第9話 ましろですが、何か?
騒がしい宴が終わり翌朝、叢雲は誰もいないオフィスにて、デスクの上で頭をおさえながら、だらしなく横たわっていた。言うまでも無く二日酔いだ。理性を忘れるほどに酔いつぶれていた代償に苦しんでいるのだ。こまめに水分を取っているものの、なかなか頭痛がおさまらない。
「くそ、また薬を飲むしかないか・・・。」
以前に沙織からもらった頭痛薬をカバンの中に求める。すぐ見つかるものだろうと思ったが、予想外、全然見つからない。中身を漁っていても埒があかないので、カバンの中に入っているものを1つずつ取り出すことにした。が、無い。カバンの中身を全て取り出したにもかかわらず、頭痛薬が無い。これには叢雲も奥歯を噛みしめる。
「な、なんでだ。昨日までたしかにあったはずなのに・・・」
昨日まで叢雲のカバンの中に頭痛薬が入っていたのは間違いの無い事実だ。しかし、叢雲は知らなかったのだ。酔いつぶれて店を出た後、聖奈と霧江の肩を借りながら歩いている最中に、沙織によって頭痛薬を飲まされたことを。その頭痛薬が、叢雲のカバンの中から取り出されたものであったことを。
「くそぉ・・・」
痛恨のうなり声がオフィスに響くが、聞く者は1人もいない。頭痛がするのに頭痛薬がないというこの絶望の声を聞く者は誰もいないのだ。だが、それでいいのだ。こんな不甲斐ない姿をムラクモ班のメンバーに見られるわけにはいかないのだ。
だからこそ、だからこそ誰かが出勤してくる前に体調を治さなければならないのだ。彼の頭の中はそれでいっぱいだった。とりあえず水を飲むしか無い。そう考える叢雲に、再び絶望がやって来る。
「水・・・、無いやんけぇ・・・。」
なんということだろう、先ほどまで飲んでいた命の水、それが入っていたペットボトルの中身が空ではないか。これはもう、あとは分別して捨てるしか用途の無いゴミである。最後の希望、水までも奪われてしまった。奪われたといっても自分自身で飲んだのだが。
「み、水ぅ・・・水をくれ・・・」
情けない。なんとも情けない声を放つ叢雲。多重債務者が金貸しに金をすがる時のような声。しかし今は、その金貸しすらいない。水をくれる人間は彼の目の前には誰1人いなかったのだ。少し前までは。
「スムージーでよければありますけど~」
「なぁんでスムージーなんだよ・・・、えっ?」
突然、叢雲は起き上がった。無意識のうちに会話をしていたが、それすなわち誰かが出勤してきているという事実に気付いたのだ。そして彼は目を見開く。目の前にいるましろの姿を見て。
「ま、ましろ・・・。ましろか?」
「はい。ましろですが、何か。」
「・・・っ!」
本人確認を終えると叢雲は立ち上がり、ましろの頬を思い切り叩いた。
「ふざけるな貴様!勝手なことばかりしやがって。皆がどれほど心配していたのか分かっているのか!?」
真剣な眼差しで、ましろへの怒りをぶつける叢雲。先ほどまで二日酔いで潰れていた男とは思えない。二日酔いを忘れるほど、ましろに対しての怒りを募らせていたし、そしてそれほど、ましろのことを心配していたのだ。
そう言って、ましろは姿勢を正し、叢雲に向かって頭を下げた。
「叢雲さん、ここ数日ご心配をおかけして申し訳ありませんでした!」
突然の謝罪に、叢雲は目を丸くする。
「なんだお前、謝りにきたのか・・・?」
「そうですが・・・」
「お前が謝る・・・、しかもこのタイミングで?」
ましろは、やや不服そうな顔を向ける。
「え、アタシそんな無礼なヤツだと思われてました?」
「ああ、普通ならお前が謝るなんてありえないことだ。何があった。どういう風の吹き回しだ。」
散々言われた。これが自分のしてきた生き方か、と反省するとともに、再び口を開く。
「・・・はぁ、叢雲さん、昨日の夜のこと憶えてないんですか?」
「昨日の夜?・・・なにかあったか?」
ひどく酔いながら部下の心配をしていたじゃないですか、とは言わなかった。それがきっかけとなって叢雲の前に姿を現わし、謝罪をしたのだが。ひどい二日酔いに苦しんでいるようだったので仕方が無いか、とましろは思った。
「・・・というわけで、改めて申し訳ありませんでした。今日からまたよろしくお願いします。」
無理矢理話を終わらせ、ましろは自分のデスクに座る。叢雲は何も返さずに固まったままだ。置いてけぼりを食らっているかのような気分だった。
なにかがおかしい。叢雲は何か違和感に苦しんでいた。やがてその正体に気がつくと叢雲はそれを口にする。
「ましろ、お前、口調が変だぞ・・・?」
ましろに再会してからというものの、彼女の口調がおかしいことに気がついたのだ。口調がおかしい、といっても「丁寧」なのだが。普段は身分も気にせず態度の失礼なましろが、丁寧口調で話すのが違和感で仕方がないのだ。
叢雲の指摘にため息をつき、ましろは静かに答える。
「そうですか。別に、ただ礼儀はわきまえておこうと思っているだけですよ。」
叢雲は思った。自分は夢でも見ているのかと。ためしに自分の頬をつねる。痛い。ということは、これは現実だ。現実であると認めざるを得なかった。
仕方が無いから、叢雲は現実を受け入れることにした。恐らく行方不明だった数日間になにかあったのだろうと、勝手に判断した。
これ以上ましろに尋ねても無駄であろうと思ったが、叢雲は最後に頼んだ。
「ましろ、すまないが、水を1本買ってきてはくれないか。」
ましろはまたため息をつき、水を買いに席を立った。