第6話 サティスファクションの風
ましろが叢雲に幻滅し部屋を出て行ってから、それっきり4日間、彼女がムラクモ班の班員に姿を見せることはなかった。「体調が悪い」とメールを送りつけてきてはいるが、それが嘘であることなど、誰の目にも明らかであった。彼女は警察上層部が何を企んでいるのかを独自に捜査しているのだ。
班長の叢雲はましろの動向を追うようなことはしなかった。すぐに諦めて帰ってくるだろうと思っていたからだ。家出少女を若気の至りと放任する父親のような振る舞いだ。しかし予想は外れた。1,2日で戻ってくるだろうと思ってたのに一向に戻ってこない。彼女はまだ諦めていないのだと悟った叢雲は、3日目を終えようやく焦りを感じてきていた。
とはいえ、彼女の携帯も繋がらないため、どこにいるかも分からない。呼び出そうにも呼び出せない。行方不明といっても過言ではないこの状況に、叢雲は何かあったのではないかと心配になり、動かざるを得なかった。彼は4日目の朝から、警察署内はもちろん、街中を歩き回ってはましろの捜索に明け暮れた。一人暮らしのお年寄りを狙った振り込め詐欺グループ捜索という本来の職務も忘れて。その日の夜、誰もいない部屋で叢雲は自分のデスクに手をつき、まるで試合に敗退した運動部の部員のようなポーズで叫んだ。
「どぉこ行ってんだあのボケナスクソ娘がぁぁぁぁ~~~!!!!」
この叫び声を部屋の外から偶然耳にした聖奈と沙織は、叢雲の心配具合と心労具合を心の中で静かに察したそうだ。
そんなこともつゆ知らず、4日目の夜、とある居酒屋に叢雲の探し求めるましろの姿があった。
「くぁ~、やっぱり疲れたときはビールに限るわぁ~~!夏の厳しい暑さに冷たいジョッキと炭酸が染みるぅ~~~!!」
一口目のビールを五感を使って味わうましろは、中年サラリーマンのような面構えであった。ジョッキ内の黄金色のエナジーが店内の灯りに後押され光り輝く。ふぅと一息置くと、ましろは二口目を口にする。すると600ミリリットルほど入っていたジョッキは二口目でもう空になってしまった。
「ん~~~、キメ細かい泡が口の中から喉にかけてアタシのサティスファクションを満たす!店員さん、生おかわり~~!!!」
はいよ~、と元気な声がホールから響いてくる。自分の注文が通ったことを確認したましろは、続けてアテの枝豆に手を伸ばす。皮ごと口にほおばり、中身を取り出すと皮を口の中から吐き捨てる。中年サラリーマンでもしないような異業を終えると、店員が2杯目のジョッキを持ってやって来る。
「はいお待たせいたしましたァ~!生ひとつと、チーズチョリソー2人前になりま~す!」
店員がジョッキと、鉄板の上に乗ったソーセージをテーブルに置く。ソーセージはチーズにコーティングされ、その本体は薄らとしか見えない。だが、その「やりすぎ」なくらいに垂らされたゴーダチーズがましろの食欲に拍車をかける。
「うわぁ~~~何コレ絶対美味しいやん。見れば分かる、美味いやつやん!」
慣れないエセ関西弁で抑えきれぬ己が胸のトキメキを表現し、フォークで思い切りソーセージを刺す。フォークを上げると、タラ-っと垂れてくるチーズのとろけ具合を目で堪能する。数秒ほどそれを眺め、一通り満足するとようやくソーセージにかぶりつく。テレビのコマーシャルで使用できそうなかぶりつき様であった。火傷しないように口をはふはふさせるが、時既に遅し。鉄板から離れたばかりのソーセージはたかだか数秒で人間の口内に適応できるわけもなく、灼熱の暴君がましろに襲いかかる。
「~~~ッ、あっふあっふ!」
この状況を打開する術はただ1つ。2杯目のジョッキに手を伸ばし、ビールを以て鎮火すること。右手はフォークを持つことに使用しているため、残された左手でジョッキを持つしかない。左手でジョッキを持ち慣れていない上にこの極限状態。果たしてビールを口にすることができるのだろうか。否、できるかどうかじゃない、やるんだよ。確固たる意思を胸にましろは難なくそれを実行した。
「・・・こ、これは」
鎮火を終え、落ち着いた表情でましろは言葉を選ぶ。ソーセージからビールのコンボを決め、その果てのサティスファクションをどう言い表せばいいのかを吟味する。しばらく静止したままの世界は、やがて色と音を取り戻し再び動き出す。
「濃厚チーズと溢れる肉汁の夢のコラボレーション!確かな噛み応えと口の中に広がる芳醇な香りと味わい!そして何と言ってもそれを引き立てるこの生ビール!んん~ッ罪深い、こんなサティスファクションを覚えてしまっては他じゃあ満足できなくなってしまう~~!だが美味い、確かに美味いぞ~~!!!」
このましろ、店から食レポをしてくれと言われているわけではない。彼女が本能に任せて勝手にやっているだけなのだ。そのナチュラルな味の表現や食べっぷりに、周囲の客の食欲を彷彿させ、次々とチーズチョリソーの注文が殺到する。ましろ、客、店、皆が等しく幸せの効用を共有するというユートピアのような光景が店内に広がっていた。
「失礼しま~す、こちら厚揚げとトマトの挽肉炒めになりま~す!」
突如やってきた店員にましろは80度ほど首を傾げる。注文した覚えのない品物がテーブルに置かれたからだ。
「ヒェ~ッ、アタシぁこんなん頼んでないがよ~!」
「いえ、こちら店長からのサービスです!いつも美味しそうに食べて飲んでくれるから、そのお礼だそうです!」
「ぎゃ~、マジっすかぁ!?ラッキーも~らいもらい~!!」
店側の善意と分かった途端箸を伸ばす。大きな一口をほおばると、再びましろはその美味に唸った。
「ほんとましろちゃんって、幸せそうに食べるよねぇ。」
その姿を同じテーブルの向かいから眺めながら、ずっと置いてけぼりを食らっていた、ましろの同期であり親友の「六森 梓」がようやく口を開いた。
「んぁ、何か言ったかぁ梓ぁ?」
自分の世界に没頭するましろに、梓の言葉は聞こえていなかった。