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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第二部 常闇の破鈴 第四章(通算二十三章) 望みの在処(ありか)
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望みの在処(ありか)第五章「十全(じゅうぜん)の章授(しょうじゅ)・七章・自己愛」

登場人物

阿修羅(ヴァン=ディスキース)。神の発音で「あじゅら」、人間の発音で「あしゅら」。邪闇綺羅(神の発音で「じゃぎら」、人間の発音で「じゃきら」)の弟。神刀・白夜びゃくやつきを持つ。神に背いた罰を受け、この世界ではヴァン=ディスキースと名乗って旅をする。

セイラ=サザンクロスディガー。栄光の都レウッシラで阿修羅が助けた星羅せいらと同じ姿をしている。歌姫。

ザヒルス。十五才。ザヒルス村の領主で、斧使い。

ソディナ=ハーオーラ。氷魔法の魔法使い。

黒魔。星の持つ、憎しみと絶望の権化。すべての命を喰らい、すべてを葬ろうとしている。




第五章  十全じゅうぜん章授しょうじゅ・七章・自己愛



 山を歩いていると、空が再び光った。

 星が何らかの状態に命を誘導したのだろうが、セイラ、ザヒルス、ソディナはいち早く気づいた阿修羅の光に護られて、何の効果も出なかった。

「今度はどうなるんだろうな」

 ザヒルスが不安気に空を見上げていると、

「ああ、なんというたくましさだ!」

 と、叫ぶ男の声が聞こえてきた。

 木立の陰から四人が湖をうかがうと、一人の筋肉のついた男が、自分の荷物をそっちのけで、湖に映った自分の姿に見入っていた。目は、惚れ惚れするものを見た、という潤いを帯びている。てっぺんに丸い毛玉のついた黒い毛糸の帽子をかぶり、使い古した黒色の革のベストを身に着け、茶色い長袖下着に、ひじまである赤茶色の革の手袋、そして黒色のズボンという服装だ。旅に必要な毛布や調理器具の詰まった荷物と、男の武器らしい大きなつちが、無造作に放り投げられている。

「こんな美しい筋肉は見たことがない! よし、これをたたえる歌を歌おう! ♪見ーよ、我ーが力こぶー」

 これ以上隠れていてはヴァンたちに気づいたときこの男は爆死したくなるだろうと思い、ザヒルスが率先して駆け寄り、

「あの!」

 と、声をかけた。男はザヒルスたちに気づいた。

「なんだ、何か用か。この湖を使わないでくれるかな。私の姿が波紋で見られなくなってしまうじゃないか」

 歌を聞かれたことに動じないばかりか、むしろ歌を邪魔されてむっとしたように主張してくるので、ザヒルスは驚いた。

「爆死しねー奴いるんだ……」

 ヴァンは、男の荷物から青い石のはまったペンダントがはみ出ているのに気づいた。拾い上げて石の記憶をたどると、赤ん坊を抱いた妻の女性がこの男に贈ったものだとわかった。

「妻子がいるのに、今自分を愛している――。そうか、次の星の攻撃は、全員が自己愛にとらわれる世界になるというものだ」

 ザヒルスたちが、「ええっ!!」と、たまげた。セイラが叫んだ。

「そうなったら、自分一人さえここにいればいいと言って、全員の世界が一人分の範囲で完結してしまいますよ!」

 ザヒルスも男を横目で見ながら訴えた。

「世界がどうなろうと興味がなくなる……! 世界をないがしろにする時代になってしまうよ! 自己愛者だって、他人から注意されれば世界に関わらなくちゃって気づけるけど、今この世界には誰も注意する人がいないってことだろ!」

 ソディナが唇を嚙んだ。

「世界は単一の思考で統一されてはならないっていう不文律を、星はあっさり破っちゃったってわけね。自己愛者はどこかで世界の役に立つから存在しているんだけど、それが全員になったら困る。だって子供を産まないもの。ただし、これはどの民族・思想・宗教でも同じ。一つだけじゃ穴ができる。別の考えの人に注意してもらわないと、それ一つで世界が決まって、世界は失敗するの。なんてこと……!!」

 ヴァンが引き継いだ。

「子供を産まない者は、子供を産み育てる時間の分を、別の大きなことを成し遂げるために使えるのだ。他の者の場合も、それが欠けているからこそできることが、あるのだ。一つの状態は、ある意味では正しく、ある意味では間違いなのだ。それはすべてにおいてそうだ。一つの側面だけを取り上げて差別だの、優性だのと言う方が世界を知らず、狭量な思想の持ち主だ。互いの長所と短所を認めあい互いの考えを尊重するところこそ、真の世界だ。怒鳴りあうのはまだ思考が足りない。相手を理解する気がない」

 男がうんざりしたように手を払った。

「さっきから、ごちゃごちゃと。私は集中したいんだ。もう行ってくれるかな」

「レウッシラ……」

 ヴァンの呟いた単語に、男とセイラがびくっと体を震わせた。

「お前は子供の名前に、失われた栄光の都レウッシラの名を与えたのだな」

「な……なぜそれを……!」

 男の視線がせわしなく動き出した。自分の姿を映す湖と、ヴァンの握る青い石のペンダントの間を往復している。セイラのタロットカード・女教皇がすみれ色の光を放った。妻子と愛の溢れる家で暮らしていたロマンチックな思い出に満たされて、男は、はっと我に返った。

「あ、あれ……? 私は一体、荷物を放って何を……あっ!! そのペンダント、なぜお前が持っている!! 返せ!!」

 男は正気に戻ったようで、猛然と向かってきた。

 ヴァンは男の拳を掌で包んで止めると、ぐいと引っ張った。前方に倒れかかる男に構わずそのまま指だけこじ開けると、もう片方の手を握手するように当て、ペンダントを握らせてやった。

 男は、戦いが始まると思っていたので、思わぬ展開に口をぽかんと開けた。

「もう投げ出すなよ」

 ヴァンに言われて、男は、記憶がない間に荷物を放ったのだと勝手に考えた。酒にでも酔ったのかもしれない、と。

「失礼しました。私はアコーメ=シレキンと申します。遺跡を探す考古学者です」

 ザヒルスは、自分の細身の体とは違って筋肉質のアコーメに興味津々だった。

「冒険家って言った方が似合ってるよ」

 アコーメが苦笑した。

「誰も発見したことのない遺跡は、自然の奥深くまで行かないと見つからないのですよ。その道中には当然、谷、川、肉食動物、その他様々な危険があります。それらすべてを一人でどうにかしようと思ったら、考古学者は冒険家並みに体を鍛えなければならないのです」

 ソディナが感心した。

「ふーん、考古学者って、ただ勉強すればなれるもんじゃないのね。だって、他人がまだ見つけていないものを見つけるのって、はっきり言って運じゃないの。テストで百点取れても、何も見つけられなかったら、学者的にはれい点よね。一生、人が見つけたものを後追いで覚え続けるしかない。学校出てからずっと挫折する人生になるわ」

 ヴァンがソディナをたしなめた。

「残酷な言い方をするな。人が発見したものを伝える先生になるのが天職の者もいる。人々が感動して興味を持ち、歴史が人々の間に広まるよう上手に伝えるのも、大切な職業だ。どんな大発見も、人の心の中に残らなければ何の意味もないからだ。

 ただ、テストで百点取れればいいわけではないという意見には賛成だ。その百点の力を得るときと得たあと、どう使うかを真剣に考えるかどうか、また、普段の心がけとして、神にも他人にも見られて恥ずかしくない行動をしているかどうかで、テストを受ける時期が終わったあと、人生の落とし穴に落ちずに何かの大発見をできるかどうかが決まる。幼少から積み上げてきた善果の運がどれほどのものか、判明する。

 勉強さえできて勝ち組に入れればあとはどんな悪いことをしても構わないというのは、何の新しい発見もできないもとである。学校を出たあとは、運が人生を左右する。心正しく生きた者は、長く先の見えない人生に幸運という羅針盤を得る」

 アコーメが深くうなずいた。

「そうですよね。私も考古学者になってからとても強く、そう思うようになりました。ここだと思って行っても、何もないことの方が多いですから。それが普通ですから。本当に、強運の持ち主でないと、成功は難しいです。善行でもなんでも、黒魔にでもすがりたくなりますよ。おっと、これは若い頃の話です、今はもう違いますよ」

 セイラがペンダントとアコーメを見比べて微笑んだ。

「奥様とお子さんを置いて、旅をなさっているということは、ここだと確信のある遺跡があるのですね?」

 アコーメは照れた。

「ええ、娘にその遺跡の名前をつけてあるんですよ。発見者が自分になったら、一族の記念になりますから」

「レウッシラ、ですか」

 セイラの目が珍しく、人を射抜くようなすわりを見せている。

「ええ、この世界で一番有名な神話です。けれど、誰もその場所を知らない。私は、各地の民間伝承や言い伝えを照合しました。その土地に都合のいいようにレウッシラが解釈されているので、ずい分仮定を間違えてきましたがね」

 セイラの表情はこちらからうかがうことはできない。ザヒルスがヴァンに小声を出した。

「レウッシラって、確かマクマキ山で会った地理学者のナーリ=ハストも探してたよな」

 ヴァンは考えこんだ。

「(一つずつの植物に千の実が鈴なりになっているという、一樹千鈴いっきせんりんか。しかし、座標はここではない)」

「ここにはレウッシラの遺跡なんかありません!」

 突然、セイラが強く言った。ヴァンたちのみならず、アコーメも驚いた。

「まだ何も言っていないのに、どうして私の考えがわかったのですか。あなたは、レウッシラについて、何か知っていますね!? お願いです、栄光の都レウッシラのことを、教えてください!!」

 アコーメに詰め寄られて、セイラは駆け出した。

「待ってっ!!」

 女の足が、男の足を引き離せるわけがない。みるみる差をつめてくるアコーメが、もう少しでセイラの肩に手をかけそうになったとき、セイラの体が急に現れた膜の中に入り、そして消えた。

「うわっとっ!!」

 アコーメはそのまま誰もいない場所へのめりこみ、かろうじて転ばずに止まった。

「えっ!? セイラが消えた!?」

 ザヒルスとソディナも、セイラが消えたあたりを右往左往している。ヴァンは、セイラが結界の中に自ら呪文を唱えて入ったと推測した。結界を破ってもよかったが、アコーメを関わらせたくない理由を先に聞いておこうと思い、ザヒルスとソディナに、

「ここで待とう。帰ってこなかったらオレたち三人で旅を続ける」

 と、言ってから、座りこんだ。ザヒルスが飛び上がった。

「マジかよ!? ヴァンってあっさりしてるよなー!」

 ソディナは、ふーんといった風に目を細めて笑った。

「ヴァンにとって、セイラってそんな感じなんだー」

 それを聞いて、アコーメはさっさと荷物を背負った。

「人が消える不思議な地帯! やはりここがレウッシラの遺跡に違いない! なんとしても入る! 他の学者に先を越されてたまるか!」

 そして、駆けて行った。ザヒルスがヴァンの向かいに座った。

「アコーメは行っちゃったよ。いいの? セイラを迎えに行かなくて」

 ヴァンはアコーメの足音が遠ざかり、何を言っても聞かれる心配がなくなると、ザヒルスを促して立ち上がった。

「あの男は、オレたちがセイラを探すと言って動き出したら、必ずついて来ただろう。オレたちが動かなければ、もともと自分の判断に自信のある冒険家だ、勝手に動き出すに決まっている。オレはアコーメと離れるために待つと言ったのだ。アコーメがいなくなったから、オレたちもセイラを探そう」

 それを聞いて、ソディナがつまらなそうに二人の後に続いた。

 ヴァンは、セイラの消えたあたりで、セイラと同じ呪文を言った。

「我が故郷に氷の雪を」

 しかし、何も起きなかった。どうやら、まだ別の要素が必要らしい。

「どうする? セイラーって呼ぶ?」

 聞いてくるザヒルスとソディナを風魔法でくるんで、ヴァンは空から全体を見渡した。山頂が氷に覆われ、中腹に森と湖がある。普通に歩けば、普通にこれらの景色を見ることになるだろう。

「しかし、隠された場所には行けない。どこかに緊急用の入口がないだろうか……」

 よそ者を例外的に入れる入口を、ヴァンは探し始めた。深い谷を挟んで向かい合う崖の空中に、大きな黒い球が浮いていた。三人は、ふもと側の崖に降り立った。ソディナが触ると、黒い球はクルンと回った。氷魔法で階段をつけても、水車のようにクルクル回って、足を階段に乗せた者は永遠に同じところを踏み続けることになる。

 ザヒルスは勢いよく手で回した。投げたボールのようなものすごく速い回転を起こした。

「ヴァンの風魔法なら飛び越えてすぐ渡れるけど、それじゃただ単に向こう側へ行くだけで、セイラのいる所には行けないんだろ?」

 ヴァンがうなずいた。

「おそらく、この黒い球を渡らねば入れまい」

「でも、一歩も踏みしめられないぜこれ」

 ソディナは、黒い球が崖に非常に近いことに着目した。

「ヴァン、私、氷で鞭が作れるわよ。ヴァンならうまく放ってこの球を……」

 ヴァンもソディナが何を言いたいかがわかった。

「よくやったソディナ。それで行こう」

「え!? なになに!?」

 ソディナから長く太い氷の鞭を受け取るヴァンに、ザヒルスが聞きまくった。

「見ていろザヒルス。はっ!」

 ヴァンが氷の鞭を放った。それは土星の輪のように横回りに巻きつくと、崖と球の隙間を埋めてしまった。足を球にかけても、氷がつかえて、もう球は回転できない。

「やったあー! すげー二人とも!」

「ふふふ、ヴァンの鞭さばき、(かっこよかったあ!)」

 ソディナの氷の階段がついた球の上を、ザヒルス、ソディナの後に、ヴァンが歩いていった。

 黒い球を渡り、向こうの崖に降り立つと、景色が一変した。猛吹雪の雪原が広がったのだ。

「ここに、レウッシラの遺跡があるのか!?」

「ない」

 ザヒルスの悲鳴にヴァンが即答し、風魔法を使ってソディナと三人で雪原を抜けた。

 すべての建物と樹木が、氷で覆われている町が現れた。吹雪は、ちらちら降る小雪に変わっていた。ヴァンの耳に、町の奥の、縦長の尖塔を持つ大きな城から、弦の音が聞こえてきた。

 家も道もすべて氷に包まれている。生きているものは何一つない。城へ行く前に情報を集めるために町を歩き回りながら、ザヒルスが尋ねた。

「あのさ、ヴァン――いや、阿修羅様。レウッシラの伝説は、おうかがいしてもよろしいことでございますか」

 ソディナも遠慮がちに加わった。

「この世界は、またレウッシラの繁栄を取り戻すことができるのでしょうか。それとも、どんなに注意しても、レウッシラになればまた滅びてしまうのでございましょうか」

 ヴァン――阿修羅は、今でも鮮明に蘇る、祝女はふりめ星羅せいらとの、神殿での日々を思い返した。そして、氷の町を歩きながら、話し始めた。

「人間の世の初め、人間の最初の国。それが栄光の都レウッシラだと言われている。喜びに満ちた都だったと人間には伝えられているが、真の初めは違う。音の堕落したしき都だった」

 その日暮らしができればよくて、社会の発展や進化には思い至らない、無目的な命の集まる都であった。無目的だから、一瞬が楽しければそれでいい。

 最も人々を沸かせ、最も人々に思考の労働をさせないものは、音楽であった。

 メロディーも歌詞も心に響かない、聴く人にとって何の発見もない歌が量産されていた。ろくに中身もない歌詞なのに、人々は喜んで歌い、手を叩き、ダンスまで踊った。「ノリがいいから」、「共感できるから」、似た曲ばかりが都を占めた。その根底にある共通点は、「万人にわかりやすく」という思考である。

 しかし、万人にわかりやすくしていたら、レベルは下がる。誰が作っても同じものしか作れなくなる。民は「作り手として民よりレベルが上」の作り手から馬鹿にされていた。この程度のメロディーや歌詞でも馬鹿だから感動して歌うだろうと思われていた。

 人々は、作り手が人々に歌わせ続けるために巧妙に仕組んだ、知的レベルの低下操作に気づかなかった。

 それを防ぐ方法は、自分のレベルがこの歌の程度だと思われたくないという、知的プライドを持つこと。そして他者と、この時代にはなかったが他国の者と自分を、常に比較すること、それは自分のレベルを確認できるからだ。単に「有名だから・流行だから」というだけでつまらない歌を買い、歌い、広めるなどということは、自分のレベルを落とし、自分を馬鹿にする駄作の作り手の論理を助長させるだけだ。

 人が馬鹿にし、馬鹿にされて、双方喜んでいる都を、阿修羅は何度も兄・邪闇綺羅じゃぎらに滅ぼすよう進言した。

 しかし、邪闇綺羅は人間を見護り続けるだけで、何も言わなかった。

 阿修羅は音の神として、人間の奇声など、聞くにえなかった。その苦痛は、やがて自分が攻撃された怒りに変わった。

「歌は神を讃える力もなく、堕落するのみである。私は歌い手を待ち望む。ひとがりの愛も世界を区切る恋も歌わぬ、歌のために歌う歌い手を」

 神殿では、酒漬けの神官たちが歌い、舞っていた。自分たちを良い気分にするほど歌がうまければ、「神の名において」、罪でさえ許された。使い回しの旋律の曲の数々が次々と流れる中、人々は、酒漬けの神官の歌と舞を神に捧げたつもりになって、自分たちも酒を飲んでお祭りをしている。

 神を侮辱したうえに誇りも思慮もない愚かな民に、阿修羅の堪忍かんにんぶくろが切れ、背徳と堕落のはびこるレウッシラを一人で破壊してしまおうとしたとき、阿修羅は一人の少女の歌声を聞いた。

 絶望の中で未来を信じることを歌いあげた少女に、阿修羅は破壊を思いとどまり、すべての預言者に、神が少女――星羅せいらを神の歌姫と認めたことを告げさせた。人々は驚き、神官たちは星羅を抹殺しようとしたが、星羅の歌にのせた阿修羅の神気におののき、歌を星羅に任せ、神殿の祝女はふりめにすることにした。

 星羅が歌姫として歌い、それをよみする阿修羅の加護を受けたレウッシラは、人心が治まり、かつてない繁栄を極め、栄光の都となった。

 しかし、星羅は神殿の奥にある、鍵をかけた園に閉じこめられた。絶対に逃がしてはならない祝女はふりめであり、歌姫としてレウッシラの栄光のために歌い続けるのが義務であると、神官たちに思われたからである。

「三十歳前後で声が衰えてきたら神は怒りだすだろうから、その後は祝女はふりめの座から追い出し、女を扱う店に売り飛ばすなり、神の力のおこぼれをもらいたい金持ちにたんまり寄付させてとつがせるなりしてやろう」という、「人間の男の物差し」を持つ神官の、勝手な神の思考の推測による星羅の売却話も知らず、一人で歌を作り、歌い続ける星羅を見て、世界を救った少女への人間のあまりの仕打ちに阿修羅は憐れに思い、星羅の前に姿を現してしまった。

 三種の神器が一つ、クリスタルハープを星羅に与え、神殿の奥の、誰も入って来ない鍵をかけた園で、阿修羅は歌姫の美しい声と楽しく語りあい、歌姫の美しい歌に心ゆくまで聴き入った。

 そして、神を唯一見ることができる歌姫への神官の嫉妬から、栄光の都は不作や枯渇といった凶事が起こり、連鎖するように人心は乱れ、混乱に見舞われた。神官たちが神の怒りを鎮めるために、「神の喜ぶ最高の生贄」である星羅を殺して神に捧げようとしたとき、世界は「赦しの臨界点」を超え、神・邪闇綺羅じゃぎらが、「一つの文明の終わりにそのすべてを完砕かんさいする最強の神、あか鬼神きしんこうしょうとう」となって、天からくだり、レウッシラを破壊した。

 阿修羅は口をつぐんだ。

 ザヒルスとソディナも、黙っていた。ザヒルスは阿修羅を見上げた。

「星羅は、セイラですか」

「違う」

 即答だった。ソディナも即聞いた。

「なぜですか」

「……」

 阿修羅は、自分の助けた星羅でなければ、自分のよみした星羅ではないと考えていた。

「たとえ同じ宿命を持っていたのだとしても、セイラはセイラだ。レウッシラの星羅ではない」

「……そうですか」

 ソディナは、私にもまだチャンスはあるかも、と考えた。セイラがもういいなら、別の女を好きになる可能性がある。ザヒルスは真剣な目をした。

「でも阿修羅様、セイラは阿修羅様にそう言われたとしても――」

 そのとき、耳の鼓膜を破りかねない何かの発射音が響いた。氷の城に向かって、大量の氷柱つららの矢が飛んでいく。

 すると、城から流れる弦の音が城を包み、氷柱の矢を弾いた。

「弦の音が聖域を作っている」

 ヴァンはそれに気づくと、城の中で何者が弦を奏でているのか、気になった。

「おのれセイラーッ!! ユイザーッ!! 出てこいーッ!!」

 氷の町の広場から、男の声がした。

 三人が建物の陰から広場をうかがうと、男が一人でわめいていた。

 全身が、氷柱だらけの氷でできている。

 そして、氷魔法で氷柱の矢を大量に作っては、城に射出している。

 ソディナは同じ氷魔法の使い手として、魔力の量も武器の造形も、男が相当な手練てだれだと見抜いた。

 氷柱男が、氷以外の色である三人に気づいた。

「何者だ!!」

 ザヒルスが代表で聞いた。

「オレたち迷いこんじゃったんですけどー、ここ、あなた以外いないんですか? それとも、氷の人が他にもいますか?」

 氷柱男は、すべての氷柱を三人に向けた。

「この町は意図しなければ入れない。迷いこめるものか、嘘つきどもめ!! 私のハープを奪うつもりだな!! 死ねえ!!」

 そして、氷柱の矢を発射した。ソディナが氷の壁で矢を防いだ。氷柱男が氷魔法の使い手に怯んだ隙に、ソディナの氷の槍が男に飛んだ。しかし、男はまったくかわさなかった。むしろ、かすらせて自らの氷柱を砕かせた。

「うっ!!」

 がくっと膝をついたのは、ソディナの方だった。全身に力が入らない。氷柱男が笑った。

「私の体を傷つけた者は、脱力の呪いを受けるのだ!」

「ちっくしょう……また呪われたー!!」

 ソディナが目一杯悔しがっている。

 ヴァンがソディナとザヒルスの二人を、風魔法でくるんだ。

「なるほど、だから城の中の者も奴を攻撃しないのか。ザヒルス、ソディナに肩を貸してやれ。城の中へ行くぞ」

 ザヒルスがソディナの腕を取った。

「あいつに話聞かなくていいのか?」

 ヴァンは即答した。

「人を呪う者は善人ではない。自分をかばい飾る虚言など、立ち止まって聞く価値もない」

 そして、風魔法で城の中へ入った。

 半透明に白く透き通るカーテンで、いくつもの部屋に仕切られている。ヴァンたちが歩くと、そよそよと動く。外観は固い氷なのに、内部は柔らかな造りなので、少し肌寒い中にも、滑らかな暖かさが流れているような感覚を得た。

 城の奥から、セイラの歌声が聞こえる。

「えっ!?」

 ソディナの体が全快した。呪いが解けたのだ。ヴァンには、すぐにわかった。

「(あの子の歌は神に捧げる歌だ。供える食物も何もないとき、代わりに音楽を捧げることは、道の一つである。あの子は昔も、そして今も、音を神に捧げているのだ。その歌は呪いを解くのだ。あの子が世界を愛している心が、皆に届くからだ)」

 歌っているセイラの後ろ姿が見えた。

「(世界に冠絶する歌姫よ、何を歌う)」

 音の神は、静かに見守った。

 ソディナは、「恋敵を見る」という心より、「美しいものを見ている」という心の方が、まさっていた。

「(私を救ってくれた。貸しができたわ)」

 セイラは、ユー字型の竪琴を備えてある祭壇の前に、両手を組んで座っていた。その竪琴は七弦あり、右から一本につき一色ずつ、虹の七色・せきとうおうりょくせいらんの色がついていた。竪琴はオレンジ色の大理石でできていた。ヴァンは、その竪琴になぜか懐かしさを感じた。

 ヴァンは、静かにセイラの後ろにたたずんだ。

 かつて、レウッシラの神殿でそうしたように。

 セイラは、歌をやめてゆっくりと振り返った。

 かつて、レウッシラの神殿でそうしたように。

 ヴァンとセイラ、神と歌姫は、向かいあった。

 もうレウッシラは、どこにもないというのに。

「良い歌だな」

 あのときも、そう言った。

「何が望みだ」

 あのときも、そう言った。

 だが、次の答えは違った。

「この聖なる竪琴を、おじの手から守るためです」

 ヴァンは、セイラの現実に戻った。

 ザヒルスが近寄った。

「急に消えたからびっくりしたよ。ここ、どういう町なんだ? 呪いの氷男がいたよ。城を護ってたのはセイラなんだろ?」

 セイラは立ち上がった。

「いいえ、城を護る聖域を作っているのは、この聖なる竪琴よ。呪いをかける氷の男が、私のおじ、ウズワスア。聖なる竪琴を奪おうとして私の母・ユイザを殺し、自らも母に殺されたの。自分に死ねない呪いをかけているので、氷人間になっているわ。けれど、死ねないといっても、竪琴を奪うという執念しかない、ただの氷人形なの。

 母はおじから聖なる竪琴を守るため、私の命の力と竪琴をつないだわ。つまり、私が生きている限り、竪琴はひとりでに奏でられ、聖域を作っておじの攻撃を防ぎ続けるの。おじのせいで町の人々は巻きこまれて、犠牲になったわ。私はおじから逃れてこの町の外に出た。身寄りのない私は、この星の雪を止める歌の力を神官に見出されて、北の山の巫女、セイラ=サザンクロスディガーとなったの」

 ソディナが尋ねた。

「じゃあ、アコーメに近づいてほしくなかったのは、その竪琴を守るため?」

 セイラはうつむいた。

「この竪琴は、この町を守護する音色を奏でていて、代々私の一族が守ってきたものだから。今は、母の形見でもあるし。これを持って逃げたらおじも追って来てしまうわ、そんなことになったら他の町も犠牲になる。だから、永遠におじをこの町に閉じこめるために、竪琴を置いて、外に出たの。アコーメが見つけて持ち出したら、大変なことになると思って、町に戻ったの。急にいなくなって、ごめんなさい」

 ザヒルスが手を振った。

「いいって。でもセイラが死んだら竪琴の力もなくなるから、永遠にウズワスアを閉じこめるのは無理じゃないか?」

 セイラはぽっと頬を染めてヴァンを一瞬見た。

「そ、それは、私が子供を産んで、その子供に私の役を継いでもらおうと思っていました」

 ソディナが視線を遮るように片足を踏みこんだ。

「でも、ウズワスアはどうしてその竪琴が欲しいのよ。自分が聖域を自由自在に操りたいからとか?」

「違うわ。おじは――」

 セイラが答えようとしたとき、ウズワスアの声が響いた。

「セイラー!! お前の仲間を人質にしたぞー!! 竪琴を持って神殿まで来い!! 三十分だけ待ってやる、来なければこいつを氷柱にしてお前の城に発射してやる!!」

 一同が城の窓から外を見ると、アコーメ=シレキンが捕まっていた。ザヒルスが下唇に力を入れた。

「あちゃー……あいつ、ついて来てたのか」

 ソディナがふう、と口から息を吹いた。

「私たちが空から町の入口まで行ったのを見て、黒い球を探し当てたのね。私の氷の階段を上ってきたわけか」

 セイラが迷っていると、ヴァンが肩に手を置いた。

「恐れるな。オレがついている」

 セイラは顔を赤らめてヴァンを見上げ、意を決した真剣な表情で、はい、と返した。


 神殿は、氷のみで造られていた。円柱で、ところどころに明かり取りの窓がついている。

 レウッシラの神殿と同じだった。

 内部の祭壇も、柱の数も、居住区も、炊事場も、そっくり再現されていた。

 何の供物もなく、誰もいない祭壇――ただの氷の台を見て、ザヒルスが首をかしげた。

「えっ? ここにいないのか? じゃ、どこにいるんだ? ウズワスアーって呼ぶ?」

 セイラは先に立って階段を上った。

「その祭壇には何の力もないわ。この神殿で重要なのは、三階の最上階よ」

 阿修羅も黙ってついて行った。三階の最上階。そこは鍵で閉ざされた空間。

 セイラが扉を開けると、氷の植物園が広がっていた。花、草、つた、鳥籠のような屋根とその中のテーブルとイス、そして下の階と同じ形の祭壇。天からの光が差し込み、まるでここだけ地上の楽園が現れているかのようであった。

 祭壇の脇に、アコーメの両足を氷漬けにして動きを封じたウズワスアがいた。

「ようやく来たなセイラ。ユイザといい、お前といい、私の邪魔ばかりしおって! さあ、その竪琴をよこせ!」

 セイラはアコーメを見た。アコーメは、申し訳なさそうに目をらした。

「その人を解放してからです」

 ウズワスアは、扉を氷で固め、セイラたちが逃げられないようにしてから、アコーメの氷を砕いた。アコーメは、這うように走って、セイラの側にたどりついた。

「あの……」

「わかりましたね。ここは、レウッシラではありません。ただの呪われた町です」

「……はい……すみません……」

 アコーメがセイラにうなだれた。セイラは、約束通りウズワスアに竪琴を投げた。

「おお!! これだこれだ!! これさえあれば、神をべる!!」

「なに?」

 阿修羅が聞きとがめると、ウズワスアは祭壇のもう一方の脇の奥に声をかけた。

「ラブナ!! ついに竪琴が手に入ったぞ!!」

 かつて祝女はふりめ星羅せいらが歌の練習をしていた場所から、ゆっくりと誰かが歩いてきた。

 口以外の顔を氷で隠し、帽子と、体型を隠すように広がる氷のドレスで、頭から爪先まで覆った青い口紅の女が、両手に青い大理石でできた半月型の片手弾き用ハープを、一面ずつ携えて出て来た。二面とも同じ形で、星の形の飾りがハープから垂れ下がって揺れている。

「おじの娘、ラブナです。ラブナ、あなたはまだ氷にならずに、生きているのね?」

 セイラがいとこに向かって話しかけた。ラブナはフンと鼻息を吹いた。

「ラブナ、仮面をつけてどうしたの。氷の女王にでもなったつもりなの」

 しかし、問いを重ねるセイラに、ラブナはまたもフンと鼻息を吹いただけだった。ザヒルスが怒った。

「お前、さっきからなんで会話しないんだよ! セイラの竪琴盗んだから、恥ずかしくて何も言えないのか!」

「盗んでなどいないわっ!!」

 突然ラブナが金切り声を上げ、そして汚らわしいというように口を押さえて身震いした。

「しまったわ……ついこの美しい声を人前にさらしてしまった」

 そして青い口紅の唇を再び結んだ。

「ああ、こいつナルシストになる光浴びて戻ってないんだな」

 ザヒルスが納得した。ラブナがむっとした。

「ナルシストの何が悪い。この美しい顔も声も体も私だけのものだ。他人になど見聞きさせてたまるか。私以上の存在はこの世のどこにもいない。下等な私以外の者とこうして話をすること自体おぞましい。竪琴を渡してお前たちは用済みだ。帰れ!!」

 ナルシストになっても「自分の分身」の娘のために行動することは光を浴びる前から変わらないウズワスアが、ラブナをなだめた。

「ラブナ、まあよいではないか。私の望みは、伝説をかき集めてレウッシラの神殿を再現し、お前を歌わせて神に降臨してもらい、この町を第二のレウッシラにして、雪のやまないこの世界を救ってもらうことなのだから。この聖なる竪琴でようやくお前の歌声が神に届くのだ、神の選ぶえある祝女となる瞬間を、セイラたちに見せてやりなさい」

「……」

 ラブナは、しぶしぶ、聖なる竪琴をウズワスアから受け取った。そして、歌いだした。

『世界一の 信心持つ 私に 声をどうか』

 ところが、歌いだしたとたん、聖なる竪琴は弦から音が出なくなった。

「なっ!! 何これ、この私の美声を伴奏しないなんて、なんて劣った楽器なの!!」

 阿修羅はあることを確信して、セイラの肩に手を置いた。

「歌うがよい」

 セイラは、絶対三度の二重声を発声した。セイラの声の波動を受けて、聖なる竪琴が光りだし、セイラの身長とちょうど同じ大きさの半月の形のハープになった。水晶で創られた、三種の神器が一つ、調律が永久にいらない奇跡の楽器、水鏡すいきょうの調べこと、クリスタルハープであった。

「(砕かれたあと、ここに隠れていたのか。主を見つけて、主の望む姿でよみがえったな)」

 阿修羅は、かつて星羅に与えたクリスタルハープを見て、セイラの歌に聴き入った。

『題・祝女の歌 作詞作曲・白雪


 聞こえてくる 星の命の声 歌ってるの

 すべての音が そろっているこの喜びが歌わせる

 訳してほしい 願われ願い すべての種族に届けよう 想いあう心』

 かつてレウッシラで阿修羅が初めて聞いた、星羅の歌だ。自分の祝女にしようと思ったので、『祝女の歌』と阿修羅は名付けた。

 そして今、阿修羅は再びセイラをよみしたので、クリスタルハープが神々しく輝いた。

「なぜだっ!!」

 セイラが聖なるハープに選ばれたのを見て、ウズワスアが全方位に氷柱を飛ばすほど怒鳴った。ラブナは氷のドレスで、ソディナたちはソディナの氷の壁で防いだ。

「私の娘の方が、美しい歌声だ!! そもそも、セイラの歌には一言も神のことが歌われていないではないか!! 神なしで世界をまわしていこうなどと、傲慢にもほどがあろう!! 神への信心を歌った娘を、なぜ神はお選びにならないのだ!!」

「世界一の信心だと言うことこそ、傲慢である」

 阿修羅の声に、ウズワスアは凍りついた。

「そして、世界一神を信じているから、なんだ。自分さえ助かれば、世界はどうなってもいいのか。自分勝手な奴だ。お前はこの世界に一人で生きているのか。他人と支えあっているから物が作られ、売買し、食べていけるのではないのか。その仲間を大切にせず、信心深い私を一番救ってくださいだと? 何を根拠にお前は『選ばれたと思う』のか。聞くに堪えないからクリスタルハープは無音となり、その娘に歌わせなかったのだ。

 お前が頼っているのは神だけではないだろう。この地上に生きるすべての命たちにもだろう。世界を大切にしない者を、神は信用しない。神を信じていると言うのは簡単だ。では、それを証明するためにお前は何をするのだ? お前の覚悟を見せろ! 言葉のみで神をだますことは、赦してはおけぬ!!」

 ウズワスアは怒りで体が震え、それによって、ようやく体が動くようになった。

「言わせておけば!! 娘を神の祝女にしてレウッシラの栄光を取り戻すのだ!! 歌が供物なら、神の喜ぶ歌詞が当てはまるに決まっている!!」

 阿修羅が無言で険しい表情をした。なぜ黙ったのか、セイラにだけわかった。

 そのとき、そのセイラの心に反応して、タロットカード・女帝が紅色の光を放った。芸術と繁栄の効果があり、氷の神殿を本物の植物と建物に変えた。

 星羅とレウッシラで語らった場所を思い出して、阿修羅は周りを見回した。

 ラブナは女帝の光を浴びて、芸術をおぼろげながら認識した。

「この美しい歌声も、顔も体も、人に聞かせ、見せるためにある。神だけのものにしてはいけない、他人がいることを否定してはいけない、まして、すべての人間の劣等を疑い、自分を大きくするために使ってもいけない。自分だけを信じるのが、今までの私だった。もう、自分以外も信じなければならない」

 ラブナは、他人への疑いの象徴である氷の仮面を外した。セイラと違い、大人びた切れ長の目の、面長の少女だった。

 ただし、精巧な氷でできていた。

「ラブナ……」

 ナルシストの呪いが解け、セイラに負けたことを受け入れた娘を、ウズワスアは悔しそうに見つめた。

「お父さん。私たちはもう眠りましょう。聖なる竪琴は、この先もずっと、永遠に手に入りません。私たちは、この世界にとどまる理由が、なくなったのです」

「ラブナ……ラブナ……!!」

 ラブナは、両手に一つずつ持った、片手で弾ける半月型のハープを二面、両方同時に奏で始めた。

「おお……おお……!!」

 一オクターブ離れた二つの旋律が、ウズワスアとラブナを包みこむ。父娘の氷が、砕けていく。ラブナはセイラを見つめた。

「お父さんの呪いの弱点は、完全八度の一オクターブなの。同じ箇所に続けざまに亀裂が入るからですって。私もお父さんに呪われて氷の体になったとき、万一祝女になれないときは自分で死ぬ方法だと、教えてもらったわ。絶対三度の二重声のあなたでは、ずっとお父さんを眠らせられなかったでしょうね」

「ラブナ……」

「セイラ」

 いとこ同士は久し振りに名前を呼びあった。

「父に代わって謝ります。おばさまのこと、本当にごめんなさい。この町の人たちも――」

 いくらレウッシラを復活させて世界を救おうという崇高すうこうな意志があろうと、何の罪もない町を犠牲にした時点で、もはやその意志はただの野心だ。

 セイラが言葉を返せないでいるのを見て、ラブナは目を閉じ、粉々の氷になって消えていった。ウズワスアも同様にして消えた。

 セイラはタロットカード・女教皇のすみれ色の光を阿修羅の力で世界に届け、自己愛から人々を救った。『乾坤の書・影』が開き、

十全じゅうぜん章授しょうじゅ七章ななしょう自己愛じこあいおわり

 と、記された。


「許せないから答えられなかったんです」

 三階の神殿の鍵の間で、セイラはヴァンに打ち明けた。ザヒルスとソディナは、氷からレウッシラの神殿そのものになった建物を、アコーメが喜び勇んで駆け回るのを追いかけている。セイラの故郷を勝手に荒らさせないためだ。

「ここで許したら、母や町の人々を裏切ると思ったんです。命を懸けて逃がしてくれたのに、元凶のあの二人を憐れに思って許したら、母や町の人々に、今度は私が、命を返せと責められるでしょう。死んでしまった人の思いを、生きている人間が勝手に清算してはいけないんです。自分の『善行』のためや『憐れみ』のために、許しを与えてはいけない相手が、この世にはいるんです」

 阿修羅は答えた。

「その気が済まない限り、相手は苦しみ続けるであろう。正しい者ならば、神の罰をその者が十分に受けたとき、その者を許す心が生まれるであろう。そうでなければ貪欲に憎み続ける心を今度は自分が神に罰せられるであろう。セイラ、あの父娘はきちんと死んだ。私の言いたいことがわかるな」

「はい。もう憎しみは終わらせます。敵をやっつけて、復讐できましたから」

 阿修羅は、レウッシラにいた頃と違う単語がセイラから飛び出してくるのに、驚いていた。レウッシラを破壊されたときも、一言も悪い言葉を言わなかったのだが――。

 阿修羅は、セイラを眺めようとして、クリスタルハープと神殿の植物を目にした。

 ふと、心が動いた。

 阿修羅は、セイラに告げた。

「私のために一曲歌ってくれないか」

 セイラはクリスタルハープを奏で始めた。

「この声がれるまで」

 神殿に、祝女の歌が久々に響いた。


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