浮かび上がる陰第五章「竜族攻囲」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある、杖の神器・光輪の雫を持つ、「土気」を司る麒麟神に認められし者・赤ノ宮の名字を改めた九字紫苑。強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者、紫苑と結婚している露雩。
紫苑の炎の式神で、霄瀾の父親になった、「火気」を司る朱雀神に認められし者・精霊王・出雲。神器の竪琴・水鏡の調べを持つ、出雲の子供にしてもらった、竪琴弾きの子供・霄瀾。帝の一人娘で、神器の鏡・海月と、神器の聖弓・六薙またの名を弦楽器の神器・聖紋弦の使い手・空竜姫。聖水「閼伽」を出せる、「魔族王」であり格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉の器の持ち主の、「金気」を司る白虎神に認められし者・閼嵐。輪の神器・楽宝円を持ち、「木気」を司る青龍神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭。人形師の下与芯によって人喪志国の開奈姫に似せて作られた、槍使いの人形機械・氷雨。
病弱なため帝になれなかった、帝の兄・日宮。日宮の息子で、空竜の婚約者・当滴。空竜の元女官・定菜枝。
朱い仮面の神の二人の祝女・晴魔・雨魔。
剣姫の血を欲する竜・浜金。
第五章 竜族攻囲
真都では、ほうぼうに火の手があがり、人々が逃げ惑っていた。その上空を、竜族千体が火を吹きながら飛び交っている。鬼人たちは、竜のかぎ爪のひとかきで、その怪力に抗えず、武器ごと宙に舞いちぎれていった。その破壊を受ける真都に、日宮が帰ってきた。
「晴魔と雨魔は何をしている!! 何か裏切られる言動をしたのか!!」
「ある意味そうだ……、あの、欲深め……!!」
晴魔と雨魔が、腹の傷を押さえながら出て来た。血が足元に落ち続けている。日宮が驚いた。
「一目曾遊陣の傷ではない! 誰がやった!」
「浜金だ……我々が陣の出血で弱っているところを、襲ってきたのだ。奴は神に逆らった……剣姫の力を手に入れて……」
晴魔のあとに雨魔が続いた。
「剣姫の陰陽和合……『第三の最強』の力を手に入れて、もう神は必要ないということだ……ぬかったわ、戦士に育てるつもりが独立するとは……!」
日宮は二人を治療するよう術者に命じ、祭壇へ急いだ。当滴が祈っていた。
「父上、神は何もおっしゃいません。この国を見捨てられたのでしょうか」
「……!」
祝女二人を守れなかったことをお怒りなのであろうか。それとも……日宮は考えるのをやめた。竜族と戦わなければならない。祭壇にしがみついて祈る当滴を残して、日宮は玉座へ向かった。
「弓兵と術者で竜の翼を狙い、竜を落とせ! そこを鬼人で八つ裂きにしろ!!」
命令し終えたとたん、伝令が駆けこんできた。
「な、何者かが、民に安全な城内へ逃げこめと大音量の鐘のような声で言いふらしていて、民が城の中庭に避難してきています!! とても押し返せません!! いかがいたしますか!!」
「城にだと!? どこの馬鹿だ!! 戦わない者の居場所など、私の城にはない!!」
日宮が憤って立ち上がったとき、その声が玉座にも届いた。
「全員集まりましたか? ではここにいてください。今から防御の結界を張ります」
「……剣姫の声!?」
日宮は中庭の見える窓へ走り寄った。
声を拡大させることができる十二支式神「卯」(兎)で自分の声を大きくしながら、紫苑が仲間の七人と共に城の入口に立っていた。中庭の人々と、外の無人の破壊された町並みを何度も見比べている。そして、光輪の雫を高々と掲げ、頭上から体の前を通って右回りに回転させた。
「護国結界・限界臨生誓!!」
城の中央に四つの星が浮かび、城壁の四隅に飛んだ。城を護る結界の中は、紫苑の、暖かい日差しに包まれた、春だと自然に笑みがこぼれる風の匂いがそよいでいる。この匂いが結界の範囲を示している。
竜が体当たりをしても、炎を吐いても、びくともしない。光輪の雫は紫苑の術の威力を何倍にも高めるので、たとえ相手が竜でも、単体からの攻撃くらいなら、弾くことができるのだ。これから紫苑が倒れない限り、この結界は城を護り続けるのだ。
「なんの真似だ剣姫!! 私以外の者が指示を出すことは許さん!!」
日宮が女のような金切り声をあげた。紫苑と星宮が重なって見えたのだろうか。
「うるせえ黙れ!! このバカヤロー!!」
紫苑に怒鳴りつけられて、日宮は縮みあがった。帝の長男は、人からこんなセリフを言われたことがなかった。
「民の命を救わねえで帝面すんじゃねえ!! てめえは自分の命がありゃいいだけだ!! いいかげん“帝の長男”以外に何の才能もねえことに気づきやがれ!! 民の人生を遊びに使いやがって、竜族の次はてめえの番だ!! その笑い顔に風穴開けて永久に黙らせてやるからそこに座ってろ!! 二度と世界にしゃしゃり出るな!!」
「……!! ……!!」
あまりの罵詈雑言に、日宮が言葉にならない息をぱくぱく出している。
紫苑は、真都の成人男女があらかた鬼人になっているのを、憐れみの目で見ていた。彼らはもう乳飲み子がいようと年老いた親がいようと、竜族と戦うしかない。だが、悟っていて占いの類に人生を任せなかった老人と、何も知らない子供が、中庭に残されている。まだ、望みはある。
戦乱においては、老人と子供をまず逃がさなければならない。何も知らない子供にその共同体の力と知恵を一番教えられるのは、伝統と知識の最もある老人だからだ。子供だけ命が助かっても、外国人に教育されたり、自力で生きなければならなくなったりしたら、その民族の伝統・文化・精神は失われ、その民族は消滅する。だから知恵を体現した老人は、絶対に民族の生存に必要なのだ。
「ほおう、それが神の言っていた神器・光輪の雫か。また血をいただこうかな」
声に気づいた紫苑が、きっ、と空を見上げた先に、灰砂色の巨竜、浜金が翼を大きく動かして浮かんでいた。
「浜金……! 他者の人生を盗む、罪ありし竜族! 罪人の末路がどうなるか、今見せてやる!!」
剣姫が双剣を抜くと、浜金は後方へ下がった。
「お前たち! 竜族の力をこそ見せてやれ!」
空に翼を広げ、首の長さが人の身長と同じ竜族たちが、ずらりと城の前に並んだ。
炎を吐くのかと八人が身構えたが、竜族は予想を裏切って低いうなり声で歌い始めた。
竜語なのかただの歌詞のない曲なのかわからないが、抑揚なくそれが歌われ、終わりがなく永遠に繰り返せると気づいたとき、八人は戦う気力が奪われ、体に力が入らなくなって地に膝をついた。
「これは……無気力になる……歌……」
剣姫の目の端に、鬼人たちですら倒れているのが映った。中庭の老人も、子供も、皆、重なりあって指一本動かせないでいる。
浜金のビャギギギという笑い声がした。
「どうだ? これが竜族の味わっている呪いだ。社会実験の天罰? ところがどっこい、我々はその天罰を呪いの呪文として文字化することに成功したのだ。呪いが完成したかどうか、いくつもの社会で実験してな。どうだ? 神が世界に力を見せるたび、わしはそれを解析して己の力にできる! わしこそ神だと思わんか? 神の力を操れるのだから! ビャギギギギ! 神よ、どんどんわしに天罰をよこせ!! わしはそれを解読し、わしの力に組み立てようぞ!! どんどん神器よ見つかれ!! 世界はわしに知られるためにある!!」
剣姫が剣を支えにしながら、険しく目を細めた。
「思い上がるな竜!! 神の力に挑む、大罪人め!! 霄瀾、空竜、麻沚芭!! 三種の神器を弾けっ!!」
霄瀾の竪琴の神器・水鏡の調べと、空竜の弦音の神器・聖紋弦と、麻沚芭の鍵盤音の神器・楽宝円が、持ち主によって弾かれ始めた。無気力の中で、空竜は仲間と民を守るため、自分がやらなければとだけ思い、麻沚芭は蒼の玻璃で見えたことが心に浮かんだ。
三種の神器の聖曲は、竜たちの呪いの歌の音が汚染していた真都の空気を打ち消し、清浄に変えていった。
竜十体は驚いて、呪いを打ち消す三種の神器に見入った。欲しくなったようだ。ますます大きな声で歌を歌ってくる。三人が必死に食い止めるのを、剣姫から戻った紫苑が光輪の雫で加勢し、競り勝った。
浜金は余裕で笑った。
「さすが人間の希望、三種の神器だ。『人間をよく守る』わ。のう、剣姫?」
紫苑は震える足に力をこめて、無言で睨みつけた。剣姫は、三種の神器の聖曲に力を奪われ、戦えなくなっていた。紫苑に戻っても、体にうまく力が入らない。だが、竜王からもらった知識の中に、この三種の神器の技があったのだ。知識は使うべきときに使わなければ。自分の身を危うくしても。
少なくとも剣姫は封じられるとみて、浜金は悠々と下がっていった。
「ここで四人を足止めしておけ。世界がどちらの音をより出すか、見物だな!」
露雩、出雲、閼嵐、氷雨が目と目を見交わした。
「オレたちでやろう!」
そのとき、城の中にいた鬼人や、傷ついた鬼人、その他兵士が、続々と城門に集まってきた。
「オレたちも戦います!!」
「ここは、人間の国だ!!」
「竜に負けるわけにはいかない!! 妻と子供のためにも!!」
全員の士気が上がっていた。人族の希望の三種の神器の曲は、人族を守るのだ。
「どうか、ご指示を!!」
人々の視線の先に紫苑がいるのを見て、日宮は真っ青になり、口からあぶくが出た。そして、両手をつきながらもつれる足で部屋を飛び出した。
「晴魔ッ!! 雨魔ッ!!」
絶叫して治療室に転がりこんだ。二人は腹を出すために、白いさらしを胸に巻き、足首までの白い腰布を巻きつけていた。体の線が露な二人は、明らかに不快な顔をした。
「祝女の肌を見るとは、神の罰を畏れぬ不届き者め。いずれ目を失うぞ」
「それどころではない!!」
男の日宮は重大なその意味に気づかず、自分の話をぶつけた。
「剣姫を殺してくれ!! あいつがいたら私は帝になっても寝首をかかれる!! 私やお前たちの神も否定しているだろう!! 今のうちに殺してくれ!!」
晴魔が疲れている目を日宮に向けた。
「今はだめだ。剣姫に浜金を殺させる。それまで我らは回復に専念する」
雨魔もぐったりとした目を天井に向けている。
「それまでの間は自分でなんとかしな。死んだらそれまでだ。我らにはまだ当滴がいる」
日宮は、目の周り以外が紅潮し、初めての感情に頭が混乱していた。かけがえのない、帝になれる、この世でたった一人だけの自分に、代わりがいるというのは、自分の存在を枝からちぎれかける枯れ葉に等しくさせた。
祭壇に向かい、当滴を締め出すと、内側から鍵をかけて、閉じこもった。神に命を助けてもらおうというのである。
一方、真都の上空では四神五柱が顕現し、竜族とぶつかりあっていた。玄武は蛇が竜の尻尾に巻きつき、ひねりあっている。麒麟は助走をつけて竜と何度も激突しあっている。朱雀は炎を吐いて竜の炎と押しあい、白虎は金属の体毛を伸ばして竜を球状に囲み、竜の鱗を貫こうと毛を逆立てる。
一番気合が入っているのは青龍である。他四柱の二倍の大きさで登場し、竜三体に長い体で一度に巻きつき、鱗を逆立てて裂く。その方法で、次々と竜に襲いかかっていく。
『竜族の神は、もともとこの青龍がなるはずだった。だが、竜族は我ではなく、古き神を選んだ。結果、現在の神の意志が読み取れず、神なき時代、神罰の時代に入って今に至る。竜族を破るのは我が適任だ。麻沚芭、ついて来るのだ!』
「はいっ!!」
風が優しく森を抜けるような、低く柔らかい声に、麻沚芭は力強く返事をした。
青龍が、仲間の四神だけに思考で伝えた。
『我は竜族のことをよく心得ている! 竜の弱点は首だ! 首を締めつけられると酸欠で、一秒で思考が混乱する! それ以外の箇所を攻撃されても、知恵で補って致命傷を回避してしまう! だから竜の首を狙え!』
『わかった!』
答える四神に、青龍がつけ足した。
『わかっているとは思うが、地上の命に気づかれるなよ。神はそこまで地上に介入してはならないからな』
『わかっている』
四神五柱は、再び竜族と激突を繰り返し、さりげなく首に触れて、竜がびくっと動きを止めたところに攻撃をたたみかけ、地上へ落としていった。
地上では氷雨に率いられた鬼人軍と兵士が、落ちてきた竜に飛びかかり、翼に穴を開けてから、竜の尻尾や五行の攻撃を放つ息と戦い、槍や剣を振るった。
紫苑は竜王にもらった、呪いを防ぐ白い竜の角の耳当てをして、三種の神器の聖曲をなんとか防いでいた。出雲の式神召喚のために叫んだ。
「土式出雲、律呂降臨!!」
出雲の足元から光がうねり、出雲に巻きついた。そして出雲の全身を覆う輝きが四方に土塊のように弾かれたたとき、赤茶色の胸鎧と両ももの側面を覆う鎧に、腰から膝までの茶色い巻き布、からし色の服、黄色の長靴の土気の式神出雲となった。両足首に、式神の、主への縛りを表す赤い紐の交差が見える。
「岩石結射!!」
出雲が刀を頭上にかざすと、それに引き寄せられるように各家の庭にある岩石が飛んできた。そして一度刀にくっつくと、出雲が振り払ったとき、岩が多数の弾になって竜に向かった。
空中の竜たちは、たかが岩ごときで、と鼻で笑ったが、露雩と閼嵐がそれを伝いながら登ってきて、様々な角度から攻撃してきたので、慌てて応戦した。
「……浜金はいない」
紫苑は、それに気づいたとき、光輪の雫の試練を思い出した。
「竜たちよ、聞け!!」
十二支式神「卯」(兎)の拡声能力を使い、紫苑は呼びかけた。竜族は目だけ動かした。
「お前たちは竜族の呪いにかからない、最後の動ける生き残りの竜なのであろう。このまま我々の血を欲し、かつ人族を攻めるつもりなら、我々は五柱の神の御力によって、お前たちを全殺する。竜族の呪いは解かれず、竜族は自滅するであろう。私はお前たちの滅びの選択に意見はしない。だが、少なくとも今のお前たちは利用されている。浜金にだ。
辺りを探してみろ。奴はどこにもいないはずだ。なぜだと思う? 剣姫である私とお前たちを戦わせて疲れさせ、自分が血をいただくためだ。血をなめそうな竜やあと一歩のところまで私を追いつめて疲れている竜を、力のあり余っている自分が殺せるようにだ。
お前たちは浜金のごちそうを用意する召使いだ。その証拠が、今、浜金が戦っていないことだ。戦って傷ついた浜金の血をなめた竜が、自分を超えてしまうのを恐れてもいるのだ」
竜は賢い。だから、議論は平行線をたどる可能性がある。
だが、竜は賢い。それゆえ、言葉ではなく、行動がすべてを物語ることを知っている。
竜族は一斉に戦いをやめた。浜金をその抜群の視力で探し始める。
戦争において、血を流さない臆病者は、許されない。
一体、また一体と、竜族は飛び去って行った。全員、浜金を探している。見つけたら血祭りにあげるつもりだろう。浜金は指導者の地位を失い、竜族の社会にも、もう入れないだろう。
「馬鹿な奴だ。欲を出してすべてを失ったか。仲間の信用をなくすのが一番の罰だ。相手を自滅させる戦い方の一つだな」
紫苑が光輪の雫の試練に感謝している隣で、土式出雲が周囲に気を配っている。やぶれかぶれになった場合の浜金に備えてだ。露雩も、上空を睨んでいる。
「あの動ける竜たちが竜族の呪いを解くために行動するのが、一番いいのだけれど」
紫苑は、あの竜たちが浜金を見つけて攻撃したら、殺されると思っていた。浜金が竜族の信用を失ってまで守る価値があったもの、それは剣姫の、「神魔に並ぶ第三の最強」の力だ。浜金はきっと試し斬りをする。自分と同じくらいの耐久度で、殺せば殺すほどその血で知識が増えるのだ。これ以上の相手はいない。
竜族は真都からいなくなり、空が晴れていたことがわかった。
人々と鬼人が歓声をあげて喜ぶ中、紫苑が真都の護国結界を解いたとき。
「のろすのろすのろすのろす」
八人の耳で、竜王の白真珠が一気に各人の耳当てに変形した。
晴魔と雨魔、偽りの神の二人の祝女が、浜金の牙が先端の槍、呪いの牙槍を携えて城から飛び出して来ていた。
傷が治り、浜金が消えた今、真都の支配を死守するつもりのようだ。
半円の形に黒髪を上げた晴魔が、のろすを繰り返す。水色がかった灰色の肩までの髪がたくさんちぢれている雨魔が、男たちを仕留めようと、雨のように細い無数針を飛ばしながら、牙槍を突く。
その腕を、光の回転の耳当てをしている閼嵐がつかんだ。
「いつまでも呪えると思うなよ!!」
雨魔は驚き、殴られる直前に叫んだ。
「かいしん!!」
そのとたん、閼嵐は雨魔をつかんでいた自分の腕を押さえてのたうちまわった。
紫苑は竜王の知識で気がついた。「壊滅侵略」、一つの細胞からからだ全体を壊していく呪いだ。古き神の呪いなのに効くということは、竜王の耳当てはずっとは使えない、使うごとに耐久力が減っていくということだ。それもそうだ、神の呪いを永遠に防ぐものなど、地上の者に神が与えるはずがない。
「光輪の雫・天視輪青!!」
迷わず祝女の神器を使い、一度にあらゆる神の赦しを得る光を全方向に放つ。
男たちは呪いが解け、肩で大きく息をついている。紫苑は悟った。
「空竜、氷雨! やはり私たちで倒すしかないわ! 私は呪いを解くのと回復が中心! 後ろは任せて! 二人でがんばって!」
氷雨は冷静に突撃していった。空竜は胸の動悸を抑えながら、弓矢を放った。
氷雨の槍と晴魔の牙槍がぶつかりあったとき、牙槍が細かく削れて飛び散った。晴魔はしばらく槍を押しあったまま氷雨を観察していたが、つまらなそうに目だけ残して横を向いて、ちっと舌打ちした。
「なんだ、人形にはやっぱり効かないね、呪いの粉は! 牙槍が相手の武器で削れて相手が吸いこんだら、即死なのにさ! お前なんか相手にしない。空竜は手を出さない約束だし、剣姫のところへ行く!」
氷雨しか戦える者がいない。それがわかった瞬間、氷雨はがむしゃらに晴魔にしがみついた。
「なんだ!? 放せこいつ!!」
牙槍で突かれても構わず、氷雨は晴魔の首に腕をまわして締め上げた。
「――!! のろ、す!! かい、し……!!」
どれだけ祝女が呪いに長けていようとも、人形には効かない。
――守るものがなければ、最高の対戦者であったろう。
「晴魔はもうだめだ。私は剣姫を殺すかいしん!」
雨魔が晴魔を見限って助けず、紫苑に向かったのを見て、氷雨は晴魔を放して雨魔を止めに走った。そこで氷雨の思考が二人に見抜かれてしまった。
「ほらほら、こっちだのろす!」
「けけたた、こいつ殺しちゃうぞーかいしん!」
男たちのいる場所と紫苑のいる場所の二方向に分かれて、氷雨を翻弄しだしたのだ。疲れを知らない人形機械とはいえ、どうにもならない状況に、氷雨は思考がまとまらない。
もちろん、空竜も休んでいたわけではない。六本の矢を放って二人を縛ろうとするが、学習されていて、舞を舞うように華麗にかわされてしまう。
紫苑は二人の祝女の口から出る呪いが仲間に及ばないよう、光輪の雫を使うので精一杯である。
空竜は矢を放つ手が、心臓のように激しく震えだした。
「どうしよう、私しか戦えないのに、当たらない!」
矢で晴魔と雨魔を追跡しても、牙槍で打ち消されてしまう。六本の矢で六方向から囲んで檻を作ろうとしても、まるで丸いつぼみが花開くように、牙槍で広げられてしまう。
その間にも、氷雨は牙槍に傷つけられ、紫苑も術の連発で疲弊してく。
「どうしよう、どうしよう――!!」
思わず、膝をついて呪いに耐えている男五人を見る。
「泣く、な、空竜……!」
片目を開けていられない出雲と目が合った。
「オレが『赦す』、やれ!!」
空竜は、はっとして聖弓・六薙を見つめ、そして素早く六本の矢を放った。六本は地をくまなくさらい、二人の祝女の足を取ろうと迫る。
「けけたた! 面白い遊びを教えてくれるかいしん!」
二人は手をついて後ろに回転したり、片足で跳び上がったりして、矢を嘲った。矢を牙槍で突き刺し、一本ずつ打ち消す。
「くっ……当たらない!」
空竜は矢を次々に追加する。
「何度やっても同じことのろす!」
二人が牙槍で周囲の矢を払ったとき。
「かかったわね!」
空竜が矢を光らせた。矢は、たくさんの本数を使って、巧妙に朱雀神紋を描いていた。出雲の『赦す』とは、朱雀の力を使うことを、神が赦すということだったのだ。
「おうっ! これが神紋の一つ……!!」
「バカな……!!」
二人は矢で足をつかまれて逃げられない。
「灰になりなさい! 聖弓六薙・朱雀神紋!!」
炎が燃え上がり、二人は焼き尽くされる……はずだった。だが、二人は平然と立っていた。
「ええっ!? なんで!?」
空竜が慌てているうちに、矢が失せていた。晴魔と雨魔が、矢に牙槍を突きたてて朱雀神紋を不完全なものにしていた。
「「お前の考えてることなんかお見通しだよおー、馬ー鹿!!」」
晴魔と雨魔は舌を出して、けけたたけけたたと大笑いした。
「祝女が神紋に気づかないとでも思ったか? よくも侮辱したね!! あんた、ちょっとお仕置きが必要だよ!!」
「自分は殺されないと気づいて、いい気になってるわけね!! 殺さなくても後悔させることは、できるんだよ!!」
晴魔と雨魔が明確に空竜に向かって駆けてきた。空竜の放つ矢は当たらない。氷雨は朱雀神紋の外にいて追いつけない。紫苑が光輪の雫を掲げた。
「光輪の雫ッ!!」
月の光輪の雫である赤い水晶球が純白に輝き、その光が辺りに飛び散った。ほぼ全員、一瞬で目がくらむ。
氷雨は光の中、目が晴魔と雨魔を正確にとらえていて、迷わず走った。しかし、晴魔と雨魔も迷わず空竜のもとへ走っている。
「馬鹿め! 神器ごときの光で我らが神の光を超えられると思ったか!!」
二人の祝女の目の中は、真っ白になっていて、光輪の雫の光より白い瞳孔がかろうじて見える。神の光の目に切り替えて、神器の光などものともせずに向かっているのだ。
「光輪の雫の光が効かないの!?」
紫苑は光の中、二人の祝女が空竜の腕に牙槍を突き立てようとしているのを見た。剣姫になったら呪いを解き続けられない、今術を出しているので、同時にもう一つの術を出すことはできない。
自分は動けない。ではどうするか。
「空竜!! 氷雨の槍が行ったわ!! 海月で跳ね返せ!!」
「えっ!?」
紫苑以外の四人が驚く中、紫苑は空竜の出した海月に対して、光輪の雫の光を当てた。
鏡に光が反射して、晴魔と雨魔の目に入ったとたん、二人は悲鳴を上げて、目を押さえて地面を転げまわった。
「ぎゃあー!!」
光輪の雫の光が消え、空竜は状況を把握して即座に矢を放ち、氷雨も追いついて槍を突き刺し、晴魔と雨魔、二人の祝女を倒した。
「どういうこと? この二人……」
空竜は、祝女の目を開けて調べている紫苑に尋ねた。
「この二人は一つの神器は防げても、私の光と空竜の鏡に反射した光を合わせた二つの光、つまり二倍の神器の力には太刀打ちできなかったということよ。瞳孔から血が出ているわ。出血するほど光に目を刺されたのね」
「……」
真っ赤な白目に空竜は思わず後ずさりした。氷雨が視界をかばうように立った。
「守ってやれなくてすまない」
「いいのよ氷雨。私の方こそ、全然ダメだった……」
「そんなことねえよ」
うなだれる空竜の後ろに、出雲が立っていた。
「よく朱雀神紋に気づいたな。ちゃんと描けてた。えらいぞ」
出雲に認められて、空竜はかあっと頬が赤くなった。
「あっ、あれはあ、出雲が『赦す』って教えてくれたからあ……」
両手を後ろで組んで、右足で文字を書く。
出雲がぽん、と空竜の頭に手をのせた。はっ、と空竜が見上げた。
「オレたちがついてるから、もう泣くんじゃないぞ」
優しく笑った出雲の顔が、涙で曇りそうになるのを必死にこらえながら、空竜は自分の頭の出雲の手の上に自分の手をのせて、きれいにそろった歯を見せて笑った。
「うんっ……!!」
日宮はこの様子を、城の窓から見下ろしていた。
「こ……殺された!! 晴魔と雨魔が!! 神は何もお命じにならない!! 私も殺される!!」
脂汗と冷や汗と鼻血がだらだらと流れ、自分でも何をどう考えて次の手を打ったらいいのかわからない。
「日宮!」
「ひっ!」
紫苑に下から呼ばれて、日宮は尻もちをついた。
「浜金の隠れ家を知っていたら吐け。帝への反逆は今を限りに諦めろ。そして、鬼人となってしまった人々を治す方法を見つけろ。お前は人々を元に戻す責任がある」
日宮は何も言えなかった。到底無理である。
「ここで死なせてやってもいいぞ」
「まま待て!!」
すらりと刀を抜く紫苑に、日宮は唇から息を押し出した。
「浜金の隠れ家は真都の北の高定山だ。反逆も……諦め……る……!! くそっ、だが鬼人を元に戻すのは無理だ! 人間以外の存在にするから病気を操れるようになるのだ!! これだけは呑めん!!」
「答えが今わからないからといって、諦めるな。一生かけて探せ」
静かな紫苑に、日宮は狼狽した。
「なんだと!? これから世界に打って出る前途有望な人間が、数年で理性が死ぬ鬼人を救う方法などという小さいことに、なぜ人生の大事な時間を割かねばならない!? 私にはもっと他にやるべき、大きなことがある!! 社会の何の役にも立たない連中など、考える必要はない!!」
「責任を取らない者は、傷つけた者と同じまたはそれ以上の苦痛を得る。もう得ているか。結局帝になれず、数ある国王の一人として、やりたいこともできずに一生を終えるのだからな」
「……!!」
食いしばった歯から息を漏らす日宮は、静かな呼吸の紫苑をぐっと睨みすえた。紫苑が語りかけた。
「日宮。人間の幸せは、人を従えることではない。人を救うことだ。共に喜ばなければ、お前はどこにも生きてなどいない」
日宮は何も言わなかった。理解できていないからだ。
「もしお前が鬼人を含めた人々のために動き出すなら、お前にも良いことが起こるかもしれない。少なくとも、答えがわからなくても努力するお前を、剣姫の世界は殺さない」
日宮が、剣姫に目を見開いた。
剣姫は答えを言ってくれたのだ。
日宮は、高定山へ向かう八人を、ずっとその目で見送っていた。




