静寂の悪魔
ましかばまし 1話
空が白み始める少し前
高くないながらも山に囲まれたこの街には不思議な静寂が訪れていた
静かな山々、ゆるりと流れる川、生けるものたちも寝静まる野や田畑
ときおり鷹か鷲のような鳥獣が鳴き声をあげる以外音らしいものは聞こえてこない
まだ刻も早くひとっこ1人いない……はずだった
「殿、なにやら遠くが騒がしゅうございます」
障子の向こうで声がした
仄かな明かりに人の輪郭が浮かぶ
近習とは違う声、頼もしさを合わせた漢の声だ
この声は…そうか
「源三郎か」
「はっ、左様にござりまする」
津田源三郎信房、腹違いの弟だ
なにやら少しばかり胸騒ぎがする
吉凶のほどもわからぬがいい気分ではないことは確かだ
「外に、一筋の煙が上がっておりまする」
「外に…?方角は」
「………っ」
「源三郎…?」
源三郎の顔色が芳しくないように感じる
予感が的中したのだろうか?
「申し上げますっっ!!!」
駆け込んできた近習の声が響く
それはまさに臨戦態勢の声そのもの
源三郎の顔から生気が消えていく
そうか…なにかとはわからぬがわかったような気がした
「本能寺が……本能寺が炎上しておりますっ!」
「そうか…」
本能寺が炎上している
その一言が示す意味はとてつもなく大きい
受け入れられてないのか、余が出来物になったか定かではないが落ち着いている余がいることはわかる
「源三郎よ、皆を早急に集めよ」
「…はっ!」
将たる者、惑わされてはならぬ
それでいて冷静な判断を下さねばならぬ
冷静沈着、併せて剛毅果断でなくてはならぬ
皆に動揺を伝播させてはならぬ、ならぬのだ
一筋、汗が額を伝う
陽も出ていない仄暗い部屋、決して暑くはない
「余は…緊張しておる…のか?」
誰も居ぬ部屋で聞こえる震えた声
押し殺すように拳を握り締める
着ていた襦袢を引き裂くように脱ぎ去った
「誰か、誰かおらぬかっ!!」
「はっ!」
「武具を、武具を持って参れ!馬も引けいっ!」
にわかに騒がしくなる
ここではいけぬ、勝機は無い…
ここは、攻撃にも防御にも向かぬ妙覚寺