表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星方陣撃剣録  作者: 白雪
第二部 常闇の破鈴 第二章(通算二十一章) 神の強制
120/161

神の強制第一章「魔族村」

登場人物

阿修羅(ヴァン=ディスキース)。神の発音で「あじゅら」、人間の発音で「あしゅら」。邪闇綺羅(神の発音で「じゃぎら」、人間の発音で「じゃきら」)の弟。神刀・白夜びゃくやつきを持つ。神に背いた罰を受け、この世界ではヴァン=ディスキースと名乗って旅をする。

セイラ=サザンクロスディガー。栄光の都レウッシラで阿修羅が助けた星羅せいらと同じ姿をしている。歌姫。

ザヒルス。十五才。ザヒルス村の領主で、斧使い。

黒魔。星の持つ、憎しみと絶望の権化。すべての命を喰らい、すべてを葬ろうとしている。


戦争に勝ち、勢力を広げていくラウクゼーク教と戦います。




第一章  魔族村



 世界中の人々は、世界が色彩を取り戻したことを、毎日お祝いしていた。

「十年以上、白と黒の世界でしたから」

 セイラが、ガラスベルのように透き通る、まばたきするたびに心地良い音を響かせるような黄色い瞳で、空を見上げた。

『世界は救済された』と、岩や山、崖といった自然に、色のあるペンキででかでかと書かれた。あらゆる自然に対し、人間の熱狂が見られた。白と黒のものは、家具であれ洋服であれ、今までのうっぷんを晴らすようにぼろぼろに砕かれ、引き裂かれ、まとめて道端に捨てられた。誰も掃除のことを考えず、地球を汚しに汚していた。

 最も歓喜したのは宗教界であった。

 五芒星をシンボルにした救民教きゅうみんきょうは、もともと白黒の世界に色を取り戻すことを目的としていた。当然、自分たちの祈りが神に通じ、救民教の神のお力で世界は救われたものと考えている。そして、世界中の信者を通じ、我が神こそ正当なり、他の宗教は邪教だから今すぐ信仰をやめよと言う布教に励んでいる。

 神託主義のガタラクマ教は、世界に色が戻ったのは神仕しんし国王バーンン様が神託によって秘密の儀式をしたからで、バーンン様はそのとき人では負いきれないほどの神力を、世界を救うために受けてしまわれたので、ほどなくしてお亡くなりになったと言い、ガタラクマ教に従っていればその身は救われると説いている。

 この世界にはいくつもの宗教があって、他のすべての宗教も、この奇蹟きせきは我が神の成したこと、と主張していた。

 自らの縄張りを主張するために、宗教界も一般人と一緒になって、ペンキで自然に「所有物」の印をつけているのだ。マークは様々な大きさ・配置の五芒星ばかりである。星の上に生きる者は、星の記憶から逃れることはできないのだ。

 しかし、気になることがあった。すべての宗教の縄張りのマークのうち、いくつかの五芒星が、中を塗られて、かつその五つの頂点を結んだ五角形の中に入れられていたのだ。明らかに異教のマークである。セイラも知らなかった。この宗教が何の主張もしていないので、マークを覚えることしかできない。

 そして、依然として、降雪は続いている。

 雪の降る空の下で、ヴァンは、前方で荷を積んだ馬車が、凍った川を割って、右の車輪を入りこませているのを見つけた。

 川に落ちそうになるのを、馬が激しくいななきながら、氷の上でひづめを踏ん張って、逃れようともがいている。行商人とおぼしき小太りの男が、慌てて馬の手綱を引いて、川から馬車を引き上げようとしている。

 ヴァンは、黙って見ていた。セイラはびっくりした。

「ヴァン! 助けてあげましょう!」

「……」

 ヴァンは、この行商人がどういう男か知らずに助けるのは嫌だった。前日までいた王都デラマンでのこともある。意味もなく悪人を助けるのは、神としてよくないことだ。行商人が振り返った。

「あっ!! 助けてください!!」

「馬を引っ張ればいいんですよね!?」

 セイラが行商人に手を貸した。しかし、女の力では引き上げられなかった。

「ヴァン!! 早く!!」

 セイラの美しい声で助けを呼ばれ、ヴァンは苦虫を嚙み潰したような顔をすると、風魔法で馬車を宙に上げ、道に降ろした。

 行商人は、馬も馬車もどこも傷ついていないのを見て、わあ、わあと感心しながら、全体を確認してまわっていた。

「ありがとうございました、お二人とも! 私の名はブルントンといいます。行商人です。素晴らしい風魔法のお方に、お優しい奥方! 素敵なご夫婦ですね! いやあ、助かりました!」

 降雪の中、ブルントンは財産が守られた感激で、真っ赤になって興奮していた。

 セイラも、ヴァンと夫婦と言われて、耳まで赤くなっていた。男女二人で旅をするとは、世間の常識では、そういうことなのだ。

「夫婦ではない」

 耳に、氷が突き刺さるような冷たい声がした。朝、降雪の寒さに人が空をうかがうような目で、セイラはヴァンを見上げた。

 ヴァンは、無表情だった。

 顔色も、赤くも青くもなかった。

「(私との関係を誤解されても、この人の心にはさざ波一つ立たないのだわ)」

 セイラはショックのあまり、見開いた目が乾いた。タロットカード・恋人のカードが、ほのかにピンク色に光っていた。

「はあ……じゃ、ご兄妹で?」

「ここはもともと川のようだな。冬の間は道路になるのか」

 ヴァンは話を変えた。行商人も、深入りはしなかった。

「ええ、ですがちょっと積み荷を多くしてしまって、このざまです。荷物を二回に分けて運ばないと、馬車が沈んでしまう。弱ったな……」

 まさかこの二人に荷物の番をしてくれとも言えないし、とブルントンが考えていると、ヴァンが聞いた。

「別の道はないのか。遠回りでも……」

 ブルントンは首を振って、声をひそめた。

「いえ、この凍った川以外、道はありません。人間と交流しないんです。なにせこの川の先にある村は……、魔族の住む村なのですから」

「魔族の村」と聞いて、ヴァンの目が輝いた。かつて自分を受け入れてくれた種族だ。

「ブルントン、お前が運び賃を払うなら、その荷物をオレが持って行ってやるが。さっきの風魔法で」

 それを聞いて、ブルントンは狂喜した。空中のものが、どうして川に落下する危険があろうか。

 十万キーンで手を打つことにして、ブルントンと空中の馬車、ヴァンとセイラは、並んで川の上を歩き始めた。

 道中、ブルントンは、魔族村の話を予備知識として二人に話した。

「この世界に人間に友好的な魔族と無関心な魔族とがいるのはご承知のことと存じます。これから行く魔族村は、友好的な方の村です。魔族たちは、最も強い者が領主を務め、村名は領主の名になります。領主が変わるたび村の名が変わるので、我々人間はとても覚えていられません。そこで、我々は、『この町から北東の村』など、人間の町を基準にして話をします」

 ヴァンは、この世界にはもう人間と敵対する魔族がいないことを知った。

「これから行く魔族村の名は、ザヒルス村。つまり、ザヒルスという魔族が領主である村ということです。全員、釣り、狩り、裁縫などすべての能力を学んでいて、自給自足です。冬、凍った川の道がある間だけ、人間の作る楽器や各国の情報など、新しいものを買い求めるのです」

 ブルントンの話の間に、セイラは氷の上を滑り、木の枝につかまって事無きを得た。ヴァンはまったく手を貸さなかったのを、行商人は目の端で観察していた。

 川幅が狭くなり、これ以上は船でもさかのぼれないというところで、脇の川岸に、草木の刈られた道が用意されていた。その道をしばらく進んだとき、

「さあ、ここがザヒルス村ですよ!」

 ブルントンが手を差し伸べた先に、砂糖の蜜をたらしたような白い屋根の、カップケーキのような茶色い建物が並んでいるのが見えた。

「……魔族村、なのか」

 ヴァンは、大きいカップケーキそのものの形の建物群を前に、それだけ言った。ブルントンは不思議そうな顔をした。

「魔族が異常な砂糖好きで、特に住む家まで、甘いものと同じ形に作ってしまうのは有名でしょう。この村の人たちは、カップケーキが好きなのですよ」

「……そうか」

 ヴァンは、魔族が砂糖の魔力に負けたことが、意外だった。

「(安易な快楽に浸る種族ではないと思っていたが、人間と敵対することをやめて、闘争心に隙ができたか。建物にまで砂糖を求めるとは、軟弱になったな)」

 ヴァンが空中から降ろした馬車と、ブルントンが先頭に立って村に入っていくと、あちこちの畑から、人間の姿をした魔族が走り寄ってきた。

「わあ、ブルントンさんだ!」

「よく来たね、待ってたよ!」

「寒かったろう、村の中央堂へ行きな! 火をたいてやるから!」

 子供も犬も、老人も働き手も、皆がブルントンの周りに集まった。男の一人がラッパを吹き、ブルントンの到着を村中に知らせた。

 村の中央に四角い広場があって、その一辺に二階まで吹き抜けの、木造の細長いブレッド型カップケーキのような建物、中央堂が建っている。村で大事な集会があるとき、雪をしのげるここを使う。ブルントンのような商人が荷を広げ、村人全員が和気あいあいと品定めをするときも、ここである。

 中は暖炉に火が入れられ、そして、村人全員の熱気で、暑いくらいだ。

「ふうん、今、人間の国ではこんなアクセサリーがはやってるの……」

「これが今年の賞を取った人間の本か……」

「えっ? この数学の公式、証明されたのか! 先を越されたなー……」

 野菜や肉、果物といった食材は圧倒的に少ない。それは彼らが自分で生産できるからだ。だから、彼らは自分のお金を、情報、つまり自分の未知を埋めてくれる方に、多く費やせるのだ。あとは、

「わー!! カップケーキだー!!」

 子供たちが目を輝かせている先にある、大量の冷凍カップケーキと、自宅で作るための、砂糖と小麦粉などだ。

 彼らのお金を稼ぐ手段とは何か。

「ブルントンさん、先に今年の分の成果だ。調べてくれ」

 毛皮を着ている、長老と思しき、白髪で骨張った老人が、村人に合図した。村人は二つの木棺と一つの小さな木箱を、三人が一人一つずつ抱えて持ってきた。二つの木棺の中には、氷で凍らされた遺体が二つ、入っていた。ブルントンは人相書のついている台帳をめくった。

「ええっと、一人目は指名手配番号十八―七―二十一。すりののち護送馬車から脱走。生死不問。懸賞金百八十万キーン。頬骨に傷あり。うん、この男で間違いない。続いて二人目は、指名手配番号六―三―百三。強盗殺人。生死不問。懸賞金五百万キーン。人相書とそっくりだ。この男で間違いない。そしてこの木箱の中には、鍾乳しょうにゅう魔法石まほうせきが十個か。良質ですね、特別に五十万キーンでいかがでしょうか、トルス長老」

 長老のトルスはうなずいた。

「では、お支払いいたします」

 ブルントンは二つの金袋を取り出して、指名手配犯の賞金と自分が鍾乳魔法石を買った代金を、別々の袋から支払った。ヴァンが問いかけた。

「この村は、指名手配犯を倒すことでお金を得ているのか」

 長老トルスがヴァンに顔を向けた。

「ええ。この村の近くの山は大きいので、逃げてくる者が多いのです。我々は売るような特産品は作らないし、人間の国々が彼らに懸賞金を出しているのを知ったので、我々で犯罪者を倒してみようということになったのですよ。おかげさまで、今は貨幣を獲得し、時代に遅れることなく、世の中の情報を得ることができておりますよ」

 ヴァンは、木箱を指差した。

「鍾乳魔法石とは、何だ」

 見た目は波の模様の鍾乳石だが、茶色だけでなく、水色、黄緑色、薄赤色と、様々な色がある。

「魔法の力の集束に使われる石です。魔法使いの杖の先についている石の種類の一つですよ。色によって使える元素の魔法が違います。この村は鍾乳洞があって、そこから採れるのですよ。お一つ、いかがですかな」

 鍾乳魔法石のことを探って盗みに来たのだろうかと、一瞬中央堂内の全村人に緊張が走った。セイラが身をすくませる中、ヴァンは鍾乳魔法石を一つ、手に取った。深い水色だった。

「良い力を感じる。この星が育んできた記憶を、その身に刻みつけているからだな。使う者がこの星を理解すればするほど、この石は理解された喜びで持ち主のために力を増すだろう。これほど精神力に左右される石はあるまい」

 ザヒルス村の中でも一部の者しか知らない秘密をヴァンが語ったので、長老トルスは驚いた。

「魔法石のきでしたか。鍾乳魔法石は合格ですかな」

 経験豊富な年寄りらしく、動揺していることはおくびにも出さず、落ち着いてヴァンに笑いかけた。

「オレは鍛冶職人だ。この石からとてもよい武器が創れると思う。それと、できればその鍾乳洞に連れて行ってくれないか。この星の記憶をよく知りたい」

 トルス長老は、困惑した。村の大事な資源のあるところを、よそ者に教えられるわけがない。

「残念ですが、それはお断りいたします。わかっていただけますね」

 トルス長老の言うことはもっともだと思い、ヴァンは手に持っていた水色の鍾乳魔法石を五万キーンで買い取ると、じっと眺め始めた。

 トルス長老は、ブルントンに、皆の分の商品の代金を支払った。

「あの……、領主のザヒルス様はまだ……」

 小声のブルントンに、トルスも声を低くした。

「ああ……、あのお方も、不幸の多いお方だ……」

「ザヒルスというのは、この村で一番強い者の名だったな。もしオレがザヒルスに勝ったら、オレがこの村の領主だ。そうしたら鍾乳洞に案内してもらえるな」

 突然、ヴァンが話に割りこんできた。

「なっ、なんという! 魔族以外の者を領主になど、わしが許さん!」

 長老トルスが血圧を上げて怒鳴った。

「安心しろ。鍾乳洞で星の記憶を知ったら、ザヒルスに負けてやる。またザヒルス村を名乗れ」

「ななな、なんという自信家!!」

 領主のザヒルスを馬鹿にされて、トルスが村人として憤慨した。

「わしらのザヒルス様が、戦士でない鍛冶職人などに、負けるものか! ……戦えば勝てるが、今、それどころではない……戦えるかどうか……」

 トルスの声の語尾が小さくなっていった。

「ケガをしているのか。セイラ、治してやってくれないか。ザヒルスを全力で戦わせてやる」

 ヴァンがセイラに振り向いたのを見て、トルスは心の裏に、何かの信頼の空洞が生まれたのを感じた。それが怒りの比率を減らしていった。

「仕方ない……。恥をしのんでお話しします。いいお知恵がございましたら、お教えください」

 トルスがゆっくりと話しだした。

 ザヒルスの家は、魔族でありながら、人間の貨幣を大量に持つ、富豪だった。一家で各地を旅し、指名手配犯を倒し続けて荒稼ぎをしたあと、何億キーンという大金と共にこの村に落ち着いた。自給自足で特に使わないので、金はほぼ減らなかった。ときどき一家で近くの人間の町まで出かけて、指名手配犯の最新情報を確かめていた。

 十年前のあるとき、幼いザヒルスが家族とはぐれた。見つかったとき、ザヒルスの体はどこにも傷がついていなかった。家族はほっとしたが、一つだけとんでもないことになっていた。ザヒルスがお金を払おうとすると、百キーン硬貨一枚でも一万キーン紙幣一枚でも、一キーン硬貨一枚に変わってしまったのだ。ザヒルスは何億キーンも持っている。しかし、その紙幣を使おうとするとその枚数分、全部一キーン硬貨になってしまうという、呪いを受けていたのだ。

「たとえば、十万キーンの支払いのとき、一万キーン紙幣十枚を出そうとすると、紙幣十枚がすべて十枚の一キーン硬貨になってしまうのです。十五才の大人になられたザヒルス様は、大きな買い物ができず、とても困っておいでです。相手の商人も、ザヒルス様に一キーンだまばかり出されるので、誰も売りたがらなくなってしまいました。何億円も持っていても、使えないのです。ご家族である祖父母様とご両親がいらっしゃるうちは、代わりに払ってもらえたので良かったのですが、皆様、お亡くなりになりました。今はお独りで、館にこもって畑を耕しておいでです。領主様に村をお守りいただいているからという理屈で、村人皆で、身の回りの買い物のお世話をしております」

 魔族も人間と同じような時間の流れで年を取るようになったという情報を得たのち、さて、とヴァンは考えた。金銭が絡むなら、黒魔の呪いであろうか。黒魔の誘いに乗らないから、苦しめられているのではなかろうか。

「会って話がしたい。今すぐに案内してくれ」

 中央堂の中は火がありながら、薄暗くなっていた。外は日が暮れていた。

 長老トルスは少し迷っていたが、若い男二人を呼び、一人はザヒルスへの使いに、一人はヴァンたちの案内に加えた。

「さあ、行きましょう」

 トルスはたいまつを掲げ、ヴァンとセイラを先導した。セイラは、村人が中央堂に集まっているので家々の明かりの乏しい道を歩くのが恐くて、ヴァンの腕を、両手でつかんでしまった。

「……」

「……」

 二人はそのまましばらく無言で歩いていたが、ヴァンは、人間の夜目よめはあまり見えないことを思い出して、しばらく迷っていたが、放っておいた。この子は、弱いから、守らなければならない。自分が巻きこんだのだから、自分の目の届く限り。

 ザヒルスの館が見えてきた。村人のように浮かれたカップケーキ型の家ではない。唐辛子型の、細長い二階建ての赤い建物だった。

「……地震で館が倒壊したとき、ザヒルス様がこの形に建て直されました」

「……そうか。家は住む人の心が表れるのだな」

 トルス長老とヴァンは短い会話を交わした。すると、一階の玄関扉が開いた。トルスが向かわせた男だった。

「ザヒルス様がお待ちです」

 一階部分には、金銀財宝に紙幣が、乱雑に転がっていた。

「ザヒルス様のお金は、他の者が使おうとしても一キーンだまになります。盗んでも盗み損ですよ。かっかっかっ」

 長老が笑えない冗談を言いながら、細長い螺旋らせん階段を上った。

「トルス。客人とはその人々のことか」

 筋肉のあまりない、細身の体つきの、少し小柄な少年が、ひじかけ椅子に座ったまま、読みかけの本にしおりを挟んで、脇へ置いた。立ち上がると、セイラと同じくらいの身長だった。百六十センチといったところだ。

「(こんな若くて細い子が、この村で一番強いの?)」

 セイラは、同じ目線のザヒルスをまじまじと見てしまった。右の前髪は茶色で、右側頭部から長く伸びた山吹色の髪の毛が頭を横に横断し、左の前髪として覆いかぶさっている。襟足から外に短い髪がはねている。右眉が山吹色、左眉が茶色だ。目は菱形で、どこまでも続く草原が見えるような、奥深い黄緑色の瞳をしていた。いつでも戦えるようにだろうか、肩当て、革の長手袋、刃つきのブーツを身に着けて、机に斧が刃を上に向けて立てかけてあった。

 ザヒルスは、ヴァンをつまらなそうに見上げていた。トルスが取り次いだ。

「ザヒルス様、この方はザヒルス様のお金の呪いに興味がおありです」

 それを聞いて、ザヒルスは不機嫌な顔になった。

「ふん、どうせ一キーンだま富豪の顔はどんな顔かと興味本位で見に来たのだろう。ご覧の通り、まだまだ先の長い十五才の若者だ! これから一生買い物ができない、全部自分で得なければならない、魔族の少年さ! 魔族は、最初はそうだったのだから、原点に戻るという意味では正しいと思うがね!」

 自分の弱点を馬鹿にしてくる者には、最初からけんか腰になる。トルスがザヒルスに耳打ちした。

「この方は、鍾乳魔法石の力の秘密を見抜きました。ザヒルス様のことも、何か見抜く力を持っているかもしれません」

「! ……」

 ザヒルスはヴァンをしばらく睨んでから、長椅子を掌で示し、皆に席につくよう、促した。二人の若い男は、中央堂へ戻った。

「……私はザヒルス村の領主、ザヒルスだ。私と同じ呪いで呪われたくなかったら、下手に説教じみたことを言わないことだ。そんなつもりなら、最初から関わるな」

 これまで会う人皆に因業いんごう少年だからだとでも言われ続けてきたのだろうか、ザヒルスは先に言葉のトゲを放った。

 ヴァンは、落ち着いていた。

「ザヒルス。呪いにかかったとき、身に着けていた鍾乳魔法石はあるか」

 ザヒルスは、独りでいたとき何があったと聞かれなかったので、面食らった。

「えっ……。護身の首飾りかな……これだ」

 首飾りのチェーンをたぐり寄せて、胸にあった黄緑色の鍾乳魔法石を指でつかんだ。縦三センチ、横一センチ、厚さ五ミリの板状に、加工されている。石の断面は何層にもうねっていて、ザヒルスの瞳のように色が深くてきれいだった。

 ヴァンはそれを借りると、しばらく見つめていた。

 セイラ、トルス長老、ザヒルスが邪魔するような声を出せずにいると、ヴァンが「なるほど」と呟いた。

「お前は呪いをかけられたとき、ビータンちょうにいたな」

「え? ああ……トルスに聞いたのか」

 ザヒルスは首飾りを返してもらった。

「いえ、私はお伝えしておりません」

「え?」

 トルスの返事に、ザヒルスが驚いて首飾りを落としそうになった。ヴァンは立ち上がった。

「お前の鍾乳魔法石がすべて教えてくれたぞ。さすがに鍾乳洞から作られるだけあって、記憶を蓄える量がすごいな」

「え!? お前、何!? 石と会話できる系の人なの!?」

 口を開け放つザヒルスを、ヴァンが促した。

「原因はわかったから、これからお前の呪いを解きに行く。一階のお前の金を、ありったけ持て」

「ほ、本当か!? うっ……でも、オレが持つと全部一キーンだまになって……」

「がんばれ」

「丸投げ!?」

 ザヒルスは疑い半分、期待半分で一階へ駆け下りていった。トルスが小さな声でヴァンに尋ねた。

「あの、本当に……」

「任せておけ。ザヒルスの呪いが解けたら、鍾乳洞に案内してもらうぞ」

 トルスはフウと息を吹いた。

「……わかりました。鍾乳魔法石と話ができるお方なら、鍾乳洞もあなたに会いたいと願うでしょう。どうぞ、ご随意に」

「おーい! 一袋でいいのかー!?」

 階下から、夜に合わない明るい声が響いた。


 ヴァンの風魔法で、ヴァン、セイラ、ザヒルスの三人は、ビータン町にやって来た。まだ夜の七時で、あちこちの酒場が大通りにテーブルとイスを出して、男たちが飲んで馬鹿騒ぎをしながら、席を埋め尽くしている。明かりだらけで、熱気が充満している。

「まだ皆さん、始まったばかりですね」

 セイラはテーブルに空のジョッキがあまりないのを見て、にぎやかな声に圧倒されながら、ヴァンの影に隠れた。

「で、ここで何をするんだ?」

 ザヒルスはずしりと重い、背中を覆うくらいの大きさの革袋を一つ背負いながら、尋ねた。

「いくら持って来た」

 ヴァンに逆に問われて、ザヒルスは声を低くした。

「紙幣で三千万キーンだ。つまり、三千個のいちキーンだまだ。本当はもっと入れたかったけど、重くなると袋が破ける。もっといるなら、持って来るが……」

「いや、それだけあればいいだろう。これがお前の気持ちなのだな」

 満足そうに微笑むヴァンを見て、ザヒルスは首を傾げた。ヴァンは町に目を向けた。

「この町でテシドを探す」

「テシド? 誰だ?」

「お前が笑った相手だ」

 ザヒルスは表情が凍りついた。セイラがヴァンに向かって控えめに手を挙げた。

「あのう……私にもわかるように、説明していただけませんか」

 ヴァンは、町の中を歩きながら話した。

「五才児の幼いザヒルスが家族とはぐれたとき、ザヒルスと同じく五才くらいの男児とその母親が、しゃがみこんで道で何か探し物をしていた。ザヒルスは自分が買ったアイスクリームを食べながら、興味本位で眺めていた。そのうち、男児が一キーンだまを見つけた。母と子は大喜びした。ザヒルスは、この二人はたった一キーンのために地にはいつくばって土さらいをしていたのだ、一キーンがあったくらいで楽園に入ったみたいに喜んだのだ、こんなおかしなことがあろうかと思ったとたんに、大笑いした。四百キーンのアイスが地面に落ちてもやめなかった。母と子は、真っ赤になってその場を逃げるように去った。アイスにアリがたかっていても、お前は笑いをやめなかった」

 ザヒルスは、罪を暴かれて真っ青になった。

「……誰にも言えなかった。呪いがかかっているとわかったとき、絶対にこれが原因だと、心のどこかでわかっていたけど、家族や周りの人に悪い子だとばれるのが恐くて、言えなかった。きっと他に原因があって、あれを見ていた呪い師が仕返しに呪ったんだろう、そいつを殺せばオレは呪いから解放されるはずだと、無理に考えたりもした。でも……、結局、そんな奴はいなかったし、呪いはずっとかかったままだった。知られちまったよ……本当のことを……!」

 若者が自らの評判を落とすことを極度に恐れるのは、仕方のないことだ。

「だが、あの母子はもっと評判をおとしめられた。違うか?」

 ザヒルスは力なく膝を地につけた。今自分が受けている以上の気持ちを、与えてしまったのだ。しかも、この町に住む人々にまでそれを見せてしまった。

「その男児が、テシドというのですね?」

 セイラが聞いたとき、三人は掘っ立て小屋の立ち並ぶ貧民街に入っていた。まだ起きているのだろうが、明かりは数件に一軒、一つあるかないかで、酒盛りのあった大通りとは比較にもならない。

「……ここに住んでいるのか? なぜわかる」

 ひびだらけの木でできた家の前で止まったヴァンに、ザヒルスがひそひそと聞いた。

「お前の鍾乳魔法石は優秀だ。ちゃんと周りの者が男児をテシドと言っていたのを記憶していたし、テシドと母親の風も教えてくれた。二人はここにいる。風が教えている」

 セイラはちょっぴりむっとした。風が教えてくれるのは、私のことだけじゃなかったの?

 一方ザヒルスは、十年分の緊張に全身が震えながら、ぶるぶる震える指で木戸をノックした。

 しばらく物音がしなかった。ザヒルスの全身から玉のような汗が噴き出た。

 もう一度ノックする勇気を出したとき、木戸が少し開いた。

「誰だ? こんな時間に」

 真っ白い肌に、焦点のしっかりとした小さい目。鼻と頬は少ししもぶくれで、唇は血色がいい。髪の毛が上に向かってはねていた。

 ザヒルスには一目でわかった。あのときの男児の面影が残っている。

「あ、あの、ごめんなさいでした!!」

 勢いよく腰を曲げたザヒルスは、気ばかり焦ってうまく言えない。

「え? あんた誰……?」

「どうしたのテシド」

 奥から中年らしき女性の声がした。

「お母様も、すいませんでした!!」

 ザヒルスは、顔をすねにくっつけた。

「え!? こいつ新しい勧誘商法か!?」

「戸を閉めなさい」

 落ち着き払った女性の声がした。

「待ってください!! お忘れですか!! 十年前、その……!! 一キーンだまを見つけて喜んでいたあなた方を笑った、悪人の男児のことを!!」

 遂にザヒルスは、自分の口から罪を言葉に出して白状した。これでもう、後戻りはできない。罪を認めたそのあと、どうするのかを試される。

「……」

 木戸がひらいた。

 家に入れる気はないらしく、テシドと母親が出て来た。母親はテシドとは違い、やせた顔つきをしていて、タオルでまとめていた髪を、タオルを取ってばらした。テシドがザヒルスを上から下まで見た。

「十年たって、何の用だ。また笑いに来たのか。この建物とか、こんな二人に謝ってやってるオレ、ウケるーとか」

「違います!!」

 ザヒルスが叫んだ。テシドは首を振った。

「帰れ。ああいうのはオレのような貧民は慣れてる。お前も正義感か罪悪感か知らないが、そんな理由でいちいち来るな。オレたちがますます惨めな思いをすることが、わからないのか。金持ちの偽善ゲームにつきあってやるほど、暇じゃない。オレは明日の仕事が早いんだ。ちっぽけな勇気なんか、いまさら押しつけるな。迷惑だ」

 テシドが後ろを向いていく間、ザヒルスは既視感を覚えた。呪いをかけられてから、周りの者たちから何か悪事を働いたのではないかと思われ、延々と善なる道を説かれ続けた自分のいらちだ。答えはわかっているのだ。でも、現状を抜け出せないから腹が立ってしょうがない。一歩さえあれば。そう思っていた。

「ア、アイスクリーム一緒に食べてくれませんか!!」

「はあ?」

 嫌そうにテシドが振り返った。テシドの心がわかる。どうしてほしいかも。自分と同じだから。

「オ、オレ、一キーンだまいっぱい持ってるから!! オレが払うから、三人で一緒に食べてください!!」

「嫌だね。だいたい、一キーンだまで全部払うって、営業妨害じゃねえの?」

「いいじゃないのテシド。一緒に食べましょう」

 母親が静かに微笑んでいた。テシドが発色のいい赤い口を曲げた。

「え? 何言ってんの」

「テシド」

 母親はテシドの腕を取り、ザヒルスに笑いかけた。

「私の名はテーオンといいます。さ、行きましょう」

「ありがとうございます!! 私はザヒルスといいます!!」

 テシドはしぶしぶテーオンと共に、ザヒルスの後について行った。ヴァンとセイラも後ろから歩いた。

 アイスクリーム屋は夜も営業していた。

「アイスクリームかあ……、ふふふ、おいしそうねえ」

 テーオンは楽しそうにアイスのケースを見てまわっている。

「ねえテシド、パイナップルのアイスとチーズのアイス、どっちがいいかしら」

「じゃあオレの分も使ってそれを二つ買おう。もらったら半分こしよう、母さん」

「あら、でもそれじゃあ……」

「いいよ母さん。いつかオレが自分の分も母さんの分も好きなだけ買ってやるから」

「……テシド」

 母と子の会話を聞いて、ザヒルスはもっとお金を持ってくればよかったと後悔した。とにかく、二人がアイスをもっと食べられそうなら、三千キーンがなくなるまで二人に買おうと決めた。

「よーし! オレはキャラメルアイスだ! 四百キーンのアイスが三つだから、千二百キーンだ! よーし、今からお店の人と一緒に数えるぞー!!」

 ドサと革袋を床に下ろしたザヒルスに、テシドが飛び上がった。

「お前、マジで千二百枚出すのかよ!!」

 二度とこの店に入れてもらえないかもしれないと、テシドが戦々恐々としていたとき、一同の目の前で不思議なことが起こった。

 ザヒルスの手の中に、一枚だけ一万キーン札が握られていたのだ。あとは相変わらず一キーンだまである。

「あれ?」

「ザヒルス、その一万キーン札を使え」

 ヴァンに言われて、ザヒルスはお金を普通に払うことができた。十年ぶりのことに感動して、お札を出す手が震えていた。

 しかし、もらったお釣りは皆、一キーンだまに変わってしまっていた。

 母子が楽しくアイスを分け合っている間、ザヒルスは真剣に事実を分析していた。そして、何か糸口が見えたようだった。

「さて、アイスをごちそうさまでした。おいしかったわよ、ありがとう。ほら、テシドもお礼を言って」

 テーオンがテシドの肩に手を置いたとき、ザヒルスが、

「待ってください」

 と、叫んだ。

「何か欲しいものはありませんか。私に贈らせてください」

 テーオンは、優しくザヒルスに語りかけた。

「そのお気持ちだけで充分よ。もういいのよ」

 テシドもあくびをした。

「オレたちは物乞いじゃねえ。欲しいものは自分でなんとかする。金でなんでも解決できると思うなよ。オレは明日早いんだ。ここでお別れだ」

「待ってください!! 待っ――」

 ザヒルスの呼びかけに応じず、母子は去って行った。セイラが問いかけた。

「……ザヒルスさん。呪いは解けたのでは?」

 しかし、ザヒルスは首を振った。革袋からは未だに一キーンだましか出ない。

「朝まで待ちます!」

 ザヒルスは決意した。


 あまりお金はないのだが、なぜかザヒルスは宿屋に泊まりたがった。鍾乳魔法石をいくつかもらう条件で、ヴァンが約五万キーンで三人一部屋の部屋を借りた。ベッドは、左端から順にセイラ、ヴァン、ザヒルスである。

 眠らなくてもいいヴァンは、ベッドの中に入って眠るふりをしながら、明日のことを考えていた。ザヒルスの姿が浮かぶ。

「(母親テーオンは大人だからわかってくれたようだ。問題はテシドだな)」

 ザヒルスの姿が目の前に漂う。

「(逃げるなよ。ここが正念場だからな)」

 ザヒルスの姿がさかさまになって、クラゲのように流されて動いている。

「さっきから、なんだ? 変なイメージだな」

 ヴァンがはっきりと目を開けて起き上がったとき、ザヒルスが寝ながら空中浮遊の奇跡を起こしているのが、事実としてわかった。空気が動いたことでザヒルスも目を覚まし、

「あっしまった! うわあっ!!」

 起きたとたんに床に落下した。落下した瞬間に全身にたくさんの線のいれずみが浮かび上がった。その音でセイラも目を開けた。

「お前……浮いてたぞ」

 ヴァンに言われて、いれずみの消えたザヒルスは、

「あ……、ああ……」

 と、曖昧な返事をした。

「修行者だったのか。だいぶ徳を積んだな」

「違ーうッ!!」

 ザヒルスは、仕方ない、という風にベッドの上に腰かけた。

「オレには別の呪いもかかっているんだ。起きているときは普通の体重だけど、寝て意識がなくなると、体が紙よりも軽くなって、風船みたいに空へ飛ばされてしまうという呪いだ。起きたとたんに体重が戻って地面に落下するけど、いれずみが出て、けがを防いでしまって、落下で死ぬことができないんだ。いつもは斧を重りにして地面に刺して、斧の柄と自分を鎖でつないで、知らない間にどこかに飛ばされないようにしている」

 ヴァンはザヒルスに興味が湧いた。これほど呪いが原形を保って表れやすい者は、そういない。普通は事故や体調不良だ。ザヒルスはいれずみの隠れている体を眺めまわした。

「オレに敵対する悪い奴を倒すごとに、いれずみの線が一本ずつ消えていくんだけど、ザヒルス村には賞金首くらいしか来ないから、全部は消せない。いつの間にか、元の本数に戻ってしまうし……」

「今日、どこかへ飛ばされないように、宿屋に泊まりたがったのだな」

いかり代わりの斧を忘れてしまったからな」

 とりあえず三人は、再び眠りについた。まずは一キーンだまの呪いを解く方が先である。


 朝早くから、低賃金労働者のテシドは、地主の広大な畑を耕す仕事がやりにくい。

「おい、あの男はなんだ? お前をじっと見てるぞ」

「弟分でもできたか」

 仲間二人にからかわれて、テシドは顔をしかめた。テシドは畑の管理人の目を盗んで、畑の外からこちらを見ているザヒルスに、しっしっ! と手を払った。

『今日も会って』と書いた画用紙を、ザヒルスが両手で頭上に掲げて振った。

「ラブレターか」

 仲間は笑ってテシドの肩をポンポンと叩いて仕事に戻った。

 仲間に三日分の酒のさかなを提供してしまったと思いながら、仕方なくテシドは頭上で両手をつなげてマルにし、そしてしっしっと手を振った。ザヒルスは一旦去った。

「早く仕事を終えて帰ろう。もう戸は開けない」

 舌打ちしながらぶつぶつ言うテシドに、若い仕事仲間が近づいた。

「……どうしたピディノ? 仕事中に話しこんだら管理人に怒鳴られるぞ」

 日焼けした筋骨たくましい青年・ピディノは、二人で硬い土を耕すふりをしながら、ある話をした。


 テシドの母親のテーオンは、ヴァンとセイラの二人と、家の中で話していた。三人で低い机を囲むと、一部屋しかない部屋の中はもういっぱいであった。

「十年経っても忘れないなんて、ザヒルスさんは律儀りちぎな子ですね。普通は知らん顔をするのに」

 ヴァンは、ザヒルスの呪いの話はしなかった。

「あれはいけないことだったのだと、ずっと気になっていたから今、救われる道がわかったのです。善なる心を捨てない者を、神は見放さない」

 テーオンは、ヴァンの言葉の真の意味に気づかず、ゆっくりと家の中を眺めまわした。

「神様は、いるんですよね。白黒の世界にしたり、色を戻したり。でも人間は、きっと何世代か後には、それをただの物語だと思ってしまうのでしょうね。せっかく今、神様を世界中が知ったのに、誰も信じなくなるのでしょうね」

「目に見えなくなっても、命がこの世界にある限り、神はそばにいる。励まし、戒め、必ず支える。生きていくとき、お前の決断の答えを恐れるな。完璧な答えを出せる者など、この世のどこにもいない」

 テーオンは、ヴァンの言葉があまりにも高くから発せられたような気がして、気圧けおされた。

「……そうですね。完璧な答えでなくてもいいというのは、救われますね」

「その代わり最大に努力しなければならない。本気でなければ、誰も助けようと思ってはくれないし、物事は成し遂げられないものだ」

「そうですね、テシドにも伝えます」

 テーオンが納得してうなずいているところへ、ザヒルスが戻って来た。

「会う約束、取りつけてきたぞ!」

 テーオンが立ち上がった。

「じゃあ、テシドが一人で帰って来たら、私が戸を開けてさしあげますよ。これから内職がありますので、一度お帰りいただけますか」

「内職ってなんの内職ですか?」

 ザヒルスが自然に聞いた。

「お裁縫ですよ」

 テーオンも優しく答えた。

「オレ、できると思います。上着もズボンも、布から作れるんですよ」

「ええっ!? かなり知ってるのね! じゃあ、これできる? このブラウスのね……」

 テーオンとザヒルスがブラウスを見ながら楽しそうに話している。ザヒルスはすべての能力を学ぶ魔族だし、何一つ買えないために、あらゆる分野のものを手作りしないと生きてこられなかったので、裁縫の一つや二つなど、お手のものなのだ。

 あっという間に夕方になった。

「ザヒルスさん、ありがとう。手伝ってもらったから、早く終わったわ。こんなにゆっくり休めたの、久し振りよ」

 テーオンが心から嬉しそうに笑った。ザヒルスも笑った。

「それはよかったです。そうだ、そろそろテシドさんを迎えに行きましょう。一緒に食事にしましょう」

 しかし、畑に行くと、既にテシドは帰っていた。すれ違わなかったので、どこかに寄り道しているようだ。ヴァンが風を使って、一同をテシドのところへ案内した。

 テシドは大通りに面した酒場の、外にあるテーブルの席についていた。目の前に、ピディノと、若い娘がいる。ぽっちゃりとした横に長い顔だが、笑うと頬がはちきれんばかりで、見ているこちらが幸せになる。赤い巻き毛を白いリボンで一つにまとめている。

「紹介するよ。今日結婚するミーハナだ。ミーハナ、こちらはオレの親友、テシドだ」

「初めましてテシドさん」

「よろしく」

 ミーハナとテシドは会釈した。テシドは水を飲んだ。

「……恋人がいたのか。驚いたよ。まあ、知ってる奴が多いほど、邪魔は増えるしな」

 ピディノはビールをすすめた。

「オレたち二人はみなしごだから、祝ってくれる親族はいない。親友のお前にしか言ってない。今日結婚することも」

 テシドは声をひそめた。

救民教きゅうみんきょう教民きょうみん様に結婚式を挙げてもらわないと、まずくないか? もし子供が産まれたら……」

 ピディノは目に影を落とした。

「結婚式のときに救民教に寄付する金がない。二人の男女が愛しあうのに金を払わなければならないなんて、間違ってる。誰もが好きに結婚し、好きに子供を産めばいいんだ。非難されるなら、オレは別の宗教の町へ行く。オレたちを受け入れてくれる神のもとへ。ラウクゼークという教祖が立ち上げたラウクゼーク教は、誰にも強制されない、自由な教えだと聞く。そこへ行くかもしれない」

 テシドは長い間、黙っていた。別れが近づいていると思ったからか、結婚に関して先を越されたと思ったからかは、わからない。それとも、自由を自分の手でつかみ取ろうとしていく親友への羨望せんぼうなのだろうか。

「今日はオレのおごりだ。祝ってくれないか。お前に知っていてほしいんだ。オレたち二人が夫婦になったことの、証人になってくれ」

 ピディノがテシドにビールを持たせ、三人で乾杯しようとした、そのとき。

「テシド、ここにいたのね。ピディノ、こんばんは」

 テシドの母テーオンと、そしてザヒルスたちが、テシドにたどり着いた。

「テシド、今日は三人でお話があるの?」

「あ、その、あの……」

 テシドは、ビールと母とピディノを、かわるがわる見てから、最後にザヒルスと目が合った。

「あっ!! お前!!」

「え? 何ですか?」

 テシドはザヒルスの首に腕を回して、大通りの隅に連れて行った。

「お前、オレに何か贈るって言ってたよな。あれ、まだ有効か」

 テシドのために物が買えるとわかって、ザヒルスは目を輝かせた。

「はい、はい! 欲しいものは何ですか!?」

「ここの支払い、頼む!」

「お任せください!」

 動悸どうきがしながら、ザヒルスが請け負った。自分の予想が間違っていたら――、テシドとテーオンのために使うときだけ一キーンだまが元のお金に戻るという予想が間違っていたら、ザヒルスはお金を払えない。テシドに恥をかかせることになる。

 最悪の場合、自分の護身用の鍾乳魔法石を食事代にしようと決意しながら、ザヒルスもテーブルについた。

 テシドはじゃんじゃん料理を頼み始めた。

「ピディノ、今日はオレが払う! 安心してはめを外そう! あ、お姉さん、上等の肉でよろしく! あと酒もこの店一番のを!」

 ピディノとミーハナが目を丸くした。

「お、おいテシド、お前、金はあるのか? オレたちがいくらこうなったからって、お前にこんなに使わせられない! 明日からどうやって生活するんだ! 借金は親友として、許さないぞ!」

 テシドがザヒルスを指差した。

「こいつがここの料理をオレに贈ってくれる。詳しく話したくないが、まあ十年前からの知り合いだ。母さん、ザヒルスたち、詳しくは言えないが、この二人は今日、とても嬉しいことがあったんだ。一緒に祝ってやってくれないか」

 ピディノが笑いながらテシドを制した。

「お祝いの贈り物をしてくれる人に隠すのは失礼だよ。皆さん、実は今日私とこのミーハナは……」

 結婚式の楽しい宴は、みせいまで続いた。

 たくさんの空きグラスに、食べ尽くされた料理の大皿が何枚も、テーブルに載っている。

「おいしかったね!」

 ミーハナが幸せそうに、一緒に同じ料理を食べたピディノに微笑んだ。それを見たピディノも、幸せそうに頬がゆるんだ。

「ありがとうテシド。最高の結婚式だったよ」

 テシドはその言葉を聞いて、親友のためにやれるだけのことをしてやれたという気持ちで、心が満たされた。

「お会計は二十二万八千キーンです」

 ウェイターがやって来た。「来た。」ザヒルスは心臓に負荷がかかった。

 一キーンだまの入った革袋を地面に下ろした。震える指で袋の口に手をかける。そのとき、テシドが声をかけた。

「なあ……、たくさん贈ってくれて……ありがとう」

 袋の口を開けたザヒルスの目から、涙が一粒こぼれた。

 テシドのために使う前の一キーンだまが、すべて一万キーン札に戻っていた。

 その後、テーオンとテシドの母子に、ザヒルスは残りのお金の入った革袋を贈った。二人は約三千万キーンもの大金なので固辞しようとしたが、ザヒルスは、「今日は自分にとってとても嬉しい日だから、自分のこの嬉しい気持ちを受け取ってほしい」と言って、渡すことができた。

 呪いが解けて、ザヒルスが一番最初に自分のために買ったものは、十年前と同じアイスだった。

「アイス食べてようと何してようと、何かが起きるときは起きるんだなあ」

 ザヒルスがアイスを食べながらしみじみと呟いた。ヴァンが応じた。

「それは一秒ごとにそうだ。知ってよかったな」

「そうだな。ヴァン、セイラ、つきあってくれてありがとう。オレ、もう一キーンだまを笑わないよ。……しばらく触りたくないけど」

 ヴァンは、宿屋でもらったお釣りの一キーンだまを取り出した。そして掌を上に向け、右手に炎の玉、左手に風の玉を出すと、一キーンだまを押しつぶすように両手を組んだ。指の間からもれた光が光線となって固まり、光が失せると、指揮棒くらい短い、黒い棒になっていた。

いちキーンのつえ。へそくりを探すのがうまい」

 ヴァンの命名に、セイラが感動してパチパチと拍手を送っている。ザヒルスはヴァンの鍛冶の力に、自分の目にはいつ使うんだろうとつっこみを入れたくなる杖に見えることは置いておいて、ただただ感嘆していた。


 ザヒルス村に戻って来たとき、村人は喜んで出迎えたものの、その表情は硬かった。

 呪いが解けたあらましを聞いて、村人は口々に祝ったが、皆、どこか暗い。

「どうした。私の留守中に何かあったのか」

 ザヒルスが不安を覚えたとき、ヴァンが代わりに口を開いた。

「この者たちは全員黒魔を身に宿している。すり替わっているわけではないが、黒魔と共にいる」

「ええっ!?」

 セイラとザヒルスが周囲を見回した。トルス長老がため息をついた。

「やはり、最初に鍾乳魔法石を手にしたときに、読まれていましたか」

 ザヒルスが混乱して叫んだ。

「どういうことだ! なぜ私以外の者が全員!?」

「それはザヒルス様の呪いと関係があります」

 トルスが話した。黒魔は、ザヒルスの一家のお金に目をつけた。しかし、ザヒルスに黒魔以外の呪いがかかっているのに気がついた。この力の源は何なのか? この力の果ては何なのか? 黒魔は、未知の事象に、非常に興味を覚えた。ザヒルスが生き延びようと死のうと構わないが、この男が何をして、どう呪いと関わるのか、知りたいと考えた。

「そこで、我々に話を持ちかけたのです。ザヒルス様を監視したいので、影に住まわせてくれないかと。報酬は“健康な体”、つまり病気をしない体でした。……私たちは誘惑に負けてしまいました。そして、黒魔と私たちは共生することになったのです。黒魔は私たちに悪さはしません。私たちは人間と違って、命を貪りませんから。ただ、ザヒルス様が呪いに耐え切れなくなって自暴自棄の旅に出ないように、黒魔はザヒルス様に別の呪いをかけました」

「えっ! まさか、寝てると浮かんでしまう、あれか!?」

 ザヒルスが体を触った。トルスはうなずいた。

「どこへ行ってもうまく生きていけない、ザヒルス村の村人しか優しく世話してくれないと思いこませ、ザヒルス様が自らこの村にい続けるようにしたのです。呪いを解きに旅に出ようと思ったとしても、二つもの呪いをたった一人で解こうとは、よほどの者でない限り、思いません。黒魔は監視し続けるために、ザヒルス様にこの二つ目の呪いをかけたのです。その呪いは一体敵を倒すごとに呪いのいれずみの線が消えてゆき、すべての線がなくなれば解かれます。ですが――」

「オレが倒すたび、黒魔が呪いをかけて元の数に増やしていたのか」

 ザヒルスが斧を手に取った。

「出て来い黒魔! 高みの見物をしやがって! 呪いが解けたらオレはもう用済みだろう! 殺しに出て来い、返り討ちにしてやる!!」

 しかしトルスは答えた。

「黒魔は、ザヒルス様にはもう手を出さないと言っています。一度呪いを破った者が、どのような人生を送るのか、知りたいそうです。また同じ呪いにかかるのか、別の呪いが待っているのか、幸せになれるのか……とても知りたいと言っています。お金も、手は出さないそうです」

「何を勝手なことを……!! 村の者たちを解放もせずに!!」

 村人たちは、「いえいえ」と、首と手を振った。

「我々魔族は、黒魔に取りこまれる者はいません。健康をもらえて、むしろ共生に感謝しているくらいですよ」

「えっ、いや、しかしだな」

 ザヒルスが斧をもてあました。村人たちは、続けた。

「むしろ、呪いに耐えてくれてありがとうと、言っています。もう何もしないから、敵を倒して呪いを解いてくれと」

「なにい!? いまさら都合のいいこと言ってんじゃねー! オレがどれだけ苦労したと思ってるんだ!!」

 ザヒルスが暴れそうになるのを、ヴァンが押さえた。トルスがヴァンに近寄った。

「すみませんが、しばらくザヒルス様のことをお頼みできませんでしょうか。報酬は鍾乳魔法石全種類一日取り放題で」

 ブドウ狩りのような言い方で、魅力的に聞こえる。ヴァンは、ヴァン自身も呪いを克服したザヒルスに興味があったので、引き受けた。


 ザヒルス村から少し離れたところに、鍾乳洞はあった。ひんやりとした空気の流れる洞内に、色とりどりの鍾乳魔法石が存在していた。

 行ける限りの最奥さいおうで、ヴァンは白色の鍾乳魔法石に出会った。手をかざし、星の記憶を読み始める。

「『黒魔……でさえ、力の先を……見たいと思う……。神の意志を……』。『注意……、この星は……ループ……』」

 それ以上のことは、わからなかった。ヴァンは鍾乳魔法石の模様の波が、規則性を持っているのを見ていた。

 鍾乳洞内の水滴の音を確認すると、ヴァンはピンク色と黄緑色の鍾乳魔法石を取り、外に出た。鍛冶をすると、それぞれ雪玉形のピンク色のイヤリングと、黄緑色に四角く輝く、ベルトの金具の飾りになった。

 セイラが魔法攻撃から身を守る色のイヤリングを、ザヒルスが毒攻撃を中和する色のベルトの金具の飾りをもらった。セイラがイヤリングを指で揺らして喜んだのは、言うまでもない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ