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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第三部 黄昏の公転 第一章(通算二十五章) 青い月
143/161

青い月第四章「反発消滅」

登場人物

赤ノ宮九字紫苑あかのみやくじ・しおん。双剣士であり陰陽師でもある、杖の神器・光輪こうりんしずくを持つ、「土気」を司る麒麟きりん神に認められし者。阿修羅あじゅら神が救いの道を示したあとの元の星に、邪闇綺羅じゃぎら神の力で戻ってきた。十の星方陣を成して星を救うために、戦う。

パヘト。以前竜の国で出会った小竜のパへとで、星の意思を守る存在に変わった。紫苑がこの星で存分に戦えるように支える。

ナバニア。海船かいせん民族の青年。閼嵐あらんにそっくりな姿をしている。

カイナ。戦馬せんば民族の女武人。




第四章  反発消滅



 三角星方陣は、すべてが終わったあと、「三」の字になって、ナバニアの八重歯に焼きついた。

 あかりみずは水気の術で、船を進めるときに役立つから覚えたのだと、ナバニアが説明した。

 三人は、大陸の中央地方に入っていた。

 広大な草原に、馬に乗り弓を持った人々が行き交っている。

 山脈を背にした、城壁も何もないだだっ広い土地に、円蓋の平屋テントが点々と形作られ、馬や布、武器、穀物などを売っていた。町というより、市が立つために日を決めて集まっただけ、という感じだ。

 服装は、毛皮と革でこしらえたものが多い。男は頭にぴったりはまる毛皮の帽子、袖だけ締まってあとは風をはらむようなやや大きめの上衣に、ぴったりしたズボン、そして革の長靴。女は、耳まで覆う少し長めの毛でできた毛皮の帽子に、革のワンピースズボン、そして革靴だ。男も女も、馬に乗りやすい服装なのだ。

 服の色は、茶色や黄土色が主流である。

 ナバニアが説明した。

「彼らは戦馬せんば民族だ。馬と共に生き、戦う。物欲はあまりないが、馬の牧草地を得るためなら戦争も平気で起こすはずだ。馬は自分の半身だからだ」

 紫苑は市を眺めた。

「ふうん、そういう価値観か」

 そのとき、一群の騎馬隊が市に雪崩なだれ込んできた。

「城に入った賊は、ここで盗品を売るはずだ。捜せ!」

「はっ!!」

 槍を持った女の指揮官の声で、五人の騎兵は市の四方に散った。その女の声、姿に、紫苑は目を丸くした。

 水が光を照り返すかのように真っ白に輝く、刈り上げられた短い髪は、ゆるやかな癖毛で、水色の影を帯びている。水が安らかにうねるような眉、泉が湧いた瞬間のようなやや丸い目、深くに思慮深さをたたえたような湖色の青い瞳。急流を水が下るような勢いのある鼻。湖面がそよ風に吹かれたように優しく結んで微笑みゆるむ口唇、海の水が光にきらきらときらめき、四角くつないで揺れたような色の白い歯、そして滝のように白い肌。彼女からは冬の雪の匂いがした。

氷雨ひさめ!!」

 紫苑が馬の前に飛び出たので、女は槍を横に向けて急いで馬を止めた。

「何者だ!! 危ない、さがれ!」

「氷雨……ではなかったな……」

 紫苑は、自分がこの世界でたった一人、外から来た人間だということを思い出した。

 パヘトが力なく立っている紫苑の隣に来た。

「ねえお姉さん。ボク竜族だよ。ボクとこの赤い髪の女の子の組み合わせ、知ってるよね?」

 紫苑が顔を上げた。

「パヘト?」

「紫苑の仲間と同じ姿なら、ここでも仲間になってくれるよ。ほら。あのお姉さんもボクたちを知ってるみたいだよ」

 氷雨そっくりの女は、戸惑ったような顔をしていた。

「あれは偶然そう読めたわけではなかったのか……」

「ボクたちと一緒に、来てくれない?」

「カイナ様!! そちらへ賊が!!」

 パヘトの声をかき消すように、五人の騎兵が馬を飛ばしながら叫んだ。その前に、一頭の茶色毛の馬に乗って逃げる男がいた。

「どけっ!!」

 カイナの名に驚いている紫苑をよけて、カイナは茶色毛の馬の男に向かっていった。男は三つに折りたたんでいた伸縮棒を一振りして一本の槍にすると、カイナを突き刺すべく突っこんだ。

「氷雨ッ!!」

 紫苑が叫んだとき、馬がいななき、つちぼこりと共に落馬した者があった。

 土埃がおさまったとき、もぎ取ったのであろう男の槍を小脇に抱えて、地にのびる男を馬に乗ったまま平然と見下ろしているカイナが、勇ましく現れた。

「(さすが氷雨に似た者だ、槍の扱いが達者だ)」

 と、紫苑が思っていると、五人の騎兵が追いつき、男を縛り上げ、持ち物の入った袋を逆さにして中身を全部出した。

 中から金色のトゲだらけのつづみのようなものが出てきた。

「ありました! おにのもちまくらです!!」

 うおーと騎兵が喜びの声を上げている。紫苑は、「鬼の」までしか理解できなかった。

「え? 何?」

 紫苑がパヘトに尋ねるのを押しのけて、ナバニアが目を輝かせて前に出た。

「それが戦馬民族に伝わる、伝説のもちつき道具か! いいもの見たなあ!」

「え? 何?」

 紫苑が今度はナバニアに尋ねたので、ナバニアは鬼のもち枕から一回も目をらさず説明した。

「この中に蒸したもち米を入れて、トゲにびくともしない頭の硬い鬼が、これを枕にしてひどい寝相で寝ると、ちょうどよいつき具合のもちになったそうな。そのとってもおいしいおもちは、王様の食卓に欠かせないほどだったそうな。鬼がいなくなった今では、王自ら鉄兜をかぶって、この枕でもちをついているとのことだそうな」

「そ、そうか。大変貴重な枕だな」

 紫苑は、料理人として新しい調理法を知ったが、まねはできないと思った。

 カイナが号令した。

「よし、第六指揮官カイナ、および騎兵たち、これより王城へ帰還する。盗賊と盗品は確保した! 行くぞ!」

「ちょっと待ってよー!」

 カイナが紫苑たちに構わず馬で駆け出したので、パヘトが紫苑とナバニアを両手でつかんで、飛んで追いかけた。

「……」

 それを馬上で振り返って見たカイナは、自分の前方の空の雲を眺めた。つい先日、雲は、

『世界のために赤髪の双剣士と竜と共に戦え』

 という文字を、カイナに見せたからだ。

 小一時間ほど馬で駆けると、草原に囲まれた岩山の山脈が見えてきた。ひときわ大きな岩山に扉と窓がいくつも開けられていて、一つ一つの窓から赤や黄色の原色の織物が垂れ下がっている。そして、草原にはさきほど市で見かけた、円蓋の平屋テントがたくさん集まっていた。どの家も馬を数頭から数十頭飼っている。畑や田んぼはない。

 カイナはそこで馬を止めると、紫苑たちを見上げた。

「降りて来い。お前たちがここで騒ぎを起こしたとき、私の名前を出されては困るから、少し世話してやる」

 パヘトは二人と共に地上に降りた。カイナは軽く説明した。

「ここは戦馬民族の首長のおわす地・ベルタだ。この地の名の元となったベルタやまをくり抜いて、そこをこの国の城と定めている。この地に集まっているのは戦士とその家族のみで、商人や農民はいない。買い物は、さっきまでいた市まで赴かなければ、できない。だからお前たちは、この地の者に宿を求めたり、食糧を買うことを求めたりすることはできない。何か用があるなら私に言え。いいな。ちなみに米は交易で手に入る貴重品だから、気安く買えるおもちの店はないぞ」

「はーい」

 パヘトがのんびり返事をした。カイナは続けた。

「それで、一応首長に会ってくれ。私はこの戦馬民族の、第六騎馬隊指揮官、カイナだ。お前たちの旅についていくとなれば、私は首長のお許しをいただかなければならない」

「ふーん、説得するの? でも、いつの時代も権力者って、一文にもならないことは芽を摘むんだよねー。そういう人を竜族は利用し尽くしてきたんだけど。はっはっはっ」

「パヘト、笑えんぞ。それで竜族は滅びたのだろうが」

「ははは、そうだったねえ」

 竜と赤髪の少女の会話をすべては理解できなかったカイナは、部下にせかされて、下馬して岩山の中に入って行った。紫苑たちも続いた。

 岩山の中は、明かりは窓からのみで、薄暗く、ひんやりとした冷気に満ちていた。パヘトが大きく息を吸った。

「すごく静かで厳かだね。おいしそうな気を持ってる」

 岩壁には、革のマントを羽織った体格のいい男性の絵が、何人も飾られていた。金色の布の帽子だ。カイナが説明した。

「これが歴代の首長の肖像画だ。他にも国に報いた武勇のほまれ高い歴戦の勇士たちの肖像画もあるぞ。我が首長は民を大切にするし、我々もそんな首長を慕っているのだ」

 一同は、広い空洞に出た。奥に一人、左右に五人ずつが、布の上に座っている。

「ガルタ首長! 鬼のもち枕を、取り戻してまいりました! これが盗賊です!」

 カイナが鬼のもち枕をうやうやしく掲げ、騎兵が盗人を転がした。

 岩の床に厚い布を敷いてあぐらをかいている一番奥の人物が、その盗人を見下ろした。岩のように骨格のごつごつした、四角形に近い体である。両手は交差させて、胸に当てた格好をしている。金色の布の帽子をかぶっている。

「カイナ指揮官、よくやった! この野郎、よりによって我が国の国宝である鬼のもち枕を盗みやがって、ぶん殴ってやる!!」

 ガルタ首長は、自分の革靴を片方脱ぐと、盗人の頬にガンと殴りつけた。盗人はたまらず額を岩の床につけてのたうち回った。

「こんな野郎は全兵士の馬で踏みつけて踏み殺せ! 連れて行け!」

「はっ!」

 兵士たちが、盗人を連行していった。

 ガルタ首長は鬼のもち枕をうっとりと眺めている。

「明日のごはんはおいしいぞう!」

「ガルタ首長」

「なんだカイナ」

 ガルタ首長は目が醒めてカイナを見た。

「実は、ガルタ首長とお話がしたいと申す者がおります」

「初めましてー! ボク、パヘトです!」

 パヘトがカイナの前に飛び出して、あっという間にガルタ首長の隣に飛んだ。

「なんだお前! 首長に対して失礼だぞ!」

 身を引くガルタ首長に、パヘトが囁いた。

「ボク、この国にある神器しんきのありか、知ってるよ」

「……!」

 ギクリとして、ガルタが止まった。どこから情報が漏れたのか探り、この生物を殺しておかなければと、目に殺気が宿る。

「あのね、その神器、カイナが使えるかもしれないんだ」

「なにっ!?」

 神器は使い手を選ぶ。それゆえ、うかつに試練は受けられず、大抵たいていの国は放置している。だから、神器を扱える者がいるというのは、その国にとって戦争に有利な戦力を得ることにつながる。伝説の鍛冶職人ヴァン=ディスキースが各国に同数の武器を与えて以来、各国は戦争を諦めたが、その均衡を破れるものが一つだけある。神器の使い手の数だ。この数さえ揃えられれば、戦争に勝つ見込みが生じる。自分の主張を他国に強制することができる――!

 ガルタ首長の目の色が変わった。

「確かなのか?」

 パヘトはのんびり答えた。

「可能性が誰よりも高いよ。ねえ、だからカイナをしばらくボクたちの旅に加わらせてくれないかな。もしダメって言われたら、ボクたち、他の人に神器の試練を受けてもらうつもりだよ」

「それは誰だ?」

「さあね。まだ見つかってない」

「……」

 ガルタは考えこんだ。外国人に神器を渡すわけにはいかない。しかし、カイナは大事な家臣だ。もし失敗したら、優秀な指揮官を一人、失うことになる。

「要はおじさんが、カイナを信じられるかどうかだよ」

 パヘトにのんびり言われて、ガルタはうっ、と言葉に詰まった。

「……まったく、そんな風に言われちゃ、家臣を大切にする首長一族は黙ってられねえな。カイナ! こいつらと行ってこい! うまくいったら、この城にお前の肖像画を飾ってやる! がんばれよ!」

 カイナは礼をした。

「ご命令、しかとうけたまわりました」


 カイナは馬を家族のもとに預け、徒歩で旅に加わることにした。ハートを割ったような形の毛皮の帽子に、革の胸当て、しわの少ない長ズボン、革のブーツ。簡素な姿だが、赤い口紅とマニキュアを塗っている、三つ折りにした槍と湾曲剣を腰に差している。自己紹介をしあいながら、パヘトが両手と片足に三人を抱えて、市場へ戻った。食糧を調達するためである。

「まず、水だな」

 カイナは太い枝を売っている女性のもとへ向かった。

「ルビーの枝を十本くれ」

「四千ダカよ」

 カイナは、肘から指先までの長さに切られている焦げ茶色の太い枝を十本抱えて、縄で束ねると、矢のように背負った。紫苑が尋ねた。

「それが水? 水の術でも入っているのか?」

 カイナは笑った。

「これはルビーの樹という名の樹木の枝だ。切ると、ルビー色の液体が出てくるからその名がついている。栄養満点で、これを飲んでいれば体力が落ちることはない」

「便利な水筒だな」

「まあな。よし、次は食糧だ」

 カイナは、みかんの大きさの黄緑色の実が十個ほどブドウのように鈴なりになっているものを売っている女性の前に、行った。

かしわりの束を五つくれ」

「五千ダカね」

 カイナは、五束を袋に入れて、かついだ。

「それも栄養満点なのか?」

 紫苑に問われて、カイナはうなずいた。

「旅に出る者の主食だ。一個で一食分の栄養になる。中を見ればわかるが、水晶のように透明で、きれいなのだ。そして、日が経つごとに色が変わって、味が甘くなっていく。旅の間も味に飽きが来ない、ありがたい実だ。だから名前が、両方を合わせてかしわりというのだ」

「ほう……それは興味深い。ぜひ私も食べてみたい、買おう」

「あ! 紫苑ーボクにもボクにも! あとルビーの枝の水も気を飲んでみたいー!」

 紫苑とパヘトが市場で買い物をしている最中、ナバニアがじっとカイナの枝と袋を見ていた。カイナが気づいた。

「お前は買わないのか?」

「いや……今、いくつ買うべきか頭ん中で計算してた。買い過ぎたら損だけど、旅は何があるか、わからないからな」

「お互い、不思議な使命を帯びたものだな」

「ああ。でも、仲間があんたみたいな人でよかった」

「え? なぜだ」

「あんたたち戦馬民族は、食べ物を宝石にたとえる。そういうの、いいことだと思うぞ」

 カイナは、はははと笑った。

「我々の地方は、作物用の土地より、馬に草を食べさせるための草原を確保する方が優先されるから、人間用の畑はなかなか作れない。だから、どんな食べ物もとても大切にするのだ」

 そして、ナバニアをからかった。

「しかし、そんなことを言うお前も、本物のルビーとこのルビーの樹の枝のどちらかを選ぶときは、ルビーを取るだろう? お前は商人の海船民族だからな――」

「いや、オレはルビーの樹の枝をもらう」

 カイナは笑うのをやめた。ナバニアは、紫苑に言ったことを繰り返した。

「オレの稼ぎでない金銭はいらない。オレは誰かの役に立つ水を選ぶ。人を救うものにこそ、選び取る決断の価値がある」

 カイナは、まじまじとナバニアを見つめた。

 ナバニアは、買う数を決めたらしく、市へ入っていく。

「待て」

 カイナがついてきた。そして、大きな葉を女性に注文して、自分が買ったのと同じ量を、くるませた。そして、ナバニアに渡した。

「? これには何の意味があるんだ? カイナ」

 戸惑っているナバニアに、カイナは少し顔を赤くして、

「あ、ああ、戦馬民族はこうやって贈り物をするのだ。お前の気持ちは戦馬民族として嬉しいから、贈りたくなったのだ! 受け取ってくれ!」

 ナバニアは、物を贈りあうのは信頼の証だとわかっていたので、葉包みを受け取った。

「ありがとうカイナ。オレはあいにく贈る物の持ち合わせがないが、海船民族の格闘の手ほどきなら贈れるぞ。もらってくれるか?」

 カイナは真っ赤になった。

「そ、それは願ってもないことだ! 武人として、ぜひ教えてほしい!」

 紫苑が戻ってきたとき、市場の隅で、二人は戦いの最中だった。

「いいか? 相手がこう来たらここを押さえろ」

 ナバニアがカイナの肘を、自分の腕でしめている。

「こっ、これは……す、すごい腕力だな……」

 カイナは顔を赤くしたまま、口から湯気が出そうである。

 パヘトがのんびり声をかけた。

「指揮官カイナ、ナバニアに勝てそう?」

「う、うむ、私の専門は剣と騎馬における槍だからな。格闘になったら経験の差で今は私にが悪い。しかし、何事も訓練だ。これから鍛えさせてもらう」

 ナバニアが微笑んでうなずいた。

「そうだな。指揮官って言ってもカイナは女性だ。武器がないとき、身を守れるようにしておかないとな。一つ一つ易しい順に、技を教えてやるよ」

 カイナは海の水が光で四角くきらめいているような白い歯を、大きく見せた。

「本当かっ!?」

 しかしナバニアはそのまま紫苑の方に、にっこりと笑った。

「オレは紫苑もそうした方がいいと思うぞ。オレの特訓で!」

 パヘトが大笑いした。

「紫苑はすっごい強いよ!」

 ナバニアは口を尖らせた。

「それは剣があるからだろ! 剣がないときにはオレの格闘術が必要になるんだよ!」

「紫苑には術の力もあるって」

「術の力もないほど疲れたときだよ!」

 紫苑は驚いてナバニアを見ていた。

「(酒に酔ってなくても食い下がるのか。本当に閼嵐とは違うのだな。そういえばカイナも、おそらく過去の人喪志ひともしこくの姫君、開奈かいなと関わりがあるのだろうが、神器は使えても剣と槍の戦い方ではなかった)」

 ナバニアは、いつの間にか紫苑の目の前に来ていた。しまった、近寄らせすぎたと紫苑が下がろうとしたとき、ナバニアは紫苑の両腕をつかんで、交差させて自分の筋肉に触らせた。

「どうだ? オレの自慢の筋肉は! オレが特訓すれば、お前もこうなれるぞ!」

「なりたくない〈即答〉」

「なんで!? 一緒にムキムキになろう! オレは……」

 紫苑は目だけ空を見上げた。

「(ムキムキになったら、邪闇綺羅じゃきら様にかわいくないって思われちゃうじゃない)」

「ムキムキな女が好きなんだ!!」

 紫苑は一瞬、ナバニアが何を言ったのかわからなかった。しかし、冷静に文をつなげてみると、明らかに何か重大なことを言っている。

「オレはお前にムキムキになってほしいんだ!!」

「(えーっ!!)」

 紫苑は、告白されたことより、閼嵐にそっくりのナバニアが誰かに告白したことの方に驚いた。

「(閼嵐が告白したら、こんな風だったのかなあ)」

 しかし、驚いてばかりもいられない。断り方一つで、「もう旅について行かない」と帰ってしまいかねない。

 さて、なんと言って断るべきか?

 パヘトがのんびりと眉のあたりを寄せて、困った顔をした。

「あのお方がいらしたら、ナバニアも告白を諦めていただろうにねえ」

 紫苑も呟いた。

「そうだな……私を救えるのはあのお方しかいないことが、わかったのだが……」

 紫苑が断り方を考えて無言なのを、ナバニアは迷っているのだと解釈した。そこで、大きな手で紫苑の頭をわしわしとなでた。

「オレが好きなんだ。お前もオレを好きなのは当然だ」

「髪が乱れるからやめろ」

 紫苑は、今は返事をせず、これからしばらくナバニアを観察し、仲間から外れない断り方を見つけることと、筋肉は鍛えないことを決めた。

 カイナは、口紅のついた下唇を、マニキュアを塗った指で押さえて、一言もしゃべらなかった。

 四人は出発し、やがて何万人分もの円蓋の平屋テントがある、湖のそばの集落に近づいた。

 カイナが説明した。

「ここはイサバルタの地だ。湖の水資源が豊富なため、人口が特に多い。兵士のなり手が最も多い地だ」

 しかし、イサバルタの地からは、戦争のような声が響いていた。ナバニアが目をらした。

「武術大会でもやってるのか?」

 カイナは不安気に答えた。

「そんな話は聞いていない。まさか、侵略でもされたのか――」

「このやろう、死ねえ!!」

「てめえが死ね! とっとと死ねえ!!」

 集落の入口で、男二人が湾曲剣を斬りつけ合っていた。紫苑は止めに入るか迷いながら二人を見たとき、とっさに止める方向に体が動いた。

 二人の顔がそっくりで、双子と思われたからだ。

「「なんだてめえは!!」」

 二人に同時に怒鳴られ、紫苑は困った。

「確かに私も家族でもないのにしゃしゃり出るのはよくないが、しかし何をやっても比較されあう双子だからといって、相手を殺すことはないだろう」

「「オレたちは双子じゃねえ!!」」

 二人が再び同時に言った。紫苑たちの方がびっくりしてしまった。

「「こいつを殺しておかないと、オレが殺されるんだ!」」

 二人が互いを指差したとき、その人差し指がわずかに触れ合った。

「あ!」

 二人は顔を歪めたまま消滅した。

「え? なんだこれ!?」

 一同は二人のいた場所を探しているうちに、集落中が、同じ顔の者同士で三人も四人も集まり、殺し合っているのに気がついた。そして、触れ合った者は消滅している。

「邪神の猛毒だなパヘト」

「そういうこと紫苑。聖地は近いからね」

 消滅した者たちは、光の球になって、一方向へ飛んでいく。紫苑が追おうとしたとき、ナバニアを呼び止める者があった。

「あ! ノーキア姉ちゃん!」

 ナバニアの声で振り返った紫苑は、目を丸くした。

 ナバニアに目元がそっくりの、閼嵐の双子の姉・閼水あみにそっくりな女性が、革のワンピースズボンで立っていたからだ。ナバニアと同じくらいの長身だ。ナバニアが紫苑たちに紹介した。

「オレの親父の船で商品を運んでる、うちのお得意様の商人の娘、ノーキアだ。見ての通り、オレとそっくりだろ? すぐに仲良くなって、よく、知らない人に姉弟ですって言って遊んでた。ノーキア姉ちゃん、元気だったか? オレは今、旅してるんだ」

 ナバニアは、紫苑たちを紹介した。ノーキアは皆に挨拶してから、深刻そうな顔をした。

「ナバニア、早くこの集落から出なさい」

「イサバルタはどうしたんだ? 何か大変なことが起こっているんなら、言ってくれ、力になるよ。姉ちゃんを置いて行けないよ」

「私は大丈夫よ。『あなただったから』」

「え?」

 その間にも、殺戮は続いている。パヘトが口を挟んだ。

「ボクたち、ガルタ首長から異変を解決してこいって言われてるんだよ。ね、カイナ第六騎馬隊指揮官」

 突然話を振られて、カイナは驚いて、大きく息を吸った拍子に小さな胸を上に向けてから、すぐに話を合わせた。

「うむ、そうだ、反乱かどうか徹底的に調べ上げ、首長にご報告申し上げねばならないのだ」

「反乱だったら兵を差し向けるってさー」

 パヘトがのんびりと逃げ道を塞いだ。ノーキアは、慌てて弁解するしかなかった。

「違います!! 私たちは何も悪いことはしておりません!!」

 ノーキアによると、このイサバルタは昔から多産の家庭が多かったのが、時代と共に一人の女性が産む子供の数が増え続け、今では鈴なりの実のように子供を産むのが当たり前になっているという。よその集落へ行ったり兵士になったりして集落を出る者もいるが、集落に残る者の数の方が多い。やがて住居用地が減り、湖があって食物に困らない豊かな地なのに、人々は空間を奪い合うため死傷者を出すような争いを始めた。死傷者が多少出ても、人々の数は増えるばかりだった。

 三日前、打つ手なしと人々が思った瞬間、人々は、同じ顔の人間同士が触れ合うと、両者共に消えるのを目撃した。

 人々は人口を減らす「天の助け」に感謝した。

 イサバルタの人々は増えすぎて、同じ顔同士の人間がたくさんいた。そこで、同じ顔同士は一箇所に集められ、引き合わされ、接触によって消されていった。「より強く賢い一人」を生き残らせるために、武器を持たせもした。

 こうしてこの集落では、「二人といない顔」しか残らず、「代わりになる者がいない」者だけが生存を許されることになった。

「私とそっくりの顔はナバニアだけだった。私とナバニアは女と男だから、『同じもの』として消されることはないわ。でも他の人たちは、同じ顔の人同士で殺しあって、自分が生き残ろうとしているわ」

 ノーキアにカイナは尋ねた。

「イサバルタにはナナロク将軍がいらっしゃると思うが、将軍はどういうお考えなのか」

「ご自分の影武者とまだ戦っておいでよ。触れないから、戦いにくいのね。とにかく、将軍が早く号令をしてくださらないと、みんな死んでしまうわ」

 紫苑は、号令をしても土地問題は解決しないと考えた。しかし、我慢を諭す言葉が、ナナロク将軍にあるかどうかもわからなかった。

「とにかく、急いで邪神と戦う必要があるな」

「そうだね紫苑。まずは神器を取りに行こう。死者の話では、湖の北の岩山の洞窟の中だよ」

 紫苑、パヘト、ナバニア、カイナ、ノーキアは、岩山に向かった。洞窟はない。

「入口は岩で埋められてるってさ。ナバニア、出番だよ。ここを割ってよ」

 パヘトが指し示す岩肌に、ナバニアが回し蹴りを入れると、岩が崩れ、空洞が現れた。

 日の光が少し差しこんだだけで、中が隙間なくその光を反射してきらめいているのがわかる。紫苑が火の術でたいまつを作ると、中は金、銀、エメラルド、ガーネットといった財宝が土壁に埋めこまれた、宝石の神殿だった。

「この金銀よりすごい宝が神器なのか」

 カイナがそろりそろりと、宝石の欠片かけらも踏まないように歩いた。ノーキアは、いちいち宝石の輝きにみとれている。

 洞窟の奥に、上に向かって四つの突起のついた金の冠が置かれてあった。そして、『この洞窟内にある、この冠にふさわしい宝石をつければ、この冠はお前のものである』と書かれてあった。

 ノーキアは急いで振り返った。

「えっ!? いっぱいありすぎてわからないわよ!!」

 紫苑はカイナをしっかりと見つめた。

「この試練はお前が受けろ。カイナ」

「……」

 カイナはおそるおそる冠を手に取った。どこにも、何かをはめるくぼみがない。金なのか銀なのか、真珠なのか宝剣なのかすらわからない。

 もう一度入口まで隅々を照らして、すべての宝石を見ようかとも思ったが、神器がそのような無意味なパズルをさせるとは思えない。

 だとすると、カイナの心に聞いているのではなかろうか。「私は、この洞窟の宝石を見て何を考えたか」ということなのではなかろうか。突然、ナバニアが言ったことを思い出した。

「オレの稼ぎでない金銭はいらない。オレは誰かの役に立つ水を選ぶ。人を救うものにこそ、選び取る決断の価値がある」

 ここに水はない。だが、この宝石を見て、カイナが思ったことは一つだ。

「この世にはお金で買えない幸福がある。この洞窟すべての宝石ではまかなえないかもしれないが、この宝石で神の恩寵をいただきとう存じます。欲にまみれた者の住む土地には、ルビーの樹も生えず、かしわりもならない。私はこの宝石をすべて捧げて、金の力で他人を酷使して食べていくのではなく、神の御力で自分が働いて喜びと共に生きていきとう存じます。

 この冠にふさわしい宝石は、いつどの場所にあっても私を見守ってくださる、神の御力でございます。私はこの冠にこの洞窟のすべての宝石をつけます。そしてその価で神の御力をいただき、金ではできないこと、しんに人を救うことをしたいと存じます!」

 カイナの答えと同時に、洞窟内のすべての宝石の輝きが消え、ただの岩になった。そして、冠の中空に光が集まりだし、小さな赤い水晶球になった。そして、カイナの手の中に降りてきた。

 紫苑が満足そうに祝福した。

「おめでとうカイナ。金の誘惑に負ける者は、神器の使い手にはまずなれん」

 パヘトがカイナに冠をかぶせた。

「そして、目に見えることではなく見えないことに正しい道が隠されているのさ。神器・覇者はしゃかんむりだよ。ありがとう。カイナの答え、認められたよ」

 ナバニアもカイナの肩を叩いた。

「良かったな。人を救うものにこそ、決断の価値があったろ?」

 カイナは赤くなって上目遣いをした。

「ああ……お前のおかげだナバニア。もっとお前と話がしたいな……」

 それを見ていたノーキアが、ぱんと手を打った。

「さあ、とにかくここを出ましょう。もうすっかり夜だし、私の家に泊まっていきなさい。夜の間は、同じ顔の人間が触れ合っても消滅しないから、みんな休戦して眠るのよ。相手に罠を仕掛けられないように、朝は早いけどね」

 一同は、誰も通りに出ていない道を歩き、ノーキアの平屋テントに入った。女性が出迎えた。

「ノーキア、お帰り」

「私の母のフォンミよ。母さん、ナバニアたちが旅してたよ」

「あらあらナバニア! 久し振りね!」

 ノーキアに比べて格段に背の低い、小太りで、笑い皺のある、細い三つ編み一本を垂らした女性が、ナバニアを抱きしめた。ゆったりとしたベージュのワンピースと、革のボレロを着ている。閼嵐の母親はこういう姿だったのだろうかと、紫苑はなんとなく思った。

「おばさん、お元気でしたか?」

 ナバニアもフォンミの背に手を当てた。

「フォンミさんは戦いに勝ったのか。しかし、旦那さんの方は……」

 紫苑は、家の中に男がいないのを見た。居間と台所と寝室が、赤・青・白の三つの扇型の絨毯じゅうたんで区切られている。ノーキアは首を振った。

「母さんは牧農ぼくのう民族の出身だから、同じ顔の人がいなかったの。少し似てる人はいたけど、消滅するほどは似てなかったから、助かったわ。で、私には父さんと、それから兄さんが三人いるけど、今ちょうど商売でこの集落から出ていて、イサバルタの戦いに巻きこまれなかったの。……この事態が収束しないなら、移住しようかなとも思ってる」

 紫苑が即答した。

「世界にこれを広めるわけにはいかない。私がなんとかする。待っていろ」

 あまりにも頼もしい声の響きに、ノーキアは息を止めた。そして、パヘトもナバニアも紫苑を安心して見ていることに、倍、驚いた。ただ一人、カイナだけはナバニアを見て唇を引き結んでいた。

 その夜、ノーキアはナバニアを誘って、家の外の草むらに座り、馬乳から造った馬乳酒ばにゅうしゅで、月見酒を楽しんだ。

「くうーっ、やっぱノーキア姉ちゃんの馬乳酒は、手足の指先までうまみが届くうーっ!」

「ありがとね。母さんにも伝えとくわ」

 ノーキアは、ナバニアの水色のガラスのお椀におしゃくした。ナバニアはおいしそうに飲み干した。

「ぷはーっ。あーあ、紫苑もこうやって一杯くらいいでくれたっていいじゃないか。減るもんじゃないし……ぷふう……」

 ノーキアは聞きたかったことを尋ねた。

「あの少女は何者なの? 相当強いの? 私たちの集落について、何を知ってるの? 神器って一体……」

「あー、姉ちゃんごめん。あんまり言えないんだ。でも、あの子が世界を救ってくれるんだって。オレはあの子を守ることに決めたんだ。仲間だから」

 ノーキアは、少し酔いがまわっても口を閉ざすナバニアに、ただならぬものを感じた。

「……そう。人には知らない方が幸せなこともあるわ。私は知らない方がいい側の人間なのね。父さんも兄さんたちも、この地に今いないから命が助かった。『ない』から助かった。そういうたぐいの話なら、私もこの世にうまく生き残るために、もう何も聞きません。でも、一つだけ言わせて」

 ノーキアは、ナバニアの顔を上からのぞきこんだ。

「ナバニアー、あなた紫苑が好きなのね?」

 ナバニアは他人から言われて、一気に酔いがまわったように頭がぐるぐる回った。

「そうだよ、なんてったって強いからな。……憧れ、かな。だけど、紫苑はうんって言ってくれないんだ……」

 ノーキアは強い眼差まなざしの紫苑を思い出した。

「強い相手にそれ以下の強さでぶつかっていっても、相手の心が変わることはないわ。それにねえ……、ナバニアのことを知りたいと思ってる女の子も現れるかもしれないから、いろんな子と友達になってみなさい。ただし、もてあそんだらお姉ちゃん、許さないわよ」

 ナバニアは酒を帯びたため息をついた。

「はあー、オレは紫苑のことを知りたい」

「(……私の見立てではカイナが……)」

 ノーキアは、寒くなってきたからと言って、家に入っていった。ナバニアは、まだ酒に酔ったため息をついていた。

 そこへ、髪をぬらしたカイナが現れた。ナバニアは、月明かりに光るカイナを思わずじっと見た。

「な、なんだ? ナバニア」

 カイナは恥ずかしそうに聞いた。

「今、雨降ってたっけ?」

 ナバニアが酔っているので、カイナは怒らなかった。

「湖で水浴びをしてきた。明日は戦いだからな。体の状態を整えなければ」

 カイナはさりげなくナバニアの隣に座った。

「ナバニア。酔っているが大丈夫なのか? 明日酒が抜けていなかったら、命が危ないぞ」

 ナバニアはあおむけに倒れ、草原に寝転がった。

「ときどきは酒飲まないと、歩き疲れが取れないんだよ」

 そして、カイナの返事を待たずにいびきをかいて寝入ってしまった。

 カイナは黙ってナバニアの寝顔を眺めた。何も言わず、二人の時間を味わっていた。お互いのいるこの空間を、永遠に共有し続けたいとさえ思った。

 早朝、ナバニアはガバッと起き上がった。

「夜の草原で寝てカゼでもひいてたら戦いに支障が出ちまう!」

 しかし、ナバニアはノーキアの家の中にいて、敷きぶとんの上でかけぶとんをはねのけていた。

「あれ? オレ、いつ家の中に入ったっけ?」

「おはようナバニア。私がお前をかついでそこに寝かせてやったのだ。感謝してもらいたいな」

 身支度を済ませたカイナがやって来て、笑って見下ろした。

「カイナが? すまん……(あれ? オレけっこう重いのに、カイナはそのオレをふとんの中に入れるなんて器用なまねができたのか? カイナ、もしかしてすごく腕力があるんじゃ……)」

 ナバニアに新たな何かが芽生えたとき、紫苑とパヘトも急いでやって来た。

「早く起きろ。殺戮を一分一秒でも早く止めるのだ。朝ごはんはかしわりを移動しながら、だ」

 ナバニアの支度が終わり、ノーキアとフォンミの親子に別れを告げると、一行は殺人の中を急ぎ、集落の中心の円形広場にさしかかった。

 一人の男が、四角い石舞台の上に乗って、わめいていた。

「オレはこの消滅の呪いから世界を救う方法を知っているぞー!!」

 思わず、最後まで聞くだけ聞こうという気になり、紫苑は足を止めた。

「セイホウジンの言霊を唱えるんだ!!」

 聞き捨てならない。紫苑は険しい目を向けた。

 髪はぼさぼさに広がり、肌は薄汚れ、汚れすぎて色のよくわからない破れた上着とズボンを身に着けている。

「聖職者か? それとも旅の果ての学者か?」

 紫苑が突き刺すような視線を発するなか、みすぼらしい男は一枚の紙を出した。

「オレはこの世のすべての呪文を求めて旅をしていた学者だ! 呪文とは神の言葉であり、神と人との契約の言葉であるからだ! そしてオレは神を知ることにつながる最高の呪文を、遂に手に入れた! それがセイホウジンだ!」

「(こいつ!! 世界の秘密を聞く資格のない人間に聞かせて、人々を殺す気かッ!!)」

 紫苑が双剣を抜いたとき、学者が叫んだ。

「女神ドヌア様を信じろ!! 消滅したくなかったら、セイホウジンと唱えるのだ!!」

 パヘトが鋭く咆哮した。

「紫苑!! この地の邪神の名だっ!!」

 殺し合っていた人々は、同じ土地の人間を殺したくないのと、自分が殺されたくないのとで、一斉に、

「セイホウジン!!」

 と、唱えてしまった。

 その瞬間、人々に邪神の猛毒の言霊が入りこみ、体内で、いばらにしめつけられるような激痛が始まった。その苦しみから解放されるためには、邪神の手駒、どくになるしかない。

 学者は焦っていた。

「なぜだ? なぜ何も起きないんだ? もっと多くの人間の力が必要なのか。場所を変えよう」

「てめえ待てっ!!」

 怒りで髪の揺らぐ剣姫が立ち塞がった。

「人々に呪いをかけておいて、罪も償わずに逃げられると思うなよこのクソ野郎!!」

 学者は首をかしげた。

「呪いをかける? オレは人々を救う言葉を世界に広めようとしているだけだが」

「学者風情がおこがましいわっ!!」

 剣姫が神刀・桜を振った。

「呪いも寿ことほぎも区別できない素人が、神界に首を突っ込むな!! “知りたい、広めたい、称賛されたい”だけで邪神も見抜けない未熟者めッ!! 自分の手に負えないことで、善人ぶって知ったかぶりをすんじゃねえ!! てめえ、邪神にのせられて人々を呪い殺しやがって、これ以上人を呪えねえようにその知識ごと、斬る!!」

 剣姫が跳躍した。しかし、毒手になった人々が学者をかばった。

「さ、学者さん、早く逃げて! そして他の人たちも救って!!」

「はい! ありがとう皆さん!!」

 学者が走って逃げていく。剣姫は毒手を斬り裂いて、飛び散る猛毒を避けながら追いかける。

「パヘトッ! 昇龍しょうりゅうよろいで逃がすな!!」

 カイナが走り出た。

「私が足止めする!! 神器・覇者はしゃかんむり火粒かりゅう虫散むしちり!!」

 カイナの冠の赤い水晶球が赤く輝き、わっと光を散らした。それは一つ一つが小さな羽虫のように不規則な動きをすると、学者と毒手の全員の顔面に向かった。

「なんだこの虫は……いてえっ!!」

 光の虫を手ではらったとたん、人々は手に激痛が走った。急いで見ると、手に焦げた跡があった。

「この虫! 火の塊そのものなんだ!!」

 手で払えば払うだけ火傷やけどする。そして、むしは目や耳や鼻や口の中に入ろうと、襲いかかってくる。人々はなす術がなく、顔を覆って逃げ惑うしかない。

 邪魔の消えた紫苑は、一直線に走り、学者を斬った。猛毒が飛び散ったので、

汚浸おしん砂漠さばく分解ぶんかい!!」

 の、言霊で汚水を浄化した。

「何も知らない善人のふりをしていたのか。げに世界の敵よ」

 紫苑は、自分に向かってきた残りの毒手を斬り殺し、浄化したあと、

死忌刃しきは

 の言霊で、邪神の猛毒と必死に戦っている人々から呪いを取り除いた。

「これで苦痛がおさまるまでの間、戦いに勝てれば、元に戻れる。だが、ここまで耐えられたのだから、きっと大丈夫だと、私は信じているぞ」

 そして、邪神ドヌアが次の人間を送り込む前に倒すため、パヘトが三人を抱えて高速で飛んだ。

 邪神の封印されている聖地では、一人の女が足を大きく上げ下げしていた。靴の裏に巨大なガムのような粘った土がくっついて、女の靴から離れない。そのため、女はどこにも歩き出せない。

 女は、クジャクの羽根を巻いて作った帽子をかぶっている。肩と胸のあいた、ぴったりとした黄色の上衣を着ている。布の折りたたみのたくさんある大きめのロングスカートには、エメラルド色と水色がひだごとに互い違いに入っている。板前の前掛けのような黒い布を、体の線に合わせて切って、体型を誇示しているかのように前に挟んでいる。そして、花瓶にさしたように腰から扇形にクジャクの羽根を背負っている。

 手には、指の代わりに五本ずつナイフがついている。

 パヘトが地上に降りた。

「あれが邪神ドヌア。人々の消滅の元凶だよ」

 目の化粧が濃く、厚い。女邪神は、紫苑たちに気づいた。

『私のかわいい毒手を倒したのは、お前たちだったな』

 紫苑が片眉を上げた。

「なぜ知っている」

『私はただ人間を消滅させたわけではない。そいつらを光にして喰っていたのだ。そして私の力は、喰ったものの能力を取り込み、己の能力にすること。これは呪いの世界では常識だ。私はその中の一つ『透視』の力で、イサバルタの地をくまなく見ていたのだ。私がまるめこんだ学者は、いい手駒だったのになあ』

 剣姫がぺっと唾を吐いた。

「善人ぶって悪事を働くなんざ、本物の悪党だ。自分で物を考えねえ馬鹿同士を救うためには、てめえみてえな偽りの神を討たねえとな。てめえが馬鹿を救ってやるなんて嘘をつくから、馬鹿は馬鹿が直らねえんだ。人々を救うために、死んでもらうぜ」

『ウッハハ!!』

 ドヌアは甲高い笑い声を上げた。

『私のことを偽りの神!? 人間風情が、おこがましい!! その顔から体まで、引き裂いてやろう!! 神の力を侮辱した罪の罰を、受けよ!!』

 ドヌアの背のクジャクの羽根の目から、トゲだらけの鉄球が千個出現すると、ドヌアを囲んだ。そして、すべてがばらばらな軌道で剣姫に向かった。

あかりみず!!」

 ナバニアの、光を内包する水の水流でも、びくともしない。パヘトの神器・昇龍しょうりゅうよろいの「かぜのもり」の風の壁も、素通りする。剣姫は神器・光輪こうりんしずくを掲げた。

ほのお月命陣げつめいじん!!」

 光輪の雫から、三日月・上弦の月・満月・下弦の月の形の炎が無数に飛び出し、ぶつかって鉄球の軌道をらしていく。しかし、鉄球を破壊できない。

「(仲間を守るためとはいえ、ずっとこのままでは倒せない!)」

 焦る紫苑を見透かして、邪神ドヌアは笑った。

『この鉄球は人間が生み出したものだ。豊かなイサバルタの地に住みたい、でも住空間がない、人口が増えすぎたからだ、だから相手を追い出してしまおうという苦悩の結晶なのだ。誰がこの問題を解決できようか? 誰にもできない! よって私の鉄球は無敵だ! 人間のこの苦悩がある限り! さあ、倒せない相手にあがけ、あがけ! ウッハハー!!』

「人の欲を糧に力をつけるとは、ますます偽りの神め……!!」

 歯ぎしりする紫苑を追いつめようと、邪神ドヌアはクジャクの羽根の目からさらに鉄球を出した。倒せない鉄球が空間に満ちていく絶望をナバニアが味わったとき、クジャクの羽根の目に光の虫が飛びこんだ。

っ!! なんだ!!』

 ドヌアは背中を痛がった。気がつくと、すべての羽根の目に光の虫が無数に飛び交い、入りこもうと飛んでいた。

 カイナの神器・覇者の冠の力、火粒かりゅう虫散むしちりの術で、再びむしを出したのだ。

「すべての宝石の光が、神の御力で火となって、人を救う術となったのだ! 金で買えない奇蹟を起こされるお方をこそ、神と呼ぶ! 邪神ドヌア、お前は学者を誰でもできる嘘で釣った! 真の神でないことの証なり!」

 ナバニアは、邪神ドヌアに怯まないカイナを、驚いて見つめた。

『うぐはっ! こしゃくなっ!!』

 邪神ドヌアは火虫を避けてクジャクの羽根の目を閉じた。鉄球はこれ以上増えない。

「紫苑!!」

 カイナの叫びに、紫苑は目の穴も口の穴もない、完全な半月の仮面を、顔の左半分にかぶった。

「ドヌア、俺は神じゃねえから本当のところはわからねえが、神がこの世に同じ顔をたくさん創られたのは、それぞれ違う環境と人間と関わりあって、たくさんの道を行ったり作ったりしてほしかったからだと思うぜ。神は、俺たちに進化してほしかったからだと思うぜ。これから先、疫病だって天災だってある。今同じ顔同士が消滅して一人だけになっちまったら、そいつが死んだらその顔の人間の道が途切れちまう。たくさんの選択肢も、その一人が選んだ道しかわからなくなる。成功なのか失敗なのか、この道でいいのか、悪いのかもわからない。同じ顔の人間同士は、むしろ少しだけ助けあうべきなんだ。『説明できないけど、こうするとうまくいく・こうなる』というものを、教えあわずに、観察しあうべきなんだ。安心したり、新しい道に入ってみようと思えたりするはずだ。接触すると人生が無味乾燥なものになるが、同じ顔だからと悩む必要はまったくない。お互い離れて住めばいい。そして、それぞれの道で進化し、疫病と天災に備えろ。

 だから、住空間ごときでぐだぐだ言うな。自分の人生で迷ったときに頼りになる一番の先輩だと思って、感謝しろ。そして、四段ベッドで窮屈に寝ることになっても、我慢しろ。人生において自分にとっての成功をおさめることの方が、何倍も生まれてきた意味がある」

 それを聞いて、鉄球が急にしなしなとしぼんでしまった。邪神ドヌアが慌てた。

『なんだと!? お前たち、こんな女の言うことを聞くのか!? 「自分の代わりはいない」ことこそ、最高の美酒ではないか!! 同じ顔の人間が自分の人生を上書きするように成功したら、殺意が湧くだろう!?』

 男装舞姫は、動けない鉄球をよけながら、駆け抜けた。

「そいつは自分の人生の教科書になるから、未来の自分に希望が持てる。むしろ『自分らしさに気づかせてくれて、花開かせてくれる』と今、鉄球の中の苦悩は気づいたんだ。憎しみをあおっても、本当に救われたい人の心をつなぎとめることは、できねえぜ」

 ドヌアは怒りでわなわなと震えた。

『おのれ、脆弱ぜいじゃくな精神の人間どもめ! もういい、私の次の攻撃を受けよ!』

 邪神はすべてのクジャクの羽根の目から光線を発射した。火虫は跡形もなく消された。そして、男装舞姫を四方八方から貫こうと襲いかかる。男装舞姫は白き炎をまとった双剣で、旅人がいばらの道を切り開く様を表す剣舞を行った。光線が千々に乱れ消える。

『ちっ、ひらひらと! 早く死ね!』

 ドヌアの光線は尽きないが、男装舞姫は道なき道を踏みしめるように、確実に一歩一歩進んでいった。

 そして、遂に旅人が目的地をはるか遠くに見つけたときのように、白き炎の翼で一気に飛びこんだ。

 ドヌアが、交刃しようと両手のナイフを五本ずつそろえて振りかぶった。

『私の教えに刃向かうか!! 手垢てあかのついた成功などに意味はない!!』

 鉄球が丸みを取り戻す。

 しかし、紫苑は人々に叫んだ。

「だが、お前がそこに行かなければ、世界はまわってゆけない!!」

『――ッ!!』

 遂に動かなかった鉄球の浮く空間で、邪神ドヌアの両手の十本のナイフが砕け、男装舞姫の双剣が女邪神を三つに斬り裂いた。

 落下した鉄球が毒にならないように、男装舞姫は、

白炎はくえん

 の、言霊で白き炎を使い、浄化した。

「ありがとうカイナ」

 剣姫に戻った紫苑がカイナに声をかけた。

「役に立てて嬉しい」

 カイナは戦いの興奮を鎮めながら笑った。

 邪神が倒されて、聖地が輝きだした。

 そして、四角柱の半透明の光がせり上がった。

 パヘトが皆を促した。

「ここで四角星方陣を作ろう」

 四人は四点の角に立ち、紫苑が神器・光輪の雫、パヘトが神器・昇龍の鎧、ナバニアが神器・きんせい、カイナが神器・覇者の冠を掲げた。そして、紫苑が星方陣の祝詞のりとを唱えた。

『己の答えは何なのか。その思考、その誓い、己の力なり。千の剣、万のけい、己の世界にあかしする。これすなわち真の寿ことぶきなり』

 四角柱の四角星方陣が完全なる光の四角柱となり、天に光を突き上げた。

 天に鈴なりの実を持つ植物が描かれ、光になって消えた。パヘトが翻訳した。

「鈴なりになるほど子孫が増える時代になるってさ。疫病や天災を恐れ、畏れながら、人間や環境の様々な組み合わせから複雑かつ美しい式を発見しあうようにって。人口が多いうちに、ボクたちはその式を見つけ、その解答を神に見せなければならないんだ」

 紫苑は空を見上げていた。

「違う者と共にいるから、人は変われるのだからな……(私がそうだった)」

 カイナが不安そうにパヘトに尋ねた。

「全員、答えなければならないのか? 私は正直、真剣に自分を見つめたことがない。式を見つけて解けと言われても、困ってしまう」

 紫苑が即答した。

「人生で苦しい目に遭ったとき、その苦しみへの答えを出すときに、お前はお前の式と答えを得る。何の悩みもなく生きていくと、式に気づくことができない。まずは自分を知り、他人を知れ。必ず何か心に引っかかるものが見つかる。それが様々な式を見つけていくことの訓練になる」

 カイナはぎこちなくうなずいた。若くして成功したので、深刻に苦悩することもあまりなかったのだろう。カイナはこれからだ、と紫苑は思った。

 ナバニアは深刻に苦悩していた。

「ムキムキじゃない紫苑を愛するべきなのか……。強いし、中身は変わらないし……うーん……」

 紫苑は、はっきり断らなければならないと思った。

「なあ、ナバニア」

「なんだ? ムキムキじゃなくてもだーい好きだぞ、紫苑!」

 紫苑はそれに驚かずに、伝えた。

「私は、私より弱い男には興味がない。お前は私より弱い。私のことは諦めろ」

 ナバニアは、むっとして自分の鍛え抜かれた自慢の筋肉を眺めまわした。

「格闘で負けるとは思わないぜ。戦ってみるか?」

「そういう意味の“弱い”ではない」

 紫苑は穏やかに話した。

「私がこの身の半分の悪に再び染まったとき、救う言葉を出せるのは、この世界でただひとかただけだ。だから、私の愛するそのお方でなければ、私は愛せないのだ。私の悪の論理を破れるのは、そのお方だけなのだ。お前ではない」

 ナバニアは絶句した。

 次元が違う。

 この人は、強さや容姿といった、目に見えるものに心を動かされることは、ない。

 目に見えない、魂を見て人を判断するのだ。

 ナバニアは、急に、自分が裸で何も着ていないような恥ずかしさを覚えた。この人の前で、自分は着る物を何も持っていない。

「……恐れ入りました」

 ナバニアは顔を赤くしてうつむいた。自分はまだ、この人の前に堂々と立てるほどの器ではない。

「そのあなたが困るなら、『今は』諦めるよ」

 ナバニアはちょっとだけ八重歯を見せて笑った。

「あなたが愛してるっていう男性を見てから、どうしようか考えたいな」

 紫苑が邪闇綺羅じゃきらを思い出して、口を閉じてふふと笑った。

「あのお方が現れたら、私の目にはもうあのお方しか映らない。今から諦めろ」

 ナバニアが上体を反らせて両手を腰に当てた。

「はあーあ! なんてこった。オレ、ふられちまったよ! 意地でもその男を見て、負けたって思わねえと、明日に行けねえ!」

 パヘトがのんびり笑った。

「(よかった、ナバニアはあのお方見たさに、旅の終わりまでついて来てくれそう)」

 カイナは胸のつかえがおりて、久々に草原のおいしい草の匂いを、胸いっぱいに吸った。

 紫苑は心の中でナバニアに感謝した。

「(私を諦めてくれてありがとう)」


 星方陣の祝詞のりとの中の『己の世界にあかしする』の『あかしする』は、『証明する』の意味でお読みください。祝詞全文の意味は、

「自分の答えを出した者に、その思考と誓いが千の剣、万のけいとなって、自分の世界に、それが自分の力になることを証明する。このことは祝うべき真のめでたい事柄であり、また、自分の答えこそが真の祝いの言葉である」

 です。


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