表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

いのちの需要

作者: ムっちゃん

に付随する需要

に付随する需要

僕のこの命に

果たして需要はあるのだろうか。


生きている今は

僕が死ぬと誰かが悲しんでくれるだろうと思いながら

生きながらえている。




例えば

暴君の独裁者の

は誰かに需要があるだろう。

それは

多くの人に

嫌われている

からだ。


僕も多くの誰かに

嫌われている

とは行かないまでも

あまり好かれている訳では無いだろうと

およそ18年間生きてきて思う。


好いてくれるのは

家族を除くとごく一部で

10人にも満たない数だろうと思う。


恋愛の話に飛ぶと

正直僕は誰にも愛されない

どころか好かれないだろう。


容姿など関係ない

と言うかもしれない。

そう言う人も多くはなけれどいるだろう。

そう言う人も僕を愛さない

愛せないだろう。


そこにまで持っていくコミュニケーション能力が僕には欠けているからだ。


容姿を愛から度外視するということは

必然的に人の中身を見ることになる。

中身が腐っている

もしくは

空っぽの人間を見た時

そのような人たちはこう思うだろう。


好きじゃない。


これは決して

嫌っている

という訳では必ずしもない。


だけども

少なくとも

恋愛の対象

としては見ることはできないだろう。


そして僕の中身は

半分空で

半分腐っている。


というのも

何も目標などがない虚無心と

何かを成し遂げたいが

それまでのプロセスが

それまでの努力が

面倒くさい

と思ってしまう心が

ある

からだ。


元の話に戻るが

容姿も決して端麗ではない

むしろ

ブサイク

に片足

いや両足を突っ込んでいる僕が

そのような性格で

愛される

訳が無い。

それは必然と言っても過言ではないだろう。




愛とはいのちの存在価値を示すと僕は思う。

愛=いのちの需要

としたならば

果たして僕のいのちにどのくらいの価値が

どのくらいの需要があるのだろうか。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ