二通りの糸第三章「決闘狂」
登場人物
阿修羅(ヴァン=ディスキース)。神の発音で「あじゅら」、人間の発音で「あしゅら」。邪闇綺羅(神の発音で「じゃぎら」、人間の発音で「じゃきら」)の弟。神刀・白夜の月を持つ。神に背いた罰を受け、この世界ではヴァン=ディスキースと名乗って旅をする。
セイラ=サザンクロスディガー。栄光の都レウッシラで阿修羅が助けた星羅と同じ姿をしている。歌姫。
ザヒルス。十五才。ザヒルス村の領主で、斧使い。
黒魔。星の持つ、憎しみと絶望の権化。すべての命を喰らい、すべてを葬ろうとしている。
ラウクゼーク。ラウクゼーク教の教祖。死亡したが、ラウクゼークの広めた教えが残っている。
第三章 決闘狂
「ラウクゼーク様がこの世界に色を取り戻したことを忘れてはなりません。ラウクゼーク教が黒魔と通じていたというのは、よその宗教が流した嘘です。真実を知ってラウクゼーク教を信じなければ地獄に落ちますよ」
ラウクゼーク教の残存者は、信者の減少を必死に食い止めようと、嘘をついて布教しているようだ。
宗教組織というものは、信者に他宗教に改宗されるのを最大に恐れる。だから「物語」を作って神を完全無欠にし、地獄や天国など死後の世界で誰にもよくわからないことを使って、脅す。現世のことはどの宗教の教祖にも――教祖にすら、わからないから、現世のことで脅すことができない。だから死後の世界を物語って脅すのだ。
悪事を働けば、教祖でさえも天罰を受ける。
それを隠すために、「悪魔が攻撃してくるので難儀している」とだけ言い、死後の世界の「物語」だけ滔々(とうとう)と語り、人々を脅すのだ。「悪魔が攻撃してくるので難儀している状態」を、「どう解決して悪魔が負けるのか語ることができないのが、その証拠である」。「教祖は、現世で起こることを予言もできないし、知らないのだ」。
だから、現世のことを救わないで、死後の世界を人質に取って信心を迫る宗教は、疑いの心を持って見つめるべきである。
一部の人間から聞くだけ、ではいけない。必ず、お金を払ってでも、自分の足、手、目、耳で自力で情報を得なければならない。
人は、自分を守る、自分に都合のいいことしか、言わない。
人が他人に言わないことは、言うことより多い。
だから、自分から動いて、世界の真実を見抜いていかなければならない。
それができた人間だけが、次の世界を作っていける。
真実を歪めたままの世界で、真実を知る特権階級としてうまみを吸おうと思ったら、古い世界に永遠に取り残される。次の世界に、その者たちは必要ないからだ。
新しい世界を自分たちの手で作りたかったら、真実を暴くこと。良いものも悪いものも暴くこと。
そして、それに対して自分の答えを持つこと。
それが世界のためになるなら、次の世界で主流をなす一人になれる。
「嘘をつかれた人間は、嘘をついた人間に負けないように、なんでも調べなければならない」
ヴァンは、ラウクゼーク教徒のふりをしてヴァンに布教している黒魔を斬った。
「ラウクゼークが死んだ今、ラウクゼーク教を広めて得をするのは誰だ? 黒魔だけだ」
ヴァンは神刀・白夜の月を体の前で一気に回して満月を象った。聖なる剣振の音が、場を清めた。黒く汚れた空間が、晴れていった。
「黒魔とつながっているという情報がなければ、人を疑うことを知らない善人は、だまされてしまうだろう。人を疑わないのは子供の間だけで充分だ。大人になったら半分疑い、用心しろ。本物の悪人は優しい仮面を必ず持っている」
ここはレドゥリア国の隣、ハザント国だ。ラウクゼーク教はそこかしこに潜んで、活動しているのだ。
そのとき、道に沿った深い森から、何かを叩く音が聞こえてきた。
ラウクゼーク教の黒魔が人々に危害を加えているのだろうかと向かってみると、若い男が一人、鉄の手袋をはめて、大きな鍋の中で、何かを釘とハンマーで割っていた。鍋には水が張られていて、底に砕けたものが沈んでいる。
青い短髪に、革のベスト、黒いシャツ、下着に鎖帷子を着ている。肘から指先、膝から足先まで鉄の防具で覆われている。
青年の傍らには、もう一つの鍋の中に血を流して死んでいる爬虫類二体と、黒と紫のまだら模様の入った直径十センチの卵が、五個ばかり並んでいる。青年は、卵を鍋の水の中に入れ、釘をあてがって水の外からハンマーで打ち、卵を水の中で割っていた。
ザヒルスが一方的に自己紹介をしてから、声をかけた。
「何してるんですかあ?」
青年は止まって、深刻そうな顔で見上げた。
「危険ですから離れてください。この卵は猛毒なんです」
「大丈夫だ。セイラが回復してくれる」
「はいっ! ヴァン、がんばります!」
ヴァンに期待されて、セイラが気合を入れた。
「回復魔法の使い手ですか。じゃ、今日は心強いな」
青年は前髪をさらさらと風になびかせて笑った。青年はまた一つ卵を取った。
「僕の名前はトゥオ=ワァキルといいます。このハザント国の住人です。かつてレドゥリア国のスパイが、この国に生物テロを起こそうと、猛毒トカゲを多数、密かに放しました。このトカゲを食べた生物は、猛毒を持つようになってしまうのです。そしてそれが死んだ土地も、猛毒に汚染されます。
レドゥリア国は、ハザント国の食糧生産を壊滅させ、食糧供給分野を握ってレドゥリア国に対して戦争を仕掛けられないようにしようとしたのです。兵糧がなければ、進軍も防御もできませんから。本当に、悪人の国でした。レドゥリア国がラウクゼーク教に滅ぼされたとき、ざまあみろと胸がすっとしましたよ」
トゥオは水の中の卵を釘で割って、一つため息をついた。
「それでも、一度繁殖し始めた猛毒トカゲは、未だに完全に駆除できていません。僕は見つければ剣で斬ったり、罠を仕掛けたり、こうして卵を壊したりしているのですが、とても追いつきません。本当に、他国に回復できない傷を与えたレドゥリア国なんか、永久に国なしのままでいい。あんなところは国じゃない、悪人の群れだ!」
傷を受けた者だけは、相手に復讐することを許される。
「他国を壊そうとする者は、自国を壊される。神様はちゃんといたんだ。僕はそれがわかって嬉しいですよ」
トゥオは、また一つ卵を割った。
「お前以外に駆除する仲間はいないのか」
「僕一人だけです」
トゥオは、ヴァンを見上げた。
「僕は、これくらいしかできないからです……」
どこか諦めの色が見えた。
すべての卵を割って、猛毒の水の入った鍋と爬虫類の入った鍋を抱え、王都ハザスへ運ぶ。王都を囲む城壁のうち、城の裏にある、石造りの石段つきの浴場に、猛毒の水を流した。五十メートル四方の浴場に、足のくるぶしまで浸かりそうなほど、猛毒の水がたまっている。
「ここはもう使われていない浴場です。兵士たちの訓練後の水浴び場でした。今は猛毒の水をためて、敵が攻めてきたとき活用するそうです」
トゥオは、王都ハザスの門をくぐった。すると、中年のおばさんが声をかけてきた。
「トゥオ! 今日は何匹?」
「二匹と卵七個です」
トゥオが答えると、周りの人々はおお! と喜んだ。
「いつもありがとう! うちの卵七個持っていきな!」
「うちのトマトも七個持ってってくれ!」
「長パン二本、ほら!」
トゥオにみんなが物をあげたがっている。
「お気持ちだけで充分ですよ。お金は国王陛下からいただいていますし」
しかし、トゥオが断っても人々は引き下がらない。
「命がけで猛毒トカゲと戦ってくれてるんだ、お礼はさせてよ!」
「みんなの英雄に物をあげられるなんて、私たちにとっては名誉なことなんだから!」
「さすが英雄ドゥズの子だね!」
「みんなが恐がってやらないことを一人でやってくれて、大した子だよ!」
大人たちがトゥオを囲んでいると、馬車が通った。中の人間が、人々に気づき、中心にいるトゥオを忌々しそうに見ている。馬車を止めると、外に出て来た。
「あっ! 王子様!」
人々が騒ぐのをやめて、道をあけた。
黄色がかった茶色の髪。目の上でV字型に切りそろえられた前髪。太ももまでの黄色いワンピースにベルトを締め、茶色い膝上ブーツをはいている。胸に五つの赤い玉が五角形状につけてあり、玉の中心を通る線でつながっている。白い手袋をはめ、房飾りのついた赤いマントを着ている。睨み上げるたれ目の、十三才くらいの少年が歩いてきた。
「今日はどのくらい退治した」
トゥオはかしこまって、片膝をついた。
「は、王子様、猛毒トカゲ成体二匹と、卵七個でございます」
王子は大きな成果にも驚かないふりをした。
「ふーん、ざっと七、八万キーンといったところか。あとで払ってやるよ」
「ありがとうございます」
ザヒルスは、王子がトゥオに感謝せず、逆に感謝させているので腹が立った。
「なんだあのガキは、偉そうに」
隣のおじさんが「しーっ」と慌てて小さく手を振った。
「あの方はハザント国の王子、ペッズリ=ハザント様だよ。睨まれたらとんでもないことになる」
「どうなるの?」
ペッズリは口の端を、小馬鹿にしたように上げた。
「トゥオ、お前も大変だな。レドゥリア国なんて終わった国がまいた種を、生涯かけて刈り取らなけりゃならないんだ。もっと他の人生もあったろうになあ。復讐したくてもレドゥリア国はもうない。どこにも怒りをぶつけられなくてかわいそうに。この国の犠牲になってくれてありがとう。せいぜい長生きして、トカゲを全滅させるまでがんばってね」
猛毒トカゲの生物テロを未然に防ぐのが王家の役目だったのに、それができずに今の国難を招いたのはてめえだろ、と周囲の国民は全員思った。そして、未来ある若者トゥオが、こんなトカゲ獲りで人生を潰されるのを憐れに思った。
さすがのトゥオもむっとして、言い返した。
「――人々を守るのは、父の教えですから」
ペッズリはキッとたれ目に影が入ると、トゥオから視線をそらした。
その視線の先に、偶然セイラがいた。
「か……かわいい……」
ペッズリは、ふらふらとセイラに近寄った。
「お前、名はなんという」
「セイラですが……」
「セイラか! 私の側妻にしてやる! 来い!」
ペッズリは、ぐいとセイラの腕を引っ張った。
「えっ!? 何を言っているの!?」
「何を拒むか、不届き者! お前たちも、この女を馬車に入れるのを手伝え!」
「や、やめてください!! 何を考えているの!!」
王子を手助けしようと兵士たちが走ってくる。必死に踏みとどまろうとするセイラに、ペッズリが顔を近づけた。
「私のものになれば、栄耀栄華は心のままだ。金の杯が欲しいか? ルビーもエメラルドもくれてやるぞ」
「いらない!!」
「私に逆らうな!!」
ペッズリが手をあげようとすると、ヴァンがペッズリの頬を殴りつけた。ペッズリは三メートル飛んだ。そして、硬い石畳に頭をバウンドしてから倒れた。
周囲は騒然となり、兵士たちは剣を抜いた。
ヴァンも腹が立っていたので、全員殺すつもりだった。
「(私の祝女に、手を出したな!!)」
セイラは自分のせいでヴァンが、と震えたが、助けてくれたこの人に一生――と、覚悟を決めた。
ヴァンと兵士たちが一触即発、というとき、トゥオがさっと間に入った。
「兵士の皆さん、ヴァンさんが本当に悪いと思いますか。あなたたちは、ただ国から給料をもらっているから、今、剣を抜かざるを得ないのでしょう。幸い王子は今、失神しています。ヴァンさんたちがこの国から逃げたことにして、この場は収めませんか。僕の見立てでは、あなたたちと王子の方が殺されます。王子を殺されたら、国王陛下はあなたたちの家族に復讐します。違いますか?」
兵士たちは顔を見合わせた。ヴァンはトゥオに免じて殺すのを思いとどまり、代わりに剣を一振りした。風圧で馬車が真っ二つになった。兵士たちは飛び上がって、王子を抱えて逃げだした。都の者たちはげらげら笑った。
「トゥオ、お見事!」
「互いの力を見抜くなんて、さすが英雄ドゥズの息子だ!」
「本当はあんたみたいな子が王子になってくれればよかったんだけどねえ」
人々は、しいんとしてしまった。
トゥオが、その場の空気を破るように、ヴァンたちに話しかけた。
「さあ、本当にこの王都から逃げてください。みんなで口裏を合わせますから」
「わかった。騒がせたな」
ヴァンたちは、王都を出た。しかし、ヴァンは次の国に行かなかった。
「トゥオのことが気になる。今夜、話を聞きに戻ろう」
セイラとザヒルスも同意し、夕方まで森の中で過ごし、ヴァンの風でトゥオの家を探し当て、再び訪ねた。
「戻ってはいけません、兵士たちが捜し回っていますよ!」
トゥオは、急いでヴァンたちを石壁の家の中に入れた。ヴァンは、トゥオに尋ねた。
「人々が、お前が王子になればと言ったのは、どういう意味だ」
トゥオは、しばらく、卵を割るときに使う鉄の手袋が干してあるのを眺めていた。
「この国は、二人の英雄が建国しました。パルパ=ハザントと、トゥカ=ワァキルです。二人も王がいるわけにはいかないので、ハザント家が王の家系となり、ワァキル家が将軍の家系となることにしました。さっきのペッズリは、ハザント家の血筋の者です。
僕の父ドゥズは、数々の戦争で勝ってきました。民衆は王より、勝つ将軍の方に従い始めました。お互い英雄の血を持つ者として、ワァキル家がいつ国民に推されて王位につくかわからない。イドザ=ハザント王は、疑い深い人でした。時代が下って英雄の血が薄れ、自分に自信のない人間が王になっていたのです。
イドザ王は父ドゥズを戦争以外で貶めました。僕を実力の伴わないうちに将軍の権限で騎士にし、軍のエリートコースを歩ませるため最年少の称号つきで王立学校に入れようとしているなどと、嘘をついたのです。父の人物を知っている国民は信じませんでした。しかし、初めに罪ありきで、国民の入れない上層部だけの審議で、有罪を決めてしまい、父と僕は庶民に落とされました。
父は戦い以外のことは素人で、政府に何度も訴えました。でも、政府が腐っていたら、そんなものは無意味です。真面目な父は悲嘆に暮れ、心痛で病を得て、それがもとで亡くなりました」
「民衆は、お前を待っているのではないのか。父の敵を討とうと思わないのか」
ヴァンの問いに、トゥオは答えた。
「憎しみはあります。ただ、それを果たそうとすると、王と王子のみならず、彼らに戦争で勝利をもたらした父を守ろうとしなかった、貴族と政府全員を殺すことになります。僕は、迷っていました。そんなに殺していいのか、しかしどんなに建国の名門でどんなに頭脳が優秀でも、この国を彼らに任せていては、間違った方向に向かうのではないかと。ただ、一方で、猛毒トカゲを誰も駆除しないので、僕が勇気を出して退治しなければと思って、毎日、トカゲと戦う方を選んでいるのです。
このままではいけないと思いながら、しかし、誰かがやらなければならないことが目の前にあって、それを見過ごすことができないのです」
「(この国は、この男の使い方を間違えている)」
ヴァンは、その言葉を呑みこんだ。そして、
「お前は英雄の重圧から逃げている」
と、指摘した。トゥオは、目を大きく開いた。
「トゥオ、お前は父の敵で皆殺しにすべきか、国のために何人か生かしておくべきか、本当は決めなければならないのだ。国を守る方をと選んだ結果に責任が持てるのなら、決断せよ。歴史は決断した者のものだ。歴史とは何か。民族が滅びず、続くことである。決断が失敗したら滅びよ。オレは、そのとき、お前をきっと周囲が助けてくれると思うがな。
決断できないなら、一生このままだ。どこへ逃げても、一人もその手で救えない男が一生一人いるだけだ!」
トゥオは決断を急に迫られて地面が歪んだ。父のような人を二度と出してはいけない。父の敵を討つのか。全員殺して新しい政府はどうする。人材のあてはあるのか。軍部のみの軍事国家になるのか。何人か見逃すとしたら誰を。そいつは裏切らないのか? 父を裏切ったくせに。
そのとき、人目を避けるように控えめな、しかし急いでいるようなノックの音が扉からした。
扉を開けると、フードつきのマントをまとった、細く背の高い男が転がりこんできた。
「あなたはゴロカヂ=フィエグニドア。貴族のあなたが、供もつけずにこんな夜分に、どうしましたか」
「うるさいトゥオ=ワァキル! 責任を取れ!」
ゴロカヂはフードつきマントを取り払った。両耳の上でまとまって跳ねる短髪。細い口ひげ。胸に白いフリルのついた、太ももまでのワンピースに、刺繡の入ったベルトをしている。白いタイツに、足首にフリルのついた革靴をはいている。額と目の下に皺の入った、五十代の男だ。背はひょろ長いが、ヴァンよりは少し低い。
「僕はあなたに恨まれる覚えはありませんよ」
トゥオが冷静にたしなめた。ゴロカヂは早口でまくしたてた。
「王子にはあるんだよ! トゥオ、お前、今日王子を殴った男を逃がしたな! 王子は目が覚めてから怒り狂って、その男が見つからない腹いせに、『また』決闘をして気を晴らそうとしている! 『今回』指名されたのが、私だ! どうしてくれるんだ、私はこの年で刺し傷など受けたら、完全に回復するかどうかわからん!!」
ヴァンの目が光った。
「『また』? ペッズリ=ハザントは決闘ばかりしているのか? その割には強そうには見えなかったが。傷痕も一つもなかった」
ゴロカヂは、ヴァンをトゥオの知り合いとみて、苛立ちながら説明した。
「王子は決闘狂なのだ。自分の気に食わない部下がいると、言いがかりをつけて決闘を申し込む。受けた方は、相手が『王子』なので、傷もつけられない。王子はそれを見越して、様々な気分で殺したり、刺し傷をつけたり、どこかを斬り離したり――自分のつけた傷が治った頃、また同じところを刺したり――」
言いながら、ゴロカヂは気分が悪くなり、怒りが奪われていった。ヴァンが清い声で聞いた。
「なぜ反乱を起こさないのだ」
ゴロカヂは苦しそうに視線を逸らした。
「建国の英雄の血筋には逆らえない。自分たちがこの国で暮らしていられるのは、すべてパルパ=ハザント様とトゥカ=ワァキル様のおかげなのだから」
「民を喰ってもか?」
「えっ!!」
ゴロカヂとトゥオが激しく驚いてヴァンを見た。ヴァンはゴロカヂに尋ねた。
「お前はそれで、何が望みでここへ来たのだ。死ぬ前に恨み言を言うためか」
「違う……。決闘は代理人を立ててよいことになっている。私はトゥオに、責任を取って私の代理人として、王子と戦ってほしいと思ってここまで来たのだ」
トゥオが覚悟を決めて返事をしようとするより早く、ヴァンが返答した。
「オレがやろう」
「えっ!? 反撃できないのだぞ!? 殺されるかもしれないのだぞ!?」
「ヴァンさん、殺してはいけません!!」
ゴロカヂとトゥオが強く迫った。
「任せておけ。トゥオ、お前も来い」
ヴァンは、ゴロカヂに貴族と政府関係者を集められるだけ集めろと告げ、帰した。
翌日、城の広場に、ヴァン、セイラ、ザヒルス、トゥオ、ゴロカヂと、貴族と政府関係者、ペッズリ=ハザントとそれを取り巻く騎士五十名が集った。ペッズリの父親らしく、ペッズリが老いたような顔をした国王、イドザ=ハザントも、王冠をかぶって、玉座の間のバルコニーから見下ろしている。
ペッズリはヴァンを見ていきりたった。
「昨日はよくも!! この国に舞い戻って来たことを後悔しろ!! この国では私が法だ!!」
騎士たちが決闘場となる範囲を囲った。セイラやザヒルスも囲いの中に入っている。ヴァンに近い騎士が囁いた。
「王子に傷一つでもつければ、お前たちの命はない」
そして、苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「王子に負けろ。上手に斬られればいいんだ」
その騎士の手首には、古傷があった。
ペッズリは五十名の騎士の威勢を借りて、高らかに宣言した。
「お前のような粗暴者を殺し、この国を救ってくれようぞ! セイラもいただくから、そのつもりでなあ!」
ヴァンは広場の中央に立った。
「お前の頭は昨日よくバウンドした。空気しかつまっていないからか。来世はボールになれ」
昨日の様子を見ていた何人かの騎士は、思わず吹き出した。ペッズリは殴り飛ばされた屈辱を思い出し、顔を真っ赤にして、斬りかかった。
「不敬罪で、死ねえー!!」
ヴァンは、さあっと神刀・白夜の月を抜くと、ペッズリの剣を払った。ペッズリはバランスを崩して、ととと、と通り過ぎた。しかし、ヴァンは何もしなかった。後ろに来たペッズリの方に、向こうともしない。
「おのれ、私の剣を刃こぼれさせる気か!! 庶民の分際で!!」
ペッズリは斜め後ろから斬りかかった。ヴァンは白夜の月の刃が小指側から伸びるように持ち替えると、ペッズリの剣を前方に弾いた。ペッズリは、また、ととと、とヴァンの脇を通り過ぎた。
ペッズリの剣がヴァンの刀に弾かれるたび、ペッズリは滑稽な足踏みで、ととと、ととと、と踊らされている。人々は、あれ、と思い始めた。
ヴァンは、ペッズリが走って斬りこんでくるのに対し、一歩も動かない。視線すら向けない。ただペッズリが刀に払われて、走り回っているだけなのである。
ペッズリは一度も斬れないので苛立って、全力で斬りつける。すると、ヴァンに強い力で刀を振るわれ、高い金属音を出して、剣ごと弾き飛ばされるようになった。何度も剣と王子が宙に舞いだし、周囲はざわざわしだした。
「抵抗するなあ!!」
何度もつっかかって跳ね飛ばされるペッズリに対し、ヴァンは最初から上半身すらも動いていない。ただ、かかってくるペッズリの剣を弾くだけだ。ペッズリは周囲のざわめきでようやくそれに気づき、恥と怒りで頭に血が上った。
「貴様、よくも私を皆の前で!!」
そして、めちゃくちゃに剣を振り回した。
「動け!! 動け!! 動けー!!」
ガインガインガインと、剣が何度も叩きつけられる。ヴァンの白夜の月の切っ先が、ペッズリの喉をとらえた。
ペッズリは、うぐっと息を呑んだ。
「動いていいのか?」
ヴァンの問いに、ペッズリは答えられない。
「動いていいのか?」
ペッズリは、喉に吸いつけられた冷たい刃のために、動けない。そして、へなへなと尻を地につけた。
「疲れているようだが、まだ続けるのか」
ヴァンは淡々と問うた。
「いや……もういい」
ペッズリが負けたのを確認すると、ヴァンが宣言した。
「オレは決闘に勝った。ペッズリ王子の命を奪おうと思う」
一同がどよめいた。騎士たちは剣を抜いた。国王イドザ=ハザントが立ち上がった。
「大逆罪となるぞ。死刑の覚悟があるのか」
「ならお前も殺す。そうすればこの国は自由だ」
自由と聞いて、また一同が騒いだ。イドザ=ハザントも、驚いた。
「この自由な国に、なんという言いがかりをつけるのだ!」
しかしヴァンは告げた。
「イドザ=ハザント、お前は小人の故に建国以来の友・ワァキル家を追放した。息子ペッズリ=ハザントの行いを正せないことから、小人とわかる。一つ言っておくが、建国の祖パルパ=ハザントとお前は別人だ。血を受け継いでいるからといって、お前が無限に許され王としてまつりあげられる資格があるわけではない。王の血であろうと、王の資格を持たない者は倒される。王ならば、人々の期待に応えるために、すべてに努力しなければならぬ。人々を自分の欲望のために貪り喰らってはならぬ。それは倒されるべき、悪である。
安定した未来を約束された人間など、この世に一人もいない。
私は来た。実った悪果を、食らうがよい」
ヴァンは、風魔法でイドザ=ハザントをバルコニーから落とした。息子の隣に降ろし、王冠を取り上げた。そして周囲に話しかけた。
「オレは今、この二人を殺すことができる。しかし、建国の祖の血を絶やすことを、お前たちは望めまい。よって、オレはこの二人の命を助ける代わりに、ある仕事を罰として与えたいと思う。猛毒トカゲを全滅させるまで、庶民に落とす。どうだろう」
父子が抗議した。
「そんなもの、一生かかってもできるわけがない!!」
「私は王だぞ!! そんなことにかまけていられるか!!」
一同は、黙った。王の無策のせいで、生物テロの猛毒トカゲの侵入を防げなかった。自分で尻拭いをするならちょうどいい。また、王子は暇さえあれば決闘ばかりしている。何かさせていた方が静かな日々が訪れて、いい。
「お前たち!! この男を殺せ!!」
父子に命令されても、一同はすぐには動かなかった。
「その間、王は誰がなるんだ?」
と、逆に聞いた。ヴァンは即答した。
「トゥオ=ワァキルだ」
一同は、恐怖を覚えた。トゥオの父親を陥れた自分たちに、必ず復讐してくると思ったからだ。ヴァンは続けた。
「ワァキル家が王位につくことに不満なら、今のうちにハザント父子の側にまわれ。ハザント家について行きたい者は、この二人の猛毒トカゲ退治を最後まで手伝え。敵になるか味方になるか、全員ここではっきりさせろ」
貴族と政府関係者は、給料も払えないうえに猛毒の扱いで命の危険のあるハザント家の側には、つかなかった。
つまり、命を捨ててまで従うつもりはないと、意思表示をした。それは同時に、ハザント家への忠誠がその程度だったことを意味した。
「(戦場で父に命を預けてついて行った者は、たくさんいたのだ)」
トゥオには、それだけが慰めだった。
ヴァンが一同に教えた。
「これから先、万が一傷つけられない高い身分の決闘狂が現れたら、オレの戦法を使え。その者が王に訴え出ても、その方の剣技を鍛えておりましたと言って、全員で団結しろ。お前たちはもう高い身分の者の見世物の『罪人』ではない。見世物の罪人は、決闘をするたび、その身分の高い者がなるのだ。負け方も勝ち方も、一つではないのだ」
トゥオが王冠をかぶり、ヴァンに一礼すると、城を出て行った。にわかに沸き起こる拍手を聞きながら、ヴァンは力なく座っている父子に語りかけた。
「英雄を思い出すラストチャンスだ。レドゥリア国に感謝する人間もいるということだな。世界はつながっている」
そして、次の国へ向かった。




