式神を撃つ目第六章「悲鳴」
第六章 悲鳴
出雲は、多少不満だった。
せっかく人のために戦うのに、皆に秘密にしなければならないからだ。
これでは、紫苑はまた皆から理解してもらえない。人のために生きていることを、誰にも知ってもらえない。
「いずれわかることよ」
紫苑はそれしか言わなかった。苦しむとわかっていて、この少女はあえて飛びこむのだ。
「(秘密の戦いが終わるまでに、逆上した人間たちから紫苑を守れるのは、オレしかいない!)」
出雲の瞳に闘志が宿った。
今、紫苑たちは毛土利国の国境まで来ている。
前国家の遺跡の発掘が進められている、小さな来場村があるだけの、さびれた所だ。
国境の関所が閉じられているほど夜遅くに到着したので、紫苑たち三人は村で唯一の宿屋に向かった。が、なんと満室で、納屋に泊まることになった。
村で一軒の居酒屋で遅い夕食を取っていると、村の者と思しきくすんだ服を着た連中が、眼鏡をかけた男を中心とした、体格のいい男たちの周りを、取り囲んでいた。
「で、先生、今日はどこまで遺跡を掘り進んだんだい?」
「この村が有名になりそうな物、出たかい?」
「歴史的に価値があるかどうかは、これから詳細に調べないと。まだはっきりとは言えないですね」
先生と呼ばれた眼鏡の男は、どうやら遺跡発掘の中心的人物のようだった。年の頃四十そこそこ、白い肌に神経質そうな鋭角の目をしている。
「この村の土地はやせていてな、何を植えても育たないんだ。遺跡が観光に結びついてくれるのを、期待してるぜ!」
酒の息を吹きかけられて、眼鏡の先生は落ち着きなく目を動かしたが、やがて発掘手伝いの者たちと立ち上がると、宿へ帰っていった。
発掘隊が泊まっているから満室なのか、とわかったものの、一部屋くらい増築しておけばいいのに、とも思う三人であった。
深夜、出雲は複数の忍び足の足音で目を覚ました。
隣を見ると、紫苑も既に起き上がって、納屋の板壁の隙間から、外を覗いていた。
発掘隊の眼鏡の先生が、手伝いの人間たちに合図して、村の出口へ向かっているのが見えた。彼らは、穴掘り道具や発掘した品を背負って、完全に逃げる態勢である。
「なんだ? あいつら。後をつけてみるか?」
「待って。向かいからも音がする」
出雲と紫苑が反対側の壁の穴からも覗き見ると、作業用の汚れた服を着た別の一団がめいめい穴掘り道具や袋を持って、村の外の獣道に入っていった。
「この間の金の牛は十五万で売れたぜ……」
と、小声で自慢話をしている。
「こんなやせた土地で、何の資源もない村に、金の牛? 隠し金山でもあるのか?」
出雲は、だとしたらここにとどまるのは危険だ、と考えた。金が絡んだときほど、人間が残虐になるときはないからだ。
逃げていった学者たちも気になる。なんらかの危ないことをしたあとかもしれないからだ。「よそ者」の出雲たちに罪をなすりつけたのだとしたら、取り返しのつかない事態になる。
村の者たちは隠し金山を持っていると仮定して、学者たちはそれに気づいて持てるだけ金を持って逃げた、とも考えられる。遺跡にまったく価値がなかった場合、充分ありうる話だ。
「(金を盗んだのをオレたちのせいにするつもりか!? 冗談じゃない!)紫苑、あの学者たちを追うぞ!」
霄瀾を起こして三人で外に出たとき、村人の一人が、黒い服で目立たないようにしている、大きな袋を持った男と抑えた声で言い争っているのが聞こえた。
「香木を持ってくれば二十万出すと言ったじゃないか!」
大きな袋を持った男が冷静に答えた。
「確かに言った。だがこんな虫食いで、中身のないスカスカの木に、誰が金を払うんだ? 持って来るならもっとましなのを持って来い。虫の卵もないやつをな」
「なんだと! こっちがどれだけ危ないことをして取ってくると思ってるんだ! 天井がいつ崩れてくるかわからない恐怖と、危険があるんだぞ! 勇気の分、金よこせ!」
大きな袋を持った男は、大げさにため息をついた。
「旦那、感情で商売はできない。あんたらが死のうが生きようが、こっちはどうだっていい。客は、きれいで、使えるものを求めてる。持って来れないなら、もうあんたの品は買わない。わかったか!」
どうやら商人だったようである。品を提供する方が立場は強いだろうに、村人はやりこめられている。
なおも言い返そうとする村人に、商人はとどめの一言を告げた。
「盗掘者風情に、何か言う資格があると思ってるのか!」
そのとき、商人の目と出雲の目が合った。
商人がビクッと肩を震わせたのを見て、村人も紫苑たち三人に気づいた。
「こいつら……聞いたな」
妙に落ち着いた村人が目をすわらせた。
「殺ろう。よそ者だ、村中で隠せば大丈夫だ」
「オレの顔も見られたしな」
二人が、紫苑たちに近寄ってきた。
若夫婦に子供一人の、ひ弱な家族ぐらいに映ったのだろう。
「ほう……お前たち、盗掘者だったのか」
堂々と腕組みをして二人が近づくのを待ち構えている剣姫を見て、出雲は力が抜けながら、ああ……、と青ざめた。
村人の悲鳴を聞きつけて、他の盗掘者たちが、取るものも取りあえずばらばらと駆け戻ってきた。
「どうしたんだ!?」
腕から血を流してきーきー言っている村人に、泥だらけの村人たちは驚いた。商人は既に事切れている。
「なんだこの女は!」
「殺人鬼だー!!」
「みんな、起きろー!!」
村人がガラガラと鈴を鳴らして、狭い村の、百人ほどの村人を起こしてまわった。
武器を持った村人全員に取り囲まれた出雲たち三人は、覚悟を決めるしかなかった。
「おい! 学者の連中がいないぞ! 荷物もそっくりなくなってる!」
「なに!? どういうことだ! おい、説明しろ!!」
しかし聞かれた剣姫は肩をすくめた。
「知るか。私たちも奴らを追おうとしたが、こいつらが私たちを殺そうとしてきたから斬った」
すると、腕を斬られた村人が叫んだ。
「そいつらを生かして帰すな! オレたちが盗掘で食ってることを、知られた!!」
その言葉に、村人たちだけでなく、紫苑たちも驚いた。
「村人総出で盗掘か! 学者たちはいい食い物だったわけだ……」
では学者たちは、村人の知らないうちに大発見をして、それを持って逃げたのだろうか?
未解決のもやもやした気分を抱える紫苑たちに、村人たちはこの数なら簡単に、と居丈高になった。
「へっ、なーに驚いてるんだよ! この何も育たない貧しい村に、やっと出てきた宝の山だ! それともお前らは、生きてる者より死んでる者を優先するのか!」
紫苑は、この世は今生きている者のものだけではないと思っていた。
「どちらにも優劣はつけられん。先人の知恵と歴史には敬意を表さなければならない。その人生をもってそれらを発見してくれたのだから」
村人たちは「今生きている者が勝つ人権」を無視した紫苑に、あ然とした。これがあるから死刑になることはないと、これまで好き放題やってきたからだ。
「でも死人に宝石はもう必要ない!」
村人たちは躍起になって叫んだ。ここで負けたら、自分たちは全員断罪を免れないと、心のどこかで気づいたのだ。しかし、それは紫苑には関係ない。
「死者を身ぐるみはぐ奴は生者を身ぐるみはぐ追いはぎと同じだ。だいたい、どうしてこの土地にいるのだ。やせた土地が嫌なら移住するなり、いも類を増やして植えるなりすればよかったではないか」
「国が移住を禁止しているし、年貢もいっぱい取っていく。もう盗掘しかないんだ!」
紫苑の目が光った。
「それは違うな。この毛土利国は千里国の月宮の属国。月宮はよい国守を演じるために、領民が餓死するような年貢の取り立て方はさせなかった。お前たちはぜいたくしなければ食べていけるはずだ。貧しいと思うのは、米を知らない者が隣人の米を見たからだ。知らなければ、ないなりに生きていけたのに、自分たちも欲しがるから被害者面して貧しいと思うだけなのだ。足るを知れば、こうして犯罪の武器を今、手にすることもなかったろうに」
棍棒や鉄製の農具を掲げた村人たちは、一瞬ひるんだ。しかし、村人たちは引き下がらなかった。
「あの遺跡の宝石は、強欲な君主が無理に人々から取り上げたものだと、学者が言っていた! あの墓に宝石なんかない方が、ざまあみろで取られた奴らもせいせいするだろう!」
しかし、紫苑は突然怒りだした。
「お前たち!! そんな穢れたものを人に売ったのか!! 恨みのこもった宝石はその悪王が持っていれば子々孫々までたたって因果応報になったのに、その宝石をそのまま見知らぬ他人に恨みごと売ってしまうなど、なんということをしたのだ!!」
村人は気圧された。
「何怒ってるんだ。金は払ったから買った奴は大丈夫だ」
「盗まれた者に金を払ったわけじゃないだろう! 恨みが浄化されずに盗まれたのだから、怨念が消えているわけがない! 次は買った奴をたたるぞ! 貧しいなら貧しいなりの生活の中に喜びを見出すべきだったのに、金欲に負けて自らも高くなろうと望んで、盗みを働くとは。なぜ間違った方法に逃げたのか! 苦労なくして富を得るという、事の危険の重大さが、お前たちは全くわかっていない!」
紫苑たちを取り囲む武器を鳴らして、村人たちはいきりたった。
「オレたちだけ貧しいなんて不公平だ! 金持ちと同じ思いがしたいんだ! 金持ちはオレたちをバカにするじゃないか! あいつらばっかり、ずるい!!」
「なら努力しろ!! 金持ちだってその富を築くまでに、知恵を使ってのしあがってきたのだ! お前たちはなんだ! ただ他人の物を盗んで、売って! 安易に泥棒になっただけではないか! そんな知恵も誠実さもない奴らが、信頼で成り立つ商売で金を稼げると思うのか!! 人生をなめるな!!」
紫苑は盗掘に対して剣姫になることはなかった。理不尽に泣く者が、いないからである。死者の子孫が泣き、心が殺されていたら、違ったのだろうが。だが、生きている者に傾いているわけではない。もし彼らが先人の重大な知恵を失わせていたら、今生きている人のために剣姫になっただろう。
そして今、紫苑は、紫苑たちの口を封じようとする直前の村人に対しては、剣姫になりかけていた。こちらの方は、ぎりぎりで、耐えていたのだ。これ以上話していたくない。紫苑の最も恐れるセリフが飛び出す可能性もある……。
そのとき。
「もういいよ。早く殺しちまおうよ。埋めるのだって、大変じゃん」
「犬のエサにすれば一食分浮くよ!」
紫苑は目の前が真っ暗になった。
紫苑が一番聞きたくない人物が、そのセリフを言ったのだ。
十才前後の、男の子と女の子だった。
貧すれば鈍する。
燃ゆる遙を圧倒した男装舞姫の信じた「子供」なのに、意地汚い大人の思考を直接受け継いだ「心の貧者」の言葉をまともに聞かされたので、紫苑は衝撃のあと、ふつふつと村人すべてに目をたぎらせた。
「下手に出りゃつけあがりやがって! 愚かで善に対して薄弱な人間ども、絶対に許さない!!」
紫苑は一瞬子供たちを見て、そして一瞬目を固く閉じた。
「どうして毎回人を信じるのに、どうして毎回貴様らは私を裏切るのだァーッ!!」
人間を信じるから、剣姫はいつも普通の人間に戻る。もう呼ばれることはないと信じて。
「神じゃあるまいし、もう私は許さない!!」
可能性を信じた子供にまで拒絶されて、全人類はもはや信じるに値しなくなった。
「虐殺をくれてやる! 覚悟しろ人間ども!!」
剣姫が世界中の人類を滅殺することを決意したとき、不意に剣姫の視界が光に包まれた。
「!?」
紫苑が目を一回瞬きしたとき、そこは紫苑がいつも見る夢の世界になっていた。
ただ、いつも紫苑を慰めてくれる、青年の姿はない。
天から、天と地上をつなぐ、一本の光の柱が降りてきた。
「私だって人間なんだ! 人間が人間を信じられないでどうする!!」
光の柱は、紫苑の声でそう言った。いや、光の柱が言ったのではない。紫苑が人に拒絶されるたび、心の中で繰り返し、虐殺の衝動を抑えてきた、彼女の心の声だった。
紫苑には、光の柱が神なのか、自分の人を信じる心なのか、判別できなかった。しかし、この柱が自分を人間に戻そうとしていることは、わかった。
「私はもう人間を信じる心を取り戻すつもりはない。なんでこんなつまらない人間どもを守るために生きなくちゃならないんだ? こいつらに何の価値があるんだ? 私が人生のすべてを、愛されるはずだった人生のすべてを! 失うに値するか? 否だ。もう生きていたくない。この世界で私を拒絶する人間どもを救うなんて、まっぴらごめんだ。剣姫? 力の使命? はっ、それがどうした。私は人間が滅びるまで毎回生まれ変わって、人間どもが救われずにのたうちまわるさまを、最後の一人として眺めてやろう。人間なんか救ってやるものか。せいぜい絶滅するまで苦しみもがくがいい!」
すると夢の世界の地面が盛り上がり、人々の姿をとった。
「助けてください! 倒せるのはあなただけです!」
「あなたの力が必要なのです!」
しかし紫苑は怒らせた目をそらした。
「『敵』がいなければ私に物を頼めないのか? 平和なときは遠ざけて、ずい分好都合なことだ!」
もう人間を救わない剣姫に、人間たちは泣き叫んだ。
「まいた種から実るものを刈り取るがいい。剣姫の恩に仇で返した報いを受けよ!!」
紫苑が人間たちをほったらかしにしていると、光の柱が人の形を象った。
「お前の力を恣意に使ってはならぬ!」
光は、夢の中の青年の姿をとっていた。相変わらず、逆光で顔がよくわからない。
「勝手よ、お兄さん!! 私の本心を、知っているくせに!!」
大好きな青年に怒られて、紫苑は涙が一筋流れた。
「もう私は生きていたくないの!! どうか、殺してよ!! 魂も、塵にしてよ!! 私は何のために生きているのか、わからなくなったよ!!」
しかし青年は、語調を強めもしなければ、弱めもしなかった。
「運命の子よ、そなたにはそなたの戦いがある」
すべてを見通しているかのような口ぶりに、紫苑は真正面から挑んだ。
「その結果人間を救うなんて、虫酸が走るわ!」
そこで、夢から現実に引き戻された。
村人たちが、紫苑たちに襲いかかってくるところだった。
小さな子供たちが、霄瀾に小刀を突き立てようと走っているのが見えた。
紫苑は迷わず斬り捨てた。
その瞬間、大人たちの動きが止まった。
皆、「まさかいたいけな子供に手は出さないだろう。道徳的に犯罪だし」と思って、甘く見ていたのだ。
自分たちが捕まっても、子供がちょっと泣けば、情状酌量で刑が軽くなるだろうとまで思っている大人たちは、そのいたいけな子供に裏切られて怒りに燃える紫苑の心中など知るはずもなく、
「魔族だあー!!」
「よくもオレの息子を!! 殺せー!!」
と、半狂乱になりながら、紫苑に一斉に突撃した。
「紫苑!!」
霄瀾の竪琴で力を取り戻した出雲が追うと、紫苑は全く動じず答えた。
「出雲、お願いだ」
顔を空に向けて、その角度のまま首だけこちらに向いた。
「私に世界を見限らせてくれないか」
髪が目に入るのも構わずに、出雲も誰も見ていない、遠い焦点をした。
ここで皆殺しにしたら、きっともう戻れない! 出雲は必死に村人たちの武器を斬り落とし、殴って気絶させていった。
それを遠い国の出来事のように眺めながら、ゆっくりと双剣を構え始める紫苑に、ポッ、ポッ、と雨が降りだした。
世界に裏切られ続け、心がボロボロにえぐられていく紫苑。人は紫苑に、最後に報いてくれるのか。人を救うならその先に真の信頼は訪れるのか。人を愛し、愛さないことが最大の力を与えても、紫苑は人ではなくなっていく。
「私は一体何になるんだ」
雨に打たれて空を見上げても、紫の苑には何も育たない。
双剣を頭上で交差させて、遂に紫苑は宣言した。
「愚かなる人間どもよ! 驚くがいい! この剣技の美しさがこの世にあることに!! 貴様ら全員、一撃の剣舞で葬ることを今ここに約束してやろう!!」
「だめだ、紫苑!」
出雲が剣姫を止めようとしたとき、
「そう。だめですよ」
突然木の陰から声がしたかと思うと、十二支式神の水でできた「子」(鼠・ねずみ)が複数飛び出し、村人たちの腹を突き破った。
村人たちの悲鳴を聞きながら、紫苑は黙って眺めていた。
「な……なんだてめえは! 魔族か!?」
すべてが終わって、木の陰から出て来た者に、竪琴を弾き続ける霄瀾をかばうように、斜め前に立った出雲が、刀を構えた。
「まだあなたに魔性に堕ちてもらっては困ります」
雨の中、笠をかぶっている男が現れた。顔は笠のせいで、よくわからない。
袋に入れた杖を持ち、袈裟に前垂といった、僧服を身につけている。
さきほど跳移陣を使って跳んで、剣姫を追ってきたのである。
「お前、人間だな!? なぜ村人を殺した!?」
出雲の問いに、男は軽く笑ったように肩が動いた。
「ああ……、この村の遺跡の宝には、世話になったもので。神器がいくつか出ましてね。学者が気づく前に横流ししてもらったのですよ。そのお礼に、全員死んでもらったんです。誰も私が神器を持っていることを、知っていることのないように」
「お礼だと……!? ふざけるな!!」
精神構造がまるで違う。しかし、この男は今重要なことを言った。
「お前、神器を持ってるのか」
「ええ、そうですよ」
隠すこともなく、あっさり男は布袋に入った杖を持ち上げた。
「ずい分簡単に言うじゃないか。無意味にオレたちに言ったわけじゃないよな?」
「そうです」
出雲に対して、男は軽い挨拶のように、
「最終兵姫を封印しに来ました」
事もなげに言った。
出雲たちが凍りつくのに構わず、男は村の出口へ体を向けた。
「私はしばらく実力を見せつけてあげますから、逃げる算段をしたいなら、どうぞ。でも、私からは逃げられませんよ。どこまでも追いかけますから」
そう言って、布袋から杖を取り出した。
黒い杖身に白い貝殻の形の集音器が三カ所について、黄色い針をつる中にたくさん備えた葛が巻きついていた。
「何をする気だ」
心なしか出雲の声が渇いていた。
いつのまにか雨がやんで、夜が白々と明け始めている。
「あの学者一行がなぜ、夜中に出て行ったかわかりますか? 彼らは、この村の盗掘に気づいていて、これ以上ここにいたら、いずれ盗掘の現場に鉢合わせて、殺されると怯えたのですよ。でも、自分たちがやっとの思いで見つけたものを、諦めるつもりはなかったようですね。彼らは毛土利国の王に陳情して、軍隊を動かしてもらっていますよ」
その口調が現在進行形なので、出雲は青ざめた。
「毛土利の軍隊が、ここに来るのか!?」
「もうここを包囲していますよ」
「大変だ!!」
剣姫が人族軍を潰滅させたなどという話が広まったら、もう紫苑を彼女の側からも人間の側からも呼び戻すことはできない。霄瀾もいる。紫苑と霄瀾と人族軍を守りながら逃げるなど、不可能だ。
「今のうちに逃げるしかありませんが、別に逃げる必要はありませんよ」
また奇妙なことを、男が言った。
「私が全員殺してみせますからね」
出雲は目を見開いた。剣姫以外でそんなことを言う人間を、見たことがなかったからだ。
「すぐ終わりますよ」
散歩でもしてくるかのような気軽さで、男は村の広場へ向かった。
毛土利国の王、利周は、可もなく不可もなく、平凡な男だった。
新たな産業を興して国を豊かにするわけでもなく、領民に重税を課しているわけでもなく、しかしだからといって民に慕われているわけでもなかった。
つまり優柔不断で、何も決められないまま、なんとなく日々を過ごしているだけの男であった。
千里国の月宮の属国として、波風を立てない優等生であった。平和なときなら、歴史に埋もれるような名もなき為政者だが、確実に家を子孫に伝えられただろう。
だが、月宮が死んで再び世界が戦国時代に戻りつつある今、民を率いる才覚のない利周は、魔族と戦うのに一生ついていけるような主君ではない、というのが重臣たちの見解だった。
家臣たちは、利周の血縁の、もっと豪胆な人物を王にしようとしていた。
だから、利周は考古学者から来場村が神器を盗掘したと文書で告げられて、飛びついたのだ。
神器は、戦局を左右する宝である。
それをどことも知れない者へ売り飛ばすのは、利敵行為をする売国奴であり、死刑が適当である。
逮捕の際は村中が抵抗するだろうから、軍隊を率いてこれを捕まえなければならない。やむを得ない場合は殺害も許可する。
来場村は小さいから、必ず成功するだろう。こういう成功体験を積み重ねていけば、皆も利周が王であり続けることを肯定するだろう。
すべては己のためだ。そして、神器も手に入れる。外交の切札にもなる。
全人口百人の来場村に、千人の軍勢を用意した。
多すぎはしない。犯罪人の来場村の連中に、かわいい兵士が一人たりとも殺されないように、大勢で寄ってたかって逮捕・殺人をしなければならないからだ。一人でも犠牲が出ると、尊い命が失われたと、臣下や民衆の支持が下がるのだ。
学者たちが避難してきて、準備は整った。
旅の者らしきものもいるようだが、ここは一つ犠牲になってもらおう。売国奴に殺されていたとでも発表すれば、民衆は王が来場村虐殺をすべきだったと、信じてくれるだろう。政務などというものは情報操作でどうにでもなる。情報漏洩を防ぐために、重臣も仲間で固めてしまえば完璧だ。
夜明け。利周が全軍に突撃命令を下したとき、来場村から赤い光が生じた。
僧服の笠の男は、葛の杖を持って周囲を眺め渡した。
「全方位ですか」
心なしか、笑みを含んでいるように聞こえる。
「じゃ、始めますか」
男は葛の杖を頭上に掲げると、光の文字を書きだした。文字を書いていくたびに、杖の黄色い針がなくなっていくのが見えた。それがわかるくらい、男の文字を書く速度は速かった。
「炎界臨界! 浄土焦土!」
男が杖を地面に突き立てると、そこに放射状に文字が伸び、炎が走った。
来場村を取り囲んでいた兵士たちの足元にまで炎の文字が到達したとき、文字が一斉に弾けて、兵士千人を一瞬で炎に包んだ。
王も含めて、毛土利軍は全滅した。
生きながら焼け死ぬ阿鼻叫喚が、村の中央にまで伝わってくる。
「ひでえ……! なんて殺し方しやがる!! 全員悪人でもないだろうに!!」
出雲が周囲を囲む炎を目の当たりにして怒りに満ちた。
「一騎当千か。術でこれをする奴は、初めて見た」
紫苑が白き炎で出雲と霄瀾を覆いながら、冷静に分析した。男の術は紫苑たちも焦がそうと迫ったが、剣姫の白き炎には勝てなかった。大勢相手で力が分散したせいかもしれない。
「私の実力のほどは、おわかりいただけましたね? 邪魔者はいなくなったことですし、さあ、封印されてください、最終兵姫」
男が地面から杖を引き抜いた。黄色い針は元の数に戻っている。あれだけの大技を繰り出したのに、息一つ乱れていない。
相当の手練であることは確実だが、出雲には腑におちないことがあった。
「お前は、人間だろ!? なんで人間を殺したり、紫苑を狙うんだ!」
人間の切札となってくれるよう、頼みこむのが普通なのに、と出雲が続けようとすると、男は音を立てて笑った。
「人間が人間の味方とは限りませんよ。最終兵姫がそうじゃありませんか」
出雲が言葉に詰まると、男はおかしそうに続けた。
「おや、あなたはずい分のんびりと構えているのですね。最終兵姫をこの神器の杖に封印したら、次はあなた方二人の神器も、私はいただくつもりですよ」
「なっ……!!」
出雲と霄瀾は思わず声を発した。
「その神器が特別なことは、皆知っているのですよ。最終兵姫にばかり目がいって、自分の神器の重要性を忘れていたのですか?」
「お前は何者だ!! まさか、お前……!!」
魔族側の者として、星方陣を作るつもりなのか、と問おうとして、出雲は言いかねた。まだ生き残っている他の誰かに聞かれでもしたらと思うと、大声で言えない。
「いずれそのまさかになるでしょう。ただ、私の望みは他の者が願うような短絡的なものではありませんが。ああ……自己紹介くらいしておきましょうか。“お前”と呼ばれるのも味気ないですからね」
星方陣を作ると発言したあと、男は笠にちょいと手をかけた。やはり顔は見えない。
「私の名は河樹。術者です。こんなところかな?」
「待て! 封印に神器を使えば体が崩壊するぞ!」
出雲が叫んだ。
「身代わりに別の神器を用意すれば、強大な相手でも死なずに済むのですよ」
「なにっ……!!」
河樹は笑みを絶やさず、村人たちから渡されたであろう、名も教えぬ神器が入っているらしい袋を軽く見せた。
フククフと自分の言動に笑ったあと、河樹は紫苑に近づいた。
「私が考えるに、あなたは神の選んだ戦士です」
紫苑は黙っていた。
「あなたが神の敵となる前に、今、神の戦士のまま私が封印すれば、神は必ずあなたを救い出そうとするはずです。第二第三の神の戦士が必ず私の目の前に現れることになる。私はそれを倒していけばいい。神の戦士を全滅させるのに、こんな楽な方法はないでしょう?」
紫苑は眉根を寄せた。
「根性のない奴だ。世界中を旅して探す手間を惜しむ者に、残りの神器は見つけられん」
「他の者に見つけさせます。そして殺して奪います」
本当に、人間とはまるっきり精神構造が違うのだ。
紫苑は人間らしさが残っているから、怒りの心と許す心が葛藤して苦しむのだが、この河樹には迷いがない。自分に絶対の自信を持っているのだ。
河樹は両手を広げて大笑いした。
「思い通りにならない世界なら、壊してしまえ! 力ある者のみが、それを許される! 私はそうして生きますよ!!」
そして、術の体勢を取った。
「炎柱砲!!」
城攻めのとき扉を破るのに使いそうな、大きな丸太と同じくらい太い炎の柱が、河樹の杖から発射された。
紫苑は双剣を使って周りに散らした。
「二人とも! 離れていろ!」
紫苑には今の一撃でわかった。二人を守りながらでは、勝てないと。
「待てよ紫苑、オレも――!」
「ここで逃げられては困ります。十二支式神『午』(馬)!!」
出雲を制するように、河樹が炎の午の式神を出した。
「炎式出雲、律呂降臨!!」
紫苑が素早く出雲を式神化した。
午の突撃を、引き抜いた出雲の神剣・青龍がいなした。
剣姫化していても出雲が動けるようにするための霄瀾の竪琴を見て、河樹は口の端を吊り上げた。
「私の神器・水鳴葛が、こんなにも役に立つとは思いませんでしたよ。鳴消潜止!!」
その瞬間、霄瀾の水鏡の調べから、音が全くでなくなった。弦を弾いているのに、何の音も響かない。
出雲が力を失って崩れ落ちた。剣姫に気を食われているのだ。
「そんな!? 出雲、しっかりして!!」
霄瀾の必死の演奏に、河樹は自分の神器の、貝殻型の集音器を指差した。
「あなたの音は皆、この中に吸収されているのですよ。ですから、もうあなたの聖曲は使えません」
霄瀾は意味がよく呑みこめなかった。
「神器なのに……!?」
「確かに普通の人間が作った武器には勝つでしょう。しかし、神器は神器に負けるのです。使う者の技量、効果によってね。だから、神器を持っていれば最終兵姫に勝てる可能性があるのです」
紫苑は出雲と霄瀾のそばへ駆け寄りながら、悪い事態を悟った。霄瀾の聖曲が封じられた今、力を出せない出雲と二人で、完全に無防備状態である。かといって、あの二人を守って戦うのは、無理だ。
「あなたは今、どうあの二人を逃がそうかと考えていますね。理不尽ですか? 人を信じた結果、人のせいで負けるのは」
河樹に、紫苑は軽く首を振った。
「……たとえどんな理由があろうと、勝つのは力の勝る方だ。互いに譲れないものがあったとしても、力がなければ想いは破られる。私はそれを知っている。だから理不尽ではない」
「大人しく封印されてくれるのですね?」
そのとき、紫苑が笑いだした。
「ハハハハッ! お前、私のことを何も知らないのだな!」
「!」
不測の事態に備えて、河樹は杖を強く握った。
「世界を滅ぼす私が、そうする前に黙って封印されると思うのか!」
「ではこの二人の命はいらないと?」
「いいことを思いついたよ」
紫苑は出雲の青龍を腰に差した。
「これでお前を封印しよう」
河樹は炎柱砲を連発した。紫苑の白き炎が直撃の道筋をそらしていく。
「あなたは地雷の術を踏みましたよ! おわかりですか!」
「その地雷をまいたのはお前だ! 自業自得だ!」
水鳴葛もしくは河樹の神器のひとつを奪おうと迫る紫苑の剣圧を、術と神器の杖で耐えながら、河樹は黄色い針を光の文字にして、出雲たちを巻きこもうと再び浄土焦土の術を繰り出そうとした。
紫苑の白き炎が、光の文字を書かれるそばから燃やし消していく。
勝てないなら封印するしか逃れる手立てはない。
十二支式神の午も、河樹が戦いに集中しているために、出雲たちを襲う動きが鈍っている。出雲がなんとか炎を出して、突撃をそらしている。
紫苑は河樹に何度か、封印の呪文を刻みつけようと刀を振ったが、そのたびに十二支式神の午が機敏に戻ってきて、炎のたてがみを噴き伸ばして邪魔をした。
一方、河樹は封印の呪文を一文字ずつ、確実に光の文字にして書きためていた。
一文字一文字は空中を飛びまわっていて、斬り捨てようとするとより高く逃げるし、白き炎を出すと河樹の背にまわって、炎を防いだ。
紫苑は焦った。このままでは、先に封印陣が完成するのは、河樹の方である。紫苑が勝つためには、もうたった一つの方法しか残されていなかった。
男装舞姫である。
陰陽の力を完全に調和させ、精神と体が耐えられる限り、永遠に力を完全創出させる状態になる。
「うっ……!!」
しかし、男装しようとした紫苑は、仮面に伸ばした手が止まった。
「私はもう、世界を愛していない」
驚きというより、諦めに似た穏やかさが紫苑を包んだ。
紫苑は、自分の選択に納得していたのである。
「人間を愛していないなら、もう必死に戦うこともないのではないか?」
河樹に刀を振りながら、紫苑はいやにゆっくりと考えた。
この野郎は、出雲と霄瀾を見捨てた場合、勝敗は五分五分だ。
「さて……」
紫苑は考えた。
「私はどうしたい?」
剣姫の冷酷な感情に支配されだしたとき、河樹が口を開いた。
「あなたもかわいそうな人ですね。人間からは利用され、魔族からは賞金首にされ。ここで死んだ方がかえって楽になれますよ」
「……? 何の話だ」
月宮に利用されていたのはわかるが、賞金首というのはわからない紫苑に、河樹が告げてしまった。
「人間の最終兵姫を手に入れた人間が帝となる。倒した魔族が魔族王になる。あなたは、人間にも魔族にも、誰にも愛されない、いらない子なのですよ。人間に疎まれ、魔族に狙われる、誰にも必要とされない少女なのです」
「なんてことを……!」
出雲は呻いた。紫苑が世界に絶望しているときに、追いうちをかけるなんて。
「こんな世界を守ってなんになる……!」
震える紫苑を前にしながら、河樹は封印の呪文の最後の一文字を書き終えた。
「そうですね。こんな世界とは死んでおさらばした方がいい。人間なんか救っちゃいけません」
「殺してやる……!!」
「え?」
「人間も魔物も、皆殺しにしてやる!!」
紫苑は今、燃ゆる遙と同等の魔の波動、つまり魔性をまとっていた。
燃ゆる遙は「男」の陽の気があったが、紫苑は「女」で陰、そして善を信じる心を消してしまった。
このままでは精神が陰に呑みこまれ、魔神の一部に取りこまれてしまう。
「私の計画が!」
河樹は焦って杖を振り上げた。
そこへ、魔性の重い斬撃が振り下ろされた。
河樹はたまらずよろけ、腕のしびれを感じた。
「殺してやる! 殺してやる! 殺してやるー!!」
むきだしの殺意には慣れているはずの河樹も、同時に覆いかぶさる魔性に、足が緊張せずにはいられなかった。
「これが燃ゆる遙の魔性だとしたら、相対すればあなたでなければ生身の人間では苦しいものがありましたね」
魔性を散らせるのは剣舞のみ。河樹に剣舞はできない。
「しかし……」
急に、力押しで河樹に斬りかかっていた紫苑が、苦しみだした。
「グッ、グボッ!! カハッ!!」
体中からどす黒い魔性が噴出している。精神が完全な陰となったために、その精神を魔神に取りこまれようとしているのだ。
「生身の命が、陰陽どちらかに偏れば、すぐに自己崩壊するのは当たり前です。……ああ、そうか。あなたは……」
膝をつき黒い魔性を嘔吐している紫苑の目の前に、河樹は立ち止まった。
「世界を殺したいから、自分を殺したかったのですね」
紫苑は嘔吐し続けていた。
「ぎりぎりのところで、まだ人を救おうとするなんて、あなたは本当に、解せない人だ」
河樹は、紫苑が一瞬出雲と霄瀾に苦しそうな目を向けたのに気づかず、興奮して叫んだ。
「でも、ほっとしましたよお!」
河樹は歯並びが全部見えるほど笑うと、紫苑の前髪を乱暴につかんで顔を引き上げさせた。
「あなたは本当に神の戦士だ! これだけのことをする戦士なら、神も見捨てまい! これから、神の戦士を釣るいいエサになる! いやあ、これはいい物を手に入れた!! あははっ、あはははははは!!」
口から魔性を垂れ流している紫苑の頭を前髪で振り回し、最高のおもちゃが手に入ったように笑う河樹を見て、出雲は今すぐ駆けて河樹に斬りつけてやりたかった。剣姫化を解いてくれ、紫苑と心の中で叫びながら。
「さあ、永遠の就寝の時間ですよ。人間があなたを救いに来るようになったら、人間を愛せるようになるかもしれませんね。いえ、それとも、世界の終わりまであなたはこの杖に残ってしまうかな? あははははは、きっと後者でしょうね! 哀れな人だ、あなたほど怒り、苦しみ、愛に葛藤する人はいない! ただ『武器』として求められて、あなたは永遠に人間に怒り続けるんだ! さようなら最終兵姫、ついに人間はあなたを拒絶したままでしたね! あははははははは!!」
「シ……紫苑―!!」
出雲と霄瀾があらん限りの声を出したとき、
「負けるわけにはいかぬ……!」
紫苑が歯を食いしばり、目から黒い魔性を出しこぼした。
「え? なんです?」
笑顔で河樹が問いかけた。
「負けるわけにはいかぬ! 私の理想を貫き通し、最後に私が、人間を愛せるようになるまではァーッ!!」
「愚かな兵器!! 永遠に果てなく求め続けるがいい!! さらば!!」
河樹が、神器・水鳴葛を振り上げた。空中を漂っていた光の文字が集積し、封印の力を帯びた。
「助けて!!」
紫苑は剣姫として生きることを決意してから、初めてその言葉を絶叫した。
神にか、自分にか、それとも――。
ガッシャアアアア――――ンン……!!
すべての結晶が砕け散るような、綺麗で、豪華で、苛酷な音がした。
朝の光の中、大小様々な結晶が舞い、反射した光はきらびやかに踊っていた。
その結晶の破片の中、河樹の水鳴葛を受け止めている人物がいた。
時が止まったその瞬間、出雲は直感した。
「剣姫を助けた! ということはこの男は剣姫を止められるッ!!」
紫苑は突然、夢の中の青年が、夢で紫苑が言いかけた言葉をくれたのを思い出した。
『頼りなさい紫苑。誰も君に頼らせてくれなくても、私がそばにいる。私を頼りなさい、紫苑』
紫苑は舞い光る結晶の中、一粒の透明な涙を見開かれた目から落とした。
「星方陣撃剣録第一部紅い玲瓏二巻」(完)




