神なき世界第五章「十全(じゅうぜん)の章授(しょうじゅ)・二章・予言書」
登場人物
阿修羅(ヴァン=ディスキース)。神の発音で「あじゅら」、人間の発音で「あしゅら」。邪闇綺羅(神の発音で「じゃぎら」、人間の発音で「じゃきら」)の弟。神刀・白夜の月を持つ。神に背いた罰を受け、この世界ではヴァン=ディスキースと名乗って旅をする。
セイラ=サザンクロスディガー。栄光の都レウッシラで阿修羅が助けた星羅と同じ姿をしている。歌姫。
黒魔。星の持つ、憎しみと絶望の権化。すべての命を喰らい、すべてを葬ろうとしている。
第五章 十全の章授・二章・予言書
ヴァンとセイラは、南隣の国・ガタラクマ国に入った。
「この国は、救民教とは別の宗教、ガタラクマ教を信仰しています。神託主義と言って、神託で国政以下すべてを決めます。神に仕える者は、神託を受けるためだけに身を清めます。王も役人も全員、神の力を特に受けた者という意味の、『神仕』です。国政のすべてが神託で決まりますので、神力のない者は、人の上に立てません」
セイラがヴァンに伝えた。クリーム色の長い髪。ライトピンクのプリーツスカート。黄色い瞳。
そこにいたのは、服装以外は、かつて阿修羅が出会った星羅そのものだった。
「……(共にいるのが辛い)」
ヴァンは不幸にしかできなかった少女から目を背けた。
ここはガタラクマ国の町の一つ、ベルビアである。どこの町であろうと、その町の最高権力者は、神託を得ることができる高位の神仕である。
だから、ベルビアの最高神仕で、白髪を一つしばりにした六十才の男、ジェック・ベンクが現れたとき、ヴァンはお供も含めて全員、まじまじと眺めた。
「(精神の修養の跡が見える。だが、なぜだろう。決定的に何かが足りない)」
全員、同じ何かが欠けていた。突然、ジェックの懐が輝いた。ジェックが急いで懐から取り出したのは、光る本であった。本を開くと、そこから空中に絵が照射された。
その絵の中に、なんと、ヴァンの美しい姿が立っていた。それを見た女たちは恋をした。しかし、ヴァンの周りで、男たちの殺戮しあう様子が展開していた。ヴァンは加わらないが、眺めている。ジェックが、カッと目を見開いた。
「おお……!! 天のお告げが下った!! これより先、この男はベルビアに現れて、男たちを惑わせて戦争を起こすであろう!! 将来戦争で指揮をとるこの男を、決してこの町に入れるな!!」
人々がうやうやしく礼をした頃には、ヴァンは前髪を延ばして目を隠してしまっていた。
「(いつも私は人間から忌み嫌われる)」
ヴァンは、浅いため息と共に、ジェックの光る本を見た。未来かどうかまでは知らないが、彼らの神託はあれで受けるのだろう。
「(あの本に頼り切っているから、皆、精神力が不足していたのか。未来を教える本、それはまるで兄者の乾坤の書のようだな)」
阿修羅の「乾坤の書・影」は、この世界で目醒めたときから、ない。ジェックの本は、この世界では乾坤の書に近しいものなのであろうか。
そのとき、ジェックが供の者に言った。
「鍛冶屋のベズュに、剣の納品を急がせなさい。この町に戦争が迫っている」
ヴァンは、光る本の通りに事が運ぶのか確認しようと、供の者の後をつけ、ベズュの鍛冶場にたどり着いた。大きな直方体の鍛冶場には、吊るしたロープにたくさんの剣がぶら下がり、三十人もの職人が働いていた。
パイプを吸いながら供の者と話しているのが、ベズュのようである。たるんだ帽子をかぶり、たるんだお腹を支えきれずにイスに座りこんだ。
「こっちもがんばって作ってますよ。三十人の職人なんですよ。大きな鍛冶場ですよ。それでも、急げと言われてはい、わかりましたとは言えませんよ」
白く太い眉と、白く豊かなひげが、曇りの日のように暗く曇る。
「できない、と言うのですか? なんとかするのが仕事というものでしょう?」
供の者も、ジェックに「できない」という返答を持ち帰れない。互いに無言のままで、しばらくして、ベズュが声をひそめた。
「悪い剣は短時間で大量に作れるが、良い剣は時間がかかるものですよ」
供の者も声をひそめた。
「では、“できる”のだな」
パイプの煙がぷかりと浮いた。
供の者は帰った。
すべてが聞こえていたヴァンは、ずっとパイプをふかしているベズュを放置し、隣接している武器屋に入った。ベズュの鍛冶場で作っている武器が売られていた。剣や槍、斧、短剣といった刃物が、百点以上並んでいた。装飾に凝ったものも、ベズュ鍛冶場の技術の高さを示すために、交じっている。
セイラは、両手剣が重くて、持ち上げるのにも一苦労すると、改めて神刀使いのヴァンを、尊敬を込めた眼差で見つめた。
ヴァンは、すべての刃物をざっと眺めた。良質の刃は、一本もなかった。表面はなめらかに仕上げて、一見美しく見える。しかし、中身は、くずの金属をつなぎ合わせたつぎはぎの剣であった。これでは数日の交刃で、すぐに壊れてしまうであろう。
「(これが、“短時間で大量に作った剣”か。ばれたときどう言い訳するつもりなのだろう)」
ヴァンがベズュの監視に戻ろうと思ったとき、きちんと軍服を着こなした青年が、武器屋の扉を激しく開けた。
「おい!! この剣はどうなっている!! たった一週間訓練に使っただけで、折れてしまったぞ!! 戦場で敵と本気の交刃をしたら、三日ともたないだろう!! 責任者を出せ!! ふざけやがって!!」
気づいた青年を、この鍛冶場はどうするのだろうか。
戦場で命を失うところだった軍人の青年は、怒りが頂点に達している。隣の鍛冶場から、ベズュがのそのそとやって来た。ヴァンとセイラは、彼らの話がしやすいように外に出た。
青年が折れた剣を突きつけた。
「こんな剣を作って、よくも軍に納められたな!! 他の兵士も全員持っているというのに、我々を殺す気か!! 私は上官の命令でここに来たのだ!! 返答次第では処罰も覚悟しろ!!」
ベズュはパイプを口から外し、大きく両手を広げた。
「そんな大げさな。ただただ、皆様の腕が上がっただけでございますよ。すぐにもっと強力な剣をご用意いたします。いやあ、おめでとうございます」
軍人はいきりたった。
「つい三箇月前も、そう申したではないか!! すぐに壊れる武器を安く売り、何度も何度も受注する!! 金を動かす役人はだませても、実際に使う我々の目はごまかせんぞ!! 良質のベルビア産の鉄鉱石を、どこをどうすればこんなもろい剣にできるのだ!! お前たちは限りある良質の資源の無駄使いをしている!! お前たちのこの武器屋と鍛冶場は、今から我々が捜索する! すべての武器の成分を調べあげ、ジェック様にご報告するから、そのつもりでいろ!!」
ベズュは急にじっと獲物をうかがうような目つきになった。
「これは、軍隊の独断ですか? ジェック様たち役所は、ご存知ないと?」
軍人は勝ち誇ったように笑った。
「そうだ。だから助けは来ないぞ、ベズュ。我々は既に配置済みだ。皆の者、手筈通りに!!」
軍人の声で、通りから武器屋と鍛冶場に武装した兵十人が雪崩れ込み、作りかけの武器の捜索が始まった。
「さびた金属がこんなにためてある……!」
「細かい破片を削ってパズルのようにして組み立ててある……!!」
兵士たちは、作業場の真実を知って背筋が凍った。
しかし、兵士たちは気がつかなかった。
そんな刃物だと見抜けなかったのは、どうしてなのか?
ベズュがひときわ大きなパイプの煙を出した。ベズュが戻っていた鍛冶場中に広がった。
兵士たちの持つベズュの剣が呼応し、黒煙を上げ始めた。そして、その黒煙の闇に呑まれた兵士たちは、同士討ちを始めかけた。
「うっ! なんだ、これは!」
「雑念が入る! 今はそれどころではないのに!」
彼らはめちゃくちゃに剣を振って、何かを振り払おうとしている。
刃は見事な美しさを持っていて、さびの持つ色の存在も、つぎはぎの跡もなかった。見えないように上塗りされていたのは何か? 黒魔の力であった。黒魔の上塗りが、不良品の真の姿を隠していたのであった。
剣を振り回して混乱する兵士たちを、ベズュはパイプをふかしてぼうっと眺めていた。その中を、髪を元に戻したヴァンが、冷静に歩いて来た。ジェックの光の本が示した絵の続きのように。
「良質の鉄鉱石がありながら、なぜ良質の剣を作ろうとしなかった」
ベズュはぷかあとパイプの煙を吐いた。
「作ったさ」
煙はすぼんで消えた。
「でも、一本名剣を作ったとしても、一人の兵にしか渡せない。なるべく早く、安く、常に最新鋭の剣を、兵士全員に行き渡らせるのがお上のご命令さ……『本気』の職人なら、無理だ」
ベズュは煙を吸わなかった。
「弟子がたくさんいても、全員同じ品質の剣は作れない。粗悪品が紛れていれば、そこをお上に難癖つけられ、さらに値を安くさせられる。採算がとれないオレたちは、安かろう悪かろう・何度でも買ってもらおうに堕ちるしかない。悲しくて、ベルビア産の鉄鉱石を使えない。あれは、この国のために本物の武器を作ろうとする鍛冶職人のために、とっておかなければならない。オレは、悔しいんだ」
ベズュは煙を吸わなかった。
「上に立つ人間が、実は全然国民のことを考えていないのが。この国には、オレが命を懸けて仕事を献上したいと思える上層部の人間が、一人もいない。悔しい。オレは仕事ができなかったことが悔しい。どうしていいものは時間がかかるのか。どうしていいものは高価になるのか。答えを知っているから、余計腹が立つ」
ベズュのパイプが震えていた。
「誰か一人でも、理解してくれる人がいたら……!」
役人は、ベズュが、政府の要求に対して苦し紛れに「安かろう悪かろう」の剣を提案したとき、「この国を守る気があるのか」と怒ってくれなかった。むしろ、「なんといい案だ」と奨励した。「だめだ」と言ってほしかったのに。お互い我慢して、一緒に名剣を作ってほしかったのに。だめな剣だとわかっていて悪いものを作り続けるのは、職人として悔しい。作らせる役人も憎い。――黒魔がその感情に引き寄せられるのに、時間はかからなかった。
ヴァンは、静かに見下ろしていた。
「粗悪品を隠すために、黒魔の力を借りたのだな」
ベズュはパイプに視線を落とした。
「見た目を取り繕ってくれた。オレの剣がすぐ壊れるとわかっていたから、黒魔の力でもいいから、剣に加えてやりたかった。魔の力でもいい、兵士を守れるならばと……。だが、現実は甘くなかった。一回でも黒魔の剣を手にすれば、誘惑が起こる。ほとんどの兵はもう黒魔の言うなりになってしまった。さっき怒鳴りこんできた軍人と、今いる少ない兵士たちは、まだ大丈夫だったみたいだな。まだそんな人間が残っていたのかと驚いた」
「どんなに力を得たくても、魔の力に頼ってはならぬと、いいものは時間がかかり、高価になると知っている真の職人ならば、わかっていたであろう!!」
ヴァンに怒鳴りつけられて、びくっと動いたベズュは、パイプを落とした。
「愚か者め……!! そこまで道を究めながら、道を塞ぐとは!!」
ヴァンとベズュは、固く両目を閉じた。
セイラのタロットカード・太陽の、黄色の光が発せられた。ヴァンが目を開けたとき、ベズュは影も残さず失せていた。パイプは、塵になって消えていった。
兵士たちは、セイラのタロットカード・星の紺色の光で傷を癒し、黒魔の力が失せてばらばらに壊れた剣を、呆然と見ていた。
そこへ、光の本の絵に導かれた、ベルビアの最高神仕・ジェック=ベンクが、お供を連れて現れた。
「神託の通りだ!! この男が戦争を招いたのだ!! 皆の者、こいつを殺せ!! この国にさらなる災いをもたらすぞ!!」
しかし、兵士たちは、助けてくれたヴァンに向かっていくことはできなかった。
「その……、剣がありません」
兵士が弁解すると、ジェックが白髪を振り乱した。
「何を馬鹿なことを!! 剣ならベズュのものが、そこら中にあるではないか!! ベズュはどうした!!」
「セイラ! タロットカード!!」
「はいっ!!」
セイラがヴァンに促されて、太陽のカードを掲げた。黄色の光に包まれたジェックには、何の変化もなかった。ただ、光る本だけが、太陽の光に反発するように強く光りだし、対抗するようにジェックの手から離れて浮かび上がった。
「し、神託を受ける本に何をする!!」
ジェックが慌てて、光る本を再び手に取り戻そうとすると、ジェックは本に弾かれて倒れた。
ヴァンが光る本にゆっくりと近づいた。
「この本は何だ。ベズュが黒魔に魂を売ったことを、お前に知らせなかったな。武器も正常だと偽った。『黒魔に都合のよいように』情報を書き換えている。この本はどこで手に入れた。言わなければお前を黒魔とみなす。この世界でその噂が死に値することくらい、お前にもわかるな」
ジェックはそれを想像しただけで息切れを起こすと、唾を呑みこんだ。
「こ、これはガタラクマ神仕国王、バーンン様よりいただいたものだ! 『等しき予言書』といって、どの修行を終えても関係なく、全員同じ神託を受け、読むことができる! この国の各町の最高神仕は、全員その本、『等しき予言書』を持っている! 未来のことがわかる、神のお力である!」
しかし、一斉に兵士たちの鋭い視線を浴びて、ジェックは思わず小さくなった。
「神仕国王……、つまり国王か。今すぐ話を聞きに行く。外出しないで待っていろ」
ヴァンが『等しき予言書』に話しかけると、予言書は余韻も残さず消えた。
「バーンンめ、やっぱりここを見ていたな」
ヴァンはそう呟くと、鍛冶場に神の火を分けた。小さな小さな火だが、決して消えることがない。いつの日かこれを使いたいと志す者がこの火を使うに値したとき、この火は息を吹き返すであろう。火は、パチパチと小さな音を立てている。それを見届けてから、ヴァンがセイラを連れて外へ出たとき、ジェックが雄叫びをあげた。
「バーンン様ー!! お見捨てくださいますなー!! いま一度、いま一度私めに『等しき予言書』をー!! お許しををー!! バーンン様ー!!」
「『神』と直接交信し、『等しき予言書』を得られるのはバーンンだけということか。ジェックが『神』に祈らないのがその証拠だ。バーンンの『神』を必ず見極めねばならない」
ヴァンは偽りの黒青龍を思い出した。
「私の創りしものを、私の意図と外れて真似ることは、赦さぬ」
阿修羅の赤紫色の星晶睛が、世界を見渡した。




