式神を撃つ目第五章「祭りの影」
登場人物
赤ノ宮紫苑。双剣士であり陰陽師でもある。
出雲。神剣・青龍を持つ炎の式神。
霄瀾。神器の竪琴・水鏡の調べを持つ、竪琴弾きの子供。
第五章 祭りの影
山を出た最寄りの町・取凍町に入っても、出雲は考え続けて居た。
斯の赤ノ宮紫苑という人物は、何んなに敵の情愛を見せられても、決してぶれない。
人間だろうと魔物だろうと、同情せず公平に倒す。
斯の人は、其れが力を持つ者の義務だと別っているのだ。強者の気分で処刑か無罪か決まるなら、そこに正義はない。正義のない世界なら、人は劣化する。
世界最強の戦士は、常に正しく在らねば、たった一歩踏み外した丈で悪人と罵られる。
其んな危うい裁きの日々を、抑えられない剣姫化の恐怖と戦い乍ら、自分を律して生きて熬るのだ。
斯の人が「愛し、愛さない」人間たちの中で、自分の居場所を作る為丈に、自分をここまで火中に投ずるのを納得するのに、一体何丈の時が必要だったのだろう。
「斯の人の力に成り度い」
純粋に、出雲は思った。
「斯の人について行き度い」と――。
併し、紫苑は剣姫の時、誰も必要とはしない。
剣姫に成らないとき、何んなに出雲が矢面に立って紫苑を戦いの上で支えようと為ても、紫苑には特別に届いている様には見え無かった。
「剣姫でも剣姫で亡くても、紫苑はオレに戦いですら頼らず生きて行けるのだ」
足駆山に入った頃よりもっと悪い事態を味わい乍ら、出雲の心は重く沈んだ。
其の時、出雲は木の棒に蹴躓いた。
「え?」
「気をつけろよ兄ちゃん! 此の日の為に担ぎ棒新しく為たんだぜ!」
「え? ああ……すまない」
出雲が足元に目を遣ると、新しい天秤棒と、その両端に新しい木のたらいがあって、其の水を張った中に沢山のヨーヨーが浮かんで居た。
「あら、お祭りですか? 今日は」
「おお、然うともよ! 町の者の踊りもあるから、見てってくんな! 夕方からだよ!」
紫苑と屋台のおじさんが何か話していて、霄瀾はきょろきょろと祭りの準備に忙しい人々を見回して、道の木に吊るされる提灯たちを面白そうに眺めて入る。
出雲は、何にも興味を示せ亡かった。
だから、旅用の補充品を買って宿で一息就いている時に、霄瀾がもじもじしだしたのにも、気づかなかった。
霄瀾は思い切って紫苑にこっそり耳打ちし、
「だめ?」
と手を口に持っていって、両足を交差させた。
完全なる無意識のおねだり姿に、紫苑は何でも願いを叶えてあげたくなって、胸が引き絞られた。
「いいわよ。みんなで行きましょう」
「ホント!? やったー!!」
霄瀾が飛び跳ねて喜んでいる。
「出雲も一緒に行きましょう」
「え? 何が?」
物思いに耽っていた出雲は、紫苑の呼び掛けで現実に引き戻された。
「今日のお祭り。霄瀾が行きたいんですって」
「ふふふっ、楽しみだなー!」
浮き浮きしている霄瀾を見ても、出雲は困ってしまった。
「悪いがそんな気分じゃ無いんだ。二人で行って来てくれ」
「え……」
霄瀾が明らかにがっかりした顔を見せた。
「如何したの出雲。具合でも悪いの?」
顔を覗き込んで来る紫苑に、出雲は堪らず視線を逸らした。
「これはオレが決めなきゃいけない事だから」
「……」
紫苑の顔が更に出雲の瞳を覗き込んで来た。綺麗な女の子だ、と無意識のうちに思ったとたん、少年は赤面して仕舞った。
「だ、だからな、オレは……」
「あのね、周りが騒いでると、落ち込んでるのが治ってくるものよ」
慌てて取り繕おうと為る少年に、少女は真顔で告げた。
「他人の熱気が、気を紛らわせて呉れるのね。騙されたと思って障子窓を開けて起きなさい。私たちも時々(ときどき)手を振るから。ね? 霄瀾」
其れを聞いて、部屋の中を輝かせるような笑顔を見せて、
「うん! する!」
と、子供は出雲を真っ直ぐ見詰めた。
本当の事なのか霄瀾の為なのか判らないが、兎に角障子窓を開けた出雲を残して、紫苑と霄瀾は外の祭りへ出かけて行った。
自分の方が何倍もの間、届かない思いに傷ついて煎るだろうに、如何して他人の心配が出来るのだろう。
人混みに紛れていく二人を見失わないように為乍ら、出雲は胸が痛んだ。
駆け回る子供たちの燥ぐ声、友人同士の漫ろ歩き、恋人たちの談笑。並木に一直線に吊るされている提灯の下を、多くの人が遊び歩いている。様々な屋台の垂れが焼ける、美味しそうな匂いの祭りの中、
「おっ、来てくれたね!」
ヨーヨー釣りのおじさんが、霄瀾に声を掛けてきた。
「お父さんはどうした?」
「えっ?」
「考えごとだって」
「せっかくの祭りの日にもったいねえなあ! お父さん学者なのかい?」
「ううん。剣術家」
「ああ……精神統一の類か。でも今日くらい一緒に遊んでも剣の心は逃げないと思うけどなあ。ねえ奥さん」
「えっ? あの」
「そのかわりずっと見守ってくれてるんだよ。あの宿屋の二階から」
霄瀾は然う言って障子窓の出雲に手を振った。出雲も手を振り返すのが見えた。
「へえ! こりゃ大したもんだ。一方では瞑想して、一方では子供に全神経を集中して見守っている! 武士の鑑ですね奥さん! 坊やも、自慢のお父さんだな!」
「うん! だから大好きだよ!」
「うんうん……いい家族を見せてもらった。目頭が熱くなった……」
「おじさん、一番大きいのつれたよ!」
「目が恐怖に震えて冷たくなったような……」
熱気の中に有って妙に青褪めて煎るおじさんに別れを告げてから、暫く紫苑の歌に合わせてヨーヨーで遊んだ後、霄瀾はお面屋の前で止まった。
狐面、阿亀、火男、兜、お姫様の長い髪、あとは御伽話の主人公たちのお面が、ずらりと並んでいた。
「何か、なりたいものある?」
紫苑が優しく尋ねると、霄瀾は、はにかみ乍ら、
「これ」
と、指差した。
夫れは、お面用に簡単に作られた、能の翁の面だった。
何処と無く、霄瀾の祖父・降鶴に似ていた。
「ボク、おじいちゃんみたいに、ものしりで、みんなにやさしい人になりたいから……」
恥ずかしそうな顔を見られまいと翁の面を被る霄瀾の手の甲を、腰を落とした紫苑は突いた。
「降鶴さん、急度喜ぶわ。そうだ、私も降鶴さんにお手紙出そうかな。霄瀾はこういうことをして、元気にやってまーす、って」
慌てて霄瀾が翁の面を額に上げた。
「は、恥ずかしいからやめてよ! おじいちゃんへの手紙はいつもボクが出してるから、紫苑はよけいなことしないで!」
「でも翁の面のこと、書かないでしょ?」
「でもダメ!」
「はいはい」
紫苑は笑って立ち上がると、霄瀾と手を繫いだ。
霄瀾には秘密だが、紫苑が旅の報告を父・殻典にするとき、其の手紙の中に、降鶴に宛てた物も混じっている。霄瀾の成長の様子を、事細かに記録したものだ。急度、一座の皆で大切に読んで入るに違いない。
最近の霄瀾は、紫苑たちより先へ進んで、何を考えているのか、摑みづらいところが有るけれど――。
他の子供たちと一緒に、飴細工職人が鮮やかな手付きで飴を作るのに見入って入る霄瀾は、とても神器を奏でて魔族と戦う子供には、見え無かった。
「普通の子供なら、其れなりの幸せもあったでしょうに」
「ううん。いまあることは、変えたくても変えられないよ。だから“ない”話は、いらないよ」
紫苑の独り言に思い掛けず霄瀾が反応して振り返ったので、紫苑は面食らった。
「だからボクは、いまある世界の中から、見つけたいものを見つけるんだよ」
運命を受け入れ、楽しもうと為ている。
子供故なのだろうか。
未来に絶望しか待っていないかも知れないなどとは、微塵も思わない、純粋な心。
此の「理由もなく幸せを信じられる心」が子供の特権として、紫苑には眩しく感じられた。
霄瀾は飴細工の竪琴を買ってもらい、美味しそうに食べて入る。時折、宿の出雲に手を振って入る。
やがて、町の人々の踊りの時間に就り、通りを一斉に、踊る人々と見物人が埋め尽くした。
霄瀾は其の任では能く見えないので、紫苑に負して貰った。
人々の発散する力強さが、提灯の並ぶ夜空へ立ち昇る。
出雲はぼんやりと、祭りを楽しむ人々のひしめく通りを眺めた。紫苑の赤い髪は、目立つから、探そうと思えば直ぐに見つかる。
少年は、答えが出て煎なかった。
彼の少女の傍にいたい、併し実は少女の目には映ら無い、寧ろ少女の邪魔を為て仕舞うかも知れない。
而して、一人で生きていける少女の為に、「道具」の式神として付いて行こうとした瞬間に、少女は式神を捨てて去って射ただろう。此迄ずっと、人も魔族も関係無く、筋を通して来た人だから、判る。
全部一人で背負おうと為る少女が、他人の尊厳を奪うのを許すはずがないと。
「道具」に成らなくて、正解だったのだ。
一度は浮上した選択肢に戦慄し乍ら、然し出雲は、では自分は如何少女と関わっていけるのかが、判ら無かった。
「本当に、何時か彼奴寄り強い奴が現れて、彼奴を救っちまうのかな」
言ってから、出雲は再び暗く重い塊が心臓から下へ溜まっていく様な感覚を覚えた。
自分の存在理由が一つも亡いことに、少年は苛立ち、吐き気を起こし、何もかも、自分さえも壊してしまいたい衝動に駆られた。
「いや……オレは燃ゆる遙の封印を持って煎たじゃないか。あいつの生まれてきた理由を、教えてやったんだ」
だが、其丈だ。燃ゆる遙を倒して終えば、出雲は「過去の人」に為れて仕舞う。少女に顧みられなくなるのは、死ぬ寄り嫌だった。
「オレは……弱い」
出雲の目が潤みを帯びた。
「オレが彼奴に為てやれる事は、何も亡いんだ……!」
其の事実に到達してしまい、出雲は目を閉じて首から俯いた。畳に微かな音を立てて丸い水滴が広がった。
「此から先も彼奴に守られる然亡いのなら、オレは生きている意味が亡い……! ああ……死んで終いたい……!!」
絶望が少年の全てに渦巻いた時、耳の端で祭りの太鼓の音が聞こえた。人々の楽しそうな歓声もだ。
「何だこんなときに……。呑気な野郎どもだ」
心の中心で毒突きながら、一人絶望に深けっていると、人々が再び大きな歓声を上げているのが否応なく耳に飛びこんで来た。
「……楽しんでるのか」
溜息を吐いたが、何度も人々が大きく盛り上がって入るのを聞く内に、出雲は何も受けつけないはずの自分の心臓が、昂揚して来るのを感じた。
然う、此は丸で、人々の熱気に「釣られて」という寄り、「牽引されて」気分が上向いたと言った方が正しい。
盛り上がる積りは全然亡かったのに、寧ろ死にたいと絶望して熬たのに、周りに活気が在ると、沈んでいた此方の心も活気附く。
其の時丈だけれど、周りが自分の心を彼らの騒ぎと同じ丈、盛り上げて呉れる。出雲は今、驚く羃言に、人生が楽しく成る事を見つけようと、昂揚為た心で前向きに考えて煎た。
『周りが騒いでると、落ち込んでるのが治ってくるものよ』と言った、先生の言葉が思い返された。
「人は楽しいときも困ったときも、誰かがいれば救われるんだ――」
其処迄思い至って、出雲は、左右に霧が晴れた思いがした。
「人はただ支えあう丈で、其所にいていいんだ! たとえはっきり救うことが出来なくても、何も変えられなくても、苦しい時は支えてやれる! 其れは何よりの励ましなんだ! そうかオレは、オレはあいつと一緒にいていいんだ!」
出雲の中を流れていた「何か」は、彼方へ引いて煎った。其れは蒙戻らないだろうと、出雲には判った。
先生は、大分前に此の考えに辿り着いていて、急度今は、更に先へ進んでいるのだろう。
自分の絶望は、世界中の命に拒絶される彼女とは到底比べ物に成らないから、若しかしたらこれ以上は先生の真理に近づけ無いかも知れない。
けれど、自分の存在に理由が在るなら、其れで足りるのだ。彼女も其の理由を知っていて呉れるのだから。
本当に、「分かりあえる」存在とは、何と素晴らしいものだろう。
だが、一人で分かり過ぎて煎たからこそ、彼女は其の必要な他者に受け入れられない辛さを、何倍も知って熬るのだ。
「斯の人の思考には、オレは永遠に到達出来ないのかも知れない」
出雲は無意識の内に、雑踏の中の赤い髪の少女を探した。
「でも、貴方が悪を斬るとき、必ず救われる者が射ることを、オレは信じる!」
出雲の瞳に、思ふ(う)迷いは無かった。
軽快な笛と太鼓で踊る町の人々に合わせて、見物人たちも一緒に成って掛け声を発していた。
飛び入り参加する人までいる。
「みんなが跳ねてるから、見辛いわね……。宿屋に戻って上から見る? 霄瀾」
「ううん。ここのほうが楽しい。めったに聞けない音だから」
音楽家としては、何んな音も経験したい様だ。
霄瀾が何か学び度いなら、と紫苑は子供を負為直した。子供が尚も踊りと周囲の人々の熱気に目と耳を大きく開いて射ると、不意に二人の後ろで声が為た。
「えースゲーカワイクね?」
「一人か? これ」
「えー祭りに一人はありえないっしょ! 友達どっかにいるんじゃね?」
「先声かけとこーぜ。ねーねーキミー」
「ねーねーそこのかわいいキミのことだよー」
「え? なんか他が振り返ってんですけど。キッツー!」
「ねーキミだってば!」
其の時、紫苑は二の腕を摑まれて、強引に振り向かされた。
「一寸、何ですか!」
子供が落ちたら如何する積りなのかと、紫苑は本気で腹を立てた。霄瀾は喫驚して一言も出なかった。
目つきも口元も薄笑いしている線の細い男と、耳と鼻に輪をした、顔も腹も締りなく太った男が、紫苑の目の前に立って煎た。
「うおー! 間近で見ると超カワイーじゃん!」
「オレって目ェいいだろー? 大収穫だぜ!」
紫苑を見て下品そうに笑っている。
何だか異様な空気を感じ取って、紫苑は颯と周囲に目を走らせた。
見物人は皆、通りの踊りに夢中。警備兵も見当たら亡い。人々の歓声で、少女一人の声など搔き消されて終うだろう。
「ねーねー、踊りを見れるいい場所知ってるんだけど、行って見ない?」
「友達射るんでしょ? 友達も誘いなよ」
矢張り女を引っ掛けようとして射るのか、と紫苑は思った。故郷では剣姫を恐れて粗誰も近寄ら亡かったので、紫苑に取っては此が、初めて斯ういうことで声を掛けられた瞬間である。
告白為れて嬉しくない人は余りいないだろう。だが、紫苑はその「余り」の方に属する人間だった。
「此所にいたら踊り見えないでしょ?」
剣姫に成らない自分に心底驚き乍ら、どうやって此奴らをブッ殺そうかと紫苑が考えていると、
「弟のお守りしてんでしょ? オレたちも手伝うからさ」
太った男が霄瀾の腕を引き剝がしに掛かった。其の儘何処かへ置き去りに為る気だ。
「さ……!!」
「お、おかあさんに話しかけるな!!」
触るな、と怒鳴ろうと為る前に、子供が叫んだので、紫苑は驚いて止まった。
「お母さん!?」
遊び人二人は、同時に目を白黒させた。
「マジかよ、子持ちかよ!」
「嘘吐け! 其んな若くて此んな大きな子供がいるもんか!」
「そ、そうだよな! な、坊や、お姉ちゃんも祭りで遊び度いってさ。鳥渡丈、一人で遊んでな」
「おかあさんはそんなこと言わないもん!!」
紫苑の言葉を聞かずに霄瀾が言い放ったので、紫苑は再度驚いた。
「ボクのことが一番好きだもん! ボクを置いてどこにも行かないもん!!」
紫苑は、その言葉がはっと胸に迫った。霄瀾の両親は、霄瀾が生まれて間もなく、流行病に罹って死んで居る。降鶴が、語ってくれた話だ。
だから霄瀾は今、紫苑を代理に為て、言いたかった言を打ちまけて入るのだ。
斯の子は、旅が始まってからずっと、紫苑と出雲の事を、自分だけの「大切なもの」に見立てたかったのだ。
「(そっか……。そうだったんだ、霄瀾……)」
紫苑が目を柔らかく為ている間も、霄瀾と遊び人二人の言い争いは続いて入た。
「お母さんて、母親しかいないじゃねえか! 父親はどうしたよ!」
「たまに男と遊びたいって、お母さんも思ってるんだから、いい子だからここで待ってなさい!」
男二人は、強引に霄瀾を引きずり卸そうと為る。
「ボクに命令するな! おとうさんはちゃんといるもん! ボクたちを守ってくれるもん!」
力で敵わない男二人に声を震わせ乍ら、霄瀾は叫び続けた。ここで、男二人は優勢に立った様に腕組みして笑った。
「へえー、どこにお父さんがいるんだ? これだけ騒いでるのに、誰も来ないじゃねーか」
「ハッタリだよハッタリ。母親と離れたくなくて嘘吐いたんだろ」
「ウソじゃない! あの宿屋の二階に……!」
霄瀾が指差した時――、出雲の姿は何処にも亡かった。
障子窓は閉じられ、誰も其所にいない。
「ハッハハ! 子供ってほんとヘタクソな嘘吐くのな!」
「お父さんどこにいるの? ハーハハハ!」
腹を抱えて嘲る二人が居ることも忘れて、霄瀾は呆然と口を開いた。
約束したのに。
振り返れば、いつも見守ってくれているって、信じていたのに。
ウソつき……!!
霄瀾の顔が憤怒で紅潮していった。
ウソつき!! ウソつき!! ウソつき!! ウソつき!!
「出雲のバカー!! バカ!! バカー!!」
霄瀾が宿屋に向かって目を剝いて叫び声を上げた時、
「何でオレがバカなんだ?」
直ぐ傍で、藍色の髪の少年の声が為た。
「え……?」
霄瀾がか細い声で振り返ると、出雲が男二人の後ろに立って射た。
「な……なんだテメエは!」
無意識の内に男二人が身構えた。悪い事を企んでいたから、攻撃態勢を取っているのだと出雲には判った。其れで、充分だった。
「お前らを叩きのめす理由にはな!」
出雲が、拳を太った男の腹に減り込ませた。
「グベッ!」
太った男は、自分を嚙んでくる虫を急いで地に叩きつけたときの、その虫が出すような音の声を出して、地面に俯せに倒れた。
「何者だ! 先に手ぇ出して来やがって、警備兵呼ぶぞ!」
「呼べよ」
出雲が片足を太った男に踏み乗せた。
「オレは今、大事な子供を汚らしい害虫二匹がいじめやがったから、最高に腹を立ててるんだ」
顔に影が入り瞳が凄みを帯びて光る出雲を見て、線の細い男は腰を抜かした。
「旦那! ホントにいやがった!!」
而して、太った男を置いて逃げようとする細い男の前に、霄瀾を降ろした紫苑がニコニコし乍ら立ちはだかった。
「剣姫じゃ無いから、痛いよー?」
刀を振り上げるのを見て、細い男は目玉が飛び出さん許りに仰天し、泡を食って四つん這いで逃げ出した。
「痛みなく斬って上げるから、次は剣姫の時来なさい」
紫苑は刀を仕舞った。太った男も出雲の蹴りで目を開け、細い男を追って四つん這いで土塗れに成り乍ら、逃げていった。
「笑顔で刀振るなよ……。益々(ますます)人、寄ら亡く成るぞ」
出雲は心から笑った。
「……オレたち以外は!」
紫苑は顎に手を当てて、出雲の「伝えたい言葉」を読み取ったという風に微笑んだ。
こんな大立回りが在ったというのに、周りの見物人は一向に気づかない。相変わらず、踊りとその掛け声に浮かれている。
すると、霄瀾が出雲の姿をちらちら盗み見ては、もじもじ為出した。
「良かったわね霄瀾。出雲が来て呉れて」
紫苑の言葉にも、子供はもじもじした任だ。
出雲が霄瀾の目を臨き込む様に背中を屈めた。
「ちゃんと間に合ったろ?」
其の言葉に全てが集約されて、霄瀾は、
「……!! ……!!」
と、言葉に成らない声で何度も頷いた。
出雲が穏やかに口元を緩めて背中を元に戻した時、霄瀾は其の袖を引いた。
「あのね……。来てくれて、ありがとう」
出雲は子供の髪の毛をくしゃくしゃに撫でた。子供は出雲の脚に抱き付いた。
「ねえ、折角だから、出雲、霄瀾を肩車して上げたら?」
「よし!」
「えっ? うわっ!」
驚く霄瀾は、次の瞬間には出雲の両肩から両足を出して、押さえて貰って入た。
翁のお面を額に上げて、踊りを眺めて入るのは、何処にでもいる、父と息子其の物の図だった。
霄瀾は、必死にきょろきょろ為て、望祭りの声は、何うでも良さそうに見えた。
ただ、此の景色を、今日で最後かもしれない此の景色を、懸命に目に焼き付けておこうとしているかの様だった。
二人の其の影は、此の祭りで何処にでも見られる、親子連れの其れと何ら変わら無かった。
夜の闇に紛れて、一人の男が燃ゆる遙の遺体を思い起こしていた。
「神剣無しで彼の威力……。然も残り二人は青龍と竪琴……」
男の容貌は、被っている笠で分からない。袋に入れた杖を手に為た、黒い僧服姿である。先程足駆山に居た僧である。
「此の世界で絶対に必要な神器が、最終兵姫の手に在るとは……」
男は空で皎々(こうこう)と輝く月を見上げた。
「天降りの日」。
全ては此処から始まった。
此の日降りてきた神器は、永い年月の間に、或る物は大地の何処かに埋もれ、或る物は所有され、或る物は金で売買された。
何れも強力な封印の力を持って将て、人族と魔族は互いを封じ合う事に丈使って来た。
ただ、封印する側も相当の力量が必要と為れるので、封印の乱発には至ら無かった。
天降りの日に降り下りた神器のうち、最強と謳われる一群が在る。
先ず、四神を象った四振りの刀、神剣で在る。
四神とは、方位を守護する四柱の聖獣の事で、北は「水」を司り、亀と蛇の交合した姿とされる、黒が基調の「玄武」、東は「風」を司り、体が長く青い龍の「青龍」、南は「火」を司る、赤い鳥の「朱雀」、西は「金属」を司る、白い虎「白虎」。
刀は其々(それぞれ)の色を為て射て、修練を積めば其の属性の元素の術を繰り出せる様になる。
四神は、此の世を見て将る神魔の次に、強力だと考えられて入る。
だからこそ、陰の極点の燃ゆる遙を、神剣・青龍に封じる事が出来たのだ。
では、神魔とは何か?
神と魔神、二柱の神を、一対として表したものだ。
神は完全なる善、魔神は完全なる悪、互いに完全なる陽と陰で、其の為、最強の力場(りきば・意味『力の現れる場所』)を完全創出すると考えられている。
考えられている、と憶測にして居るのは、神魔が実際に地上へ姿を見せた事が亡いからだ。
此の世を導く神と、破滅へ誘う魔神は、対等の力量を持って将て、世界の命たちの意思が何方に傾くかで世界の行く末が決まる、と、伝説では言われている。
其も此も、天降りの日に降り下りた神器たちを合わせて、無意識に世界中の命が知ったことで有る。
其れ以来、人族は徳で統治される世界を望み、善の神を選び、魔族は力で統治される世界を望み、悪の魔神を選び、各々自分の理想の世界を実現する為に、滅ぼし合うこととなった。
互いを完全に滅ぼすには、多くの犠牲が必要であった。其の為、互いの勢力は決着をつけることが出来無かった。一方を絶滅させる為には、猛一方も絶滅に近い損害を受けることを無視して、攻撃し続け亡ければ成らなかったからである。
其んな中、絶妙な概念が現れた。
「星方陣」である。
複数の神器を集めて星の陣を描けば、「何でも望みが叶う」という伝説である。
その代わり神器を使い熟す精神力が必要に馴ると言われているが、人族も魔族も此の話に飛び付いた。
互いに、星方陣に頼んで互いを滅ぼして貰おうと思ったからである。
所が、燃ゆる遙との戦いで、星方陣は徒の封印陣であることが露見した。
「何でも望みを叶えて呉れ」は、為なかったのである。
人族と魔族は、再び絶滅を懸けて戦争の準備を為ている――のが、現在の状態である。
星方陣は、本当に徒の封印陣なのか。
神剣・青龍を使った丈の陣で、希望を捨てるのは早計では無いか。
併し、大勢の人族と魔族は、神魔に助けて貰う夢物語より、現実の戦争を直視する事を選んだ。何が起きるか判らないものに期待為ている暇は無い。燃ゆる遙を倒されて、切札を失った魔族が、人族が軍備を整えない内に、決死の奇襲を仕掛けてくる可能性は、十分考えられる。追い詰められた命ほど、殺意は止められないからだ。
世界中が星方陣を諦めた理由は、猛一つ在った。
其れは、必要な神器の所在が、不明だからであった。
星方陣は先に述べた「玄武」「青龍」「朱雀」「白虎」の四振りの刀と、月の名を冠した神器五つと、その他にも幾つかが必要なのだが、何が何処に在るかというのは、全部は判っていない。
又、知られたら知られたで、売買や収集趣味の為に持ち主が殺害される事件が、昔は多発したらしい。「世界を救う勇者」に成りたかった男が、神器を強引に持ち逃げするなど、神器は人間の自我欲を剝き出しにせずには招かない、全ての感情の権化であった。
四神の刀は「青龍」の出雲、月の名を冠した神器「水鏡の調べ」は霄瀾が持って居るということは確定だが、其の他の神器は杳として行方が知れない。意図的に隠されて鋳る可能性が高い。
其んな、森の中でたった数枚の落ち葉を探す様な事を、命を狙われ乍ら、全ての敵を退けて全て集められる者は、いない、と、人族も魔族も思っていた。一生課かっても揃わないかも知れない事を、誰も為る理が亡い、と。
「だが……」
男の低い声は、周囲の空気を凍らせるように引き締めた。
「彼の女なら其れが出来る」
人間側の切札、赤ノ宮紫苑。
何んな欲望とも戦い、何んな敵にも打ち勝ち、今、「生きる目的を見失っている」女。
「彼の女が若し、真の星方陣を描ける神器を、集め出す目的を持ったら」
男は奥歯を強く嚙んだ。
「在ってはならない……。適任過ぎる……!」
「青龍」と「水鏡の調べ」が赤ノ宮紫苑の本へ集まったのは、「神」の意志なのか。
「否……」
男は首を振った。
「試してやろう。燃ゆる遙を倒す程の腕前が、私の信じる方の意志を超えられるかどうか!」
男は然う呟くと、宙に跳移陣を描いた。自分が印を付けた場所へなら、何処へでも行ける、但し、自分の力量によって、瞬間移動出来る距離が変動する、高位術である。
男は一瞬で、月の光の元から消え失せた。
赤ノ宮紫苑は、深夜、父・殻典が飛ばした、「酉」(鳥)の十二支式神の体に書かれた手紙を読んで入た。十二支式神とは、術を使って十二支の十二体を自分の決めた素材で作って、式神にしたものである。酉は本来鶏なのだが、大抵の陰陽師は、飛べるように翼に手を加えて鳥に為ている。殻典も紫苑も然うである。
紙の素材で出来た鳥の手紙には、都の帝が、紫苑に是非自分に会いに来るようにと言っていたこと、而して、其処で星方陣の為の神器と神剣を集める勅命が下ることが記されて在った。
「確かに何の目的も亡くなった私に、断る理由は亡いけど。でも正しくない人間を救う事は、出来ない」
紫苑は何度も手紙を読み返した。
「何でも願いが叶うなら、私は普通の人に成り度いと、望みを言って仕舞うかも知れないのよ」
併し、然うは成らないと、殻典には判って要るのだ。悪に泣く人々を助ける為に、紫苑は人を救う願い事を為ると。
「人も魔族も心正しい者だけが生き残る世界……。若し其れが可能なら、私の望む世界に成るなら、」
紫苑は息を吸って震えた。
「私は此の世界で“普通”に生きて行けるのだ……!!」
紫苑は父の手紙である酉式神を炎に焼べた。此の極秘任務の事を、出雲と霄瀾にも伝え無ければ成らない。
此から先、「神器」と「神剣」の事は、決して口を滑らせては馴らない、と。
而して、帝の意に反して、「心正しい全ての命」を救い度いという事も。
酉式神は、灰一つ残さず消え失せた。




