望みの在処(ありか)第四章「大罪(たいざい)三・貪欲(どんよく)」
登場人物
阿修羅(ヴァン=ディスキース)。神の発音で「あじゅら」、人間の発音で「あしゅら」。邪闇綺羅(神の発音で「じゃぎら」、人間の発音で「じゃきら」)の弟。神刀・白夜の月を持つ。神に背いた罰を受け、この世界ではヴァン=ディスキースと名乗って旅をする。
セイラ=サザンクロスディガー。栄光の都レウッシラで阿修羅が助けた星羅と同じ姿をしている。歌姫。
ザヒルス。十五才。ザヒルス村の領主で、斧使い。
ソディナ=ハーオーラ。氷魔法の魔法使い。
黒魔。星の持つ、憎しみと絶望の権化。すべての命を喰らい、すべてを葬ろうとしている。
第四章 大罪三・貪欲
猛吹雪のため、無人の山小屋で火をおこし、セイラとザヒルスが暖を取っていた。ヴァンはそのようなことは不要なので、火の明かりに照らされるセイラを、しばらく眺めていた。ソディナは氷魔法の威力が増すので、嬉々として外で魔法の修行をしている。
そのとき、サイズのよくあっていない鎧を着た百人ほどの男が、腰に何本もの剣を差しながら、雪を踏みしめて一歩一歩近づいてきた。ソディナの氷魔法の威力を見て、ぎょっとして立ち止まった。その隙にヴァンはセイラとザヒルスと共に小屋から出た。敵対してきたら広い場所の方が戦いやすい。
「オレたちは事情があって、もう出るところだ。火は残しておいた。使うといい」
ヴァンの言葉に、百人は一斉に喜びの息を吐いた。
「ありがとう。すまねえな」
百人は全員、背中が隠れるほどの大きな革袋をかついでいる。
リーダーらしい男が百人に呼びかけた。
「よし、十人ずつ入って順番にあたれ。手足を温めたら出発しろ。王都はすぐそこだ」
男が十人、山小屋に入った。ザヒルスが待っている一人に話しかけた。
「この吹雪でも先を急ぐの? 山で遭難しちゃうよ」
男は革袋を大事そうに抱えた。
「国王陛下がオレたちをお待ちかねなんだよ。それに、ヌグラバーニィ国の王都ルプタランは、この山の麓だからね」
「その袋の中に王へのお届け物が入ってるの?」
「ああ……まあな」
男は言葉を濁すと、山小屋の中へ入っていった。
ヴァンはセイラ、ザヒルス、ソディナと共に山小屋を離れ、百人の視界から消えるところまで来ると、一人戻って風魔法を放ち、革袋にぶつけて中身をぶちまけさせた。
財布、煙草、時計、ネックレスが大量に出てきた。その男のものではなく、何百人分もの持ち物である。
リーダーが怒鳴った。
「馬鹿!! 国王陛下のご命令で動いているのだから、一つもいらぬ傷をつけるな!!」
「はい、すみません!!」
男が散らばった金品を拾い始めた。食いこんだ魔法石の腕輪と指輪をした手首から先の手を拾ったのを見て、ヴァンはそれ以上見るのは時間の無駄だと悟り、セイラたちのもとへ戻った。
ソディナが氷のかまくらを作って、セイラとザヒルスを吹雪から守ってくれていた。ソディナが尋ねた。
「あの人たち、何だったの?」
「戦場で死体から金品を盗む連中だ」
ヴァンは即答した。
「しかも国王がそれを組織しているらしい。どこの戦場で略奪したのかは知らないが、そんな富は国を亡ぼす金銭に化けるだけなのだが。王都ルプタランに行ってみよう」
三人が了解したとき、遠くに炎が見えた。近づくと、この吹雪の中、鉱山で人々が働いていた。
「こんな日でも山で働かされるのか!?」
ザヒルスが叫んだのを、近くの鉱夫が聞いて、答えた。
「いや、オレたちが働きたいって言ったんだよ」
ヴァンは興味を覚えた。
「この山に何かあるのか」
風魔法で大木を伐り薪にして、炎の魔法で火をつけて巨大なたき火を作った。
「どうだろう、疲れたらみんなで体を休めるといい」
「おお、こりゃありがたい! おーいみんな、ときどきここで休もう!」
他の鉱夫たちも、巨大なたき火を見て喜んだ。たき火にあたりながら、鉱夫はヴァンに笑顔を向けた。
「みんなに火をくれたんじゃ、少し話すかな」
この山はヌグラバーニィ国の山で、王都ルプタランに住む、ジーダイア=マルゼオというニ十才の若者が所有している。ジーダイアは貧しい人々に施しを与え、いつも笑顔で人に接し、善人で有名だった。
「もともとこの山は家を持てない貧民が、王都から追い出されて暮らし始めたところだったんだが、ジーダイアさんがこの山の所有権を譲ってくれないかと言ってきた。そうすれば全員、この山で働く鉱夫として雇ってくれるって言うんだ。貧民はこの山の所有権なんか持ってるわけないから、幸運にも働けるって大喜びさ。だからここにいる鉱夫は全員、元貧民だ。いい人にはいいことが起きるんだなあ、山を掘っていったら金鉱が見つかって、今、ジーダイアさんは億万長者になってるよ」
鉱夫たちは働けてごはんが食べられるだけで幸せであり、雇ってくれた恩のあるジーダイアのために、こんな吹雪の日でも、率先して働いているのだ。ジーダイアがこれからも自分たちのような人を救う力を持ち続けられるように、だ。
他の鉱夫たちも火にあたりに来た。
「ジーダイアさんがこの土地に鉱山という、新しい産業を興してくださったんだぜ!」
「オレたちだけじゃ、金鉱になんか全然気づかないで、やせた畑と共倒れになってるところだった!」
鉱夫たちは、笑いあっている。
「……。いい話だった。ありがとう」
ヴァンたちは、王都ルプタランへ向かった。ひときわ強い明かりが窓からもれている家の中をのぞくと、そこは作業場で、壁一面につなぎ合わせた羊皮紙に、絵が描かれていた。一人の男が、山から降りてきたぼろぼろの服の貧者たちに金の光を分けている図であった。中で画家と羊皮紙職人が話しあっている。
「ジーダイアさんをもう少し男前にしようか。国王陛下直々に『聖なる民にする』とおっしゃったんだ、選んだ国王のメンツもあるし、後世我がヌグラバーニィ国が他国にも胸を張れるよう……」
「いや、男前すぎるとかえって虚飾を疑われる。人相学的に穏やかで善良な要素を加えよう。誰が見ても安心できる顔にしよう。なにせ、裏山に巣くう社会不安の元凶の貧民に定職を与え、かつ金鉱という金のなる木を発見したすごい若者なのだからな。末が恐ろしいよ。聖なる民にするには若すぎる気がするが……」
「そうだな。人生は長い。落とし穴にはまって聖なる民の称号を穢さなければいいが。持った称号の重みに押し潰されることもあるし」
「それでも聖なる民になるということは、ジーダイアさんはよほどの金を払ったな。いや、王に払わされたと信じたいが……」
ヴァンには、払った方だとわかった。心正しい人間なら、ニ十才で聖なる属性を名乗れはしないと知っているはずだ。
「善人でもなんでもない。ただのずる賢い男だ」
そのとき、どこかの家の女中らしき人が、隣の家の扉を叩いた。
「先生! ミチデ=イバナンの使いです! 旦那様が、急に熱を出して……!!」
どうやら、隣は医者の家らしい。奥さんらしき人が出てきた。
「ごめんなさいね、うちの人、他の患者さんの家に行ってるのよ。もう少し待ってもらえる? 帰って来たら、すぐ伝えるから」
女中は泣き出しそうに顔を歪めた。
「そんなっ!! 旦那様は、もう汗が噴き出て苦しそうで……!!」
奥さんは、イバナンさんを看病しながら待っていてと言い残して、扉を閉めてしまった。
途方に暮れている女中に、ヴァンが声をかけた。
「医学の心得があるから、診ましょうか」
女中は、植木も何もない殺風景な庭を持つ、二階建ての屋敷へヴァンたちを案内した。屋敷は暖かそうな毛皮で埋め尽くされた広い客間以外は、装飾らしい装飾は見当たらなかった。数えられただけで十部屋はある。二階の奥のベッドの中で、長い白髪の老人が、うなされながら汗を噴いていた。
「旦那様! しっかりしてください、お医者様がいらしてくださいましたよ!」
女中は、汗をタオルで拭き取ると、水を替えに階下へ降りていった。これだけ広い屋敷なのに、老人が一人と、女中が一人しか暮らしていないようだ。
ヴァンは、老人がもし悪人であれば意味もなく治すつもりはなかった。だが、老人が、
「裏山……裏山……」
と、うわごとのように繰り返すので、話を聞く気になり、セイラのタロットカード・星の紺色の光で病気を治した。
「はわっ!」
突然元気になったので、老人・ミチデ=イバナンは驚いて硬直した。そして、ヴァンたちに気づくと、ゆっくりと起き上がった。
「旦那様!! よかった!!」
水を持ってきた女中が駆け寄り、ヴァンが医者で、治してくださったと説明した。
お礼を言うミチデに、ヴァンは裏山のことを聞いた。ミチデは顔色を変えた。
「そうだ、私が寝こんでからどのくらいたつ」
「はい旦那様、一年と二箇月です」
「その間、裏山はどうなった」
「はい旦那様、ジーダイア=マルゼオ様が金鉱を発見して、元貧民を雇って採掘しています」
「……!!」
せっかく全快したのに、ミチデの顔色はみるみる悪くなった。その色を揮発させるために、ミチデはしゃべりだした。
「私は王都ルプタランの中でも裕福な商人で、もともとあの裏山は、私のものでした。私は貧民が住みついていても、追い出すのはかわいそうだと思って長年放置していました。しかし、私には子供がいなかったので、私が死ねば財産も裏山も国家のものになります。もし王が裏山から貧民を一掃したら、貧民はどこへ行けるというのでしょうか。私は貧民を守るために、私の死後、私と同じように裏山を開放してくれる後継者を探し始めました。
それがジーダイア=マルゼオです。あの子は若いうえに慎み深く、すべてにおいて私に従いました。逆らった意見を言わず、私の言葉を受け止めていました。私をまねしてくれる、意志を引き継いでくれる――そう思ったのは、先がなくて焦る、老人の短慮だったのでしょう。
ジーダイアは小狡かったのです。慎み深かったのは、何か言えばぼろが出るから、逆らった意見を言わなかったのは、私に嫌われれば終わりだったからです。
それに気づかず、私はすっかり気を許して、ジーダイアを財産の相続人に指名し、あの裏山に関する重大な秘密を教えました」
あそこには金鉱がある、と。ミチデは国家が戦争で軍資金が必要なときに初めて使え、それまではこの秘密を伏せておけとジーダイアに命じた。国王だろうとそれ以外だろうと、「ある」と思うと人は平時からあてにし、無駄なものに蕩尽するものだからだ。「国家の危機以外に、奥の手は見せるな」と、ミチデは教えたのであった。
「それを、私が病で何も判断できなくなったのをいいことに、己の欲望のままに秘密を明るみにするとは、情けない……自分の人を見る目のなさが!!」
国家の切札を自分の手で奪ってしまった悔しさで、ミチデは胸をかきむしっている。一度金の味を知ってしまえば、国王はもう手放すまい。出てきた金で次は何を買おうかと、計画を立てているはずだ。
「私の山を荒らす、盗人め! 国賊め! もはや金鉱を閉鎖することは、国王が許すまい! どうすれば……!!」
再び顔色を悪くするミチデに、ヴァンが提案した。
「ジーダイアはミチデの後継者としてあの裏山を所有している。お前が回復して金鉱を取り戻したら、奴は国王に自分ならもっと金の採掘量を増やせるから自分に支配権を戻してくれと泣きつき、お前は、金を渡して国王を味方につけたジーダイアに、金鉱を完全に奪われる可能性がある。国を救うために金鉱を温存することは諦めろ。あとは、いかにジーダイアから金を取り戻すかを考えろ。
まず、ジーダイアを後継者から外し、金鉱が開いてからの裏山の使用料を相応の値段で取れ。さらに、これまでの利益を所有者であるお前にもよこすよう要求しろ。渋るなら、裏山の使用権を他者に与えると脅し、金鉱を開くのに盗みを働かれては困ると考えて貧者を逆に雇って利用したこと、さらに国家の戦争資金を私利のために削り続けていることを国民にばらすと脅せ。
ここでジーダイアが国王に泣きついても、国王はジーダイアを助けない。国王であろうと権力者は、いつの時代も怒りを伴う民衆の力を抑えることは、できないからだ。金鉱一つを握っている風情の男を、何を恐がることがある。支配する人間を替えればそいつに力など何もない。立て、ミチデ=イバナン! 何才であろうと国を守れるところを、皆に見せてやれ!」
何もかもがうまくいった。
毛皮の帽子に毛皮のコートを着ているジーダイア=マルゼオは、人を睨み上げるような目で館の中を見回した。色とりどりの陶器、グラス、絵画。人形、仮面、彫刻。
「次は歴史的に有名なものが欲しいな。貴族への自慢になるぞ」
ジーダイアはワイングラスを手の中で弄びながら、くくっと笑いがこみ上げてきた。
身寄りのない老人ほど、取り入るのが簡単なカモはいない。彼らは自分の知識と経験を受け止めてくれる人を欲している。そういう人の話を親身になって聞くふりをするだけで、彼らは「この若者に伝わった」と「錯覚」する。あとはなんでも「はい」と言っていれば、もう信頼関係は揺るがない。注意点はただ一つ。「こちらの話を極力しないこと」。老人の人生観と違っていたら、「一番」頼りになる人になれなくなる可能性があるからだ。
一番でなければ意味がない。財産を分けてもらえなくなる。
ジーダイアはミチデに前々から目をつけていた。ミチデが実は貧民に裏山を開放していることを知ってからは、ミチデの目にとまるように、貧民に施しを始めた。人は、自分と同じことをする人に、特別に目がいくものだからである。
案の定、ミチデから食事に招待された。そこでミチデから貧民についていくつか質問されたが、事前にミチデの言動を調べ上げていたジーダイアは、ミチデの言ったことと似たことを答えた。ミチデは満足していた。
こうして食事をする機会が徐々に増え、ミチデの後継者に指名され、金鉱まで教えてもらい、ミチデが病気なのをいいことに、動き始めたのであった。医者は不治の病だと言っていたし、貧民が金鉱を発見したら全部盗み出されてしまうという焦りもあったし、万一ミチデが回復したら貧民がかわいそうで見ていられなかったと嘘をつき、国王に金をやって引き続き金鉱の支配者にしてもらえばいい。
国王だろうと聖なる民の称号だろうと、この世で、金で手に入らないものはない。
自分はまだニ十才だ。
賢い人間は成功する時間が長い。笑いが止まらない。
「姫をもらって愛人を囲って、それから……」
何の才能もない者が夢想にふけっていると、扉の方が騒がしくなった。
ジーダイアの執事と女中を押しのけて、ミチデ=イバナンとヴァンたちが入ってきた。さすがにジーダイアも息を呑んだ。
「ッ……ミチデ様……!!」
ミチデはジーダイアのいる部屋を見回して、無言でジーダイアを詰問した。
「あ、あの、これはですね……」
ジーダイアは、豪華な品々を見られては、しどろもどろにならざるを得ない。
「お前を後継者から外すことを伝えに来た」
「えっ!?」
ミチデは、これまでの裏山の使用料と利益を払うように迫った。その額は、国王や国の要人に吸い上げられたあと、今自分の手元に残っている家以外の全財産だった。
「(ここで金を払わなければ聖なる民の称号をもらうとき、ミチデが邪魔をするかもしれない。家は手元に残るし、家財はまた買えばいい。なにせ、毎日金は出てくるのだからな)――いいでしょう、お支払いします。これからもよろしくお願いします」
ぬけぬけと恥知らずにも笑うジーダイアの顔を不愉快な思いをして見ながら、ミチデは、
「金鉱の使用権を持ち続けたいなら、明日からの金鉱の使用料も支払うように」
と、ジーダイアに告げ、執事の持ってきた金塊を確認した。ヴァンが風魔法で、その金塊を入れた木箱と、ジーダイアの家財をくるみ、ミチデの家に運んだ。
がらんとした家の中で、ジーダイアは余裕で腕を組んでいた。
「さて、明日はどんな家具を買うかな……」
しかしそのとき、金鉱長が転がりこんできた。
「ジーダイア様、大変です!! 金鉱の坑内で毒ガスが発生しました!! 八名が意識不明で、他の者もまともに立てません!!」
ジーダイアは顔色を変えた。
「なんだと!!」
「病院にいます、すぐいらしてください!!」
病院に向かって走り出そうとする金鉱長の襟首を、ジーダイアはひっつかんだ。
「馬鹿野郎!! そんなことはどうでもいい!!」
金鉱長はわけがわからず、まばたきした。
「え?」
「金鉱は!! まだ掘れるのか!!」
ジーダイアの剣幕に驚きつつ、金鉱長は手短に答えた。
「いえ、入口にまで毒ガスが充満しています。あのあたり一帯は、もう封鎖するしかないでしょう」
ジーダイアは目の前が真っ暗になった。金鉱がつぶれたのだ。毒があっては畑や住宅地にもならないどころか、林業すらできない。何も生まなくなった山を、ついさっき全財産かけて、これからの使用のためにこれまでの使用料を払ったのであった。一文無しのうえに、毒ガスに倒れた鉱員の生活も保障しなければならない。
病院で意識不明の者たちを見舞い、ふらつく者たちを見舞うジーダイアに、話のできる鉱員たちは何度も「こんなことになってすみません」と泣いて謝った。
深夜になっていた。吹雪が続いていた。ジーダイアにはこの毛皮の帽子と、コートと、何もない家しか残されていない。すべてを売っても、とても鉱員の治療代と後遺症を補償する金額には足りない。ジーダイアは終わりのない雪の降る空を見上げた。
貧民を外国で療養すると偽って、殺して裏山に埋めようか。毒ガスが出るから誰も入らない、ちょうどいい。そんな考えが頭をよぎった。殺してしまえば治療費と生活保障費はかからない。貧民が全員死んだところでこの国は困らない。
しかし、彼らが自分に感謝して笑顔で働く姿が、まぶたから消えない。
「……!!」
ジーダイアは、深夜、立派な屋敷の扉を叩いた。中から、金持ち仲間の商人が出て来た。ジーダイアは事情を説明し、借金を頼んだ。しかし、金鉱を失ったジーダイアが、金を返せるはずがないから、商人は断った。次の金持ち仲間も、その次の金持ち仲間も、全員がジーダイアの借金を断った。神に誓って金を返すと言っても、無駄だった。
翌日にはジーダイアが無一文になったことが王都中に知れ渡り、施される身分になったジーダイアに対し、人々は掌を返したように、冷たい目で、関わらないように視線を逸らした。一番金を吸い取った国王も、会ってさえくれなくなった。
ジーダイアは家を売り払い、当面の貧民の治療代に充てると、恥を忍んでミチデ=イバナンの屋敷へ向かった。ミチデは面会してくれた。金鉱のことを話し、借金の申し込みをして、床にはいつくばって頭を下げた。
「どうか昨日のお金を返してください。鉱員の治療費が今すぐ必要なのです」
ヴァンたちの見守る中、ミチデはソファに座りながらジーダイアを黙って見下ろしていた。
「ジーダイア、きっと神は私の望みをかなえてくださったのだ。ヌグラバーニィ国に危機が訪れるまで、もはや金鉱に手を出すことは赦さぬ、とな。神の罰を見て私はお前を憎む気持ちが和らいだから、いいだろう、倒れた鉱員は私が面倒を見よう。もともと私は彼らを助けたかったしな」
「あ……ありがとうございます!!」
立ち上がって何度もお辞儀をするジーダイアを見て、ミチデは表情を変えずに聞いた。
「ジーダイア。心から後悔してるなら、私のもとで働くかね」
「え!」
ジーダイアが顔を上げた。
「後継者の話はない。そのうえで、私の使用人になるかね」
ジーダイアは、貧民に落ちるしかなかった自分を拾ってくれたミチデに、涙を流して感謝した。
ところが、泣きながらまた、「この老人が死ねば、もともと身寄りのない男だから、もしかすると遺言でオレに全財産遺してくれるかもしれない。この老人の『生き方をまねできる』のはオレだけだしな」と、心の中でニヤリと笑った。
ジーダイアが身辺整理として、ミチデの使用人になったことを金持ち仲間に知らせに行っている間、セイラはヴァンに小声でささやいた。
「ヴァン、ミチデさんはジーダイアを雇ってよかったの?」
ヴァンは小声で呟いた。
「ジーダイアにはもう金を持たせない方がいい。しかしあの男は金のためなら、もはや強盗するか自殺するしかないだろう。どちらも思いとどまらせるためには、この家で飼って金がありそうなのにない、という生殺しの状態で日々を送らせるしかない」
ザヒルスが加わった。
「でもミチデさんが亡くなったときは、絶対黙ってないと思うぞ」
ヴァンは微かに笑った。
「ミチデは賢い。おそらくジーダイアに何も残さない。ジーダイアは今から黙っていられなくなるかもしれないぞ」
ソディナもヴァンを見て、三人で「え?」と、口を開けた。
また金持ちに戻れる可能性があることを金持ち仲間に示せたジーダイアは、心の中でスキップしながらミチデの屋敷に戻った。しかし、人々が屋敷の外まで行列を作っているのを見て、不思議に思いながら人を分け入ってミチデのもとへ戻った。そして、青ざめた。
ミチデは、病人や寡婦、孤児など、働けない人々のために、金銭を渡していた。人々はミチデに感謝し、屋敷を出て行った。外にはまだ順番が来ない人々の長蛇の列がある。
「毎日いらっしゃい」
と、ミチデが言っているのを聞いて、ジーダイアは卒倒しそうになった。自分が乗っ取るはずの金が、施しで毎日なくなっていくと思うと、もう気を確かにすることもできなかった。
全員が「今日の分」をもらい終えたあと、ミチデと二人きりになったジーダイアは、自分の心配をミチデの心配にすり替えて、「忠告」した。
「このままでは全財産がなくなってしまいます!」
「私が使い切ったあとは聖なる協会――つまり聖職者の協会がこの家を引き継いでくれることになっているから、私が死んだあとは彼らに仕えなさい」
ミチデは平気な顔をして、財産を失うことを全く意に介さなかった。
ジーダイアは初めてもはや打つ手なし、ということに気づいた。自分は金持ちに戻れるどころか、一生赤貧の聖職者と同じ暮らしをするのだ。
毎日続けていくうちに、人々は、財産をすべて与え尽くそうとするミチデを尊敬し、ミチデに感謝した。そして、いつからか、ミチデを聖なる民にしようという話があちこちで持ち上がるようになった。
それを道端の噂で聞いたジーダイアは、何もかも失って呆然とたたずんだ。
「(オレが、オレが手に入れたかったものが、みんなミチデの手に……!!)」
深夜、老人を殺そうと起き上がるジーダイアを、ヴァンが現れて殴りつけた。ジーダイアは、痛みに耐えかねて泣き出した。
「なぜだ! オレだって昔、施してやったのに! 物も名誉も何もかも手に入れるために、金がいっぱい欲しかったんだ! それが悪いというのか!!」
ヴァンは暗い部屋で目だけが光っていた。
「聖なる民にそんなになりたいか」
ジーダイアは食ってかかった。
「なりたいと悪いのか!!」
ヴァンは冷たい静けさの空気を出した。
「毒ガスが発生したとき、なぜ人の命より金鉱の方を心配したのか。自分しか顧みない人間を誰も尊敬などしない。汚れた心で金をばらまいて、人の心は一時買えても、人が記憶したいと思う心つまり歴史に名を遺す時の流れまでは買えない。聖なる民などといっても、金で買える名声はせいぜいお前が死ぬまでの間だけだ。それに気づけないからこの世には時に埋もれてゆく者が多いのだ」
しかし、金で解決する方法しか知らないジーダイアは、ベッドを両拳で叩いた。
「ちくしょう! みんなオレのものだったのに! オレは誰からも尊敬されて、国王も貴族も一目置いて……!!」
「だから、それは彼らの心を金で買っていたからだろう」
金がなくなったとたん、助けることも話すことさえもしてくれなくなった彼らを思い出し、ジーダイアは頭を抱えて強く爪を立てた。
「オレは……貧乏暮らしなんかごめんだ……!」
「貧乏人は生きる価値などないのか? では今のお前は生きている価値はないのだな」
「……!!」
この若く未来のある賢い自分が、一生社会の底辺で「早く死ね」と唾を吐かれながら生きていくのかと思うと、逃れて走ろうと動かずにはいられない。
「お前は生きている価値がないのか?」
「……ある……!!」
ヴァンの問いに、ジーダイアは声を振り絞った。
「お前が今恐れていることは、お前が貧者に対してそう思っていることだ」
ジーダイアが貧者を「生きる価値がない」と思うから、ジーダイアが貧者になったとき、周囲から「生きる価値がない」と言われるはずだと恐怖するのだ。自分がそう思うのだから、周囲も同じことを思うだろうと考えて、だ。
「だが、全員ジーダイアと同じように考えていたかな? 少なくともミチデは貧者にそう思わなかったのではないのか?」
ジーダイアは、貧者に裏山を開放していたミチデを思い出した。金鉱を発見されてしまうかもしれないのに。山には果実の実りもあったのに。貧民が木の家を建て、薪のために木を伐り倒して生活することを許した。
「貧民に生きてほしいと願ってた……!!」
ジーダイアは、初めてミチデという人物を知った。昔は、その行いのことを、単に貧者がありがたがる様を見て自己満足している、ただの金持ちの年寄りの道楽か何かだろうと思い、特に興味を持たなかった。ただ気に入られようと、従うふりをしていた。しかし、ただの道楽で、自分の全財産をなくすまでできるであろうか。もっと別の理由があったのではないだろうか。それは一体、何だったのか。
自分が貧民になって、ジーダイアは、ミチデがジーダイアを助けてくれる理由を、どうしても知りたくなった。
ヴァンが助言した。
「ミチデのすることを、今度はしっかりと、隣で見ていろ。きっと答えを教えてくれる」
ジーダイアは、答えが欲しくて子供のように泣き出しながら、うなずいた。
翌日もミチデが人々に心から施している。そして、人々に心から感謝されている。ジーダイアの心は、もう金が減っていくことに関心はなかった。
「オレだけじゃ、使い方に気づかずに、あり余る金と共倒れになっているところだったのかもしれない」
と、ミチデの一挙手一投足を真剣に見つめながら、呟いた。
「ん?」
ミチデが、ふとジーダイアを見上げた。
「なんでもありません」
ジーダイアは穏やかに答えた。そして、
「でも、いつか言えるかもしれません」
と、笑顔を見せた。
屋敷の外で、長く続く行列を見ながら、ザヒルスがヴァンに聞いた。
「ジーダイアは最初悪さしたのに、どうして赦してやったんだ?」
ヴァンは屋敷を見上げた。
「あいつは毒ガスに倒れた鉱員を見捨てなかった。悪人だったが、まだ救いようがある。きっとミチデから学べる」
ザヒルスが両手を頭の後ろで組んだ。
「ははっ、先生がいてよかったなあ、あいつ!」
そこへ、国王以下兵士たちが武器を構えて列を作ってやって来た。ミチデの金をもらった貧民たちから、金を奪っている。騒ぎに気づいてミチデとジーダイアが出て来た。国王が言い放った。
「ミチデ=イバナン! 其の方、ジーダイア=マルゼオの金を横取りし、余ではなく貧民に分け与えるとは、不届きなり! 王の代わりに民を手なずけ、働いて社会に参加することがない役立たずに無駄金を払うとは、国力を削ぐ国賊である! 有意義な金の使い方は国王が知っているものである! 今すぐ余計な施しをやめ、全額国に献上するように! これは命令である!!」
こんなときだけオレを利用するのか、と、ジーダイアがかっとなったとき、ミチデが反論した。
「恐れながら申し上げます! 本来貧者への施しは、国家のすべきことでございます! 陛下は、貧者になった者は餓死せよと仰せられますか! そもそも、貧者になる理由は人それぞれでございます! 一度貧者になったからといって、一生が決まるのでございましょうか! 人は、生きていれば何度でもやり直すチャンスがございます! 一度の失敗で二度と浮かび上がれない人生を決める社会は、おかしいと存じます! 傷だらけの人生こそ、正しい人間を生み出すものと、私は信じております!! 人の痛みがわかる人間こそが、最も完成された社会を作り、その一員となるのです!! 金を稼ぐ人間だけで社会をまわしては、その失敗の許されない社会は必ず滅びます!! 人の心が伴わないからです!!」
しかし、金鉱を失った国王の怒りに対し、火に油を注ぐ結果となった。
「余に逆らうばかりか、意見するか!! 誰が貴様の胸中など披瀝していいと申した!! 不敬罪だ!! 引っ捕らえろ!!」
ミチデが兵士に取り押さえられるのを、ジーダイアが必死にかばった。
「お待ちを!! 金鉱の責めは私が!! どうかミチデ様はお許しを!!」
国王は苛立った。
「ジーダイア、この運無しめ! 貴様が神への信仰を怠るから、せっかくの金鉱に毒ガスが出たのだ! 面倒だ、二人まとめて死刑にしてやる!!」
ジーダイアにも兵士の手が伸びたとき、
『そうだ。果てしなく突き進め! 欲望のままに!』
突然声が空から降ってきた。降り続ける雪が、別のものに変わった。セイラが両手の上に載せてみると、なんとそれはピンク色の、マカロンという名の、厚みのある円盤形の二枚の皮の間にクリームを挟んだお菓子であった。
「マ、マカロンだあー!」
ピンク色、黄緑色、黄色、水色……マカロンが雪のように降ってくる。セイラとザヒルスとソディナは、おいしくてかわいいマカロンに大はしゃぎである。
「……マカロン?」
ヴァンの目には、相変わらずただの雪に見える。国王や兵士、人々には、叫び声から察すると、金貨に見えているようである。
「幻覚!? 何者だ!!」
『なんだ、つまらん。私の力を受け取れぬ者があるとは』
空の雪が一箇所に集まり、真っ黒に染まった。それが形を成したとき、それは四神五柱が一柱、白虎の姿をとっていた。
「白虎……!!」
またも阿修羅の創りし神が現れて、阿修羅は胸がしめつけられる思いがした。
黒白虎は高らかに宣言した。
『我が名は七つの大罪が一つ、貪欲なり!! さあ、皆の者、すべてを自分のものにせよ! 誰にも分け与えるな! 一つでも失えば体を切り取られたと思え!!』
人々は、金貨を見れば見るほど欲しくなり、全身でかき集めていた。そして、降ってくる金貨が多すぎて抱えきれないので、自分のものにできないもどかしさから、気が狂ったように叫びだした。さらに、人々が集めようと動くたびに他人の金貨の山が削れるつまり金貨が減るので、削られて減った側は黒白虎の呪い通り、本当に体の一部を切り取られるような激痛が走り、絶叫した。
金貨は果てしなく増え、人々はもう持てないので、もっと持ちたいという自身の金欲と衝突し、この解決方法を考えるためにそれ以降の思考は停止状態に陥り、肥大した金貨の山が崩れて一枚でも失われれば激痛が走るので、もはや一歩も動けなくなった。
ヴァンは、国王以下、人々が金貨の夢を見せる雪に埋もれていくのを見た。一方セイラたちは、
「もう十分だからあとは他の人たちに分けてあげよう」
と、言って、空中で雪を受け止めて籠に入れている。三人には未だにマカロンに見えているようだが、楽しくマカロンの中を踊っている。
黒白虎が、冷静なヴァンに怒った。
『なんだ貴様は。金が欲しくないのか! 欲のない者など、この世に生きる価値はないぞ!』
ヴァンは阿修羅の星晶睛の瞳で黒白虎を見つめた。
「この世の命は、金の欲望だけで生きているわけではない」
黒白虎は牙をかち鳴らして、笑った。
『ははは、嘘つきめ! 金がなければどうやって食べ物を買うのだ! 服も、家も、誰が自分を乞食にしてまで恵むというのだ! 偽善者め! 金が世界をまわしているのだ! 金が何もかも、信念の道の方角まで決めるのだ! 命はこの事実から目を背けることはできない!』
それを聞いた途端、阿修羅が怒鳴った。
「控えよ偽の白虎!! この世界に金に支配されない命が生まれないと申すは、我が兄者への侮辱である!! 世界において富める者は虐げたものを想い、貧しき者は次成功したとき世界により優しさをもって関わるために金の量に差があり、また働くことによって世界が進化するから、金が必要な世界となっているのだ!!
だからといって、金ですべてを決められると思うのは、小賢しい者の思い上がりである!! 神は、金の誘惑で信念を曲げる者たちと共にはいない!!
知れ!!
世界には、一文にもならなくても皆のために戦う者たちが、残っている!!
金を稼ぐことだけが幸せの道ではないことを知っている、世界中に散らばるその戦士たちと、神は共に在る!! その戦士たちの成したい望みをかなえるために、神は必ずその戦士たちを護るのだッ!!」
黒白虎は神が共にいないと言われて、全身の毛が怒りで逆立った。
『そんな戦士がどこにいる!! 貧民の中か!! 私の金貨に埋もれているのにか!! だが将来を悲観してやぶれかぶれで戦士に目醒めないとも限らん!! 今殺してくれよう!!』
黒白虎が貧民に躍りかかった。阿修羅が叫んだ。
「偽白虎!! 金と力で世界に関わること、神に背くことと知れ!!」
阿修羅はさあっと神刀・白夜の月を抜くと、白虎神紋を黒白虎に刻印した。すると、黒白虎がぱあんと弾けた。
人々は幻覚が消え、雪に埋もれていることに気づいて、慌てて脱出した。
阿修羅の星晶睛からヴァンに戻り、ヴァンは国王のそばに立った。
「お前は今、貪欲の末路を体験したのだ。自分の稼ぎに対して、『もっと持ちたい』と『もう持てない』が際限なく繰り返される不毛と、一文も使いたくなくなる苦痛が同居する。何もできなくなるのが貪欲の正体だ。将来またこうなりたいならミチデの金を持っていけ。だが天はそれを覚えているぞ」
国王は、ミチデの金を強引に奪おうとしてこうなったので、気味が悪くなり、関わらないことに決めた。
「金鉱から毒ガスが出たし、あいつに関わる金は呪われている」
国王は兵を率いて帰っていった。
ミチデはその「呪われた金」を存分に使い、人々を救った。
「ジーダイア。ありがとう」
ミチデに感謝されて、ジーダイアは恥ずかしそうに笑った。
阿修羅の『乾坤の書・影』が光り、頁をめくると、
『七つの大罪・三・貪欲・終』
と、書かれていた。そして、天から三枚のカードが降りてきた。タロットカードの「運命の輪」と、「女教皇」、「女帝」であった。セイラは、「運命の輪」は幸せな時期と不幸せな時期は交互にめぐるという力、「女教皇」はロマンチックな思いの力、「女帝」は芸術、繁栄の力を持っているとわかった。
そしてセイラはタロットカード・星の紺色の光で、毒ガスを浴びた鉱員たちを回復させた。
全快した人々とジーダイアとミチデが喜びあっている声を聞きながら、ヴァンたちはヌグラバーニィ国を去った。




