第9話 入学式Ⅸ
地神衛の一人称を【自分】から【私】に変更します。
「はー、失敗した」
忍がハンドルに頭をうなだれて後悔している。
「忍さん、あの大丈夫ですか?」
「あー、ありがとう、心ちゃん。大丈夫だよ」
心の問いかけに忍は引きつった笑顔を浮かべて返答する。陽輝に見送ってもらった忍と心は、天草家へと続く坂道の途中で停めた忍のマイカーの中で休んでいたところだ。この道は私道で廃校を買い取った天草家にしか繋がっていないため、停車していても交通の妨げになることはない。
「えっと、それはそれとして、忍さんは私に説教をしたのに、私がしたことと同じようなことをしましたよね」
「うっ!?」
心がジト目で忍を見る。
「その何て言うか…面目ない」
入学式の心の行いに対して忍は駆の事となると視野が狭くなると諫めた。だが、その後すぐに忍も同じ失敗をしてしまったのだ。
「まさか神堂皐月が現れるなんて思ってもいなかったんだ。しかも、あの態度だ。懲らしめてやろうと思ったんだけどね」
「確かに神堂さんの物言いには私もイラっと来ましたが」
「そうだろ、心ちゃん。あいつは自分の行いを反省して然るべきだ。それなのに…うん?心ちゃん、どうしたんだい?」
忍は今心が浮かべている表情に疑問を持った。心は戸惑ったような表情をしていたからだ。
「えっと、忍さん。こんな質問をするのは失礼だと思いますが…本当に神堂さんに対して怒りを感じていますか?」
「それはどういうことだい?」
心の質問に忍は疑問を返したが、その表情は戸惑ってはいなかった。
「えっと、神堂さんが来た時に忍さんが本当に怒っていると思いました。ですが、戦闘を行ったことはともかく行動自体は意外と冷静だったのかなと思ったので」
「あー、いや、心ちゃんの言いたいことはわかるよ。確かに、俺は神堂皐月に怒りを感じている。ただ、立場的にいろいろあって、感情に任せて暴れることができなかったんだ。如月さんにも指摘されたしね。それに本当ならサードスキルを使わなくて戦いたかったんだけどね」
「え?」
「いや、何でもないよ。まぁ、やり過ぎには違いないね。心ちゃんにはまだ全てのことを打ち明けられないけど、俺もいろいろなしがらみの中で、スペシャリストとして動いているんだ。民間に戻った立場だけどね」
「えっと、兄さんもそうなのですか?」
「いや、駆君については悪いけど、俺の口からはしゃべれないんだ。俺も特殊な立場だけど、それ以上に駆君は特殊、いや特別な立場にいるんだ」
「そうですか。すみません」
「まぁ、心ちゃんもいずれ知る時が来るよ。それよりも、俺たちが心配するべきことがあるよね。俺は神堂皐月の件、心ちゃんは入学式の件だよ」
「うっ」
忍の言葉に心の顔が青ざめる。
「俺たちの行動は衛さんたちに伝わっている」
「うー。えっと、えっと。忍さんからとりなしてくれたりしませんか?」
「心ちゃん、それが叶う相手だと本当に思っているのかい?」
「…ですよね」
「というか、神堂皐月をぶちのめせなかったことに関して、舞火が俺に怒り狂ってるはずだからね」
「舞火さんがですか?」
「あぁ舞火は、駆君と神堂皐月の模擬戦闘の件について遊撃隊の中で一番不服に思っているんだ。戦闘経験のなかった駆君が、魔獣と戦い自分以上の力を手に入れたことを誰よりも喜んでいたからね。その駆君がスペシャリストを代表して八百長試合で負けることになったんだ。それを良しとせず、舞火は駆君が退職してから陽輝さんに神堂皐月との模擬戦闘を熱望していたんだけど叶わなかった。それが舞火を差し置いて俺が神堂皐月と戦って、その上結果が出なかったから怒っているはずだよ」
「そうだったのですか」
「まぁ、舞火も状況的なことは理解してくれるとは思うけど…理解してくれるよね?」
「えっと、私に言われてもわかりませんよ」
「はー、そうだよね。うっ」
「どうしましたか?」
「着信が入った。衛さんからだ」
「えっ?」
着信が入ったというが、車のダッシュボードに置いている携帯電話に変化はない。
「ツナグ、映像フレームモードでつないでくれ」
『かしこまりました』
忍の言葉に映像フレームが浮かび上がり、架空秘書が表示された。彼女は忍のファーストスキル【報道の自由】によって作成された存在で、その特性から名前を【ツナグ】と忍に名付けられた。ツナグの返答の後に、新たに映像フレームが浮かび上がり、地神衛の映像が映りあがった。
「あー、衛さん、お疲れ様です」
「忍こそ疲れただろう。神堂を相手にしたのだからな」
地神衛は対魔獣特務遊撃隊の初代隊長で、後に駆にその役職を譲り部下となった。現在は、陽輝の下でスペシャリスト管理室に所属している。魔獣との戦闘の最前線から外され40歳という年齢になったが、スペシャリストとして活躍した現役時代と比べても鍛え抜かれた肉体に陰りはない。
「えぇ、そうですね。衛さん」
衛を見る忍の表情は引きつっている。
「忍、安心しろ。今回の件に関して私は何も行わないぞ」
「え?」
衛の言葉に忍が目を白黒させる。
「はははっ、舞火が忍を鍛え直すと息巻いているからな」
「なっ、鍛え直すって!?」
「神堂に負けた忍がふがいないから稽古をつけると舞火が言っていた」
「いやいやいや、俺は後方支援担当だから神堂に勝てるはずないでしょ」
「えっ、忍さん!?最弱の俺が倒せたら兄さんの敗北は間違いだとか言っていたじゃないですか!!」
「いや、あれは言葉の綾というか、神堂に対する挑発というか、その…あれだよ。衛さんもわかっているでしょ!?」
舞火が稽古をつけると言ったことに対して、必要以上に狼狽する忍に衛は楽しそうに笑っている。
「忍、諦めろ。心の前でかっこつけたんだ。最後まで漢を見せろ」
「いや、でも、舞火のしごきは地獄ですよ!!喫茶店のこともあるし、草太と天音の相手もしないといけないんですよ」
「そのことなら舞火が雪菜さんに許可を取っている。喜んで承諾してくれていたぞ。あと、店の事や草太君と天音ちゃんのことは気にするな。駆が手伝うと言っていたからな」
話題に出てきた雪菜とは忍の妻で、草太と天音は小学生の双子の息子と娘だ。ちなみに天音が姉で草太が弟になる。
「えっ!?隊長がですか!?」
忍は急に駆の名が出たため、隊長と過去の呼び名を叫んでしまった。
「そうだ、もう逃げ道はないから諦めるんだな」
「…はい、わかりました」
忍は不服そうな表情を浮かべるも、駆の名前が出た以上頷くしかなかった。
「さて、遅くなったが心、高校入学おめでとう」
「えっと、衛さんありがとうございます」
忍の件でポカンとしていた心だが、自分に話題が移ったので気を取り直す。
「おめでとう…、だが、心の入学式の件を私たちが聞いているのは知っているな」
「うっ!?」
「とは言え、今日このことについて追及することはしない。高校入学のめでたい日だからな」
「えっ?えっと、すみません、衛さん」
「はははっ、行動力があるのは兄譲りだな。もっとも、駆の行動力はもっと凄かったけどな。そして…それに私たちは救われた」
衛は過去を思い出し、笑顔を浮かべる。
「先ほど追及しないとは言ったが、一つだけ確認させてくれ。今回の行動に信念はあったのか?」
にこやかな表情を浮かべていた衛が不意に真剣な表情になる。
「それだけは教えてほしいと思う」
「えっ!?えっと…えっと、そのことについては…ふー、はー」
急な衛の変化の質問に対して驚いた心だが、深呼吸をして気をとりなす。
「…そのことについては、私の…私の人生を賭して実現したいことの為の行動です!!」
そして強い言葉で返答をした。
「はははっ。やはり、兄妹だな。私からは、忍へと同じように心に対して何も行わない」
「え?」
心は入学式の罰として、衛との戦闘訓練が行われると思っていた。それが否定されたことを意外に思いつつ、若干嬉しいという感情が混じった声色の疑問の声を上げてしまう。
「だが、心に対しても舞火は納得していない。忍と一緒に体力錬成を受けてもらうと言っていた」
「うっ!!!!」
心が天国から地獄に落とされたような表情になる。
「まぁ、舞火にも言い分はあるかならな。忍と心の体力錬成については明後日から行うそうだ。二人とも今日は入学祝いのパーティーを存分に楽しんでくれ」
「そんなことを聞いて楽しめませんよ、衛さん」
「うー」
「そう言うな。駆と雪菜さんがせっかくパーティーの準備をしてくれているのだからな。あっ、そうだった。パーティーには地神家から私と奏多が参加させてもらうと言っていたが、悠も参加させてもらうぞ」
「えっ、悠ちゃん、来れるのですか?仕事の関係で来れないと言っていたのですが」
奏多とは地神の妻で、悠は娘である。
「あぁ、急にスケジュールが空いたから、ぜひ参加したいと心の入学式中に連絡が来たんだ。駆には許可をもらっているが良かったか?」
「もちろんですよ」
悠の年齢は20歳で、人気声優として多忙な日々を送っている。元々は子役タレントだったのだが、魔獣の来訪に巻き込まれた際に駆に助けられ、駆がアニメやゲームが好きだと知ったことにより声優へと転身した経歴を持つ。遠藤家と同様、地神家も天草家と家族ぐるみの付き合いがあり、駆や心との仲も良い。
「それは良かった。では、またパーティーで会おう」
「はい、衛さん、お待ちしています」
「では、また後で」
映像フレームが消えて、衛との通話が終わる。
「悠ちゃん、来てくれるのですね。嬉しいです」
「よかったね、心ちゃん」
「…ですが、舞火さんの体力錬成が…。うー」
「…、今日はこのことは忘れよう。うん、忘れよう。とりあえず、帰ろうか」
「うー、そうですね。お願いします」
体力錬成について苦い顔をしつつも、この後のパーティーを楽しみに思い帰路に戻る二人だった。
お読みいただきありがとうございました。