に彼を見た。
「万が一、本物が壊れたら、複製品がなければ復元できないからだと言われました。近石様のご命令だったので私も信用し、制作しました。そこにいらっしゃる近石様の側近がお見えになりました」
皆の視線を浴びて、側近は片腕で顔を隠してそそくさと近衛兵の陰に隠れた。
近石の顔から血の気が引いた。紫苑がゆっくりと問い質した。
「なぜ……わざわざ偽の盾を作る必要がある。本物一つで十分ではないか。将来王子を殺すとき、本物の盾を隠されてもいいようにか? 反乱を起こすとき、『本物の盾』と偽って兵を集めるためか!」
「黙れ黙れ!!」
近石は心臓の興奮が全身をめぐった。
「この者の話を聞いていたであろう! 宝には予備が必要なのだ! 私は常に人の一歩先を見ているのだ!」
「盾が壊れたら新たに別のものを作ればいい。同じものにこだわるのは、先に述べた通り、反乱の意思があるからだ」
「違う! 極論だ!!」
近石が紫苑に歯をむき出すと、彫金師が再び恐る恐る話した。
「本物の盾のわずかな傷も、忠実に再現せよと命令されました」
終わった、と誰もが思った。近石は反乱を起こそうとしていたのだと、誰もが理解した。
「この一年、反乱するとき自分につくように、役人を飼い馴らしていたのだな」
「黙れ黙れ!! そのようなことは断じてない!! 私は何も知らん! 盾も、私の名を使って誰かが勝手にしたことであろう! 私は罠にかけられようとしている!! 民衆よ、私を信じてくれ!!」
しかし、誰も近石の言葉に反応しなかった。
「本物そっくりの盾を持っていて利益があるのは、近石様しかいない」
「なっ!!」
「王家以外の人間が反乱を起こしたら、王の盾にこだわらないから」
「っう!!」
冬薪を皆の前で釈明もさせずに急に殺し、そのあと近石自ら王になるという意思を示していては、誰もこの状況を何者かの「罠」だとは思わなかった。
近石は脂ぎった顔から、脂汗をたらたらと流した。民衆は皆、彼に非難の目を向けている。
「わ……私は知らん」
近石の声がかすれていた。
「私は知らん! 悪いのはみんなこの役人どもだ! 私は何も知らんぞ!」
急に叫びだして、役人に全ての罪をなすりつけようとした。助けてもらえると思っていた役人は悲鳴をあげた。
「そんな! 私個人が受けた賄賂の何割かは、必ずお渡ししていましたのに!!」
「見捨てるなんてあんまりです!!」
しかし近石は地を這ってくる役人を足蹴にした。
「ええい知らんわ! 近衛兵、こやつらを引っ捕えよ!!」
近石は、その混乱の隙に逃げ出そうとしたところで、
「お前を逃がすと思うのか!」
と、紫苑が剣姫化した。搾取され、辛苦にぼろぼろになった人たちを平気で素通りするこの男を逃がしては、再び何かの拍子に権力を握ったとき、もっと多くの人を同じ辛苦に落とすことになる。未来の人々を守るために、この男を逃がすわけにはいかない。そして今現在、この場にいる貧民を含む民衆の恨みも消えないのだから。
「なっ、何をする!!」
剣を抜いた紫苑に近石が後退りしたとき、その振り下ろしを露雩の剣が止めた。
「力に溺れるな!!」
彼が、叱った。
「勝手な裁きをして、神になったつもりか! 紫苑、君は人間だろ! どうして人を信じてやれないんだ!」
「神になったつもり」という言葉があまりに衝撃的で、無力な子供が保護者に叱られたときのように、紫苑はうつむいた。
「悪に染まりきればもう救いようがない……」
たぶん否定されるであろう言い訳を、弱い声で心もこもらずに言った。
「どうして白き炎で浄化し尽くさない! なぜ見限って殺す! 紫苑、君は正義なんかじゃない! 自分の命が穢れに染まることを恐れた、ただの殺人者だ! なんて利己的なんだ!」
紫苑は急に脚が支えを失い、一歩よろけた。自分の正しい心が白き炎によって穢れていくのに耐えられず、人の改心の余地を勝手に目算して、勝手に手を下していたのだ。
「死ぬのは恐くなかった、だが自分が白き炎という力の持ち主としてふさわしくなくなることが、恐かった……、人間不信が糧だとしても、世界の役に立てなくなることが、恐かった……!」
刀を取り落とし、両手を前に出してわなわなとそれを見つめる紫苑を守るように、霄瀾が露雩に怒った。
「だめだよ! 全員を白き炎でやきつくしたら、紫苑が全員の悪い気をうけて死んじゃうよ!!」
「独りにはしないよ」
露雩は霄瀾の肩に手を置いて、そのままそっと、震える紫苑を抱きしめた。
「オレも君と一緒にいてあげる」
そして、彼女の目にたまっている水滴に口づけした。
すると、紫苑の体が光り、穢れの一部が滴と共に、露雩の中へ吸いこまれていった、と紫苑にはわかった。
「露雩! だめよ、これは私の問題――!」
「平気だよ」
目は穏やかに、少しだるそうに彼は息を吐いた。
「君の中では怒って攻撃することしかできずに消せなかったけど、オレは対話してきっと穢れを清めてみせるよ。だから君の穢れはオレに全部預けるといい。君は君にしかできない白き炎の力で、人々のことを最後まで諦めないで」
「露雩……!」
紫苑の中で何かが明るくぱあっと広がった気がした。穢れで埋め尽くされようとしていた心が、一気に隅々(すみずみ)まで清浄にきらめいた気がした。
「ありがとう、露雩、私……」
「まだ第一歩だよ。これからだよ、紫苑」
いつも、ここではないどこかを見ていた紫苑の目が、急に何かを捉えたような気がして、王宮の大広間の障子から、出雲は目が離せないままに二人を見つめていた。
隣で九字の十二支式神「寅」(虎)が両前足をめいっぱい伸ばして前傾し、二人の会話を聞き漏らすまいと耳をそばだてている。
出雲が冬薪のもとにたどり着いたとき、既に近石の兵がいたのだが、それらはあらかた九字の寅に倒されていた。
今、冬薪は病身を起こし、広場へ行く準備をしている。
出雲は無言で広場を見下ろした。
オレにはできないから、誰か紫苑を救ってほしいとは思った、だが――なんだろう、この晴れない気分は。なんだか、自分はもう誰にも必要とされないのではないかと思えた。オレがいなくても、あいつは大丈夫なんだ。これまでも、これからも……。
「人ひとり助けられないのか、オレは……」
血を見る戦いでしか人を守る手段を持たない自分が、腹立たしかった。それだけで剣士だと言えるのか。誰かの心まで救えなければ、剣を持つ資格はない――。
「『誰か』じゃなくて、大切な人のことなのに」
力も心も持つ露雩に敗北したような気がして、出雲は自分を奮い立たせるように青龍の刀を、石を砕くような力で握りしめた。
その気配を寅がひげで感じ取っていた。
国王・冬薪が広場に現れたあとは、早かった。
冬薪だけでなく、息子の幼い世継ぎまで殺そうとしていたのを九字に暴かれ、近石は反逆罪でその場で死刑となった。
役人たちは貧民を使役した分だけ、彼らと同じ暮らしをすることになった。貧民は仕事に見合う対価をもらえることになった。
そして各階級から役人に選ばれた者たちは、収穫の少ない年は年貢を減らすという政策を、真っ先に作った。
「役人の給料と肥大化した政府を維持したってしょうがない。守るべきは一人一人が確かな足で立つことだ。人々の一つ一つの家庭を守る確かな支えが、国家になるのだ。それは、国防でもある。もし人々のことを考えているならば、生産が減れば税も減らし、小さな政府に縮小していくのも辞さないはずだ。私たちは、税を取られる側だから、そういう政策を詳細に作っていこう」
人々は、国王にそれを承認させた。最初王は、病で考えがまとまらないと態度を決めなかったが、露雩に諭された。
「労働に見合う報酬を守ることは、それが多かろうと少なかろうと、民を治めるうえで必要なことです。税を一定にして、役人や貴族の家ばかり裕福で、通りには貧しい人々しかいなかったら、旅人も他国の使節も、どう思うでしょう。役人や貴族はそれこそ、そんな政策しか考えられない己の頭脳を恥としなければなりません。彼らは国を背負っているのですから。
反対に役人や貴族の家が貧しく質素であっても、通りの民が豊かに暮らしていれば、他国の人々はその国を手本にしたいと思うでしょう。役人や貴族はそれをこそ家の誇りとすべきです。王と役人と貴族の宝とは、金でも権力でもなく、民なのです。民を愛せない者に、人の上に立つ資格はないのです」
「しかし、頭の良い人間の考えた政策でないと、のちのちたくさんの不備の穴が見つかって、面倒なことに……」
渋る王に、露雩はきっぱりと首を振った。
「人が天にも地にも選ばれるのは、その知力によってではありません。他者を助けようとする志です。それのない者は、いくら世界一暗記がうまい秀才でも、世界を変えるような発明をする天才でも、人の上に立つことはできません。立っても、いずれ倒されるでしょう。誰かを助けようという志があれば、自然と周りが手を貸してくれます。みんなで補い合えばいいのです。だから、志のある者の申し上げることを選ぶべきです」
病がぶり返したのか、王はうなずくと、王宮へ戻ってしまった。
民衆の「反乱万歳」の雄叫びを背に、紫苑たちは王の盾を返すため、国王のもとへ向かった。
寝室は兵士の死体で血だまりになっていたので、王は別の寝室に横たわっていた。幼い息子も隣で眠っている。
紫苑たちが入ると、王は目だけ開けた。
「……少し考えたのだが」
独り言のように、天井に向かって話した。
「移民はだめかね。実を言うと、無産貧民が増えて、彼らが金がないから結婚しなかったせいで、人口が減っているのだ。税収を確保して軍事費にまわしたいし、兵士の数を維持したいのだが」
そのとたん、露雩が厳しい顔つきに変わった。
「『誰かの決めた社会』から外れた者を殺して、『無視』してはいけない。彼らの言いたいことを聞かず、何も考えずに『くさいものに蓋』をしてはいけない。『使いものにならなくなった』人間を救うことをせずに、別の人間を連れてきて後釜にすえる。その結果『使いものにならなくなった人間』は社会の外に放置され、一方社会の内側の人々は彼らが生きていることを無視して、新しい人間たちで社会を回していこうとする。これがまともな人間の社会ですか。社会全体で解決策を考えなくてはいけないのに、何も思いつかない者は新しい人間を補充して、今までと同じ社会を繰り返していけると思っている。
新しい人々がこちらの思い通りに動くと思っているのですか。
『問題を解かない』それでは、何も変わらない。
問題が解決されない限り、また新しい人々も含めた無産貧民が溢れ、また反乱が起こって、誰かが犠牲になるだけです。そうではなくて、問題が起きたら、『くさいものに蓋』をしてはいけないのです。次の犠牲者をなくすために、巻きこまれてしまった人を救うために、みんなで、逃げずに、解決法を絶対に考えなくてはいけないのです。
どうして人はこんなにいると思いますか? 思いも寄らない誰かが、見ず知らずの誰かを助けるようにできているからですよ。オレたちは、皆、どこでどうつながっているかわからない見えない糸でつながれているんだ、だから、」
露雩は、はっきりと物を言った。
「人間に『代わり』なんていないんだ。使いものにならなくなったと思われても、その人たちを守り、回復させてあげるのが、本当の人の道だ。それをせずに数で機械的に新しい人間を補充するのは、人の尊厳を無視している。
あなたは、自分の子供が『使いものにならなくなった』ら、新しい『将来のある』子供をよそから連れてくるのですか?
あなたはあなたの民が嫌いですか? 苟も人の上に立つなら、どうして自分の国の民と心中してでも、助けてやろうと思わないのですか? 彼らを救えずしてこの国が元に戻ることはないと、どうしてわからないのですか?」
王は疲れたように目を半開きにした。
「……役人たちは誰も何も言わなかった。頭のいい役人たちが考えたことだから、きっといいことなのだろうと思った……」
「一部の人間の考えが国民のすべてではありません。だから、わからないことがあったら、国民全員に聞けばいい。一人くらい、いい案を持っている人はいるはずだ。自分たちがなんでもできると、思い上がるんじゃない。この国で起きたことは、当事者のこの国の民でなければ解決できない。問題の発見と解決は、究極的には発見者がしなければならないのだ。問題に近い人ほど、解決に近いはずだから。
そして、問題というものは、なるべく小さいうちにその都度迅速に解決しなければならない。放置すれば問題は大きくなって、人間の手には負えなくなる。今ならまだ間に合う。考えろ。彼らを救う方法を。国民と心中する救国の覚悟のない者は、自らの食い扶持のために、心を置き去りにして数で人口を補充して、税を確保する方法を取る。
移民の兵は、この国のために命を投げ出すより反乱を起こす確率を持っている。なぜなら、移民が全員他国からの間者で、有事の際に騒乱を起こす命令を受けている可能性が確実にあるからだ。仮に移民が全員善人だったとしても、いざ戦争になったとき、善人が出身祖国を裏切れますか? 『戦争に勝ったら移民先の土地を分けてやるから情報をよこせ』とか、『祖国の親族を殺されたくなかったら、協力しろ、騒乱を起こせ』とか言われて、断れますか? 人間なら、後者は断れないでしょう。
また、移民して来るときに、全員しかも『永遠に純朴な善人』が来るなどと、なんでも自分の計算通りの結果になると思うな。それは見通しが甘すぎるし、単純すぎる。善人はいつまでも永遠に善人のままでいるとは限らない。人は時と共に変わるものだから。
こういうことを言うと、『人を信用しないで社会に不安をあおっている』とか、『移民差別だ』とか言って本論をすりかえる者がいるが、国を守るためには、国民に『良いこと』も『悪いこと』も情報として与えなければならない。この世界は、『良いこと』だけでは絶対にまわらない。悪人の行動も先読みして対策をたて、自国の人々を守るのも、政府の仕事だ。『いい面』だけ教えて国民を無防備にして見殺しにするのは、無責任だ。悪人が来ないなら、杞憂だったと笑えばいい、だが現実には必ず悪人は入りこむ。人は、人の思い通りにはならないからだ。『信用する』だけでは、国民は他国に食い殺される。政府は、もっと様々な分野の悪人のことを、国民に開示する義務がある」
王はじっと天井を眺めていた。
「人を牛馬の頭数のように数えるのはやめよう……。そうでなければ、次広場で殺されるのは私なのだな」
「自分の『生きる権利』である王権が『無視』されて、初めてわかりますね? 自分の民に、そんな思いを一生させてはならない。助ける手立てを、ずっと考えてやりなさい」
「だが人間は答えが見つからないことに飽きるのだ」
「少なくとも、人口補充を国民が納得していますか? 国家の問題を解かない政府に、『将来性がない』と見捨てられて、心を殺されたから、民は怒ったのですよ」
「……わかった。一つ一つ問題をつぶしていこう。一生かけて……」
父の会話で起きてしまった幼い息子が、王の盾に触って遊んでいた。
「頭がいいからって、その人がいい人とはかぎらないんだね」
王宮をでたとき、霄瀾が呟いた。
「そうよ。世の中勉強だけじゃないの。志がないと、足元から引っくり返されるのよ」
「力もな」
霄瀾に向いた紫苑の背中から、寅の声が冷たく響いた。
「九字様、このたびは……」
紫苑が片膝をつくと、寅は厳しく叱責した。
「すべての情報を得たとき、なぜ真っ先に疑われる近石が逃げなかったのかくらい、考えよ! 近石がどう出るかくらい、先読みできねば困る!」
「申し訳ございません!」
傍らで聞いていた出雲は、この物言いは何かに似ていると思った。まるで師匠が弟子を叱るときのような……。
「私はいつも助けてはやれぬ」
「はい!」
「早く都へ参れ。鍛え直す!」
「はいっ!」
寅は、信時国を見回っておくと言い残し、その鋭い目で露雩をとらえてから、去っていった。
「……怒られちゃったね、紫苑」
霄瀾がそばに寄った。
「私もまだまだ甘いってことね」
紫苑が肩を落としてため息をついた。
「一人も殺さなかった……」
寅は、湖で立ち止まって、呟いた。湖面に映った己の姿を眺めた。
「剣姫を止めたあの男……」
思い出そうとして、寅は無意識のうちに前足で湖面をかきまわし、自分の姿を消してしまった。
「あの男が現れることも知ったうえでの予言なのか――? だとすると、剣姫の道を決める要因は一体――」
黒い影を伸ばす寅が、前足を伸ばして座りながら、高い月を見上げた。




