神の強制第五章「十全(じゅうぜん)の章授(しょうじゅ)・三章・黒魔の相棒」
登場人物
阿修羅(ヴァン=ディスキース)。神の発音で「あじゅら」、人間の発音で「あしゅら」。邪闇綺羅(神の発音で「じゃぎら」、人間の発音で「じゃきら」)の弟。神刀・白夜の月を持つ。神に背いた罰を受け、この世界ではヴァン=ディスキースと名乗って旅をする。
セイラ=サザンクロスディガー。栄光の都レウッシラで阿修羅が助けた星羅と同じ姿をしている。歌姫。
ザヒルス。十五才。ザヒルス村の領主で、斧使い。
コーネ=コップス。回復魔法で一度に千人を治療できる、一騎当千の大賢者。
黒魔。星の持つ、憎しみと絶望の権化。すべての命を喰らい、すべてを葬ろうとしている。
ラウクゼーク。ラウクゼーク教の教祖。教えに従わない地を侵略している。
第五章 十全の章授・三章・黒魔の相棒
ラウクゼーク教が最初に人々に認識されたのは、レドゥリア国の灰沼の近辺であった。灰沼は灰色の泥の沼で、国土の四分の一を占める。
周辺の町の人々は、急に軍勢が現れたと言うが、灰沼の近くで鳥の猟をしていた者は、灰沼から船が浮き上がってきて、中から武装した兵隊が出てきて上陸し、ラウクゼークのテントと共に進軍していったと証言している。
「しかし、幽霊船ではあるまいし、沼から人が生きて出てくるわけがないと、宮廷では相手にされなかったようです。謝礼目的で嘘の情報をまことしやかに語る詐欺師は存在しますので、その類いにされました。そして、レドゥリア国はラウクゼーク軍に滅ぼされました」
コーネ=コップスが、ヴァンたちに目の前の灰沼の説明をしている。ヴァンの風魔法で、ここまで来たのだ。ヴァンは灰沼に手をつけてみた。軽く泥の抵抗がある。
「ナスーム国も含めて、お前たちはどう負けたのだ」
コーネは悲しげに目を閉じた。
「まず、死を恐れず行進してくるラウクゼーク軍を、恐れました。腕がなくなろうが、隣の兵士が倒れようが、一歩も止まりません。『自分を守る』ということをしなくなります。『敵を殺すためだけに生きる』のです。『自分でなければ守れない人がいることを、忘れる』のです。私どもが戦ったとき、黒魔はいませんでした。ですが、不思議なことに、殺したと思った相手が、十分も経つと起き上がり、再び戦闘に参加するのです。私は一度に千人を回復する者ですので、敵にもそういう回復魔法の使い手がいるのではと考えています。私も負けてはならぬと、味方を回復し続けたのですが、ついに力尽き、相手の回復魔法が勝って、我が軍は負けてしまいました。国王陛下は、そのときに敵兵の魔法に当たって……。どの国も、この、敵の回復魔法でよみがえる兵士に、敗れました」
ヴァンは、アメッサ国を一回の戦闘で奪ったラウクゼーク軍を思い出した。一回しかまともに戦闘できないほど兵力に余裕がないのだと思っていたが、回復を受けて何度もよみがえるから、少ない兵力でも平気で国内に侵入してきたのだ。むしろ、少ない方が国民に気づかれず、動きやすくていい。宗教の軍隊である以上、その国の最高祭司を倒せば、神の侵略は達成される。あとは人間の理論である「私たちに殺される最高祭司とその神には何の力もない」を宣言し、国の祭祀つまり政治を乗っ取ればいいだけだ。
「すべての町と戦うのは面倒だからか、回復魔法の使い手がもたないからか。コーネ、戦いの最中、回復役のような動きをする者はいたか。また、この世界でお前に近いほど強い回復魔法の使い手は何人、誰がいる」
コーネは、しばらく考えてから、答えた。
「全体的に回復が行われていたので、全軍を見渡せる位置にいた者と思われます。そうなると、ラウクゼークのテントの周辺しかありません。しかし、周囲の者に目立った動きはありませんでした。また、この世界の回復魔法の使い手は、エイエ島国のピビィという六才の天才少年が三百人、プオンズ諸島国のジアという七十五才の女性が二百人を一度に回復できます。目立つ賢者はこの二人で、二人とも自分の島国を守っていて、国外に出るなど、国王も国民も許しません。いなくなったという噂は聞かないので、この二人ではないでしょう。他の回復魔法の使い手では、私に勝つのは難しいと思います」
ヴァンは、うなずいた。
「確かにさっき、ラウクゼーク軍に回復魔法の使い手らしい動きをする者はいなかった。テントの中を除いては、だ。ラウクゼーク本人が回復役をしているか、ラウクゼークの隣に回復役がいるのかもしれない。ラウクゼークのテントに真っ先に向かうべきだな。しかし、その前にまずラウクゼークの現れた場所を見ておかなければ」
ヴァンは、灰沼の泥をすくって鍛冶をして、球体の乗り物を創った。四人がその中に入れるほど大きく、四人が乗りこむと、球は灰沼の中へ沈んだ。
しばらく、灰色の闇が続いた。
そして、沼の底の中心に着いた。何もない。何も残さなかったのか。
ヴァンが赤紫色の星晶睛になって、くまなく探そうとしたとき、黒魔がゆんらりゆんらりと泥の中を漂って、集まってきた。セイラが思わずタロットカード・太陽を握りしめた。黒魔たちは球の中には入れず、周りからセイラたちをのぞきこんでいる。ヴァンが二メートルの長身で、近い天井を見上げた。
「お前たちは、ここの何だ」
黒魔たちは、ちょっと怯んだ。
「オレたちは、人間への憎しみを持った者に共鳴して、引き寄せられる。この灰沼で事故死する者は多い。なんで自分が、こんな沼を渡ろうなんて言いやがったあの野郎め、ってな。で、取りこんで黒魔にして、仲間にする。ここにずっといてもいいし、沼を出てもいい。オレたちは増えるのが使命だから。でもこの灰沼はちょくちょく死人が出るから、取りこむために、オレたち全員がいなくなることはできないのさ」
「なぜ今集まったのだ」
ヴァンに問われて、黒魔は驚いた。
「お前、人間が嫌いだと思ってる自覚がないのか? オレたちは、お前に引き寄せられてきたんだぜ」
ヴァンは言葉が出なかった。かつてこの世界で、裏切られ、拒絶された記憶だけがよみがえった。
「……黒魔は人の集まるところではなく、憎しみの集まるところに集まるのだな」
やっとそれだけ言えた。
「黒魔になびきやすいからさ。お前も黒魔になりたいだろう? 早くこの球を開けてくれよ」
黒魔が頼んできたので、ザヒルスが叫んだ。
「絶対だめだぞヴァン!! オレは大丈夫だけど、みんなは!!」
しかし、ヴァンは手を伸ばし、球に穴を開けた。
「うぎゃーっ!!」
泥がしたたり落ち、その穴から黒魔が入りこもうとするのを見て、ザヒルスが斧を構えた。しかし、黒魔が侵入する前に、ヴァンは穴を塞いだ。ザヒルスが心臓をバックンバックンと鳴らしながら、斧を握りしめて叫んだ。
「何やってんだよ!! こんな、みんなを守って戦うには狭すぎる、球ん中で!!」
黒魔もゆんらりゆんらり穴があった場所をまわっている。
「怖じ気づいたのか? 怖がることはない、オレたちの仲間になるだけだ。さあ、勇気を出してもう一度……」
しかし、ヴァンは泥に手をかざして黙っていた。泥の記憶を読み取る。
三十体の黒魔が、泥の中の船の甲板に整列しているのを、二人の男がこちらに背を向けて眺めている。右の男はガリガリにやせていて、赤いローブを身に着けていた。左の男は長い三角帽をかぶり、白いローブの背中に、五芒星の図が、その五つの頂点を結んだ五角形の中に入っている。五芒星の中は塗りつぶされている。ラウクゼーク教のマークだ。この男はラウクゼークに違いない。左の男、ラウクゼークが両手を出して喜んでいる。
「素晴らしい! これが私の不滅の軍隊!」
右の男が骨と皮だけの人差し指を、左にいるラウクゼークに向けた。
「黒魔とわしが手を組めばもう安心だ。世界を征服してきなさい」
ラウクゼークが笑った。
「愚かなる人間どもに、もう用はない! これからは、黒魔とあなたのような方の時代だ! その両者が私を支持してくださるというのだから、万人力だ! 必ず期待に応えてみせますよ! 人間を滅ぼす私の戦略を、とくとご覧ください!」
「頼みましたよ、ラウクゼーク」
右の男はラウクゼークにテントを与え、ラウクゼークを入れた。船は、三十体の、人間の兵士に姿を変えた黒魔と、テントの中のラウクゼークを乗せて、浮上していった。泥には、これ以上の記憶はなかった。
ザヒルスが、ヴァンのことでやっと気がついた。
「お前、泥と会話できる系の人なんだ。もうなんでもわかるんだな! お前! 自然と会話すげえ!」
ヴァンたちは灰沼から出た。
「あの赤いローブのやせた男は誰なのか。黒魔に匹敵する力を持つのか……? とにかく、ラウクゼークが黒魔を従えていることは、はっきりした。『神』はラウクゼーク自身だ。何の力もない。ラウクゼークに赤い男のことを吐かせよう」
そして、ラウクゼーク教の首都、旧レドゥリア国の王都ウグスへ飛んだ。
辻、戸、家畜のすべてに、五角形の中で塗りつぶされた五芒星の焼き印が押されていた。ラウクゼーク教は、この都に結界を張ったつもりらしい。
もちろん、何の力もないことは、阿修羅の目には明らかである。ただ単に、ラウクゼークが人々を支配するための、人々への「焼き印」である。
商売人は一人もいない。王都中の人々が火のついたろうそくを持って、行列をなして静かに歩いている。囁くように何か唱えている。「ラウクゼーク様の御力がとこしえに続かんことを」など、ラウクゼークを讃える祝いの言葉のようだ。
ヴァンは、彼らの言葉が、ガタラクマ国でガベの種と苗、装備の情報を盗んでいたスパイのものであることに気づいた。
「祖国が滅び、抵抗組織が外国で動いていたのか。だが盗むのには長い時間がかかるはずだ。祖国があるときから動いていなければ、盗みは成功しないのだから、そもそもこの国はつまずく運命だったのだ。周りの国からではなく、自国の内部から壊されたか。悪果は自分たちで育てたのだし、最後まで食らうがよい。神を一度でも利用して利益を得た者たち、そして国は、『無残』、これからも国は残らない。責任を取らない限り。自分たちの習慣のままオレに会ったのが運の尽き、世界の落とし穴に落ちたな」
ヴァンは、盗みを働いて暮らして、国という財産を無くした国民を冷徹に眺めると、行列をつけた。最後にラウクゼークのもとへと行くと、考えたからである。
行列は、王都のあちこちの広場に飾られている、ラウクゼークの生誕から今までの奇跡の場面を描いた絵をめぐっていた。ラウクゼークは真珠から胎児になり、母親から産まれたという。三才で辞書の言葉をすべて記憶していたという。十才ですべての動物と親しくする秘儀を編みだし、十二才で神の光を受けたという。以後、解呪の修行を続け、二十才で遂に白黒の世界から、世界に色を取り戻したという。
「全部嘘じゃねえかよ」
ザヒルスが、言ってすっきりした。ヴァンは光の技法に溢れる絵画を見ながら答えた。
「歴史で真実を伝える奴なんかいない。歴史とは、後世の自分を“いい子”にするために、敵を仕立てて自分好みの結末と、主観と、明確な攻撃意図をもって、“真実”として伝えさせるものだ。それができるのは戦争の勝者だけだ。ラウクゼークは誰もがやる歴史通りのことをしているだけだ。たとえ嘘で馬鹿馬鹿しいと思っていても、敗者は従わなくてはならないのだ」
セイラが憤った。
「神様にまで手をつけるなんて! 神様の力なんて、もらってないじゃないですか! それに、白黒の世界に色を取り戻したのは、ヴァンなのに!」
コーネが驚いてヴァンを見た。ヴァンは手で制した。
「広めなくていい。この世界で動きづらくなる」
「わかりました。ありがとうございました」
大賢者は礼をした。
「セイラ。オレは自慢するために戦っているわけではない。あまり怒るな」
「はい……。ごめんなさい、ヴァン」
セイラはかわいらしい小さな口を閉じてうなだれた。
行列は、城の前に到着していた。
賢者の集落のあるマクマキ山を包囲していたラウクゼーク軍が、帰って来た。距離が近かったとはいえ、人間の行軍で二日はかかるところを、半日で戻っている。黒魔の力で、人間の兵士を、昼夜休みなく動けるようにしているのであろうか。もっと早く動けるのに、民衆を欺くために遅く到着しているのであろうか。
ラウクゼークのテントが現れると、人々は拍手した。ラウクゼークはテントから出ずに、声だけ出した。
「皆さん、皆さんの祈りを、神は大いに喜んでいらっしゃいます。その証として、アメッサ国を手に入れました」
民衆が驚きと興奮の色を帯びた。アメッサはラウクゼークを倒せなかったか、オレたちはいつ解放されるんだという色と、このままこの勝ち馬に乗れば一生安泰なのだろうか、どうせなら世界を征服して、世界がラウクゼークに支配されることは仕方のないことなのだと、オレたちを安心させてくれという色である。
ザヒルスはラウクゼークのテントを見ながら爪先立ちした。
「マクマキ山で逃げ惑っていたことは一言も言わないな。やっぱり歴史っていうのは勝者が好きに切り取った甘いケーキの断面にすぎないんだな。他の部分は捨てられるんだ。誰もが顔をしかめる砂が混じってるかもしれないから」
二メートルの長身のヴァンが赤紫色の星晶睛になってテントの暗闇の中をのぞいたとき、すぐにラウクゼークの両目もヴァンの両目に気づいた。
一瞬でテントの入口が閉ざされ、
「次の行軍の準備がある」
と、告げると、全速力で城の中へ消えていった。
民衆が解散する中、ヴァンは仲間に叫んだ。
「追うぞ!! 走れ!!」
ヴァンはコーネの足に風魔法を放ち、若い三人の速さについて来られるようにした。ザヒルスが閉まっていく門を、走りながら見た。
「真っ昼間から行くのか!? 武装した兵士も揃ってるのに!?」
ヴァンは門に風を放ち、吹き飛ばした。
「ラウクゼークはオレの星晶睛を見て、逃げた! 黒魔から情報を得ている! すぐに仕掛けてくるぞ! その前に攻撃する!!」
「せいしょ……? なんだって?」
「「……」」
よくわからないザヒルスの、後ろにいるコーネとセイラは、無言で、コーネは何か思うところがあり、セイラは何か懐かしい感覚を得た。
城の扉を風魔法で吹き飛ばしたところで、城を黒い光が包み、城の内部が一瞬で、道のない青い浮遊空間に変わった。ところどころに黒い空間があり、近くにいた兵士は悲鳴を上げながら吸いこまれ、二度と出て来なかった。
「存在を圧縮する罠だ。気をつけろ」
ヴァンは四人を風魔法で包み、ゆっくりと浮遊空間を進んでいった。行けども行けども、どこにも着かない。ところどころに、城の宝物が漂っている。金のカップ、宝石、青銅の像、ラウクゼークの絵などである。セイラは触らないように体を縮こまらせながら、あちこち見て出口を探した。
「ここのどこかに、ラウクゼークのいる部屋に通じる入口があるんですよね?」
ザヒルスはラウクゼークが真珠から胎児になり、母親から産まれた絵を見つけて、腰に手を当てた。
「よく恥ずかしいと思わずに飾れるな。オレだったら“若さゆえのあやまち”すぎて、こうだ!」
拳で殴りつけて、穴を開けてしまった。三人がそれを見て止まった。コーネが絵から目を離さず言った。
「ザヒルス、こういう場所で勝手なことをしてはいけないよ。これが黒い空間に変化したらどうする!」
ザヒルスは冷や汗が出た。
「あっ! ごめんみんな! いらいらしたから、つい……」
穴の開いた絵のある空間が、歪んでいく。ザヒルスたちが慌てて逃げようとしたとき、周りの空間が変わった。文字がたくさん漂っている。城の宝物も、ラウクゼークの生誕からこれまでの場面を描いた絵も、たくさん漂っていた。ヴァンは、一つ気づいたことがあった。
ヴァンは、ラウクゼークが、三才で辞書の言葉をすべて覚えたという絵に触れた。
「うおお、ヴァン!!」
またもザヒルスが逃げようとしたとき、空間が変わった。
動物の幻影がたくさん漂う空間になった。また城の宝物と、ラウクゼークの様々な場面を描いた絵が漂っていた。セイラは気がついた。
「もしかして、この空間の出入口は、ラウクゼークの絵ですか? ラウクゼークの人生の順に触れば、次の部屋に行けるという?」
ヴァンはうなずいた。
「お手柄だったなザヒルス。お前が最初に真珠の絵に手を出したおかげだ」
ザヒルスは照れにくいが照れた。
「うん……まあ殴るなら一枚目からって思って」
コーネは幸運に感謝した。
「注意して悪かったねザヒルス。それに、これは人々の行列に加わって、絵の順番を知っていたおかげでもありますね。別の絵に触れていたらどうなっていたことか……」
「いや。おそらく何も起きないだろう」
「そうですか?」
ヴァンの言葉に、コーネは目を丸くした。ヴァンは次々に正しい順番で絵に触れていった。白黒の世界に色が戻った絵に触れたとき、ヴァンたちは四方を高さ十メートルの城壁に囲まれた、百メートル四方の中庭にいた。
「神の力を我が物にしようとする者は、自信が大きくて、自分がいかに人間の中で突出しているか、そして統治能力があるかを、一般人に示さずにはいられない。この城の空間はオレたちを倒すためというよりむしろ、ラウクゼークがいかに偉大で圧倒的かをオレたちに知らせるためのものだ。先に進むために、どうしても絵を見ざるを得なくなるからな。これだけ強大な者に勝てるのかとオレたちを恐れさせたいのだ。そうだろう、ラウクゼーク。オレたちはお前を憐れんでいるぞ」
怒気を帯びた鼻息を、ヴァンは聞いた。城壁の一角に、三角形の白いテントが現れた。ヴァンは炎の魔法をすかさず放ち、白いテントを一瞬で燃やしてしまった。
上にも下にも伸びる炎の球のようなオレンジ色の髪。頭の上で朱色の影ができている。常に下から見上げるような吊り目、耳の下から体を覆う白い服。首も手も足も少しも見せないのは、人と同じ部分を極力隠して、神格化させるためであろうか。胸のあたりに四つの宝玉、足の前面に歩きやすいよう青い布が見えるスリットが入っている。体の線が見えないよう、胸から足元まで一直線の服である。
ニ十才の若い男、ラウクゼークであった。白い服と同じくらい、肌が白い。
「お前は何者だ」
ラウクゼークは、いまいましそうにヴァンを見下ろし、聞いた。
「世界の陰で、何をこそこそと動いているのだ」
「それはお前だラウクゼーク。黒魔とつるんで人間で社会実験をし、自らは神と詐称し、人間を滅ぼそうとしているではないか。人間しか従わせられないくせに、自分が惨めに見えないのか」
ヴァンに言われて、ラウクゼークはフンと鼻息を吹いた。
「社会実験は勝者の特権だ。世界中の社会は私をより良く生かすためにあるのだ。黒魔は人間を悪に陥れる目的があるから、社会実験という名の――真の名は人体実験に耐えられなくなった人間を引き取れると言って、私に力を貸しているだけだ。黒魔は私と対等な取引相手だ。そして、私は神だ。人間を導く神なのだ」
ヴァンが首を振った。
「自分を正当化する理屈はそれだけか? この世のどの神も、たった一人を生かすために力を貸すことなどない。そんな特別な人間は過去も未来も現在も、現れたことは一度もない! まして、強制的に堕とした人間を見捨てて、耐え残った強い人間だけを導くだと!? 神を冒瀆するな!! 悪人である独裁者ならいざ知らず、神がそんなことをすると思うのか!! 偽りの宗教家よ、私が滅する!!」
ラウクゼークも唇を赤くして叫んだ。
「この世に特別な、なにがなんでも生かされなければならない命は存在する!! それが私だ!! 見ろ、黒魔に取りこまれず、三箇国も占領した!! 私は世界の王になれる、選ばれた人間なのだ!! 世界を見渡したとき、全員自分以下の馬鹿ばかりだった!! 私は世界一の天才だったのだ!! 人間どもが人生の貴重な時間を、病気や恋愛や犯罪で虚しく浪費しているのを、ずっと見てきた!! そんな時間があれば、研究の一つでも完成させられるではないか!! 人生を無駄にする弱者は、滅ぶべし!! 私のような強者に、簡単に堕ちる弱者を救済させるという無意味な思考を強制しようとする弱者は、社会から一掃されなければならない!!」
「神なき時代が、世界で一番の天才と王が存在するという夢を見せたか! 見よ、お前は人間に『弱者』とされている者ほど、多くのことを知っていることを、知らない! 神が見守っていることを知らない!」
ヴァン、いや阿修羅は、「世界で一番の天才と王」という存在が、そんなものは世界には永久に登場してはならないことを知っている。しかし、この世界に生きる者には、神の光がない限り、そのことがわからない。だから、ラウクゼークのような小人が生まれる。不完全なくせに、自分が世界のすべてを動かせて、しかもそれが正しいと思いこむ、思い上がった悪人が。
「それで、神を詐称したのか。自分のすることに反対させないために。何の根拠があって、神の行いができると自信をつけたのだ。殺す前に聞いてやろう」
ヴァンに、ラウクゼークは誇らしげな鼻息を吹いた。
「私は、回復魔法で一度に三千四百人を回復させることができる。そして、すべての系統の上級魔法を使うことができる」
コーネとセイラとザヒルスが、息を止めた。コーネが千人回復するだけで大賢者と呼ばれるのに、それが三千四百人である。コーネは、回復の対決で負けるわけだと、歯を強く嚙みしめた。セイラとザヒルスは、すべての系統の上級魔法と聞いて、驚いていた。一つの系統でも習得するのが大変なのに、すべてに通じるというのは、よほどの才能がないとできない。しかも、魔法とは膨大な自然の摂理をすべて覚えなければ、発動できないものである。
「よっぽど頭いいぞいこいつ……」
「世界一の天才だって思ったのは、ここからね……」
ザヒルスとセイラが呟いても、ヴァンは高らかに笑い飛ばした。
「何がおかしい」
ラウクゼークが、明らかに不愉快そうにヴァンを睨みつけた。ヴァンは愉快そうな目でラウクゼークを見上げた。
「何かと思えば、その程度か。『誰かと比較して』、自分が上に立っていると思っているだけか。人間だけの世界に生きる者は、一人で立てないのだ。必ず踏み台にする他人が必要なのだ。だが神の存在を信じている者は違う。誰もやったことのないことを成し遂げて、一人で立っていられるのだ。そしてそこに人々がつながろうと集まってくるのだ。
お前は自分が上に居続けるために他人を蹴落として、人々とのつながりを断ち続ける運命なのだ。そこに国は生まれようか。消滅するだけである。
他人に勝つことは『世界で一番』なのか? それは違う。
お前が、皆が知っている既存の回復魔法の分野を強化しようと思ったのは、『全員に理解されないと一番だと認めてもらえないと思った』からであろう。
お前は、人間を見下していながら、実は人間に媚びているのだ。人間に自分の偉大さを崇めてほしいばかりに、全員が判断できる回復魔法の実力で自分を売りこんだ時点でな。だからお前は、媚びて『一番』なのだ。それもたった一つの分野でな。
オレの知人は、本当の天才とは誰もわからないことに人生を捧げられる人のことだと言ったぞ。神の奇蹟は、そこに宿るのだ」
ヴァンは、赤ノ宮九字紫苑を思い出しながら、告げた。ラウクゼークは、ぐっとつまった。神なき世界では、進化は止まるのだ。しかし、言い返した。
「誰もが手に入れられなかった力を誇って、何が悪い!! この力を与えたのはお前の言う“神”なのではないのか! 今の時代、王になりうる最高の頭脳として、この力は私が世界の支配者になる証だ! 世界は私を尊敬しなければならない! こういう人間が生まれると、人々に示せたのだからな! 私に感謝しろ! 私にしか癒されるな! 私なしでは世界がまわらないのだと、理解しろ!」
ヴァンは賢者の集落を思い出していた。天才というものは、人から尊敬されやすい分、自己評価と現実の差に苦しむ者が多い。神の望みは、どんな環境であろうと、与えられた才能を使って何をするかを見届けることなのだが。それは、全ての命に対してそう望んでいる。自分を律し通せたものが、時過ぎて浮沈したとき、良い光を存分に浴びることができる。ラウクゼークは勢いに乗っている時期に、権力を使い尽くして勢いに乗りすぎたため、緩やかに沈めなかったのだ、ヴァンは指摘した。
「世界最強の自分にあと一つ足りないものは、神に成ることだったわけか。黒魔に利用され、人々に信仰を強制し、一人で望みがかなったと満足しているとは、見苦しい。実力も言葉もない者が神になろうとは、おこがましいにもほどがある。神になって、何を裁く。救えもせずに!」
ヴァンは神刀・白夜の月を抜いた。
「お前のような身の程知らずを赦してはおけない。偽りの神に力を貸す黒魔、そして赤いローブの男も、全員出てこい! オレが倒してやる!」
赤いローブの男をヴァンが知っていることに震えて、ラウクゼークは口の中である単語を呟いた。しかし、何も起きなかった。
「黒魔兵!! 全員来い!!」
ラウクゼークの号令で、中庭に千体の黒魔が現れた。ヴァンが仲間に指示を飛ばした。
「ザヒルス、セイラとコーネを守れ! セイラは黒魔が汚した空間の浄化、コーネはザヒルスとセイラを回復しろ! オレはラウクゼークを仕留める!」
「オッケー!」
ザヒルスが斧をブウンと振って構えた。セイラも、タロットカード・太陽と、ヴァンからもらったゼリーの盾を構える。コーネも自分の杖とヴァンから与えられた癒しの紫杖を掲げた。
黒魔軍が走り出したのに合わせて、ザヒルスが斧の周りに直径一メートルの無数の光の針を生じさせ、斧を払って向かわせ、黒魔軍に突き立てた。セイラもタロットカード・太陽の光で、ザヒルスと別の方面の黒魔を消し去る。
「セイラ、すごいじゃん! じゃ、オレが中央で斬りまくるから、脇をすり抜けた奴を頼むな!」
「ザヒルスも強いわね! 金気の魔法が使えたんだ!」
「おう! 『斧の僕』って言うんだ! しかもオレ、黒魔に取りこまれないから、黒魔に囲まれても全然平気!」
ニッと笑って、ザヒルスは中庭の中央で黒魔軍と戦い始めた。斧の一撃一撃で、黒魔が消滅していく。コーネは、ただただ目をみはるばかりであった。
「人には、それぞれ適役がある。回復魔法が長けているとか、一面的なことで世界は決定されないのだ。ラウクゼークは、確かに世界一ではない」
そして、ザヒルスに疲労がたまらないよう、適度に回復魔法をかけた。
ヴァンは、一直線にラウクゼークのもとへ飛んだ。ラウクゼークは、木火土金水の上級魔法を五連続で放った。しかし、四神五柱を創った阿修羅に、効くはずもなかった。
さすがにラウクゼークは、五つの魔法をものともしないヴァンに顔面蒼白になったが、すぐに、光を反射する黒針が全方位に飛び出している、拳ほどの大きさの黒針石を出し、空中に放った。そして金気の魔法で剣を出すと、出口のない迷路を描いた。
その迷路の中心から黒い球が現れた。それはどんどん大きくなって、直径四メートルにもなった。粘り気のある黒い液体を垂れ流し、球を中心として地面に広がっていく。迷路は、地面に接している下方についた。液体で隠れていく。
「出口のない迷路で召喚されるのは、黒魔! ラウクゼーク、黒魔法陣の知識を、どこで手に入れた!」
ヴァンが距離を取ったので、ラウクゼークは一息つけた。
「お前は世界に何の関心も持っていないようだな。黒魔法陣は、泉に映ったり、空に雲で描かれたりして、あらゆる方法で世界中に存在しているぞ。黒魔に関心のある者なら、これが黒魔法陣だと、勘でわかる。私の他にも、黒魔法陣に気づいた者はいるだろう。この黒魔はオスト様。閉ざされた空間では右に出る黒魔はいないだろう」
「黒魔法陣が、人々に知られているのか」
この星の意志を思い、ヴァンは胸が痛んだ。ザヒルスが斧の僕の技で、金気の針を出し、オストの黒い液に突き立てた。すると瞬時に、針が液についた部分とその周囲が石化した。すかさずオストが小さい黒い球を体からひねり出して飛ばして、その球で石化した針もその周囲の石化部分も、粉々に砕いてしまった。その後、新たな黒液がそれを覆って流れ、広がり続けている。
どうやら、黒液に触れると、触れた部分も周りも石化して、オストの球で砕かれるという攻撃を受けるようであった。四方を城壁に囲まれている以上、ヴァンたちは空に逃げる以外に道はない。しかし、黒魔兵たちが上空を飛んで埋め尽くして、無事に通すまいと待ち構えている。
ヴァンは、液を蒸発させようと炎の魔法の帯を放った。オストに触れたとたん、フライパンの油が勢いよく四方八方に飛び散るように、黒液の塊がはねた。
「なに!」
「キャアッ!!」
「うわっ!!」
「うっ!!」
ヴァンたち四人に黒液がかかり、体の一部が石化した。間髪を容れず、オストが黒い球を放ち、四人を砕きにかかる。同時にコーネも回復魔法を放つが、石化が解けない。
「セイラ、貸してくれ!」
ヴァンが風魔法でセイラのゼリーの盾をつかむと、黒液のかかっていない角で、黒い球を横からぶつけて落とした。オストの黒い球は無限に出てくる。
「セイラ! オレは手が離せない、星のカードを!」
「はい! タロットカード・星!!」
セイラのカードから紺色の光が放たれた。石化した四人の体が、回復していった。コーネは、セイラの回復魔法の質に、目を丸くした。
石化がなくなり、オストは粘る黒い液を垂れ流す状態に戻った。中庭をどんどん侵食していくので、ヴァンたちはじりじりと後退していった。
「みんな、オレはもう一度炎の魔法を使う。セイラのカードで耐えてくれ」
ヴァンの言葉に、ザヒルスが応じた。
「そうだな。オレにも見えた。あの液体、炎で蒸発してた。飛び散ったのは炎を弾いたからじゃなくて、炎で削られたからだ」
コーネはセイラを回復する構えをとった。
「よく見抜きましたねザヒルス。あなたは素晴らしい戦士です」
セイラだけは、飛び散る黒い液体しか見ていなかったので、会話に加われず、しまったと思った。戦闘の経験値に、圧倒的な差がある。
「お前はオレが守るから、安心していろ」
ヴァンがセイラに振り返ったので、セイラは恥ずかしさで何も答えられなかった。
ヴァンは、自ら創った光の剣を取り出した。夜でも光る石、夜白点から創られ、光がエネルギーの源になる剣だ。
ヴァンは炎の魔法の帯をつけて、光の剣をオストに投げた。狙いはオストと地面が接している部分、出口のない迷路が描かれている場所である。光の剣は、ヴァンの炎の魔法を無尽蔵に吸収し、光の輝きを放っていく。オストの球体と黒い液体が削られ、四方八方に散らばり続ける。セイラは四人をタロットカード・星の紺色の光で守る。オストは盛り返そうと液を出すそばから飛び散っていく。
「オスト様!! 今お助けします!!」
ラウクゼークが回復魔法でオストを回復し始めた。オストの液が増し、戻っていく。一瞬、また対決して負けてはとコーネが不安に思ったとき、ヴァンが叫んだ。
「コーネ!! 癒しの紫杖を光の剣に!! 剣の核の夜白点がもたない!!」
コーネは、セイラを回復しつつ、とっさにもう片方の手で癒しの紫杖を使った。二つの魔法の同時使用は、初めてであった。どこか、コーネに自信が生まれた。
「ラウクゼーク、勝負だ!!」
コーネの言葉に、ラウクゼークが憤った。
「この私に、勝てると思うのか!! 一度負けたくせに、身の程知らずめ!!」
ヴァンが叫んだ。
「勝てるとも! この私がついているのだからな!!」
炎の魔法が光の剣に注がれ、連続して爆発を起こした。四度目に、オストはゆっくりと倒れ、乾燥し、自らが石化してひび割れていった。ヴァンは光の剣で傷つけて、オストの迷路に出口を描いた。
ラウクゼークが上空を埋め尽くす黒魔兵をかき分けて、風魔法で中庭に降りて来た。
「オスト様!! なぜだ!! コーネより私の方が回復魔法に優れていたのに!!」
ヴァンが光の剣を持ちながら、ラウクゼークにゆっくり近づいていく。
「オレが一騎当千の魔法を放ったからだ。お前は一度に三千四百人を回復できるそうだな。だとすると、千人力の攻撃を一度に四度受けたら、回復しきれないだろう。お前は結局世界一でもなんでもない。戦ってくれる誰かがいなければ、一人で何もできないのだ。回復相手の味方は重要だ。最期にわかってよかったな」
「……!!」
四千人分の攻撃と聞いて、なんだその力はとか、自分が負けるはずがないとか、様々な考えで混乱して、ラウクゼークはヴァンの光の剣が頭上高く振り上げられたのを、口を開けてただ見ていた。
「神が、世界一の私を王にしてくださいという私の呼びかけに応えてくれていたら、黒魔に走ることはなかったのに……」
ヴァンは剣を振り下ろした。
「神に会えばその人間はつけ上がるだけだ。神が全ての人間に会えば人間を縛るだけだ。神はお前を守るのだ。(……この世界にいても、いなくても)」
その剣を、人間の兵士が身を挺して受けた。
「ぬっ!?」
ヴァンは剣が止まった。ラウクゼークをかばう人間がいたことよりも、その兵士から血が出ないことに驚いたのだ。さらに、その兵士は背中が開いたまま、ラウクゼークを抱えて、城壁へ走った。二人は、魔法で城壁の上へ飛び上がった。
「ラウクゼーク、大変でしたね」
赤いローブをまとい、顔も手も骨と皮だらけの老いた男が、ヴァンから目を離さずに言葉をかけた。灰沼で泥が記憶していた男だ。
「ゼブゲ様、お見苦しいところを……!!」
ラウクゼークはようやく正気に返り、ゼブゲに平身低頭した。ヴァンは光の剣を振った。
「ようやく出て来たか。お前は黒魔とは別の力を持っているそうだな。今の兵士がそうか。血が出ないが、人形ではない――まるで――」
ゼブゲは、ウクブプフブプフと口を閉じて笑った。
「まるで死人、と言いたいのであろう? そうだ、わしは死体生命発現許塔ゼブゲ。つまり、自ら供養した死体を意のままに操れる者という意味だ。ラウクゼーク軍の行軍は早かっただろう? 死人だから食事休憩も睡眠も疲労もなかったからだ。黒魔も同様だ。そして、いくら斬られても死なない。ラウクゼークが傷を治して、普通の人間が戦っているように偽装したのだ」
死体生命発現許塔ゼブゲ。初めて聞く力にヴァンが攻撃方法を考えていると、ゼブゲは風魔法で死人兵を次々に中庭に下ろした。その数、千。
「さあ! 殺されないわしの死体生命たちに、殺されなさい!!」
ゼブゲの命令で、死人兵が走って来た。ヴァンが炎の魔法の帯を放って囲んで燃やし尽くそうとすると、ラウクゼークが水気の魔法で妨害した。そのうえで炎が届いて兵士を燃やしても、黒こげのまま向かってくる。コーネの話で、相手が腕がなくなっても平気で戦うことを知っているので、セイラとザヒルスとコーネは恐れを抱いた。ヴァンは素早く指示した。
「セイラ、タロットカード・太陽を!」
「はい!」
しかし、カードの黄色の光にも、死人兵は動じず、何の効果もなかった。
「あれが黒魔を消す光か……」
ゼブゲはセイラとタロットカードをじろりと見た。ザヒルスは、斧の僕の技の針も、全く足止めにならないので、さすがに慌てた。
「おいヴァン、どうするんだ!? どこを攻撃すれば止まると思う!? それとも一旦考えるために逃げる!? 百メートルを全速力で走られたら、十秒くらいしか考える時間ないんですけどおっ!!」
そのとき、セイラのタロットカード・奇術師が、朱色の光を放った。様々な国の景色が背景として現れて、死人兵たちが止まった。皆、みとれている。
「どうやら、死人兵たちの故郷の風景のようだな」
死体になっても故郷の町や村を覚えているのだ。ヴァンは、彼らを眠らせないゼブゲに怒りを覚えた。セイラは、もしかしたらと思い、U字型の竪琴を取り出すと、歌い始めた。
『題・子守歌 作詞作曲・白雪
あなたが初めて聞くのは おかあさんの歌
これから楽しいことが 待ってるから
いい子ね 笑いましょう』
セイラは、母親なら誰もが歌う子守歌を歌った。死人兵は、力を抜いてゆっくりと地面に尻もちをついた。首は曲がり、横たわる者もいて、どこにも力が入っていない。
「すげー!! セイラ超絶歌姫!!」
ザヒルスが両手をあげて踊り狂った。セイラとヴァンはちょっと誇らしげに胸を張った。
ゼブゲは、かっと目を見開いた。
「(わしの死体生命を、無力化しただと!? こんな攻撃ができる者を、生かしてはおけない!! とにかく、今は打つ手がない! この場で死人兵を回収し安全に逃れるためには――)」
ゼブゲは、ラウクゼークを剣で刺した。
「なっ……何を、ゼブゲ様……!!」
口から血を流すラウクゼークに、ゼブゲは両手を組んで祈りを捧げた。「供養」したのだ。ラウクゼークは事切れてから、無表情に起立姿勢をした。ザヒルスは理解できなかった。
「なんで殺したんだ!? こっちの死人兵が使い物にならなくなったからか!?」
「行け!! ラウクゼーク!!」
ラウクゼークが上級魔法を放ちながら降りてきたとき、ゼブゲは自分の千人の死人兵と自分を風魔法で包み、逃げた。
「ラウクゼークを捨て駒にしたか!」
ヴァンはラウクゼークの魔法を払いのけた。どこを刺しても、攻撃が衰えない。神以外の者でもゼブゲの死人兵と戦えるように、弱点か急所を探そうとしているうちに、ラウクゼークは動かなくなった。セイラはおそるおそる聞いた。
「もしかして、ゼブゲが逃げおおせて、ゼブゲの支配範囲から外れたからじゃないでしょうか?」
コーネも同意した。
「ありえる。ゼブゲは死体を操る司令塔で、常に死人兵の近くにいなければならないと思う」
ザヒルスはラウクゼークを気味悪げに見下ろした。
「じゃ、行軍のときはこいつの白いテントの中で一緒にいたのかもしれないな。ま、これでラウクゼーク教はおしまいだ。みんなようやく解放されるってわけだ」
ヴァンがラウクゼークを燃やし、完全な灰にした。
そのとき、阿修羅の『乾坤の書・影』が光った。頁をめくると、『偽りの宗教を強制し、広める攻撃が行われていた。十全の章授・三章・終』と記されていた。そして、『ラウクゼークが死んでも教えは残っている』という警告が書かれていた。
ゼブゲは、白い布をかぶせた上に一本のロウソクを立てただけの祭壇に、祈りを捧げた。ロウソクに火が灯った。ゼブゲは、今日見たこと、起きたことのすべてを、報告した。ロウソクの火が揺らいだ。
「男の方は気になる。どういう素性の者か、調べよ。女は魔法の力を調べてからお前が殺し、死人兵にしてしまえ。ただの、歌など! 目障りだ」
ロウソクの火から、声がしている。ゼブゲは頭を下げた。
「ははあーっ! 名宛下様の邪魔者は、すべて私が仕留めてご覧に入れまする!」
ロウソクの火が消えた。
それさえも、ゼブゲの心を満たした。
「星方陣撃剣録第二部常闇の破鈴二巻・通算二十一巻」(完)




