闇の影王(かげおう) 紫灰(しかい)の炎舞(えんぶ)の守護姫第一章「白き炎の守護姫」
登場人物
赤ノ宮九字紫苑。世界の王。新しい世界への扉を開けた者。
邪闇綺羅。神々の王。紫苑と結婚している。
金よ詠め翔べ。銀よ在れ舞え。紫苑と邪闇綺羅の子供で、男女の双子。三才。
シン。骨の翼を持つ少女。
第六部「闇の影王 紫灰の炎舞の守護姫」は、三章で完結となっております。
第一章 白き炎の守護姫
紫苑の歌が聞こえる。
『題・闇の影王 紫灰の炎舞の守護姫 作詞作曲・白雪
私には教えて 先の未来を
遂に変わる世界 私もいるのなら』
その語る物語には神の力が秘められていて、話を語る人、歌う人、聞く人、読む人は共に神の力を受けることができる。言霊に力がある世界で、人々が真の世界の王の言葉を語り伝えている時代。
「大半の人々は自ら新しい世界への扉をくぐっていった。しかし、雄牛の神の言葉通り、地上には神々の名を消し、世界を滅ぼそうとする者たちがいる。その者たちのことを、任せていいか、紫苑」
イルハで暮らす邪闇綺羅は、愛する妻に尋ねた。
紫苑は、ぎゅう……と二人の子供、三才の金よ詠め翔べと、銀よ在れ舞えを強く抱きしめた。双子は母親に抱きしめられて、きゃきゃと嬉しそうにじゃれついた。
「金、銀、お母様はいつもあなたたちとお父様のことを想っていますよ」
「おかあさま……」
母親の腕の中をねだる二人を夫に預けると、紫苑は巫女服に白い長衣をはおった。神刀桜と紅葉を両腰にさす。
邪闇綺羅の手が紫苑の頬に触れた。
「……ありがとう。私の光を訳せるのは、お前だけだ」
紫苑は頬の邪闇綺羅の手に自分の手を重ねた。
「あなたに望まれる限り、私は何度でも剣になります。様々な力を放つ剣に」
柔和な美しい顔で愛する夫と長い口づけを交わすと、次に目を開けたとき、苛烈な剣姫が戻っていた。
「人々の正しい道への戦いを守り抜く者、白き炎の守護姫! 私は行こう、この世界と決着をつけるために!」
邪闇綺羅と、邪闇綺羅に抱かれた金と銀は、紫苑の旅立ちを見送った。
「必ず帰ってきますからね!」
紫苑は、地上へ降り立った。
地上では、新しい世界への扉をくぐれない人々が、自分の神に生贄を捧げようとする競争を過熱させていた。聖人の聖なる心臓が最もふさわしいという意見が力を持ち始めていた。
「神に世界を救ってもらう」という「大義名分」のため、聖人狩りが行われ、多くの聖人が生贄にされた。しかもそのすべての願いが、戦争に勝たせてほしい、日照りを止めてほしい、永遠の繁栄、神の一人になりたいといった、新しい世界へ行くこととは何の関係もない、人間の間でしか通用しない願いであった。
確かに、聖人たちは世界を守る祈りの力がとても強い。力を合わせれば広範囲の結界を張ることができる。それは、物理的な攻撃に対してではなく、社会が悪徳の精神攻撃にさらされたときに、その地域や国を守る力が強いということだ。
その中でも世界最強の祈りの力を持つのが世界の王、赤ノ宮九字紫苑である。宗教家も黒魔信仰者も、世界の王を生贄にして、自分たちだけ神や黒魔を見て、世界を支配しようと目論んでいた。
世界の王が地上に降り立った今、紫苑には二つの道がある。
一つはこの愚かなる人間どもを全殺して記憶の檻に入れて改心させる道。
一つは彼らを無視して一人世界のために祈り、世界を救う道。
人々が武器を磨いているのを見て、紫苑は寂しそうに呟いた。
「このまま滅びたいのか……」
そのとき、女の声がした。
「この世界を愛してる」
すると、その祈りの言霊がとても力強いので、人々は武器を磨くのを忘れて幸せな夢を見ながら眠ってしまった。
「何者だ!」
紫苑が声のした方に振り向くと、骨の翼を前面で重ねて顔を隠した腰までの紫色の髪の少女が、さっと身を翻して逃げた。
「待ってくれ! お前は正しいことをした!」
紫苑の言葉に、少女が止まった。
「正しい人間に光が当たらなかったら、この世界は闇だ。そんな世界は、私が許さない!」
「……あなたは、誰?」
少女は振り返らず尋ねた。
「私は赤ノ宮九字紫苑、この世界と決着をつけに来た。旧き世界を終わらせ、新しい世界を始める者、それが私だ。お前の名は」
「……シン」
少女、シンは骨の翼を広げて飛んで逃げていった。
「この言霊の威力、さぞかし名のある聖人なのだろう」
また会うこともあろうと紫苑は深追いしなかった。周囲からはやす声がしたからである。
一人の半袖の少年が耳をふさいで体を丸めていた。その周りを子供たちが嘲っていた。
「お前みたいな奴は死ね! ハハハ!」
「目につくところにいんなゴミ!」
「気持ち悪いんだよ!」
子供たちが「マジキモい」と言って嘲っている。
ひとしきり笑って気が済むと、子供たちは去った。あとには涙を流し耳をふさいだ少年一人だけが残った。
「世界が憎い……」
紫苑がそばに立っても、きつく目を閉じた少年は気がつかなかった。
「耳が聞こえなければいいのに!」
「馬鹿ッ!!」
少年の一言に、紫苑は少年を殴りつけた。少年は初めて紫苑に気がついた。そして、痛みに新しい涙を一筋流した。紫苑が叫んだ。
「聞きたい喜びの言葉も止める気か! 今ここで他人に負けたら、お前の人生はこれから一生他人のせいで何かを諦め続ける人生になってしまうのがわからないのか!! 悪いことも我慢するんだ! 生きていきたいのだろう!!」
しかし少年は叫び返した。
「普通に生きていきたいんだよ!! 普通の人の幸せってあるだろ!?」
「普通で本当にそれでいいのか! みんなと同じでは上は目指せんぞ。飛び出したいのだろう? 空に!」
飛び出さなければ、他人の気分に左右される人生となる。しかし、少年にはそれがわからない。
「でも……不幸じゃなければそれでいいよ! オレは普通を選ぶよ!」
「人生は楽しいぞ」
少年は、紫苑が何を言っているのかわからなかった。ただ、次の言葉を聞いた。
「私は自分の不幸と思える時代も大好きだ。もちろん、幸せな時代もだ。どちらにも人生最高の喜びがあったからだ。お前もそれを見つけないうちは普通だな。この大好きな素晴らしい世界の中で」
紫苑は去った。
「……オレ、普通じゃないのに。なんでずっと自分を好きでいろなんて言うんだよ。悲しいのも苦しいのも、いやなのに……」
少年は、紫苑の後ろ姿を見つめたまま、自分を癒すように胸に手を置いた。
紫苑の耳に、泣き声と物を壊す音が聞こえてきた。
一人の長髪の女が、半狂乱になりながら本を引きちぎったり、イスを投げつけたり、食器を床に投げつけて割り散らしたりしていた。
「何をしているのだ。物が悲しむからやめろ」
紫苑が女の手をつかんだ。乱れた髪の女が、乱暴に腕を振った。
「うっさい! 私が買ったものは私がどうしようと勝手よ!!」
「いいや。物にも命がある。お前の命がこの食器のように神の不機嫌のやつあたりで壊されたらどう思う。人の命は神のものとはいえ、ひどいと思わんか」
「……う……」
女は破壊をやめた。
「ちなみに神は不機嫌になっても物に当たり散らすことはしないぞ。誤解するな」
「……あっそ……」
女は力なく座りこんだ。
「何をそんなに怒っているのだ」
様々な物の残骸の中で、紫苑は女に聞いた。
「私は、学者になりたかったの。だけど、入院するほどの病気にかかってしまって、三年治療に専念していたら、学問のレベルが下がってしまって、とても同年代の人に太刀打ちできないほどの馬鹿になっちゃったの。下の年代の人に交じって何年かがんばったけど、一度忘れたら勉強のリズムと集中力がもう戻らなくて、結局学者の道を諦めざるを得なくなったの。おかげで就職も不本意な結果に終わった。今の仕事は、私の本来のレベルでつく仕事じゃない。私の人生は百八十度変わってしまったわ。そうなることを理不尽にも神が選ばせたくせに、今日何気なく占い師に占ってもらったら、私の将来は『器用貧乏で何一つ成功しない』って出たのよ! なんでよ!! こんなことになるくらいなら、なぜ私から学問を取り上げたりしたのよ!! 成功しない道をなんで歩ませたのよ!! 世の中に成功しない人間はたくさんいるわ!! 私はその中の一人になるの!? この人生でだめだったら、次生まれ変わったらまた学者になろうとするの? じゃあ私の今の人生は何なの? 失敗するから二度とその道に行くなということを学ぶための捨駒の人生なの? 私の人生を返して!! 幸せな学者になるはずだった人生を返して!! 私からなぜすべてを取り上げたの!! もう二度と元には戻れないほどにっ……!! なぜすべてを取り上げたのーッ!! この世のすべてが憎いーッ!!」
再び泣き叫んだ。紫苑が答えた。
「今の時期、お前は人生の冬に入っているのだ。人生は春夏秋冬、喜びと悲しみが常にめぐっていくものなのだ。何度も繰り返すから、お前は生きていけるのだ。人生に春夏秋冬がなければ、病気でも健康でもない無気力な人間ができるだけだ。お前の人生にもきっとまた春が待っている。長い転生の中でも特に大きな『冬』の時代を買って出たお前は優しいんだ。たとえ成功しなくてもきっと幸せになれる。きっと別の幸せがあることに気づける」
女は止まらない涙を指で押さえて首を振った。
「私は悲しくて辛い。成功しない人生なんて」
「成功することだけが幸せのすべてではない。そして成功は一つの形しかないわけではない。お前の知っている限りの成功ができないと思っているのであって、この世界はとても広いから、お前の知らないことの方が多くて、その中にお前が納得できることがある。周りに目を向けることだ。例えば、健康な体、温かい家族、自分に命をくれる食べ物たち。どうだ。お前のどこが不幸なのだ? そして、今この与えられた条件でなければ解けない問題があるからお前は今その状態なのだ。神様はいじわるなんかしていない。お前が人生をかけて答えなければならない問いだから、ヒントをくれていたのだ」
女は、目が醒めるような顔をして紫苑を見上げた。紫苑はその目をまっすぐ見つめた。
「それに気づけなければお前は不幸のままだ」
女の目は過去の記憶をたどっていた。
「入院してからずっと、家族と一緒にいて、心から深く話をすることができた。家族のことも、年を取るということも、よくわかった。学者を目指していた頃、そんな余裕は全然なかった……。私、幸せだったんだ……!」
学者を目指していた頃に置き去りにしていた家族を大切に思えるようになった。それなら、すべきことはもうわかっている。
「家族を大切にしながら、はいあがってやる……!! 失敗した人生だなんて、思いたくない!! どんな苦しみも克服してみせる!! よし、今の自分にできることとこれからの目標を分析して、一生できることをがんばっていくぞー!! それで、神様から出された問題を解ーく!!」
女は壊した物を片付け、掃除し始めた。自分の気持ちを整理するように。紫苑は女の整理を邪魔しないようにその場を去った。
「(あるいはこの女は戦いが好きなのかもしれない。戦えなければ生きられないのかもしれない。戦え。そして勝て! きっとそれがお前の生きたい理由なのだ!)」
紫苑の前に十才の白いワンピースの少女が現れた。
「なぜ世界は平和にならないの? あらそいばかりで、弱い女と子どもはぎせいしゃ。政府をみなごろしにしたい。政府の言うことをきく世界もみなごろしにしたい」
紫苑は答えた。
「残念だが、世界が平和になることはないだろう。なぜなら人間は悪のずるい部分を元から持っているからだ。人々が毒のあるものに群がるのは、毒のある事象、言葉、ものに触れて、自分の悪の欲求をそれに投影して解消し、ガス抜きをしたいからだ。つまり人は悪の欲求を常に持っているということだ。
ではそれをどうするかというと、人はそれを、常に己と戦うことで勝って抑えていくのだ。だから人は平和な世界にして戦いをなくそうと呼びかけることより、自分の悪と戦って勝て、そして本当に神に恥じない生き方をしていこうと言うべきなのだ。人の世から戦いがなくなることはない。大切なのはどう戦うかだ。神を信じていると言いながら、その神の意志に反して背徳と共に生きている者の、この世に何と多いことか。本当に神を信じているなら正しいことしかできない、そうでなければ身動きがとれなくなるはずなのに、平気で生命を踏みにじる人間たち。だから私は神を信じていると言われても、その言葉だけでは信用しないのだ」
少女は泣くのをこらえて眉に力をこめた。
「じゃあ世界は平和にならないの?」
「人間から悪の欲を奪うことは不可能だ。この欲がある限り人の世は進化・破壊・争いが繰り返される。支配したいとか略奪したいとかいう悪の欲求がこの世から消えることはないだろう。自分と戦って、皆を守りたいからそうする、という思考に到達するのは、真のその地域の王たちしかできないであろう」
「どうして人は子どものまま大人になれないの? そしたらみんなわたしと同じ考えで、戦争しちゃいけないって同盟結べるのに」
紫苑は右掌を少女の前に立てて答えた。
「平和な世界というものは、突き詰めれば楽園なのだ。争いも競争もない世界では、人は必ず退化する。脳の機能が衰えていくのが手に取るようにわかる恐怖は、とても人には勧められない。どのような世界になっても、人は恐怖そしてあらゆる感情から逃れることはできない。必ず新しい何かを見つけてしまうのだ。それが神の愛なのだ。なぜならあらゆる感情から進化が生じるからだ。それともお前は退化してまで平和が欲しいのか? それは進化を望まれる神のご意志に反する。それより、戦争の“恐怖を克服する何かを考えなければいけない”のではないか? 軍隊を整える、国民に護身術を訓練する、最新兵器を開発して鉄壁の防御網を作る。国民の命を守るのは国家の義務である。我々は自分自身と戦わない愚かな支配者による侵略国から身を守るために、納税している権利を楯に取り、国家に国土防衛を断固として要求しなければならない。
お前は自分の身が大切だから、自分の命を奪う戦争が嫌いなのだろう。
だったら、精鋭の軍隊と最先端兵器で、一生分の恐怖を克服し続けろ! 自分の身を悪人から守ることは正しいことだ! 自分の国は自分たちで守れ! 悪人に負けるな!! 平和を愛する自分たちが正しいと思うなら、世界のために生き残れ!! 悪人の悪のために犬死にするな!!」
少女は、自分が将来大切な人たちと笑顔で暮らしていたいと願った。
紫苑が答えた。
「どうして大人が世界平和と軽々しく言わないか、わかるか。世界平和とは銃を向けてくる相手に言う、命がけの言葉だからだ。こちらも武装しなければ、お前の正しさは守れないのだ」
少女は、自分の左手を紫苑の右手にそっと当てた。
「……おねえちゃんのほうが、大きいね」
そして肩に首を埋めるように笑うと、
「わたしも、もっと大きくなりたい。生きたい」
と、言って礼をした。
「教えてくれてありがとう。言ってるだけじゃだめなんだね。わたしも、動かなくちゃ。子どもでも、いろんなこと、できるもん。考えないのはだめなんだね」
紫苑は少女の手を握った。
「何才でもいい。問いの答えを考え続けていくことがあなたの扉を開く」
少女は手を振りながら、スキップして去っていった。
紫苑は、このように救われないために世界を憎む者が、最後まで旧き世界に残っているということを知った。
「この者たちが救われないよう、動いている者たちがいるということなのか」
紫苑は世界を旅していった。




