望みの在処(ありか)第六章「大罪(たいざい)四・色欲(しきよく)」
登場人物
阿修羅(ヴァン=ディスキース)。神の発音で「あじゅら」、人間の発音で「あしゅら」。邪闇綺羅(神の発音で「じゃぎら」、人間の発音で「じゃきら」)の弟。神刀・白夜の月を持つ。神に背いた罰を受け、この世界ではヴァン=ディスキースと名乗って旅をする。
セイラ=サザンクロスディガー。栄光の都レウッシラで阿修羅が助けた星羅と同じ姿をしている。歌姫。
ザヒルス。十五才。ザヒルス村の領主で、斧使い。
ソディナ=ハーオーラ。氷魔法の魔法使い。
黒魔。星の持つ、憎しみと絶望の権化。すべての命を喰らい、すべてを葬ろうとしている。
第六章 大罪四・色欲
ザヒルスから阿修羅の語ったレウッシラの話を聞いたセイラは、神殿で阿修羅に歌ったとき、とても心が満たされていたことを考えていた。
そのとき、次の町へ向かう途上で、世界を脱力させるような風が走った。感覚を奪うようであったので、阿修羅の風魔法が守って、セイラ、ザヒルス、ソディナは無事だった。
人の集まる所に行けば、次の星の攻撃の正体がわかる。四人は、注意深く身を隠しながら、町へ向かった。どこかで誰かに見つかったとき、何をしてくるかわからないからだ。
シャゼフ王国の王都、スーカレンに到着し、町の入口から大通りをのぞいた。衛兵も、商人も、買い物客もいない。
ただし、大勢の呻き声が響き渡っていた。あちこちから聞こえて、どこから調べようかと、迷ってしまうほどだ。
「やはり、様々な人が集まる、広場からか」
ヴァンたちは、慎重に歩いて、大通りの突き当たりの右手に、噴水つきの広場があるのを見つけた。
一本の、真っ黒な女の体をした幹の木と、一本の、真っ黒な男の体をした幹の木が、並んで生えていた。枝に葉はない。人間たちが枝にからめ取られ、葉の役目をしている。女の体の幹の木には男たち、男の体の幹の木には女たちが、かかっている。人々は、どの顔も快さそうだが、口からは苦痛の声が出ている。枝が人々の体に突き刺さり、生命力を吸っているからである。
「男は木の女の、女は木の男の夢を見ているのか。色欲で惑わせる攻撃のようだな」
ヴァンが冷静に分析した。その後ろで、ザヒルスは身震いした。
「自己愛の攻撃が失敗したから、ああそうかい、じゃ種を残させてやる攻撃ならどうだってことか。ほんと、逃げ道塞いでくるなー星!」
セイラは、二本の木に百人ずつしかいないことに気づいた。
「王都の人口が二百人なわけがないわ。王都中から呻き声がしたということは、こういう木がもっとたくさんあって、それが世界中にあるということよね!?」
ソディナは、薄気味悪そうに黒い木を見上げた。
「なんだか黒魔が人間を食べてるみたいで、耐えられないわ。伐り倒していい?」
ヴァンが神刀・白夜の月をすらりと抜いた。
「オレがやる」
そして、黒い木を二本とも、幹の真ん中から切断した。
人々は広場に投げ出された。
夢から醒めて、はっとお互いを見たとき、生命力を吸い取られて老人になっているのに気づいた。人々は伐り倒された黒い木を見て泣きだした。
「こんなことなら助からなければよかった。夢を見たまま死にたかった」
「このような身でいまさらどう生きろというのか」
そして、若いヴァンたち四人を見て、
「お前たちか、木を伐ったのは! 余計なことを! お前たちも木に捕まっていればよかったのだ!」
と、なじった。ヴァンはその性根を怒った。
「新しい犠牲者がもう出ないことを、どうして一言も喜んでやれないのか! 新たな自分の『仲間』を望み、自分の不幸を新しい犠牲者になすりつけるその卑しい心が救われたことに、なぜ気づかないのか! 老いて何もできないと思っているなら、生きながら土くれにでもなんでもなれ!」
人々が他人のために喜ぶことを思い出すまで、「地獄」は続くのである。
若さが残っているのは、色欲のことがよくわからない子供だけであった。広場にいた者たちだけでなく、建物の陰に隠れていた子供たちも出て来て、ヴァンに訴えた。
「都の西の鍾乳洞から、黒い種がたくさん飛び出してきて、地面にもぐったら黒い木になって、みんなを引き寄せてしまった」
老いた両親を見たからか、また会えたからかわからないが、子供たちは泣いていた。ヴァンたちは鍾乳洞へ急いだ。
王都の西は、すぐに山になっていた。洞窟があり、そこが鍾乳洞の入口だった。ヴァンの炎の魔法で内部を照らしながら入り、濡れた地面の鍾乳洞の中を、滑らないよう細心の注意を払いながら進んだ。川が流れていて、中にオレンジ色や緑色、ピンク色の石が沈んでいる。
ザヒルスがピンク色の石を拾い上げた。
「ザヒルス村の鍾乳魔法石に匹敵する、質の純粋さだ。そういえばシャゼフ産の鍾乳魔法石は、数が少ないから高価だけど、上級魔法を使うときに成功率が高いっていうのが売りだったな」
セイラは川と周囲を眺め回した。
「ここで、鍾乳魔法石の黒い種が生まれたのかしら?」
ソディナは氷魔法用の青い鍾乳魔法石を、さりげなくたくさん袋に入れた。
「んー、どーだろー、黒い石なんて見当たらないなー、んー、ここはどーかなこっちはどーかな」
「ソディナ。お前一人で王都中の黒い木を伐り倒して王都を救ったら、全部持っていっていいぞ」
石をあちこち動かしているソディナを、ヴァンがたしなめた。
「……はーい」
義務が生じて、ソディナはひええしまった、と頬をかいた。
そのとき、鍾乳洞に低音の歌声が響いた。
ザヒルスはとっさにソディナの両耳を後ろから塞いだ。
「何よザヒルス!? あれ?」
ソディナが見ると、セイラの両耳もヴァンが後ろから塞いでいる。なんで私がザヒルスなのよ、と不満に思ったが、二人の反応で、低音の歌が何かの攻撃だということがわかった。
セイラが、背中に背負っていた、虹色の弦のU字型のハープを手にした。一瞬で、セイラと同じ背丈の半月の形の、三種の神器が一つ、クリスタルハープとなった。
セイラの歌が始まると、ヴァンはセイラの両耳から手を離した。ザヒルスもソディナの両耳から手を離した。いつの間にか低音の歌は消え、セイラの聖なる歌声が鍾乳洞に満ちていた。
四人は、低音の歌の流れてきた鍾乳洞の奥へ走った。地上への出口があって、光が差しこんでいる。外へ出ると、丘の上の草原にいることがわかった。なだらかな斜面に、一本の土の道があり、一枚も葉のない枯れ木並木が両脇に続いている。長い坂を下った先の遠い正面に、球体をベースにした、高さ十メートルの渦巻きの巣らしきものがあった。
出口の右脇の丘の上に、その巣を見ている黒い礼服の男が立っていた。
セイラは歌をやめた。
男がこちらに振り向いた。
漆黒の髪に灰色の照りが入っている。両目を半円の銀盤で隠していた。
ヴァンが一歩前に出た。
「人間を魔族化させる呪いの歌を歌ったのは、お前か」
ソディナが驚いた。
「えーっ!! もう呪いはイヤッ!!」
ザヒルスがその肩を押さえた。
「魔族しか聞いちゃいけない歌だったんだ」
「ありがとねー!? ザヒちゃんっ!!」
ザヒルスとソディナに構わず、銀盤の男はセイラに向かって微かに笑った。
「これが神の祝女の力か。音は私の専門外とはいえ、私の歌を退けるとは。それとも、その三種の神器が力を貸しているのかな」
ヴァンは問うた。
「何者だ。三種の神器の知識をどこで手に入れた」
「私の名はガルミヴァス。ヴァン=ディスキース、お互い同じ『鍛冶職人』として、会わないわけにはいかない相手だな」
ヴァンは少なからず衝撃を受けた。世界の端々で賛否相分かれる鍛冶職人、ガルミヴァスに、遂に出会ったのだ。
世界最高の鍛冶職人、ガルミヴァス。
一人で、一瞬で鍛冶をする職人、ヴァン=ディスキース。
だが、互いに人間ではない。
「キトーメン国の人々を星の津波から防いだ、あの鎧は何だ。お前のしていることは、まるで――」
「阿修羅の創りし神器の真似事、か?」
ガルミヴァスはおかしそうに笑った。
「力のある武器を作れるのは阿修羅だけではなかった、それだけのことではないか? んん? 自分の地位が脅かされて焦るか? ははは、私の方が立派な武器だ! なにせ、扱う者を選ばない! 万人が使える力だ!!」
「やめろ!!」
阿修羅が怒った。
「使う資格のない者が力を持てば、必ず自滅する!! 全人類個々の段階を把握しない貴様は、未熟者だ!! 万人におもねり、味方につけ、何を狙っている!! 与える力が持つ責任と義務を説明しない者は、重大な悪を隠している!! 一時期を面倒見て、一生の面倒は見ない未熟者が、私の武器に比肩できるだと? 大言壮語にもほどがある!! お前の歪んだ精神で作られた武器を、砕いてくれる!!」
「ならば試そう阿修羅!! どちらが格上の武器か!!」
ガルミヴァスは左脇に差していた二本の剣を、両手で右に向けて一気に抜いた。
時計の長針と短針の、銀色に輝く双剣であった。
その輝きを見て、阿修羅は確信した。
「お前は神格を持つ者だな。ガルミヴァスは偽名だ。いずこの神か、名乗れ!!」
「私に勝てたら教えてやろう!」
阿修羅は神刀・白夜の月をさっと抜き、ガルミヴァスの双剣と交刃した。
ガルミヴァスの剣さばきは素早く、阿修羅は様子見の暇もない。
「(うっ……これは)」
阿修羅は、長針剣と短針剣の動きが不規則なことに気づいた。たとえるなら、長針剣が四拍子、短針剣が三拍子というように、こちらの息継ぎを乱す斬りこみをしてくるのだ。そして、双方が少しずつテンポを増減する。
敵のペースがつかめない。阿修羅は防戦一方である。ガルミヴァスが笑った。
「ははは!! この私の力の源を、解読できまい!! できないから、私の剣技を破れない!! どうしたどうした、あの阿修羅が手も足も出ないのか!! 私の武器を砕くのでは、なかったのか!!」
ここで挑発に乗ってこちらのリズムを狂わせれば負けだ。阿修羅は黙って双剣を受け止め続けた。
セイラは、阿修羅が一太刀も斬りこめないので生きた心地がしなかった。もしガルミヴァスにやられたら、どうしよう。
タロットカード・太陽が、突然黄色い光を放った。
その光は、ガルミヴァスの目を刺した。
「ぐっ!!」
阿修羅はすかさず白夜の月で斬りつけた。
「うぐっ……!!」
双剣を交差させて、ガルミヴァスが防いだ。
阿修羅は、ガルミヴァスの剣技が激しいとき、大気が震え、剣が止まったとき静かになったことに気づいた。そのまま、半円を描くように次々と神刀・白夜の月で斬りつける。
「うぐっ、うぬ、ぐうっ!!」
太陽の光を刀のように差しこまれて、ガルミヴァスは阿修羅の剣を受けながら、一歩ずつ後退しだした。
「神の祝女、邪魔だ!」
ガルミヴァスは、突然全身から銀色の光を発射した。阿修羅が剣を止めた直後、ガルミヴァスの短針剣が、光る呪いの文字を書いてセイラの体に放ち、そして、自身は目の傷をかばうように、宙に浮いた。
「次会ったとき、今度こそ決着をつけてやる!! 女がいなければ勝てない阿修羅め!!」
そして、飛び去った。
阿修羅は刀を鞘に納め、呪いの文字を受けて倒れているセイラのもとに、駆け寄った。
「セイラ!! セイラ!!」
ザヒルスとソディナが呼びかけても、目を閉じて答えない。
「呪いのせいだ」
阿修羅は、セイラの体に刻まれた呪いの文字が、『名宛下』と書かれていたことを思い出した。
「『名宛下』……それがガルミヴァスの真の名だ。神の中にそのような名の者はいなかったはずだ。何者だ……」
しかし、今はセイラの昏睡の呪いを解く方が先決である。
「神格の呪いを解くには、神名を傷つけるしかない」
ザヒルスが阿修羅を見上げた。
「神名? どこにあるのですか?」
「……。ザヒルスとソディナはここにいろ。私がセイラの呪いを解く」
阿修羅はセイラを風魔法で抱え上げると、鍾乳洞の中へ入っていった。
「神の呪いの解き方は、地上の者が見ちゃいけないんだな」
ザヒルスに話しかけられて、ソディナは面白くなさそうにそっぽを向いた。
「そうかしら? セイラを見られたくないだけじゃない?」
「え? そうだな、オレたちまで光の文字が反射して呪われたら大変だもんな」
「……ほんと、あんたってガキね」
「え? オレ成人したよ。今年」
「……」
ソディナは、もう知らないとでもいうふうに、丘に腰かけて遠くの渦巻きの巣を眺めた。ザヒルスも、丘の草の上に寝転がって、降る雪を眺めた。
鍾乳洞の中で、阿修羅はセイラの服を脱がした。華奢な肩、小ぶりな胸、小さめの手足、ほっそりとした腰と脚が現れた。
阿修羅は、正方形を二つ、縦と斜めに重ね合わせた八角形の星晶睛になった。赤紫色の瞳で、セイラを呪う神名を探す。
心臓に、網の目のような光が走っていた。セイラの背中側も見て頭の中で網を平面に直してみると、『名宛下』となっていた。
「心臓を呪って昏睡状態にする……? 名宛下の力の源の手掛かりか?」
阿修羅は神刀・白夜の月から光線を出すと、セイラの心臓の網を断ち切った。名宛下の光は崩壊し、ばらばらになって消え失せた。しかし、網がしめつけていた跡が、心臓に残っている。自然に回復するまで、名宛下の呪いが何らかの形で残るだろう。
心臓を眺めているとき、セイラが目を覚ました。阿修羅を見て起き上がろうとすると、自分が服を着ていないことに気がついた。
「え、え、ええ~~!?」
セイラは、混乱と期待で阿修羅を見つめて絶叫した。
しかし阿修羅はセイラに服を渡した。
「呪いは解いたぞ。少し休むか?」
それを聞いて、セイラはがくっと体の力が抜けた。
「……あの、いいえ、すぐ発てます」
そして、服を着た。
鍾乳洞を出ると、ザヒルスとソディナが立ち上がった。
「セイラ! よかった、呪いが解けて!」
「その残念そうな表情を見ると、何もなかったみたいね。よかったよかった、なんてね。冗談よ。ヴァンを助けてすごかったわよ、セイラ」
そのとき、丘から渦巻きの巣へ続く枯れ木並木に、こんもり茂った葉が、火のようにぼっぼっぼっと生えた。そして、渦巻きの巣にそれが到達したとき、五センチくらいの大きさの人面の羽虫が、無数に飛び出してきた。
「キャアッ!! 何よあれ!! もーさっきの鍾乳魔法石、ここでめちゃくちゃ使う!! アイシクル・アロー〈氷柱の矢〉!!」
ソディナが小さな氷柱の矢を大量に放って、羽虫を次々に落とした。セイラは、それがおじの技に似ていると気づいた。ソディナはウインクした。
「氷魔法において、氷柱は基礎よ!」
ザヒルスも金気の「斧の僕」の技で、斧の周りに直径一メートルの無数の光の針を生じさせ、斧を払って飛ばし、羽虫を落とした。
ヴァンも炎の魔法で一帯を燃やす。
しかし、三人の攻撃でも、羽虫は尽きることがない。
セイラが再びタロットカード・太陽を出そうとしたとき、羽虫たちがセイラを取り囲んだ。セイラは背筋が凍りついた。羽虫たちはにやにやとセイラを眺めていた。
「おい、見ろよ。オレは今まで、こんなかわいい女は見たことがねえ」
「小さな胸も尻も、オレの好みだぜ」
「いい匂いだ。こりゃあいい」
ヴァンは、一刀でセイラの周りの羽虫を斬り裂いた。セイラは、両手を交差させて自分をかばうように肩に置いて、怯えていた。
「セイラ、両手を解け」
ヴァンが肩の左手に手を置いたので、セイラはようやく手をどかした。ヴァンが自分の胸をじっと見ているので、暖かい光を感じた。
ヴァンは、名宛下の網の跡が、セイラの心臓からまだ消えていないことを確認した。どうやら、この星の現在の攻撃、色欲が色濃く出る状態になっているようだ。セイラが解放的に行動するのではなく、周りから異常に好かれるという状態のようだ。ザヒルスとソディナは星の風を受けなかったので、セイラを見ても何も思わなかったのだ。
「セイラ。以前作ったゼリーの盾を出せ」
セイラは、ヴァンに言われて、一センチの丸いエメラルドを出し、エメラルド色の盾に戻した。ヴァンは、それに手を加えて、大きな山の形のドレスにすると、セイラにすぽっとかぶせてしまった。顔の部分に丸い窓を作り、手足はほぼドレスの中におさまっている。
ソディナとザヒルスは見た瞬間思った。
「「(うん、かぶりものだ)」」
ソディナはしかし、ヴァンが大切なものをこういうふうに守るのかと思うと、セイラが羨ましかった。
ヴァンはセイラを守るように立った。
「お前のことは私が必ず守る。しばらくそれでがんばれ!」
セイラはうなずけない体で飛び跳ねた。
「はいっ! なんだか薄くて肌もあらわなかわいい衣装で守られるお姫様になれるかと思ったのですが、意表を突かれました! 斬新なヴァンについていきます!」
体形を隠し、羽虫の視線は避けられても、セイラの匂いは、香ることを防げない。
ヴァンが必死に風魔法で匂いを散らし、羽虫を分散させ、炎の魔法で倒す。ザヒルスとソディナも自分の周りの羽虫を落とすので精一杯である。ザヒルスが斧を振り回しながら、髪も振り乱した。
「くっそー、きりがない!」
セイラは羽虫を恐怖しながら見ていて、あることに気がついた。それは、ヴァンの風魔法で、羽虫が踊らされていることだった。
「ヴァン! この羽虫、風に弱いんじゃない!?」
「! そうか、お前を守るのに夢中で、私としたことが……! よく気がついた、セイラ!」
ヴァンは竜巻を起こした。竜巻にひっかかった羽虫は、次々に巻きこまれていった。一匹残らず抱えると、ヴァンは竜巻を渦巻きの巣に直撃させた。巣は粉々に砕け、その破片に斬り裂かれ、潰されて、羽虫は全滅した。
すると、それらすべての残骸が動きだし、一つに集まり、直径十メートルの黒い木になった。幹が男の体になっている。枝に葉はなく、黒い種を落としては世界中に飛ばしている。
「世界中の人間をからめ取ったと思っていたのに、オレたちが残っていたから元の木の姿に戻ったのか。あの羽虫は木から逃れる大人が出ないよう見張るための、進化か」
黒い木の幹の男の目が開いた。ほら穴の中に、白い目が光っていた。四人をくまなく見回し、相手の同意なしに好きに想像するという邪悪な思考をともなって見る視線、「邪視」を浴びせた。
色欲は人間として当然ある感情であり、それを恥ずかしいと思ったり、弱さだと思ったりすることはない。愛しあう人がいれば、自然とそれが役に立つ。
しかし、愛しあっていない相手と、その相手の同意を得ないで色欲が出る状態は、大罪の一つである。
黒い木の幹の男は、邪視を放ち続け、四人を嘲笑した。幹の男は、整った顔立ちをしていた。この幹に同じく邪視を返したら、その者は木にからめ取られるのだろう。
ソディナが殺意を抱いて氷の剣を作った。
「自分がもてると思ってる奴につける薬なんかないわね」
そして、木の幹の男を、首と胴体がちぎれるように斬り飛ばした。
「許されていいのは愛しあう人との空想だけ! 愛しあってないうちは相手の心を知って会話の方を空想しろ! 同意を得ずに一方的に傷つけるのは、邪視だし、大罪だ!!」
ザヒルスは男だから、女を見る男の気持ちがわかる。だが、自分が大罪の邪視を受けて、傷つかなかったと言えば嘘になる。
「こういうのって、見られて初めてわかるんだなあ……。なんか、信頼が一番尊く思える」
セイラはぴょんと跳ねた。
「そこから、愛が芽生えると思うな」
「うん、そしたら空想解禁だ! ……って、何言ってんだオレー!」
ザヒルスが頭を抱えた。ソディナがポンポンとその頭を叩いた。
「うんうん、罪なく生きろ、少年。愛する人が現れたら少年の時代を取り戻せ」
ヴァンはセイラの心臓にもう網の跡が残っていないので、ゼリーの盾のドレス(かぶりもの)を解いた。
「ふうー!」
セイラがほぼ固定されていた手足を大きく動かし、のびをした。ヴァンはそれを眺めていた。
「一人ひとり、愛への考え方はあるだろうが……」
「はい?」
セイラがヴァンを見上げた。
「他人から憎しみを受けずに生きようとすることは、正しい道だ。憎しみを受けたくなかったら、信頼を築くことだ。お前も気をつけて生きろ、セイラ」
「はい! (私、ヴァンの歌姫だもん! 信頼されてるもん!)」
その幸福の瞬間、世界に降る雪が一瞬、すべて光に変わった。
「ん!?」
阿修羅が星晶睛で見極めようとしたが、すぐに雪に戻ってしまった。
そして、なぜかセイラのタロットカード・運命の輪が緑色の光を放った。このカードは幸せな時期と不幸せな時期は交互にめぐるという意味がある。まさに今回のセイラを象徴していた。阿修羅が世界にこの光を放つと、セイラの信頼に満たされた喜びが広がり、人々は過度の色欲から目が醒め、信頼しあっていた相手や仲間を思い出し、不幸な時期から脱して木から逃れた。黒い木は、緑色の光を浴びてしおれて消えた。
阿修羅の『乾坤の書・影』が開いた。
『七つの大罪・四・色欲・終』
と、書かれていた。
天から三枚のタロットカードが降りてきた。「剛毅」「戦車」「皇帝」のカードであった。それぞれ、「剛毅」は強いエネルギー、「戦車」は勝利と成功、「皇帝」は権力を意味している。
老いてしまった大人たちと幼い子供が抱いて泣きあう声を聞きながら、ヴァンたちは加速する世界を急ぐ。
「星方陣撃剣録第二部常闇の破鈴四巻・通算二十三巻」(完)




