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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第一章 白き炎と剣の舞姫
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白き炎と剣の舞姫第二章「孤独な力」

登場人物

あかみやおんそうけんであり陰陽師おんみょうじでもある。

出雲いずも。紫苑の炎の式神しきがみ

あかみやからのり。紫苑の父で、あかみや神社じんじゃ宮司ぐうじ

つきみや。帝の弟で、せんこくを治める国守こくしゅ。シオンの数少ない理解者。

やまわき。千里国の将軍。

はな椿つばきゆきひらかげ国守こくしゅうわさされるほど、一族が政治に食い込んでいる。




第二章  孤独な力



 いち明けて、殻典、シオン、イズモは国守殿こくしゅでんへ入った。

 戦いのあとも生々(なまなま)しい砂利じゃりはそのままだったが、武士もとうも魔物も、がいは既にかたけられており、ただ血が草むらのように、砂利に描かれているのみだった。

 月宮は武具をはずし、昨日と同じ緑色の衣を着ていた。小姓こしょうに着替えさせる手間をしんで、裏庭の片付けの手伝いへ、小姓を向かわせたのだろう。

 殻典はいたく感動していたが、シオンはべつだん何とも思わなかった。

 上に立つ者なら、当然だと思っていたからである。

 人間の世界をまだよく知らない、子供なのだろうか。

 それとも、理想を高く設定し、それ以下の悪を見つけては、どんな人間も斬りたくて斬りたくて仕方しかたがないからなのだろうか……!

 だからシオンは、月宮がどんなに民をゆうせんしても、何とも思わなかった。たりまえのことだし、道に外れれば自分が斬るまでだと思っていたからだ。

 そもそも、為政者とはそういうものである。

 見返りを求めてはいけない。

 人の上に立つ者は、民をみちびく義務があるし、権力を使って私利しり私欲しよくに走ったり、民を危険にさらしたりするなら、死をもってつぐなうべきなのだ。

 民を導くとは、人の命と、人生をあずかることだからだ。

 それが、権力を持つ者の責任だ。

 月宮は「普通ふつう」なので、剣姫が発動しないまでのことであった。

剣姫わたしを止められない人間は、あるじではない」

 シオンは、心のどこかでずっとそう思っている。

 だから、周りがどんなに月宮に心酔しんすいしても、シオンは常に冷静れいせいであった。

 それを周りから聞いても、月宮は笑って流している。

 さて、月宮と、そのそばにひかえる山脇将軍しかいない部屋へ、殻典たちが一礼して入ると、さっそく月宮がシオンをねぎらった。そして、剣姫になる条件のすいそくをし始めた。

 山脇が、最初に変身できなかったじょうきょうを述べた。

「武士は助けませんでした。命の重みが軽いと、思っているのでしょうかね」

 訓練をませしおにかけて育てた部下を失った怒りを、顔にこそ出さなかったが、にくを言わずにはおかなかった。自分にも落ち度はあるが、やはり使うべき力を使えなかったシオンへのうらみはある。

 次に殻典が、変身時の様子を述べた。

「野盗が為政者にあるまじき勝手ないを予告したので、シオンが怒り、剣姫化いたしました」

 シオンは聞いていて心がしずんだ。

 人の物理ぶつり的な命よりも、心が殺されそうになったときだけ、力が発動している。

 これでは、死亡した武士たちに合わせる顔がない……。

ほこり高く戦う武士には、剣姫はらない。しかし、きょうしゃじゃくしゃの誇りがみにじられるなら、剣姫は戦わなければならない」

 ふっ、と、イズモがつぶやき出した。

 全員がイズモを見ると、瞳を開いた焦点しょうてんの遠いイズモが、どこを見るともなく、誰に言うともなく、口を動かしていた。また、「恐ろしいイズモ」になっている。

「戦うすべを知っている者には、手をさない。誇りにけて勝てと言う。戦えない弱者のために剣姫がいる。世をひしぐ悪を、善人のために滅殺(めっさつ・意味『殺して滅ぼす』)せずにはいられない」

 ここでイズモは元に戻った。

 一同は、ほお……、と思わずめ息が出た。

「悪がいるから倒すわけではないのだな。しいたげられた者がいるから、戦うのだな。そうか、そうだったのか……」

 今までの殺戮さつりくの結果や実験から、あくそくざんだと思ってきた剣姫が、じったいは少し違うことがわかって、月宮はイズモに感心した。

するど観察かんさつがんだな。記憶が戻らないのが残念だ。多くのことを語り合えたろうに」

 イズモがうつむいたままなので、シオンが代わりに答えた。

「私もおのれの力の出る条件を、これまであまり考えたことがありませんでした、剣戦(けんせん・意味『剣での戦い』)に集中してしまうので……。イズモが私の式神であることを、喜ばしく思います」

 月宮は、山脇将軍を見た。

「剣姫は最重要機密。このことは他言たごん無用むようぞ」

「はっ……」

 月宮に一礼して、将軍はシオンに力を込めた顔を向けた。

「……悪かった。部下の誇りをそんちょうしていたのだな。力ある者と言われ、あの世の部下たちも死を誇りに思えたであろう」

「将軍たちが戦ってくださったことを、忘れません。私も、一人でも多くの人を救いたいと思うのは、将軍たちと同じです」

「うむ」

 山脇は、シオンへのわだかまりを捨てた。

 殻典が、考え込んで呟いた。

「しかし、いつのまに野盗と魔族がけったくしていたのか……。しゅうげきそくできなかったのですか?」

 視線を向けられて、山脇は殻典に答えた。

「私の部下がせんにゅうしていたのですが、昨日はぞくの中に見かけませんでした。間者かんじゃと知れて殺されたか、ごうもんにあって賊の巣にしばられているか、どちらかでしょう」

 今日は貴族から解放された遊撃ゆうげき部隊が、副将軍ののもと、野盗の隠れ家に攻め入り、かいめつさせるために動いている。

 山脇将軍も、貴族への報告が終わり次第しだい、合流することになっている。

「野盗のことだが、お前たちに申しておきたいことがある」

 月宮が声をひそめて、一同を見回した。

「私の命を、兄上が狙っているらしいのだ……」

 山脇たちにしょうげきが走った。二人いる兄のうち、わざわざ月宮を殺す兄は、一方しかいない。

「まさか、帝が!」

「シッ!」

 つい口走ったイズモを、殻典が言葉で押さえつけた。

 次男の帝はめかけばらである。正妃から産まれた長男は病弱だから放っておくだろう。しかし、同じ正妃から産まれた弟の月宮だけは、唯一、彼の帝位をおびやかす存在として、無事に生かしておくことができないのであろう。

 加えて君主のようなけんめいさとあいに満ちた月宮は、民からの信頼も厚いため、帝の目に危険人物としてうつったとしても、それは当然の結果と言えよう。

「それでも表立って軍を出せないから、野盗を捨てゴマに使って、私の命は取れなくとも、こちらの警備と対応をはかったのだろう」

 苦しそうに月宮はうめいた。

「私は帝位をうばおうなどとは、考えたこともないというのに……」

 そういうことか、とシオンは昨日の野盗を思い出した。弱い奴らがたけだかになるときは、強力な人間がうしろについたときだけだ。

「だがもし兄上がこれからも戦いをけてくるなら、戦って勝たねばならぬ。そうであろう、シオン」

「はっ。己の欲のために多くの兵の命を犠牲ぎせいにするなら、許してはおけません。私が戦場でってごらんに入れます」

 月宮は、シオンの答えを聞いて、ほっとひと安心した。

「お前が味方なら、これほどたのもしいことはない。山脇、そのときはシオンを頼むぞ」

「ははっ」

 将軍が両拳を床板につけて礼をすると、風に乗って貴族たちのざわめきが聞こえた。

「集まったようだな。一応、昨日のけんを貴族に告げねばならないのでな」

 月宮が立ち上がり、貴族たちのいる大広間へ向かううしろに、山脇将軍のみが続いた。シオンたちは月宮が去るのを待ってから、退たいしゅつした。


 大広間でせきあらそう貴族たちは、昨日と違う衣、束帯そくたいをつけて、よそおいのだらしない者がいないか見回しては、ささやきあっていた。

 少しでも昨日のあわただしさを感じさせる着崩れた衣で恥ずかしい振る舞いをしようものなら、全員に攻撃され、出世競争から脱落させられる。

 仕事の能力ではなく、(みやび)かどうかで価値が決まるのだ。

 昨日、遊撃部隊を止めたことなどおくびにも出さず、らぬ顔で月宮を伏して迎えた。

「(人の命も救えない者が雅? 笑わせるな! そんな遊びは、やることをやった人間だけがしていいことだ! 一流をにんするだとか、しゅしょくだとか、無能は遊びにばかり力を入れる!)」

 山脇は貴族たちをけわしい表情でにらみつけたが、おもてを上げた貴族たちは、平然と月宮に顔を向けた。

 一部いちぶ始終しじゅうを月宮から聞かされると、貴族たちは、野盗を野放しにしていた責任をなすりつけあい、野盗の死骸は野ざらしにすべきだと、好き勝手なことを言っていた。

「それはあとでよい。それより、野盗と魔族がなぜ手を結んだのかを考えよ」

 月宮が口をはさんでようやく収まったが、けんせいつうじ国政の危機にうとい貴族たちに、考えが浮かぶはずもなく、武士たちが聞き込みをすることで話がついた。

 貴族たちは昨日のことをとがめられることもなく、解散した。

 兵を止められたという山脇の伝えた事実を、月宮は信じてくれていた。だが、

「今、罷免ひめんすれば、シオンに全員殺される。あんな馬鹿ばかどもでも、一気にいなくなれば、政府が空白でまわらなくなったと他にかいを与える。今回の野盗のように攻め込まれる。

 古くからの血筋の者もおり、簡単かんたんにはいかない。少しずつ非をあげつらって、めんしょくにつなげていくしかない。そのあとがまには武家を入れる。それで許してくれぬか」

 と、山脇にいたのだ。

 主人にこうまで言われては、将軍は引き下がるしかなかった。

 のうなくせに、ただその家に生まれたからといって富と権力を代々手に入れ、他者を見下す貴族の世界に、山脇はつばを吐きつけたくなった。

「(こいつらよりもとうとい命が、たくさん失われたのだ! こいつらさえじゃしなければ、守れた命だ! 本当に命を懸けて守るべき相手とは、に少ないものであることだ!)」

 山脇は月宮の言葉を信用し、貴族の代わりになれる武士のめい簿を作るため、今から思案をめぐらせた。

「(もはやこの国の、口先と血筋だけの政府にあって、月宮様しかまともとは思えない。いくら国守が叫んでも、周りがあれではつぶされる。私がお守りしなければ……!)」

 月宮を守る決心を固めた山脇は、副将軍のもとへ急ぐため、武具を簡単に装着しながら、うまやへ向かった。


 一方、解散した貴族のうち、黒色の束帯を着ていた白髪しらがの老人は、屋敷へ戻るとひとばらいをした。

 この国の政府の役人に一族を最も多くはいしゅつしている、政権内のしゅりょうはな椿つばき一族のおさはな椿つばきゆきひらである。

 長い眉毛を重々しくそろえ、動くたびに対象を凝視ぎょうしする目は、鋭いがんこうを発している。政局を見抜き一族をまとめあげ、政治に深く食い込ませるそのしゅわんから、かげの国守とうわさされていた。

 深いしわに、追い落としたこれまでの人間の怨嗟えんさきざみつけて、誰もいない部屋で雪開が座っていると、ネズミが音もなく現れた。

 雪開は眉一つ動かさず、めし使つかいが出していったお茶をすすった。そして、おもむろに口を開いた。

「こちらのごまの実力は見せたぞ」

 すると、ネズミが鼻とヒゲをきざみに動かした。

「確かに強い。これならうまくいくでしょうね」

 雪開は不動のまま続けた。

「また新しい数値が欲しければ言うように。手配する」

 まえあしを口に当てたネズミは、目を細めた。

「ヒヒヒ、そりゃありがとうございます……!」

 ネズミはいつのまにかいなくなった。

 雪開がネズミの消えた方角へ、視線をらさず、静かにお茶を飲んだ。


 シオンとイズモは、町へ食材の買い出しに出ていた。

 野盗のしゅうげきはあったものの、町の中は守られたので、死亡した武士の家族以外は、普段ふだんとあまり変わらないように見える。

 子供たちがまりを追ってけ回っている、犬が飼い主のあとをついていく、せんたくものを洗いに川へ向かう女たち、討ち取ったかもを三、四羽ぶらさげた狩人かりゅうど

 大通りには何百という店が集まり、肉、野菜、魚、にちようざっがすべてそろう、市が立っていた。

「今日は何にするんだ?」

「そうねえ……。ホタテのかいばしらをほぐしたのとしゅんぎくを、塩入りときたまごぜて焼いて、太鼓たいこみたいに丸くあつげたのはどう? かわいいわよ。重ねて二個置いたり皿のふちならべたりしたら!」

「うん、見た目はしそうだな。あとはしょうゆでもなんでも、好きにかけていいんだろ?」

「そうだけど……、ざいの味をそこなうの好きねえ、イズモ」

 この大陸は統一と同時に流通りゅうつうもうはったつし、あらゆる資材や食材といった品物が、あらゆる町に運ばれるようになっている。

 特に帝と二人の国守の住まう町は、普通の店だけでなく近郷きんごう近在きんざいえんぽうからも旅商人が集まり、大変なにぎわいぶりだった。

 シオンが大通りに並ぶ市へ入りながら、食べ物の集まる区画くかくへ目を走らせた。

「あら、お魚が安いわね。まぐろと野菜の盛り合わせも作って、じょうゆでいただきましょうか」

 魚屋へ向かうシオンに、イズモはていこうした。

「もっと他の料理も作ってくれよ! 甘い玉子たまご焼きとか、甘い煮豆にまめとか……!」

「子供か! もっと他の体にいいものも食べさせたいわ! 私は!」

 シオンに歯をき出してしかられ、イズモは、

うまいもん作れるのに作らないなんて、殺生せっしょうだぜー!」

 と、子供がよくやる「えー」というがっかりの口で、首と両手を互い違いにらした。

「そーねえ……、じゃあ今度の試験で百点取ったらね」

 にっこり笑うシオンに、次はイズモが歯を剝き出す番だった。

「なんの試験だよ! 自分の式神だからって、お前オレに何をさせようとしてんだ!」

「学校ネタにのってこないか……」

たりまえだッ!」

 クスクスと、かるにぎった人差し指をあごにえて笑うシオンは、普通ふつうに笑う一般的な少女と、なんら変わらなかった。

「こんなに軽口かるくちたたけるのに、みんなともだちにならないから、こいつのいいところ、わからないんだよな」

 と、イズモは残念そうに唇を下げた。

 こうして大通りに出れば、一人や二人、友達に出くわすものである。

 だが、シオンに声をかける者は誰もいない。

 彼女の周りには常に、人がけることでできる空白地帯があった。

 皆、剣姫に殺されるのが恐いのだろうか。

 悪をさない人間はいないがゆえに。シオンは剣姫で命をけずることを条件に、悪を斬る権利を得たのだとしたら、「絶対ぜったいぜん」のシオンの前では、誰も逃げられない……。

「おじさん、まぐろちょうだい

 シオンの言葉に、今までせいのいいかけ声を出していた魚屋は、顔をこわらせた。

「……おう」

 そのとき主婦がり込んできた。

「ちょいとげんさん、聞いとくれよ! うちの亭主ったら昨日とんでもないことして……」

 しかしシオンに気づき、はっと止まった。

 そしてそのまま、

「い、いそがしいみたいだから、じゃあ!」

 と、逃げるように去っていった。シオンに聞かれれば、亭主を殺されると思ったのだろうか。

 魚屋のまわりでは、主婦たちが声をひそめてヒソヒソと話しあっている。

「見た? まったく、あの子がいるとおおっぴらに馬鹿話もできやしない」

「斬るのが悪人ばっかりだから、殺人罪で捕まえられないんだってさ。役人のうちの亭主も頭を抱えてて……」

「これじゃ一生あの子にかんされてるのと、変わらないじゃないか」

「法を守っているのに、どうしてそれ以外のことまできっちり守らなくちゃいけないんだろう!」

「なんにせよ、かかわらない方がいいね」

「そうさね。人間を平気で殺せる奴なんか、信用できないよ」

「今に見ていてごらん。きっとあたしらを裏切るよ。あたしらが社会の一員にしてやってるおんを忘れてさ」

 その間、シオンは無表情で、何の感情もイズモにはわからなかった。

 すべての食材をれた帰り、シオンとおなどしくらいの少女たちが、きれいな振袖ふりそでを着て、おしゃべりしながらそうしょくひんの店に向かうのが見えた。シオンには、あんなふうに一緒にいてくれる女の友達はいない。思わずシオンが見つめていると、そのうちの一人と目が合った。

「ねえ、ちょっと……! あの子!」

 その女の子は口元を隠して仲間にささやいた。他の子たちも気づいた。

「あっ! あれがうわさの殺人鬼!」

「シッ! 声が大きいよ! 聞こえたら殺されるよ!」

「自分の好き勝手なじゅんでどんどん殺しちゃうんでしょ? 絶対に近づくなって、お父さんが言ってた」

「知ってる? あの子、人間じゃないらしいよ」

「え? じゃ、魔物?」

「違う違う! もの!」

「「「やだー」」」

 全員がうすだかい声を上げて笑った。

「近寄ったら殺されるよねー!」

「こっち来ないでほしいよねー!」

 女の子たちが子供ゆえの恐いもの知らずであざけりながら店に入っていくのを見て、無表情なシオンでも、つい小さなめ息が出た。イズモは女の子たちに言い返してやりたかったが、シオンの表情を読み取りかねて、だまっているしかなかった。

 土手まで来て人に聞かれる心配がなくなったとき、

「人の世で生きていきたいと思っているのに、人の世では死んでいるようなものだ……」

 シオンはふとうつむいて、ひとごとを呟いた。

 するとイズモは眉をね上げて、シオンの前に回った。

「じゃあ、そう言えばいいじゃないか! なんでかなしいとか怒ってるとか、言わないんだよ! オレは怒ってる! お前のことをわかりもしないくせに、勝手にお前を遠ざけてる人間どもを!」

 シオンはぐイズモを見つめた。

「力を持つ者は、力を振るうべきとき以外で、その威力を私的に使ってはいけない。悪人を倒したからといって私をうやまえなどと言う者は、正しい者ではない、悪人だ」

 イズモは買ったものを包んだふろしきを持つ手に力を込めた。

「だからオレは怒ってるんだ! 自分の弱さをお前になすりつけるあいつらを、何も言わないお前を! どうして剣姫にならないんだよ! 立派な悪じゃないか!

 どうしてお前は、自分がみにじられても、いいんだよ!!」

 血がのぼるイズモの頭を、シオンはそっとなでた。

 イズモの、夜の海色に染まる藍色の髪が、ほしつきの光がぶつかりあうように、さらさらと波打って光った。

 戸惑った表情のイズモに、シオンは優しく笑った。

「私が人間だからかな」

 しかしイズモは納得しなかった。

「なんだよそれ! わけわかんねえよ! お前、そんな一言で、全部の感情をせいさんできるのか! なんでだよ! わかんねえよ!!」

「世の中には様々(さまざま)な人間がいる。いちいち怒っていたらきりがない。これが人の世だと思い知れば、力のない弱者をどうして怒れようか」

 シオンの言葉に、イズモははんぱつした。

「それは悪人を斬らない英雄と同じだ! 矛盾むじゅんしている!」

「私は私をじんに傷つける者を、斬ることはできない。なぜなら、いちいち斬っていたら……」

 シオンはどうだにせず口を動かした。

「この世には私一人しかいなくなってしまうよ」

「そこまで世界をかぎれるのか……!!」

 イズモの瞳と目を合わせているのに、誰も見ていないかのような遠い焦点の目をするシオンの肩を、イズモは強くつかんで、顔もかいに近づけて叫んだ。

「なんでもわかったふりして死ぬなシオン! オレが守ってやる! 誰からもきょぜつされても、心は死ぬな! オレがお前のそばにいる! だから、もうえないでくれー!」

 シオンはイズモの顔を真正面にしても遠い前を見つめたまま呟いた。

「ああ、こうでも言わなければ、私は自分をたもてない」

 シオンの赤いルビー色の髪のたばが、秋風にみだれなびいた。


 その風が急にったような気がして、イズモはサッとシオンをはなし、風上に視線を投げた。

 マントヒヒが体だけまるくなった、直径二メートルのたまのような魔物が、シオンたちの進行方向に三匹、たて一列に並んで、じっとこちらを見ていた。

 人間と魔物はこの百年大きな戦争はしていないが、野生レベルやへいそつレベルでは、互いに弱い人間や魔物を襲い、人間の食料や魔物の爪・牙・毛皮を奪い、数を少しでも減らすことに力をそそいでいた。

 戦いに勝ち、せいふく後の反乱もふせぐ手っ取り早い方法は、武器でかってくる兵士を戦争のうちに多く殺しておくことではない。はんげきできないおさない子供をのきみ殺して、未来の兵士が育たないようにすることだ。

 人間も魔物もそれを心得こころえていて、「右も左もわからない子供」をつかまえては、かたぱしから殺していた。

 それで、少なくとも人間はそうじゅくになった。

 シオンのとし十五才は、既に世の中の知識ちしきあらかため込まれた、立派りっぱな大人である。

 マントヒヒの魔物たちは、シオンたちと、イズモが落としたふろしきをこうに見ている。

「なるほど。食料がしいのに加えて、オレたちが殺せる相手かどうか、みしてやがるな?」

 ふろしきをシオンの足元に寄せると、イズモは刀を構えた。

「シオン! 封印解除だ!」

 その声と同時に、魔物たちが球状の体を回転させながら、土手の一直線の道を、三体連続で転がってきた。

 荷物にもつもシオンも守るには、こうから受け止めるしかない。

えんしきイズモ、りつりょこうりん!!」

「おっしゃあああー!」

 四角い陣が一瞬で大地から上空へ走って、黒髪の式神イズモが姿を現した。

「じゃ、えんたのむぜえ! シオン!」

「ええ!」

 イズモが、回りながら突進してくる魔物たち以上の速度で駆け飛んで、一気に間合を詰めた。

 そして左足で飛び込みながら刀の刃を上に向けて、右足の草履ぞうりで刀の背を押さえつけると、先頭の魔物を地面から足の力で斬り上げた。

 回転する球が切れ味の良い刃に飛び込んだときのように、魔物は縦半分に真っぷたつにけた。

 続く二体目の勢いをぐ助走をつけている時間はなかったので、イズモは土手の土を押さえる岩の一つをり飛ばし、二体目との間に転がした。

 あんじょう二体目が岩で大きくねたので、それをイズモは右足で左に蹴り飛ばした。

 二体目は威嚇いかくの声を上げると、回転数をつけられるジグザグ走りをしてきた。

 イズモは二体目と逆向きにジグザグに走り出した。

 いつぶつかっても、最大の踏み込みで斬りつけられるからである。

 しかしついに接触というところで、魔物は予想に反して跳ね、イズモをしたきにしようとせまった。

「イズモ!」

「大丈夫だって! こんなザコ!」

 イズモも跳躍ちょうやくし、二体目の下から上へ刀を刺し貫いた。

「昨日のバッタ程度ていどだな!」

 刀を振り下ろして、川の方へ投げる。

 二体目は土手の斜面を、地面にひびきを立てながら川原かわらまで転がっていった。

 三体目はそれを見て岩を避けようとななめ向きになったところを、「ほのお月命陣げつめいじん!」の、シオンの炎のしょうげきに跳ね、イズモにさらに水平すいへいりをされ、二体目と同じ川原へゴロゴロと転がっていった。

 マントヒヒの魔物たちは、転がるときははやくても、歩くときは巨体のためおそい。

 土手の坂を上がるために転がれない魔物たちは、にぶい動きで巨体をらしながら、一歩一歩、ゆっくり登ってくることしかできない。

「よし、これならあとは簡単かんたんだ。荷物とシオンに辿たどり着く前に、オレが倒してきてやるよ!」

「頼んだわ!」

 イズモは、土手を先に上がってくる二体目に向かった。

 二体目は止まり、威嚇の声を上げた。

 そして、イズモが近づくのを待っている。

 体のわりに手足が短いこの魔物は、手足を使うよりも、その体で押し潰す攻撃をしゅたいとしていた。

 だから、この魔物に対して正面から戦いをいどむのは、とくさくとは言えなかった。

 横に回りこもうとするイズモを、魔物は、それだけは素早い動きで常に向きを変え、防いでいた。

 イズモは気が立ったが、一方でイズモが必ず坂の上の位置をたもっていたので、魔物の方も苛立った。

 坂の下に来れば、確実に押し潰せるからである。

 どんなにこちらに剣の腕があっても、相手の得意な攻撃に飛び込むのは達人たつじんのすることではない。

 いかに向こうに得意な攻撃を出させず、無傷で勝てるかが、達人かどうかの条件だ。

 イズモが、互いに動きの止まったこの状況から、刀を顔の横に地面と水平に構えて次のいっり出そうとすると、別の地響きがイズモのこうほうから感じられた。

「!」

 見ると、三体目が土手を登りきろうとしていた。シオンに突進とっしんできる間合が、十分にある。

「させるかよっ!」

 イズモは土手の岩を、三体目の頭に蹴り上げた。

「ピギャー!!」

 頭にいちげきを食らい、怒った三体目が、土手に上がりきらないままイズモに方向転換して、転がってきた。

 それを見て、二体目も何メートルかうしろに転がって下がり、回転数をつけられるジグザグに道を進む方法で、坂を急回転して登ってきた。

 回転の回数を見抜かれるとすきだらけになるので、さっきまで使わなかったが、仲間とはさちにすれば、相手は混乱に陥って成功するとんだのだ。

 魔物二体をげきとつさせられればいいのだが、あいにく三体目の方が速く、イズモにとうたつする時間がずれる。

ほのお月命陣げつめいじん!」

 そのときシオンの声と共に、づきがたの、脇差わきざしほどの大きさの炎が空を裂き、三体目に激突した。

 そのとたん炎が広がり、三体目をはげしく燃やした。

 シオンの炎の術で、三体目の動きがにぶり、二体目と時が合った。

「! 行くぜ!」

 イズモが上空へぶと、二体はイズモのいた場所で互いに斜めにぶつかり合い、ちゅうはずんだ。

 そこで、イズモはまず二体目を上から突き刺し、自分の体重で刀を下に回して半月に斬り下ろすと、引力に引かれて刀が下に二体目から抜けたと同時に、再び下から刺して、かぶって斬り裂きながら川に放り投げた。そして体の火で土手の草に火事を広げている三体目に跳び、炎の術を出した。

火空散かくうちる!」

 無数の炎の玉が次々に三体目を燃やし尽くし、真っ黒に固まったかたまりは、そこらの石のように無表情に土手を転がり落ち、血で川をよごしているもう一つの塊と並んで二つ、川に浮いて流れていった。

「へへっ、今日はオレのだい活躍かつやくだな! 援護ありがとよ、シオン!」

 イズモが藍色の髪に戻って、シオンに笑いかけた。

「シオン、イズモ! 早く火を消すのだ!」

 その声と同時に、たくさんの兵士が川へ駆け下りていった。

 土手の草むらは、魔物の通った跡に沿って、パチパチと火の粉を飛ばしながら静かに、しかしかくじつに燃え広がっていた。

「うわっ、やべ!」

「大変!」

 イズモとシオンがあわてて少しの火を踏み消している間に、兵士たちが、脱いだかぶとに水をんで、あちこちにいてくれたので、大事おおごとにならずに済んだ。

「炎の術は水の術を覚えてから使うものだと、殻典殿は申されなかったのか? 五行説(ごぎょうせつ)でも『すいこく』で、つまり水が火につと聞いた覚えがあったが」

 黒馬の馬上から、山脇将軍がシオンを見下ろしていた。

 五行説とは、もくごんすい相関そうかんのことである。木は刃物の金に負け、火は水に負け、土は土の養分を奪う木に負け、金は火にかされて負け、水は土にき止められて負けるということを、「そうこく」という。他には「相生そうしょう」があって、これは、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生むことを表している。相性あいしょうのいい組み合わせのことだ。

「ありがとうございました、将軍。川がそばにあるので、つい……」

 シオンが頭を下げるのを、山脇は手を前に出して軽く振った。

「いや、魔物を一匹でも多く倒してくれているのには、こちらも頭を下げねばなるまい」

 本当に、山脇はシオンと普通に接してくれる。自分のざまに自信があるのだろう。

「野盗のそうくつ討伐とうばつたいですね」

 シオンは山脇のうしろの、武具に身を固めた一団を見つめた。彼らはとたんに彼女から目をらした。

 怒鳴りつけようとするイズモの腕を、シオンはグイッとつかんで引いた。

「弱者に怒ってはいけない! 私はそれしか思わない!」

 早口で、しかし確かに怒りと苦しみを捨て去るシオンに、

「(……誇りだけだ)」

 イズモは思った。

「(この女は、誇りだけで立っている!)」

 他人が虐げられるときには守ろうとしても、自分のときにはすべてを斬ってしまうがために、その前に自分を止めねばならないのだ。

 イズモは、力にほんろうされ、そのうえ人々に忌まわしさから締め出され、心を殺すシオンを思い、胸が痛んだ。

 イズモにしか聞こえない会話を終えると、シオンは無表情に、山脇にたずねた。

「うまく掃除そうじできましたか」

 悪人を人間以下に扱うシオンに、武士たちはますますおののいた。

 しかし山脇はそれに動じることなく、

「ああ。ざんとうも奪われた宝も、残らずとらえることができた。幸い、こちらの間者も救出できたしな。奴らの巣は焼き払ったから、もう別の人間が再びじろにすることはできまい」

 と、重々しく答えた。

「そうですか……それはよかった」

 シオンは無表情に視線を落とした。少しもよかったように見えないのは、野盗たちが魔族との関係をじんもんされたあと、ようみになったとき、斬るのが自分だとわかっているからだ。

「それにしても、普段のお前は本当に強くないな……」

 焼けた土手を見て、山脇は馬上で体を揺らして、なかあきれたように笑った。シオンは目を薄く開けて腕組みした。

仕方しかたないじゃないですか……、そもそも剣姫が強すぎるだけです。私だって、陰陽師としての腕はかなり上の方だと、これでも自信を持っているんですけどね!」

「フフ、悪かった。イズモを召喚した時点で、それはもう皆知っておる。式神の持続じぞく時間をばすために、お前が自分の術の力をおさえていることもな……」

「え?」

 唇を閉じて呟いた山脇に、シオンは聞き返したが、山脇将軍はそれには答えず、あたり一面のげた草むらに目を細めた。

「……剣姫に、ならなかったのだなあ……」

 その顔が無表情だったので、シオンもに答えた。

「私は魔族を悪だと思ったことは、一度もありません。ただ人間とのこの世界の奪い合いにおいて、覇権はけんを握らせるわけにはいかないから、戦っているまでです。敗者は奴隷どれいになるのが世界のてっそくですから。でも私は、人間が勝っても魔族が勝っても、双方奴隷にさせまいと思っています」

悪徳あくとくでない人と魔族が虐げられたとき、剣姫が発動してしまうからか」

 シオンはそれには答えなかった。

 魔族のために剣を振るえば、人間の裏切り者だ。めいげんを避けたのは、良い選択であった。

 山脇将軍はそれをさっし、口を引き結び、あごの下の肉にしわをつけながら、うなずいた。

「ぜひとも人間の方が勝てるように、お互い力を尽くそう。じゃあな、我々はまだにんちゅうだ」

 と言って、武士たちと国守殿こくしゅでんへ帰っていった。

「……お前は悪徳しか斬らないんだよな。もしかして、お前……、人と魔族がきょうぞんしてもいいと思ってるんじゃ……」

 こちらを見やるイズモに、ようやくシオンは口を開いた。

「私はぜんのためにしか戦わない。しかし、戦い続ける私は長く生きられるとは限らない。私は私のせたあと、この世界が勝者を善の者にするのをあやぶむのよ」

 そして、剣に手をえた。

「人か魔族か、どちらか一方の世では、しんに善人は救われないからね」

 シオンはふろしきをひろい上げた。

「本当に、人が百年しか生きられないというのは、短いことね」

「……永遠の命で人を救い続けても、地獄じごくなだけさ。オレがかみさまだったら、いつまでも進化しない人間に怒って、ほろぼしちまう」

 イズモもふろしきをかかえ上げた。

「神様だったら、そうする前に誰かを送りこむんじゃない――」

 ふろしきについた土を払って、二人は家を目指した。


「一大事でございます」

 国守殿での政務せいむ中、山脇将軍が月宮のもとへ参上さんじょうした。

「こちらが野盗にもぐらせていた間者が、自殺いたしました」

「なに……!?」

 ならぶ貴族たちは、扇をひらひらひるがえして互いに顔を見合わせ、うごめいている。

くわしく話せ」

 月宮にうながされ、山脇将軍は続けて話した。

「野盗に間者と知られ、拷問にあっていたので、とても話を聞ける状態ではありませんでした。しばらく休ませてから、野盗がどうやって魔族と手を結んだのかを聞くことにしたのですが……。

 診療所しんりょうじょで食事をさせ、口がけるようになった頃におとずれますと、突然、私が門にいてもはっきりわかるほどの大きな声を出して――」

 山脇将軍は顔をしかめた。

「彼は――『国も魔族も裏切ることはできない』とさけんで、私が駆けつけたときには、舌を嚙み切っていました」

 月宮たちに衝撃が走った。人間が心半分でも魔族に寝返ったという、あり得ないことが起こったからである。

「そんな心の弱い人間を間者にするなど、どういうつもりだ! 責任を取るのであろうな!」

「生きておれば貴重な情報源となったであろうに……!」

「目の前で自殺をされたのと同じだ! 山脇、責任を取る覚悟はできておろうな!」

 責任を取らせることしか言わない貴族たちに代わって、月宮が尋ねた。

「山脇、所持品しょじひんからは何もわからぬか」

「ははっ。拷問のあとゆえ、ひとつでした。望みは捕えた野盗どもの尋問ですが、料理人や見張りの子供といった者ばかりで、多くの情報は得られないかと……」

 山脇将軍はきょうしゅくしてかしこまった。重要参考人に死なれるというのは、だいしったいだ。

 貴族たちがざわめく中、月宮が大きな声を張り上げた。

「人間が魔族に接触したということは、新たな間者を魔族に直接ぶつけることも可能ということだ。まださぐる手立てはあろう。新たなさくを待っているぞ」

「ははっ」

 助けぶねを出してくれた月宮に、山脇将軍は両拳をついて礼をした。

「フン、また魔族に寝返らない者にせよ!」

 貴族たちは嫌味いやみを言って、山脇将軍を外に解放かいほうした。

「部下を救ってやれなかった……!」

 山脇は眉をけわしく寄せ、肩に力をこめながら、背中を丸めて国守殿を出て行った。


 夕闇ゆうやみ迫る華椿の屋敷には、一部屋のみの、華道かどうきわめるはながあった。

 そこで雪開は華道にふけるのをこうじつに、政治のうら取引をする人物と会ったり、賄賂わいろを受け取ったりしていた。

 秋の虫が外の草むらでく中、十五センチ大のろうそくの炎にきくの花をかざしながら、雪開はついたての向こうの人物と会話していた。

ぎわのよいことだ。さすが私に仕えているだけのことはある」

 雪開は顔の中で口だけしか動かさずに、菊の花を見ている。

「すべては華椿様のためにございます」

 ついたての向こうの雪開の間者は、くぐもった声で答えた。平伏へいふくしたままなのだろう。

「人に聞こえるよう最後に叫んだのは、こちらのものでできるとして、舌を嚙み切らせるのは骨が折れたであろう」

 パチ、と雪開は菊のくきを切った。

「舌を金具でり、頭の上からづちで叩けば切れます」

 ついたての向こうの声に、雪開は、っほっほっほっと、上体を動かした。

なまぐさいことは、貴族もそちたちにはかなわぬわ。間者が吐く前に、始末できたのならよしとしよう。こちらの準備を知られるわけにはいかぬでな……」

 雪開は再びパチ、と菊の茎を切った。

「これからも他人に取られぬよう注意して動けよ……」

「はい」

 ついたての向こうの間者は去った。

 和室内のろうそくの火は音もなく減り続けていたが、雪開はしばし目を閉じ、和室の外の虫たちの声も聞かず、ただ自らのさくにふけっていた。

「剣姫を使うのは……我々だ」


 その夜、月明かりの下で、シオンは神社の裏にある滝の水が、上から下へ流れ落ちていくのを、ぼうっとながめていた。

「今日は、魚屋と女たちと武士たちが生きていた……」

 他人事ひとごとのように呟くと、滝が落下する音を聞き、しばらくを味わっていた。

 シオンはいつも、心が傷を受けたとき、この場所で自分をいやすことにしていた。

「(なまじ普通の人間だから困るのだわ)」

 シオンは帯に手をやり、扇の位置を整えた。

「(つうじょうの状態にあるとき、もしかしたら普通に暮らせるのではないかと、期待きたいしてしまう。いっそきょう戦士せんしの剣姫のままでいれば、苦しむこともなかったのに。自分を避ける人々にはれているけれど、それよりその前で、へいぜんとしているふりをするのが、辛い)」

 もともと持って生まれた能力に気づくにせよ、ある日突然目醒めるにせよ、目醒めた力というものは、「それを使わざるをない状況」に、当人を追いめていく。

 英雄を成長させるために、悪役もきょうだいになっていくのと同じことである。

 目醒めた力は、当人を救いもするし、むしばみもする。

「ああ、なんというじん。先に私を蝕んだのは目醒めた力の方なのに、それが私に善を救いたいという新たな夢を見せ、私を救うとは」

 当人は目醒めた力に包囲され、退路なし、逃げ場なし、運命の用意した一本道を歩かされるのみ。

 シオンは歯を食いしばった。

「私から生きる自由を奪った神を、私は決して許さない。生きる理由がわかって良いではないかと、人は思うのか? この己の目に映ったものしか救えない中途半端な力で、一体何がせようか!」

 シオンは世界のすべてを救えない自分の弱さ、神が与えた百年の寿命の短さにげきしていた。

「私は、私を殺戮さつりくに引きずる『聖なる』力に支配され、心を蝕まれ! なのにその力にすがって、救いを求めることしかできないのかァーッ!

 なんという理不尽、許せん許せぬこんなに怒りに震えても!」

 シオンはヒッ! と高く息を吸い上げた。

あらがえない私がァーッ!!」

 そして勢いよく両膝をつき、両拳を地面に叩きつけた。

「神に与えられた夢を、

 運命を、変えたいーッ!!」

 姫は滝と共に慟哭どうこくし、天の月空げっくうはそのね返った音の露をどこまでも空に吸い上げるのであった。


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