運命の八光(はちひかり)第四章「復活」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある、杖の神器・光輪の雫を持つ、「土気」を司る麒麟神に認められし者・赤ノ宮の名字を改めた九字紫苑。強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者、紫苑と結婚している露雩。現在、阿修羅の意志で動く。
紫苑の炎の式神で、霄瀾の父親になった、「火気」を司る朱雀神に認められし者・精霊王・出雲。神器の竪琴・水鏡の調べを持つ、出雲の子供にしてもらった、竪琴弾きの子供・霄瀾。帝の一人娘で、神器の鏡・海月と、神器の聖弓・六薙またの名を弦楽器の神器・聖紋弦の使い手・空竜姫。聖水「閼伽」を出せる、「魔族王」であり格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉の器の持ち主の、「金気」を司る白虎神に認められし者・閼嵐。輪の神器・楽宝円を持ち、「木気」を司る青龍神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭。人形師の下与芯によって人喪志国の開奈姫に似せて作られた、槍使いの人形機械・氷雨。
栄光の都レウッシラの歌姫・星羅。
魔族軍を率いる璘。
第四章 復活
空竜が都に戻る前から、婚礼の支度が整えられていた。
旅の感想を聞かれもしない。帝は姫に改めて、婚礼の勅命を下した。姫の支度が終わり次第、すぐに式場に向かわなくてはならない。
少しだけ時間をもらって、空竜は自分の部屋に一人でいた。部屋は、自分が都を出たときのままだ。官女たちはできるところだけ掃除をしてくれていたらしい。たいした埃もなく、学び途中の書物、お気に入りの宝石、書き損じの論文を丸めたもの、すべてが変わらずそこにあった。
一年桜の木々が庭一面に花びらを散らし続けている。一生分の思い出を見ているようだった。
空竜は支度部屋へ向かった。
空竜が、再び帝の前に姿を現した。黒髪を背中で一つに束ね、桜と鶴を主体にした花鳥風月をあしらう筒におさめている。下からは、髪の代わりに金糸と銀糸が出ている。両耳の後ろと頭頂部を通る金属の髪留めには、星を表す輪が三つついていて、色とりどりの宝石の粒が左から五つ、四つ、六つとつけられている。胸元は結びあがりが六弁の花のようになる帝室秘伝の花結びで、そこと肩の線を結んだところから下まで白無垢だった。袖は振袖より長く、地面をひきずっている。足元も同様である。膝からかかとまで以上の長さの裾である。化粧をして紅をさし、赤く長い房の二つ垂れ下がった銀色の扇を手にしていた。
「……空竜、后に似て美しく、大きくなったな」
「これまで育ててくださいましたご恩は、生涯忘れませぬ」
空竜が、父に、正座をしてから手をついてお辞儀をした。
「……空竜、本当にいいのか」
考える暇――決意を固める時間を十分に与えてやれなかったことが、父には苦しい。まして、処刑できる相手とこの期に及んで結婚しなければならないとあっては。
「いまさらそのようなことはおっしゃってくださいますな」
少し責めるように答えてしまった空竜は、それに気づいて落ち着いてから、続けた。
「せっかくの決心が、鈍ってしまうといけないので」
父は、何も言えなくなった。
二人は、黙って別れの桜酒を飲んだ。
白無垢の空竜を乗せた輿は、お供の者で行列を作り、式場である大神社へ向かう。空竜の世話係、知頭世が輿の隣に付き添って歩く。
当滴はもう着いているのだろうか。いや、どうでもいいことだ。紫苑はいつ星方陣を成してくれるだろうか。いや、今には間に合わない。
空竜は輿に揺られながら、散漫に考えていた。白無垢が、絶対に逃れられない恐怖の檻のようである。
「私、なんで生まれてきちゃったんだろ」
空竜の目から涙がこぼれた。どんなに理屈が正しくても、心は従えない。私の幸せって、なんだったんだろう。空竜は泣きじゃくりそうになる口を、両手で必死に押さえた。外で知頭世が、わざと履物をずって音を立てて歩いた。
「(私をさらいに来てよ!!)」
空竜が真っ赤な顔で大きな息だけで叫んだとき、突風が行列を襲った。人々が吹き飛ばされる。
「なんだ!? どうした!?」
人々が騒いでいるので空竜は涙を急いでふいて、輿の扉を開けた。
「どうしたの、知頭世!」
「ああ、ああ、あの男でございます!! 姫様!!」
知頭世の声が上ずっている。上を見ている知頭世の視線を追ったとき、空竜は目を疑った。
「露雩!?」
正方形を二つ、縦と斜めに重ね合わせた八角形で、赤紫色の星晶睛を持つ露雩が、風をまとって宙に浮いていた。
「露雩……どうしたの!?」
なぜ両目が同じ星晶睛なのか、なぜ風の力を持っているのか、そんなことはどうでもいい。空竜は輿の外に飛び出した。
「空竜、私と来い!! 星方陣を成すぞ!!」
露雩の言葉は、天から響いたように聞こえた。空竜は夢中で走り、露雩の風によって宙に浮いた。
「姫様ッ!!」
「知頭世、大丈夫よ!!」
露雩の隣で、空竜が希望に大きく目を見開いて興奮していた。
「人族と魔族のために、私はできることをします!! 世界の最後の希望を、私は選びます!!」
そして、露雩と共に、いずこかへ飛び去ってしまった。
「ひ……姫様……!!」
姫を奪われて走り回っているお供の者たちの中、知頭世は呆然と空竜の去っていった方を見つめていた。胸がつかえた。
露雩と空竜は、山に囲まれた、広い野原の中にある一軒家に到着した。南側に藤棚と菜園があり、あとの三方は花畑が囲っている。
「ここは何?」
空竜は、二階建ての木造の建物を興味深そうに眺めた。瓦も、壁板も、風雨にさらされて変色し、とても古い。
「藤花の家だ」
百年前の露雩の名前である。
「ふうん、記憶が戻ったの? で、どこの国? 近くの町は?」
連れ出された嬉しさに、しっかり地形を見ていなかった空竜が尋ねた。しかし、露雩は無言できしむ戸を引いて中に入った。
百年間の埃が、砂のように床や家具の上に一センチ以上積もっていた。歩くたびにもうもうと煙さながらに埃が舞い、空竜はたまらず外に飛び出した。
「どうした?」
煙の中で露雩が不思議そうな顔をしている。
「そっちこそ! この埃をなんとも思わないの!? 肺を壊しちゃうわよ!!」
露雩――阿修羅は、埃を自動的に遮って呼吸ができるが、人間は埃を吸ってしまうということを思い出した。
「悪かった。しばらく待て」
風を起こすと、家中の埃を竜巻にまとめて、山へ捨て去った。
塵一つない家に空竜が感動していると、露雩は二階へ上がっていった。東に窓がある部屋があった。朝陽が窓から寝台を照らし、そこで寝た人は、朝陽をいっぱいに浴びて起きることができるようになっている。
そこに、目を閉じた星羅が横たわっていた。
「きれいな人ね。この人は誰?」
空竜がのぞきこんだ。弱々しい寝息をたてている。
「詳しいことはこの者、星羅から聞け。星羅も星方陣を成すのに必要な者だ。私は星羅を助けるため、行かねばならない」
立ち上がろうとする露雩に、空竜が怪訝な表情をした。
「ねえ……他のみんなは? 全部の神器は揃ってないでしょう? 私の神器は?」
「最後の神器・白夜の月のありかは、私が知っている。そして、隠しても無駄なことだから先に言っておくが、私は露雩ではなく、魔神・阿修羅だ。赤ノ宮九字紫苑とは別の星方陣を成すつもりだ」
「ええっ!?」
空竜はすぐには情報をまとめきれなかった。
「私に力を貸してほしい。私の陣が完成したあと、改めて赤ノ宮九字紫苑らと次の星方陣を成すがよい」
「ええっ……!?」
ますます混乱している空竜に、露雩の姿の阿修羅は決定的なことを言った。
「今、赤ノ宮神社に逃げようと、赤ノ宮九字紫苑のもとに逃げようと、追手に捕まるぞ。星方陣を成すことでしか、お前は助からない。私についてきたときの気持ちを、忘れるな」
「……!!」
逃げたいと思った。阿修羅の天の助けがあった。この幸運を棒に振ってはならない。
「……わかりました。あなたの星方陣に協力します。でも一つ聞いていいかしら。星方陣で何を望まれるのですか」
落ち着いている空竜の横で、露雩の姿の阿修羅は星羅に目を向けた。
「――私が人間を永遠に見限らないように、一人の娘の時間を神に等しくすることだ――」
一階の居間に行くと、露雩の姿の阿修羅と空竜は机を挟んで向かいあって椅子に座った。そして阿修羅は、レウッシラで起きたこと、星羅が年を取ったことを語った。
「このままでは星羅が私より先に死んでしまうと思うと、矢も楯もたまらなかった。私は人間を憎んでいた。星羅がいることで、人間に希望を見出していたのだ」
星羅が死ねば、自分はもういつでも人間を滅ぼすだろう。ほんの些細な理由でも。「兄」と戦ってでも。兄と戦いたくはない。兄に見放されたくない。両方を避けるため、阿修羅は禁を破って、持っていても開くことを赦されていない本を手に取った。
その本は黒水晶の表紙を持ち、中には今日一日に起こることがすべて書かれてある。
名を乾坤の書といった。
兄は毎日これに目を通し、世界で起こることを管理していた。弟が持っているのは二冊目で、万が一兄に何かあったときのための影だった。
阿修羅は、乾坤の書が百年に一日だけ、何も記されないことを知っていた。
兄が休んで世界のことを何も知らないその日に、阿修羅は自分の乾坤の書・影を開いた。
そこには、一日に起こることは書かれておらず、白紙だった。しかし、最後の数頁に世界の法則が書かれてあって、その中に星方陣の記述があった。何が起こるのか、何も記されていない。ただ、「世界最高の力」という説明だけがあった。
自分たちの力を超えるというより、自分たちの持たなかった力を補うのではないかと思えた。阿修羅が持たなかった能力、「人間の時間を引き延ばす」ことも、星方陣を成せばかなえてくれるように思えた。
阿修羅は迷わず下界へ降り、十二種の大神器を探して旅を始めた。兄が追って来て止めるといけないので、見つかった順の五つの神器を使って星方陣を成そうとしたが、結局成せなかった。
地上に降りて来た兄に止められたからだ。
阿修羅は、地上では、人間を信じる気持ちを取り戻そうと、あえて人間として旅をしていた。善人の生者を救おうと思ったのはもちろんのこと、敵の死者すらも死体を操る者から救おうとして、五体を裂いてすべての死体の五つの部位を別々の死体の五つの部位と組み合わせた。一つの死体を構成するのに、二つとして同じ者の部位はなかった。その「残虐さ」によって、阿修羅は人間として旅をしていながら、人間に避けられ、むしろ魔族から好意的な接触を受けた。いつの間にか魔族王にまつりあげられていた。紅葉橋で人族と戦うから指揮をとってくれと言われ、人間はここで滅びるべきなのだと腹をくくって紅葉橋に向かおうとしたとき、兄が現れた。そして戦いが始まり――、
「――互いを封印したのだ」
兄の言葉を今でも覚えている。「人間のどんな姿を見ても、それが人間なのだと思うのだ」。それを教えるために、兄は阿修羅の旅を赦していたのだ。しかし、兄は星方陣を赦してくれなかった。得体の知れない力は、危険すぎると言って。
「戦うしかなかった……」
露雩の姿の阿修羅は、立ち上がった。
「空竜。星羅を頼む。私の体が戻れば、すぐに回復してやれるはずだ」
「阿修羅様」
戸に向かっていた露雩の姿の阿修羅が空竜に振り返った。
「紫苑に返してあげられますね」
露雩の姿の阿修羅は少し困ったような、怒ったような目をして、外へ出て飛んで行った。
紫苑たちは、空竜が露雩にさらわれたことを、一目曾遊陣で都から来た、小石の十二支式神「子」(鼠・ねずみ)を通した、大臣の言葉で聞いた。
「これはいったいぜんたい、どういうことだ!! 婚礼の儀の前に連れ去るとは、日宮様の御顔に、泥を塗りおって!!」
世界は今、それどころではない。紫苑は、露雩が魔神・阿修羅だったことを話し、必ず合流すると約束した。大臣は魔神と言われても突拍子もない嘘だと思ったのか、実感がわかなかったのか、自分が想像できる範囲でしか物事を考えなかった。
「姫様は嫁入り前の大事な体、傷でもつけたらいかがいたす!!」
それには紫苑が答えるよりも早く、出雲と麻沚芭と閼嵐が答えた。
「「「そんなことはない!!!」」」
三人がそろっていたので、大臣は驚いたようで一瞬返事をしなかった。三人はたたみかけた。
「露雩は空竜に何もしない!! あいつを信じろ!!」
紫苑はそのおかげで落ち着き払って素早く続けることができた。
「空竜をさらった目的は、神器・海月と聖紋弦のために違いありません。姫様は必ず我々が見つけ出します」
大臣は、姫を最優先で探せと命じて、通信を切った。
紫苑は前を向いたまま、
「ありがとう」
と、言った。後ろにいた出雲、麻沚芭、閼嵐は真剣に怒っていた気持ちを解いた。
紫苑たちは魔族の町に戻っていた。露雩を追うため、洞窟住居の部屋で地図を広げていたところだった。
心穏やかでない紫苑の目の前に、光が現れた。
白い筒衣を身につけた老人が立っていた。短い白髪を前から後ろになでつけ、鼻の下から口の周り、顎にかけてふさふさの白いひげが生えている。豊かな白い眉毛の下に、軽く目尻の下がった、優しげな丸みを帯びた目があったが、瞳の色は青氷河色で、宇宙の奥を反射しているように見えた。
全員、この老人が四神五柱の神気と同じ気を発していることに気づき、かしこまった。
「我が名はルシナ。この世界の先代の神だ」
「竜族と愁たちの神様……!」
ルシナは淡い光を身にまとっていた。ずっと見続けても目を痛めない、優しい光だった。
「阿修羅が先に目醒めるとは思わなんだ。『あの者』を目醒めさせようと、私も顕現する力を蓄えてきたのだが」
「『あの者』……とは……?」
紫苑は不安で心臓が早鐘を打った。ルシナは慈しむように見下ろした。
「私が神の王の位を渡した、現在のこの世界の神、その名は邪闇綺羅。これは神の発音だ。人間なら『じゃきら』と発音することになる。阿修羅も、『あしゅら』だな」
「邪闇綺羅……!?」
紫苑がこの世界で初めてその名を口にした。邪闇綺羅はその言霊の力で、世界に存在する場所ができた。
「それが、露雩の本当の名前なのですね?」
自分は神を愛してしまったのだ。その畏れ多さに、紫苑は心臓の鼓動が正常に戻らない。
「そうだ。璘に憎まれているのも邪闇綺羅だ」
ルシナは、この時代の始まりから話し始めた。
自分の時代で自らの望むことを成し遂げたルシナは、神の王の座を次の者に譲ろうと考えていた。
ルシナの配下の神々の中で、ルシナの次の神として有力視されていたのは、ルシナの魂を特別に分けて生まれた璘であった。ルシナも途中までは後継者として育てていた。あらゆることを他の神より優先して教えた。「自分の分身」に、期待をかけた。
だが、璘は最大の過ちを犯した。
それに気づいたルシナは、まだ七才くらいの背丈しかない幼い子供を急遽、後継者に選び直した。
大人の身長の三倍はある、白い石でできた扉があった。
その名は「運命の扉」。
神の王の座を継ぐ者が開ける、次の世界への扉だ。
「あの扉を、お前が開けなさい」
ルシナはそう説明して、遠くから扉を指差した。子供も扉を見た。
子供はゆっくりと扉に向かう。
扉に手をかけ、そして、開けた――。
「こうしてその子供は私の次の神の王の座につき、この世界は始まった。『星の守護者』となって、世界を護る存在となった」
「それが邪闇綺羅様なのですね」
一涯五覇・土気の極覇、三務乱と戦ったあと、紫苑が天の光の中で途中まで見た光景だ。璘は、「盗まれた」と言って呪詛していた。
「璘の犯した過ちとは、何ですか。よほどの罪ですね?」
しかし、紫苑にルシナは答えなかった。
「この星の天の園に邪闇綺羅はやって来た。一人ではなかった。邪闇綺羅には弟がいた。それが阿修羅だった」
「兄弟!?」
一同が声を上げる中、ルシナは続けた。
「邪闇綺羅の影のような存在で、邪闇綺羅が神となった際、阿修羅は魔神となった。顔は似ているが、華やかに美しい兄と違って、表情を崩さない冷淡な神であった。それゆえ常に変わらぬ美貌を持つという意味で冷たい美の神とも言われていた。その美しさを誰にも向けることはなかった。唯一好むものといえば、音であった。それが阿修羅の運命をここまで変えてしまったのだ」
ルシナは、栄光の都レウッシラの話をした。阿修羅は、星羅ではなく星羅の歌声を好んだ。愛してなどいないのに、天の園へ連れて逃げた。
「えっ!? 待ってください、どうして阿修羅が星羅を愛していないとわかるのですか?」
自分に直結すると思って真剣に耳と傾けていた紫苑は、あまりにルシナが断定的に話すので、得体の知れぬ不安を覚えて話を遮った。ルシナは再び、慈しむように見下ろした。
「神の座についた邪闇綺羅と、弟の阿修羅には、禁忌がある。それは『愛』を知ることだ。それが神の弱点になるからである」
紫苑はしばらく、自分の立っている場所すら把握しかねた。
「神は特別の誰も愛してはならない。星の守護者として、力の発動に偏りを与えるからである。無欲こそ神の力の基なのだ」
紫苑は息が苦しくなった。この空気も、生かしてもらっている命も、みな邪闇綺羅様が世界を調和させて与えてくださっているものだ。その邪闇綺羅様を、一人の人間の女が、神の座から堕とすことなど、あっていいはずがない。
私は、邪闇綺羅様の神の道の妨げになってはいけない。
ああ、このまま窒息してしまいたい。
それでも耳だけは、ルシナの声を聴いている。
「阿修羅の星羅への接し方を見て、邪闇綺羅は、これは自分にとっても未知であり禁忌の、『愛』なのではないかと疑った。……阿修羅が『愛』するとすれば、自分という影を生んだ光なのだろうがな……」
星羅は、人間として、天の園で老いていった。星羅の声は、いずれ星羅が死ぬことで永遠に失われてしまう。阿修羅は、星羅に神と等しい時間を与えて、いつまでも歌っていてほしいと願った。ただその魂から発せられる声を、ずっと聴いていたかったのだ。
阿修羅は、兄の持つ黒水晶の表紙の本、乾坤の書に目をつけた。今日一日に起こることがすべて書かれてある、星の守護者だけが読むことを赦される本である。星羅の命を延ばす方法は、乾坤の書に書かれているかもしれない。しかし、邪闇綺羅には教えてほしいとは頼めなかった。星羅を勝手に天の園に連れて来たのは阿修羅で、それゆえに邪闇綺羅の手をわずらわせたくなかったからだ。かといって、盗み見ようとすれば乾坤の書に記され、兄に知られてしまう。
そこで、阿修羅は、乾坤の書が百年に一日だけ、何も記されないのを逆手に取って、自分の持つ乾坤の書・影を開いた。そして、「世界最高の力」星方陣を知った。そうして星方陣を成すために地上へ降りていった。
ずっと、星方陣を成すことを迷いながら。
神の定めた寿命を変えることは、星の守護者である神の座の邪闇綺羅に反逆することかもしれないからだ。
もし、人間がレウッシラのときのような心から成長していたら、自分は星羅が死んでも人間を守る気持ちを持ち続けることができるだろう。
だから、星羅が死ぬことを受け入れられるように、阿修羅は、仮の名をラシュオン・羅珠にすると、人間として旅をして、人間の世界をよく知ろうとした。
一方邪闇綺羅も、阿修羅が人間のことを調べるだろうと考え、自分は名を藤花と変え、魔族として弟を追い、阿修羅を止めつつ世界の現状を探ろうと考えた。
しかし、阿修羅はその冷酷さから、人間でありながら魔族に愛され、人間から疎まれた。邪闇綺羅はその温和さから、魔族でありながら人間に慕われ、魔族から理解されなかった。
「阿修羅の力に人間が頼り、阿修羅は何度も魔族や悪しき人間を討った。しかし、強大すぎる力は必ず相手を『惨殺』してしまい、とても頼んだ者たちは正視できなかった。阿修羅から魔の波動つまり魔性を感じ、人々は討伐成功の祝いの席から阿修羅をしめ出した。どの席でもそれは続き、阿修羅は人間に希望などないことを知っていった。人間の世界は真心の報われない、悪しき世界だと思い始めた。人間は、人間が救われるべき理由を神に示すことに、失敗したのだ。
阿修羅は、星方陣を成すとともに、世界から悪を消し去ることを決めた。魔族王として、人間を滅ぼす戦いを起こそうとしたのだ。それを阻止すべく、邪闇綺羅が立ちはだかった。邪闇綺羅は阿修羅と戦う方に集中したため、紅葉橋の戦いや、人間の作る星方陣を止めることができなかった。互いに自ら持つ神剣を用いて相手を水晶に閉じこめる、水晶神封印をかけあったからだ。
こうして、この世界は百年間、神なき時代に入った。それに璘が気づいた。璘は、邪闇綺羅から神の王の座を奪うため、暗躍して世界を混乱に陥れ、貶めた。世界が悪徳に染まり破壊するしか救う道がなくなるのは、神として最大の恥辱なのだ。森羅万象の管理は、神の力の証だからだ。
璘は世界に邪悪を浸透させ、救いようがないほど穢れた思想を常識として定着させ、全員にあてもない覇王の夢を見せて他人を力ずくで従えることを奨励し、星を使い捨てにして自然を回復不能点まで搾取するよう、全員の欲望を解放しようとした。神のない国は、それに操られた。そのためにいずれ世界が終わるとも知らずに。
お前たちの戦った一涯五覇も、璘の力を受けて覚醒したものだ。すべては、邪闇綺羅の世界を失敗させ、次の新しい種族で璘が次の神の王の座につくためであった。同じ世界に、善き神だけでなく、世界を破壊しようとする神もいるということだ。
しかし、璘は神の王の座につく資格は、もはやない。邪闇綺羅を助け、璘を倒すのだ。この世界を、お前が愛しているのなら!」
紫苑は両拳を握りしめ、歯を食いしばった。
「こともあろうに、神が神を陥れるとは!! 世に必ず現れる偽りの神の正体は、次の時代を待ち望む、今の世界の敵であったか!! すべての命を巻き添えに刈るその非情、永遠に神の器に値しないと知れ!! 私は許さない!! 世界を負って璘を倒す!!」
陽の極点の魂が、火種を得て太陽のように輝いた。ルシナにだけ、それが見えた。
出雲がルシナに尋ねた。
「今、露雩の体は阿修羅が使っています。我々はどういう道筋をたどればよいのですか」
ルシナが穏やかに答えた。
「水晶神封印は、自分の名前を呼ばれるか、心を震わせる魂の叫びがないと、解かれない。魔族に接した阿修羅より、人間に慕われた邪闇綺羅の方が、目醒める可能性が高かった。そこで、阿修羅は邪闇綺羅の星晶睛に自分の星晶睛を映しこませ、意識を入りこませたのだ。名前を呼ばれれば完全に復活するが、魂の叫びだったら記憶をなくした状態で復活し、阿修羅もその状態で目醒められる。魂の叫びだけでは記憶を失ったままなのは、『名前』という『自分』がないからだ。だから、阿修羅と並存したとはいえ、露雩の体がもともと邪闇綺羅のものである以上、かの者の名を呼べばよいのだ」
氷雨が拝むように前のめりになった。
「阿修羅は今、どこにいますか! 空竜は!」
ルシナはゆっくりとなだめた。
「阿修羅は自分の体を取り戻しに行くだろう。邪闇綺羅が封印されていた場所と同じ建物の中にいる。毛土利国の来場村の遺跡だ」
「ええっ!? でもあそこ、なんにもありませんでしたよ!?」
霄瀾は必死に記憶をたどった。
「あそこは土で埋まった先に、まだ空間があるのだ」
「え? たった百年で、土に埋まる?」
閼嵐の思考が止まった。ルシナはそれには答えなかった。
「それよりお前たち、急ぎなさい。紅葉橋に魔族軍と人族軍が向かっている。魔族軍は、お前たちに十二種の大神器が揃う前に開戦してしまおうと考えを変えた璘に、率いられている。人族は当滴に率いられている。戦ってはならない。魔族は魔族王閼嵐の力によって人間に変身し、理想の暮らしに近づく努力を、人族とできる可能性が生まれたのだから」
麻沚芭は閼嵐を一瞬見てから、提案した。
「どちらも急を要する。二手に分かれるしかない。……紫苑は邪闇綺羅様のもとへ」
しかし、紫苑は首を振った。
「いいえ、私は紅葉橋に向かうわ。邪闇綺羅様も阿修羅様もいらっしゃらない今、璘を止められるのは第三の最強の私だけよ。私の式神出雲、そして神破陣を使える霄瀾は、私と来て。麻沚芭と閼嵐と氷雨は遺跡へ行って。……邪闇綺羅様を、取り戻して」
本当は名前を呼びたいだろうに、紫苑は冷静に指示を出した。ルシナが六人の胸に光を授けた。
「私の力を貸そう。祈りを捧げて願った地へ、一瞬で移動できるようにしてやろう。ただし、邪闇綺羅が目醒めるまでの間だけだ。今の神が復活すれば、今の神に祈りを捧げよ。前の時代の神の私に第一の祈りを捧げてはならぬ」
「ありがとうございますルシナ様」
一同が感謝の礼をしたとき、町の外が騒がしくなった。武装した魔族が、町を包囲している。住人を捕まえては、魔族化するかどうか調べている。
「私たちを探しているのね。璘だわ」
紫苑は、閼嵐が魔族兵をごまかすために出ていこうとするのを止めた。
「逃げきれないわ。今すぐ二手に分かれましょう。でも私たちがいないと、この町の魔族が私たちに味方したのではと疑われるから、『逃げた』と思わせてから行きましょう」
紫苑は、霄瀾に聖曲「幻魔の調べ」を弾いてもらい、町を霧に包んだ。そして、六人が霧にまぎれて脱出したと見せかけてから、それぞれはルシナの力で目的地へ一瞬で移動した。




