鋼鉄(メタル)将校(オフィサー)第三章「邪闇綺羅(じゃぎら)」
登場人物
赤ノ宮九字紫苑。双子のもう一つの星を救って、神々のいる星に戻って来た。
出雲。霄瀾。空竜。閼嵐。麻沚芭。氷雨。かつての仲間が、かつての記憶がないまま、そろっている。
藜露雩。邪闇綺羅(人間の発音で「じゃきら」、神の発音で「じゃぎら」)とそっくりな姿をしている。鋼鉄将校。
第三章 邪闇綺羅
お弁当箱を雑貨店で買い求めたあと、露雩は紫苑と九字神社に向かった。
「(まさか、お父さんに挨拶するつもりじゃ)」
紫苑が困っていると、半日授業の霄瀾が、ランドセルを背負って拝殿に向かって手を合わせていた。
「あっ、露雩おにいちゃん」
霄瀾が階段から下りてきた。
「おじいちゃんが長生きしてくれますようにって、ボク、毎日お祈りしてるんだ。今日はここで。自分の部屋でこっそりお守りに祈るときもあるんだ」
露雩は霄瀾の頭をなでた。
「こっそりなんてするな。堂々とおじいさんに言ってあげろ。喜ぶぞ。霄瀾だって、おじいさんに一緒に長生きしようって言われたら、嬉しいだろう?」
「……あ、そっか。うん! えへへ、ちょっと恥ずかしいけど、帰ったら言うね」
そこへ、閼嵐と氷雨が現れた。
「おう、久し振りみんな! オレは勉強がはかどるように、お参りに来たんだ」
「……」
閼嵐の後ろで氷雨が口を開こうとするが、開かない。どうしても過去のことが言えないのだ。
そのとき、空竜の声が聞こえた。
「出雲、あんたねえ! たまにはうちの六薙神社でお参りしなさいよおっ! うちの神様怒るわよお!?」
出雲が空竜を振りほどこうとしている。
「うっせー! バンドのライブが成功するようにってお願いするなら、やっぱ紫苑の九字神社だ!」
麻沚芭が空竜を止めている。
「空竜、声でかいよ! 万玻水のおじさんに聞かれちゃうよ!」
八人が揃った。
そのとき、露雩が時間を止めた。
天から稲妻と共に、陰気をまとった長身の男が降り立った。
鋼鉄将校になった露雩が、双剣ディルキータで円を描いた。鋼鉄将校の全身から光が放たれ、紫苑はその光を両眼に浴びた。
「私の光を訳すのだ!!」
鋼鉄将校に言われて、紫苑の目は陰気の男の過去を読み出した。
男は結婚詐欺師だった。金を貯めこんでいそうで、男にもてそうにない女ばかり選んでは、「私にはこの人しかいない」と思わせて貢がせていた。そして、同時に複数の女とそういう関係を持ち、三十才を超えて相手が結婚を焦り始めたとき、捨てる。田舎に帰る、転職するなどという、嘘をついてだ。どんな理由でも諦めないときは、暴力で従わせる。
「オレの何が悪いの? 年食った女なんて醜いし、男を出し抜く知恵ばかりつけて面倒くせえ。結婚詐欺師でなくても捨てるでしょ? フツー」
紫苑は男に答えた。
「若い女性の健康な子供を産める期間を盗むのは、犯罪である。一人の女の子の人生を、三十過ぎまで拘束した挙句、子供をうまく産めない道に進ませるのは、人生の泥棒である。金銭を回収できても、お前という名の牢獄につながれていた女性の時間は戻らない」
陰気の男は肩をすくめた。
「いい夢を見せてやったし、女だって浸ってたろ。オレは夢を見せたお金をもらってたんだよ」
しかし紫苑は首を振った。
「夢と言わないから犯罪だ。女には知る権利があった。遊びにするか本気にするかという、選ぶ権利を奪ったから犯罪だ」
男はため息をつくように一息笑った。
「人をだますとき、馬鹿正直に言う馬鹿いる? いないっしょ、馬ー鹿! 女の写真にも写らないようにしてきたし、足なんかつかないし! 別の町でもまた女引っかけるってーの! ハハハハッ!」
そのとき、女の生霊が現れた。
『盗撮してたから』
「えっ」
男は振り返った。
『あなたとの思い出が欲しくて、隠しカメラで録画してたの。犯罪者の顔・声・個人情報をまとめたサイトがあるから、載せとくね。結婚詐欺師のこいつに注意ってコメントつけてあげる。やったね、世界デビューじゃん。英語にも訳しとくから』
淡々と語る女の生霊に、男はつかみかかった。
「やめろ! てめえよこせそれ!」
それを紫苑の神刀・紅葉が遮った。
「犯罪は法が裁いたあとは人の目が裁く。だまされる方が悪いとお前は言った。ならだますお前を事前に我々が知るのは公平ではないか。悪意のナイフを持って近づく者を事前に知って身構えるのは、人間の常識、正当な権利だからな。犯罪者として公開されるのは人権侵害だと言える立場か? 人に知られていなければ、また人をだまそうとしているお前が。善人になるなら行動で人々を信用させろ。善人に自分が過去も無害な人間だったと偽って近づくのはやめろ。
善人は善人を害したことのある人間を知り、身を守る権利がある。
そしてその人々の『目』が、本当はお前の悪い心を封じてくれるのだ。
被害者は、自分より犯罪者が幸せになることと、犯罪者がまた同じ事件を起こすことで何度も傷つけられる。
人々の『目』という罰が、被害者の一生の精神の傷を和らげる。
刑務所に入ったからといって、被害者の心の傷が治ると思うな。一生憎み続けることを知らずにいるな。本来なら人々の『目』ではなく神の『目』が犯罪者を苦しめるものだったのだが、この時代の人々はそれを忘れてしまっているようだ。だから人々の『目』に頼らざるを得なくなる……」
男は最後まで聞いていないで、身震いした。
「けっ! 気持ち悪い! 一生憎み続けるなんて、ストーカーかよ! オレの人生邪魔すんじゃねえよ!」
「お前は一生邪魔が入る。それが回復できない傷を与えた者の末路だ」
男は大きく息をもらして笑った。
「はあ? 今幸せですけどー。これからかわいいギャルと仲良く暮らして、遊びまくるつもりですけどー? どうやって邪魔が入るんですかあー? 言ってみてくださーい! ははは!」
紫苑は静かだった。
「一秒後に結果を求めるのは神を知らない者の言うことだ。神を知っている者は、お前が一生かけてつまずいていくことを知っている。わかっていても待てないから、裁判で暫定的に裁くのだ。ここで重い罰を受け、社会を乱した罪を償い、被害者にある程度許してもらわないと、刑務所を出たあとの残りの人生でそのツケを払うことになる。被害者の怨念が、お前を邪魔するからだ。被害者が望む不幸の形ではなく、お前の忌避する不幸の形が出てくるだろう。
この世界は、罪を犯した者勝ちにはできていない。悪人がはびこるのは、それを超える善が生まれるためである。あらゆる善、あらゆる悪は複雑に絡み合い、一つの物差しではすべてを解決することはできないのだ。だが被害者を救うために、犯罪者は判決と怨念を受けなければならない。それが、精神が受けた傷に等しい賠償というものだ」
「はっ! 精神の傷なんて知ったことかよ! 目に見えないもんを法律で裁けるかっつーの! それと、オレ、神なんて信じてねーから! 脅しなんて効かねーし! これだから宗教は! すぐ不幸になる不幸になるって言って、不安商法しやがって! でたらめ言ってんじゃねーよ、馬ー鹿!」
紫苑は無表情に男を眺めた。
「こういう奴が改心したふりをして、再び社会に放されるのか。こういう奴にはやはり人の目は必要だな。神を知らぬ者の一秒後の犯罪を防ぐのは、人の目だ。そして神は神で、お前の一生をつまずかせる。このことを人々は知るべきだな。なあ、みんな」
次の瞬間、男の周囲が真っ暗になり、目だらけになった。男は縮みあがった。
「なんだこれ!?」
どこへ行っても、何をしても見られていて、目同士で見交わしあわれる。
「見てんじゃねえよ!!」
何もできない、自由が一秒もない。
「オレのこと、何も知らねえくせに!!」
目につかみかかろうとすると、警察に捕まる。男は自分に人として向き合ってくれる人が現れたと直感したが、警察官たちも目だけになっていき、そこでも目に囲まれて、男は呆然とたたずんだ。
そして、ぐうううと縮み、プレーリードッグになった。すると、人々の目が消え、普通に話しかけられていることに気づいた。警察官が肩を叩いている。
「どうしたんだ、酒か? 住所は? 名前言える?」
プレーリードッグになって身を守った男は、
「自分の罪を罪として見つめるようにならない限り、この目たちは消えない」
と、直感した。
「それまでは人間に戻らない。だまされる人間を馬鹿にする自分に戻るから。そして目たちはそんな『人間』を監視してるから」
プレーリードッグは、疲れて丸まった。
「人間でなくなれば、人々の目に捕まることはない。なんてこった。オレは自分の心を変えなければ、人間に戻ると疲れる体になっちまった。これが、神の与えたつまずきか。オレが一番嫌いな形の不幸だ、オレがオレを否定しなければならないんだからな。被害者のあの女が知ることのない、オレだけが背負う不幸だ。ああそうか、オレの不幸を知ったら、あの女、罪悪感で新しい苦しみを起こすのかもしれない。あの女は、一度はオレに惚れたからな。あの女を守るために、神はオレだけにしかわからない不幸を、オレに与えやがったんだな……なんて野郎だ。もう頭ん中疲れた。しばらくプレーリードッグになって休もう」
プレーリードッグは、神社の脇で寝入った。
間髪を容れず、天から二撃目の稲妻が落ちた。陰気をまとった女子高生が立っていた。
鋼鉄将校は紫苑に再び光を放った。
「私の光を訳すのだ!!」
紫苑が女子高生の過去を読み出した。
この女子高生は貧困のため、子供がつくべきではない仕事についていた。
「私は金で買われた貧しい奴隷なの。お金がないことはそんなに罪ですか。私が操り人形になってもいいほど、重大なことですか」
茶色の棒に目と口のついた姿になると、地面から同じ形の茶色の棒を無数に出して大地を埋め尽くした。そして、棒の上に乗らざるを得ない紫苑を、棒で野球のボールのように打って弄ぼうとした。
紫苑は答えた。
「人々が金銭しか価値がないと思うから、奴隷が人外の扱いを受けるのだ」
女子高生の動きが止まった。紫苑は続けた。
「この世のすべての者に長所と短所がある。この短所を他人がカバーしてくれるから、自分はこの長所で他人をカバーしよう、と、自分の弱さを認め、他人をよく知り、他人の長所を認めたとき、拝金主義を滅ぼすことができる。人に対して人外の扱いができなくなる社会になる。そこは金ではなく、人を信じる社会だからだ」
女子高生が大地から突き出た。
「きれいごと言わないで! そんな世界が歴史上いつ実現したの! あんただって、金と力を手に入れたら、きっと私を――」
「真に神を畏れる者は、そんなことはしない!」
「――」
紫苑の強い剣幕におされて、女子高生は黙った。そして、紫苑の言葉を聞いた。
「神を畏れるということと、人を愛することで、人々が多様な長所と短所を認めあう社会にできる。自分の弱点を許せる愛は、それを補ってくれる他人を認める愛になれる。しかし、世界史を見る限り、人間が自分より下の人間を欲しがる悪欲は、おそらく未来も削ることはできないだろう。それを抑えるのは支配層の正しい支配だ。支配層が民の要望に対して、実現できてもできなくても納得のいくように説明をすること、そして国を守るために命を懸けているのを民が見ていること。両者に信頼があれば、民は協力しあい、結束できる。
支配層が不平等な悪政を敷き、または圧政であれば、民は不満のはけ口を求めるであろう。弱者を作り上げ、攻撃して毎日憂さ晴らしをするであろう。悪政・圧政を残したまま社会を救おうとするなら、やはり人々に神を畏れる心の力が必要となるであろう」
女子高生は、ぐうううと縮み、子ネコになった。
「お金がないからって、人でなくなることはないんだよね。私、神様が絶対守ってくれるって、信じる! みんなにも、神様のことがわかるといいなあ……」
紫苑がうなずいた。
「そうだ。すぐに結果を求めるな。一人ひとりが気づいていくのを、自分の神を信じていくのを、私も待っている」
子ネコは、プレーリードッグの隣で寝入った。
天から三撃目の稲妻が落ちた。陰気をまとった大砲つきの球体が宙に浮いていた。
鋼鉄将校の全身が光った。
「私の光を訳すのだ!!」
紫苑の目が大砲球体を読み出した。そのそばから、大砲球体が大きな金色の砲弾を連射してきた。金色の薬きょうが、そのたび派手な音を立てて大地に跳ねる。紫苑は神刀桜と神刀紅葉で弾いていく。大砲球体が叫んだ。
「私は醜い! どうせ私なんて!」
「ブス」と言われ続けた女の子が心を閉ざした姿だった。
「美人がなんでも奪っていく! ずるい! 私の好きになった人を、取るなあー!!」
紫苑は大砲の砲身の中に刀を差しこみ、内部から破壊した。大砲球体の「鎧」がはがれ落ち、中から陰気に包まれたニ十才頃の女性が現れた。紫苑は答えた。
「美人ならなんでも手に入り幸せだと? そんなことはない。美人だろうとそうでなかろうと、不幸は等しく訪れる」
女性は首と肩を振った。
「でも美人ならきっとうまく切り抜けられる!」
「それは世界を知らない人間の幻想だ。美しさが何の役にも立たない世界があることを、お前は知らないのだ。それに、もし美しさで男に選ばれたら、若さを失ったり別の美人が現れたりしたとき、男が自分を捨てるのではないかという恐怖が、常に存在してしまうではないか。自分の性格を選んでくれた男なら、安心できるではないか。外面でなく内面を磨いておかないと、不安が一生つきまとう。男に選んでもらおうと待っているから外見に悩むのだ。男を助けられるように力をつければ、その力で男をつかみ取ることもできるだろう。
女は『美人』に価値はない。価値があったのは女が選ばれるだけの存在だった頃の、昔の話だ。男一人ひとりが何を求めて生きているかで、女一人ひとりの持つ力に輝く価値がある、それは逆もまたしかりで、女が求めているものと男の持つ力が合えば、男にもその女にとっての価値がある」
陰気の女性は揺れている。
「そんな人……だって……みんな美人の子を見てる……」
紫苑は優しい目をした。
「お前はすれ違う男すべてに振り返ってもらいたいだけだ。若いなら、人気者になって、もててみたいと思うものだ。しかし、それだけもてるというのは、最初のうちは快感だが、そのうち苦痛になるぞ。まず、自分の恋愛に邪魔が入る。犯罪者に目をつけられる。様々な男を好きな様々な女に嫌われる。他にもあるが、危ないことがいっぱいだ。その未熟な若さで、かわしきれるのか?」
陰気の女性はいきり立った。
「自慢するな! 人から注目されることがどんなにすごいことか、知らないくせに! 私はいてもいなくてもいい人間として扱われているのに!」
紫苑は怒らなかった。
「私はいなければいいのにと言われてきた。美人と言って褒めたとしても、結局人は、その人の言うこととすることで判断するのだ」
自分よりひどいことを言われていた紫苑のことを知って、陰気の女性は反抗するのはやめた。
「……それが私の知らない世界なの?」
「そうだ。その世界を見つけたとき、お前は夢から醒めるであろう」
陰気の女性は、ぐうううと縮み、子ブタになった。
「大人になれるように、もう少しがんばってみる」
そして、子ネコの隣で寝入った。
天から四撃目の稲妻が落ちた。陰気をまとった笛吹き少年と、同じく陰気をまとった、上体だけで少年の背丈はある、暗い茶色の羊毛を生やした、顔以外人型の羊が現れた。
鋼鉄将校の全身が光った。
「私の光を訳すのだ!!」
紫苑の目が少年と羊を読み出した。少年は笛吹きの羊飼いで、羊は羊王であった。笛吹きの羊飼いの笛に合わせて、羊王が腕力で人々を搾取し、金品を自分の羊毛に隠していく。
そのとき、鋼鉄将校の声がした。
「星方陣に月を入れた印を描く剣舞をしろ!」
紫苑は神刀・桜と紅葉で日星月の紋を描いた。
すると、陰気の羊王とそっくり同じ姿の、黄色と茶色を混ぜた明るい羊王が現れた。明るい羊王は出るなり暗い羊王に突進し、取っ組み合いを始めた。暗い羊王が怒った。
「この世はやった者勝ちだ! 頭のいい権力を持つ人間が、取れるところから取って何が悪い! 他の奴もやってる! オレだけやらないのは馬鹿を見る!」
笛吹き少年が笛を吹くと、社会の支配層がせきたてられた。地位を利用できるうちに私腹を肥やそう、早くしないと他の奴に抜け駆けされてオレの取り分がなくなる、ずるいぞ、オレの縄張りで搾取していいのはオレだけだ。
笛吹き少年は吹きながら歌う。
「早い者勝ちだ、もっと取れ、この世界で生き残れ!」
人々の心に暗い羊毛がむくむくと生えてくる。
明るい羊王は、それを倒そうと暗い羊王に向かっていく。紫苑は歯をぐっと嚙み合わせてから、言葉に力を込めた。
「誰もとがめる者がいないと、人はこうまで堕ちるものか。誰にも怒られない、責任は取らなくていい、なんでもやっていい。書物に出てくる無法者の町だな。それもこれもこの国に王がいないせいだ」
暗い羊王は、びくっと震えた。明るい羊王が押し出した。紫苑が言葉で加勢する。
「汚職者を処刑すらできる潔白の王、畏敬され誰もがあおぎ見る王に、もし見られていたら……お前は今日もそれができるのか」
明るい羊王が、手に力の入らない暗い羊王の角をつかんだ。紫苑が強い気迫を出した。
「この王を命を賭して護りたい、自分を本当に認めてくれるからと、思わないのかっ!! 金と快楽を得るために頭を使ったら、自分の才能が心の奥底で泣くと、気づかないのかっ!! この国に王がいないから、自分の人生を懸けるべき対象が見つからず、お前たちは迷うのだ!! 目を逸らすな!! 結果がこうして出ているではないか!! 言葉でごまかしても、お前たちは国家を潰し、搾取し、守らないではないかっ!! もう隠せないほど、お前たちは育っているではないか!!」
暗い羊王は、「叱る者」が現れたことで身体がすくみ、明るい羊王に角ごと引き倒された。そして引き回された。そのうち明るい羊王と暗い羊王は追いかけあい、やがて紫苑の周りを、円を描くように回り始めた。するといつしか暗い羊王はぐうううと縮んで、一匹の犬になった。かわいらしいフサフサの黒毛の、ボーダー・コリーだ。キャンキャンと鳴いて走り回っている。いつの間にか、明るい羊王と笛吹き少年は消え失せていた。
「えっ? 犬?」
紫苑が一瞬、明るい羊王の姿を探して目を離すと、アイスキャンデーみたいにだらけ、溶けていく。見ると犬の形に回復する。触ると、アイスみたいにちょっとベタついていた。
「あんた、いつも見ててあげないとだめみたいね。しっかりしてるとかわいいんだから、ちゃんと犬のままでいるのよ。私がいなくなったあと、溶けそうになったらみんなの間を駆け回りなさい。みんな見ててくれるから」
犬は、キャンキャンと鳴きながら走り回った。そして、子ブタの隣で寝入った。
天から五撃目の稲妻が落ちた。陰気をまとった、白い包帯を巻いたミイラたちであった。
なぜか鋼鉄将校は、光を出さなかった。
「お前が行きなさい」
そう言われたので、紫苑は神刀桜と神刀紅葉の双剣を大きく一振りすると、剣姫化して白いミイラの群れに突撃していった。
「はあっ! はああっ! やあっ!!」
剣姫の鮮やかな双剣剣舞が、白いミイラを次々に斬り裂いていく。仲間はしばし剣姫の剣技にみとれていた。
そのうち、紫苑より頭二つ分上で、体の幅が二倍の巨体のミイラが現れた。鎧のように鈍く光る白い服を着ている。
どうやら、ミイラのボスのようである。
「行くぞっ!!」
剣姫が高く飛び上がり、ボスミイラの頭に神刀桜を叩きつけた。
ところが、なんとミイラは無傷であった。
「っえ!」
神刀でかすり傷一つつかなかったことに驚きながら、今度は白き炎を這わせた神刀紅葉で斬りつけた。
「ええっ!?」
またもやミイラは無傷であった。しかも、二撃とも不動で、足の一歩も動かさない。
「何者なのだ……! 名乗れ!」
紫苑は、躊躇せず顔の左半分に、目の穴も口の穴もない完全な半月の仮面をかぶった。
「神魔に並ぶ第三の最強、男装舞姫!! 行くぜーッ!!」
男装舞姫が双剣を振りかぶり、ボスミイラに✕(クロス)で斬りつけた。風圧を受けて、仲間たちは顔をかばった。
「それでもだめか……!」
男装舞姫は驚愕して距離を取った。男装の力でもまったく刃が立たず、ガードの体勢を取らせることもできなかった。
「なんという敵だ……!」
男装舞姫が、羊王との戦いのとき鋼鉄将校に教えてもらった、日星月の紋をもう一度使ってみようかと考えたとき、ボスミイラが、手を紫苑の前にかざした。
すると、紫苑の周囲に人々が現れた。みんな、剣姫を見て、
「死ねばいいのにー」
と、笑っている。拒絶されていた昔を思い出して剣姫の心が硬くなったとき、彼らは白いミイラたちに真っ先に殺されていった。そして殺されたあと、彼らは自分たちも白いミイラとなって起き上がった。
はっと気がついたとき、ボスミイラの大きく広げた掌が、紫苑を潰そうと振り下ろされていた。
「お前は一体、何者なのだあっ!!」
絶叫する紫苑にボスミイラの手が触れる寸前で、鋼鉄将校の双剣ディルキータが割って入り、止めていた。
紫苑は呆然とした。
「(こいつの攻撃を受け止めた!?)」
鋼鉄将校が叫んだ。
「がんばれ紫苑! オレは君に生きてほしい!」
ボスミイラが身じろいだ。男装舞姫はその機を逃さず刀を一閃した。傷が入った。
そこからどんどん紫苑の攻撃が入っていき、ボスミイラは斬られながら押されていった。男装舞姫は途中で剣を止めた。
わかったのだ。
「私の最強の敵。お前の名前は『悲しみ』なのだな」
男装の仮面を外し、剣姫に戻る。
人々に拒絶されていたときの紫苑の悲しみが、最強の敵の体だったのだ。
斬れないわけだ。
怒りや憎しみなら断ち切れても、悲しみは斬ることができない。救うことでしか、終われない。
剣姫から戻った紫苑は、両腕を広げた。
「おいで。あなたは私だ。癒してくれるお方を、もう知っているでしょう」
ボスミイラは、白い霧になって、紫苑の心臓に入った。
直後、紫苑は露雩に抱きついた。
しばらく動かない。
泣いていた。
「やっと……お会いできましたね、邪闇綺羅様……!!」
私の『悲しみ』を『受け止められる』のは、たった一人、愛したお方だけ。
「ようやく確信が持てました。藜露雩は、ずっとあなただったのですね」
露雩は五芒星と六芒星を重ね合わせた八角形の星晶睛を見せて、邪闇綺羅として青紫色の目を穏やかに紫苑に向けた。
「邪闇綺羅様……どうして言ってくださらなかったのですか」
涙に濡れた瞳で、紫苑は愛するお方を見上げた。
「この世界の記憶に私の居場所を作るのに時間がかかったのだ。それに、私が邪闇綺羅だと名乗っても、言葉だけで信じられるものではない。だから、私にしかできないことをできる時を待っていた」
紫苑は邪闇綺羅の胸にしがみついた。
「やっと……やっと……!! 長かった……私、がんばったよ……!!」
邪闇綺羅は紫苑の頭を優しくなでて、大切に抱えるように抱き締めた。
「知っている。ありがとう」
紫苑は号泣した。
仲間たちも、この二人が心から愛しあっていることを思い出した。
「……う? でも邪闇綺羅様、露雩のとき、けっこう普通の男子高校生っぽかったですよ」
紫苑は、これまでの様々な場面を思い出した。デートに近いと思うと、顔が柔らかく微笑んでくる。
「私も恋愛に関しては一年生だったということだ。……こんなに心が乱されるものだとは、知らなかった」
少し照れている邪闇綺羅がかわいくて、紫苑はぎゅうっと抱きついた。
「邪闇綺羅様っ! じゃ、今日このあと本当のデートを……」
「悪いが後にしてくれ」
阿修羅と「シロ」だった白狼が現れた。四神五柱も揃っている。
「お前たち、起きろ」
白狼に呼ばれて、黒魔が白魔として変化したプレーリードッグ、子ネコ、子ブタ、犬が目を覚ました。
「あ、王様だー!!」
紫苑の周りを無邪気に駆け回っている。
「王様?」
双子のもう一方の星で王だった紫苑は、聞き返した。
四匹は口々に鳴いた。
「あなたは黒魔の王様だよ!」
「黒魔の王様!?」
紫苑は、黒魔に優しくした覚えがないので、こんなに慕われるのは、自分にまだ強力な悪の心が残っているということだろうかと、疑った。
「あなたは、わたしたちにいつも言葉をくれて、助けてくれた! 逃げないし、見捨てないし、見ないふりもしなかった! だから王様なの!」
白魔になった黒魔たちの、安らぐ温かい気持ちが、声ににじみ出ていた。
「そう……、あなたたちが助かって、本当によかった」
紫苑はプレーリードッグと子ネコと子ブタと犬をなでた。四匹は体をよじって甘えた。
阿修羅が邪闇綺羅の隣に立った。
「この世界には、この星の命が経験した疑いと憎しみによってできた黒魔の集合体、バジ=イラデアがいる。バジ=イラデアはずっと、自分に言葉をかけて救ってくれる王を、待っていた。救われなければ、自分はこの星を崩壊させる力になることがわかっていたからだ。バジ=イラデアは、随分待った。だが、王は現れなかった。バジ=イラデアは世界を救うために仕方なく、自身の体の一部である黒魔を世界に放ち、王の代わりに人間たちに、黒魔に言葉をかけてもらおうと考えた。そして、人間たちの手で黒魔を救って白魔にし、陰気を解消してもらおうとした。
しかし、皆は黒魔を救わず逆に力を利用しようとして体を乗っ取られたり、そんな人を遠巻きにして関わりを避けたりして、言葉を出してくれなかった。
このままではバジ=イラデアは救われず、星を陰気で崩壊させてしまう。
この世界の王、赤ノ宮九字紫苑、お前はすべての黒魔から逃げずに、お前の答えを出した。だからお前は皆から信用される。お前ならきっと、バジ=イラデアの前に立てる。今すぐ皆でバジ=イラデアのもとに行こう。皆を救うのだ!」
紫苑は一つ気になることがあった。
「私は、邪闇綺羅様のお光を訳しただけですが」
「それはお前が問われたとき答える言葉だったのだ。私の光は、それがすべて出るよう手助けしただけだ」
邪闇綺羅が優しく微笑んだ。白狼が四匹と紫苑に告げた。
「これから黒魔五名で黒魔星方陣を作れ。それでバジ=イラデアの城に行ける。……紫苑、お前は五人目だ。五人目の黒魔はお前の『悲しみ』だったからだ」
「はい」
紫苑、プレーリードッグ、子ネコ、子ブタ、犬は、五方向に立った。邪闇綺羅が黒魔星方陣の祝詞を唱えた。
「世界にさまよう疑いと憎しみ、我王なればその命に光を当てる。この手を取るのだ、疑うな、何を憎むのか、我王なれば汝の時の狭間をこじあけむ。光を浴びよ、起て!! バジラデア!!」
黒五芒星が地面に広がり、光が天に突き刺さった。その黒五芒星がゆっくりと下がると、それに引かれるように天から、大きい円盤から次第に小さい円盤がついていく、円状階段ピラミッドが、逆さになって降りてきた。
「あれがバジ=イラデアが自らを抑えている居場所、王尖祭昇舞台殿だ」
邪闇綺羅が紫苑のそばに立った。そしてはっきりと言った。
「紫苑。この戦いが終わったら、結婚しよう。神と人として、きちんと結婚しよう」
「……はい!」
紫苑は涙をこらえて、それしか言えなかった。
黒魔星方陣の光は、一同を王尖祭昇舞台殿の内部へ引き上げた。




