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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第三部 黄昏の公転 第二章(通算二十六章) 双子の星
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双子の星第二章「王位の証」

登場人物

赤ノ宮九字紫苑あかのみやくじ・しおん。双剣士であり陰陽師でもある、杖の神器・光輪こうりんしずくを持つ、「土気」を司る麒麟きりん神に認められし者。阿修羅あじゅら神が救いの道を示したあとの元の星に、邪闇綺羅じゃぎら神の力で戻ってきた。十の星方陣を成して星を救うために、戦う。

パヘト。以前竜の国で出会った小竜のパへとで、星の意思を守る存在に変わった。紫苑がこの星で存分に戦えるように支える。

ナバニア。海船かいせん民族の青年。閼嵐あらんにそっくりな姿をしている。

カイナ。戦馬せんば民族の女武人。氷雨ひさめにそっくりな姿をしている。

ショウラン。旅する演奏団にいた、戦馬せんば民族の子供。霄瀾しょうらんにそっくりな姿をしている。

ツクギ。牧農ぼくのう民族の王。麻沚芭ましばにそっくりな姿をしている。

ラカヤ。仙雲せんうん民族の王。出雲いずもにそっくりな姿をしている。

ハヂビス。ツクギの姉。




第二章  王位の証



 ツクギの国の西端の町、サリアに着いた。

「この町のセリセリテアという名の賢者に、姉上は会っていらっしゃるはずだ。洞窟へ行ってみよう」

 ツクギが一行の先頭に立って、歩き出した。

「洞窟!?」

 紫苑たちは声をそろえた。町の外れの小高い岩山を登ると、中腹に洞窟が見えてきた。出入口の真ん中に、穴より一回り小さい大きさの岩が置いてあった。その岩には小竜の四つの頭が彫られていて、その四つの頭は、東西南北それぞれを向いていた。

 カイナが不思議そうな顔をした。

「……これは扉のつもりなのだろうか……」

 ナバニアが腕まくりした。

「入るのに邪魔でしかない。どかすか?」

 ショウランが小竜の岩の隙間から中をのぞいた。

「ボクが中を見てこようか?」

「なんだね騒々しい」

 突然、中から白髪の老人が現れた。白髪とひげは、自分で切っているかのように長さが不揃いで、ぼさぼさだった。泥で汚れた茶色い布を体にまとっていて、手足は日焼けしっぱなしで黒い。声は少しかすれていた。

「賢者セリセリテア先生。お久し振りです」

 ツクギがお辞儀をした。この老人がセリセリテアかと一同が見守っていると、賢者は一同を洞窟の中に通さず、外にいるままで立ち話をした。

「姉を迎えに来たのか。今日の供は変わっているな。他の民族も兵にしたのか」

 セリセリテアはナバニアたちを見ている。そして、パヘトを見て止まった。四つの頭ではないことを除けば、ここにある岩の小竜にそっくりの姿だったからである。

「おお……竜族……! 文献でしか知らなかった竜が、目の前に!」

 パヘトは気になって尋ねた。

「おじいさん、その竜、何? もしかして、魔のもので魔を祓おうっていうの?」

 竜が悪い意味でとらえられているのだろうかと、距離を置く。セリセリテアは興奮しながら首を振った。

「いいや。知の塊として尊敬しているから、わしがわざわざ彫って、洞窟の前に置いたのだ。知を求める者は竜の目の前を通って竜の体内――つまり洞窟の中に入れという意味を込めてな。わしもこの洞窟で知を究められるように、この竜に守ってもらっているのだ」

「……そっか」

 パヘトは、自分と仲間を大切にしてくれるセリセリテアに、一歩近づいた。セリセリテアは落ち着きを取り戻した。

「竜様。何もおもてなしはできませんが、ぜひお話を――」

「すみませんセリセリテア先生」

 ツクギが遮った。権力になびかず、ツクギに都で暮らして王の補佐をしてほしいと頼まれても、この洞窟から動かなかったセリセリテアが、と驚きながら。

「今、急を要する旅をしています。お話は旅が終わってからごゆっくりと。それより、姉上がどこにいるかご存知ですか?」

「なんですかツクギ」

 洞窟の奥から、女性の声がした。そして、歩いてくる音がして、その姿が日の光にあらわになったとき、紫苑は、あっと叫んだ。

 黒炭のようになめらかですべすべした黒髪に、春の息吹いぶきにさそわれ枝から芽を出すような生き生きとした形の眉、花が幾重にも重なってできた影がどこまでも黒くなったかのような深い濃淡の瞳、ひまわりの花が満開に咲いたように大きく開かれた目、チューリップのように高く通った鼻筋。桜の花びらのような薄桜色のかわいらしい口唇、白い藤の花のように連なる白い歯、そしてハクモクレンのような、真っ白い肌をしていた。初春を思わせる、りんとした甘さのある匂いがした。

空竜くりゅう!!」

 ツクギの姉は、空竜にそっくりな女性だった。パヘトがへえーと声を上げた。

「どうしても王族に生まれる運命なんだねえ」

「なんですそなたたちは」

 ツクギの姉は、自分を見てしつけに何か言う紫苑とパヘトに、明らかに不快そうな目を向けた。後頭部は二つのおだんごがハートの形にまとまっている。色違いの宝石のヘアバンドをしている。肩を出した水色の絹のワンピースをひものベルトで軽くとめ、足首まで隠れるスカート部分をプリーツにしている。サンダルをはき、弓と矢を背中で斜めに背負っている。ツクギが間に入って、まず紫苑たちの紹介と旅の説明を、姉にした。そして紫苑たちに、

「こちらがオレの姉上、ハヂビス姫だ。姉上、紫苑が姉上に話があるってさ」

 と、つなげた。

「姉上、紫苑は将来姉上の義妹になるかもしれないから、よろしくお願いします」

「……」

 ツクギに囁かれて、ハヂビスは無表情に紫苑を見た。どこか、気に食わないような色があった。

「ハヂビス様が星のメッセージをお受け取り遊ばしたとツクギ王から聞き及びました。赤髪の双剣士とは、わたくしのことでございます。どうかこれから私と共に旅をして、世界を救う戦いをしていただけませんでしょうか」

 紫苑はかしこまった。空竜は最初に紫苑と、露雩ろうを取り合って紫苑につっかかってきたし、姫特有のわがままさがあった。ハヂビスも打ち解けるまでは距離を保った方がいいと思われる。ツクギはむくれた。

「(……オレのときは王であることをまったく無視して接してきたくせに……まあ、だからかっこいいところが見られたんだけど)」

 一人でデレデレしているツクギを無視して、ハヂビスは紫苑の目をのぞきこんで、光を確認しているようだった。ハヂビスの目は、何か計画を練っているような、混濁した光を持っていた。

「ツクギ王。お主も紫苑について行くのか」

 セリセリテアがぽんと場の空気を破った。

「はい先生。最初は女のためでしたが、考えが変わりました。王として、世界の危機は見過ごせません。私の国の民も、先日は危ういところでした。この紫苑が、助けてくれました」

 それを聞いて、ハヂビスが即座に言った。

「ツクギが認めたのですか。ならばわたくしも紫苑、あなたに興味が湧きました。世界を救う旅とやらに、私も同行しましょう」

「ありがとうございますハヂビス様!」

 そのやり取りを、セリセリテアは鋭い目で見ていた。

「世界の水面下で、そんな危機が迫っていたとはな。すべてが終わったらツクギ、お主は真の王者だ」

「セリセリテア先生にメッセージが出なかったのが不思議です」

「わしはここを動かんからだ。いくら知があろうと、動き出さない者に力なんか降りん。ツクギ王のような者に道を教えるのがわしの役目なのだろう。のうハヂビス姫」

「……先生のお言葉を、この目で確かめて参ります」

 ハヂビスがセリセリテアに深く一礼した。


 従者に旅支度の買い物を頼む前に、ハヂビスは紫苑ともめた。

わたくし一人で、供の者もつけずに来いと言うのですか!? 歩くとき誰が傘を差すのです、食事の用意は誰がするのです!! 私にせよと申すのですか!!」

「恐れながらハヂビス姫様、弱い者は私の旅について来られません。大切な従者が目の前で邪神の餌食になるのを、ご覧になってしまわれるでしょう。特別に神に認められし者でなければ、邪神とはいえ神と対峙する資格はございません、つまり、自分の身を自分で守るということができません。私は剣の舞姫として、邪神を倒すのが使命です。弱き者を守りながらでは勝てません。邪神といえど神に対して、すべての力を出さずに勝てるということは、ありえないからです。どうぞ無駄死にさせることになる者は、この場に置いて行ってください。家臣のためを思うなら――」

 ハヂビスはかっと頭に血が上って、矢を一本引き抜くと、紫苑に振り下ろそうとした。

 その矢は、紫苑の前に飛び出したツクギの左腕に刺さった。避けようとしていた紫苑は、目をみはった。

「ツクギ!」

「姉上……どうか、紫苑の言うことをお聞き入れください。姉上のことは、私がお世話いたしますゆえ」

「……」

 ハヂビスは、ツクギに憎しみの目を向けると、矢の血を従者の服でぬぐって、しまった。

 紫苑がツクギの傷を治そうとするより早く、ハヂビスがツクギに命令した。

「ではツクギ、あのいばらの茂みを歩いて向こう側へ行きなさい。私はそのとき向こう側のあなたに返事をしましょう」

 高さ一メートルニ十センチばかりの茨が、幅二十メートルで横に長く続いて、密集して茂っている場所があった。外からちょっと触れただけでもとげで痛いのに、その中を突っ切ったら、体じゅう傷だらけになってしまう。

 それでもツクギは従った。

「わかりました。姉上、きっとですよ」

 止めようとする紫苑を目で制して、ツクギは茨の中に入っていった。押しのけることも難しく、中で痛みをこらえるため、ときどき立ち止まる。ハヂビスが声で追い立てる。

「早くしなさいツクギ! 王として情けないですよ!」

 ツクギは、一センチ以上の深い傷を無数に浴びながら、向こう側へ渡り切った。そして、痛みにこらえて深く震える呼吸をしながら、ハヂビスを見た。

「姉上、従者を置いて行ってくださいますね」

 しかし、ハヂビスはつんと鼻を上向けた。

「ツクギ、あなたはとても頼りないですね。これしきの茨の道で虫の息のようでは、私を守ることなど難しいでしょう。もう一度そこを通ってこちらにいらっしゃい。平気な顔で渡れるようになるまで、あなたを信用しませんよ」

「姉上……!」

「ハヂビスッ!!」

 疲労と共に再び従おうとしたツクギの足を、紫苑の怒声が止めた。一同は、紫苑が姫を呼び捨てにしたことに驚いた。とりわけ、当のハヂビスは、わなわなと震えだした。

「な、なんという無礼者なのです!! 控えよ!! わたくしは本来お前などとは、口をきくこともできないほどの身分なのですよ!! その私を、一介の小姓を呼びつけるようにっ……!!」

 ハヂビスは、あまりの恥に卒倒しそうである。紫苑は引かなかった。

「何が身分だ! お前はそうやって言うことを聞いてくれる相手がいなければ、ただの高慢な女ではないか! ここはもう城の中じゃない、お前は命の奪い合いの旅に入るんだ! 姫の称号はもう何の役にも立たないという現実を知れ!」

 ハヂビスは「お前」と言われて口から湯気を出した。

「許せません!! 誰か、この者を手打ちにしなさい!!」

 紫苑は薄目をハヂビスに見せた。

「ほら、また誰かに頼っている。お前は誰かがいないと、一人じゃ何もできない幼稚な子供なのだ」

「なんですと!?」

「これから命を預け合う戦友を無意味に傷つける者は、戦いのいろはを知らないクソガキだ! 一人でなんでもやってみろ! 人のありがたみがわかって、今愚かなことをしたとわかるはずだ! それがわからないような人間に、人の上に立つ資格はない!」

「……ッ!!」

 ハヂビスはなぜか、反論しなかった。その代わりに、目の奥に何か雷に打たれたような動きがあった。

「……今まで面と向かって私にこのような意見を言った者はいませんでした」

 ハヂビスは、不安定な息で深い声を出した。

「……ツクギ、私は従者を置いて、この者と旅をします」

「姉上……ありがとうございます」

 そのツクギの言葉を聞いてから、紫苑が暖熱だんねつ治療ちりょうじんでツクギの傷を癒した。

 ハヂビスの旅支度を待っていると、突然市場が騒がしくなった。先触れ役の者が、人々に触れ回っている。

「民衆よ、今日の見世物死刑は、町の外れのだいえんで行われるよ! 死刑囚は見事湖を渡り切れるかな? さあさあ、見に来ること! これは領主様のご命令だ!」

 人々はそれを聞くと、一時的に店をたたんで、一方向にぞろぞろと歩き始めた。ハヂビスの従者が、その前になんとか食料品や日用品を買い揃えて戻ってきた。

 紫苑が鋭くツクギに尋ねた。

「見世物死刑とは何だ」

 ツクギは吐きそうな顔をしながら、紫苑たちを大縁湖まで案内した。

「このサリア領地はバッケという領主が治めている。この男は悪趣味な奴でね」

 大縁湖は、直径約三十キロの巨大な湖である。全民衆の人だかりの先には、湖に十艘の小舟、岸に縄を打たれたひげの伸びた男、そしてそれを見下ろす白い絹織物のゆったりとした服の男とその護衛たち三十人がいた。絹織物の男が、領主バッケである。バッケが全員に聞こえるように高らかに宣言した。

「この男は強盗殺人の罪によって、死罪が確定している! しかし私は寛大な領主である! もしこの領地のためになるデータを残せたら、死罪を免除しようと思う! この男にはこれから、この大縁湖を自力で泳いで渡ってもらう! この湖を渡り切れるというデータをくれるなら、身体検査や性格検査の後、民衆の中に戻してやろう! さあ、行け死刑囚! この湖を渡り切れたら、死罪を許してやろう!」

 言霊で穢れるから、死刑囚の名を領主バッケは口にしなかった。渡り切れば皆の口にのぼる日が来る。男は、泳ぐしかなかった。十艘の小舟が、男が別の岸に逃げないように見張っている。しかし、たとえ命がかかっているとしても、三十キロも普通の人間が泳ぎ切れるわけがない。

 男は力尽きて湖の底に沈んでいった。

「まったく、ふがいない。まあ、死刑までの間、気が狂わないようにしてやっただけ、ありがたく思え」

 バッケはつまらなそうに男の沈んだ地点を眺めていたが、民衆に告げた。

「解散! 今日の見世物死刑は終了!」

 人々はぞろぞろと帰っていった。

「……なんなんだ? これは」

 不快そうに紫苑がツクギに尋ねた。

「オレに注意された後に、始まったんだ」

 ツクギが話し始めた。死刑囚が脱獄して、民衆がまったく外に出られない期間があって、ツクギがバッケを呼びつけて注意した。すると、バッケは死刑囚に「希望」を持たせて、脱獄する意思を失わせようと試みた。それが「見世物死刑」だ。今日のように、「この湖を渡り切れたら死罪を許してやろう」とか、「この柿の木になっている渋柿を一日で全部食べられたら死罪を許してやろう」とか、「できないかもしれないけれどできるかもしれないこと」をちらつかせて、「最後のチャンス」を与えて脱獄以外の「生き延びる希望」を与えたのだ。民衆の反応は半々で、「ひとおもいに殺してやるのが情けというものであるのに」と思う者たちと、「罪から逃れるチャンスを与えているし、町にも脱獄犯が出て来ないし、バッケ様は良い領主様だ」と思う者たちに分かれている。

「オレがとがめると、人間の様々なデータが取れるから将来国の役に立つと言って、聞く耳を持たないのだ。オレもそう言われると、戦争に備えるために強く言えない。オレの国が知らなくて、相手の国が知っているという情報は、戦争に負けるもとになるからだ。王として、苦しいところなのだ」

「ツクギ、それでは戦争に勝っても、自国の民の幸せを維持することはできない」

 紫苑に心の中の雲をすっぱり斬られたように思えて、ツクギは紫苑をまともに見た。

「バッケの方法でたとえ死罪を回避することに成功したとしても、そんなもので罪が償われはしない! 自分がしたことと向き合わず、ただ生き延びて自由になりたいからと、それしか考えずに死んでいったら、その者の救いはなくなる! 問題を解決していくのが人生だ! バッケのくだらない遊びで、人々から、死刑囚からでさえも、考えることを奪ってはならない! ツクギ、バッケは人を救うことはできない、国を滅ぼすもとである!」

 ツクギとハヂビスは、ただただ驚いて赤髪の双剣士を見つめていた。王族の者にとって、即座に答えを出せる問題ではなかったからである。

「しかし、戦争が起きたら――」

「この世界の神は、それを望まれなかったはずである! 神の望みの力を信じよ! 今の世界を乱す者があるから、神の望みで私が現れたのではないか!」

「……!!」

 姉弟は、もう何も言えなかった。

 バッケは、ツクギによって、自分が追い詰めた死刑囚の人数分と日数分、死刑囚の独房の隣で寝泊まりする罰を受けた。紫苑が告げた。

「人がお前の示した『希望』にどれだけ泣き、怯え、命を燃やしてきたか、毎日隣で眺めながら想像するんだな。誰しも、思いつきでもなくからかいようもない人生を背負って生きているのだ。それに気づいた者だけが魂を救われる」

 バッケは、今まで部下が守ってくれたので見下していた死刑囚と同じ空気を吸って、身が震えた。何も言わず、何も見ないように目をらして、怯えていた。

「おい、バッケ」

 ふいに壁一枚隣の死刑囚が口を開いた。バッケは尻を浮かした。

「オレもそうやって生きてんだぜ」

 バッケは慌てて両手で顔を隠した。


 ハヂビスは、バッケのいる牢屋から出て、つんと鼻を上向けた。

「バッケはもうおしまいですね。ツクギ、次の領主を考えておきなさい。名もない死刑囚と同様に、バッケも町の片隅に埋もれて死んでいくでしょう。もう私たちには関わりあいのないことですが」

 ツクギが返事をする前に、紫苑が素早く遮った。

「王族として、それはいけない。まさか戦死した兵士も、もう自分に関係ないと思っているのではないだろうな」

 ハヂビスは顔をしかめた。

「なんです紫苑。あなたはいつもいつもこの私に意見して……」

 紫苑は一人の戦士として、王族に申し上げた。

「死んだら終わり、もう覚えている価値はない、別の生きている新しい人を覚えよう、は、だめだ。社会的に死んだとみなされている者でも、死者でも、知って、覚えていること。特に、国のために戦った兵士は、忘れるな。『名もなき兵士』など、一人もいない。全員に、人生があったのだ。一人でも多く覚えていること。それが相手に敬意を表することだし、それを知る生者が生きる希望にすることになる、なぜならいずれ自分が死んでも、みんなが覚えていてくれると思うことほど、力強い励ましはないからだ。

 私はかつて、犯罪者を十把じっぱひとからげに斬り、自分を拒む世界中の人間を憎んで、世界のことを何一つ、誰一人として覚えなかった。それは孤独という、自滅への道であった。

 今は違う。

 誰も忘れてはいけない。

 誰かが覚えていてくれるだけで、人は生きていけると気づいたからだ。この世界は現在、殺せば勝ち、その人間がどれだけ優秀でも死んだら過去の遺物として人々は興味を失う、という状況だ。

 それは時間という命の寿命を、冒瀆する行為である。

 過去があるから今がある。優秀さを引き継げ。失敗の対処を学べ。自分の人生に活かせ。様々な思考を知れ。歴史上の人物、民衆、権力者、悪人でさえも、覚えるべきである。名前のない人は一人もいないのだから。覚えることは膨大だ、全員覚えられるわけがない。それでも、自分と関わった人、心を動かした人、守ってくれた人、そういった人たちから、少しずつ覚えていかなければならない。人を覚えることは、社会を継承し、社会の輪に入り、死の不安を軽減することだ。死んだ人を忘れるな。むしろ知りに行く努力をして、尊敬するなら味方になってもらえ。それは、その人の考えたことを理解して、自分の一部にするということだ。生者の現代も、死者の時代も、無駄な人間はいない。死者を覚えることは、未来の自分を救うことにもつながると知れ」

 ハヂビスは、口を開けて紫苑の言葉を聞いていた。口を挟めなかった。「死者」について「ずっと覚えている」という選択肢がなかったからだ。人を覚えないのは確かに王族としてあるまじきことだ。相手の名前と役職を間違えるなどということは、あってはならない。だから、「常に面と向かって話す相手」を覚えてきた。死亡した者の後に就任した方を完璧に覚え直していた。死亡した者は、記憶が薄らいでも気にしなかった――。

 ハヂビスがさらに驚いたのは、ツクギが平然としてそれを聞いていたことだ。ツクギは、戦死した者も含めて、それをしているのだ。

「(――わたくしだけが、いつもっ……!)」

 ハヂビスは、人知れず強く拳を握りしめ、白い掌に爪を食いこませた。そして、

「紫苑――わかりました。これからも、思うところがあれば遠慮なく申しなさい。私も聞きましょう」

 と、さりげなく紫苑を認めた。

「(――この者しかいない)」

 なぜか、そう思った。

 そのとき、若い男たちの声がした。

「ようあんちゃん。旅の商人はこの町でオレたちに場所代払わないと、商売できねえんだぜ」

「とっとと稼ぎの一割出せよ」

 すると、高い男の声がした。

「いえいえ、私は隣町の軍隊長の親戚でして、私に何か困ったことがあったら、この町の軍にかけあってくれることになっておりますよ」

 ターバンを巻いた若い商人が、同じくターバンを巻いた体の大きな男三人に、囲まれている。男三人は、商人の話を聞いてたじろいだ。

「嘘つくんじゃねえ! 証拠もないくせに!」

 商人はターバンを取ってから後頭部の髪を分けて、ほくろを見せた。

「同じ一族の証です。親戚の軍隊長にもここにほくろがありますよ」

 男三人は迷った。

「そんな話、聞いたことねえ」

 商人は笑った。

「軍隊長も兜やターバンをかぶっていますから」

「……」

 この商人は、嘘をついているかもしれないし、ついていないかもしれない。男三人は顔を見合わせた。

「こいつはいいや。行こう」

「本当だったら面倒だしな」

 男三人は、去っていった。

 ハヂビスが商人に声をかけた。

「今の話は本当なのですか」

 商人はハヂビスの美しさに一瞬みとれ、つい首を横に振ってしまった。

「わっ、やばっ! すみません、あなたがおきれいなのでつい、正直になってしまいました、この町の人に言わないでください!」

 ハヂビスはきれいと言われて、愉快そうに笑った。

「口から出まかせですか。そなたは面白い男ですね」

「弱い立場の人間は、賢く立ち回らないといけないんですよ」

 商人も一緒に笑った。ハヂビスは紫苑に振り返った。

「利発な男です。紫苑、この男も仲間に加えましょう」

「え?」

 商人の目が点になった。紫苑は驚くパヘトたちを置いて、ハヂビスを引っ張って一同から離した。

「なんですか紫苑」

 意味がわかっていないハヂビスに対し、紫苑はなるべく静かに話しかけた。

「ハヂビス姫様、昔から口のうまい人間には気をつけろと申します」

「なぜです。どんな交渉もこなしてくれるに違いありません。武力と知力は違います。これから先、外交官は必要でしょう」

「実力の伴わない非力なおしゃべりはりません。敵の要求を呑む権限を、あの男にお与えになるおつもりですか。あの男にちょうどよい折り合いをつける能力がありますか。時には意見を貫き、時には譲歩もせねばならぬ状況で、武力という何の後ろ楯もなく口だけでしゃべる男を、相手は尊敬し、重視しますか。中身の伴わない者の言うことなど、誰が耳を傾けますか」

 ハヂビスが不快そうな顔をしていても、紫苑はやめなかった。

「たった一つのことを見て決めるのは、責任ある地位にある者なら、あってはならないことです。必ず相手の能力と性格と様々な課題に対する解決方法を、総合的に見て判断するべきです。私どもはあの男をあまりに知りません。一つのことで引き立てることは、してはいけません。必ず問題が見つかり、ひいてはお引き立て遊ばしたハヂビス姫のお名も危ぶまれます」

「紫苑!! あの男をした私を侮辱するのですか!!」

 ハヂビスが突然、恥と怒りで激昂げっこうした。

 紫苑は強い瞳を返した。

「ではあの男は神器を守れますか。この旅に、戦えず、神器も持てない者が、どうしても必要ですか。お答えください。神器の力の後ろ楯もない者が、邪神を説得できますか」

 ハヂビスは、答えられなかった。紫苑の話が続くのを、黙って聞いていた。

「中身がなく、ただ己の身を守るためだけに弁が立つ人間など、重用してはなりませぬ。中身とは、志のことでございます。姫のためではなくこの国、そして世界のために立つ者のみを目におとめください。王族というのは、得てして自分の目にとまった者、またそうなるようにすり寄る者を、何の考えもなく信用するものです。しかしそれでは為政者ではないのです。国を背負う志を持つ者か、王族のそのような志に、具体的な案を献策する者しか、見てはならないのです」

「……」

 ハヂビスは、自分が責められているので、歯を不自然にずらして嚙み合わせて気を紛らわせていた。紫苑がその顔をまともに見つめた。

「おわかりいただけましたか?」

「――何の志もない者にそれを教えてあげるのも、上に立つ者の務めではないのですか?」

 突然の思いつきで、ハヂビスは勝ち誇った。しかし、紫苑は即答した。

「失礼ながら、姫にそれを教えるお力があるとは思えません」

「なんですって!」

 ハヂビスは口から湯気を吹いた。紫苑はよけた。

「志のない悪しき社会は大人の、上に立つ者の責任でございます。まず姫が改められなければ、民は育ちますまい」

「私を愚弄するのですか!」

「怒る以外に何かおっしゃることがございましたら、つつしんでおうかがいします」

 ハヂビスは、ぐむっと口をつぐむより他になかった。そして怒りながら、その色を上塗りする別の色を、瞳に見せた。

 そのとき、大地が地鳴りを立てて動き始めた。

「どうした!?」

 紫苑たちは一箇所に集まった。商人は自分の商品をまとめて、逃げていった。

 パヘトに乗って空から見下ろすと、大地に亀裂が入り、移動し、ぶつかって砕き合い、接着し合い、大地は島に、また島は大地になっている。国境は消滅し、人々は自国・外国関係なく逃げ惑っている。自分と家族の生存確認だけで精一杯である。既に割れ目から海に落下した人々がいる。どこに亀裂が入るかわからず、人々はどの方面へ逃げたらいいか、わからない。

 ショウランが自分より幼い子供を見て叫んだ。

「ずっと走っていられるわけないよ! このままじゃ……!」

 ツクギが自国の崩壊に耐えながら続けた。

「全員体力を奪われてどのみち死ぬ。人間を一掃する方法ということは、これも邪神か!」

 そのとき、パヘトが光る船を発見した。

 黄金の乗船部分には、古代文字がびっしり書かれていて、魔除けになっている。は三角ではなく、なぜかドーム型であった。一つの町が入りそうなほどの巨大な島とも思える大きさで、島が大地に大地が島にとぶつかり合っている中を、無傷でスイスイ泳いでいた。パヘトが皆に伝えた。

「あれが邪神ウボリフだよ。神器を呑んじゃったんだ。なんとかして吐き出させないと」

 紫苑が、半月の仮面を手にするのを止めた。

「神器は破壊できないからな。それに邪神の力も加わるとなると、――まずは様子見か――」

 剣姫が白き炎をまとって飛び、神刀桜・神刀紅葉の双剣でウボリフに斬りつけた。しかし、ドーム型の白い帆はびくともせず、高い金属音を返しただけだった。ウボリフが剣姫に気づいた。

『なんだお前は。オレは今、人間を最速で殺すのに忙しいのだ。なぜお前も逃げ回らないのだ? つまらん。お前も大地に落ちて死ぬまで走り通せ! はっはっはっ!』

 そう言って、ドーム型の白い帆を反らせて、紫苑を袋の中に包もうとしてきた。

ほのお月命陣げつめいじん!!」

 紫苑の炎の月たちにも傷一つつかず、ひるまず迫ってくる。紫苑は緊急回避して、全力で逃げた。

「……神器の防御力が奴に味方している……!」

 おそらく第三の最強になっても、致命傷を与えることは難しいであろう。身体の限界があるからだ。

 そのとき、白い帆に羽根飾りのついた矢が射られた。

 ハヂビスであった。

「何をもたもたしているのです! 早くしなければ、私の国が!!」

 えっ、とツクギが顔を向けたとき、ウボリフの白い帆がカッと光り、突然滝のように伸びあがると、ハヂビスをくるんで呑みこんでしまった。そして、元のドームに戻った。

「ハヂビス!!」

 紫苑とツクギが叫んだとき、ウボリフの動きも止まった。

『なんだ……飾り矢なんてちゃらちゃらしたものよこしやがって……それとも「オレの国に必要なのか」?』


 ハヂビスは、町の中にいた。見上げると、ドームの帆がある。

「邪神の内部ですか……」

 至る所で人が寝ている。そうかと思うと、工房では威勢よく働く音が、市場からは元気な売り子の声が聞こえてくる。ハヂビスは、リンゴ売りの男に声をかけた。

「眠っている彼らは、どうしたのですか?」

「ああ……」

 リンゴ売りは持っていた商品のリンゴを台に置いた。

「ここは天職の町さ。自分の最も力を発揮できる仕事についていないと、眠りながら死を迎える呪いがかかってるんだ。眠ってる人はなんとか起きて、自分に合った職業を一つ一つ試していくんだ。天職が見つかると、オレみたいに元気が戻って、働けるようになるんだ」

「誰がそのような呪いをかけたのですか。邪神ウボリフですか」

「ウボリフ? 何だそれ? 町の占い師は、この町にあった神器っていう宝が、『不適合者』に使われたせいで、神器がそいつを滅ぼそうとしてこうなってるって言ってた。不適合者がまだ町の中にいて、天職を見つけて元気に暮らしてるってことだ。この町はとんだとばっちりだよ。不適合者が死ぬか、神器が正当なる使い手を得るまで、この呪いは止まらないんだ。正当なる使い手は、この町にある隠し字を探せたら、神器を手に入れられるらしい」

 ハヂビスは、不適合者はウボリフだと知った。神器の呪いの力でも、邪神は倒せないのだ。そんな相手を、ハヂビスが倒すのは難しい。となると、神器をウボリフから引き離すしかない。

「隠し字はどのような場所にあるのです。何か手掛かりはありませんか」

 睡魔が入りこみ始めた体をぴんと立て、ハヂビスが聞いた。

 リンゴ売りはドーム型の帆の真下を指差した。

「二重囲いの祭壇の中央に、ヒントがあるらしい。でも、その中央の部屋に入った者は、部屋から出てきたとき死ぬ。普通の人間には耐えられない何かがあるのだろう」

「ありがとう」

 ハヂビスはそれを聞くと、背筋を伸ばして、堂々とした態度でまっすぐ祭壇へ歩いていった。「普通の人間とは違う」という誇りであった。リンゴ売りは、驚いてその雄々しい姿を見送った。


 祭壇の正方形の二重囲いの周囲には、誰もいなかった。ハヂビスは、ためらわず二回扉を開けて、中央の部屋に入った。

 中には、犠牲を捧げる台の上に、札が置いてあった。ハヂビスが近づくと、札に勝手にさらさらと文字が書かれていった。

『汝を表す字は』

 それが隠し字で、探さなければならないものかとハヂビスが考えたとき、字が続いた。

『「○王」である』

 それを目にしたとき、ハヂビスは感動のあまり、目を潤ませて全身を震わせた。

「私こそが、真の王……!」

 しかし、「○王」と、王の上に一文字入りそうな余白があるのが気になった。そのとき、壁中に字が浮かび上がった。札の文字が続いた。

『「○王」に正しい字を加えろ』

 ハヂビスは、嬉々としてその札に従い、胸を躍らせながら壁中を見てまわった。

「英、優、賢、力……ふふふ、私はどれでしょう。これからこうなりたいではなく、今の私なのでしょう。ふふふ、「光」王でしょうか、「礼」王でもあるでしょうし……」

 そして、「真」の前で立ち止まった。

「……やはり、これでしょうね……」

 感慨にふけって「真」の字を見つめた。

 ツクギより先に産まれたのに、女であるからという理由で王位継承権はなく、帝王教育をされず、姫のたしなみだけ与えられてきた少女時代。いずれは王国の統治を磐石ばんじゃくにする、力のある血筋の者と結婚することになる運命であった。ツクギと勉学の能力に差があるとは思えない。自分も王の器なのに、ただ女であるからという理由で、一生を我慢しなければならなかった。

 自由なツクギがうらやましかった。好きなときに好きなことをして、皆から頼られて、好きな相手まで自分で選べて。

 女であることはこうも不幸なことなのか。

 女はなぜ王になれないのか。

 ハヂビスは、ツクギに隠れてその答えを探し始めた。ツクギはうすうす気づいていたかもしれない。しかし、ハヂビスは自分の自由のために、自分を止めることができなかった。

 そして、遂に無理を言って旅をして、賢者セリセリテアに答えを聞きに来たのであった。

 賢者の答えは、「女はこの国では王になってはいけない」というものだった。セリセリテアは簡潔に、しかしはっきりとハヂビスに宣告した。

「女は産みの苦しみを知っているために戦争相手の敵に『同情』し、『味方も死んでいるにもかかわらず』、敵の命を許してしまう。こんなことでは命懸けで女王のために戦った味方の心は離れ、必ず反乱が起きる。『女王』ハヂビス、あなたは敵を皆殺しにできるのか。自分の民のために外国の民を皆殺しにできる覚悟のある者でなければ、自分の民は守れない。

 一つ警告しておくが、戦争のない時代など永久に来ない。『王を目指す者』はこの世からなくならないからだ……。だから命のやり取りの覚悟のない――つまり『同情』という余計な感情に『左右される』女は、王には絶対になれない。なってはいけない。

 内乱で国を潰すな。また、姫として『自由』がないと言うのは、幼稚な甘えである。人々があなたに姫としてかしずいてきたのは、王族が、国を守り、国のために生きる覚悟を持っているからである。国を守らない王族を、誰が相手になどするか。王族には自由も恋愛も許されない。自分が何のために王族に生まれてきたのか、自覚せよ。

 国を革命家や外戚などに乗っ取られないように、民を分裂させて反乱が起きないように、国家に災害が起きないように、民が飢えないように……国を維持するということは、警戒と力がるのだ。自由が欲しい? 一介の国民と同じことを考えている者に、王族は務まらぬ。戦争でここまで国を広くし、統治を安定させた始祖に、申し訳が立たぬと思わぬのか。国をべる覚悟を持って生まれることを選んだ王族に自由などない。民を裏切るな。あなたの衣食住の金銭は、民からの、我々を守ってくれてありがとうという感謝の品だ。民を裏切るな!!」

 賢者に厳しく諭されて、ハヂビスには逃げ場がなくなった。

 責任のない者に敬意を表する者はいない。

 誰しも、皆が困ったとき責任を取って問題を解決してくれるから、その人に仕えるのだ。

 税金で暮らし、家来をたくさん使っておきながら、自分は好きなことをして自由に生きたいというのは、非常識だ。

 それは、王族のすることではない。

 しかし、若い娘はなかなか思い切ることができない。

 だから、ハヂビスはツクギに冷たくあたって、自分も非情な決断ができることを、確認しようとしたのだった。

「しかし、紫苑が怒りました……」

 紫苑は、「戦友を無意味に傷つける者は、戦いのいろはを知らないクソガキだ」と怒鳴った。

「私は、戦いを知らないのです……」

 いつも戦場で先頭に立って戦うツクギ。戦場へと向かうときの、前にいるツクギを頼もしそうに見上げる兵士たちの輝く目。

「きっと私がどんなに何かをしても、彼らの目が変わることはないのでしょう……『共に戦場で戦うツクギ』が、いつも選ばれてしまうのでしょう……」

 ハヂビスが戦いでツクギに劣るのに、紫苑は、ハヂビスに王としての心構えをぶつけてきた。

「不思議な娘です。不愉快です。なのに――」

 ハヂビスはそっと左手を、心臓のある胸に置いた。

「なぜか安らぐのです」

 そして、

「ありがとう」

 と、口をついて出た言葉に、驚いた。

 今まで、ぶつけてもぶつけ返されることがなかった。自分の声は世界の果てまで届くほど偉大なのだと、間違ってしまった。自分の心をこれだけ上下に動かしてくれた人間は、初めてだった。自分と向き合ってくれる人がいるなら、自分のどこかに救いの安らぎが生まれる気がした。

 札が、隠し字を待っている。

 ハヂビスは、札に近づいた。

「紫苑、あなたは強い娘です。王族の私に堂々と物を言いましたね。どうかこれからも変わらないで。そして、私に答えを教え続けて」

 ハヂビスの指が、札の空白に字を書いた。

『偽王』

 札がハヂビスの気持ちを吸い取った。

 そして、札から目に優しい柔らかな光が放たれると、ハヂビスの手首から肘にかけての長さが直径になる、白く丸い盾になった。ハヂビスは盾が腕に装着された瞬間、わかった。

「神器・王者おうじゃたて! 物理攻撃を完全防御する!」

 そのとき、パアンと邪神ウボリフの白い帆が弾けた。神器・王者の盾を失い、古代文字の船が町を吐き出して、光る小舟になっている。

『うげえ、ちくしょう、女あ! 何しやがる! オレの神器のメシになると思っていたら……! オレの神器を返せ!!』

 邪神ウボリフが小舟の先端を刃にして、ハヂビスに向かって飛んできた。

「ハヂビス!」

 紫苑も飛んでくる。ハヂビスはその声を聞いて安心しながら、

「神器・王者の盾! 力ある祈り!!」

 と、神器の力を解放した。白い盾が、人の全身を守れるくらい巨大化し、ハヂビスをウボリフの攻撃から守った。一同は、ハヂビスが神器を得たことに驚き、かつ喜んだ。邪神ウボリフは、怒りで古代文字がすべて光った。

『オレの神器を盗みやがって、赦さん!! 世界を砕く呪いの言霊をまき散らして、お前もすぐに殺してやる!! 乱砕らんさい叉細さいさい!!』

 古代文字が全世界に飛び散ったのを、剣姫が、

白炎はくえん!!」

 の、呪い返しの白き炎で走り追い、次々に光の文字を呑み尽くした。

『なっ、なにい!!』

 邪神ウボリフは、自分の呪いが破られて、今まで自分に傷一つつけられない弱い者と見下していた紫苑を、初めてじっくり見た。

 顔の左側に目の穴も口の穴もない半月の仮面をかぶって、ウボリフが気づいた時には至近距離だった。

「神の望みに対峙するくせに、神の力を借りるとは滑稽だと思わねえのか」

 男装舞姫の低い声を聞いて、ウボリフは第三の最強に気づいた。

『お、おい! なんでもっと早くに全力で来なかった! 知ってたら女を町で泳がせている間、手なんざ抜かずに遊ばなかったのに……!!』

 邪神ウボリフは、その最期の言葉を遺し、男装舞姫に三つに斬り裂かれた。

「全力は戦略を練られるもとになるから、確実に殺せるときだけ見せてやっただけだ。お前が弱くねえという証拠だ、よかったな」

 男装舞姫の言葉と共に、小舟は塊になって島に落下し、毒になって大地を汚染した。

汚浸おしん砂漠さばく分解ぶんかい

 男装を解いた紫苑が、言霊で浄化した。

 すると、辺り一帯の島が輝きだした。パヘトが降り立った。七角柱の半透明の光がせり上がる。

「邪神ウボリフから解放された聖地だよ。みんな、星方陣を作ろうよ!」

 七人は、七点の角に立ち、紫苑が神器しんき・光輪の雫、パヘトが神器・昇龍の鎧、ナバニアが神器・きんせい、カイナが神器・覇者の冠、ショウランが神器・天帝の剣、ツクギが神器・びょうばん、ハヂビスが神器・王者の盾を掲げた。そして、紫苑が星方陣の祝詞のりとを唱えた。

『己の答えは何なのか。その思考、その誓い、己の力なり。千の剣、万のけい、己の世界にあかしする。これすなわち真の寿ことぶきなり』

 七角柱の七角星方陣が完全なる光の七角柱となり、天に光を突き上げた。

 すると、星方陣の内部の大地に文字が刻まれた。

『あなたの望む土地に変えましょう』

 国土をどうしたいか、問われたのだ。

 肥沃な草原も、防衛の山岳も、思いのままである。

「これは王のあなたが決めることです、ツクギ」

 ハヂビスが優しく微笑んだ。ツクギは目を見開いた。

「姉上……」

「もうよい。よいのです。あなたがフタツタ王ツクギです!」

「姉上……!」

 ツクギはハヂビスに一礼して、七角星方陣の中に入って、祈りを捧げた。

「国土を元に戻してください。不毛な地も、危険な地も、すべてです。私は、どのような地にも神のご意志があると信じているからです。そして、どのような場所であろうと私は、」

 ツクギは目を閉じて祈りながら微笑んだ。

「この国が好きだからです」

 王は迷いなく答えた。ハヂビスは王の姉として、満足そうに心臓に手を置いた。

 フタツタ王国と、邪神に砕かれまたは接着された大地は、元に戻った。


 七角星方陣は、すべてが終わったあと、「七」の黒字の入った七角の茶色いほくろになって、ハヂビスの左肩についた。

「おめでとうハヂビス姫」

 パヘトがハヂビスにお祝いを言った。

「ええ。この神器はどうやら、自分の真の実力を受け止める勇気のある者を、待っていたようです」

 ハヂビスがツクギを見ながら伝えた。

「今まであなたを苦しめました。びますツクギ」

「姉上。これからも私を支えてください」

「ええ。紫苑と結婚してくれる日を楽しみにしていますよ」

「はい! ありがとうございます! うるさいラカヤを始末してから……」

「姉弟で何を企んでいるんだ」

 紫苑がたまらず止めに入った。ハヂビスが驚いた。

「なんと……紫苑は私の義妹になるのが嫌なのですか?」

「そういう話に持っていかないの! ハヂビスは友達でいいでしょ! ツクギも友達! ここははっきりさせとくからね!」

 ハヂビスが上品に笑い出した。

「ふふふ、本当にはっきりと言うのだから。あなたのそういうところが好きですよ」

「ええっ?」

 ツクギが目を剝いた。

「ちょちょ、姉上! いつから紫苑を私と取り合う仲になったのですか!? 私のかわいい女装姿でも、姉上の美しさにかなうかどうか……美の系統は違うけど!!」

「ふふふ、ではツクギ、私に取られないようにがんばるのですよ」

「はいいっ!!」

「姉弟で何を企んでいるんだ……」

 紫苑は昼の空に浮かんでいる白い月を眺めて呟いた。パヘトがその肩に手を置いた。

「あのお方がびっくりして起きてこられたりしてね」

「それは嬉しい話だな」

 二人は空の彼方に思いをせた。


 星方陣の祝詞のりとの中の『己の世界にあかしする』の『あかしする』は、『証明する』の意味でお読みください。祝詞全文の意味は、

「自分の答えを出した者に、その思考と誓いが千の剣、万のけいとなって、自分の世界に、それが自分の力になることを証明する。このことは祝うべき真のめでたい事柄であり、また、自分の答えこそが真の祝いの言葉である」

 です。


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