青い月第五章「強制進化」
登場人物
赤ノ宮九字紫苑。双剣士であり陰陽師でもある、杖の神器・光輪の雫を持つ、「土気」を司る麒麟神に認められし者。阿修羅神が救いの道を示したあとの元の星に、邪闇綺羅神の力で戻ってきた。十の星方陣を成して星を救うために、戦う。
パヘト。以前竜の国で出会った小竜のパへとで、星の意思を守る存在に変わった。紫苑がこの星で存分に戦えるように支える。
ナバニア。海船民族の青年。閼嵐にそっくりな姿をしている。
カイナ。戦馬民族の女武人。氷雨にそっくりな姿をしている。
ショウラン。旅する演奏団にいた、戦馬民族の子供。
第五章 強制進化
四角星方陣は、すべてが終わったとき、「四」の字になって、カイナの右手の人差し指の爪に焼きついた。
四人は、戦馬民族の領内の中央地方を南下していた。
「湖があるのか?」
紫苑は目の前に開けた水色の視界に対し、思わず呟いた。しかし、目を凝らしてみると、それは湖ではなかった。そこは池のほとりで、周りの草原の草も、花も、鳥も、蝶も、すべて水色になっている場所だった。
「なんだ? ここは。誰かに色をつけられたのか?」
紫苑の疑問にパヘトが答える前に、水色の領域が、生命をむしることもなく日陰の影のように移動し、人家である円蓋の平屋テントの集落に侵食し、集落を水色に染め上げた。
人々が悲鳴を上げて外に走り出てきた。全員、全身水色である。そして、数多くの人が水になって破裂した。
紫苑、ナバニア、カイナはそれを目で追うことしかできなかった。
「な……何事だ、これは……!!」
そのとき、集落への道で立ち止まっている紫苑たちの後ろで、人がドサと倒れる音がした。
「おじちゃん!!」
紫苑は、とっさに振り向いた。男が水になって破裂するところだった。いつの間にか、水色の領域が紫苑たちの後ろに回りこんでいた。
男に見覚えがあった。
「河樹ッ!?」
水を浴びて呆然とする、七才くらいの子供に見覚えがあった。
「霄瀾ッ!!」
集落では人身破裂が続いている。霄瀾を一刻も早く水色の領域から避難させようと、紫苑は子供の手を引いた。
「こっちだ!!」
しかし、霄瀾は河樹のいた場所を見つめて放心状態である。紫苑は霄瀾をおんぶして、水色の領域から走って離れた。
「ハアッ、ハアッ、大丈夫か霄瀾!!」
一キロほど全速力で走ってから、紫苑は子供に振り返った。子供は、紫苑の背中で不思議そうな顔をしていた。
「おねえちゃんは、どうしてショウランの名前を知ってるの?」
「ん?」
紫苑は違和感を覚え、子供を地面に下ろした。
「ショウラン、おねえちゃんと会ったことあったっけ?」
「んん……」
紫苑は、こちらの世界でも霄瀾がショウランという名前であることと、自分のことをボクとは言わずにショウランと呼んでいることを知った。
真っ盛りに色づいたイチョウの葉のように明るい黄色の髪、ススキの穂のように黄色く細い眉、黄色に光がきらめく紅葉の瞳。青々とした若い笹の葉のように程よく先のとがった鼻、紅葉した桜の葉のように赤く色づいた口唇、白い南天の実のように形よく粒揃った歯。木々の香が紅葉に凝縮されて落ちたのを、火でたいたときの、ほのかな木の力の匂いがした。
戦馬民族らしく、帯と靴は革だ。そして、上着と上部のふくらんだズボンは、山吹色だった。半月型の竪琴を背負っている。
「霄瀾……!!」
紫苑は、霄瀾と空竜、出雲が死んだことを思い出して、目が潤んだ。
何も言えない紫苑の代わりに、パヘトがショウランに尋ねた。
「なんで自分のことをショウランって呼ぶの? 何かの言霊の術?」
「ちがうよ」
ショウランは真剣な顔で首を振った。
「おじいちゃんたちやカワイツキのおじちゃんがショウランをそう呼んでくれたから、みんなを忘れないようにそうしてるの」
「霄――ショウラン。おじいさんたちはどうした」
紫苑がようやく尋ねると、ショウランはぐっと唇を内側に結んで、震えだした。
一言でも発しようとすれば、涙に変わるのだと気づいて、紫苑はショウランを強く抱きしめた。ショウランは、声を出すことは我慢できたが、しゃくりあげることが止まらなかった。
そして、ためていた涙を流したい分だけ流すと、あとはぐっとこらえて、泣き疲れた体に促されるように、草原に座りこんだ。
「ショウランは、旅する演奏団にいたんだ」
団長の祖父のもとで、ショウランは竪琴弾きとして日々修業を重ね、町や村で演奏していた。両親と、四人の男女と、カワイツキが仲間だった。
「(両親が生きていたのか)」
紫苑が驚いていると、ショウランは空を指差した。
「つい最近、お空の雲が字を作ったの。赤いかみの剣士と竜に力をかしなさいって。ショウランとカワイツキのおじちゃんだけに見えたの。そしたら……そしたら、急に水色のさっきのがショウランたちをおおって……!!」
ショウランが再び泣きじゃくった。目の前で大切な家族が死ぬところを見たので、耐えることができないのだ。
「(再びこの子は天涯孤独の身になったのか。……)」
紫苑は違う世界の人間で、いずれ元の世界に帰るので、手の出しようがない。
「(誰か、信頼の置ける者を捜しておかなければ……)」
紫苑が黙ってしまったので、カイナが先を促した。
「それで、カワイツキとショウランが生き残ったのだな?」
ショウランは、グスとうなずいた。
「おじちゃんは、ショウランたち二人は神器が使えるから、赤いかみの剣士と竜をさがそうって言った。そして、ここまでいっしょに旅してくれた」
紫苑は、首をひねった。
「神器を使う資格のある者が生き残るなら、どうして河――いや、カワイツキは途中で死んだのだ? 奴は結晶睛、神器を扱う条件がわかる特別な眼の持ち主のはずだ。それとも、奴はやはり私の仲間にはなれない因果なのか――」
「違うよ紫苑」
パヘトが遮った。
「今、この地域では、自分が一番すごいという才能や、自分だけが持つ力といったものを示せなければ、水色に染められたとき邪神の猛毒で水になって破裂して死ぬことになってしまっているんだ。世界の中で、何かに埋もれることがない『自分』の身の周りを区切れなければ、水として世界と溶け合って、消えてしまうのさ」
紫苑が険しい目を向けた。
「世界で存在していいのは、『力』だけか! まさしく邪神の思考だ……!!」
パヘトが、逃げてきた集落の方を遠くに眺めた。
「全員が力の進化を強制されるのさ。世界に一人しかできない奇技を示せなければ死ぬ、過去の人々より優れていて、かつ世界に役立つ技を示せなければ、死ぬ。そんなの、世界の全員が同時に見つけられるわけないよね。人には自分のペースってものがあるんだから」
「(……では、カワイツキは……)」
紫苑は、はっと気づいた。
「(今のカワイツキより、私の方が術者として勝っていたから、『一位』を維持できなくなったのか)」
結晶睛はカワイツキ一人ではない。「一位」にはなれない。紫苑は辛そうにショウランを見つめた。
「(すまないショウラン。お前が最後に頼れる相手を、私が……)」
そして、ショウランと目線を合わせるように上体をかがめた。
「ショウラン、私たちと一緒に旅をしてくれないか」
ナバニアが目を丸くした。
「お、おい! オレたちの戦いに、こんな子供を巻きこむのか!?」
カイナも鼻息を荒くした。
「この子を殺すつもりか!! 承知しないぞ!!」
パヘトが笑って空気を震わせた。
「この子は神器の使い手の候補者だよ。これほど神の試練に対して安心できる子供はいないよ。それに、この子は紫苑が全力で守るから心配いらないよ」
ナバニアとカイナは、武力を鍛えることより、神器を得ることの方がとてつもなく難しいと知っていたので、それ以上は何も言えなかった。紫苑は、穏やかにショウランに話しかけた。
「なあ、ショウラン、私たちと――」
「やだ」
「え!?」
紫苑は、予想と真逆の答えを言われて、目一杯驚いて戸惑った。
「え? でも、もう身寄りもいないのだろう? たった一人で……」
「ショウランは一人で生きていく」
そして、さっさと水色の集落へ歩き始めてしまった。
「ショ、ショウラン! 待ちなさい!」
剣姫はおろおろするばかりである。まったく、とカイナが肩をすくめた。
「待てショウラン」
カイナがショウランの両肩をつかんだ。
「なに? おねえちゃん」
ショウランが睨みつけるようにカイナを見上げた。カイナは余裕をもって見下ろした。
「家族を失って、自分のことに対して投げやりになるのはわかるが、お前を守りたいと思う人に対しても投げやりになってはいけないぞ。お金はいくら持っているんだ? 何日生きられるかな?」
ショウランは、むっとして目を逸らした。
「……どこかに、すみこみで……」
「この国でそんなことはないと信じたいが、人さらいや奴隷扱いをする人間も世の中にはいる。子供の言っていることを、誰が自分の名誉をかけて信用する? 子供はいつだって、犠牲になる。だから、守ってくれる人は子供が見抜け。悪い奴なら、逃げ出せ。私たちが悪い人だと思ったら、いつでも逃げていいぞ。どうだ? その間にいろんな人に会って、自分でついて行きたい人を見つけろ。それまでは、一緒にいてほしいんだが」
「……」
ショウランは、カイナと、紫苑たちを見た。特に、紫苑がはらはらした顔をしているのを見て、どこか懐かしさを覚えた。
「……わかった。しばらくいっしょにいる」
それを聞いて、ほう、と紫苑が肩を下げた。それも、ショウランには懐かしい気がした。カイナがバチンと皆にウインクした。
一行は、水色の侵食の去った集落へ戻った。人々の跡であろうか、集落にはあちこちに池ができていた。生き残ったのは老人と壮年、そして運動神経の良さそうな若者が五十人ばかりであった。皆、呆然と池を見つめている。カイナが悔しそうに唇を嚙んだ。
「ここはザラガイン集落だ。五千人は暮らしていた。それが、戦えもせず、無抵抗に毒にやられるとは! 無念であったろう……!!」
五十人は、とにかくその日の食事をどうするか相談しあった。「一位」だけ生き残っても、人は生きていけないのだ。
「水色に浸かった食べ物は、恐くて食べられない」
「とにかく、ガルタ首長にご報告申し上げ、支援していただこう。我々ではこの集落を支えられない。よそへ移住することになるか、新たな人々が移住してくることになるだろう。いつでも動けるように、荷物は整理しておこう」
暫定的に長老が、代理の地方長官として人々の意見をまとめる役となった。
生き残った人間の数を確かめるために、今夜は全員で夕食をとることに決めた。悲しむ間もなく人々は散らばって、食材のために、水色の攻撃に耐えた羊たちを連れて来て、どれを潰すか選び始めた。
紫苑たちは、これから大変なことになる彼らの食糧を奪ってはならないので、自分の食べる分は自分で調達することにした。死亡した人の家から釣り道具を借りることを人々に許可してもらい、近くの池で魚釣りを始めた。
意外なことに、ショウランは釣り竿の扱いを知っていた。紫苑たちと離れて、一人で向こうを向いて釣り糸を垂らしている。魚を捕る網を持ちながら、紫苑は声をかけようかどうしようかと迷っている。カイナが苦笑した。
「邪神を相手に一歩も退いたことのない剣姫が、子供には形無しだな」
「……私は、あの子をいつも不幸にしてしまう。旅に連れて行かなければ、早く旅を終わらせていれば、目を離したりしなければ。いくつもの後悔する分岐点があった。私はもう、私の決断をあの子に伝える勇気がない。世界のためとはいえ、私は、あの子からたくさんのものを奪ってしまった。あの子にどう接していいか、わからない」
「紫苑の過去のことは、私にはわからない。でも、今の私たちは、『あの子』がしてほしいことが、わかるはずだ」
カイナは、背中を向けているショウランを目で示した。とても小さい背中で、隣にも向こう岸にも、誰もそばにいなかった。
「――守ってあげなくちゃ」
紫苑がしっかりとした目で言ったので、カイナは声に出さず笑って紫苑の肩を軽く叩き、ナバニアの釣った魚を網で捕るために、紫苑から離れていった。
紫苑は、意を決してショウランのそばに近づいた。
「ショウラン。釣りはどう?」
「……」
ショウランは、黙ってたらいの中を指差した。水を張った中に、小魚が一匹、泳いでいた。
「あら! 上手なのねショウラン! ねえ、私も手伝うわ。一緒にがんばりましょう」
紫苑がふんわりとした風を起こして、ショウランの隣に座った。紫苑の、暖かい日差しに包まれた、春だと自然に笑みがこぼれる風の匂いがした。
紫苑を知らなかったのに、ショウランは懐かしさで泣きたくなった。しかし、それは絶対に浸ってはいけない感情だった。
「紫苑って、なれなれしいんだね。ショウランは自分で食べるものは、自分でとるから、ほっといてよ。足手まといになると思って手伝うんでしょ」
たらいの小魚が、恐ろしそうにすくんで動かない。紫苑はショウランに優しく話しかけた。
「そんなこと思ってないわよ。私たちにはあなたが必要なのよ」
「どう必要なの?」
たらいの小魚が、動こうとして急ブレーキをかけるという動作を、繰り返している。
「世界を救うために、力を貸してほしいの。あなたに神器の試練を受けてほしいの」
たらいの小魚が行き場をなくしてうなだれている。
「あなたならきっとできるわ。私はあなたを信じてる」
「勝手なこと言わないでよ!!」
突然、ショウランが怒鳴った。紫苑は驚いて網を強く握った。
「みんながいなくなっちゃったからって、すぐに新しい人たちとなかよくできるわけないじゃない!! 勝手に信じられても、めいわくだよ!! たいせつな人をうばわれた気持ち、紫苑にはわかんないんでしょ!! よ、よりによって、お……おかあさんの……ショウランのおかあさんのふりなんかして、バカー!! きらいだ!! きらいだ!! お前なんかきらいだー!!」
ショウランは釣り竿を紫苑に投げつけると、泣きながら駆け出した。たらいがひっくり返り、小魚が草原に放り出された。
紫苑は、自分の行動がまたしてもショウランを傷つけてしまったことに、ショックを受けていた。しかし、後先考えずに走り出して、ショウランを追い、抱きしめた。
カイナとナバニア、パヘトが中腰で見守っている。
「はなしてよ!! どろぼう!! おかあさんをぬすんだ、どろぼうー!!」
「すまないショウラン。知らなかったのだ。許してくれ。お前の母親に会ったことはない。信じてくれ」
草原に放り出された小魚が跳ねている。
「お前の母のようになれると思ったことはない。両親と祖父の思い出はお前だけのものだ。誰も汚せはしないし、入りこめはしない。毎日思い出して、しっかり覚えていろ。意外と忘れていくぞ、気をつけろ!」
ショウランは、涙を止めて落ち着いた。
「ショウランが彼らを世界の中で区切れるなら、彼らが水のように溶けて私に同化してしまうことはない。邪神の猛毒に負けてはならないショウラン。お前が皆を区切ってやれ!」
ショウランは、はっとして紫苑に涙のたまった目を向けた。そして、嗚咽をこらえてうなずいた。
「……それと、私はこれからお前を一人前扱いするから、心配するな。甘やかさないから、厳しい先生だと思ってついて来るように!」
さりげなく接し方を変える宣言をした紫苑に、ショウランは、ほっとした。
カイナとナバニア、パヘトも脱力して釣りに戻った。
その夜、ザラガイン集落の生き残り五十人と紫苑たちは、集落の中央広場で火をおこし、羊の丸焼きを始めた。紫苑も率先して料理の手伝いをした。ショウランたちが釣った、たくさんの魚は、紫苑がみんなのための鍋にしてくれた。焼き魚にするのだろうかと思っていたショウランは、驚いた。パヘトがのんびり笑った。
「料理は紫苑に任せておけば安心だよ」
「……」
ショウランは火のゆらめきに顔を彩られながら、鍋と紫苑を交互に見つめた。
翌朝、水色の領域の向かった方角を人々に教えてもらうと、紫苑とナバニアとカイナはパヘトの両腕と片足に抱えられ、ショウランは背に乗って、後を追った。ショウランは、竜に乗って空を飛んだので、すごく興奮しているのを隠しきれずに、口を大きく開けて流れていく下界を見下ろしていた。
そして、水色の領域が草原を進んでいるのに追いついた。
カイナが一同に伝えた。
「この進行方向に、シアスー集落がある。三万人いる。この水色の速度で、二日かかるだろう。私たちは先にシアスーへ向かい、人々に馬で逃げるように説得しよう。ザラガインの二の舞にしてはならない!」
紫苑が応じた。
「では、地方長官の説得はカイナに任せる。パヘト、第五の聖地は……」
「シアスー集落が守ってきたよ。水色の毒は、邪神のもとに戻る途中なんだね。カイナ、シアスーが水色の毒の攻撃を免れていたら、邪神の配下の毒手がたくさんいるからだよ。逃げるように説得するのは無理かもしれない」
「くっ……そうか……!」
カイナの隣で、ナバニアが腕の筋肉に力を入れた。
「邪神を倒す方が早いかもしれないってことだ。二日もありゃ、なんとかなるだろ!」
ショウランは大人の会話に口を出さず、黙って聞いていた。
シアスー集落の入口に着いた。兵士二人が立っている。
カイナが代表して会釈した。
「旅の者です。物を買い、宿を探すために来ました」
兵士たちは、一行をじろりと眺めた。
「全員、髪に色がついているな。この集落では、白髪になってもらう」
「は?」
カイナたちが呆気に取られていると、兵士の一人が草の束を四束用意した。
「この草は白髪草といって、食べると一日だけ髪が白くなるのだ。この集落の中で白髪でない髪を見せた者は、罰金一万ダカだ。気をつけるように。ちなみにこの白髪草は一束千ダカだ」
紫苑たちは端に集まった。
「カイナ。この集落はいつもこうなのか?」
「まさか! ここを治めているのはクフリツ地方長官といって、こんな無理な通行税を取っているなどという噂は、聞いたことがない!」
「ボク、群青色のままでいいってことなんだね」
「おいおい……白髪から戻らなかったら、賠償金もらえるんだろうな?」
「……」
紫苑、カイナ、パヘト、ナバニア、ショウランは、相談しても仕方ないので、白髪草を買って食べた。四人の髪はみるみるうちに色が抜け、白に変わった。ただ、光に当たったときの髪の影は、紫苑なら赤、ナバニアなら橙色といったように、元の髪の色だった。
「悪いなあ、あんたら」
金を受け取った兵が、自分の兜をずらして白髪を見せた。
「最近、クフリツ地方長官が潔癖になって、汚れのわからない色を許さなくなっちゃったんだよ」
クフリツ地方長官を怪しみながら、集落の様子を探るために中に入ると、ちょっとした広場ごとに、たくさんの決闘が行われていた。相手を殺しては剣を奪い、天に高々と上げている。そして、次の相手に戦いを挑み、または挑まれている。
紫苑たちがわけもわからず立ち尽くしていると、紫苑に叫んだ者があった。
「オレの剣とお前の剣を賭けて、勝負だ!!」
「はあ?」
剣姫は不愉快な声で振り返った。革の鎧を着た二十代の男が、湾曲剣を抜いて身構えていた。
「お前の剣は、珍しい。ぜひオレのコレクションに加えたい!!」
剣姫の目は一気に殺意の色に変わった。畏れ多くも神剣に対して、何の精神力もない者が手に入れたいと思うことは、甚だおこがましいことである。
「殺されたいらしいな」
「オレがお前を殺すんだよ」
「殺すの十秒待って剣姫」
剣姫と男の間にパヘトが割りこんだ。
「ね、おにーさん。このシアスー集落は、殺人大会でもしてるの? あちこちで殺しあってるみたいだけど、殺した数で賞金がもらえるのかな?」
男は構えを休んだ。
「なんだ、お前ら旅人か。殺人大会か、確かにそうも見えるな。オレたちは相手を殺して名剣を奪い合っているんだ。クフリツ地方長官が、名剣の数だけ本人とその一族を官吏に取り立てると約束してくださったからな。初めは殺すつもりはなかったんだが、何人かが暴走して相手を殺して名剣を手に入れ始めた。だから、オレたちは、殺られる前に殺るしかなくなったんだ。今じゃ、一族で集まって、夜襲されないように交代で見張ってるよ。
もう集落とは言えないが、クフリツ地方長官はこれにも耐え抜く利口な官吏が欲しいらしい。だから、クフリツ地方長官が終了宣言するまで、オレたちは生き残り、名剣を奪うしかないんだ」
暴走した数人というのは、邪神の手先になった毒手であろうか。そのとき、男の背後から声をかけた者があった。
「旅人に手を出すな。これは我々の集落の問題だ」
眉の白い、長い髪を後頭部でだんごにまとめた、本物の白髪の老人が、革の鎧を着けてどっしりと立っていた。
「ユウベミ様……!!」
男は戸惑い、ユウベミにぐっと睨まれると、逃げ出していった。
「おけがはありませんか」
「ありがとうおじいさん。もしかして強いの? 若いおにーさんが逃げ出すなんて」
パヘトが、男を殺さずにすんだ剣姫の代わりに会話した。
「私の名はユウベミです。シアスー集落の元騎馬隊長でした。私の剣ビギシャを狙って若者が挑戦してきますが、私の剣技にかなわず、剣を折られて逃げ帰っていますよ」
「へえー、名剣ビギシャってわけか! ユウベミさん、大変だね」
「本来なら若手を指導したいのですが……」
ユウベミは表情を曇らせ、ため息をついた。
「昔は戦士が名剣を腰に差しているだけで、悪人も恐れをなして逃げ、犯罪は未然に防げたものです。それが今では、名剣さえ持てば自分の一族の名が上がるからと言って、名剣を略奪しに向こうからやってくる。情けないことです、剣で守るべきものを、剣を得るために捨てているのですからね。巻きこんで申し訳ない、旅の方々。ここはまるで泥棒の集落だ。早く出発しなさい」
剣姫が冷たい声を出した。
「クフリツ地方長官は名剣とその使い手を選り抜いて何をするつもりなのだ?」
ユウベミはしばらく口をつぐんでいたが、紫苑の神剣の美しさを見て、迷った末に話しだした。
「実は、このシアスー集落に、神器の白鳥と、神器の適合者が二人現れたのです――」
ダラギマとガテヨという、二人の神官が、大神官の座をかけて争っていた。二人は聖人とされていたが、主張が正反対だった。二人の言葉に惹かれるように、シアスー集落の守ってきた神器が、隠されていた池の中から、水晶の白鳥の姿をとって飛び立ち、協円場の入口の屋根にとまった。そして、ダラギマとガテヨの言葉を、じっと聞いている。二人は、水晶の白鳥すなわち神器に認められた方が大神官になれると考えて、ついてくる人の数を増やそうと、躍起になって演説し続けている。
「その頃から、クフリツ地方長官は、この名剣争いを指示されました――考えたくはありませんが――」
言いにくそうなユウベミの代わりに、紫苑が続けた。
「名剣の使い手で神器を砕くつもりだな」
ナバニアとカイナが慌てた。
「大変だ! 急いで向かおう!」
パヘトがのんびり答えた。
「神器は人間には破壊できないよ。それより、隠されたら困るね。そして、その二人の神官にも興味あるな。ユウベミさん、案内してくれない? ユウベミさんと一緒なら安心だよ」
紫苑に殺される人がいなくなるから、と心の中で思ってから、パヘトはユウベミの隣に立った。ユウベミは、神器の話に動じなかった一同に何かの望みを託し、協円場へ案内した。
群衆の集まる協円場の入口の、こちらから見て左側に、水色の長布を巻いた男が立っていた。
「あれが神官ダラギマです」
ユウベミが教えた。ダラギマが人々に話しかけている。
「神は私たちと共にあります。神を信じましょう。信仰こそ光です。ですから、神を信じない者は神敵です。あらゆる罰を受けるでしょう。私も神に従い、彼らを許しません」
群衆の半分がワーと喝采を浴びせた。
すると、協円場の入口の、こちら側から見て右側にいる、桃色の長布を巻いた男が叫んだ。
「神はすべての人と共にあります。罪深さにより罰を受けている人々をこそ、神はお救いくださいます。神を信じている人は、もう私がいなくても大丈夫、己が信仰心に従って生きていきなさい。ですが、罰を受けている人は私のもとに来なさい、救われるまで言葉をかけ続けましょう」
群衆の残り半分が、ワーと喝采を浴びせた。
「今のが神官ガテヨです。おわかりいただけましたでしょうが、ダラギマは信心のある者を大切にし、ない者を許さない。ガテヨは信心のない者を大切にし、ある者を見捨てる。主張が正反対ですが、聖人に値する主張を持っているのです。群衆は半分に割れています。皆、生きていれば、信心があるときと、ないときがあるからです。両者を比較したとき、ダラギマは、信じる者しか救わない冷たい男だと思われ、ガテヨは、人生には様々な出来事があるのに、最後まで人々の信心を見守って支えてくれない、不親切な男だと思われています」
ユウベミの話を聞いて、紫苑が腕組みした。
「二人で協力しあえば全員救えるのにな。だが、主張が違うからだめだな」
カイナが遠くから二人を眺めた。
「男の野心というものは果てしない。しかも神器に選ばれるかもしれないとなったら、なおさらだ。歴史に名が遺る」
パヘトがのんびり笑った。
「でも、二人で一つ、だったりして」
協円場の入口の屋根に、水晶の白鳥がとまっている。光を反射して、きらきらと輝いている。ナバニアは、白鳥の水晶の光が集まって、腹の下に丸い楕円形の光ができているのを見つけた。
「光の卵みたいだな」
ダラギマとガテヨが、口から泡を飛ばしながら、相手より多くの人を救おうと言葉で奮闘している。
その二人の前に、一人の子供が、群衆の中から進み出た。
ショウランであった。
ダラギマとガテヨは、優しく尋ねた。
「どうしたのかな? ぼうや」
ショウランはダラギマに聞いた。
「あなたを信じれば、おとうさんとおかあさんとおじいちゃんが生き返るの?」
ダラギマは優しく返答した。
「私ではなく神を信じなさい。神は、その三人の代わりの人に出会わせてくださいますよ」
ショウランは目を逸らした。
「救ってくれないじゃないか。神様なんていないんだ」
ダラギマが「神敵」にむっとして非難しようとしたとき、ガテヨが優しく割りこんだ。
「ぼうや、あなたこそ救われるべき人です。私の教えを信じなさい」
ショウランはガテヨに聞いた。
「あなたを信じれば、おとうさんとおかあさんとおじいちゃんが生き返るの?」
ガテヨは優しく諭した。
「誰も死には逆らえないのですよ」
「どっちを信じても救われないじゃないか!!」
ショウランは大声で泣き出した。
二人は、子供を泣かせて体裁が悪くなったので、「お前のせいだ」「いやお前が悪い」と、責任をなすりつけあっていた。そして、ショウランを泣きやませるために、二人で同時に聞いた。
「「じゃ、どうしろというんだ?」」
そのとき、水晶の白鳥が起きだした。ショウランは泣きながら叫んだ。
「夢の中でいいから会いたい!! いい子にしてれば会わせてくれるんだったら、いくらでもいい子になるから!! ボク、一生いい子にしてるから!! だから、ボクと大好きな人たちを会わせてよ!! うわあああー!!」
水晶の白鳥が大きな翼を広げ、光のきらめきと共に飛び立った。そして、ショウランの両肘に足をかけてとまった。それから光の卵が腹の下から体内を上がり、嘴から出ると、ショウランの目に当てられている手に渡された。ショウランが掌に載せると、それは光と共に、一本の剣になった。四角い鍔で、四角錐の刀身で、底面の一辺ごとに、二等分する点が、頂点に向かって、線になって走っている。
ショウランは、まったく重さもなく、子供の自分でも振り回せるほどの軽さの剣を見て、戸惑っていた。剣の意識が流れこんでくる。
「……え? 『神器・天帝の剣』? 剣の光の届く範囲に癒しの効果? え? え?」
ショウランが神器を得たので、紫苑は素早くショウランのそばへ走り、毒手を警戒した。パヘトが天帝の剣を見て喜んだ。
「大人が諦めてしまう純粋な気持ち、つまり救われるには本当はどうすればいいかということを、損得も絶望もなく信じる無垢な心の持ち主が、この神器を扱う条件だったということだね。『子供』でないと、難しい」
紫苑が褒めた。
「よくがんばったなショウラン。また純粋な心で、私を助けてくれたな」
ダラギマとガテヨが泡を食った。
「し、神器がこんな子供のものに!?」
「どうなっているんだ!? 人を導く言葉もないのに!?」
紫苑がショウランをかばいながら告げた。
「諦めろ。言葉を選ぶ大人と、言葉を考えない子供が、神の前で自分の意見を述べただけなのだ。お前たちは今のままでは選ばれなかったのだ」
ダラギマとガテヨは言葉を失い、呆然として立ち尽くした。民衆はついて来てくれても、神の前ではそれは何の意味もない。神の前では真実のみが現れる。
「「……」」
ダラギマとガテヨが思わず見つめあったとき、兵士百名を連れた、馬に乗った男が現れた。革の鎧を着て、白い毛皮の帽子をかぶっている。
「クフリツ地方長官!」
ダラギマとガテヨ、そして人々が礼をした。
クフリツは、鼻の先と顎が何かの入った袋のように細長く丸まっている、四十代の文官上がりの男だった。
「それが神器か。皆の者。囲め!」
クフリツの号令で、百名の兵がショウランたちを囲んだ。パヘト、ナバニア、カイナがショウランと紫苑のもとへ集まった。
いつの間にか、名剣争いをしていた人々が、クフリツの周りに集まっていた。
「お前たち。その名剣と鍛え上げた腕で、神器の剣を砕け!」
クフリツの命令と共に、名剣を掲げて、人々がショウランに飛びかかってきた。紫苑が神刀桜で一閃すると、死体は剣を残して毒の汚水に変わった。
「やはり毒手か!!」
人々は、目の前のことが理解できず混乱を起こした。毒手でない剣士が、戦うのを躊躇している。クフリツが命令を続ける。
「行け!! 我が兵士たち!!」
「名剣争いをしている者たちよ、聞け!!」
紫苑はクフリツではなく人々に叫んだ。
「他人の名剣を奪ってでも手に入れようとするとは、なんと卑劣で愚かなことか! 勝って誰が救われる! 自分と自分の周りの者だけではないか! 名剣とは人々を悪から救った剣のみが得る称号である、その剣を何の功績もない者が盗賊まがいの戦いで命を担保に奪い合ったら、本当に名剣を手に入れたと言えるわけがないであろう! 英雄が使うから名剣なのであって、何の実績もない者が手にしたら、それはもう名剣ではなく、ただの名もない剣だ!」
人々は動揺していた。官吏にはなりたいし、自分を守る名剣は欲しい。だが、確かに名剣を使いこなすことはできず、戦争のとき果たして自分は剣の名に恥じない戦いができるかどうかと、大きな疑問に思えてきたからだ。
紫苑がきっぱりと言い放った。
「英雄を倒しても英雄にはなれないし、名剣を得ても名剣士にはなれない。なぜなら、困難に立ち向かう勇気を示していないからだ!!」
人々は、急に、自分が策を弄して手に入れた名剣を持っているのが、恥ずかしくなった。そして、そもそもの原因であるクフリツ地方長官に視線を向けた。
そこで、クフリツはククククと口の奥で笑いだした。そして馬から下りると、ひざまずいた。人々が驚いていると、白い毛皮の帽子から、もう一つ頭が出てきた。目と鼻まで覆う兜をかぶり、肘から手首までの革の防具と太ももから爪先までの革靴をはいた、濃い黄色の上着とズボンを身に着けている男が、クフリツの背に乗る形で登場した。クフリツは四つん這いになって、男を乗せている。
男は両手に一本ずつ、鉈に似た黒い剣を持っていて、振り回した。
『お前たちは何者だ? 神器を守るなら、私の敵だな』
パヘトが素早く紫苑たちに説明した。
「あれは第五の邪神・ボロヘスだよ。聖地がシアスー集落の中にあったから、クフリツは直接邪神の餌食になったようだね。行動範囲が広いから、かなり力をつけているのかも」
紫苑は邪神・ボロヘスの前に進み出た。
「あの水色の毒は、お前の仕業だな?」
『なんだ。大事な人でも葬られた復讐か? 無能だったのだから、いいではないか。この世には有能な人間だけ残っていればよい。なぜなら私が使うとき、無能は役に立たないからだ。神に仕える者にふさわしくない』
ボロヘスは堂々と笑った。そして、鉈剣を振り回した。
『無敵結界・疾走園!!』
鉈剣から無数の黒い鉈が飛び出し、それが落下して、広場に黒い鉈の柵が、円周を描いて設けられた。紫苑たちだけでなく、毒手ではないと思われる一般人も入っている。
「ナバニア!! カイナ!! ショウラン!! 人々を頼む!! パヘト、昇龍の鎧でボロヘスを囲め!!」
紫苑は顔の左半分に、目の穴も口の穴もない完全な半月の仮面をかぶると、ボロヘスに向かって駆け出した。
「ボロヘス!! 人間は有能無能で生死を決められるほど単純じゃねえ!! 心がないなら技が全部満点でも、有能じゃない!! 何が役に立つか立たねえかは、時代と場所によって違う!! だから自分の居場所を求めて、人は旅をするんだよ!! 神に仕えるにふさわしくない人間なんて、いねえんだよ!! そいつが旅をして、ちゃんと帰ってくるまで待っててやれよ!! それが本当の神だろうが!!」
ボロヘスは、クフリツを四つん這いのまま、馬のように走らせた。
『詭弁だな! その能力しかないのに一つの仕事を一分でする者と一時間でする者、どちらを選ぶ? 一分に決まっているだろう! 一時間の奴を選んで、仕事がはかどらずに、老人にでもなっているがいい! 世界の最先端をいくのは常に私だ! 後れを取る奴らは、一時間の奴に同情して仕事をさせるからだ。一分を取る私に、常にかなわない!!』
男装舞姫はボロヘスの鉈剣と交刃した瞬間、稲妻を食らって弾き飛ばされた。ボロヘスの容赦ない鉈剣の攻撃を、男装舞姫は白き炎を全身から放って後退させた。それでも、ボロヘスは火傷一つ負っていなかった。
「パヘト!! 昇龍の鎧は――」
「ごめん紫苑、全然通じないんだ!!」
パヘトの鎧の力、風守がボロヘスを囲んでいるが、すぐにそよ風に変わってしまう。
「俺の剣も交刃の衝撃はなかった。『無効にされた』という感じだ」
紫苑の言葉を聞いて、ボロヘスが笑いだした。
『私の無敵結界は、私が白い頭の何かに騎乗している限り、どんな攻撃にも私が無傷であり続けるのだ。今、私の騎乗するクフリツを殺すか? 無駄だ。“馬”の替えはいくらでもいる』
そう言って、ナバニアたちの守る人々を見た。
「だから皆を白髪にしたのか! クッ、この無敵結界を破らなければ……!!」
男装舞姫を嘲笑うように、ボロヘスがクフリツに乗って鉈剣を振り回した。交刃すれば稲妻を受けるので、男装舞姫は転がり回るしかない。
『そらそらどうした!! 骨のない奴め、逃げてばかりか!!』
「くっ……! くっ……!」
男装舞姫が苦戦していると、それを見てショウランが走り出した。ナバニアとカイナが追いかけようとすると、ショウランは神器・天帝の剣に糸をかけて、釣り竿のように飛ばした。クフリツが天帝の剣に手を引っかけて、転んだ。乗っていたボロヘスは、投げ出された。
『はああ!?』
ボロヘスは怒って起き上がり、その機を逃さず飛びかかってきた男装舞姫の双剣と、交刃した。鉈剣が鈍い音を立てて震えた。クフリツが素早く起きて、ボロヘスを背に乗せた。男装舞姫が再び距離を取ったので、ボロヘスは冷静になり、ショウランへの怒りが湧いた。
『神器にふさわしい攻撃でこの神に向かってくるわけでもなく、この神を騎乗から地上に転ばせるとは、瀆神にもほどがある!! 真っ先に殺す!!』
ボロヘスとクフリツがショウランに向かってきた。ナバニアがとっさに明水の技で、光を内包する水を流した。クフリツは足を取られて再び転ばされた。
『ぐぐぐ、二度もー!!』
ボロヘスがクフリツから投げ出されて、再び怒ったとき、
「神刀桜・開力!! 濃桜ッ!!」
男装舞姫の凜とした声が響いた。
桜の香りが辺り一面に広がり、場を支配した。鼻をくすぐる穏やかで軽やかな甘い香りが、香りの結界を作る。
『(しまった!! 無敵結界を打ち消そうとしている!!)もう一度張り直しだ!! 無敵結界・疾走園!!』
ボロヘスの無数の黒い鉈が、男装舞姫の香りの空気を斬り裂こうと飛び立つ。一方濃桜の結界も、甘い香りで無敵結界の内部から侵食し、崩壊させようとじわじわと広がっていく。両者は、お互いを倒そうと空中を乱舞した。
結界のせめぎあうなか、パヘトはボロヘスを乗せようとしていたクフリツを、昇龍の鎧の風で囲むことに成功した。ボロヘスが怒り、片手の黒鉈剣をクフリツに振りかぶった。
『なんだ、これしきの風――』
「神器・覇者の冠! 火粒虫散!!」
カイナの冠の赤い水晶球が赤く輝き、わっと光を散らした。火の羽虫が、ボロヘスに襲いかかる。
『なっ、こしゃくなッ!!』
一瞬、ボロヘスが、片方の黒い鉈剣を振り回した。
「今だッ紫苑!!」
カイナの声より早く、男装舞姫が跳躍していた。
邪神ボロヘスは、両肩からへそにかけてⅤ(ブイ)字に斬り離された。
『なぜだ……自分だけの力を持つ者を選んで何が悪い……私の世界の役に立つ者にしか、生きる価値はない……!!』
邪神ボロヘスが目を閉じかけて、声を絞り出している。
男装舞姫の仮面を外して剣姫に戻った紫苑は、黒い鉈剣の上に足を乗せて、そのそばに立った。
「自分の身の回りを区切れなければ水になって消えてしまう、か。だがそれは『力』で区切るのではなく、『信念』で区切るべきではないのか。『力』は一番かどうかでしか判断できない、他者を許さない狭い世界だ。『信念』なら誰もが持てるし、一番がなく、皆と助けあうことが自然の状態になる、広い世界だ。喜怒哀楽を生きていくのに何の落ち度もない人々を、お前の時間で区切って水にしてしまうのは、間違っている」
『……少数精鋭は、容れられぬ、か……』
邪神ボロヘスは息絶えた。
邪神が倒されて聖地であるシアスー集落が輝きだした。残りの毒手は、聖地の輝きを受けて毒の水になってしまった。紫苑が、
「汚浸砂漠・分解」
の、言霊で、汚水を浄化した。
そして、広場に五角柱の半透明の光がせり上がった。
パヘトが皆を促した。
「人々に祝詞が聞かれないよう、ボクの昇龍の鎧の力で空へ上がろう」
五人は空で五点の角に立ち、紫苑が神器・光輪の雫、パヘトが神器・昇龍の鎧、ナバニアが神器・きん星、カイナが神器・覇者の冠、ショウランが神器・天帝の剣を掲げた。そして、紫苑が星方陣の祝詞を唱えた。
『己の答えは何なのか。その思考、その誓い、己の力なり。千の剣、万の恵、己の世界に証する。是すなわち真の寿なり』
五角柱の五角星方陣が、完全なる光の五角柱となり、天に光を突き上げた。
すべての高山に暖かな風が吹き、すべての砂漠に緑の道ができ、すべての草原に清らかな川が流れ始めた。
すべての厳しい自然に、新たな命を育む恵みが与えられた。
パヘトが訳した。
「『どんなにたくさん高山があっても、一つとして同じ高山はない。高さも鉱物も土も、そこに棲む命も、まったく違う。それは数ある砂漠も、大きく広がるたくさんの草原も同じことだ。どんなに似ていても、自然は一つとして同じものはないではないか。人間も堂々としておれ。一人として同じ人間はいないのだ』。だってさ。要するに、自然と一緒にがんばろうってことだね。命が育つ場をくれるのは、自然だもの。大本の星を忘れてもらっちゃ困るけど」
「一人ひとり違うんだ、そうだよな、これだけ大きい自然だって、一箇所ごとに違うもんな、よかったー!」
ナバニアが地上に降りて胸をなで下ろした。
「星も自然も、いつも人間に道をくれるな。感謝しなければな」
カイナも、ナバニアに微笑んだ。
五角星方陣は、すべてが終わったあと、「五」の字になって、ショウランの右手の甲に浮かんだ。
ショウランは、五角星方陣で草原に流れた川で、一人で釣りをしていた。心の中で、紫苑が正しいことを言っていたことを、ずっと反復していた。この大人なら、ついて行ったらきっと自分はきちんとした大人になれるような気がした。
きっと、いつか心の中で両親と祖父を救える、立派な大人になれる気がした。
「ショウラン。魚はいるか?」
紫苑が草原の匂いと共に隣に立った。
「うーん、泳いではいるんだけど、エサが違うのかな」
ショウランは、川の中に十数匹の魚がいることを教えた。そして、そのまま聞いた。
「あのさ、人って自分のいばしょをもとめて旅をするんだ?」
「そうだ」
紫苑は短く答えた。
「あのさ、もしボクが旅に出たら、帰るまで待っててくれる……?」
ショウランは魚から目を離さず、釣り竿を握りしめた。
「ショウラン」
子供は、びくっと動いた。
「よく私の言葉の意味がわかったな。ありがとう」
ショウランは、紫苑を見上げた。紫苑は、その頭をなでた。
「私が守ってやるから、大いに行け!」
ショウランは、瞳の光が波打った。そして、頭をなでられたまま、頭を下げた。
「これからよろしく、紫苑。あと……きらいなんて言って、ごめんなさい」
紫苑は優しく笑った。
「気にするな。そうだな……その代わり、今日の魚釣りは私が勝とう」
「え?」
「神器・光輪の雫、炎・月命陣!!」
紫苑の杖から三日月・上弦の月・満月・下弦の月の形の炎が雨あられと現れ、川の中に飛びこむと、月の平面に魚を載せて、川の外に跳ね上げた。
「どうだ、五匹も釣れたぞ!」
「あーっ、ずるいや!」
紫苑とショウランは、大笑いした。
それを見ていたパヘトは、
「しょーがないなあ。これからのショウランのことはボクも見ていてあげるよ。今度からボク、ぼくって言おうっと。ショウランが強くなったのはいいことだからね。ぼくって優しいなあ。かわいいっ!」
そして、紫苑の釣った魚を見に行った。
「星方陣撃剣録第三部黄昏の公転一巻・通算二十五巻」(完)
星方陣の祝詞の中の『己の世界に証する』の『証する』は、『証明する』の意味でお読みください。祝詞全文の意味は、
「自分の答えを出した者に、その思考と誓いが千の剣、万の恵となって、自分の世界に、それが自分の力になることを証明する。このことは祝うべき真のめでたい事柄であり、また、自分の答えこそが真の祝いの言葉である」
です。




