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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第二部 常闇の破鈴 第一章(通算二十章) 神なき世界
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神なき世界第二章「黒魔(こくま)の浸透」

登場人物

阿修羅(ヴァン=ディスキース)。神の発音で「あじゅら」、人間の発音で「あしゅら」。邪闇綺羅(神の発音で「じゃぎら」、人間の発音で「じゃきら」)の弟。神刀・白夜びゃくやつきを持つ。神に背いた罰を受け、この世界ではヴァン=ディスキースと名乗って旅をする。

セイラ=サザンクロスディガー。栄光の都レウッシラで阿修羅が助けた星羅せいらと同じ姿をしている。歌姫。

黒魔。星の持つ、憎しみと絶望の権化。すべての命を喰らい、すべてを葬ろうとしている。




第二章  黒魔こくまの浸透



 北の山から下山して、ふもとの町に入った。二階建ての、石造りの家が並んでいる。店には金属でできた看板がかかっていて、道は石畳で舗装ほそうされている。その上を馬車が走り、雪よけのマントを身に着けた人々が、道の脇で行き交っている。マントの下からのぞくのは綿の上着に毛皮のベストだ。そして毛糸のズボンやスカートをはいている。

 以前阿修羅の旅した、瓦屋根の建築物と着物の文化は、もはやどこにも見られなかった。

「あれからずいぶん時が経ったのだろうな。セイラ、この町は何という町だ」

 雪を積もらせないために急角度の円錐になっている屋根ばかりの、白壁の町並みを見渡しながら、ヴァンが尋ねた。

「サザンクロス(南十字)ですわ」

「『北』の山なのにか?」

 ヴァンは、以前の世界と違う言語もすぐに理解していた。

 北の山を抜け出ようとしていることを神官に気づかれないために、黄色のフードつきのマントを身に着けているセイラは、辺りを気にしながら小声で話した。

「厳しい雪が早く止むようにという、まじないの名づけです。希望を与えるために子供に名前をつけるのと同じですね」

「お前の名前もそこからとったのか」

「はい」

“南の十字を掘る者”=サザンクロスディガー。それはこの星にとって救いとなるのか、それとも――。

 ヴァンはさまよう視線の先、家々の屋根の上や壁に、五芒星が取りつけられていることに気づいた。星方陣の秘密の形状が知られているのかと、どっと汗が噴き出る。

「北の山の山頂の杖にもこの紋章をつけましたけど、この形はこの世界を象徴しているそうですわ。この星の気の流れは、たいていこの形をとるのです。まじないによく使われます」

 ヴァンの視線を追って、セイラが説明した。

「(星方陣からこの世界は狂い始めた。この星は、ずっとそれを――)」

 ヴァンは責任の重さに、この星の雪風をただ受けていた。そして、このままにしていてはならないと、体の芯の炎が強く輝いた。

 時刻は正午になっていた。セイラはいつ正体がばれないかと、落ち着かない様子である。

「昼食を買ったら、すぐに出発しましょう。この町にいては、いつ神官と遭遇するか、わかりません」

「……」

 ヴァンは、ああそうか、私は食べなくても寝なくても平気だが、セイラは必要なのだ、ということを思い出した。

「(……お金も持っていない。店で買ったり宿に泊まったりすることはこれからできないと伝えておこう)」

 ヴァンが口を開くと、その後方から男二人が言い争う声が聞こえてきた。

「おい! なんだこのなまくら刃は! 全然斬れねえじゃねえか! 値段下げろ!!」

 男が直線的なナイフを持って騒いでいる。屋台の刃物屋の若者が、困ったような声を出した。

「そのナイフは扱いにコツがありまして、あまりに斬れすぎるので、お客様の安全のために、一方向でしか斬れないようになっています」

「なにい!! オレには使えねえって言うのかあ!!」

「いえ、決してそんな! どうか私の説明の通りにお使いください!」

「うるせえ! 値段をまけろ!!」

 どうやらこのうるさい客の男は、いい刃物に言いがかりをつけて、安く買いたたこうとしているようだ。

 ヴァンはつかつかと近寄り、客の男からナイフを取り上げた。そしてじっくりと眺めた。

「あ? 何取ってんだコラ!」

 客の男が片目を歪める。ヴァンは刃を見た。

「(繊細な鋭さがある。この刃なら風に乗る宙の羽根を寸分違わず真っ二つに切ることもできるだろう。大した出来栄えだ。ぜひこの刃を作った者を知りたいものだ)」

 神器を創った神として、他人の創るものに興味が湧いたのだ。

「オレが先に手に取ってたんだ! 返せ!」

 客の男が手を伸ばしてきたその人差し指の指先の爪を、ヴァンはスパンとはねた。

 爪は弧を描き、あとには整った爪の人差し指が残った。

「……え」

 男が止まった。

「素晴らしい斬れ味だ。お前の使い方が悪いだけだ。別のところも斬って、使い方を教えてやろう」

 ヴァンがナイフを構えたので、ナイフの本当の斬れ味を知っている客の男は、がたがたと震え上がり、

「そ、それはお前に譲ってやらあー!!」

 と、走って逃げていった。

 それを見届けて、刃物屋の若者はほっと胸をなで下ろした。

「ありがとうございました」

 ヴァンはナイフを返しながら質問した。

「この刃は努力の力を感じる。誰が作ったのか」

「この刃のことを知らないで、一目見て扱いがわかったんですか!?」

 刃物屋がひどく驚いた。そして愛おしむように刃を掌の上に載せ、その刃を自分の体温で温めた。

「この刃はうちの店のとっておきでしてね、名前をガルミヴァス・ナイフといいます。その名の通り、ガルミヴァスという、世界最高の鍛冶職人とうたわれる男が作ったのですよ。質の高いものは値段も高い。各国が高価なガルミヴァスの武器で全軍を武装させられないために、戦争に決着をつけられる一大強国が生まれないとさえ言われているくらいですよ」

「戦争が日常的に起きているのか」

「白と黒の憂鬱ゆううつな世界の気晴らしといったら、単純な奴は戦争しか思いつかないですよ」

「刺激か」

 再びヴァンが人間を嫌悪し始めるのを遮るように、刃物屋が硬貨らしきものを四枚くれた。

「うちの看板商品を助けてくれて、ありがとう。これはお礼です。ガルミヴァスもあなたのような使い手に出会えたら、きっと嬉しいでしょうね」

 ヴァンは硬貨をもらい受けた。

「ガルミヴァスはどこにいる」

「あの人は諸国の鍛冶場を遍歴していますよ。彼にとっては、各地で常に学んでいる方が、技術が向上するのでしょう。運が良ければ会えるかもしれませんね」

「鍛冶場か……」

 硬貨一枚が二百五十キーンで、四枚なので千キーンだ。竜は食事の回数がとても少ないと嘘をついて、自分で買おうとするセイラに鹿の干し肉サンドを買ってやると、セイラが歩きながら食べているのを眺めながら、ヴァンは少し考えていた。しばらくして、セイラが食べかけでじっとヴァンを見上げているのに気づいた。

「なんだ。まずかったのか」

「違います! ……あの、見つめられると、恥ずかしくて……」

 顔を赤くしたような濃さの色にして、口の中をもじもじさせている。

「そうか。ではこれからは二度と見ない」

「えーっ!? それはひどいです!!」

「なぜだ」

「だからあ……!!」

 セイラの口の形があふあわと動いている。何語だろう。

「セイラ。この世界では個人が作った刃物は売れるのか。それともどこかの鍛冶場に入っていなければ売買はできないのか」

 セイラがちょっと止まった。

「同業者組合に属さない職人の商品、ということですか? ええと……個人で売ったとしても、よほど質がいいなら、買いたたかれることはないでしょう。ガルミヴァスも、どこにも所属していないそうですよ」

「そうか。ではこれからはオレも武器を作って売って、お金を調達することにしよう」

 セイラが目を丸くした。

「竜族は鍛冶もできるのですか!?」

「オレの武器で、ガルミヴァスを超えてやる」

 神器の創り手として、ヴァンは不敵に笑った。久々に心が沸き立つ思いだった。セイラの目には、野心を抱く男が映り、胸が躍った。

 大通りの道端に汚れた灰色のコートを着たバイオリン弾きが立っていて、バイオリンを弾いて物乞いをしている。置かれているさびだらけの金属のバケツに、大人はお金を入れ、子供は花を入れている。通り過ぎる際、そっとセイラがささやいた。

「子供はお金がないので、自分のおやつとして持っている、食べられるお花をあげるんです」

 この時代では、花を食べることは普通らしい。今は、白と黒の世界から色彩を取り戻したいという願望も込めながら、食べられているであろう。

 金属音が聞こえてきた。たくさんの煙突を持つ、色があれば緑色であるレンガを積んでできた、正方形の建物からである。

 入口の扉は開け放たれていて、人が五人同時に通れるほど大きい。入口の上に鉄板がかかっていて、文字が刻みこまれていた。『鍛冶屋ケルヘン一家』と。鉄板の周囲は鉄の紐編みこみの装飾が施され、この鍛冶屋の腕の確かさを示している。

 ヴァンは中をのぞいてみたかったが、セイラのために別の町で見学しようと、サザンクロスの町の出口へ急ごうとしたとき。

「あのっ! お願いがあります! お名前を教えてくださいませんか!」

 ヴァンが振り返ると、雪の中、顔を少し灰色にした若い女性が息を白く吐きながら、ヴァンを見上げていた。みるみるうちに、周囲から女の子たちが駆け寄ってきた。

「旅の方ですよね! 素敵なお姿です!」

「お仕事は騎士ですか?」

「こんなきれいな方にめぐり会えるなんて、今日の私、ラッキーデー!」

 ヴァンに抱きつこうと群がってくる。

「……」

 ヴァンは無言で風を起こし、空中に浮かび上がって脱出した。下の女の子たちは、

「魔物だったんだ」

 と言って、半数が帰った。しかし、残りの半数は、

「魔物でもいいです!」

 と、なおも手を伸ばす。ヴァン一人ならこのまま飛び去ってもいいが、セイラが残されてしまう。一緒に空を飛んだら、目立って神官に見つかるかもしれない。ヴァンが考えていると、女の子たちはその視線の先にマントとフードの女、セイラがいることに気がついた。一斉にセイラを取り囲む。

「ちょっと、あんた、何?」

「あんた、あの方とどういう関係なの?」

 セイラは縮み上がった。こんなにたくさんの悪意を受けたことはなかった。

「まさか……恋人じゃないわよね? あんた、あの方につりあうほどの美人じゃないもんねえ!」

 セイラは肩を拳で突かれた。悔しくて、星をも癒す美しい歌声が出ない。しかし、神と並ぶ美貌を人間に求めるのは、酷というものであった。ヴァンは憐れに思って、セイラを助けた。

「その娘に手を出すな。オレとは大した関わりはない」

 それを聞くと、セイラは一瞬ぶるっと震え、女の子たちを突き飛ばしながら、足早に去って行った。

 安心した女の子たちが再びヴァンのもとへ群がろうとしたので、ヴァンも空高く飛んで、彼女たちの視界から失せた。

 セイラは町の出口に急ぎながら、腹を立てていた。

「大した関わりはない、ええそうですよ、どうせ私は大した女じゃありませんよ!」

 ヴァンを慕いたい気持ちに、いらいらする。勝手な一方通行だ、怒ってはいけない。でも、なんとも思われていないというのは、傷つくのに充分だ。

「……私、何も持ってないもの……」

 働き方も、契約の仕方も知らない。悪人をどうやって見抜くかも知らない。大人の常識も知らない。ただできるのは、巫女として星のために歌うことだけ。

「……私、山に戻った方がいいのかな」

 巫女は巫女らしく、山にいて一生を終えた方がいいのでは、とセイラの足が山に向いたとき、風がそれを止めた。ヴァンが空から降りてきた。

「それはこの星のためにはならない。一生白黒の世界で暮らすのか」

 セイラはヴァンと目を合わせて、美しい、と思わず心が満たされてから、怒りを思い出してぷいと視線をそらした。

「さっきあの場から逃げたのはいい判断だった。おかげでオレも女たちをまけた。これからはオレも注意する。目立って悪かったな」

 ヴァンに謝られて、セイラは逆に気を遣ってしまった。

「いえ! 私こそ、何も言わずに去ったりして、ご迷惑をおかけしました! 探すのは一苦労でしたでしょう!」

「お前の居場所ならすぐわかる。風が教えてくれるから」

「……えっ」

 キザなセリフにセイラが両頬を押さえた。ヴァンは本当のことを言っただけであった。

 セイラはおずおずと尋ねた。

「……あの、嬉しいものですか? 女の子たちに言い寄られるのは……」

 答えがわかっていても、聞いてしまう。違う答えが欲しいからだ。

「迷惑だ」

 セイラは、この硬い声で響いたヴァンの答えを予想していなかったので、衝撃が走った。セイラは慎重に、しかし慌てて、重ねて質問した。

「竜族は、人間に好かれても何も思わないということですか?」

 ヴァンはしばらく雪の降る空を眺めていた。この世界ではいろいろやった。それなのに、人間はいつも自分を憎んだ。救われたいと願うくせに、救ってやったら私の力を恐れて逃げ出す。人間が私の美貌に浮かれ騒ぐ? それがなんだ。どうせお前たちは自分の手に負えない存在を避け、除き、忘れ去る。愛してなどいないくせに、「愛してる」? 嘘つきどもめ。私を裏切った人間どもなど、この私が愛するとでも思うのか。滅びるがいい! この星は人族を滅して再生させる!

 ヴァンの瞳が阿修羅の星晶睛せいしょうせいになったとき、道行く人の一人が、バサと何か紙の束を落とした。もう一人との話に夢中で、そのまま去って行きそうである。

「あっ! 落とされましたよ!」

 セイラが駆け寄って拾い上げた。『鍛冶屋帳』と表紙に書かれているのを、道の反対側からヴァンは読んだ。星晶睛はやたら目がいい。

「うわっあぶねえ、ありがとう嬢ちゃん! この町の鍛冶屋で修業できなくなるところだったぜ!」

 落とした男が雪の積もったフードを取って、セイラにお礼を言った。顔の中央の皮膚が少し赤い感じの濃さのある、頑丈そうな中背の二十代そこそこの男だった。

「あなたは鍛冶職人なのか」

 ヴァンがいつの間にかセイラの隣に立っていた。男は急な長身の影に一瞬、気圧けおされたが、パラパラと紙の束をめくってみせた。様々な濃さで、様々なはんこが押されていた。

「これは、自分がどこの鍛冶場で修業を積んだことがあるかってことを、他の鍛冶屋や政府に証明するものさ。各国各市町村の鍛冶屋には、剣作りに強いとか盾作りに強いとか、特徴があるんだ。槍作りに強い鍛冶屋で修業したと政府に見せれば、政府から槍の発注が優先的に来るはずだ。親方は技を習得するまで弟子の鍛冶屋帳にはんこを押さないから、信用できる身分証明書になるんだ」

 それなりにはんこの数がある。諸国を旅しているのだろう。ヴァンは鍛冶屋の名前を瞬時に記憶していきながら尋ねた。

「よほど腕に自信があるのだな。どこにも所属していない者は、作品を売るのは難しいそうではないか」

「オレは金もうけをしたいわけじゃないからいいんだ」

 ヴァンは男の目を見て、次の言葉を待った。

「あらゆる武器の作り方を覚えて、祖国の軍隊のための武器を作りたいんだ。祖国に技術をもたらしたいんだ」

 ヴァンは、心の奥から興味が湧くのを感じた。

「あなたの国は、そんなに何もないのか」

 男は唇を嚙んだ。

「島国だから、敵国は滅多に攻め込めないんだ。それで島中のんびりしてしまって……! 敵だって武器を日々開発している! いつまでも鉄製の武装じゃだめだ!」

「そうか、それで世界を知り、世界を超えるために旅を」

 ヴァンは、世界を旅する者が好きだ。理由は違えど、この青年は良い理由で、自分と同じように旅をしようと決意したのだ。

「あなたの名前を知りたい。もしお金が貯まったら、買いたい」

 青年は少し驚いてから、はにかむように鍛冶屋帳を叩いた。

「メルパラリヤ。メルパラリヤ=バライルー」

「そうか。ガルミヴァスに会えるといいな。そうすれば技術の助けになるだろう」

「あ! いけませんよ、ガルミヴァスの武器を買っては!」

 メルパラリヤが突然目をいた。

「あの男は自分の作品が世界最高なのをいいことに、一番高い値をつけた国に、敵味方関係なく売りつけるんですよ! 節操がありません! どこの国の人間か知りませんが、武器というものを金もうけの道具としか考えていない、とんでもない奴です!

 誰に売るかまで考えるのも、作った者の使命です! 守りたい祖国もない奴の武器なんかが、買い手を守れるはずがありません! どんな物にも、魂の方向性があるんですから! 『金を払った奴だけ守る』という方向性を持つ武器は、持ち主の言うことは聞きません! 敵が金を払うなら、敵に持ち主の命を差し出すでしょう!」

「その通りだ。よく言ってくれた、メルパラリヤ。作り手の心のこもった作品は、買った者を助けてくれる。だが、心なく作られた作品は、買った者に不運をもたらす。人間はそれを忘れてしまったと思っていたが、お前のような者がまだいてくれたのだな」

 ヴァンの冷涼な声で、メルパラリヤの興奮はおさまった。ヴァンは鍛冶屋帳を眺めた。

「これからはオレも鍛冶屋に出入りして、ガルミヴァスと接触できる日を待つとしよう。どれだけ何を考えているのか知りたい」

 世界の敵ならば――ヴァンの目が光る。メルパラリヤがフードをかぶり直した。

「あんた、ガルミヴァスの敵なんだから、オレの友達だ。鍛冶屋に弟子入りする形で接触したいなら、鍛冶屋帳が必要だ。一緒に来なよ。あんたの分をこの町の鍛冶屋に頼んであげるよ」

 この町の鍛冶屋は、さっき女性たちに囲まれた場所にある。

「(……困ったな)」

 思案するヴァンを連れて、メルパラリヤは仲間一人とどんどん進む。相棒はメルパラリヤと同年の細身の男で、ヂールと名乗った。

 鍛冶屋ケルヘン一家の建物の前に、再びやって来た。

 しかし、今度は誰もヴァンに寄ってこない。

 ヴァンは神の力で髪を伸ばして、前髪で目の下まで隠していたからである。それでも髪のわずかな隙間から、手に取るようにすべてがわかる。星晶睛はひたすら目がいい。また、各生命体の発する気で、その位置関係を把握していた。メルパラリヤは、ヴァンの後ろの髪がすごく長かったのだろうと信じている。

 メルパラリヤとヂールは、鍛冶屋の入口から入ると、近くの男に挨拶した。身分証明書を見せてから、鍛冶屋帳をチェックされる。その間に事務を取り仕切っているらしい、ふくらんだ白いブラウスに、深い青色と思われる濃さの長スカートをはいた中年の女性が現れて、宿泊部屋へ案内しようとしたとき、メルパラリヤがヴァンを指差した。

 女性に呼ばれて、ハンマーで真っ赤な鉄の塊を打っていた中年の男が、別の男にあとを任せて出て来た。ヴァンをじろりと下から上へ睨み上げる。

 顎すべてにわたる黒いひげが、短く整列してもみあげまでつながっている。険しさのある皺が額に鋭く刻まれている。頭髪は、黒いのりがへばりついたように極端に短い。

「うちの鍛冶屋帳が欲しいって?」

 この男が親方のようだ。

「鍛冶の技を学びたいです」

 ヴァンは頭を下げた。親方は観察中の表情を変えない。

「お前が半人前だと、鍛冶屋帳を発行したうちまで常識を疑われる。お前、ちょっと何か作ってみろ」

 セイラは、ヴァンの後ろではらはらした。早くこの町を出ないと自分が見つかるかもしれないからか、ヴァンの野望が果たしてかなうかどうか、わかるかもしれないからか。

「おい、火はこっちだぞ」

 親方の指差す方ではなく、ヴァンはできるだけ広い場所で立った。そして、両手をかごのように広げて掌を上に向けた。

「発現せよ!!」

 ヴァンの声で、右手に炎の玉、左手に風の玉が渦巻いた。一同が驚いて口を開けている中、ヴァンはそれらを押しつぶすようにして両手を組んだ。指の間からもれた光が光線となって鍛冶場中を照らすと、その光が固まって、光が失せたとき、一本の剣になっていた。

 親方たちは、情報を整理するのに時間がかかった。ヴァンが説明した。

「オレに鍛冶場はいらない。炎の魔法があり、その炎に風の魔法でふいごとして風を送り、炎を強められるからだ。そして、原材料はいらない。オレは大気の元素から必要なものを集めるからだ」

 職人たちは、興奮してきた。火と風の設備と原材料のいらない鍛冶職人など、聞いたことがない。しかも、一瞬で作り上げられる。

 親方は目を大きく開いてヴァンを隅々まで見回した。

「お前、すごいぞ! 戦場で永久に味方の武器防具を作れるっていうことだ! 戦えば、剣は折れるし、鎧は穴が開くし、矢も尽きる。でも、お前がいれば補給部隊を待つ間でもいい、戦う選択肢が残る! お前、この国にとどまれ! 王様に紹介してやる!」

 鍛冶職人たち、メルパラリヤやヂールは、ヴァンの技に興味津々である。ヴァンの手を見て、傷一つないのに驚きあっている。セイラは、ほっと体の力が抜けた。

「せっかくのお誘いだが、実は一つ問題がある」

 ヴァンは、現れた剣を、面をつけて机に当てた。長方形の平たいゴムのようにびよんと湾曲した。全員が止まった。

「オレは鍛冶の技が未熟で、まともな剣一本作れないのだ。だから諸国をまわり、修業しなければならないのだ」

 弟子たちは落胆していたが、親方は判断が早かった。

「そうか。そういうことなら鍛冶屋帳をやろう。オレも少し教えてやる。旅が終わったら報告に来い。いいな」

 そのときに、この国の鍛冶職人になるよう説得するつもりである。

 ヴァンはペナペナに曲がる剣をむきだしで腰にさげた。神器はおろか神剣さえ創れる天の武器職人、阿修羅が、鍛冶の知識がないわけがない。この剣も、面の部分で相手の剣を受けるとどこまでも湾曲してしまうが、決して折れない。むしろ、刃が戻る反動で、相手を押し飛ばす。そして、刃の部分で受けると、硬くなり、相手の剣をしっかり受け止め、かつ斬れるのである。

「一人で一瞬で鍛冶をする者」が、鍛冶職人の興味をかきたてないわけがない。ガルミヴァスの方からやって来るよう、エサをまいたのである。

 セイラはペナペナの剣を曲げて円にしていた。

「『不気』味な『武器』ですね……」

「けがをするから触るな」

 ヴァンは真面目な顔でセイラから離れた。

 ヴァンが鍛冶屋帳を受け取ったとき、巻き毛をふさふさに頭の周りに広げた赤毛の女が、入口から入ってきた。ただ見つめるだけで厚い二重まぶたとまつ毛、そして厚ぼったい唇が誘惑してきそうな、色気のある美女だった。

「インダさん。何か用かい」

 親方が優しく尋ねた。弟子たちはそわそわして身なりを気にしている。インダは暗色の剣を出した。どす黒い何かが塗りこめられているような色だ。インダは体をくねらせて――、ヴァンの前に立った。

「さっきの力、もう一度見せてくださらない? 斬れ味の鈍ったこの剣を、ちょうど鍛え直していただこうと思ってたの。あなたにお願いしたいわ。ねえ、いいでしょ?」

 まつ毛が大きくまばたく。セイラは「近い!」と言って間に入りたいのを我慢していた。落胆している弟子たちの前で、親方はヴァンにうなずいた。

「元の武器があれば大丈夫だろう。だめになったらオレが直してやるから、ちょっとやってみろ」

 ヴァンは剣に手を伸ばした。インダは一瞬歯を見せて笑った。ヴァンは剣を手に取った。しかし何も起きなかった。インダは犬歯を見せてぽかんとした。ヴァンの鍛冶で剣は真っ二つに折れた。親方がインダに謝って、自分が直しておくからと言ったので、インダは去りがたい様子だったが、去った。弟子たちはヴァンがインダに嫌われたと思って、腕を回して次のインダの依頼は自分が受けると気合を入れていた。

 親方はヴァンの肩に手を置いた。

「お前のレベルがわかったから、基本から教えることにする。お前の力で、その剣は直せよ」

「はい」

 ヴァンは二つに折れた剣を風魔法でくるんで、誰も触れないようにした。

 弟子の一人がヴァンに笑いかけた。

「お前も運がないなあ、よりによって町のシンボル美女のインダの持ってきた剣を折るなんて。もう芽はないぞ」

「芽?」

 ヴァンが聞き返すと、別の弟子がヴァンの背中をひじで小突いた。

「なーにしらばっくれてるんだ。美人のインダを見て好きにならない男がいるもんか! お前もいいなって思ったろ?」

 セイラはあわわわと突拍子もない音程で歌いそうになった。確かにインダは美しい。うまく言えないが、ぽってりと脂がのった何かのような気がする。

「(どどど、どうしよう! 私、あんな色気出せるかな!?)」

 セイラが自分の体を見回していると、ヴァンは答えた。

「まっだとしか思わなかったが」

「え? なに、まっけ……?」

「なんでもない。インダはどういう素性なのか」

 まっ毛っ毛事件を忘れて、弟子たちは鼻息を吹いて解説を始めた。

 インダ=クベ。二十一才、サザンクロスの町を象徴する美女、つまり町一番の美女である。魔法と回復の知識のある、魔女の家系に生まれた。

「魔女?」

「女の魔法使いってことさ。男もいるから、区別しているんだ。常識だぞ」

「すまない」

 ヴァンは、この時代では術者が魔法使いと魔女と呼ばれ、日常的に存在していることを知った。

一樹千鈴いっきせんりんの地で、インダと暮らせたらなあ!」

「一樹千鈴の地?」

 聞き返したヴァンに、弟子が呆れた。

「お前、人間の理想郷の名前知らないのかよ? さっきの鍛冶といい、人族じゃないな。一樹千鈴の地ではな、一つの植物に千の実が鈴なりになってるんだ。それがその地にあるすべての樹でそうなってるんだよ。どうだ? 雪ばかり降って少ない作物しかとれないこの世界じゃ、たらふく食べられる一樹千鈴の地は、夢のようなところだろ? そんなところがあると信じなきゃ、生きていけないんだよ」

「(……この世界に生きる者の望みを、もっと知る必要があるな)」

 ヴァンの目が光った。

 そこへ、武装した兵士が三名、駆けてきた。親方が両手を広げて、鍛冶場を守るように前に出た。

「なんです? 武器の仕上げの期日は、まだ先のはずですが」

 三人は、ヴァンに槍を突きつけた。

黒魔こくまの疑いがある!! 連行する!!」

 ヴァン以外が震え上がった。セイラが悲鳴に近い声でさえずった。

「違います!! この方は竜族です!!」

「インダの持つ、聖なる剣を砕いたそうではないか!! 黒魔以外で、そのような邪悪なことができる存在は、ない!!」

「ええっ!? 聖なる剣!?」

 セイラたちは驚いた。インダはそんなことは一言も言わなかったのに、ヴァンを試したあと兵士に密告したのだ。ヴァンはおかしそうに笑った。

「聖なる剣か。面白い。この世界にはまだ笑えることが残っていたようだな」

 セイラがヴァンの腕をつかんだ。

「逃げましょう!! 早く風を使って!! 黒魔こくま無殺むさつの対象になったら、百パーセント死にます!!」

 ヴァンはセイラに風魔法をかけ、町の外れへ飛ばして逃がした。そして自分は兵士に縛られて領主の館へ向かった。道中、兵士に黒魔こくま無殺むさつとは何か尋ねた。

「黒魔の疑いのある者に対して、宗教指導者が質問する。黒魔でないならおとがめなし、何も無く解放される。でも黒魔なら死刑だ。黒魔でないことを証明するには、聖水の入った大人一人分くらいの高さと幅の水槽に入って、聖水を飲み干さねばならない。体は縛られ、飲み干す以外では助かることはできない。水槽が倒れたら、最初からやり直しだ。聖水なら、聖なる心を持つ者はいくらでも飲めるはず。黒魔なら、途中で力尽きるはず」

 ヴァンは腹の底から笑った。

「はっはっはっ。聖水だろうとただの水だろうと、入った者は必ず胃が破裂して死ぬな。破裂しなければ溺死か。面白い奴らだ。逃げ道を塞ぐのは地上の愚かな支配者の特徴だったな」

 兵士が蔑みの目を向けた。

「これから死ぬ黒魔が、何を笑ってやがる」

 別の兵士は憎々しげにヴァンの耳に叫んだ。

「オレたち人間の敵は、根絶やしにしてやる!!」

 ヴァンの怒りが大気を震わせた。

「黙れ!!」

 兵士たちは大気に固められて止まった。

「汚い音を私に浴びせるな。世界が腐る。私を失望させるな」

「……」

 兵士たちは圧倒されて、目と口をぱちぱちさせてから、思い出したように歩きだした。ほどなくして濃い色のレンガ造りの大きな館が見えてきた。直方体の上に四角錐の屋根があり、その正面の面いっぱいに五芒星が刻まれている。吹雪の中だが、レンガの本来の色は濃い赤茶色だったはずである。

「……ここが救民きゅうみんきょう魔法まほう陣地じんちだ。教民きょうみん様の裁きを受けろ! ……がいい」

 兵士がヴァンに強く言おうとして、尻すぼみに言葉を結んだ。ヴァンは、歩いている間に大気を通る精霊を呼び止めて、この世界のことを少し聞いていた。救民きゅうみん教とは、五芒星をシンボルマークにした、人間たちの宗教のことである。全員で五芒星の形をした神を信じないと、白黒の世界のまま、世界は永遠に色が取り戻せないらしい。魔法陣地とは、その宗教の建物のある土地のことで、地面に彼らいわく「力のある」魔法陣が描かれているらしい。精霊によると、ただ聖地を選んで建てられているだけだという。教民きょうみんとは、救民教の幹部で、教えを広めるために各国に散らばり、政治の世界の影に入りこんでいる者たちのことらしい。

「聖地を見抜いた目は評価に値するが、それは今の教民きょうみんか、それとも……」

 ヴァンの目が光った。

「教民様のご準備が整うまで入ってろ!」

 ヴァンは、兵士に押されて縛られたまま地下牢に入れられた。中には既に十人ばかり、男女がやはり縛られて座っていた。

 ヴァンを見上げる者たちの目は、一様に怯えと、絶望と、疲労でぎょろりとし、くぼみを増している。見上げる気力のない者もいる。

「あんたも、黒魔の疑いをかけられたのか。……悪いな、オレの身内が入ってきたんじゃなくてよかったって思ってるよ。ここに来たら必ず殺されるしな」

 髪が自分のあぶらでぼそぼそになった中年の男が、話しかけてきた。服もうっすら汚れている。

「オレはルッコ。もう十日はここに入れられている」

 ヴァンは十人全員を見回した。ルッコだけ疲れた見かけをしている。

「オレの家族が捕まって全員揃うまで、黒魔こくま無殺むさつの質問はしないのさ。家族も黒魔の恩恵を受けたとして追われてるんだ。うまく一生逃げ延びてくれればいいが……捕まったら終わりだ」

 ヴァンは身を乗り出した。

「お前は黒魔と接触したことがあるのか」

 ルッコは長いため息をついた。

「ここまで来たらもう逃げられないし、言うよ。そうだ、オレは黒魔の力を借りた」

 ルッコは昔、山賊が山中に隠す宝を盗む、盗掘者だった。あるとき、黄金の山を見つけた。しかし、そこに黒魔が現れた。

「黒魔は黄金を食べるんだ。そして、人間に接触したとき、魂を捧げる者に、その食べて蓄えておいた黄金をくれるんだ。だから、黄金のある所には黄金を探している黒魔もやって来て、人間と鉢合わせすることがあるんだ。でも、みんな知っている。『黒魔に一度でも会ったら終わりだ。黒魔に魂を差し出して共に生きるか、金にしがみついたために黒魔に殺されて死ぬかだ』とね」

 しかし、黒魔は「これはお前には渡さない」と言って黄金を独り占めしようとするルッコを、殺さなかった。

 その代わり、望みをかなえてやるから魂をよこせと言った。

 ルッコは、金さえあればなんでも手に入ると思っていたので、それを拒否した。そして家族のもとに帰り、豪邸を建てて暮らし始めた。

 ルッコは歯を食いしばった。

「オレは黒魔を甘く見ていた……!」

 ある晩、家中の窓に黒魔の影が走った直後、火の手があがった。ルッコが慌てて黄金を運び出そうとすると、炎の中、黒魔が黄金を食べていた。

「オレの黄金を食うな!! この火もお前か!!」

 炎の光のゆらめく中、黒い影は黄金を食べながら振り返りもせず話しかけた。

「この火を消したいか。火傷一つなく安全に逃れたいか。黄金を取り戻したいか。なんでも望みをかなえてやろう。魂をよこせば、元通りにしてやるぞ」

「な……なん……だとっ……!!」

 あまりのことにルッコは怒りで目から血が噴き出しそうであった。

 自分の黄金は、今黒魔が食べ尽くそうとしているではないか。ルッコは「黄金を取り戻したい」と言うに決まっているではないか、魂を差し出してでも。

「てめえで火をつけといて、消してやるから魂よこせだ!? ふざけんな!! オレの金を返せ!!」

 火事を起こせば近隣に罰金を払わなければならない。これから先の家族の生活もある。ここで無一文になるわけにはいかない。

 黒魔は黄金を食べ終えると、ルッコに金塊を吹いてよこした。

「望みをかなえてやろう」


 ルッコは自嘲気味に笑った。

「バカだよなあ、金はまた見つければよかったのに。放火してまで対象者の魂を狙う奴が、代わりに黄金でも差し出さない限り、見逃してくれるはずがない。黒魔に勝てるのは、黄金の欲を克服した奴だけかもしれないな。ははは、もうあのときには戻れないし、あのときのオレの行動をどうしようもないけどな!」

「よく話してくれたルッコ。お前についた黒魔はどうした」

 ヴァンの問いに、ルッコは目を閉じて笑いながら答えた。

「別の家が火事になったとき、炎のゆらめきでオレの後ろの黒魔がみんなに見られちまった。家族は逃がしたけど、オレはここにぶちこまれた。黒魔はオレがもう死刑だとわかったら、次のカモを探しに去って行ったよ。ああ、でもオレが死ぬときは魂を喰いに戻って来るかな」

「私たちは被害者です!!」

 突然、十八、九才頃の少女が叫んだ。

「私はヒームです。私は神童と呼ばれたバイオリニストで、コンクールに入賞して、演奏会が開けるほどの腕前でした。十二才のとき、演奏旅行のために馬車で山中を移動中に、崖の上に黒魔の影を見たんです。その直後に大岩が落ちてきて、私は馬車ごと直撃を受けました。体じゅうの骨がばらばらに砕けて、体の外に突き破って出ているのがわかって、私は死ぬんだと思いました。すると黒魔が現れて――!!」

 黒魔は話しかけてきた。

「生きたいか。魂をよこすなら元通りにしてやろう」

 ヒームは目に涙をためて強く唇を引いた。

「十二才ですよ!? “生きたい”って言うに、決まってるじゃないですかあっ!! 自分で傷つけておきながら、回復させてやるから魂をよこせなんて、ひどいようっ!! うっ、うっ、うわああっ!!」

 手を縛られたまま、ヒームは泣きじゃくった。選択の判断力の低い子供を狙う卑劣さ、そして「未来」と引き換えに与えられた非道な運命。

 ヴァンは黒魔を少しずつ分析していった。

「(明確な殺意を感じる。この星が嫌うものに対しての――)」

「……私は皆さんとは少し違う理由でここにいます」

 白髪交りの、顔に皺の入った女性が、細い体を姿勢正しく伸ばしながら、静かに呟いた。

「私はクブルといいます。黒魔と戦ってきました。それなりの数は倒しました。でも、私は救民教の信者ではありません。救民教が広まる以前に、ある人々が信仰していた宗教の、信者です。黒魔を倒したのもその魔法です」

 ルッコたちが目を見開いた。

「本当ですか!! お願いです、オレについた黒魔を倒してください!! 黒魔にさえ遭遇しなければ、目をつけられなければ、普通に暮らしていけたはずなんだ!! 黒魔の悪意と自分の選択に、ずっと苦しんできた!! どうか、助けてください!!」

 クブルは、細い体を動かさず、じっとそれを眺めていた。ヴァンが代わりに口を開いた。

「なるほどな。そうして異教の者が黒魔を退治すれば、救民教の民は再び救民教以前の宗教に戻ってしまう。教民きょうみんにとっては大打撃だ。異教のくせに力のある者を、生かしておくわけにはいかない。『自分たちの何かのため』に……。クブル、お前は無実の罪でここにいるのだな。お前の神の名は何と言う。聞いておきたい」

 クブルは軽く会釈をした。

「私の神の名は誰も知りません。世界で気がついた者たちだけが、その存在を認識いたします。その者たちが世界各地で同じ教えを広めます。私たちは自分たちのことを『知る知らす』と呼んでおります。あなたからは強い気の流れを感じます。徳を積んだ高位の神官でございましょうか」

 ヴァンはクブルの神が兄・邪闇綺羅じゃぎらなのだろうかと考えながら、答えた。

「お前の想像に任せる。『知る知らす』の教えとは、何だ」

 クブルはまっすぐにヴァンを見つめた。

「この星を救い、守ることです」

「(星の意思と一致している。この星がクブルたちを穿ったのか?)」

 ヴァンはクブルの話を聞いた。

「私たちは魔法に長けています。そういう知識がたくさん吸収できるのです。新しい魔法もひらめくのですよ。その力で、黒魔と戦っています」

「黒魔の死骸に汚された空間はどう浄化している」

「残念ながら、私はそこまではできません。精神力が高いレベルの者だけがその魔法に気づいているようです」

「方法があっても、全員が使う資格があるわけではない、か。まるで神器のようだな。どの時代においても、精神を修養した者が世界には一定数必要ということだ。この時代にはまだ希望が残っているのか、いないのか……その点も知る必要がある」

「人間にはどうしようもない危機」であれば、邪闇綺羅の不在の今、阿修羅の出番だ。しかし、人々の心を変えずに世界を救っても、いずれまたこの同じ道に入る可能性がある。

「星の気持ちと、この時代の命たちの気持ちを知らなければ……」

 ヴァンは目標に向かって全身の気が燃え上がった。クブルはその気にあおられて、縛られたままとっさにひれ伏した。

 そこへ、兵士が荒々しく戻ってきた。牢の木製扉を開けて、ヴァンの縄をつかんだ。

「出ろ! お前は至急だ!」

 立ち上がろうとするクブルを、ヴァンは目で制し、兵士に連れられて地下牢を出た。

あやしい鍛冶を行う男を連れてまいりました!」

 広間に入り、兵士が直立不動で大声を出した。ヴァンは、吹き抜けの天井をまず見上げた。次いで、長机に向かって腰かける四人の男を見下ろした。いずれも中年太りのたるみの見られる顔をしていて、体を大きく見せたいのか、黒いコートの下を、厚手の毛布を入れたかのように膨らませていた。長机の端に、インダが立っていた。

「この男に間違いないかね、インダ」

 優しく艶をこめて、四人のうちの一人の教民きょうみんが聞いた。インダは、厚ぼったい唇に塗った口紅の照りを走らせるように動かし、笑った。

「ええ、この男です。見たこともない力で、私の聖なる剣を砕きましたわ。この力は、徹底的に調べなければいけないと思います」

 四人は、インダに向かって目の端からとろけさせてうんうんとうなずくと、ヴァンを見る目は打って変わって、目を吊り上げた。

「まず、インダの聖剣を返すのだ。そして、お前の力の秘密を暴いてやる。逆らえば死刑だ。他の黒魔の情報も吐かせてやる! 神の前に黒魔は何一つ勝てないということを、我々が思い知らせてやろう!!」

 人間の思い上がりがおかしくて、ヴァンは大笑いした。四人は五芒星を紙に描いて、ヴァンに突き出した。

「黒魔め! 結界を受けろ!!」

 攻撃したいのか防御したいのか、四人は一筆書きの五芒星の筆順に走り回った。

「我々の聖なる言葉の威力に耐え切れず、逃れるために笑って何も聞かないようにしているのだ! 聖なる言葉で追いつめるぞ!」

 走りながら他の三人も「うむ!」と叫んでいる。

「……」

 ヴァンは、何の聖なる力も生じていないそれを見て、馬鹿馬鹿しくて呆れたが、これも神なき時代に必死に人間が世界の危機と戦おうとした努力つまり気休めだと気づき、憐れに思った。

「だとしても、無実の者を捕え、人々を惑わす者は、罰を受けるべし」

 ヴァンは、自分の縄を炎の魔法で焼き切ると、インダのどす黒い剣を、風魔法にくるんだまま宙に出した。四人はそれを指差した。

「黒魔め! 聖剣を誰にも奪えないように、封印しているとは!」

「おお! 黒く輝く聖剣が、二つに折れている!」

「なんということか! 黒魔を倒す武器が、この世から一つ減った!」

「黒魔よ、神の名において滅びよ!」

 ヴァンは、舌を下歯につけて、静かな風のように声を押し出した。

「お前たちは、邪悪な黒と清い黒の見分けもつかぬのか」

 静かな怒りと共に、ヴァンは神刀・白夜の月をすらりと抜いた。真っ黒な刀身だ。しかしその中に、星々の無数の輝きが溢れ出るようだった。

 四人が首だけ前に出して目を奪われていると、ヴァンはその神刀で風魔法の中のインダの剣を斬った。どす黒い何かが塗りこめられていた剣は、空間を黒く汚して消滅した。

「こっ、黒魔と同じ滅び方!?」

 四人があと退ずさりする中、ヴァンはインダを見据えた。

「真の美しい黒は、光を持つ。暗黒でも隠し通せないほどの光を。しかしインダ、お前の邪悪な黒は違う。関わるもののすべての希望の光を塗りつぶしてしまう。お前の持ってきた剣は、黒魔の剣であった。手にした者の希望を操って、お前の言いなりにしてしまう。お前はどうやらオレの鍛冶の力の秘密が知りたかったようだが、オレが黒魔の剣に触れて平気なので、こうして告発してなんとしてでも秘密を暴こうとしたのだな。だが、オレにのこのこ近づいて来たのは失策だったようだな――黒魔!! 黒魔の剣を素手で持っていた時点で、お前が黒魔だということはわかっていたぞ!!」

 ヴァンが地を蹴った。インダは顔から体から黒く染まり、黒魔の姿になって向かってきた。

 競技場で行われているものを一斉に首をそろえて見て追う観客のように、四人の男は両者を交互に忙しく見比べていた。

 ヴァンの白夜の月が、黒魔を斬り裂いて消した。剣とインダの空間の汚れを、ヴァンは白夜の月を体の前で一気に回して、満月を象った剣振けんしんの聖なる音で清めて消した。

「イ……インダが……」

「い……いつから……!?」

 四人の教民だけでなく、周囲から駆けつけた兵士たちも、震えていた。町のシンボル美女にまでなっていたインダの正体を見抜けなかったことが、ショックだったのだ。

 ヴァンが白夜の月をさやにしまった。

「全員に好かれようとする奴に気をつけろ。そんな奴は子供だけで、大人にはいない。そんな人間は早死にするからだ。大人になってもそうふるまう奴は、お前たちを害そうと近づいてくるスパイか敵だ」

 男たちは、インダの誘うような笑みしか思い出せなかった。この黒魔は、よほど洗脳に長けていたようであった。

「(……いよいよオレの出番なのか)」

 ヴァンは清められた空間を眺めた。

「ところで、お前たちは黒魔にそそのかされて、無実のオレを捕まえたな」

 四人の教民は、事の重大性に気づき、真っ青になった。「黒魔の言うなりになって」「黒魔を助けた」四人は、死刑に値する。

「き……気づかなかったのだ!」

「五芒星が反応しなかったし……」

「きっと、強力なレベルの黒魔だったのだろう」

「私たちにもわからないことはある! 新しい方法ではないか、聖剣と偽って、もっともらしい話をでっちあげるなど!」

 四人は、口の中でもごもごと歯切れ悪く自己弁護した。しかし、それは一般人になら許される言葉であって、教民は決して言ってはならない言葉であった。それを見ていたヴァンは目の焦点を絞った。

「これではっきりした。お前たち救民教には何の力もない。黒魔だろうと黒魔でなかろうと関係なく、ただ黒魔と決めつけた者を定期的に殺して、民衆の永遠の不安に気休めを与えているだけだ。お前たちには黒魔を見抜く力もないし、倒す力もない。小さな力をふるって自分を大きく見せるのはもうやめろ。黒魔でない者を捕えることは赦さぬ。

 黒魔と接触した者は、憐れな理由の者は殺さず、人間がどうすれば黒魔を倒せるかということを追究するために力を貸してもらえ。すべての事象を活用せよ。この世に無駄で無意味なものはない。人は己の行いに応じて世界に役立つものだ」

 ここでヴァンに口答えすれば、四人は、今日のことを救民教本部に告発され、すぐに本部による黒魔こくま無殺むさつで殺されると考えた。クブルをはじめとする異教徒を釈放することを受け入れるしかなかった。人というものは、自分の攻撃方法を自分にされることを最も恐れているものである。

「(五芒星は星方陣の形だ。それをシンボルにするということは、救民教の中心にはこの星がいる。星を救うのではなく、命を惑わす民を望むのか。希望を失った星は、すべてを道連れにするつもりなのか。だが、『知る知らす』、タロットカード。……この星は、まだ迷ってくれている……)」

 ヴァンはクブルの縄を切ってから、風魔法で救民教魔法陣地の建物の屋根の高さまで上がった。屋根の全面いっぱいに、五芒星が描かれている。ヴァンはその五芒星の色のレンガに風魔法を放った。一回はがして、再び元に戻した。

「これでいい」

 ヴァンは飛び去った。屋根は、少し強い風が吹いたとき、ゴッ、と強い音がした。

 町の外れにいたセイラと合流したヴァンは、クブルの魔法を見せてもらった。

 杖の先で五芒星を一筆で描き、それが炎に変化して相手に向かう。小さな炎を出してみせてから、クブルは素早く杖を手で抑えこんだ。

「無駄撃ちはあまり赦されておりません」

「お前は正しい。よく見せてくれた」

 ヴァンは炎が燃え尽きるのを見ながら、星が黒魔を倒す方法を同じ図で与えたことに驚いていた。救民教も知る知らすも共に五芒星。

「同じ知識があっても、扱えるのは精神が星の望みに合った者だけか」

 これだけはどんなに金の建物に銀の衣装を作って威張っても、覆せない真実である。それゆえに、救民教は自分の存在を消してしまう「知る知らす」を許さない。

「この町にいる間、あの四人が何か言ってきたら、告発すると言って逆に脅すのだぞ。苦労をかける。死ぬなよ」

「はい。あなた様もどうかお達者で。旅が無事に終わりますように」

 ヴァンはクブルを少し長く見てから、鍛冶屋の親方たちへの別れの伝言を頼むと、残りのお金で買える額の世界地図を買って、セイラを伴って町を出た。

「……ああいう力を得るのだ、勘はよかろう。私の目的を予想しても冷静なのは安心する」

 前髪を元に戻し、独り言を呟くヴァンの隣では、セイラが口を尖らせるようにして、「よーしっ! よーしっ!」と、気合を入れていた。インダが黒魔だったと聞いてから、心の底から湧き上がる安心感が、火山の噴火のように口から出ずにはいられない。

「よかったー! インダすごいオーラ出てたから! 危険! って、思ってたー!」

「なんだ。セイラも黒魔だと見抜いていたのか」

「ええ! 天井知らずのおんな色魔しきまだと思って……って、ヴァン! 独り言の世界に入ってたんじゃなかったの!?」

「インダを見抜けるなら、いい目をしていると思ったまでだ。だが、女色魔か……黒魔だとは思わなかったようだな」

「待ってください! がっかりしないでー! すごくこたえますからー!!」

 セイラが手をばたばた動かした。

「だって! ヴァンはインダを見たとき思わなかったんですか!? かっわいい厚盛りの美女だって! ちょっと興味が湧きましたでしょ!? もう少し知ってみたいって!!」

「これが黒魔の変身したがる姿か、とな」

「うわ隙がない! まったく隙がないお方だー!」

 女の子に言い寄られるのは迷惑だと言った、ヴァンの言葉がよみがえる。

「ヴァンって、恋愛に興味あります?」

「ない」

 即答されて、セイラは一瞬、ヴァンが黒い塊に見えた。

「で、でも、他の人はきっとヴァンの知らない世界を知ってますよ」

「なら、知り合いになればいい。なぜ色恋に発展する必要がある」

「それは……そう言われると……、無理して恋人になる意味はないのか……な?」

 セイラは、ヴァンが恋人を作るべきだと考える気持ちに、自信がなくなってきた。

「(でも、じゃ、今私がヴァンに好意を寄せている気持ちが、くじけちゃう!)」

 セイラは奮起してヴァンを見上げた。

「この人と同じものを見て感動したいとか、気持ちを共有したいとか、思うときが来ますよ!」

 かつてレウッシラで星羅に歌を聴かせてもらったことを思い出して、ヴァンは、はっとセイラと目を合わせた。セイラはヴァンの美しさに怯まなかった。

「いつかヴァンにも欲しいものが出てくるし、そのときその欲しいものをくれた人が、きっとヴァンの好きな人になりますよ!」

 ヴァンは辛そうに目をらしてしまった。

「好き? 好きってなんだ。各々重さは違うであろうに」

 セイラは、口をつぐんだ。


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