第5話 入学式Ⅴ
「…ん…き。しん…さ…き。し…どう…」
「忍さん、何か変ですよ」
心が言うように、先ほどまでブツブツと何をしゃべっているのかわからなかった校長だが、少しづつ明確な言葉を発しだした。
「しん…どう…さつき。しんどう…さつき。神堂ーー!!」
校長が叫び声を上げると二倍くらいの体積に膨張し、ぐちゃぐちゃと不快な音をたてて肉体が変化していく。その形は変化途中だが人のそれではなく獣と呼ぶ方が相応しいものだった。
「これはどういうことだ。神堂と叫んだように聞こえたが?」
「校長は魔獣対策省に入る前は陸上自衛隊に所属していました。彼は自尊心の塊のような男で、自分を飛び越え出世していった元部下である神堂や地神さんにコンプレックスやライバル心を強く抱いていたそうです」
忍のスペシャルスキル【報道の自由】の通話先にいる夕姫が応える。
「通話に神堂皐月の名前が出てきたから、感情が刺激されて浸食が予定より早まったということか」
「軽率な発言をしてしまったようですね。すみません」
「いえ、お気になさらず。それにしてもこの魔獣はグランドベアかな」
校長はうずくまりながら身体を変化させているが、あえて言うなら熊を連想させる体躯になってきた。もちろん、ただの動物の熊というわけもなく、背中や前腕に鉱物のようなものが張り付いている異常性があるのだが。
「グッ、グランドベアって、土を操る熊に酷似している魔獣ですよね」
魔獣へと変化してきた校長を前に心には恐怖心が芽生えてきているが、何とかそれを押し殺しているようだ。
「正解だよ。熊と同じようにタフで土や岩を操る範囲攻撃を得意とする厄介な魔獣だ。面倒だな。うーん、逃げようか」
「えっ、逃げるのですか!?」
「いや、俺のスペシャルスキルは支援を得意とするから、隊長や舞火みたいに直接戦闘を得意としていないんだ。しかも、来校の際に身体検査が行われるから武器も持ち込めなかったしね」
忍のスペシャルスキル【報道の自由】は『情報の伝達』に特化している支援用スキルだ。【報道の自由】は忍自身を局として、音声・映像・データなどの情報の発信・受信を行うことが可能となる。情報の発信・受信には特別な設備や端末を必要とせずに、必要に応じてスペシャルスキルが道具を作成する。先ほど空中にポップアップした映像フレームも【報道の自由】により作られた通信端末だ。因みに、映し出された眼鏡をかけた女性は実在せず、【報道の自由】使用時に忍をサポートするために創られた架空秘書である。【報道の自由】による情報の伝達に関する汎用性は高く、既製品である携帯電話やテレビ、パソコンなどに発信が可能なのはもちろんのこと、忍が事前に情報伝達網を構築している相手だと相手側から忍への発信も行うことができる。
「持ち込めなかったしね、じゃないですよ!!私が教員を呼ぼうと言った時も、校長の浸食が完了したら捕獲するって言っていたじゃないですか。それにスペシャリストいまだ健在だと示すためのチャンスですよ」
「まぁ、心ちゃん落ち着いて。確かに俺でもグランドベアに変化した校長を倒すことはできるよ。でもこの案件は秘密裏に解決すべきものだからスペシャリストの地位向上にはつながらない。それに小暮長官から避難の指示があった以上、俺は立場的に従わないといけないしさ」
「あっ」
「心ちゃん。隊長やスペシャリストのこととなると視野が狭くなるのは悪い癖だよ。入学式の件もそうだね」
「うー、すみません」
「よろしい。反省はしているみたいだから俺から与える罰の件は終了するとしようか。まぁ、せっかく英雄様が来ているみたいだから、奴の戦闘を直に見てみよう。心ちゃんのデバイスユーザーとしての勉強にもなる。それに―」
忍は魔獣に変化している校長を前にしても飄々とした雰囲気を変わらず纏っている。
「神堂皐月があれからどれ程の力をつけたのか、俺も見たいしね」
だが、神堂皐月の名を口にした時に殺気ともとれるプレシャーが忍から発せられた。
「うっ!?」
兄の元同僚である忍とは心が子供のころから接する機会があり、現在は家族ぐるみの付き合いをしている。そのような関係から忘れがちになるのだが、忍も間違いなくスペシャリストとして多くの魔獣と戦ってきた歴戦の勇者であり実力者であるのだ。心は今感じたプレッシャーから、夕姫からの撤退の指示がなければ忍がグランドベアを容易倒したであろうと本能的に納得させられた。
「小暮長官。というわけで、英雄様の戦闘を見学させてもらいたいのですが、許可を貰えますか?」
映像フレームに映っている夕姫は困った表情を浮かべるも仕方なしに頷く。
「入学したての天草さんがいるので本当は避難してほしいのですが、許可しましょう。ただ、見学できるかどうかは知りませんよ」
「それはどういう意味ですか?」
「言葉通りの意味です。それよりもグランドベアがそろそろ立ち上がるみたいですよ。神堂も間もなく校長室に到着します」
浸食を完了させた校長―グランドベアが立ち上がりその巨体を忍たちに誇示している。
「心ちゃんは俺の後ろにいてくれ。さて、狭い空間で戦うと厄介な相手だけど、英雄様はどう戦うのやら」
「つっ、忍さん。部屋の空気が!!」
「なるほど、そういう意味か」
浸食というトラブルの発生に関係なく快適な室温に保たれていた校長室だが、急に冷気が発生してきた。これには心だけでなく、グランドベアも異常を悟り周囲を見渡しだしたのだが―。
「そんなっ、グランドベアが!!」
「確かに戦闘の見学にはならなかったか。まさか、対象を目視することなく凍結させるとは…」
一瞬で氷りつき、物言わぬ氷像となっていた。
コンコンッ。
グランドベアが氷りつき無音となった校長室にノックされる音が響く。
「失礼します」
「失礼いたします」
入室を促す返答を待たずに男性と女生徒が入ってきた。
「…神堂皐月…」
「生徒会長?」
入室してきたのはSSデバイスユーザー最強の呼び声高い英雄である神堂皐月と、その長女でありこの対魔獣科高校の生徒会長を務める神堂如月であった。
▽▽▽
「私は魔獣対策省所属の神堂皐月です。遠藤さん、天草さん、お怪我はありませんか?」
神堂皐月は第一声、忍と心を気遣う言葉を述べた。ただ、その言葉とは裏腹に二人を気遣っているような表情は無く、事務的に発せられたセリフだと言われても弁解の余地もないものだった。
「怪我なんてないさ。それよりも制圧対象である魔獣を確認する方が最優先事項だと思うのだがな」
忍が指摘したように、神堂は入室後に氷像となった校長を一瞥もしていなかった。
「対象制圧を成功していることは室外からも把握しております。無駄な確認を省いたにすぎません」
「はっ、流石は英雄様というわけか」
神堂が姿を現してから忍がイラついていることに心は意外だと思っていた。普段から飄々としている忍も、喜怒哀楽を現わすことはもちろんある。例えば、映画を見ている時に感動したり、やるせないニュース報道を見た時に怒りの感情をさらけ出すことが過去にあった。ただ、今の忍は余裕がないからこそ、感情が表に出てしまったといった風なのだ。その理由は神堂皐月を前にしているが故だと心は思っている。
「すみません。父は口下手なものでご不快な思いをさせてしまったようですね」
「いえ、お気になさらず。…君は神堂如月さんだね。魔獣対策省のポスターなどで顔を拝見しているよ」
「ふふふっ、照れくさいですね。そういう貴方は、元対魔獣特務遊撃隊所属の遠藤忍さんですね」
「えぇ、そうです。改めまして、遠藤忍といいます。以後お見知りおきを」
如月の突然の言葉に忍は表情を変えることなく、喫茶店で見せる笑顔を浮かべ応対をした。本来ならスペシャリストの個人情報は極秘情報として扱われるものだった。しかし、魔獣が襲来してから直近に活躍したスペシャリストの情報は大衆向け情報誌の古本やネット上などから、それなりの労力を要すると手に入れることができるのだ。魔獣を倒す存在は民衆を熱狂させた。そのことからスペシャリストの扱い方が政府で固まりきらない中において、マスコミがこぞって報道対象として情報が明らかにされていったのである。だが、活動当時に未成年者であった駆は最優先で情報規制をなされた例外として、忍たち重要戦力である対魔獣特務遊撃隊所属者もその情報を規制されて削除されていったはずなのだが―。
「流石は、英雄の娘さんだ。英才教育をなされているようですね」
忍は皮肉を用いて、如月の言葉を捨て置くことにした。知りたいという欲求はとめど無いことを元新聞記者である忍はよく理解しているし、結局は情報元の特定など難しいと知っているからだ。実際に父が娘に教えたのかは定かではないのだから。
「…如月、ふざけすぎだ」
神堂は忍の言葉を黙殺し、娘をたしなめる。
「すみません、父様。ところで、心さんのお兄さんの駆さんに学校には来られていないのですか?」
「なっ!?」
心は入学式から連れ出された時に、如月とすれ違った時にも兄のこと話題にあげられた思い出した。だが、この状況でも如月から再び兄のことを話題にあげられたので戸惑ってしまった。
「どうして駆君のことを?」
「いえ、私は駆さんのファンなのです」
如月は心の動揺を気にせず上品な笑顔を浮かべ、忍の質問に答えている。
「私は高校に入学する前に、駆さんに一度命を助けられたことがありました。魔獣との戦闘で傷を負うことを厭わず、私を助けてくれた駆さんのことを私はお慕いしているのです。ただ、心さんの入学で駆さんと運命的な再開が訪れると思っていたのにままならないものですね。ふふふっ」
だが、その笑顔には隠しきれていない狂気じみた執着がにじみ出ていた。才女のあまりにも突然な豹変に心はおろか、忍すら言葉を失ってしまってしまった。
「そういえば、父様も駆さんのことは気にかけていますよ」
「如月、それまでにしろ」
「ふふふっ。すみません、父様。あっ、父様が動揺されたせいなのかグランドベアの凍結が破られようとしていますよ」
如月が指摘したようにグランドベアを固めていた氷にひびが入り、動き出そうとしている。
「動揺などしていない。浸食された校長の生命維持のために手加減していただけだ。これから凍結を解き、無力化を行う。遠藤さん、天草さん、この校長室から退室してください。如月もだ」
「いえ、父様。せっかく未来の義妹がいるのですから私の活躍を見てもらいます。私が校長を無力化しますよ、ふふふっ」
「未来の義妹!?何を言っているのですか!!」
「如月!!」
「SSデバイス【シンデレラ】起動。ふふふっ、このSSデバイスこそ私と駆さんを繋ぐガラスの靴。心さんも義姉さんの活躍を見ていてくださいね」
お読みいただきありがとうございました。