第4話 入学式Ⅳ
「それでは『浸食』についての授業を開始するよ」
「忍さん!!あの突然のことに頷いてしまいましたが、授業よりも校長先生の異変に対応しないといけないのではないですか!?」
校長は低い呻き声を上げながら震えている。そしてその体は風船が膨らむかのように徐々にだが異質に膨れ上がっているのだ。
「あぁ、校長はSSデバイスの核に心身ともに取り込まれようとしているね。あともう少ししたら、魔獣のような外見になって俺たちに襲いかかってくるよ」
「えっ?SSデバイスの核に取り込まれる?だったら、とにかく早く校長について対処しないと!!教員は基本的にはデバイスユーザーなのですよね。この事態を報告して対処してもらいましょう、忍さん!!」
「それは駄目だよ。さっきも言ったがこの授業は心ちゃんの入学式での行いに対する罰でもあるからね。いきなりの異常事態に怖い思いをしているとは思うけど、俺が守るから大丈夫だよ。それに浸食については心ちゃんは誰よりも知っておかないといけないんだ。隊長の人生を変えた憎むべき現象なんだからね」
「えっ、おにい…兄さんの?」
突然の異常事態に慌てていた心だが、兄が話題に上がったことで意識する対象が目の前の校長の異変から、浸食という現象について移り変わった。それほどまでに心の中で兄である駆の存在が大きと言えるのだ。
「そのことについてはおいおい隊長本人が説明してくれると思うよ。それじゃあ改めて『浸食』についての授業の開始だ。心ちゃんはさっき驚いていたね、SSデバイスの核に校長が取り込まれると言ったことに」
「えっと、そうです。そのような現象は聞いたことがありません。もちろん、浸食という言葉もです」
「あぁ、この事実は一般人には説明されていないことなんだ。実はSSデバイスユーザーはSSデバイスの核に取り込まれる危険性を常にはらんでいる」
「常に?本当ですか、忍さん!?」
忍の説明に心は驚きの声をあげる。それほどまでに以外な事実だった。
「まぁ、あくまで一般的にというだけで教育を終えて正規のデバイスユーザーになった人材にはちゃんと説明はされているよ。部外者には他言無用というルールはあるけどね。ただ、安心してくれ。『浸食』は本来ならあり得ない現象なんだ。魔獣対策省はデバイスユーザーとデバイスの定期的なチェックを義務付けているからね」
「だったら、なぜ校長先生はこのような状態になったのですか?」
「校長は実際にチェックを受けず、書類の書き換えを行うことでパスしてたんだ。チェックを面倒くさがったのか、余程自分に自信があったのか、どちらかだろう。もちろん一般のデバイスユーザーにはそんな権限はないから不可能だけど、腐っても対魔獣科高校の校長ということだ。この男は立場上、魔獣対策省でも上から数えたほうが早いトップクラスの存在だからね」
「…とてもそうとは思えないのですが」
校長の立ち居振る舞いを思い出し、心から思わず本音が出てしまう。
「ごもっとも。まぁ、理由はあるんだけど。さて、『浸食』とはSSデバイスが暴走してデバイスユーザーの意思が取り込まれる現象をさす言葉だ。デバイスユーザーが浸食されるスピードは様々で、短時間で取り込まれることや中長期にわたり徐々に取り込まれることがあるんだよ。この校長の場合は後者だね。校長は検査機関でのチェックを怠り、徐々にSSデバイスの…いや、魔獣の核に精神をむしばまれていったんだ」
「えっと、先ほど女生徒が意識不明の重体になったと言っていましたが」
「そうだ。校長は浸食により欲望を抑えきれず女生徒に手を出そうとして、抵抗を受けた際に怪我を負わせてしまった最低のクズ野郎だ。浸食された人物は自身のコンプレックスや欲望を満たそうとするあまり、非社会的で非論理的な行動を起こすことがあるとされている。心ちゃんも変に思ったんじゃないのかい?入学式で部外者の出入りのある中、心ちゃんの人となりを知らないままで脅迫しようだなんて。しかも、常時記録がなされている校長室でだよ」
「確かに、進路をたてに脅迫されている恐怖というよりも、この人は何を言っているの?という驚きや疑問の方が強かったです。まぁ、私の目的はそもそもEクラスへの移動だったわけですが」
「つまり校長は浸食によって冷静な判断を下すことができないくらい精神を侵されていたんだ。未成年者の心ちゃんにはわかりにくいかもしれないけど、酒を飲んで酩酊している時にあるような偽りの万能感にでも浸っていたんだろうね。校長を捕まえるために依頼を受けた俺でさえ、こんなに簡単に証拠を手に入れることができたことに驚いているよ。まぁ、浸食されていようがいまいが、心ちゃんに手を出そうとした以上この後ぶちのめすのだけど。話が横道にそれてしまったようだ。つまり、浸食とはSSデバイスに用いられた魔獣の核に意志が取り込まれるわけだが疑問は無いかい?」
「魔獣の核はSSデバイスに加工された時点で無害になるとも習いました。それだと浸食という現象が起こるのはおかしいと思います」
心は忍から受けた授業を思い出して意見を述べる。
「その通りだ。つまり、SSデバイスの魔獣の核は無害化できていない。それどころかまだ生きているんだよ」
「それってスペシャリストと同じじゃないですか!?」
スペシャリストとは生身で魔獣を倒すことによって魔獣の核をその身に取り込んだ存在で、デバイスユーザーと違いその身一つでスペシャルスキルと呼ばれる超常現象を引き起こすことができる。それは魔獣の核がスペシャリストの中で生きており、精神力により核を制御することでスペシャルスキルを発動しているという研究結果が出ているのだ。実際にスペシャリストが戦闘不能に陥った際に核が暴走し、魔獣として復活した事例が確認されている。それはまるで忍が説明したSSデバイスにおける『浸食』と同じ現象ではないか。
「そうなんだ。俺たちスペシャリストはその身に生きた魔獣を宿してる爆弾みたいな存在だと批判を受けることが未だにあるけど、実はSSデバイスも全く同じなんだよ。びっくりだね」
「そんな…政府やSSデバイスの開発企業があれだけスペシャリストを批判して、SSデバイスの安全性を称賛していたのに…」
「まぁ、大人にはいろいろな事情があるのさ。さて、そもそも魔獣の核が何故生かされているのか?答えは簡単だよ。死んだ核ではSSデバイスの機能が発動しないんだ」
「でも、SSデバイスはパソコンでいうところの高度なCPUと独自OSに該当するパーツによる補佐を元に、デバイスユーザーの適合能力によって機能停止した魔獣の能力を固有能力として発動すると教えてくれたじゃありませんか!?魔獣の核はあくまでパーツであると」
「それがこの社会の建前だ。本音は高度なCPUとOSで生きた魔獣の核を制御し、デバイスのコアとしてデバイスユーザーの管轄下においているんだ。ところで、心ちゃんは俺たちスペシャリストに対して疑問を持っていたことがあるよね」
「スペシャリストに対する疑問ですか。えっと、スペシャリストは何故SSデバイスを…。あっ!!」
忍から教えられる新たな情報に先ほどから驚きの表情を幾度と浮かべた心だが、この時になって初めて顔を青くする。
「そう、俺たちスペシャリストがSSデバイスを使え「忍様、小暮長官から緊急コールが入りました」」
忍のセリフを遮るように突如、何もない空間に女性の映像が浮かび上がった。女性はノンフレームの眼鏡をかけている美女で、理知的な秘書をイメージさせる。
「はー、授業中なのに面倒くさいな。オッケー、繋いでくれ」
突然の出来事に忍は驚くこともなく、面倒くさそうに応対をしている。
「かしこまりました」
「忍さん?」
「ごめんよ、心ちゃん。授業は中断するよ。小暮夕姫長官様からの緊急連絡だそうだ」
小暮夕姫とは駆が神堂皐月と模擬戦闘を行った時に国家対魔獣研究所の所長を務めていた女性研究員だ。現在はSSデバイスの研究に多大な功績を残したことが認められて、魔獣対策省の長官に就いている。その魔獣対策省のトップである夕姫のことを様付けをして呼んだ忍だが、駆のこと未だに隊長と呼ぶ時のような敬意はあきらかに見受けられない。むしろ、様付けをすることに対して皮肉を含めているように感じられる。
「緊急事態中にすみません、遠藤さん」
「長官様、今はあんたたちの尻拭いで忙しいんだ。手短にお願いしますよ」
「おい、貴様!!小暮長官に失礼だろうが!!」
「うるさいぞ、ワンちゃん。きゃんきゃん吠えるな。長官様、俺のファーストスキル【報道の自由】の回線を魔獣対策省が認める有事以外で使う許可は長官様に尻尾を振ることに忙しいワンちゃんに出した記憶が無いのですがね」
「貴様!!僕には三雲武蔵という立派な名前がある。ワンちゃんなどとふざけた名前で呼ぶな!!」
三雲武蔵と名乗った男は、天草駆と同じ25歳という年齢に関わらず魔獣対策省の長官補佐に抜擢された秀才だ。小柄で中性的な顔立ちをしている武蔵は私服だとしばしば…いやかなり割合で女子高校生に間違えられる容姿をしているのだがデバイスユーザーとしてはかなりの力量を有している。ただ、敬愛する夕姫のこととなると冷静さを欠く欠点を持っている。
「黙っていなさい、三雲!!」
「うっ、すっ、すみませんでした!!」
「遠藤さんもです。いくら民間に戻ったと言えども、貴方は現在もスペシャリストとして我々の管理下に置かれているのは事実です。まして今回は報酬を受け取り、我々の依頼を受けて行動しているのですから、少なくともクライアントに対する誠意を見せてくれませんか?そちらにいる学生の天草さんに対して社会人として手本となるようにお願いします」
「えぇ、これは失礼しました。大人げない態度を見せて申し訳ありません、小暮長官。三雲長官補佐に対しての無礼もお許しください。ただ、【報道の自由】の事前申請の件は順守していただくよう、よろしくお願い致します」
夕姫に叱責されシュンとしている武蔵と違い、忍はどこ吹く風と飄々と受け流している。
「ふざけ「三雲」」
「はっ。…遠藤さん、失礼しました。ですが、私に対しても回線を使う許可を頂けるようよろしくお願い致します」
「えぇ、いずれ善処します、長官補佐殿」
「くっ!!」
「はー。話を進めますよ。遠藤さん、校長の様子はどうなっていますか?」」
「あと数分で浸食が完了するでしょう。マニュアルに則り、浸食の完了後に校長を討伐して捕獲します。なお、偶然現場に居合わせ避難できなかった天草心さんに関しては私が責任を持って保護しますのでご心配なく」
「数分ですか。それなら遠藤さんは速やかに天草さんと避難してください。校長の捕獲に関しては、私の部下が行います」
「…それはどういうことですか?この『浸食』というデリケートな案件に関しては魔獣対策省が表立って行動できないから、使い勝手のいい私に依頼が回ってきたのですよね。一度はお断りしたにも関わらず」
「遠藤さんにはご迷惑をおかけしました。ただ、信頼できる人材のスケジュールが空き、プライベートでそちらに到着しました。このタイミングはもちろん偶然ですよ。その者に情報を提供したところ自分が対応すると名乗りを上げたので、民間人である遠藤さんには依頼を出せない状況になったのです」
「信頼できる人材で…プライベートで…その人物は…誰ですか?小暮長官様!!」
「…その様子ではお気づきのようですが…神堂皐月魔獣対策総司令官です」
お読みいただきありがとうございました。