青い月第二章「富の果て」
登場人物
赤ノ宮九字紫苑。双剣士であり陰陽師でもある、杖の神器・光輪の雫を持つ、「土気」を司る麒麟神に認められし者。阿修羅神が救いの道を示したあとの元の星に、邪闇綺羅神の力で戻ってきた。十の星方陣を成して星を救うために、戦う。
パヘト。以前竜の国で出会った小竜のパへとで、星の意思を守る存在に変わった。紫苑がこの星で存分に戦えるように支える。
第二章 富の果て
一角星方陣は、すべてが終わったあと、水色の水滴型の耳飾りになっていた。
「(露雩だった頃の邪闇綺羅様と愛会のように歩いたとき、同じような耳飾りをしていたっけ)」
剣姫は懐かしさに頬が緩んだ。しかし、ここに愛するお方はいない。身を飾る必要はない。剣姫は、左耳のみに一角星方陣の耳飾りをさげた。
紫苑とパヘトは、夕暮れ時に、神器のある町に来ていた。ここはディンディーマ国のすぐ東隣の国、スザム国のペント町である。
夕暮れだからか、老人がのんびり歩いているばかりだが、風俗はディンディーマ国と変わらなかった。同じ気候帯に属しているからだろう。
「まずは神器を探して、それからそれを使える仲間を捜すっていう手順かな?」
「ああ……」
パヘトの質問にも、紫苑は生返事である。きょろきょろと何かを探している。
「どうしたの? 紫苑」
「舞を奉納できる神社はないかとな……」
パヘトはうーんと空を見上げた。
「舞殿のある神社自体、もうないよ。この時代では、両手を組んで祈りを声に出すのが、信仰の形なんだ。円形の建物の中で車座になって、自分だけの祈りを言ってるよ。全員で一緒になって何かを唱えたり、見たり聞いたりすることはない。個人と神が直接向き合っていて、宗教指導者は特にいない。各町の長老が人々をまとめてる程度さ」
「そうか、残念だ。男装舞姫と剣姫の身についた穢れは、今度から聖地で祓おう。神社の御祭神の御力によって、その土地の産業がわかるとも思ったのだが、町の説明はお前に任せよう、パヘト」
「いいよ! この町は、この世界の西の地方を象徴するような町さ。きらびやかな衣装の人々にふさわしく、夜は火の明かりだらけで豪華絢爛、不夜城になるよ!」
紫苑はようやく、パステルカラーのサパラパ町で、パヘトが人々の衣装と合っていると言ったことに合点がいった。
「昼は普通だが、あの町も夜はきらびやかになるということか。この時刻なら私たちも不夜城を経験することになるな。パヘト、悪いがお金がほとんどないから、欲しいものは買ってやれないぞ」
パヘトが心外だという風に鼻の穴を膨らませた。
「竜族に向かって物欲を疑うなんて! ボクたちが昔から欲しかったものは気と血だよ! ボクに言わせれば、どうせいずれカビたり壊れたりするのに、なんでお土産なんか買うのか、そっちの方が理解できないね! 全部頭の中に覚えてればいいじゃん! 無駄な物を置いて自分の動ける空間を狭めるなんて、わけがわからないね!」
紫苑は、憤慨しているパヘトの肩を叩いた。
「ふふ、すまんパヘト。人間は竜族ほど記憶力がないのだ。物に頼らないと、思い出せない……あるいは、思い出そうとしない薄情者なのかもしれん。そして、自分が確かにその時がんばっていたことを思い出せる証が欲しいのだ。人間は命を懸けているとき、他のことを忘れる。そのとき、一目でもその物を見れば、解決の手掛かりを知ったり、応援をしてもらったりすることが、できるのだよ。人間にとって、欲しくて買う物とは、そういうものだ」
パヘトは鼻の穴を元に戻した。
「ふーん、人間って不便だね。すべての記憶が意識と等距離に存在できないんだ。だから家の中が物でいっぱいなんだね。物を見るたび思考が乱されて、生きづらいな」
「忘れやすい生き物だから、混乱しないよ」
「楽しいなあ。忘れるからいつも新鮮な気持ちで思い出すのか。それも想う形だね」
パヘトは人族の、竜族と違う部分を少し理解した。
二人で話しあいながら歩いていたため、パヘトは何かに蹴つまずいた。竜族なので、翼をはためかせて体勢を元に戻して、転ばなかった。
「ん? 死体か?」
行き倒れの人が、うつぶせになって転がっていた。
毒手の罠を警戒して、紫苑は刀を抜いて、刀の背で行き倒れをあおむけにした。
十七、八才くらいの青年で、白目を剝いて死んでいた。懐から小鳥のものらしき骨が、ばらばらと落ちてきた。
「鳥が好きでいっぱい食べたんだね」
「パヘト、人族は土に還るごみは、環境を破壊しない限り持ち帰らない。こいつは骨に用があったのだ。しかし、悪いが我々には時間がない。この行き倒れは他人に任せよう」
紫苑とパヘトは、いつの間にか日が暮れているのに気がついた。
薄暗がりの中、高い建物に一つ、ろうそくが点った。と、見る間に通りという通り、店という店、屋台という屋台に明かりがつけられた。赤、橙、緑、黄、青といった色とりどりのろうそくに、ろうそくと同じ色の火が点り、通りに押し寄せてきた人々を昼のように照らし出していた。
昼は静かに眠っていて、夜になると騒ぎ楽しむ。酒盛りも、買い物も、おしゃべりも、昼の営みが夜に始まった。
「仕事はしているのか? ……ん?」
紫苑は、あることに気がついた。
「老人と二十才前の子供たちしかいないようだ」
大声で陽気に歌っている集団も、屋台をのぞくのも、老人ばかりだ。飲み屋の給仕係や商売の売り手は、二十才前の若者たちだった。中には、幼い子供を連れている者もいる。
なぜ中年の者がいないのかと思う前に、彼らが飲み食いし、買うものを見て驚いた。
何かの骨を入れた酒に、何かの骨そのままの食べ物だった。
形からして、様々な動物の骨が交ざっているようだ。
「さっきの行き倒れは、ここで売るために鳥の骨を持っていたのか。しかし、どの屋台も骨しか売っていないぞ……」
様々な動物の骨が並び、老人たちが買うそばからボリボリと嚙み砕く様は、不気味以外の何物でもなかった。
ここで買いたいと思うものは何一つないが、話を聞き出すため、紫苑は一番若い売り手の屋台で骨を選ぶ客のふりをした。十二才の男の子で、魚の骨を売っていた。
「この骨は、老人でも嚙み砕けるように調理してあるのか?」
男の子は、剣姫が二十才前であることに、驚いているようだった。
「お姉ちゃん、お金持ってるの? なんで老人にならないの?」
紫苑の方が面食らった。
「なぜお金があると老人になるのだ?」
「このペント町は、お金がたくさん貯まると若者から老人になるんだよ。そして、死ぬまで贅沢して暮らせるんだ。僕たち子供は、老人に贅沢を提供する代わりにお金をもらって、次の老人になるんだよ」
どうやら呪われた町のようだ、と察しながら、紫苑は尋ねた。
「なぜ骨ばかり売っている」
「お金がありすぎて、贅沢をし尽くしたんだ。それで悪食が流行って。珍しいものや新しいものの味を知るために、毎年いろんなものを食べてるよ。今年は骨なのさ」
パヘトが首をひねった。
「それって、子供が産まれないよね?」
「若者同士で結婚してるから大丈夫。なかなか老人になれないから、子供はいっぱいできるよ。親が老人になったら、その子供は他の人が面倒見てくれる。そういう互助の社会になっているよ」
「老人になったら、もう自分のことだけ考えて、楽すればいい……か……」
老人が食べこぼす骨を目当てに、ネズミや虫がどこからともなく現れて、軍隊のように隊列を組んで、道を掃除していく。しかし、それでも食べこぼしの骨粉が土にまみれて、道に白いしみのように残る。悪食の欲がかなうのと同じだけ、生活空間は汚くなっていく。
「伝染病が発生しないのが不思議だ」
紫苑はネズミを捕まえるふくろうの所作を象った舞を舞い、自分とパヘトに、感染から守る結界を張った。
「これは邪神の毒だな? パヘト」
「うん。あり余る富を得た者たちとその末路だね。なんでもありすぎると狂うもんだね。ボクらも種族ごと人生狂ったもの」
パヘトは明るく笑った。賢すぎても狂う。全員が空間も気も物質も分かちあって生きているという、思いやりを知らなければ。
「毒によってそれを学ぶことなく金を得た、憐れな奴らだ」
紫苑が不夜城の下でうごめく欲の塊を眺めていると、通りの横道から言い争う声が聞こえた。富のやり取りに夢中の人々は、意に介さない。紫苑とパヘトだけが向かった。
見ると、旅姿と一目でわかる、大きなかばんに白い外衣、そして足に血まめのできた髪のきれいな娘と、馬から下りた、金糸の模様の入った白く長い衣を着た男が、怒鳴りあっている。従者らしき、走りやすい半ズボンの軽装な者が二人、娘の両腕を押さえつけている。
「お父様、放して! 私はノルスコさんと結婚するの!」
娘が従者二人から逃れようと身をよじる。父親が歯を剝き出した。
「イパリィ! 結婚は反対だと言っただろう! 家の門に貼られた紙の色で身分がわかるから、私はノルスコの家を確かめた! なんと、我が家より二つも身分が下ではないか! お前には不釣り合いだ! 他に家柄が良くてお金持ちのいい男はたくさんいる! 私が世話をするから、ノルスコのことは忘れなさい!」
イパリィは顔を真っ赤にして、激しく首を振った。
「いや、いやよ! ノルスコさんしか、私にはいないのよ!」
「イパリィ、この身分までのし上がるのに我々のご先祖様たちがどれだけ苦労したと思っている! ノルスコの先祖は大して努力しなかった、だから身分が格下なのだ、お前は我々の先祖の努力に申し訳が立たないと思わないのか? お前以外の一族全員の、必死に生きてきた証を、裏切れるのか?」
イパリィは顔をそむけた。
「たかが二つ違うだけで……身分なんて、百もあるじゃない」
「馬鹿者!!」
イパリィは、父の怒鳴り声にびくっと身を震わせた。
「お前は、身分を上げるということがどれだけ大変か、わかっていないのだ!! 親の護る翼の下で育ち、世間など何も知らないお前に、口を挟む権利などない!!」
「お父様、私はノルスコさんと身分を上げてみせるわ!!」
「それが甘いと言っているのだ!! どれだけの金とコネがいると思っているのだ!! いいか、今はよほどの才能でもない限り、身分を上げて出世することはできん! 宮中はすべて世襲制になっていて、上の位の子供たちが溢れて、我々の職にまで侵食してきているありさまだ。上に行くには金がいる。それも、競争相手たちより多く。その意味がわかるか? 我々の先祖たちはそれに勝ち抜いて、ようやく今の地位を手に入れたのだ。お前は一時の気の迷いに溺れて、ご先祖様たちを踏みつけにできるというのか!!」
しかし、子供には、それを理解したうえで結論を出すということが、できなかった。
「私が幸せなら、ご先祖様たちも喜んでくださるわ!」
父は、娘が深く考えず答えを出したことに怒った。
「なんという自分勝手な娘だ、お前がここまで何も考えない娘だとは、思わなかった! もういい、お前の相手は私がすぐに決める! 嫌なら私も覚悟を決めた!」
イパリィはパッと晴れやかな顔を見せた。
「ノルスコさんとの結婚を、認めてくださるの!?」
父は冷たく言い放った。
「宗教施設の世話女になれ。あれは一生独身だ。我が家の身分の信用が、競争者より落ちるよりはましだ」
呆然と立ち尽くすイパリィを、従者二人が引っ張り、馬に乗せて行こうとする。
そこへ若い男が走ってきた。浅黒い肌に濃いまつ毛、高い鼻が特徴の、二重の厚い、くっきりしたいい顔立ちの男だった。
「イパリィ!!」
「ノルスコさん!!」
父親は護身用の湾曲剣を抜いて、ノルスコを牽制した。
「このたらし男め! 娘に家出させて駆け落ちしようだなんて、格下の身分のくせに、よくも大胆なまねをしたな! そうだ、お前が目の前で死ねば、イパリィも諦めるだろう。私が今、殺してやる! 格下の身分の者は、格上の者に殺されても、裁判に訴えることができないからな!!」
ノルスコは手を前に出した。
「待ってください、ドスイス様! 私とイパリィは、身分制度のない他国で暮らすつもりなのです! イパリィに惨めな思いはさせません、どうか一緒になることを許してください!」
イパリィの父・ドスイスは、ノルスコの言うことなすことすべてが怒りにつながり、湾曲剣を振りかぶった。
「うるさい!! 我ら一族を汚す不浄者めー!!」
「ノルスコさんッ!!」
ドスイスが振り下ろした湾曲剣は、剣姫が止めていた。
「うっ! なんだお前は! ノルスコの仲間か!!」
グ、と力を入れた剣は、片手剣の剣姫にいとも簡単に跳ね上げられた。ドスイスは、目を白黒させた。
「お、女の力で……! ノルスコ、お前、剣士を雇っていたのか! 私を殺すつもりで!」
「違いますお義父様!」
「違う。ただの通りすがりだ。ただ、さすがに殺すのは待った方がいいと思ってな」
ドスイスは、剣姫を睨みつけた。
「これは、我が家の問題だ! 手出ししないでもらいたい!」
「まあ待て。私はお前に賛成だ。子は親を大切にするべきだ」
ドスイスは少し後退した。
「そ、そうか」
剣姫はイパリィに目を向けた。
「お前をここまで育ててくれたのは両親だろう。お金を稼ぐということは、本当に大変なことなのだ。どんな職業でも、お前が働けば、親の愛がどれだけ深かったことか、わかる。毎月入ってくるお金は、自動的に入ってくるわけではない。みんな親の血と汗が稼いだものだ。その苦労の末に、お前は衣食住を与えてもらって、ここまで来たのだ。それを知りながら親を捨てると言うのは、お前の自分勝手以外の何物でもない。
そこのノルスコがお前に何をくれるというのか? そこのノルスコのどこに父親が認める要素があるというのか?
身分が違うというのは一面的な理由でしかない。よっぽどの何かの才能があれば、父親も許したはずだ。それがないということは、ノルスコには見込みがないということだ、今は、な……。お前はまだ若い。ノルスコの何に惹かれたのかは知らないが、自分一人で立てないなら自分の好きな相手を自由に選べると思うな。傷つくのは……お前だ」
イパリィは、この十五才くらいの少女が、なぜ自分ではなく父親の味方をするのか、わからなかった。
「あなただって、好きな人くらい、いるでしょう!? 親にその人と別れて他の人と結婚しろって言われたら、耐えられないでしょう!?」
紫苑は空の彼方を眺めた。
「その気持ちはわかる。だから私は一人で立てるよう、強くなっていこうと努めている。一人きりで強い者に対しては、人は口を出しにくい」
「……」
イパリィは一つの答えを聞いて、黙った。剣姫は独り言のようにイパリィに話しかけた。
「ノルスコとの愛が冷めたらどうする。永遠の愛があるとしても、それは全員ではない。愛が失われたとき、どんな自分になってもいつまでも愛してくれるのは親だけだということに、そこでようやく気づくだろう。親はどうせ先に死ぬから、自分の好きな人と好きなようにいたいというのは……、あまりにも酷い話だ。親は子をさらわれたかのように思って、死ぬまで嘆くだろうに。そして、子供を愛している親の、その愛情を消してしまう。
ノルスコとの愛が失われたとき、お前を愛してくれる者は、あの世にもこの世にも誰もいない。私はお前が不憫でならない。永遠の愛の源泉はちゃんと二人で共有しているのか? お前だけではないのか?」
イパリィは、父親を見つめた。確かにこれまで、自分はいつまでも親の言いなりではない、自分の将来の相手は自分で決めると、反抗心があった。初めて親に逆らい、自分の意見が持てたようで、どこか熱くなっていた。
しかし、父親が何の理由もなく、娘が幸せだと思う道を、塞ぐだろうか――?
「お父様、ノルスコさん、私――」
イパリィは、今日まで育ててもらった両親との、たくさんの思い出が甦り、揺れ始めた。
ドスイスはイパリィに馬に乗るよう促した。
「とにかく、今日はもう帰るぞ。私は明日も仕事がある。話はあとでゆっくりしよう」
しかし、ノルスコは引き止めた。
「待ってください! 私は、あと少しでお金が貯まりすぎて、老人になってしまいます! 今でなければ、イパリィと永く暮らせません!」
ドスイスは怪訝な表情をした。
「何を言っているんだお前は……。とにかく、金を持っているなら他の女と結婚しなさい。うちの娘はだめだ!」
「お、お父様……」
「イパリィ!」
「しょーがないなあ」
パヘトがのんびり声を出した。皆が注目した。
「イパリィを仙雲民族のところに連れて行って、修行させてあげるよ。冷静になって、よく考えたうえで、どうするか決めさせてあげようよ。今のままじゃ、どっちに決めても後悔するよ。決めるっていうのは、痛みを選ぶっていうことさ。どんな痛みを取るかは、イパリィの人生だから、イパリィに決めさせてあげようよ」
父親が渋った。
「しかし……、修行していれば、結婚適齢期を過ぎてしまう。いい縁談が来なくなる」
「私は年を取ったイパリィでも、結婚します!」
ドスイスは、ノルスコが間髪を容れず宣言したので、驚いた。パヘトは続けた。
「で、ノルスコも一緒に修行しなよ。どうせこのペント町にいても老人になるだけだし。修行したら、イパリィが結婚してくれなくても許せる人になるんじゃない?」
「はい、それでもずっとイパリィを守ります!」
ノルスコは、イパリィを守り続けられる話に乗った。ドスイスは慌てた。
「ちょ、ちょっと待て、これで駆け落ちされたら……」
「紫苑が許さないよ。紫苑は親を大切にしない人は嫌いだよ」
ドスイスはしばらく迷っていたが、従者一人を残し、道の端に招いた紫苑に十万ダカを渡すと、紫苑からの報告の手紙に対する返信につき十万ダカずつ、娘を無傷で返してくれたとき百万ダカを支払うと、小声で告げた。
「お嬢様の見張り役兼世話係のピッツモです。よろしくお願いします」
ゆったりとした緑色の上衣、そして黄緑色の半ズボンに湾曲剣を腰に差した、三十才くらいの男が一礼した。まつ毛がふさふさしている。絞られた瞳が、何も見逃さないという気を放っている。
パヘトとイパリィとノルスコとピッツモとが自己紹介をしあっていると、ドスイスが紫苑を再び道の端へ手招きした。
「紫苑さん、あの二人は必ず別れます」
「……だとしても、イパリィが決めなければ」
「違います。そういう運命なのです」
「……?」
続きを促すような顔をした紫苑に、ドスイスはふう、と口から一息吹いた。
「風俗が違うので、やはりこの地方の伝説はご存知ありませんでしたか。実は、この西の地方には、竜と英雄の伝説があるのです。人々を苦しめるノルスコという竜を、イパリィという名の英雄が倒すのです」
「え? ノルスコと、イパリィ?」
紫苑は、思わず目で二人を追った。
「もちろん、伝説上の名前ですから、現在の我々は敬意をもってその名を付けます。ノルスコも、最後は改心して人々を守る竜になります」
「それがどうして、二人が別れる理由になるのだ?」
「この世界の言霊が、名前と運命を独り歩きさせるのです、本人の意思とは関係なく……。そして、伝説の名を持つ者同士は、仲間になったり、敵対したりしてしまうのです、伝説の通りに。ですから、イパリィは、ノルスコと一緒になれません。いつかノルスコと戦わなければならない。なんとしてもあの子が、傷つく前に……。私も、ノルスコが別の英雄の名前なら、良い運命を持っていると思えましたが、イパリィとの組み合わせはよくありません。若い二人は迷信だと思っていますが、それは世の中のことをよく知らないからです。どうか、修行の前までに、イパリィをお導きください。あの子が良い道を選べるように……」
紫苑は、この世界の理に驚きつつ、うなずいた。
「いいだろう。私も気をつけて見守る」
「よろしくお願いします」
ドスイスは、馬に乗って、従者と帰った。若い二人は、もう結婚が許されたとでも言わんばかりのはしゃぎようである。それをピッツモが鋭い目で監視している。
パヘトは三人に告げた。
「あのさ、ボクたち、この町の宗教施設に用があるんだ。みんな、お祈りとかして待っててくれないかな」
「それはいい! イパリィ、ぜひ旅の無事を神様にお祈りしよう!」
「ええ、ノルスコさん!」
「……」
ピッツモは二人の後ろにぴったりとついた。五人は、円形の宗教施設、協円場にたどり着いた。この不夜城の中で最も高い建物であった。円状に色とりどりのろうそくが並び、まるで光で着飾っているようである。
「ここに神器があるのだな……」
死者から教えられたことを思い出し、紫苑は気を引き締めた。
中に入ると、不夜城のきらびやかさが内部まで侵食していて、日差しのように強い熱が体を包みこんできた。ろうそくが壁にびっしりとついて、あかあかと燃えている。丸い部屋で、人々が思い思いに、中央を向いて床に座り、両手を組んで、自分の祈りを口に出してお祈りしている。
ノルスコとイパリィとピッツモを残し、パヘトと紫苑は二階へ上がった。
階段の上に、衛兵が立っていた。二人を見ると、湾曲剣に手をかけた。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。身分証を見せろ」
「待ちなさい。そちらは私のお呼びした方々です。通しなさい」
「ガラヌン神官様!」
衛兵は、奥から現れた五十代の男性に一礼して、脇へ退いた。
ガラヌンは、白い帽子に、白く長い衣をまとう、簡素ないでたちだった。
「ささ、こちらへ」
紫苑とパヘトは、ガラヌンを警戒しながら、後に続いた。
「そうお疑いにならないでください」
衛兵から遠ざかり、三人だけになると、ガラヌンは苦笑した。
「あなた方に協力するようにと、死者の魂から申しつかっております。神器のもとへ、ご案内すること、と」
二人は警戒を解いた。
「確かに、彼らはそう約束してくれた」
「ありがとう!」
「しかし、お二人とも、神器は資格のない者が持つと、身を滅ぼします。使い手のあてはございますか。ご覧の通り、このペント町は邪神の猛毒で、金欲の呪いを受けてしまいました。この町で呪いを受けていないのは、私だけです。神器が守ってくれたのかもしれませんが、その私でも、神器を一目見ただけでめまいがし、とても得る資格が与えられそうにありません」
紫苑たちは石の扉の前に来た。
「あてはある。心配するな」
ガラヌンは外に残り、紫苑とパヘトが中に入った。
四角い石が積み重なった、四角い部屋だった。ひんやりとした空気の中央に、四角い柱がある。死者の話では、その柱には四面にまたがる巨大な魚が描かれていて、不思議なことに、その魚の体には鱗ではなく、迷路が描かれているらしい。そして、魚の輪郭に十箇所の切れ目があり、それは十個の迷路の入口になっているという。
「この迷路を目だけでたどり、その道順で浮かび上がる十の文字を言えた者だけが、神器を手に入れられる、だったな。しかも、挑戦者は一生に一度しか柱の周りを回れない。一度回った者には、二度とこの魚の姿は見えない。一度きりのチャンスだ」
紫苑は魚の頭を見上げた。迷路の入口が三個ある。残りの七つは、他三面にあるのだ。つまり、挑戦者は、迷路をただなぞるだけではだめで、迷路自体を全部覚えなければならないのだ。なぜなら、他の迷路の道筋が、既に見た面に、入りこんでいるかもしれないからである。
「瞬間的に物を記憶する能力のある者だけが、この神器を得られるのだろう」
「うん、そうみたいだね」
「パヘト、お前がやれ」
「うん、そうみたいだね、えー!?」
パヘトがたまげた。
「ボク、案内人だよ!? めちゃくちゃ弱いよ!? 神器を使って邪神と戦う中に、飛びこむなんて!!」
「私は、お前以上に賢く、そして協力してくれる者を、この世界で知らない。頼むパヘト、あの三人よりお前の方が成功する」
「うーん、竜族の賢さを褒められたからここは喜んでおこう。じゃあ、紫苑、ちゃんとボクのこと守ってよ?」
「私の強さはお前も知っているだろう」
「はいはい。じゃ、いくか!」
パヘトは柱の前面に立った。そして、三秒で次の柱の面に移ったので、紫苑の方がたまげた。
「(おい、もうちょっと長く見た方がいいんじゃないのか!?)」
しかし、パヘトの集中を乱してはと思い、平静を装った。パヘトは全面を各三秒で回った。
「パ、パヘト……」
さすがの剣姫がおそるおそるパヘトに近づくと、パヘトはぷうと頬を膨らませた。
「(ま、まさか全然わかんない、さじ投ーげたとか言うつもりじゃ!?)」
邪神を前にしても動じない剣姫の心臓が早鐘を打ったとき、
「簡単すぎてつまんない! 『しょうりゅうのよろい』……つまり『昇龍の鎧』って書いてある!」
「どこが簡単なんだー!?」
紫苑の叫びと共に壁面の魚がはがれて空中に泳ぎだし、パヘトの頭上で止まった。そして、螺旋状に上昇気流を発する風の鎧になって、パヘトをくるんだ。
「うわ……すごい、いろんな攻撃いなしてくれそう。んーと、この風の鎧は広げることができて、一定の範囲を囲えるみたい」
「防御中心で良かったな」
「うん!」
パヘトが神器・昇龍の鎧の力をおさめると、パヘトの竜の翼に、一枚の鳥の羽根になってくっついた。
部屋から出ると、ガラヌンがほっとした表情で迎えた。
「ご無事で何よりです」
紫苑は、用事が済んだので、ガラヌンにイパリィとノルスコの伝説を尋ねた。
「はて、それは邪神とは無関係ですが?」
「実は、そういう名前の二人がいてな……」
紫苑から二人の事情を聞いたガラヌンは、
「言霊師ならなんとかできましょう」
と、すぐに返答した。
「言霊師が、二人の名の引きあう運命の鎖を断ち切れば、伝説の魔力から解放されますよ。しかし、娘さんのお父上も、そこまでしてその若者に娘をくれたくないのでしょう。だから娘を諭してほしいと、あなたに頼んだのでしょう」
「名の鎖を解決しても、身分違いは残るからな」
「その若者は、お金は持っているようですね。なら、父親も文句は言えません。もし、その若者が『私の』推薦という肩書きを持てば」
「ん?」
紫苑が聞き返した。ガラヌンは続けた。
「神官は身分制度の枠外なのです。神官が一人、一族にいるというだけで、その一族はどの身分出身でも尊敬されます。身分制度の縄から抜け出す方法の一つです。その神官から信任された者には、すべての身分の者が一目置くのです。その者の言葉は、あらゆる場面で信用されます。いかがでしょう。もしあなた方が邪神を倒し、この町を救ってくださったら、私はその若者のために、“娘さんの婿にこの青年こそふさわしい”と一筆書いてさしあげますよ。その後、その若者がどんな人生を送るかまでは引き受けません。ですが、身分違いの結婚によって起こる様々な問題は、これがあれば黙らせられますよ」
「そんな名案があるのか。わかった、それでいこう」
「ガラヌンさん、頭いい! さすが仙雲民族だね!」
「仙雲民族? 前から知りたかったが、その民族はどういう者たちだ?」
紫苑がパヘトとガラヌンを見比べた。
「簡単に言うと、術を究めようとする仙人たちが集まってできた集団です。私は修行の途中で、この西の地方に来ました」
パヘトが驚きの声を上げた。
「えーっ! もったいない! あ、でもそのおかげで、邪神の猛毒にやられていない人がいて、助かったんだった」
紫苑は尋ねた。
「術を究めようとするとき、人は他人と関わることを避けます。孤独こそが究めることの糧となるからです。皆その孤独を愛せているはずです。なのになぜ、人と関わる道を選んだのですか? それまでに得た仙術の秘密を他人にうっかりしゃべれば、仙人の力はなくなってしまうのではありませんか?」
ガラヌンはしみじみと目をつぶった。
「一人になると、世の中のことがようく見えてきます。人がせねばならないこと、国のあるべき姿、倒すべき悪……。それを一人で抱え込むことは、私にはできませんでした。仙人は英雄のために道を示すもの、だがそれとは別に人々のためにも、仙術は使えずとも知恵は貸さねばならぬ、そう思ったのです。いつか英雄に出会うその時まで。孤独は人を成長させる、しかし私はだんだん力が育っていくうちに、その力をたった一人の英雄を育てるためだけに使うのは、ためらわれるようになったのです。私は悪と戦う気持ちだけでも人々に説き、英雄に仲間を作らせてやりたくなったのです。私たち仙人のように、英雄というものもまた、戦いに一人旅立ち孤独ですからね。しかし、ペント町で、私は無力だった……」
紫苑は首を振った。
「あなたはこれまで、英雄のために地ならしをしてあげようと、努めてくれていたのだ、あなたは今また私たちを救ってくれました」
「そう、たった一人で戦いに戻って来てくれた英雄を。私はようやく報われました」
ガラヌンは深々と紫苑に頭を下げた。
「どうか、この世界をお救いください、剣姫様!」
不夜城を抜けた奥に、毒の沼地が広がっていた。
「ここが二番目の聖地だよ。邪神・笑面がいるよ」
パヘトの声を聞いたかのように、毒の沼地から紡錘形の仮面がするすると上がってきた。
右半分は嘆きのため目と口が下がり、左半分は卑しそうな笑いのために目と口が上がっていた。
『ウッヒョッヒョッ、まだ“金の貴公子笑面様”の金欲の猛毒に冒されていない奴がいたのか! いずれ全世界を金欲による怠惰で滅ぼそうと思っているオレ様は、金欲のない奴は赦せん! さあ、金の貴公子の猛毒を受けろ!!』
急に笑面の仮面が分裂し、紫苑とパヘトに襲いかかってきた。剣姫は神刀桜と紅葉で斬り割り、パヘトは神器・昇龍の鎧の風で、仮面の軌道を逸らした。
笑面がいらいらして叫んだ、
『早く仮面をつけろ! 楽になれるぞ!』
剣姫は呆れた。
「お前なあ。金っていうのはなあ、売ってくれる人がいるから価値があるんだよ。こいつ殺してやろうと思って誰も何も売ってくれなかったら、砂漠で金貨一兆枚持ってるのと同じだぞ。軍隊を持とうとしたって、それも人の気持ちだろうが。いいか、兵隊になってくれる人や、売ってくれる人がいなくちゃ、金には何の意味もない。私は剣姫として、人々から拒絶されてきたから、それを知ってるんだよ。売ってくれるのって、こっちを信頼してくれている、人の気持ちなんだよ。金があれば何でもできるわけじゃない。だから私は金欲に溺れない。金では何も解決しないから。大事なのは人から信頼されることだ」
パヘトも声を上げた。
「お金じゃ知恵は買えないよ。そもそも竜に物欲ないしね」
笑面の右半分の嘆きの目と口がぶるぶる震えた。
『なんだお前ら、金が欲しくないのかー!? そろいもそろって、何なんだ!?』
「金がなくていいとは言わん。食べていかなければならないしな。だが、狂うほどの金はいらん。骨を食べる生活はごめんこうむる」
剣姫に笑面の左半分の卑しい笑いの目と口が震えた。
『金があれば、この世のすべてを味わえるということの、証ではないか! さあ、何かしたいことがあるだろう! 言え! 何が食べたい、何を体験したい、何と遊びたい! すべてがかなうのだぞ! 欲しいだろう、何もかも!』
「控えよ邪神・笑面!!」
突然剣姫が怒鳴った。手には半月の仮面を持っている。
「この世で神の戦いに参戦したいと金を払って願うだけで、その望みのかなった者がいようか! 皆無!! この世のすべてが買える? ハッ、片腹痛いわ!! 人の思いつくものなど微々たる数よ、人智を超えたことは、金を払っても得られぬものよ!! 人の思いつくものしか与えないとは、神とは呼べぬ!! 邪神として、偽りの神・笑面を、神魔に並ぶ第三の最強、男装舞姫が沈めん!!」
顔の左半分を半月の仮面で隠した男装舞姫が、地を蹴った。笑面の卑しい笑いがひきつった。
『男装舞姫!? 確かかつて神と戦った……ヒイイイッ!!』
笑面が毒の沼に逃げこもうとした。
「パヘトッ!!」
「神器・昇龍の鎧!! 風守!!」
パヘトの神器・昇龍の鎧の風が広がって、笑面と男装舞姫とパヘトをくるんだ。その風の床で、笑面は毒の沼に入れない。
『や、やめろっ!! オレ様は金欲を広める以外は人畜無害――』
「嘘つけこの野郎!!」
男装舞姫は、笑面を真ん中から真っ二つに斬り開いた。
笑面はどろどろの猛毒になって、地面に落下した。分裂していた仮面も、落下して猛毒の流体になった。
「白炎死忌刃!!」
男装舞姫から剣姫に戻ると、紫苑は神刀桜と紅葉から白き炎を全方位に放ち、すべての仮面の流体の猛毒を、燃やし尽くして浄化した。
「やったね紫苑!」
パヘトが飛んで来た。紫苑は両刀をしまった。
「金の貴公子か……。自分に自信のない奴ほど称号を欲するが、無意味な称号は失笑のもとだな」
「そしていつかみんなは忘れるんだね」
パヘトは、地上で翼をはためかせた。
「じゃあ、聖地は浄化されたし、星方陣を作ろうよ!」
パヘトの声に応えるように、聖地の中心に、ハートの形の、半透明の建物が現れた。
「ハートも確かに二角だね。ボク、笑面みたいな紡錘形だと思ってた」
「私もだ」
二人はハートの中に入った。そして、紫苑は神器・光輪の雫を掲げ、神器・昇龍の鎧を着ているパヘトは、背筋を伸ばした。紫苑が星方陣の祝詞を唱えた。
『己の答えは何なのか。その思考、その誓い、己の力なり。千の剣、万の恵、己の世界に証する。是すなわち真の寿なり』
ハートの形の二角星方陣が完全なる光のハートとなり、天に光を突き上げた。
「やったあ! また成功した!」
パヘトが、ホッと胸をなで下ろした。神器をうまく使えて、一安心したのだ。
世界の各地で、花や砂が文字を表した。二角星方陣は、星が自然を使って皆に言葉を伝えられる力だった。
紫苑たちには、雲が集まって文字を書いた。パヘトが読み上げた。
「えーと……“神器の適合者になりうる者たちに、赤髪の双剣士と竜の組み合わせの二人に協力するよう、伝えておきました。きっと彼らの方から近づいてきてくれますから、驚かないでください”だって! 一つの神器につき適合者は複数いるものだから、正直一から説明して神器を得てもらって旅に加わってもらうのって、大変だと思ってたんだ!」
「ちょっと待て。パヘトは、神器の適合者を知っていたのか?」
「うん、全員じゃないけどね。でもその人たちは、この町の住人じゃないよ。先に神器を見といて、一番資格がありそうな人を考えようと思ってたら、ボクが適合者になったってわけ」
「私が客観的に見ても、パヘトに一番資格があるぞ」
「えへへ、ありがとう紫苑」
二人は不夜城へ戻った。
紫苑が言霊師として、「鎖名完断」の言霊と共に名の運命を断ち切ると、二人の運命はただの男と女になった。
「ガラヌン神官の推薦状」をもらい、ノルスコとイパリィは涙ながらに紫苑とパヘト、ガラヌンに感謝し、ピッツモは黙って一礼した。そして、その足で三人はイパリィの家に出発していった。
朝陽の昇るペント町は呪いが解け、老人は元の年齢に戻り、食べていた骨を見て気味悪がった。子供たちも、働くだけでなく勉強もしなければということを、思い出した。
こうして、町は不夜城になること以外は、元に戻っていった。
死者の国への扉を開き、次の神器の情報を得ると、紫苑とパヘトはガラヌンに見送られて旅立った。
星方陣の祝詞の中の『己の世界に証する』の『証する』は、『証明する』の意味でお読みください。祝詞全文の意味は、
「自分の答えを出した者に、その思考と誓いが千の剣、万の恵となって、自分の世界に、それが自分の力になることを証明する。このことは祝うべき真のめでたい事柄であり、また、自分の答えこそが真の祝いの言葉である」
です。




