サイキョウのジュンショウ
「は?」
あまりに馬鹿らしく、これまでで一番非現実的な__いや、もう大分全部がおかしいけれど__光景に、私は自分の頬を力強くつねった。
あれ程俊敏に動いていたツタは、まるで普通の観葉植物みたいに微動だにしない。それどころか、むしろ私から距離を取って、標的の青年にも興味を失くしたようだ。ずるずると緑の巨体を引きずって、どこかの通路に去って行ってしまった。
青年は蒼くなって私をはねのけた。その力強さに、年増の私は尻もちをついてしまった。強く打った腰に鈍痛が走る。涙目になって痛みをこらえていると、青年のナイフが私の頬をかすめ、焼けつくような感覚に身体が仰け反った。
「おわっ……! ちょちょちょ、君、何を……」
「お前、『植物使い』だな?! 水に種を入れるなんて卑怯だぞ!」
「何の話だか分からない! 落ち着いて!」
「誰が敵の話なんて聴くか! よくも母さんを……__ッ! あなたは、ネロ伍長……」
「『衛生』伍長だし、僕のことはドクと呼んで欲しいぞ、若者。……そこまでにしときなさい」
鬼気迫った声でまくし立てる青年の肩を、ヴィクトルさんが止めた。彼の手には、青年のナイフとは比べ物にならない位殺傷能力の高そうな、折り畳み式のメスが握られていた。その刃先が、青年の喉を今にも掻き切ろうとしている。
だが青年は怯まずに、ヴィクトルさんのメスが首に食い込むのも恐れず、私に向かってナイフを振った。その腕を、ヴィクトルさんがひねり上げた。
「クソッ!! 伍長、こいつは植物使いですよッ!! 殺さなきゃ駄目です!!」
「頭が悪いのか、お前は! はあ……お前はその__ハナゾノ君がいなければ、死んでいたんだ。彼が愚かにも君を助けたから、もっと愚かな君が助かった。醜態に醜態を晒したくないなら、さっさとナイフを置け。僕なら、君みたいなアホウは絶対に犠牲して、優秀な自分が生き残る方を選択するけどな。貰った命に感謝しろ」
絶対零度の酷薄な言動に、場の空気が凍りついた。青年は、納得していない様子だが、ナイフを下ろしてくれた。私は心底安心した。せっかく助かった若者の命を、自分に親切にしてくれた人が奪ってしまうなんて、そんなの夢見が悪すぎる。
埃を払って立ち上がると、ヴィクトルさんから、手に持っていたものとは違う種類の、少し柄の長いメスを貰った。武器を貰えるというのは心強い。さっきのあのマグレの幸運が、また起こるとは限らないし。
青年の方にも、自然に努めて笑顔を見せる。すると彼は居心地悪そうに制服の襟を整え、おもむろに胸ポケットから絆創膏を取り出し、私に差し出してきた。それをありがたく頂戴して、頬に貼り付ける。本当は素直で良い子なのだろう。
「ありがとう。私はハナゾノフユノといってフロー……ヴィクトルさんにお世話になっている、記憶喪失の民間人だ。ヴィクトルさんの言う通り植物使いじゃないし、君の言っている植物使いの意味もそもそもよく知らない。君は?」
「___俺は、ロクロス。ロクロス・ドニ。さっきは……すいませんでした」
「よーーろしい! ハナゾノ君、彼は技術部門の若きエースくんでね。何かと血気盛んなお年頃だから、勇敢と蛮勇の違いが分かんないみたいで、僕もいつやらかすか不安だったんだが、良かったよ、死ななくて」
___その若きエースを見捨てて更に殺そうとしていた人は誰だったか。
私が不満タラタラにしているのを感じ取ったのか、ヴィクトルさんはあははと笑うと、「先に進もうか」と前を歩いて行った。
「まあ、さっきの悪性植物の異常行動は、おいおい監査にかけるとして。あ、もちろん准将は通さないよ? あの人疑わしきは半殺しにして罰せヨの人だから」
「私もよく分からなくて……あんな怪物、初めて見ましたし」
「それは君の『記憶上』の話で、もしかしたら植物使いじゃなくても、植物使いに何らかの手術を施されたかもしれないだろう? まー、そういうデリケートな所は戦場では考えない方が良い。アドレナリンかどっかの影響で、1+1も間違えかねないからね」
チラリと横目でロクロス君を見やりながら呟くものだから、私はまた肝が冷えた。ロクロス君も同様で、すっかり借りてきた猫みたいに大人しくなって、黙って後についてきた。
しばらく廊下を進むと、広い集会場のような所に出た。円形のホールの中心に、波紋さながらに円形のカウンターが1つ置いてあり、通路とカウンターは布で区切られていた。ホールは今抜けてきた廊下も合わせて、6つの通路と繋がっているらしい。ホールというよりは、看守の見張り台に似ているかもしれない。ふと柱に注視すると、昔テレビで観た、エンタシスとかいう名前の建築様式のようで、真ん中が少し膨らんだ円形のものだった。
上を見上げると、次の階は無く吹き抜けになっていて、ガラス越しの赤い空が床を照らしていた。空には機械仕掛けの竜__フローズ准将の言う所の『警報竜』だ__が飛び交っていた。
「__待て!!」
こちらのちょうど向かい側にある通路から、聞き覚えのある鋭い声が聴こえた。ヴィクトルさんが一瞬で姿勢を整え、その次に悪性植物が赤いマントを引き裂こうとして、その太い枝が通路をメキメキと破壊する音が轟いた。
今度はツタではなく、太い枝を携えた大木のようだ。まるで蛇のように地面を這いまわって、いかにも毒がありそうな青紫色の葉っぱをバサバサと振り乱していた。
「じゅじゅじゅじゅんしょーーーッ!!」
ロクロス君が何故か頬を赤らめて叫んだ。本当何なんだ?
植物の後を追って、ホールにやってきた准将は、その叫び? 黄色い声を華麗に無視して、私たちの目の前に躍り出た。その手には、メーターや金具がついた、准将の身長の半分程もある柄の、長い鋸が握られていた。准将が、刃と持ち手の中間の、銃の引き金のように出っ張っている__鍔か?__箇所を押すと、その鋸の刃がギリギリと高速で回転しだした。
チェーンソー、だ。いや、チェーンソーにしては柄が長いし、それに蒸気が出過ぎだ。しかも、柄には革製のベルトが付いていて、准将はそのベルトで自身の右手と鋸を繋げていた。
「また会ったな! おや、愉快な名前が増えているようだが……巻き込まれたくなければ、そこでじっとしていたまえ。私は手加減が出来ないからな__では? 私のイェグディエルの錆になってもらおうか!」
その宣言に呼応するように、蒸気がブシュー、と武器から吹かれた。植物は口上に対して、幹の口にも見えるウロから虚ろな冷気を吐いて応戦した。
准将はどこか嬉々として飛び上がると、回転する刃で思い切り植物に斬りかかった。
「ちぇりぁア!!」
やっている事は木こりと同じなのに、ダイナミックでアクロバティックだ。チェーンソーは無慈悲に木の枝を折り割って、床には残骸が山積みになっていく。
植物も必死に枝を伸ばして准将を捕えようとするものの、彼女の俊敏さには到底敵わなかった。けれど、身体だけは大木どころか巨木と呼んで差し支えないスケールの大きさなので、抵抗は留まるところを知らず、そのウロから吐き出される風の圧に、皆吹き飛ばされないようにするのが精一杯だった。そんな中、准将は隼か鷹を彷彿させる姿勢で、見事に風に乗って攻撃を躱していた。バレエにそっくりだ。
「攻撃がみみっちいぞ悪性植物! 雄しべならもっと気張らんかね!」
そんな軽口を叩ける余裕もある。本当に強い。常人離れして、その強さはある意味常軌を逸している。呆けながら顔を見る。___あ。
鮮明に覚えている、髑髏の横顔。
「ヴィクトルさん、准将のあのカオって……」
ん、ああ。と、何でも無い風にヴィクトルさんが頭を掻く。
「あれは、蒸気機関の副作用……あの武器はね、人の生命エネルギーを蒸気に変換・活用して駆動するんだ。使い方も成り立ちも学校で習う筈なんだけど……おさらいしておこう」
ヴィクトルさん曰く。この世界では蒸気と魔術を利用した複合テクノロジーがあり、その最先端が軍用の武器らしい。ヒラの兵は量産型の、ピストンの力で銃を発射する単動式小銃しか配給されないが、階級が上がったり、特殊な部隊に入れば、任務の危険度に合わせてあつらえた武器が渡されるのだとか。
「そして、殲滅隊の危険度は最高レベル。しかも准将だから階級も充分。彼女の武器は完全に持ち主の嗜好によって設計され、多大な資金によって実現されたワケ。でも、1つだけ厄介な点があってね」
持ち主である准将の信条で、タイプが古い蒸気機関が使われているんだ。
近頃の武器に内蔵された蒸気機関は、将校クラスでは最低でも複式。エネルギー効率が高い物を選ぶ。でも、彼女は、フローズ准将は、「エネルギー効率が良いと、余裕から攻撃の機会を見失ってしまう」とか「初動が遅くなる」とかで、彼女だけが単式、しかも刀を使っている。
アレは、見かけ通り沢山蒸気、つまり生命エネルギーを使うから、短時間で皮膚や肉は蒸気に変換されてしまう。でも安心して欲しい、変換には痛みを伴わないし、使われた生命エネルギーは、栄養の摂取で回復する。だから、エネルギーを使い果たさない限り大丈夫。
「__骨だけは変換に時間が掛かるようでね。だから彼女は、戦闘時は骸骨の様相になる。まあ、他の奴等も大して違わないけど、顔から剥がれるのは珍しくて、単純に目立つ__どう? 理解できた?」
「……半々」
「ははっ、上出来上出来。さて、そろそろ片がつく頃かな」
巨大な幹が、ミシミシと軋んで、准将の前に倒れ伏していた。彼女はパンパンと手を叩き、ホールいっぱいに広がった悪性植物の残骸を踏みしだきながら、黒髪を後ろに撫でつけた。顔の左半分、頭蓋骨が丸出しになっていても、特に気にも留めていなかった。
「ごきげんよう諸君。どうやら水道水に盛られたらしいな。三時間以内に水道水を摂取した者の喉から、悪性植物のツタがわんさか生えてきた。すぐ引っこ抜けば死なない」
「お疲れ様です准将。これは衛生伍長からの医者的好奇心なんですケド、どうやって引っこ抜けば死なないとお分かりに?」
「いやなに、私の喉にも生えてきたからきもちわるいし自分で引っこ抜いた」
「剛胆……」
「それより栄養剤を寄越せ。干からびてかなわんぞ__ああ、ハナゾノ君、それに……えーーと」
「ロクロス・ドニであります准将閣下!! 技術部の新人ではありますが、先程の刀さばき、将来開発に携わる身として見惚れざるを得ません!!!」
「ほーーう?? 目利きだなあ? いいぞ、もっと賞賛してくれて構わん」
ヴィクトルさんから錠剤タイプの栄養剤を受け取り、それを水なしで嚥下してから、准将はしばらくロクロス君の誉め言葉に酔いしれていた。意外とこう、残念な感じの女の子なんだろうか。
そう緩慢に脳味噌を動かしている内に、床に倒れた悪性植物の破片が、じりじりと集まり寄っているのを視界の端に捉えた。それは槍の形状をとって、今にも准将の背を突き刺そうとしていた。
私は無我夢中で、ロクロス君を庇ったように身体が理性より先に動いて、准将の肩を引き寄せた。
___破片の衝撃は来ない。思った通りだ。今度は目を閉じなかった。准将が驚いて硬直するのも無視して、手の平でちょうど止まった木の杭を掴み取り、握りしめる。粉砕する程の力は無いのに、杭はいとも容易く手の中で粉末になった。
「ッッ!! 悪性植物が……灰に? ハナゾノ君、何故君が……」
「あちゃぁ! 准将、これは__「黙っていろ。……ハナゾノフユノ、詳しく説明したまえ」
肩に乗せていた手を捻り上げられる。激痛に身をよじる。オッサンが若い子にこうも簡単にやられるなんて。悲しい。切ない。というか、オッサンだからこそ若い子に簡単にやられるのだろうか。
ついさっきこんな体験をしたばかりなので、頭の警報がストップしてしまったらしく、こんな呑気な感想しか浮かんでこない。
「し、知りません、記憶喪失って」
「なら思い出したまえ。君が植物使いならば、今日水を使った襲撃を成功させてしまったのも説明がつく」
指の感覚が無くなって来る。苦痛に息が上手く吸えずあえいでいると、ヴィクトルさんとロクロス君が、捻り上げられた私の腕を、准将の手から引き離してくれた。
「准将! まずは裁判ですヨ! しかるべき調査、監査、審議、そんで公平な審判! じゃないと植物使いを裁けんでしょーが!」
「失礼ながら閣下! 彼は悪性植物に襲われていたこのロクロスを助けてくださった方です。彼が植物使いとは思えません」
准将は2人の言い分を聞いて、少し落ち着いた。私は現実と相違ない腕の痛みに呆気に取られていた。これ、夢なんだよな。うたた寝の夢にしては、長すぎる。肩で息をする。なんか目尻に涙が溜まっている気がする。何か恥ずかしい。いい歳こいて泣くなんて。涙腺脆いのか?
准将を窺うと、彼女はすっかり戻った顔の皮膚の突っ張りを確かめて、私にこう言い放った。
「では、裁判にする。良くも悪くも、ハナゾノフユノ、貴方はヴィクトルの管理下、つまり上司の私の管理下でもある。手続きは早く済むだろう」
「准将」
「ドク。勘違いするな。この裁判はわざわざ遠くに出向いてする必要の無いものだ」
ヴィクトルさんの安堵の顔色が変わる。ロクロス君は、慌てふためいて汗を飛ばしていた。
「___実験用の悪性植物と一対一で戦ってもらう」
裁判どころか、死刑宣告じゃないか。
軽くない眩暈に、足元がふらついた。