光の雪第三章「海底神殿」
登場人物
阿修羅(ヴァン=ディスキース)。神の発音で「あじゅら」、人間の発音で「あしゅら」。邪闇綺羅(神の発音で「じゃぎら」、人間の発音で「じゃきら」)の弟。神刀・白夜の月を持つ。神に背いた罰を受け、この世界ではヴァン=ディスキースと名乗って旅をする。
セイラ=サザンクロスディガー。栄光の都レウッシラで阿修羅が助けた星羅と同じ姿をしている。歌姫。
ザヒルス。十五才。ザヒルス村の領主で、斧使い。
ソディナ=ハーオーラ。氷魔法の魔法使い。
白狼。時の神。
黒魔。星の持つ、憎しみと絶望の権化。すべての命を喰らい、すべてを葬ろうとしている。
ルミル=テール。魔族のウサギの姿をした黒魔。
名宛下。またの名を世界最高の鍛冶職人、ガルミヴァス。世界を絶望へ向かわせようとしている。
第三章 海底神殿
砂海に名宛下がいないことを確かめてから、ラグダツ港で待っていた白狼、ザヒルス、ソディナは、ヴァンとセイラだけでなく、ルミル=テールもやって来たので、驚いた。
「この女は黒魔だが、セイラの歌が好きなのだ。セイラもオレたちも助けられた。私は同行しても構わないと思う」
ザヒルスとソディナが緊張しながらうなずいた。
「ヴァンに従います」
ルミルはウサギの耳をピンと立てて、お辞儀をした。
「これから、お世話になります」
相変わらず、胸の谷間がすごい。ソディナはぬぬうと目が釘づけになっているが、ふと、セイラが特に注意を向けず、にこにこと見守っているのに気づいた。そして、時折ヴァンを見上げて、微笑んでいる。
「(……何かあった?)」
女のカンがフル稼働する。小さな胸のセイラが、好きな男性の前で天敵のメロン胸を見て冷静でいられるはずがない。
「(……何かあった!?)」
ソディナの目が血走った。ザヒルスがびっくりした。
「どうしたソディナ! 鼻息荒いぞ!? 目も赤いし、お前も熱出たのか!?」
白狼が淡々と言った。
「では行こうか。名宛下を一刻も早く探さなければ、相手に攻撃準備を整わせるもとになる――」
そのとき、海がせり上がり、土地が隆起し、十字の形を残して周りが盛り上がると、真ん中にいるヴァンをふろしきの中に包みこむように、陸と海水を折りたたんで覆いかぶさってきた。
ヴァンは風魔法で一同を連れて逃れるが、土地や海水は触手のようにあとからあとから盛り上がり、ヴァンを捕まえ、大地の中に折りたたんでしまおうと追ってくる。
ルミルが告げた。
「星は聖方陣を成そうとしているわ」
ヴァンが聞きとがめた。
「『聖』方陣? 星方陣ではないのか?」
「聖方陣は星の力。神を封じこめる陣よ」
「神を封じこめる?」
白狼もルミルの隣にまわった。ルミルが説明した。
「この世界は神がいなくなったせいで、様々な邪神が、この星を乗っ取ろうとやって来たの。もちろん、星に残った戦士たちでは、かなわなかったわ。だから、この星は、自分の内部を開いて、邪神を封じこめて世界を救い続けてきたの。それが十字を折りたたんで交点にいる相手を閉じこめる、聖方陣よ。この星は、がんばってきたのよ……」
「その聖方陣を私に使って、どうするのだ」
阿修羅にルミルは苦笑した。
「もう、阿修羅様に去ってほしくないのですわ。この星にいる者なら、皆思いますわ。もう、見捨てないでくださいましと」
「……殺してでもか」
阿修羅にルミルは答えなかった。白狼が吠えた。
「セイラ! タロットカード・教皇を使え!」
「はい!」
紫色の光が輝き渡る。慈悲深さを表すカードである。聖方陣がおさまり、落ち着いた。あとには破壊された大地が広がっていた。地上の命への星の慈悲が一時、聖方陣に勝ったのだ。
「今のうちに海へ!!」
白狼が海へ飛びこんだ。ザヒルスが戸惑った。
「えっ!? 息ができなぐひゃーっ!!」
阿修羅の風魔法で、全員海の中に入った。
「死むうー!! 死むうー!! ……あれ?」
ザヒルスはじたばたするのをやめた。呼吸ができている。
「海中の酸素をお前たちに分けることくらい、たやすい。神が二柱もいて、何の方法も持たないと思ったか」
阿修羅に笑われて、ザヒルスは海の中で器用にも顔を赤くして、恥ずかしがった。セイラが二柱に尋ねた。
「私たちも、海底神殿へ向かった方がよろしいのですね?」
白狼が海の中から見上げた。太陽の光に透き通って、外が見える。
「星は、地上にいれば聖方陣を仕掛けてくる。お前たちのことも、見境なく襲うかもしれない。海中にいれば『星の中に閉じこめている』と星が思って、手を出さないだろう。別行動をと思っていたが、共にいた方がよかろう。だが、海は広い。探索のために一気に進む、私と阿修羅の高速の移動の水圧に、お前たちの体は耐えられまい。何かよい案はないか阿修羅」
「そうだな……。これではどうだ」
阿修羅は、鍛冶をして、金の丸船を創った。
「海の中の金を集めて創った。四人はこの中に入れ。私がこの金の丸船を運ぼう」
四人は豪華な船の中に入った。
白狼が阿修羅に告げた。
「では、この世界の海心(かいしん・意味『海の真ん中』)へ行こう。海底神殿はそこにある」
白狼の後に、阿修羅がついて行く。ジグザグだったり、渦を描いたりして、直進しない。
「その座標に行けば誰でも海底神殿を見つけられるわけではない」
阿修羅の疑問に答えるように、白狼が語りかけた。
「世界の隠された場所というものは、正しい手順を踏んだ者しかたどり着けないものだ。正しくない手順の者は、永久に見つけることはできない。世界とは、そういう所だ。海底神殿へ行くためには、海心に着くまでに常に波心(はしん・意味『波の真ん中』)を通って行かなければならないのだ。様々な波を乗り越えた者だけが、この世界の海心、海底神殿にたどり着くことができるのだ。この世界の事情は、私に任せておけ。そこから先は、お前に任せる」
高速で移動する二柱は、世界中の海をくまなくまわり、四角形の四つの頂点と、その海の中央に五つの渦を巻き起こした。そして、その中央の渦にわざと巻きこまれて、下降していった。
金の丸船が再び海中に溶けていき、中の四人は外に出た。そして、はっと口を開けた。
海に注ぎうる、目一杯の日光が、海を明るく照らしている。その中を、色とりどりの大小様々な魚が、群れをなして泳ぎ回っている。傘の形のサンゴが、白砂の道の両側に生えて日陰を作っている。海藻一本一本が魚の住居で、屋根も部屋もない。大通りの先に渦巻く噴水があり、小魚たちが水流の中で踊り泳いで遊んでいる。
一同が白砂の大通りを歩いても、気にする魚は一匹もいない。ここに来られる者は、正しい手順を踏んだ、正しい心の持ち主だと知っているのだ。
噴水の先に、枝ぶりのいいサンゴを平らに編んだ、サンゴの大階段があった。大人が十人、一斉に上れるくらいの幅で、頂上にイソギンチャクのびっしりついた三日月形の建物が見える。イソギンチャクは、波の流れによって揺れるたび、触手の色が青から金、紫に変わり、元に戻るときまた紫から金、青に変わる。それを繰り返すので、三日月がこの海で生きているように見える。
「あれが海底神殿だ。あのイソギンチャクたちが神殿を守っているのだ」
白狼が説明しながら一歩サンゴの編み階段に足をかけたとき、海に光の雨が降った。日の光を集めて光線にしたもので、触れると温かい。しかし、その光の雨を合図に、赤いサンゴの槍を持った女戦士の人魚が、十人ばかり素早く泳いできた。後ろに、上に二重、下に二重で上下合わせて四重の歯並びを持つ、大太鼓ぐらいの大きさの太い魚を、三匹従えている。
「あなた方は何者か。海底神殿に入れば海の都が崩壊することを知っていての行動か」
貝殻の兜に鎧を着け、完全に侵入者を排除する態勢である。
阿修羅が口を開いた。
「……あの海底神殿に、私の創りし神器があらかた揃っているな。かつて地上の人間たちが海に捨てたものを、集めてくれたのか。礼を言う」
それを聞いて、十人の人魚たちは驚いて顔を見合わせた。白狼が続けた。
「私たちは海の中のことが知りたくてここへ来た。話をよく知っている長老なり王なりのもとへ、連れて行ってくれないか」
「……では、侵入者を王のもとへ連行する。ついて来なさい」
十人の人魚は六人を囲み、泳ぎだした。サンゴの谷を泳ぎ、白い砂に直径二十センチの黄緑色の海草が生える海草原を抜け、一本の巨大なサンゴが触手の数だけ平たく丸い地を作っている場所へ到着した。青緑色の海に注ぐ日光をサンゴがいっぱいに浴び、その下にたくさんの海藻の家がぶら下がって揺れ、魚が出たり入ったり、または泳ぎまわったりしている。その一番上に、円錐の貝を天に向かって置いたものがある。それにも、イソギンチャクが貼りついて守っていた。そこにハープ型の貝の門番が、貝の自分を門にして立っていた。
人魚が門番に話すと、門番は移動して、道をあけた。人魚が振り返った。
「ここは海の都の王が住む城だ。イソギンチャクには手を出さないように。生気を吸われて立つ力もなくなるぞ」
中は、一部屋しかなかった。
人の背丈ほどある大ダコと大王イカが、全部の足に書類を持ち、墨を吹きつけては、はんこを押している。人魚の秘書がそれをあちこちへ運び、新しい書類を持ってくる。人の背丈ほどある年老いたエビが、それを監督している。エビは、すぐに阿修羅たちに気づいた。
「光の雨の警報にかかった者たちだな。そこで止まれ。陛下に、海底神殿に侵入しようとした理由を言うのだ」
大ダコと大王イカ、人魚たちが動きを止め、部屋の壁に沿って整列した。エビも脇に寄った。部屋の奥に、まっすぐな角笛に似た形の貝がいた。くもりガラスのような透明度の、エメラルドグリーンの貝の入口に、マリンブルーの丸い宝石が、はめこまれたようにくっついている。
「私は『海の宝石』と呼ばれる種族だ」
マリンブルーの宝石が喋った。といっても、海中の波で思念を伝える形である。
「地上の者が誰も知らないから、海の王となった。これからも知ろうと思うな。星に残された最後の安息の地を、乱すな」
阿修羅が答えた。
「海底神殿に勝手に入ろうとしたことは詫びよう。すべては海に隠れているかもしれない者を探さんがため。名宛下という者を知らないか」
海の王は大臣のエビに問うた。老大臣は、はさみを振った。海の王は阿修羅に告げた。
「ここは海の中心だ。海について入らぬ情報はない。名宛下とやらは、海にはいない」
ソディナは腕を組んで顎に指を当てた。
「おかしいわね、一体どこにいるのかしら? 空にも陸にも、海にもいないなんて?」
人魚兵たちは、阿修羅が海底神殿に神器があることを知っている、と王に報告した。部屋に少なからず動揺が走った。
「あの海底神殿はどういう神殿なのだ。どの神を祀っているのだ」
阿修羅はぐっと踏み込んだ。兄者を祀っているのだろうか――。海の王は弱く光った。
「あれはこの海の都を維持する力だ。神器が神殿を離れれば、この海の都は崩壊し、『元に戻ってしまう』」
「『元に戻る』……?」
海の王は悲しみも喜びもなく波動を起こした。
「ここは絶望の都アルダリダ。世界の悪が始まる所。かつて栄光の都レウッシラと呼ばれていた、すべての始まりの地だ」
阿修羅はようやく、ここがかつて栄光の都レウッシラのあった座標だとわかった。
「私たちは神器を納めた海底神殿の中に、アルダリダを封じこめている。地上の命が神器を海に投げこんでくれたおかげで、その力で世界に無が広がることを抑えこむことができたのだ。だから、海底神殿に近づいてはならないのだ。絶望の都が世界に広がってしまう」
「海の王よ、では王でさえ、絶望の都アルダリダの内部を知らないのだな」
「うむ……?」
阿修羅と白狼は同時に言った。
「「名宛下が隠れているかもしれない」」
海の王は明滅しだした。
「待て。海底神殿からアルダリダへ行くつもりなのか。やめろ! 海の都がアルダリダの無に呑みこまれる!!」
「名宛下を放置すれば星は死ぬ。海の都もだ。アルダリダに通じた道はあとで修復してやる。我々に行き方を教えるのだ」
白狼の言葉を聞いて、海の王は落ち着いた輝きを取り戻した。
「あなた方は、神格をお持ちなのですね」
阿修羅は星晶睛を見せ、白狼はタイム・ハウルの聖なる吠え声を聞かせた。
エビと大ダコと大王イカ、そして人魚と太鼓魚が、かしこまってひれ伏した。
海の王も一番深い色を見せてかがむと、人魚に命令した。
「神々のなさりたいことに従え。海底神殿へご案内しろ」
三日月形の海底神殿まで、戻ってきた。
人魚が注意した。
「イソギンチャクには、触らないでください」
ルミル=テールが聞いた。
「生気を吸われるからでしょ?」
「いいえ。ここのイソギンチャクは、神器を抱えたままお互いくっつきあっているのです。神器の波動でアルダリダの無を閉じこめているので、イソギンチャクの結びつきが何かの拍子に空中分解を起こしては、大変なことになります。ですから、不用意に刺激しないでいただきたいのです。皆様がお通りになる穴は、こちらできちんと計算してご用意いたしますので」
「はい……ありがとうございます」
セイラが階段を上りながら、人魚に微笑んだ。真面目な顔をしていた人魚も、表情が崩れた。
「神様ならともかく、あなた方は恐くないのですか。無の源へ飛びこむのですよ」
「ふふふ。私は、この世界が好きですから、助けに行けるなら、行きます!」
「ッ!!」
ルミルが耳をいっぱいに広げた。驚いた顔はしていない。だが、耳が震えていた。セイラの声を、ずっと聞いていたい、と。
人魚はセイラを、かわいいものを見るような目で見つめた。
「それも神々が守ってくださるという幸運つきで、ですね。あなたはか弱そうだけれど、なぜでしょう、何を言い出すのか、ずっと見守っていて知りたくなりますね。あなたがこれからも守られますように」
「素敵なお祈りをありがとうございます」
そうこうしているうちに、階段を上りきった。人魚がイソギンチャクに説明すると、イソギンチャクは触手同士の結びつきを一つ一つ解いて、そのうちの四匹が神器を抱えたまま地上に降りた。三日月に開いた穴の先は、薄暗く、ぽっかりとした空間だった。中から黒い気が立ち昇ってくる。
「さ、早く! 無が海の都に入りこんでしまいます!!」
人魚に叫ばれ、一同は穴に飛びこんだ。最後に白狼がタイム・ハウルで時間を戻し、イソギンチャクは元の結びつきを一瞬で取り戻した。
絶望の都アルダリダの海は、熱湯そのものだった。海底火山があって、そこから、何を含有しているのかわからない黒い熱湯を噴射しながら、絶えずマグマが流れ出ていた。それが都の周囲を覆い、外界との間を熱以外遮断していた。
阿修羅と白狼が、一瞬でセイラたちを神気で包んだので、いきなり海に飛びこんだ四人は、黒い熱水にも無事だった。
その海底火山以外、何もなかった。そして、無音であった。目にはマグマが迫り、肌にはマグマの熱が感ぜられるのに、音はまったくなかった。
「歌姫のいた栄光の都レウッシラとは、まるで真逆だ」
阿修羅の隣で、白狼が聖なる吠え声を出した。遠くまで響き渡った。
「……この響きの中にも名宛下はいない。うぬう……いずこへ隠れておるのか」
そのとき、白狼の「音」に呼応するかのように、二列の枯れ木が道を作るように海底の砂の中からせり上がり、海底火山へ向かって連なった。
そして、一本の木ごとに千個の黒い実がついた。
セイラがおそるおそる言った。
「一つの植物に千の実が鈴なりになっている……まさか、人間の理想郷、一樹千鈴の地ですか、この道は」
ザヒルスが残念そうに黒い実を見上げた。
「栄光の都レウッシラがあったところにあるって話だったもんな。……これ、一つも食べられそうにないけど」
ソディナもショックを受けていた。
「この世界に理想郷なんて存在しないのだわ。あるのは地道な労働だけ。楽をすることは、できない……」
ルミル=テールが提案した。
「とにかく、海底火山を登って見ましょう。何か言いたいことがあるのだと思うわ」
一同は、二列の枯れ木の間を泳いで海底火山にたどり着き、ヴァンの風魔法で山頂に着いた。黒い熱湯とマグマが止まり、火口がぽっかり黒い口を開けている。
セイラたちが躊躇していると、ルミルはあっさり飛びこんだ。阿修羅、白狼も続いた。セイラ、ザヒルス、ソディナも慌てて後を追った。
内部は、青い光で満たされていた。何か古代の文字が刻まれていて、その溝を水色の水が流れている。
それを読んで、阿修羅と白狼は顔色を変えて、互いを見合った。
そのとき突然、直方体の部屋が現れた。中に入った阿修羅は、息を止めた。
北の壁に玄武の絵姿、東の壁に青龍の絵姿、南の壁に朱雀の絵姿、西の壁に白虎の絵姿、そして天井に麒麟の絵姿が刻まれ、水色の水が流れていた。まるで血管が通って、生きた鼓動が伝わってくるようであった。
「ここは星の記憶の場所なのか」
すると、六人の床が光り、底が平らな卵のような形に、穴が開いた。
「星のさらに奥なのか?」
一同が奥をのぞいてみると、意外なことにそこは緑豊かな草原が広がっていた。雪も降っていない。地上の人々が見える。一本の木に千の実がなる一樹千鈴の地の木々が生えていく。人々は喜びあう。農耕を捨て、太陽を捨てた。そして、星の燃える内部を真のこの星の太陽とし、この星の光は地下から差すようになった。山や湖といった、星の内部とつながっている場所からしか、光が差さない、暗い世界。しかし、人々はそれでもよかった。食べるものはいくらでももらえるし、雪ももう降らないからだ。
「!?」
阿修羅は気づいた。暗がりの世界は、色を失い始めていると。
そこで、最初にセイラと出会ったときのことを思い出した。
「『この星が自らの中心部を見せたことがあった。太陽のように燃え盛る雪のない暖かさに人々が身を委ねようとしたとき、突然世界が白と黒の濃淡のみの世界になった』。『乾坤の書・影』も書いていた。この世界は、同じルートを繰り返している!! この第二の太陽に身を委ねれば、世界はまた白黒の世界に巻き戻る!! 十全の章授も、一章からやり直しになる!! あってはならない、なんとしても食い止めなければッ!!
セイラ、タロットカードを!!」
阿修羅の判断は早かった。まずタロットカード・塔の赤茶色の光を放った。人々にこのカードの持つ力、失敗の幻を与え、星の与える偽りの理想郷に浸ろうとする心を、凍りつかせた。そしてタロットカード・審判の水色の光を与えた。このカードの力である、目覚めと再生の光が人々に降り注ぎ、人々は星の無限の繰り返しに、はっと気がついた。人々は、「理想郷」で踊るのをやめた。
『乾坤の書・影』が光った。
『十全の章授・九章・地上の偽りの理想郷・終』
と、書かれていた。白狼が歩み寄った。
「よく無限の道を断ってくれた阿修羅。こればかりは、タイム・ハウルでもどうしようもない。何度時を戻しても、人間は毎回偽りの理想郷に浸ってしまうのだ」
阿修羅が振り返った。
「白狼は、いつからこの星に――」
そのとき、
『ふん、せっかく地上で踊り狂う人間どもを見ていたのに、邪魔が入った』
星の内部から、影が出て来た。四神五柱が一柱、麒麟の姿をした影であった。
阿修羅は前へ出た。
「もはや驚かぬ。お前は何の大罪か」
黒麒麟は、フインと鼻息を吹いた。
『私は七つの大罪が一つ、高慢なり! それを表すのが土気の私の理由は、山も谷も、人間どもには崩すことができないからだ。穴を掘り、橋をかけることしかできない。私はあるがままに生き、誰にも変えることはできない。隆起も沈降も思いのままよ。誰も大地を失わせることはできない。よって、絶対の自信、不動の力を象徴する私が、愚かな人間どもを倒す「正しい高慢」の王なのだ』
「つまり、『王』のお前の決めた道しか与えず、新たな道を進ませぬということか」
口を挟んだ阿修羅に向かって、黒麒麟はため息の代わりに鼻息を吹いた。
『人間は毎回気づかない。白黒の世界は星の罰ではなかったのに。心の光る人がわかるように、暗い悪人が見えないようにするためだ……。この星は、人間に、この星にとってよいものを見てほしかったのだ。見つけてほしかったのだ。気づいてほしかったのだ。
だが、いつもだめだった。人間は、自分の失った幻のものばかり追い求め、今存在する、限りある何かは、目に入らなかった。人間が十全の章授・一章で星の願いに気づき、行動していれば、十全の章授が二章から先に続くことはなかった。人間はいつも選択を間違える。何度も、チャンスをあげたのに……』
人間を信じているのに、裏切られた。
だから、怒る。
この星を削った分だけ、人間を削って、怒る。
それこそが正しい罪と罰の関係である。
これのない関係は、世界全体の崩壊を引き起こす。
今の、星方陣の罰を受けていないこの星のように。すべての希望の道は閉ざされる。
黒麒麟は肩をすくめて鼻を吹いた。
『しかし、人間というのはこの星の歴史上、良い前例だ。なにせ、何もしなくても何をしても救われるのだからな。この世にそういう存在がある以上、この星も同じことをしてもその存在を神に赦されるであろう? それこそが神の平等ではないかな? 星は、何をしても救われていいであろう? フフフ、こんなことをしてもだっ!!』
黒麒麟の体から黒い液体が流れ出て、広がり始めた。
『これは絶望の都アルダリダの持つ、「無」の水だ! アルダリダよ世界に広がれ! 世界を無に戻してしまえ! その後、この王が世界を再生してくれようぞ! 私こそが正義、絶対の不動なる大陸、森羅万象の増減を握る王だ!! 王の命令を聞けえっ!!』
それを聞いて、阿修羅が炎の魔法を黒麒麟の目に放った。黒麒麟は笑った。
『海の中で、何をしているのだ。そんなもの、マグマの足しにもなら――ん?』
黒麒麟の目の前に、光る麒麟の輪郭が現れた。そして、その周りを大きく炎が取り巻いた。炎は麒麟を大きく見せたが、炎のせいで中にある本来の光は鈍って見えた。そして輝く炎はやがてしぼみ、光る麒麟をも燃やし尽くして消滅した。
『……なんだこれは……』
アルダリダを広げるために溶けていく黒麒麟は、不可解な表情で眉をしかめた。阿修羅が答えた。
「高慢とは、自分の本来持つ能力の輝きを鈍らせ、かつ自滅に追い込むのだ。『虚飾』を伴うからだ。その虚飾のもとは、己の無理に広げて燃やす体の炎だ。体を燃やすから、最後は燃え尽きる。小さくなった体は、少しの攻撃にも、もろく倒れる。高慢とは、相手に自分を大きく見せるだけで、実は最後に自滅し、かつ敵に対して自分の最も弱い部分をさらけだす最大の失言の道なのだ。今のお前のようにな!!」
阿修羅の神刀・白夜の月が、星の内部に見える大地に振り下ろされた。大地が砕かれ、海に呑みこまれた。
黒麒麟が絶叫した。
『何をする!! この私の不動の体に!!』
阿修羅は山を割り、谷を裂いた。黒麒麟が悲鳴を上げた。
「誇れるものを失えば……お前はただの能無しだ」
阿修羅が黒麒麟に麒麟神紋を描いた。黒麒麟は、自分を構成するものを支えてくれていた部分を失っていたので、ぱあんと弾けた。
『乾坤の書・影』が光り、
『七つの大罪・六・高慢・終』
と、書かれた頁が開いた。
黒麒麟のいたところから、三枚のタロットカードがひらひらと飛んできた。「世界」と「悪魔」と「隠者」のカードであった。「世界」は成功、勝利、完成された人格、「悪魔」は黒魔術や呪い、「隠者」はアドバイスの力があることが、セイラにはわかった。
そして、「隠者」の焦げ茶色の光が放たれた。『乾坤の書・影』の頁に、光の文字を刻んでいく。
それを読んで、阿修羅は目つきが鋭くなった。白狼が尋ねた。
「何とある」
「『この部屋は先の星方陣を記憶している部屋である。壁に祝詞を刻んであるので、それを使って星方陣を成せ』とある。……しかし、何が起きるのかまでは書いていない」
「星は我々に失敗させて、今度こそ失敗した星方陣の罰、陣罰を得ようとしているのか?」
「ならぬ!!」
激しい阿修羅の口調に、セイラたちは驚いた。セイラと阿修羅の目が合った。
「星方陣を失敗すれば、セイラたちは死ぬ。ならぬ!!」
セイラ、ザヒルス、ソディナは顔を見合わせた。白狼が穏やかに話した。
「だが、この傷ついた世界をこのままにはしておけぬ。星方陣で何が起こるのか、賭けてみようではないか。セイラたちが死なないよう、私はタイム・ハウルができるように控えているから」
「……」
阿修羅は、星の命を削って人々を生き返らせた神・白狼を、信じることにした。
白狼を除いた五人で、星方陣を作ることになった。しかし、今回は昔のように五芒星ではない。正方形の角にまず四人が立ち、対角線の交点の中空に五人目がとどまる、四角錐形であった。中央は必然的に、阿修羅になった。天井の麒麟の絵姿のところへ向かう。北の玄武の絵姿のそばに氷魔法使いのソディナ=ハーオーラ、東の青龍の絵姿のそばに病気のない黒魔のルミル=テール、南の朱雀の絵姿のそばにセイラ=サザンクロスディガー、西の白虎の絵姿のそばに身体能力の老いが遅い魔族のザヒルスが立った。神器は、アルダリダのふたをしている膨大な数の神器の力を集めれば、足りるようである。
星方陣の祝詞は、変わらなかった。阿修羅が緊張した声で唱えた。
『己の答えは何なのか。その思考、その誓い、己の力なり。千の剣、万の恵、己の世界に証する。是すなわち真の寿なり』
五つの壁面が、神の言霊の音を吸って輝きだし、その壁から出た五つの光は、一つに束ねられてうねった。川のようにしなり続けると、渦を巻き始めた。そしてその渦は凝縮されていき、みるみるうちに片手に載る大きさの、螺旋の鈴となった。
「……成功……したのか……?」
それ以後、何の動きもないので、天地の鳴動を予想していた阿修羅は緊張したまま、落ちてきた螺旋の鈴を受け止めた。雪色をしていた。
『乾坤の書・影』が光った。
『この鈴の名はAZの渦鈴。過ちを犯す前の分岐点まで時を戻せる』
と、書いてあった。感想を出す暇もなく、星の内部から朱雀の輪郭が現れた。
『受け取るがよい!! この奇蹟は二度とない!! つかみ取れ!!』
さらに、セイラのタロットカード・悪魔が黒影色を放ち、具現化した。三叉の槍を持った、一ツ目の白い蛇だった。そして、タロットカード・世界も白色を放ち、具現化した。マントを羽織った、女神の姿であった。二枚の化身は、何も言わない。どちらの選択を応援しているのか、誰にもわからない。「呪い」と「成功」、AZの渦鈴は果たしてどちらなのか。
黒朱雀が翼をはためかせた。
『我が名は七つの大罪が一つ、貪食である! 火気の私の理由は、すべてを果てなく火種にし、永遠に燃え続けるからである! さあ、すべての望みを言え! 七つの大罪も、私が最後の七番目だ! この星で起きうることなら、言えば言うだけかなえてやろう! お前たちはよく戦った! この星を守りたい気持ちが伝わってきて、私は嬉しい! 私はお前たちの望みが知りたい! 星をよくすることを、私は貪り食うように知りたい、知りたいのだ! 私の望みをかなえてくれ、お前の望む星の姿を、教えてくれ!!』
「――ッ!!」
阿修羅は、言葉が出かかって、前歯で急いで押しとどめた。
言おうとしてしまった。
「栄光の都レウッシラまで戻りたい」と。
星羅がよみがえるからだ――。
それともこの傷ついた星を、星方陣の成される前に戻すのか。
白蛇と女神が見つめている。黒朱雀が、知りたいと願っている。
阿修羅がAZの渦鈴に何を願うのか――。
白狼が吠えた。
「阿修羅、決断せよ!!」
阿修羅は右手にある、螺旋の雪色の鈴を眺めた。遂に星方陣に成功したのだ。神の力を超える望みがかなうのだ。
記憶の中のレウッシラの神殿で、星羅が歌っていた。いつまでも忘れはしない。世界を愛した娘の声を。だからこそ、阿修羅は地上に降りたのだから。
「AZの渦鈴よ……」
阿修羅が語りかけた。皆が食い入るように見つめている。阿修羅は、本物の雪を載せるように、そっと、雪色の鈴を両手で持った。
「それでも私はこのまま生きていく」
黒朱雀が巨体を揺らした。
『なんだと!? 間違ったことばかりしてこの星を傷だらけにしてきたすべての時の流れを、巻き戻さなくてもいいというのか!? なぜだ!? 神のお前こそ、失敗をやり直したいであろうに!?』
阿修羅は雪色のAZの渦鈴を見つめていた。
「確かに私は多くの間違いを重ねてきた。誰かを死に追いやり、希望を奪い、苦しませた。だが、そのたびに怒りと悲しみを乗り越え、他の者をその分、救う糧としてきた。失敗がなかったら、今の私はない。苦しめてしまった罪を償おうと思わなかったら、今、苦しんで戦っている自分はない。私はどんなときも、すべきだと思うことをしてきた。良いことも、結果的に悪いこともだ。その選択に私は後悔しない。責任を取りたい。自分の決断から、逃げたくない。
今、時を巻き戻せば、その分岐点は救われるかもしれない。しかし、きっと別の失敗が起こる。自分の決断の責任を取ることから逃げたからだ。ここまで生きてきた自分を、否定するからだ。自分の決断を帳消しにしようとする無責任な者は、一生自分を大切にしない。失敗したあとは、もう二度と失敗しないように、他人の成功例を真似して、他人の人生を盗んで、成功したふりをし続ける、猿真似の猿になる。
失敗を受け入れない者は、人間ではない。自分を殺した幽霊だ。苦しくても生き続けたから、誇りが持てるのだ。人が生きていく中で、なかったことにできることは、一つもない。傷つく苦しみを受け入れるから、すべての命は生きる資格があるのだ。自分の思い通りの人生を何度も選び直して、何が楽しい。私は私が好きだ。絶対に私は私を、裏切りはしない!! 怒りも悲しみも苦しみも悩み傷ついたことも全部、私なのだ!! 私はそれでも明日を信じて生きた私を、愛しているのだ!!」
その瞬間、AZの渦鈴が割れ散った。
無音の都アルダリダで、それは雪が割れ散ったような小さな音で無限に響き渡った。
そして、四神五柱の絵姿の常闇の方へ向かい、雪が溶けたように消えていった。
白狼がそれを目で追った。
「砕かれればアルダリダの闇に消え失せるか。常闇の破鈴だな」
いつの間にかタロットカード・悪魔が消え失せ、タロットカード・世界の女神が微笑んで立っていた。そして、消えていった。
黒朱雀は頭を振っていた。
『失敗を、受け入れろだと……ああ、くそ、こいつが欲を出せば私の中に喰えたのに!!』
阿修羅が神刀・白夜の月をさあっと抜いた。
「そうか、善人のふりをして私に誤った選択をさせようとしたのか。さすが七つの大罪が一つだ。心置きなく倒せる」
貪食を持たない阿修羅に朱雀神紋を描かれて、黒朱雀は防ぎようがなく破裂した。
その中からタロットカード「死」と「愚者」と「月」の三枚が舞ってきた。それぞれ、「死」には死、「愚者」にはきまぐれと愚かしさ、「月」には見えないところにいる敵、を表す力があると、セイラにはわかった。
そしてタロットカード・月のクリーム色が輝くと、月の光が一直線に、床に現れた星の内部に差した。光の中に、名宛下がいた。こちらに気づいて、顔色を変えている。
白狼が吠えた。
「星の内部の迷路を抜けた最奥にいたか! 月の光が迷路を透過し、道を作ったぞ! 行こう、皆の者!!」
その言葉と同時に、名宛下の放つ波動が一同を襲った。音に敏感な阿修羅が一瞬苦痛に止まった隙に、名宛下の腕が伸び、セイラの腰に巻きついて、セイラを星の内部へ引きずり込んだ。
「セイラッ!!」
星の内部の名宛下への道は、タロットカード・月の光がセイラと共に失われたため、迷路を残すのみとなってしまった。
「セイラアアアッ!!」
阿修羅が絶叫した。




