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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第四部 鋼鉄(メタル)将校(オフィサー) 第一章(通算二十七章) 鋼鉄(メタル)将校(オフィサー)
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鋼鉄(メタル)将校(オフィサー)第一章「十六才」

登場人物

赤ノ宮九字紫苑あかのみやくじ・しおん。双子のもう一つの星を救って、神々のいる星に戻って来た。

出雲いずも霄瀾しょうらん空竜くりゅう閼嵐あらん麻沚芭ましば氷雨ひさめ。かつての仲間が、かつての記憶がないまま、そろっている。

あかざ露雩ろう。邪闇綺羅(人間の発音で「じゃきら」、神の発音で「じゃぎら」)とそっくりな姿をしている。


現代を舞台にして戦います。第四部完結巻です。




第一章  十六才



 ――なぜなのだ?

 双子の一方の星を救ってから、新しくまわっていく星に戻ってきた、神魔に並ぶ第三の最強・赤ノ宮九字紫苑あかのみやくじ・しおんは、重い足取りで、周囲に目を光らせながら歩いていた。

 白いシャツに紺色のブレザー、エメラルド色のリボン。紺地に白と水色のチェックのスカート。

 それは、紫苑がこれから向かう私立しりつ海原うみはら高校の、女子生徒の制服であった。

「(この私が、スカートをはくはめに陥るとは……! とても戦いにくいではないか!)」

 紫苑は、水色の上から紺色の下までのグラデーションのかかった学校指定のバッグを、左肩でぐぬっとつかんだ。もちろん右手は刀を使うために、けているのだ。

 紫苑は、すべての記憶を持っていた。

 双子の向こうの星での戦いを終え、麒麟きりん神に乗ってこの世界に入った。ところがそこで、紫苑は真っ暗な空間に取り残された。そのうちに光る映像が向かってきて、「新しい世界」の常識と、紫苑がこの世界に生まれて十六才になる年に入るまで暮らした「物語」を叩きこまれた。

 まず、自分は九字くじ神社の宮司の父・万玻水よろはみと予言者の母・璃千瑠りちると暮らしている。父は母にメロメロで、まあ仲がいいのはいいことだと、どこかほっとした。出雲いずも一式いっしき出雲いずもという名で、大学教授の父・央待おうまちと、主婦の母・行陽ゆくひと、大学三年生の兄・勇木ゆうきと一緒に、紫苑の家の左隣の家に暮らしている。霧府きりふ麻沚芭ましばは、動物園を表向きにした戦闘動物を飼育している施設で、霧府流忍術を磨いている。父・雅流選がるえらが施設長で、母・那優佳なゆかはハーブ園と偽った毒草園を世話し、兄・飛滝ひだきは大学一年生である。紫苑の家の右隣の家に暮らしている。

 映像を見て気づいたことだが、紫苑が自分の部屋の両側の窓を開けると、出雲と麻沚芭の部屋の窓と向かい合わせになっており、挨拶ができる……。

 霄瀾しょうらんあかざ霄瀾しょうらんとして、祖父の降鶴ふるつると暮らしている。空竜くりゅう六薙ろくなぎ神社の宮司の父・六薙ろくなぎ火竜かりゅうと、主婦の母・喜梅きうめと三人で暮らしている。「外国人」の閼伽あか閼嵐あらんは、姉の閼水あみ・そして「妹」の氷雨ひさめと、三人でアパートを借りて暮らしている。閼嵐は映画監督になるのが夢で、各国で学ぶ最中に、この国ではアニメの勉強をするために大学に通っている。

 全員が友達で、その仲を取り持ったのは氷雨である。映像の終わりに、氷雨が紫苑に語りかけた。

「私は一度も死んでいない。紫苑とかつての過去の記憶を共有している。しかし、今のところ、過去のことを現在で語ることは禁止されているらしく、口にできない。私は何度も皆に昔の戦いを伝えようとしたが、うまく口が開かなかった。私はお前によってこの壁が破られるのを待つ。私はいつでもお前の支えになろう。この時代でしなければならないことを、共に探そう」

 そして映像は終わった。

 次に光が目の前に現れたとき、紫苑は自分の部屋のベッドで目を開けていた。

 フタ付きの木の机、キャスター付きのイス、シャープペンシル、パソコン、ステレオ、異文化の衣装の数々……。紫苑の学んだ「常識」は、それらの使い方を受け入れていた。

「今日は入学式の日だ」

 パジャマを脱いで制服に着替えながら、高校への道順を思い出す。

 朝食の、ごはんと豆腐のお味噌汁とわかめの酢の物を食べながら、紫苑は父と母がスーツでビシッと決めているのを見た。

 母は、目の切れ味のさっぱりした美人であった。紫苑は母に似たのだ。

「ほらあなた、スーツにほこりがついてるわ」

璃千瑠りちるー取って取ってー」

 父はかつての都で見た威厳はなく、妻にベタ惚れである。

「(……普通に暮らしていたら、こんな感じだったのか)」

 紫苑は安心して、朝ごはんをたいらげた。

 親子三人は、揃って玄関を出た。

 見慣れない形状の家々が、当然のごとく建ち並んでいる。紫苑は、戦いやすい地面かどうか、靴の先でコツコツと道路のコンクリートを叩いた。

 紫苑が左隣の出雲の部屋を見上げると、犬のゴールデンレトリバーくらい大きい猫が、「ニャカ」と言ったような口を開けた。「にゃかすけ」という名で、やたら大きい。近所からは獅子ししねこと呼ばれている。

 過去で精霊王出雲の帰りをずっと待っていたにゃかすけに、そっくりだった。

 紫苑が右隣の麻沚芭の部屋を見上げると、鷹の左京さきょうが翼を広げて閉じた。こちらも体長が人間の上体ほどあって、翼も広く、大きい。

「(主人のもとに、駆けてきたのかな)」

 紫苑が温かい目で見ていると、万玻水が騒ぎだした。

「紫苑……! 出雲君と麻沚芭君は一緒には行かないぞ! 大事な娘の晴れ姿だ、邪魔されてたまるか……お父さんとの時間を!」

 璃千瑠が呆れて笑った。

「まったく、嘘がつけないんだから……。ま、娘が一人でいるのも今のうちよ。たくさんかわいがっておきなさい」

「ん? どういう意味だ? 予言者のお前が言うと、なんか深い意味がありそうな」

「そんなものありません。紫苑は私に似た美人なんだから、周りの男が放っとくわけないでしょってこと」

「えええー!? りり璃千瑠、どのくらいもてたんだ!?」

「あら、それ娘のために聞くの? それとも私のことが気になるから聞くの?」

「璃千瑠ー!」

 万事、こんな調子で、三人は私立海原高校に到着した。校門の前に、大きく「入学式」と書かれた看板が、たてかけてある。

 体育館に向かう途中、桜が満開に咲いているのを見つけた。

「お父さん、お母さん、先に行ってて。私、ちょっと桜を見てから行くから」

 二人は歩みを止めた。

「桜と一緒に写真撮ってやろうか。満開できれいだもんな」

 万玻水がカメラを取り出すのを、璃千瑠が制した。

「私たちは先に席を取りましょう。前の方に座らないと、入学式の写真もビデオも他の人の頭だらけになるわよ」

「おっ、それもそうだな! よし紫苑、じゃあ後でな!」

 両親は先に行った。

 紫苑は、桜の続く道を歩いて、体育館の裏手の、人気ひとけのない場所に出た。

 桜が、惜しみなく咲き誇っていた。

 この世界は、喜びでいっぱいだと歌っているようであった。

 こんなに桜が満ちているのに。

邪闇綺羅じゃきら様だけ、いない」

 口からこぼれると、涙もこぼれた。

 この世界の映像に、邪闇綺羅の存在だけがなかった。

「――私、がんばったのになあ……」

 邪闇綺羅に託された世界で、十の邪神を倒し、十の星方陣を成して、星を救って帰って来たのに。

「――まだ、眠りについていらっしゃるのかなあ……」

 涙が止まらない。大粒の涙があとからあとから落ちてくる。

「会いたい……会いたいよお……!!」

 そのとき、確かに星羅せいらの声がした。

『神と人とは愛せぬ運命さだめ

 紫苑が心臓をえぐられるように身を震わせたとき、背後で声がした。

「こんにちは」

 剣姫が後ろを取られた! 鋭い目つきで素早く足をさばいて振り返ったとき、涙に濡れた目に大きく光が入った。

 長身の男が立っていた。夜に月の光がたつように黒くつややかな髪、青龍せいりゅうのように猛々しくも優雅さを秘めた眉、陰陽の陰のように暗くどこまでも深き黒い瞳、白虎びゃっこのように千里を駆けすべてを見透かすと思える引き締められた目、玄武げんぶの蛇が神通力を這わせるときであるかのように高くすっと通った鼻筋、朱雀すざくの炎を放つ翼のように、赤みのさした形のよい口唇。そして白い狼のように真っ白に美しく彩られた歯と肌。太陽の豪放な光と月の静寂な光と星の燃える光を混ぜ合わせた力が匂い立つようだった。その声は、麒麟きりんが、神の歌を歌うときの喜びを呼ぶ声のようだった。紺色のブレザーとズボンの制服で、ここの生徒のようだ。だが、紫苑は一瞬でわかった。

「邪闇綺羅様!!」

 紫苑は一瞬で剣姫化が解けた。しかし。

「こんにちは! オレ、あかざ露雩ろうっていいます。あなたはなんというお名前ですか?」

 相手はにこにこしながら、邪闇綺羅と名乗らなかった。紫苑は戸惑って瞳が揺れた。

「邪闇綺羅様……お戯れを……」

「ジャキラ? って何?」

 紫苑は混乱した。目の前の男性は何らかの事情のある邪闇綺羅なのか? それとも地上にそっくりな人物が現れてしまったということなのか? 露雩という名前も、邪闇綺羅と無関係ではないように思える。

「わ……私の名前は、赤ノ宮九字紫苑あかのみやくじ・しおんです」

 紫苑は自己紹介してみた。相手の反応をうかがう。

 露雩は、変わらずにこにこしたままだった。

「ふうん、赤ノ宮九字さんか。これから仲良くしていいですか?」

「(私のこと、何一つ知らないの!?)」

 紫苑が刀で斬りつけられたような衝撃を受けていると、遠くでうかがっていたらしい女子生徒たちが、「キャー」とショックの悲鳴を上げていた。

あかざ先輩が、女の子にあんなこと言うなんて!」

 と、駆けていく。それと入れ違いに、出雲と麻沚芭がやって来た。

「おじさんとおばさんの話だと、桜を見てるらしいな」

「出雲、お前帰れよ。入学式はオレと紫苑で出とくから」

「入学式で帰れるわけねえだろ……」

 そして、紫苑と一緒にいる美貌の露雩を見て、「ギャー」と叫んだ。

「シシシ紫苑! その男は何だ!?」

「オレたちと同じ制服……お前も新入生か!?」

 二人はどこか戦闘態勢に入っている。

「……」

 何か言いたそうに、露雩が紫苑に振り返った。紫苑はなぜかその場で、二人にもう一度スパッと言った。

「あのね。幼稚園のときから言ってるでしょう。私について来たいなら、私に恋をするなって」

「「うぼー!!」」

 二人が悲しみで苦しんでいる。おさなみの二人は、小さい頃から紫苑の取り合いをしていた。紫苑は邪闇綺羅以外愛さないので、二人が早く新しい道を見つけられるように、「かなり初期の段階で」振ったのだった。

「……」

 露雩がどこかほっとしたような、ほころんだ顔をした。

「オレ、ねんシーぐみだから。今日は行事委員として入学式に出席するんだ。これからよろしくね」

 露雩は去っていった。紫苑はただただ見送るばかりであった。

 それを璃千瑠に席を取ってもらっている万玻水がこっそり見ていて、ぐぬぬと露雩に握り拳をした。


 入学式から二週間が過ぎた。紫苑は出雲と麻沚芭と同じクラスになった。部活に入ったり委員になったりするのは、やめておいた。この時代の勉強に慣れる必要があったからである。出雲はバンド部に入り、麻沚芭は風紀委員になった。特に麻沚芭は、同じ高校で同じく風紀委員の、二年生の空竜にこき使われている。どこか双子の星のハヂビス姫とツクギ王の姉弟のようで楽しい。

 放課後、大半の生徒が様々な活動を楽しむ中、紫苑は数学の補習を受けていた。そして宿題を出されて解放された後も、教室に残って解いていた。わからないとき、教師にすぐに聞きに行けるからである。

「くっ……ぬかったわ。今まで数学に強くなくてもやってこれたから……」

 神魔に並ぶ第三の最強も、かたしである。

 苦戦していると、誰かが前の扉から入ってきた。女子生徒がキャーと黄色い悲鳴を上げている。なんだ有名人かしら? と、思い紫苑が顔を上げると、あかざ露雩がにこにこしながら紫苑の机の前で見下ろしていた。

「あ……藜……先輩」

 露雩、と言いそうになって、口の中で慌ててブレーキを踏んだ。入学式早々露雩が紫苑に話しかけたことは、噂としてかなりの女子生徒に広まっていた。隠れファンクラブもあるらしく、紫苑は校内で少なからぬ数の殺気を受けたことがある。邪闇綺羅かどうかわからないし、自分から動くことはないと思っていたのだが。

 露雩は両手で自分の二の腕をつかみ、紫苑の机につけると、しゃがんだ。

「ここ、オレの席」

 女子生徒がまたキャーと言っている。紫苑はいろいろ平静に努めた。

「先輩も『あかざ』ですから、あいうえお順で出席番号が一番なんですね?」

「うん。しょうがないから隣に座る」

 露雩は勝手に、紫苑の左隣の柿枝かきえだ君の席に座った。

「(な……なにがしたいの)」

 動悸がしながら、紫苑は数学の問題に専念した。気にしちゃいけない、気にしちゃいけない……

「ふーん。その問題やってるんだ」

 露雩が露雩の匂いをふんわりと紫苑にかがせながら、数学の問題をのぞきこんできた。

「(気にしちゃいけなーい!!)……冷やかしならよそでどうぞ。気が散るので」

 自分を冷却するためにわざとあっさり言うと、露雩もあっさり言った。

「オレもう解いちゃった」

「ええっ!?」

 すごい、頭いい、あ、でも一年先輩だし、できるの当たり前なのかな? でもできないまま進級する人もいるだろうし……。でもでも聞いちゃだめ、深く関わっては……。

 露雩は引き続き問題とにらめっこする紫苑のきれいな髪を、指で巻き始めた。

「ねーまだ終わらないのー? 早くしないと君の髪全部カールになっちゃうよ」

「な、何してんの!? 露雩……先輩がやめればいいでしょ!? わかんない人をせかさないでください! 泣きたくなるから!」

 露雩は真っ赤になった紫苑を見てフフ、と鼻を吹いて、顔を近づけて問題文を指差した。

「この問題はここにヒントがあるんだ……」

 二人の前髪が触れあうほど近い。紫苑は接近されすぎて、思考の展開が崩壊し、露雩が解説している一語も頭の中に入ってこなかった。

「……だからこうなる。わかった?」

 優しく教えてくれたのはわかった。だが、

「わかりません!! ごめん!!」

 と、自分を現実に引き戻すために紫苑は力一杯叫んだ。

 そのとき、麻沚芭が半泣きで風紀委員の腕章をつけた左腕を大きく振りまくった。

「こっこいつ! 紫苑の風紀を乱す悪党め! タイホだー!」

 後ろに空竜もいる。一波乱ありそうな予感がしたとき、意外にも空竜は冷静に麻沚芭を捕まえた。

「誰が誰を好きでもいいじゃないの。いちいち騒がないの」

 あれ? 紫苑は首をかしげた。てっきり今回も、空竜は露雩を好きになっていると思っていたのだが……。

 空竜は紫苑に、にっこり笑って手を振った。

「じゃーねー。ごゆっくりー」

 麻沚芭は引きずられていった。

「……もう静かに勉強できない。帰る」

 紫苑が帰り支度をするのを、露雩は黙って見守っていた。

「そういえば、何かご用ですか?」

「今日一緒に帰ろうよ」

「キャー!」

 女子生徒が騒いだが、紫苑も心の中でそう叫んだ。

「そそそそそそそそ」

 それはどういう意味ですかと聞きたい聞いてはいけないとせめぎあう紫苑の右手をつかんで、露雩は学校を出た。

「どこに住んでるの? 送るよ」

「そそそそそそそそ」

 紫苑が混乱していると、道の途中の公園から、異様な陰気が流れて来た。

 紫苑は一瞬で目に鋭さが戻ると、露雩を先に帰らせようと見上げた。すると、驚いたことに、露雩も陰気のある方を鋭く見つめていた。

「(露雩みたい……)」

 紫苑が過去を思い出していると、露雩は右手から全方位に波動を出した。すると、辺りの時間が止まった。噴水の水の流れも、子供の遊ぶ声も、車も皆、固められたように動かない。

「えっ!? 露雩!?」

 白銀のひたいあてに龍の角のような逆立つものがついている。同じく白銀の翼のような肩当て、星と月のブローチ、白いマント、白い衣服。腰に“✕(バツ)”印に双剣を差している。邪闇綺羅の、神の双剣ディルキータと同じ形だ。動くたび、肩の白銀が翼のようにひらめき、オルゴールのような高く美しい音を奏でる。

 こうしょうとうの衣装でも邪闇綺羅の衣装でもない。

「え……誰」

「私の名は鋼鉄メタル将校オフィサー。陰の気に出会う者だ。あそこを見ろ」

 鋼鉄将校・露雩の指差した先に、十二才くらいの男の子が、黒い影に覆われて立っていた。手には何か紙が握られている。

 露雩が何者なのかということより、紫苑は一瞬で剣姫になった。

「あの陰気のいわれは何ですか。斬るのですか」

 剣姫が、陰陽師の術で時計のバンドの下に隠していたひもを引き抜いた。一瞬で、神刀桜と神刀紅葉になった。

 男の子はそれを見て、紫苑に向かってふらふらと歩み寄ってきた。

「ほう……貴様この剣姫が欲しいのか。どのような相手でも私に近づく者は瞬殺するぞ」

 そう笑った紫苑は、ぞっとするほど色気のある目をしていた。魔性の者でさえ従いかねないような――。

「あれは黒魔こくまだ。この世界の苦しみだ。斬るな」

 鋼鉄将校が説明した。

「斬るなって? しかしこの陰気はいずれ災いのもとに……どうするの?」

 剣姫が振り返ったとき、鋼鉄将校が双剣ディルキータで円を描いた。鋼鉄将校の全身から光が放たれ、その光を両眼に浴びたとき、紫苑はそれが文字に変換されていく不思議な感覚を得た。

「私の光を訳すのだ!!」

 鋼鉄将校の声を背に、紫苑は陰気の黒魔を見つめた。

「黒魔、まず名乗れ。名前は他人に自分の人生や性格、能力を教える大事なものだ。『肉屋』や『魚屋』のように、自分の売り物を教える看板だ。自分を一番要約して表しているのだ。お前の名はなんだ」

 黒魔の男の子は答えた。

「僕は“復讐者”」

 紫苑の目は、男の子の過去を読み出した。

 いじめられて苦しんでいた男の子は、ある日道でまっさらなカルテを拾った。うっぷん晴らしにいじめっ子の氏名と病名を書くと、目も鼻も口もない真っ黒な影の黒魔が現れて、印をつけた。ちなみに、この黒魔は、双子のもう一方の星で阿修羅が対峙した黒魔と同じ姿である。すると、いじめっ子はその病名の通りに病気にかかって、呪われた。すぐに殺すことはできないが、永久に苦しむことになる。黒魔は喜んでいる男の子に誓わせた。「一生他人と関わらないこと」を。いじめられて復讐に燃えていた男の子は、誓ってしまった。すると、今までいじめっ子だけ病気にしていればいい気味だと思っていたのに、助けてくれなかった先生やクラスメート、その親たち、他の先生、校長……と、どんどん復讐したくなって、本当に次々と病気にしてしまった。今、自分を助けられなかった両親さえもカルテに書きこみたい欲が生まれ、家でだけは守って安らぎをくれた両親にそんなことをしたくなくて、苦しくて苦しくてどうしようもない。

 紫苑は答えた。

「何かを為したいとき、何の理由もなく与えられた力に頼ってはいけない。努力なく何かが得られると思ってはいけない。そういう力は、必ず努力以外の何かを消費する。この世に楽に何かができることなど、一つもない。お前がもし、一人で立とうという意志を持ったら、お前が滝に落ちる最後の一歩まで立ち向かうことをやめないなら、神は見捨てることはない。必ず最後の一歩を救う。神は神の力で人を救うことより、人に強く成長してほしいのだ。だから自分の限界を超えようと頭も体も心も燃やす者を、神は最も加護を与えるぞ」

 男の子は、不安の息をついた。

「僕……間に合う?」

 そのとき、鋼鉄将校が男の子に近寄り、カルテの黒魔の印に線をつけ足した。とたんに男の子の陰気が荒れ狂い、暗黒の煙になると、白い煙になった。鋼鉄将校はカルテを、手から出した炎で燃やした。

「黒魔は浄化されたよ。黒魔の印の図形に線を入れて、聖なる図形に変えたから」

「ありがとう!!」

 男の子は影が失せ、普通の人間の色になった。もう理由のない力に手を伸ばすこともないだろう。だが。

 男の子は、四方から飛んでくる影に襲われ、それを吸いこんだ。そして全身の痛みに苦しみだした。それは病気にされた者たちの、怨念だった。彼らの苦しみの分だけ苦しまなければ、怨念は解けない。

 人を呪えば、たとえそこにどんな理由があろうとも、何の理由も通らないのだ。

 一方、白い煙はむくむくと動き、白い水滴の形の精霊のようになった。紫苑に笑った。

「わたし、白魔はくま! 黒魔としてのわたしを救ってくれて、ありがとう!」

 そして、世界の一部として去っていった。

「こ……これは一体……あっ!!」

 なんと、紫苑の神刀・桜と紅葉が、一箇所ずつ刃こぼれを起こした。

「何も斬っていないのに……!? いや、何かを斬ったのか? それとも……」

 紫苑は思わず鋼鉄将校を挑むように見た。

 この者の光を、神刀の双剣が浴びたからなのか――?

 鋼鉄将校が微笑んだ。

「これから、黒魔を救って白魔に変えて、この星を救おう。黒魔をこのままにしては世界が大変なことになる」

 これがこの世界で成すべきことなのか? 使命ならいくらでも受ける。だが……

「あなたは、誰?」

 紫苑はおそるおそる尋ねた。

鋼鉄メタル将校オフィサー

 邪闇綺羅とは、答えない。

「星のぶつかりあいでできたこの世界を、一つも見落としてはいけない」

 鋼鉄将校は制服姿の露雩に戻ると、時間の流れを元に戻した。噴水が噴き出し、子供が笑い、公園の脇を車が通り過ぎていく。

 露雩は紫苑を家まで送る間に、黒魔のことを説明した。

「人の空虚な満たされない心に、黒魔は居場所を見つける。不満で満たされないものが多ければ多いほど、心の空虚は大きくなり、黒魔もそれを占有して大きくなっていく。そして悪徳の満足を教えるようになる。悪徳の満足で黒魔は栄養をもらい、今度はその者の体まで侵食し始める。そうしてついには完全に乗っ取ってしまう」

「この世界でそんなことが――」

「一緒に戦ってくれないか」

 紫苑は露雩を見上げた。露雩は、今度は笑っていなかった。

「――なぜ私にこの話を?」

「君が一番輝いていたから」

「何が?」

「うん、全部」

 その答えは謎すぎる。

 力がありそうだから接近してきただけなのか、純粋に私が美人だから接近してきてくれたのかと疑い始めた心は、この謎でうやむやになってしまった。

「……わかったわ。あなたは知らないだろうけど、私、けっこう腕が立つのよ。この星を救うために、共に戦いましょう」

 紫苑は右手を差し出した。露雩はその手と握手した。

 それを、高層ビルの上から阿修羅神が見下ろしていた。自分の『乾坤けんこんしょかげ』を開いている。

運命さだめの時は近い……頼んだぞ紫苑!」


 紫苑の家に近づいたとき、交差点で再び露雩は右手から全方位に波動を出し、時間を止めた。それを受けて、紫苑も神刀桜と紅葉を構えた。

 交差点の真ん中で、道行く人にナイフで斬りつけている、陰気の黒い影があった。しかし、時間が止まるとすべてに干渉できなくなるらしく、人々は傷つかなかった。

「何をしているお前!」

 紫苑が叫ぶと、陰気に覆われた男は振り向いた。ぼうっと立っている。

 鋼鉄メタル将校オフィサーになった露雩が双剣ディルキータで円を描いた。鋼鉄将校の全身から光が放たれ、紫苑はその光を両眼に浴びた。

「私の光を訳すのだ!!」

 紫苑の目が陰気の男の過去を読み出した。

 この男は、同じ種だけ繁栄すると、多くなりすぎてその種は滅んでしまうと、あるときふと強く考えた。植物を育てているときだった。密集しすぎて葉に光も当たらず、若い木が育たずに老いた木ばかりが生き残ったので、種の保存の法則に外れていると考えた。なんでも、増えすぎたものは間引かなければならない。それが世界を守る自然の法則だと考えて、増えすぎた人類を粛清し、自然が自浄できる数まで星の状態を戻そうとした。つまり、人類を間引きするのだ。老若男女問わず、生きてる間に何も変えられそうにない者たちを殺していくつもりで、たった今ナイフを持ってここに来たが、未だ一人も殺せていない。オレの邪魔をするな。

 鋼鉄将校の光を訳す紫苑が怒った。

「この世に何も変えられない者などいない! 人は皆互いの心を育てあいながら生きていくのだ! お前の物差しで何がわかるというのか! すべてを知ることもできない者が、自分の知らないことを知っている他者を劣等と見なす権利がどこにある! 人が人を完全に裁けると思うのか! この身の程を知らないおごり高ぶる者め、お前こそその分を超えた傲慢を神に罰せられるがいい! この世にすべてを知り抜く人間などいないのだ! そして人間は何歳でも何かを変える力を持っているのだ! なぜそれを知ろうとしない!!」

 陰気の男が叫び返した。

「オレはこの星のために何かしたかったんだ! 増えすぎた人間をどうするか、なぜ誰も議論しようとしないんだ! 人権って何だ、人権はこの星の命よりも偉いのか! この星を食い尽くす前に、オレたちは人間の罪を償うんだ! そしてこの星を救うんだ!!」

 しかし紫苑は即座に返した。

「人が増えればそれだけ様々な考えが生まれる! そこから必ず解決策が複数生まれる! だから世界は一つの思想で覆われてはいけないのだ! 精神の多様性がなければ、それこそその種は生き残れないのだ! 同じ種が増えすぎれば、確かに融通のかない画一的な弱い種として滅びるだろう、だが『お前が消してもいいと思っている集団』も含めて、精神や種がいくつにも分かれていれば、生き残る確率が高くなるし、人間は言葉を持っているのだから、助けあう理論も生まれるはずだ。人間は精神を多様化して、その可能性にこそ賭けるべきなのだ。だからこの世に何も変えられない者などいないのだ! 無駄に生きている者などいないのだ!」

 陰気の男は悩み始めた。もしそれが本当なら、自分は無駄なことをしているのではなかろうか。しかし、もしそれを認めたら、人間を信じなかった罪の重さに耐えかねて、自分を間引いてしまいそうで恐い。

 それを読んで、紫苑は答えた。

「そこまで思うなら、お前はもう世界のために役に立って死ぬ覚悟もできるはずだ。自分の幸せを殺して他人の幸せのために生きる覚悟を。命ではなく代わりに自分の幸せを間引くことで、自分を許せるのだと気づけるだろう。お前はまだ一人も殺していない。もし自分の幸せを間引いて人から感謝されたら、幸せをもう一度求めてもいいだろう」

 それを聞いて、男の陰気が荒れ狂い、黒い煙になると、白い煙に浄化された。そして、白い水滴の形の、白魔はくまになった。

「あのね、“間引き”の黒魔こくまだったわたしを救ってくれて、ありがとう!」

 鋼鉄メタル将校オフィサーが手をかざした。

「この星の一部になって、世界と一緒に美しくなっていきなさい」

 白魔は世界の一部として去っていった。

 鋼鉄将校は時間を元に戻した。男は、交差点の真ん中に倒れていて、人々に救急車を呼ばれていた。

「驚いたな。急に黒魔が活性化したみたいだ。一日に二体も現れるなんて」

「そうなの? ……」

 紫苑は、また一箇所ずつ刃こぼれした神刀桜と紅葉を見て、心中穏やかではいられない。

「赤ノ宮九字さんは、黒魔がどうしても誘惑したい少女なんだね」

 紫苑は、男の子を思い出して吹きだした。

「私が美人だからかしら」

 紫苑にしては珍しい冗談を言ったが、露雩は笑わなかった。

「心がきれいだから、手に入れたいのかもね。純粋な心は純度の高い悪の心と表裏一体だから」

「(剣姫のときのことを見透かされているようだわ)私の心が誰よりも強い悪の心を持ってるからかもしれないわよ」

「そのときは最後に君を救うよ」

「……うん」

 まるで邪闇綺羅様のようなことを言うので、紫苑は驚きを隠さず返事をした。


 紫苑の家の前に着いた。淡いベージュの壁に黒い屋根の、ほぼ直方体の家である。

「ふーん。ここが紫苑の家かあ。落ち着いた感じがするね」

 露雩がにこにこと見上げている。

「(しっかり家まで案内してしまったわ……。これって、二人で並んで歩いてきたし、高校生のデートみたい……。邪闇綺羅様といたら、こんな感じだったのかな……)」

 と、紫苑はちらちら露雩を見上げている。

「紫苑の部屋はどこなの?」

「えっ? うーんと、二階の表側の、はじからはじまで……」

「ふーん……なんか両隣の家の窓と近いね。誰と誰が住んでるの?」

「……出雲と麻沚芭」

 明らかに露雩が固まった。

「……」

「……」

 この沈黙は何。

「……今度、どのくらい近いか、見に行っていい?」

「えっ?」

 重大な質問だ。邪闇綺羅でないなら答えはわかりきっている。しかし、紫苑はなぜか答えられなかった。

「……」

 頭の中では、既に出雲と麻沚芭が「なんで拒否しないんだよ」と騒いでいる。

「(だって、露雩に冷たくしたら、露雩が他の女の子を彼女にしちゃうかもしれないじゃない! 邪闇綺羅様にそっくりなのに、そんなの絶対イヤ!)」

 露雩が真面目な顔になった。

「なんで何も言ってくれないの? もしかしてオレ……迷惑?」

「違うわよ!」

 即答した。

「あなたのことで頭がいっぱいで、返事できなかったの! ……あ」

 露雩は顔を輝かせていた。紫苑はあたふたした。

「(しまったあ! 焦ってつい本当のことを!)」

「嬉しいなあ! 君はオレのことで頭がいっぱ」

「うをー! 言わなくていー!!」

 家の前で母に聞かれたらと思い、紫苑は露雩の両肩をつかんだ。

「何考えてくれてたの? 知りたいな」

「う……うう……そ、それは……! こ、今度時間があったら私の部屋に入れてあげるっ!」

「今時間あるじゃん」

「今はナイのっ!」

 真っ赤になっている紫苑に両肩をつかまれている感触を確かめながら、露雩は微笑んだ。

「今日もオレのこと好きなんだ」


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