光の雪第二章「大罪(たいざい)五・嫉妬(しっと)」
登場人物
阿修羅(ヴァン=ディスキース)。神の発音で「あじゅら」、人間の発音で「あしゅら」。邪闇綺羅(神の発音で「じゃぎら」、人間の発音で「じゃきら」)の弟。神刀・白夜の月を持つ。神に背いた罰を受け、この世界ではヴァン=ディスキースと名乗って旅をする。
セイラ=サザンクロスディガー。栄光の都レウッシラで阿修羅が助けた星羅と同じ姿をしている。歌姫。
ザヒルス。十五才。ザヒルス村の領主で、斧使い。
ソディナ=ハーオーラ。氷魔法の魔法使い。
黒魔。星の持つ、憎しみと絶望の権化。すべての命を喰らい、すべてを葬ろうとしている。
ゼブゲ。死体を「供養」すると、その死体を自分の思い通りに動かせる。
ルミル=テール。魔族のウサギの姿をした黒魔。
名宛下。またの名を世界最高の鍛冶職人、ガルミヴァス。世界を絶望へ向かわせようとしている。
第二章 大罪五・嫉妬
西の島の手前の無人島に降りたヴァンは、鳥の羽根を素材にして鍛冶を行うと、小さな白い翼がモチーフのペンダントを三つ作り、三人に一つずつ渡した。
「オレの風魔法がなくても、お前たちの意思で自由に空を飛べる。危険を感じたらすぐに使え」
三人は、ペンダントの翼が光ると体が浮くのを体験して、興奮した。
「これから先、オレたちはどのような攻撃に出くわすかわからない。各自の判断を優先しろ」
「ありがとう、ヴァン!」
三人はお礼を言ってから、白い翼のペンダントを大事そうに掌の上に載せて、わくわくしながら見つめた。
そして、三人はペンダントを使って自力で飛ぶと、ヴァンの後に続いて西の島へ向かった。
「こーんにーちはー」
ピーナツの殻のような形の島に、白いサンゴが網の目のようにこんもりと広がっている。その島の海岸の、白い砂浜の上で、青と白のストライプ模様の何かが手を振っていた。
「阿修羅様ー、こっちですー」
ヴァンたちは顔を見合わせたが、ひとまずそこへ降りた。
真っ白いサンゴの島において、青と白のストライプのシャツとズボンがいやに目立つ。先の尖った青光りする靴。袖の周囲に丸い黒サンゴの粒が等間隔に並んでいる。
その服に身を包んでいたのは、白いサンゴの精霊だった。
「人間ではないので、十全の章授が効かなかったのだな」
「はい、阿修羅様。私はこの『過去の島』という名の島を形成する、白サンゴの化身でございます。名をキゼットと申します。以後お見知りおきください」
キゼットに、阿修羅は尋ねた。
「私のことを、知っているのだな」
「はい、私はあるお方に頼まれまして、阿修羅様を、この過去の島でご案内することになっております。どうぞ、ご了承ください」
「ここに、何があるのだ。ついて行けば、その者に会えるのか」
阿修羅は、この島について、『乾坤の書・影』に何も書かれていないことが、気になっていた。
キゼットは、にこにこと笑った。
「あのお方の見込み違いでなければ」
阿修羅は、仰天した。神格の阿修羅にこのような無礼な口をきくとは、このキゼットをよこした相手も、相当な神格の持ち主なのであろう。なぜ、これまで世界の表に出て来なかったのか?
阿修羅は、キゼットの後について行くことに決めた。
キゼットは白サンゴの密集する島内部への入口を指し示した。白い壁がそびえている。中央に牙の四列ある魔物の口が、人が一人、通れるくらいの巨大さでついていた。
「この島は、船で近づいて上陸しても、白サンゴしかありません。ですが、魔法がかけられていて、正しい入口を通ると真の島に行けるようになるのですよ。その入口は、この魔物の口です。さあ、くぐってください」
セイラの故郷への入り方と同じ原理のようだ。しかし、セイラ、ザヒルス、ソディナはためらい、足がすくんだ。もしこのキゼットが黒魔の変身した姿で、この魔物の口が罠で三人を食べてしまったら、どうするのだ。
「私を信じられますか? 敵の罠だと思いますか? あなた方はここに残ってもいいですよ」
キゼットはおかしそうに笑った。阿修羅は真っ先に向かった。
「私は行く。残りたければここにいろ」
そして、中へ入ってしまった。
「まったく、防御に自信のある神様はいーよなー、迷いがなくて」
頭をかくザヒルスの脇を、セイラが走り抜けた。
「えっ!? セイラ!?」
セイラはヴァンからもらった、エメラルド色のゼリーでできた「山のドレス(かぶりもの)」を身に着けて、魔物の口をくぐって行ってしまった。
「まじかよ、いーよなー全身鎧〈かぶりもの〉持ってる子は! オレどーしよー」
「負けないわよセイラ!!」
ザヒルスが頭を抱えて悩んでいるそばを、ソディナが駆けた。
「えっ!? ソディナ!?」
ソディナは氷魔法で氷のフードつきマントを作ると、魔物の口をくぐってしまった。
「うそおっ!? オレだけ!? オレだけ無防備だったの!?」
身悶えしているザヒルスに、キゼットが耳打ちした。
「この口……恐がってる人を嚙みますよ」
「おをー!! どーすんだオレー!!」
「冗談ですヨ。早くおくぐりなさい。ゼブゲと名宛下に気づかれないうちに」
「……精霊さんは、笑えない冗談を言うんだなー……」
「早う入りなさい」
キゼットの白サンゴ頭に頭突きされて、ザヒルスは魔物の口の中に飛びこまされた。
「バッ、馬鹿ー!! 心の準備がっ!! 死んだら化けて出てやるー!!」
がばっと起き上がったとき、ザヒルスの目に異様な光景が飛びこんできた。まず、島の中央に、海が固まってできたかのような、エメラルド色の氷山がそびえていた。縦に直径二十メートルくらいか。その周りを、階段だらけの町が囲んでいた。その階段はすべて雪でできている。町の周りでは、氷でできたひいらぎの葉一枚が、一本の低木に育ったような大きさで林立している。その上空では、明るい空の中で、緑色のオーロラが躍っていた。
誰一人住んでいないが、きれいなところであった。
そこへ、氷山の上に、ぬっと白い影が現れた。
流れるようなつやめきの白い毛並みを持つ、体長二メートルの白狼であった。
阿修羅は、とてつもなく懐かしさを覚えたが、その白狼が何者なのかは、知らなかった。
白狼が口を開いた。白い根元から銀色の先端までグラデーションの入った牙がのぞく。
「阿修羅。お前を待っていた」
「あなたはいずれの神か」
「阿修羅。それは私の問いを解決してからにしてもらおう。答えられなければ、私は力を貸すことはない」
白狼は、氷山の頂上でウオーンと空に向かって大きく吠えた。その瞬間、階段だらけの町に、人間たちが出現した。そして、生活しだした。しかし、一つ変わっていることがあった。彼らはごみを売り買いし、道路も広場も建物も階段もごみだらけの町で、何も気にとめず暮らしていた。
「この中に正直者がいる。探し出せるかな」
そして、白狼は姿を消した。
キゼットに見送られて、四人は町に入った。足の踏み場もないほど、チラシや食べ物や薬品が道路に溢れていて、とてもではないが、通常の速さで歩けない。人々は足元も見ずに、ごみを蹴散らしながらすたすた歩いたり、走ったりしている。
ザヒルスが人々の度胸を恐れながら、提案した。
「えーっと……、ごみを拾う人が正直者なんじゃないか?」
ソディナは全体を見回しながら、首を傾げた。
「そんな人、いないわよ。それに、そんな簡単な答えの問題、わざわざ阿修羅様に出すかしら?」
「……だよな……ごめん。もっと考えよう」
セイラが阿修羅の隣に立った。
「とにかく、町を全部見て回りませんか?」
そこで、四人はすべての家を見て、すべての人間と接触することにした。しかし、町の人間は誰一人、四人の呼びかけに応じなかった。目の前にいる町人とごみしか、認識していなかった。
仕方なく、町の端からすべての家の中をのぞき、道を通った。食い散らかしの散乱する部屋、もう何も入らないほど溢れているごみ箱、毒の香りを放つ毛織物、薬品を隠した水、触るだけで健康を害う雑貨。道には大量生産大量廃棄の、アイデアを盗みあった企業群の流行商品、町中の本の中身をつぎはぎして「作られた」コピー本、発案者を応援するために買ったのに、自分の才能のものではないもういらなくなったその中古の商品を、他人に売りつける盗みの世界。
「ああ、この世界は滅びる。終わっている」
阿修羅はため息をついた。これが人間の本性なのか。これが全世界に広まったら、大変なことになる。
「だが、あの白狼の言う通り、正直者が残っているというのなら、まだこの世界を見る望みはある。どうしても探し出したい。神として、どうしても!」
そのとき、阿修羅の耳に呻き声が聞こえた。しかし、そばには誰もいない。そこら中に散らばっているごみたちが呻いていた。
「オレには有害物質が入っている」
「粗悪コピー品に負けた」
「敵国の人間に、わざと不良品にされた」
怨みの念が町中に逆巻いていた。この星から生まれた物たちは、こんな物しか作らない人間に反逆しようと、相談していた。そして、この星が、大地を凍らせて二度と人間が物質を採れないようにしよう、ということに決まった。この星から生み出される物は、この星の意思であり、その物を扱うことは、この星をどう扱うかということと同じなのだ。物をぞんざいに扱う者は、この星をぞんざいに扱う者と同じなのだ。「この地球は大切」と言っておきながら、実生活でごみをまき散らしたり、必要以上に浪費したりする者は、この地球のことなど大切に思ってはいない。言葉ではいくらでも身を飾れる。だが、行動はすべてを明るみにする。誰も周囲の目から隠れることはできない。たとえ、王でさえも。
阿修羅は町の最後の店に入った。そして、おや、と思った。これまでの店ではボールペンが十本で百キーンだった。しかし、この店は一本で六十キーンだった。すべての値段が、他の店より高い。おそらく問屋の利益が含まれていて、素材も混ざり物がなく、丁寧に作られた品だから、高いのだろう。他の店は低賃金の労働者が作って、製造時間を短縮する混ざり物が入っているから安いのだろう。
この商品には、何の怨みもなかった。
ただ堂々と、
「オレには六十キーンの価値があるんだ」
と、言っていた。
阿修羅は感動した。何に対しても、正当な評価をしよう。いずれ自分も他人から正当に評価してもらえるときが来る。良い運が来るのを手伝ってくれる相棒として、物を買おう。
阿修羅は現金の持ち合わせは少なかった。だが、お金がなくても六十キーンのボールペンを買った。もし何か膨大な記録を後世に遺すつもりなら、とてもボールペン一本では足りない。十本百キーンと一本六十キーンでは、買い替えるたび、金額の開きはたいへん大きくなる。しかし、阿修羅は、もし買えない場合は、自分の工夫で切り抜けるべきだと思った。替え芯に割り箸をつけようと、黒い色鉛筆を使おうと、目的に応じていくらでも代わりの案はある。「このボールペンでなければ何もできない」わけはないのだ。
「なんでもお金を出せば買えるというのは、幸せな国だ。世の中には、買いたくても金も物もない国がある。だが、金を出せばなんでも買えるのは、人々の審査する眼を奪う。『これはこの値段の価値がある』『この機能だけでは高すぎる』と思いながら、人は物を見るべきである。『一番安い方』ではなく、『修理・相談が丁寧』など、作った物を大切にする人の作る物を、重視すべきである。お金が足りなくなったら我慢して、工夫して代わりのことをすればいい。欲しいものをなんでも買うのは病だ。
『すべてのものが安く手に入るのに、なぜ高いものを買うのか?』――では問おう、それはなぜ安いのか? 有害物質で手っ取り早く作っているから。正規の商品の技術を盗んで、コピーしているから。人を不当に安く使って、我々がその人の人生を使い捨てにしているから。毒に少ない金を払って、金は貯まるが健康寿命は縮む。盗作のものを使ってかつ人の人生を使い潰して喜べば、いずれ自らも何かを盗まれ使われる罰を受ける。この星の人々にそんな罰は受けてほしくない。盗んだら、盗み返される。物を見るとき、正しく判断する眼を持て。それは、その物を見たとき、それを作った人のことまで考えられるかどうかが始まりだ。
そして物は、否、この世にあるものは、すべて時間の化身なのだ。その物が材料になるまでの生きていた時間、作る人がその年になるまでの時間、作っている間の時間、完成して存在している間の時間。人も物もすべての存在は、すべて時間を持っているのだ。たとえ一キーンのものでも、雑に見るな。その一キーンのものは、自分の何倍もの時間と作る人の愛情と期待と汗でできている。すべてにおいてそうだが、数字でしか判断できない者は、大局を見誤り、いつまでも判断を間違える。必ずそのものの持つ時間を想え」
セイラとザヒルスとソディナは、感心して傾聴していた。特にザヒルスは、
「お金ってそういうふうに使うんですね! いつか教わりたいと思っていました、今拝聴できて、嬉しいです!」
と、感激していた。そこへ、白狼が現れた。
「正直者が見つかったようだな」
ソディナは周囲を見回して、店長のことかと思った。
「はい、物を正当な値段で売っているこの人ですね」
しかし、白狼は無視した。黙って阿修羅を見つめていた。ソディナは、この人ではないのかと焦ったが、白狼が知りたいのはソディナの答えではなくて阿修羅の答えなのだと気づいて、赤面して下がった。
阿修羅は沈黙のあと、答えた。
「正直者は、私だ」
白狼は黙っていた。
「私が今、正しい行動をしたのだ。お前は正直者を探せと言っておいて、私の行動を試したのだ。……真の阿修羅かどうか。この星を滅ぼすつもりなら、人間に怒って放置するだろう。しかし、救うつもりなら、正しく行動して、真似して後に続く者を増やそうとするはず。お前はこの阿修羅の心を試したのだ。随分な問いではないか。それなりの神格なのであろうな」
白狼はそのつやめく白い毛並みの体に顔をつっこみ、臙脂色の細長い布を引き出した。それは、かつて阿修羅が創り、兄・邪闇綺羅が壊してしまった、十二種の大神器が一つ、はちまきである淵泉の器であった。
白狼は阿修羅に渡しながら、語った。
「ここはありとあらゆるごみの集まる所だ。砕け散った三つの神器のうち、淵泉の器の欠片がここに集っていたので、修復しておいた。水鏡の調べと海月は、この星が捕まえて、どこかに隠してしまった」
「クリスタルハープなら、戻った。あとは海月だけだ。しかし、神器を修復するとは、お前は何者なのだ」
白狼は上品に牙を見せて笑った。
「私の名は白狼。『時』の神だ。時を戻す力を持つので、淵泉の器もそれで復元したのだ」
「時を戻す!?」
一同が驚いていると、キゼットが現れた。
「死人兵の偵察部隊が、島の周辺をうろつきだしました」
白狼はキゼットをねぎらった。
「今までよく仕えてくれた。私はこれより先、もうここには戻らぬ。達者で暮らせ」
キゼットが深くお辞儀をした。
「白狼様、あなた様に出会えて、私は幸せでした。どうぞ、ご武運を」
白狼はうなずいてから、阿修羅に振り向いた。
「私も共に戦う。名宛下とゼブゲには、私の助けがなければ、勝てぬ。全人類が死滅しても正しい行動で世界に希望を与えようとした阿修羅、共に参ろう、いや、私は共に行きたい!」
「ああ、頼む!」
阿修羅は白狼と手を握り、再びゼブゲの待つモーダ王国の王都、マムノゴへ向かった。
そこは、もはや人の住める場所ではなかった。
祝祭か戦勝パレードのように道という道、また、王都の外の街道や森の果てまで、死人兵がひしめきあい、中の者は一歩も前に進めないであろうというほどであった。
老若男女がそろっているので、この星の全人類が集結したのだろう。ザヒルスが歯を食いしばった。
「全員ゼブゲの兵士か! くそっ! 魂がないと思って勝手に使いやがって! ゼブゲに同意して従うんじゃなくて、ゼブゲがみんなを盗んで使ってるだけじゃないか! 偽の宗教は人の心を殺すけど、ゼブゲの『供養』は、体をめちゃくちゃに使い捨てる! みんなを助けなくちゃ!!」
そのとき、死体生命発現許塔ゼブゲが、空中を飛んできた。
「阿修羅、やっと現れたか。過去の島ごと破壊しようと準備していたのに、残念だ。だが、阿修羅を敗退させたことで、わしは名宛下様にお褒めいただいたのだよ。これほどの高揚感があろうか? わしは年甲斐もなく、相好を崩してしまったよ! 敵を倒す手応え、心酔するお方からの激賞のお言葉、そして全人類の兵力! もはやわしに敵対しうる者がこの世にあろうか? 否、名宛下様より他になし!!」
勝利の美酒の杯を手に持っているかのように、ゼブゲは「乾杯前のかけ声」をべらべらとしゃべった。もう既に酔っているらしい。
「何かを盗んだ者は何かを盗まれ、失う罰を受ける。お前の主の名宛下は、それを教えてくれなかったようだな。お前の星が堕ちても構わぬようだ」
ゼブゲは、横から口を挟んできた白狼に雪玉を投げつけられたような気持ちになり、不快の目を向けた。
「なんだこの犬っころは」
白狼は動じなかった。
「虎の威を借る狐、ゼブゲ。世界の王にでもなったつもりか。誰一人意見も賛成も言わない世界で。滑稽な奴だ」
ゼブゲは目を白黒させて、わなないた。
「このわしを道化扱いするのか!! 全人類を従えたこの王に向かって!! 犬畜生の分際で、阿修羅をも退けた神格に匹敵するわしを愚弄するなど、千年早い!! そこへ座れ!! しつけで鞭打ってくれる!!」
白狼は笑いだした。
「全人類の王、か。なるほど、確かにそんな奴が誕生した世界は死滅したな。掟の通りだ」
「ん!? 何の話だ!?」
ゼブゲが白狼の不穏な発言に聞き返した。しかし、白狼も阿修羅も答えなかった。
「この世界を滅ぼしたいのなら、お前たちは正しい道を歩んでいる」
白狼の言葉に、今度はゼブゲが答えなかった。逆に問うた。
「この世界に、救われる望みがあるのか」
「そんなセリフを言うくらいなら自分の手で選択肢を狭めるな!」
阿修羅に一喝されて、ゼブゲは再び敵対心を取り戻した。
「そうだ……神なき世界で、我々はなんとかやってきたのだ。これからも、いまさら現れた貴様などに、邪魔されてたまるか!! 行け!! 全人類の、神への反逆だー!!」
ゼブゲが号令すると、全人類の死人兵が、全速力で阿修羅たちに向かってきた。セイラ、ザヒルス、ソディナが翼のペンダントを使って戦おうとしたとき、白狼が一同の前に出た。そして大きく息を吸った。
「タイム・ハウル〈時の遠吠え〉!!」
ウオーンッと、四海に届くほどの響きで遠吠えを行った。
ゼブゲは嘲笑った。
「なんだ、戦争の合図のつもりか。威勢がいい犬畜生だ」
ところが、遠吠えの響きを浴びた全人類の死人兵が、くにゃりと膝を曲げて、突っ伏して、ただの死体に戻ってしまった。ゼブゲは目をみはった。
「ど、どうした!? お前たち!! なぜ動かない!!」
白狼は静かに全人類を見下ろした。
「私は時の神。時を戻す力を持っている。私の吠え声で、死人兵は、死人兵にされる前の死体に戻ったのだ」
ゼブゲは焦って再び「供養」した。
「そんなバカな!! 私の兵士が!! 奪われるはずがない!!」
死体は再び死人兵となり、ゼブゲの命令で立ち上がった。
「ブプフ……、どうだ! 私の力の方が勝っている!」
再度全人類の王となり、自信と余裕を取り戻したゼブゲの笑いが終わらないうちに、白狼はタイム・ハウルを響かせた。死人兵は、再び死体に戻った。
ゼブゲは青ざめた。これでは永久に自分はこの犬畜生に釘づけにされる。死人兵の使えない自分の能力など、たかが知れている。
「貴様ッ……わしの天敵であったかッ……!!」
ゼブゲは即座に、命をめちゃくちゃにまとめて一つにした混濁王ガルディオンゾを作成した。そしてすべての目から光線を放たせ、死の光の剣で千本の黒い影の剣を、振り下ろさせた。
相手に身構えさせることなく、即座に最強の攻撃を叩き込めれば、即死で討てる。
しかし、混濁王が形成された時点で、白狼は相手の攻撃方法を知ろうとは思っていなかった。ガルディオンゾの攻撃より先に、白狼は息を吸っていた。
「タイム・ハウル!!」
白狼の遠吠えが、混濁王を空中分解して元の死人兵の形に戻した。光線も黒い影の剣もばらばらに散らばって、消滅した。
「……なああッ!?」
ゼブゲは両目と脳だけが充血して、他の体の部位は動いていなかった。両目はただただ目の前のことをくまなく映し、脳は予想外の事態に高速で空回りしていた。次の手が、見つからないのだ。
しかし、白狼と戦っていれば阿修羅にやられるということだけは、かろうじて気づき、再びセイラと同じ声を持つ、黒髪と黒いドレスの竪琴弾きの女に、不協和音を歌わせた。セイラを苦しめる竪琴弾きの女に、阿修羅の矛先を向けさせるためである。
苦しむセイラを見て、白狼は阿修羅に促した。
「十二種の大神器の一つ、淵泉の器を使うときが来たな」
阿修羅も臙脂色のはちまきを取り出してうなずいた。
「かつての所有者、魔族王・閼伽閼嵐はよく耐えた。これは『他人に使わないことがその扱う資格になる』のだ。はっ!!」
阿修羅がはちまきを投げた。竪琴弾きの竪琴に巻きついて、ひとりでに縛られた。とたんに、女が苦しみだした。不協和音で歌ってなどいられない。ゼブゲが叱りつけた。
「何をしている!! 何もされていないではないか!!」
「女には何もしなかったが、竪琴は変えさせてもらった」
「なんだと?」
ゼブゲが不可解な顔で阿修羅に振り返った。
「この淵泉の器は、巻きついた物体を神器にしてしまう。神器は、持つ資格のない者が手にすれば、身が滅びる。だから、この淵泉の器に巻きつかれたものを持った者は、ほぼ即死するのだ。しかし、それは神の裁決に等しい力であり、何の世界の事情も知らぬ者が神の力、神器を『作り』、『与える』ことは赦されぬ行為だ。だからこの淵泉の器は、使う資格のある自分以外の者に対して、『使ってはいけない』という能力の神器なのだ。その代わり、その使うのを耐えた分、持ち主の本来持っている能力を高めてくれる。閼嵐の場合は文字通りはちまきにして、己を、神器の力を加えて強化していた。もちろん、攻撃を受ければ死ぬこともあるが。命に不死は与えられないからだ」
ゼブゲは驚愕した。目の前の竪琴弾きの女は、既に事切れていた。
「神だけが使うことを赦された神器だ。多用すれば世の理を偏らせるもとになる。だが私に確信犯で汚い音を供えた罪は償え」
淵泉の器は阿修羅の風魔法で阿修羅のもとに戻った。
手を次々に封じられ、ゼブゲは焦った。名宛下に助けを求めるかどうか迷った。しかし、名宛下にも「仕事」がある。そして、自分はついさっきその名宛下に褒めていただいたばかりだ。すぐに負けそうなので助けてくださいと言うのは、恥ずかしい。名宛下の力で倒したら、その後の世界で、自分は身の置き所がない。名宛下に幻滅されたくない。役立たずだと思われたくない。お前はもう必要ないと言われたくない――。
ゼブゲは覚悟を決めた。これからも名宛下のそばにいるために、自分でなんとかしよう、と。そして、先が二叉に分かれた古木の杖を掲げ、呪文を唱えて二叉の剣にした。
ソディナが氷魔法の氷柱を放出し続けた。
「無力魔法・ハルガンドザーンね! 私の魔法を吸収させるから、セイラはカードを使って!」
「ええ、ソディナ!」
ところが、ゼブゲが二叉の剣をソディナの氷柱に当てると、氷柱は触れたそばから砂に変わってしまった。
「えっ!?」
ソディナが強力な氷魔法を出し続けても、ゼブゲの剣は砂にしてしまう。ゼブゲは己の剣の威力に満足した。
「砂剣・ハルガンドザーンだ。斬ったもの・触れたものを砂に変えられる魔法剣だ。さあ、かかってこい阿修羅! 砂に変えてやろう!!」
ザヒルスが金気の技の構えを取るのを、阿修羅が手で制し、歩き出した。
「神器でしか、交刃できまい」
そして神刀・白夜の月を抜くと、走り出した。ゼブゲの砂剣・ハルガンドザーンが受け止めた。しかし、阿修羅の読み通り、白夜の月は砂にならなかった。ゼブゲは目を剝いた。完全な剣技の戦いでは、ゼブゲは阿修羅の足元にも及ばないからだ。
「くっ、くそおおおー!! 当たりさえすれば、当たりさえすれば!! 当たりさえすればあー!!」
ゼブゲはめちゃくちゃに砂剣・ハルガンドザーンを振り回した。阿修羅の髪が数本斬れ落ち、砂になった。ゼブゲは安心した。そうだ、一度砂になればもう回復魔法も効果がないのだ。腕を斬られれば砂になり、もうくっつけることもできなくなるのだ! かすりさえすれば、勝てる!!
そして自らは、阿修羅の剣に斬られてもいいように、防御魔法を果てしなくかける。しかし、
「タイム・ハウル!!」
白狼の遠吠えで防御魔法が霞と消え、ゼブゲの怒りがこだまする。
「お前なんか死ねえー!!」
白狼の声の聖なる波動とゼブゲの声の悪なる波動が世界を押しあう。それが渦のように絡みあい、七つの巨大な竜巻を作り上げた。全人類の死体が巻き上げられていく。
「セイラ!!」
「はいっ阿修羅様!!」
セイラが絶対三度の二重声をのせて、三種の神器が一つ・クリスタルハープの聖音で、白狼に味方した。白狼の側から力を得た竜巻がゼブゲの呪いの声を呑みこみ、また、世界を守りたいと願うセイラの声が、ゼブゲの側の戦いの渦を解きほぐしていく。
「嘘だあーッ!! このわしが、このわしが、王として阿修羅にではなく、ただの路傍の犬に倒されるなどおーッ!!」
ゼブゲは白狼とセイラの声で天に届く七つの聖なる竜巻に巻きこまれ、肢体を散り散りにされると、肉の欠片一つ残さず、この世から消えた。
竜巻が消滅したあと、空から砂剣・ハルガンドザーンが落ちてきて、大地に刺さった。
全人類の死体も、大地に突っ伏している。白狼が近寄った。
「全人類を踏み台にし、この星の命を差別する者が王を名乗れるはずがない。偽りの王は倒されるべき、ただの悪人だ。末路も哀れなものだ。これから起こる奇跡の恩恵に、与れぬ」
ザヒルスが尋ねた。
「奇跡?」
白狼は全人類の真ん中の上空に駆け、四肢に力を込めると、ウオーンッと、タイム・ハウルを行った。この星の大地から白い気の流れが立ち昇り、全人類を包みこんだ。そして一人ひとりの口の中に入ると、それが入った人から、目を覚ました。
「ええええ!?」
セイラとソディナ、そしてザヒルスが盛大に飛び上がった。
「死んでましたよね!?」
「死人兵じゃないですよね!?」
白狼は口を開いた。
「本来死者を生き返らせることは禁じられている。しかし、何の理由もなく全滅させられることも、禁じられている。今回、十全の章授・八章で虐殺が行われたので、私は特別に人類の時を戻したのだ。もちろん、何もなくて戻せはしない。私は、この星の寿命を人類の命にまわしたのだ。その分、この星の寿命は減った」
それを聞いて、真っ先に反応したのは、一同ではなかった。星が地震を起こした。地割れの裂け目に全人類を呑みこもうと図る。阿修羅は風魔法で、全人類を空中に引き上げた。
いつの間にか、砂剣・ハルガンドザーンを、真っ黒な影になったゼブゲが握っていた。その影は、大地の裂け目から噴き出た黒い霧が形作っている。
「ずるい……」
影が声を出した。
「この星を見放したうえに、今またこの星の命を削って、この星を壊す全人類を生き返らせたというのか!! せっかく全滅したのに、よくも余計なことをしたな!! 人間に、星の命を削らせるほどの価値があるのか!! 憎い!! 神はなぜ、いつも人間ばかりッ!! この星はいつも我慢させられてばかりだッ!!」
そして、砂剣を振りかぶって飛ぶと、全人類に斬りつけ始めた。斬られた人は砂になった。
「ははは! 死体がなくなれば、もう生き返らせられまい!!」
その影のゼブゲの砂剣・ハルガンドザーンを、阿修羅の神刀・白夜の月が弾いた。
「ゼブゲッ!! 先に禁を破ったのは星である!! なぜ待てぬ!! なぜ信じなかった!!」
「私はゼブゲではない!! 七つの大罪が一つ、嫉妬である!! 星ではなく短い命の人間を選んだ神に怒り、人間に嫉妬する者である!!」
「それも人間の進化を待ち、神の未知なる救いを信じれば、そうはならなかったであろう!!」
「黙れっ!!」
影のゼブゲが絶叫した。
「神なき世界で我々が、どれだけ苦しんで、迷路に迷って、善の勝てぬ生き地獄に何度堕ちてきたことか!! 知ってしまえ!! 星とすべての人間の怒りと悲しみを、知ってしまえ阿修羅アアアッ!! お前たちが救った人間の中にも、人々から生き返って憎いと思われている者たちがいるぞ!! 片手落ちめ!! この星の、命を削られた憎しみを知れ!! 人間からも憎まれろ!!」
「人間がこの星で生きる価値がないなら、人間は勝手に自滅する。星は手を下すまでもない」
「待てぬ!!」
「人間が悪に溺れるなら、人間は勝手に自滅する。星は手を下すまでもない」
「神がいないなら、信じられぬ!!」
阿修羅は黙った。影のゼブゲも黙った。しかし、次の言葉を待っている。
「星の寿命は、星に生きる者たちの命と等しい」
阿修羅の言葉に、影のゼブゲが少し動いた。
「命がたくさん存在しているから、星は様々な思考を分けてもらい、ここまで成長したのだ。この知識と知恵を教えてくれた命に、感謝しなければならない。
この星の怒りの感情も、七つの大罪の気持ちも、あらゆる知識も、すべて、この星のすべての命の進化の成果だ。今の自分を形作ってくれた命たちを、蔑ろにしてはいけない」
「わかっているが、神が星の悲しみをあまりに軽視していて……!! なぜいつも人間ばかり愛されるのだ、なぜいつも人間ばかり選ばれるのだ……!!」
影のゼブゲが声を詰まらせた。阿修羅が声をかけた。
「神が平等に賞罰を与えることは、この星でずっと命の盛衰を見てきた星ならば、知っていることではないか。軽視などせぬ。この星の命のうちで最も賢いなら、もう悲しむのはやめるのだ。生きている命は、世界の役に立つから生きているのだ。星の命を分けることを、嫉妬するな。このような『子供』を産むために自分の命を分けることを、拒むな。星を生かしてくれるから、人間を生かすのだ」
影のゼブゲは、星の子供たちの全人類を振り返った。未来に救いの望みがあるから、生きている。
「ああ、未来に救われるという希望があるから、生きている」
影のゼブゲは、感極まって破裂した。この子供たちがすべての迷路を行き、調べて、きっと出口を見つけてくれると信じて。
人間への嫉妬は、霞と消えていった。
阿修羅は顔に影を作り、誰にも表情を見せなかった。
「愚かにして愛しき人間たちよ。だからこそ、すべての道を行き尽くしてくれる、星の希望、子供たち。星が信じて生かしてくれていることを忘れるな」
そのとき、『乾坤の書・影』が光った。頁を開くと、
『七つの大罪・五・嫉妬・終』
と、書かれていた。
セイラの手に、天から三枚のタロットカードが落ちてきた。「教皇」「塔」「審判」のカードで、「教皇」は慈悲深さの力、「塔」は失敗・災難・破壊の力、「審判」は再生、目覚める力があることが、セイラにはわかった。
全人類は、なぜここにいるのかわからず、戸惑いながら、固まって故郷に帰り始めた。
阿修羅は、セイラたちのもとへ戻った。
「ゼブゲは倒した。あとは名宛下だけだ」
セイラが首をひねった。
「でも、どこにいるのでしょう? ゼブゲの住んでいたところがわかれば、手掛かりが残っているのでしょうけれども」
白狼が大地を見渡した。
「空と陸にはおらぬ。私のタイム・ハウルにそれらしい存在は引っかからなかった。となると、海中かもしれぬ」
「「海中ー!?」」
ザヒルスとソディナが驚いて、肩を上げたまま両腕を下に伸ばした。
「オレ、息ができませんよ!?」
「どうやって戦うんですか!? 私、氷魔法なんですけど!!」
白狼は二人を静かにさせた。
「海の命が海底神殿を作っている。そこに行って、海の中の話を聞こうではないか。名宛下の居場所がわかったら、私と阿修羅で海から引きずり出してやる。そのとき共に戦えばよかろう」
「わかりました。では、さっそく海へ飛びましょう」
セイラがそう言うのを、白狼は止めた。
「ここから北西に、砂漠がある。その砂海の内部に名宛下が隠れていないかどうか、念のため調べておきたい。その後、砂漠を渡って、北西の海から海底神殿を探そう」
阿修羅が同意した。
「そうしよう。では、今日はゆっくり休むといい。戦い通しだったからな」
セイラ、ザヒルス、ソディナは、ほっとして、神二柱のそばで安心して眠った。
砂漠の上を這う風が、それによってもやのように舞う砂を引き連れて、なめらかに一つの方向に流れている。薄絹と見紛うばかりに透けた砂のベールが、砂漠を広げようと、砂漠の果てへ押し寄せていく。
砂漠を渡るには風魔法の風で動く、船が必要だ。定期船があって、黄緑色のイモ虫のような形をしていた。窓がたくさんあり、細長い。大量のお客と荷物を運ぶのに適している。
モーダ王国から故郷へ帰る人々が、乗り場案内所でひしめきあっていた。係員が、大声で説明している。
「このイウダカ砂海は、横断するのに、うちの頑丈な船で二日はかかるよ! 徒歩なんて無理だ、砂嵐に巻きこまれたら、大事な荷物も命もさらわれちゃうよ! さあ、皆さん切符を買って、砂がついてもすぐに払えるように切符と一緒にお貸しするフードマントをかぶったら、列に並んでご乗船ください! 船はまだ控えております、押さないで!」
人々がごった返しているのを見て、ザヒルスが困った顔をした。
「これじゃあ、すぐには乗れないよな……。何日か待つかも」
ソディナが照りつける太陽の下で、ふふんと笑うと、さっと人混みの中へ入った。そして、列の一人ひとりに何かを渡すと、あっという間に切符売り場の売り子と会話し、上機嫌で戻ってきた。
「はーい! 切符五枚、ただいま到着しまーす!」
セイラがびっくりした。
「ソディナ!? どうやって列を譲ってもらったの!?」
得意そうに、ソディナは、若く勢いのいい上向きの胸を張った。
「うふっ、全員に賄賂あげたの。これよ!」
ソディナの氷魔法で、太い円柱のアイスキャンデーが作られた。
「ここ、暑いでしょ? だから、口にほおばってよし、手で握ってよし、体じゅうをコロコロ転がすもよしの氷が、絶対に全員、受け取って嬉しい贈り物だと思ったのよ! かわいい女の子一人分ならいいか、と思ってくれたみたいで、みんな順番を譲ってくれたわ! 特に小さい子や高齢の両親を冷やしてくれる氷は、とても感謝されたわ。暑さをよける用意も何もなく、ゼブゲに死人兵として呼ばれたのだから、なおさらよね」
セイラたちは、おおーと、ソディナの機転に感心した。
「私の見立ては間違っていなかった。仲間になってくれてありがとうソディナ」
阿修羅に面と向かって言われて、天にも昇る気持ちを表すように、ソディナの顔が下から上へ、みるみる真っ赤になった。
「わ、私でよければいつでもおそばにお仕えいたします」
ソディナは勇気を出して踏み込んだ。
「うむ、これからも頼む」
阿修羅の返事に、ソディナは、
「(うーん、空振ったか?)」
と、二の足を踏み、それ以上の発言を控えた。
「みんなにも氷をあげるわ。えーと……阿修羅様と白狼様は……」
「必要ない。二人にやるがよい」
阿修羅はヴァンに戻った。
「はーい」
ソディナは、セイラとザヒルスにアイスキャンデーをあげた。
船の中は、人々で溢れ返り、床で寝なければならないほどであった。食堂もあるが、とても全員に行き渡らない。大多数の人々は、二日間わずかに配られる水だけで、空腹と喉の渇きに耐えるしかない。ソディナを覚えている人々は、また氷をくれとせがんだので、ソディナは船の真ん中に、人々が乗れるほどの氷山を作り、今日の魔力はこれで終わり、明日また同じものを作るから、今日はこれを好きに削って使ってと言って、戻ってきた。人々が群がり、押しのけあっているが、彼らが氷山を消費するのに、夜明けまでには終わらないだろう。砂漠の夜は寒い。氷山を残して、人々は眠りにつくはずだ。
ソディナがヴァンたちのもとへ戻るのを、じっと見ている女がいた。そして近づくと、セイラの腕に一瞬、触れた。
「……?」
腕に違和感を覚えたセイラだが、フードマントの下を触っても特に痛くないので、そのままにしておいた。
その夜、セイラは急な発熱に苦しんでいた。ソディナが氷のうをセイラの額に当てて、看病している。
「暑さにやられたのかしら。寒い地方で暮らしてたし……」
ヴァンもザヒルスも、体を冷やせば治るだろうと思って、そばで風を送ったり、周りを見張ったりしていた。白狼は、砂海に名宛下がいないかどうか、船の外を探っていた。
そこへ、昼間の女が現れた。星を象った金のアクセサリーのついた、青灰色のフードローブを身にまとっている。
「そのお嬢さんに、不吉な星が出ています」
セイラのそばにかがんだ。ザヒルスがむっとした。
「なんだあんた、いきなり。不幸の押し売り販売か」
「私は星見の女です。この先、この人に何かあったら、それが天命だと思わなければなりません」
ヴァンが険しい目つきで女を見下ろした。
「待て。お前は昼間セイラにぶつか――」
そのとき、船に大きな横揺れが起こった。
一同が外を見ると、夜中の砂漠で巨大なサソリとミミズの魔物が戦っていた。その余波で、砂飛沫が船に叩きつけられ、船が揺れるのだ。しかも、ミミズが放り投げられ、船に激突した。船体の一部が破損する。人々は押し潰されまいと、悲鳴を上げて逃げ惑う。
そこへ、四方八方から十本足のドーム体のカニが、砂煙をあげながら船を目がけて走ってきた。それは十艘の船で、中から盗賊たちが喊声を上げていた。カニ船は飛び上がり、イモ虫船にがっちりと足を食いこませた。盗賊たちがばらばらと出て来て、中にいる乗客たちを手当たり次第に殺し、金品を奪い始めた。幼い子供はカニ船に誘拐されていった。
「このままでは船が!」
「ヴァン、オレが行く!」
ザヒルスが人の波をかき分け、斧を構えて走って行った。
「ソディナ、セイラを――」
ヴァンが振り返ったとき、ソディナが脇腹を刺されて倒れているのが目に入った。
ヴァンが傷を癒すと、ソディナはまくしたてた。
「星見の女が、セイラを連れてったわ! あいつ、私がサソリとミミズに気を取られた一瞬に!」
「最初からセイラが狙いだったか! 黒魔か!?」
ヴァンは夜の砂漠に目を走らせた。走る人影は見えない。イモ虫船の「獲物」を乗せたカニ船が、次々に砂漠の八方へ散らばっていく。
「どの船に、セイラが!」
阿修羅は怒りと共に、走っているすべてのカニ船を風魔法で浮き上がらせた。そして天井を吹き飛ばした。どの船にも、怯えた盗賊たちと、泣いている幼い子供が乗っていた。セイラはいなかった。
「貴様らああッ!!」
阿修羅が叫んだ。
夜の砂漠を、巨大なサソリとミミズが、仲良く並んで進んでいた。サソリの硬い背甲の上に、星見の女とうなされるセイラが乗っていた。
「よさそうなのが手に入ったわ」
女は星羅の腕をまくった。昼に、火の魔法の呪文を、セイラの腕にはんこで軽くかすらせたのだ。病気未満の発熱を起こすのに、十分だった。
「高く売れるわね」
サソリとミミズが、主人の喜びに応えて、頭を大きく上下させた。
盗賊たちを氷山の周りに縛りつけて、星見の女とセイラのことを尋問しても、彼らは知らなかった。ただ、今日イモ虫船が通る、金持ちが多いと情報屋が教えてくれたから、来ただけだと言った。
「その情報屋はどこにいる!」
阿修羅の剣幕に押されて、盗賊は、このイモ虫船の到着地、ラグダツ港にいると喋った。
「あと一日も待てぬ!! 私はこの男とラグダツ港へ行く!!」
白狼が冷静に返した。
「では、我々はラグダツ港に後から行く。何かわかったら自由に動け。集合場所はラグダツ港としよう」
「うむ!!」
阿修羅は盗賊の頭をひっつかむと、風魔法で飛んで行ってしまった。
ソディナが遠い星になった阿修羅を見送ってため息をついた。
「あーあ、私がさらわれても、あんなふうにしてくださるかなあ」
ザヒルスがそれを眺めた。
「ソディナは頭いいからそんなに心配しないと思うな。でもほら、セイラってか弱いじゃん。守ってあげなくちゃって、見た人みんな思うと思うな。ソディナもそうだろ?」
「……今途中まで即座にその口を凍らせてその残酷な無邪気さを封印してやろうと思ったけど、それを言われるとつらいわー」
「えっ!? 即座って何!? なんで!?」
慌てるザヒルスを見て、ソディナは落ちこんだ心が少し回復した。そして、ザヒルスの眉間にぐんと指を突いた。
「ほんと、あんたっていいコンビになれそう。まーせーぜーがんばりなさい」
「え? 何をがんばるんだ?」
それを、ソディナはおかしそうに笑った。
セイラは、腕の火の呪文を解かれて、目を覚ました。檻の中にいた。
檻の外から呪文を解いた星見の女が、毛皮の男にセイラを見せた。
「どう? 少女で、いい声してるのよ。歌わせたらきっと、いいつなぎになるわ」
男は口ひげを生やしている。太い眉の下に、鋭く黒い瞳を持っていた。
「顔は上玉だな。声は……男のオレにはよくわからん。男はみんな若い女の声が好きだからな。女のあんたがいい声だって言うんなら、いい声なんだろうよ。いいだろう、こいつを買おう。そうだな……、百五十万キーンでどうだ」
星見の女はギラリとフードの中の目を光らせた。
「あら。ずい分値切ったのね。私が砂海で使っているサソリとミミズが、砂海から出ないとでも思っているの? 主人が怒ったら、飛んで来られるのよ。……この娘は三百万キーンよ。それだけいい声なのよ! これだけ顔が良くて声のいい少女は、滅多に手に入らないわ! 老人と子供の多くなったこの世界で、若い娘を見つけ出す私の苦労も、勘定に入れてもらうわよ!!」
男は両手を出して女を鎮めた。
「怒るなって。最初にパンチを出すのは商売の挨拶だろ? わかったよ、かわいいのは認めるし、少女だ。二百八十万キーン払うよ」
「……次も買ってもらうわよ」
女は金を受け取ると、出て行った。しかし、ドアの外で悲鳴が聞こえた。男が何事かと剣を取るより早くドアが開いて、大きなウサギに斬り裂かれた。
「……!!」
セイラは恐怖で声が出なかった。目の前でじっと男を見下ろしていたのは、ウサギ女の姿をした黒魔の、ルミル=テールだったからだ。
檻の中にいる自分が殺されると思い、必死にタロットカードを手にしようとすると、ルミルは男のポケットから鍵の束を取り出して、檻を開けた。
「えっ……?」
ルミルは、セイラを檻から連れ出した。
「ルミル、あなた、どうして……」
「……私ね、ゼブゲに、役立たずだからどこへなりとも行ってしまえって言われたの」
豊満な体に、張りがない。
「全人類も死んだし、私、もう消えてもいいかなって思ったとき、死ぬ前に、もう一度だけ……セイラの歌が聴きたいって思ったの」
セイラは目が潤んだ。それは、歌い手として最高に嬉しいことだ。
「だから私、セイラを捜してて、あの砂海の船を見つけて、追ってたら、あの女がセイラをさらっていくのが見えたから、後をつけたの。……もし女が黒魔の主人の仲間だったら、私は手を出せないから。でも、この女と男はただの人さらいと人買いだった。ここはサザンクロスという町で、なんでも、この町の北の山で、この星のために歌っていた巫女が、津波でいなくなってしまったらしいわ。それで、星に歌を捧げるために、代わりの少女が必要らしいの。でも、みんな雪を止めるほどの、星を癒す歌が歌えないから、すぐに殺されてしまうのですって。あなたは、この人買いに連れられて、次の巫女にされるところだったのよ」
セイラは目が乾くほど目を見開いた。自分は、再びサザンクロスの町に戻って来ていたのだ。しかも、自分がいなくなったせいで、罪もない少女たちが巫女として「生贄」になっているのだ。
「私、行かなくちゃ。戻らなくちゃ。北の山に」
ルミルが驚いた。
「戻る?」
セイラは微笑んだ。
「ルミル、一緒に来て。そこで好きなだけ、私の歌を聴いて」
北の山の雪が、朝から夕方まで、完全に止んだ。それはサザンクロスの町も同じことだった。人々は、今度の巫女はうまくやっている、と満足した。
北の山の山頂では、上部に五芒星が刻まれた球をつけている棒の前で、セイラが歌を一旦休んだ。
再び雪が降った。
ルミル=テールは、目を閉じて、ウサギの耳の全神経を集中させて、聴き入っていた。
「ありがとうセイラ、ずうっと聴いていたいわ……」
その耳が、異音をとらえてピクッと後方に向いた。
セイラが振り返った。
セイラのいる山頂から、後方へ風花が舞った。
阿修羅が立っていた。
風魔法で高速で飛んで来たのだろう、髪は乱れ、服もところどころ凍っていた。
「……阿修羅様……!!」
見つめあう二人を残して、ルミル=テールは一人、セイラの家へ帰った。
二人きりになって、セイラは切り出した。
「あの、どうしてここが――」
「そんなことはどうでもいい!」
セイラは怒鳴られて、びくっと身を震わせた。
「よく無事でいてくれた……どこもけがはないか」
気を落ち着ける阿修羅に、セイラはうなずいた。
「ルミルが助けてくれました。阿修羅様、どうか――」
「わかっている。ルミルには貸しが二つになったな」
ほっとするセイラに、阿修羅が尋ねた。
「――それで、どうして私のもとに戻らず、北の山に戻ったのだ」
「――えっ」
セイラの心臓が大きく跳ねた。
「もうお前の旅は終わりなのか」
「……いえ。ですが、ここに私がいなければ、罪もない少女が、巫女となり、殺されてしまいます。それに、ルミルに歌を聴いてほしかったので……」
「私が心配していることは、考えないのか」
阿修羅から初めて心を見せてもらった気がして、セイラは涙ぐんだ。
「申し訳ありません。すぐに、思い至らなくて――」
「……すまない、私はそんなに強く言ったのか。泣かせるつもりはなかった」
阿修羅がセイラのそばまで来た。
「いいえ、違うんです。私、ずっと阿修羅様のおそばにいたいです。捜しに来てくださって、ありがとうございます」
阿修羅はセイラの感謝を真正面から受け止めた。
「私も願おう。セイラと共に旅の終わりまで行きたいと」
その夜のことは、阿修羅とセイラしか知らない。




