笑み
「メグ、大丈夫か」
ギルさんの言葉に私は布団に潜りながら頷いた。だって、今声を出したら涙声になりそうだったから。
「……何かあったら呼んでくれ」
しばらくの沈黙の後、ギルさんはそう言って部屋を出て行った。たぶん、私の様子がおかしいの、気付いてたんだろうな。具合が悪いわけじゃないって。
心の中でごめんなさい、と謝って。部屋の中が静まりかえって。
「ぅ……ぁああああん!!」
それでも外に声が少しでも漏れないように、枕に顔を押し付けながら大声で泣いた。
お父さんが、生きてた。
お父さんに、会えた。
でも私は? 環じゃない。どうして? なんでうまくいかないんだろう。
私が環なんだ、って。そう伝えられたらどれだけ楽だろう。だけど、お父さんだって混乱するはずだ。環の身体はどうしたんだって。お前は環じゃないって、拒否されたらどうしよう。
そんな考えが頭の中でぐるぐる回って、もうどうしたらいいのかわからなくなって、ひたすら泣いた。わんわん泣いた。
そうして気付いたら、私は泣き疲れて寝てしまっていた。
『聞いたか? 長谷川さんのこと……』
あれは、会社の同僚……? なんだかすごく懐かしい。
『ああ。急性心不全、だってな。どう考えても過労死だよな……』
————え? 何を、言ってるの……?
『この会社、本当に人を駒としか思ってないんだよな。今回の事でよくわかったよ』
『そうだな……頭ではブラック企業だってわかっちゃいたけど、どこかでどこも似たようなもんだって俺、勝手にそう思ってた』
『だんだん、世の中はこれが普通なんだって思い始めてたんだよな。気付かないうちにさ』
『恐ろしいよな、感覚の麻痺。毎日ヘトヘトになるまで働かされて、そんな当たり前の事すら考えられなくなっていってさ……』
『ああ……俺、今度病院行ってみようと思ったぜ』
何を話してるの? この人たちは、何を……?
『2日間ほど無断欠勤が続いたから、ついに病んだのかなって思ったけど……それすら気付かなかったんじゃないかな、長谷川さん』
『寝てる間に、か。まだ若いのに……悔やまれるよなぁ、もっと気にかけてあげれば良かった』
『何でもテキパキこなしてて、この人なら何でも出来るだろうって頼りすぎてたと思う。ちょっと考えたら、仕事頼みすぎだってわかったのに。快く引き受けてくれるから甘えてたんだよな、みんな』
やだ……いやだ、そんな、私……!
『長谷川さんの死を無駄にしちゃいけねぇよな。俺たち、ちょっと動かないと』
『そうだな。同じような被害者を増やさないためにも、な』
私、死んだ、の……?
「……っ!」
ガバッと起き上がる。心臓がバクバク脈打っていた。
「夢……ううん、でもきっと今のは……」
本当にあった出来事だ。そんな確信がある。
私は、死んだ。過労死。
お父さんがいなくなってから、何してたんだ、私は。自分に鞭打って、がむしゃらにただ生きて。そして、そのせいで死んだ。
余計、言えなくなったじゃないか。お父さんに、私が環だなんて。こんなくだらない理由で勝手に死んで、お父さんに私、なんて言えばいいの?
「ひゅっ……あぅ……ぁ」
突然、上手く呼吸が出来なくなった。あれ? 息ってどうしたらいいんだっけ。今まで何も考えずにしてたのに、息の仕方がわからない。
「ぅ……っあ」
呼吸が荒くなる。頭が真っ白になりかけて、これはマズイと必死でフウちゃんを呼んだ。
『お呼びですかーっ主様……って、主様っ!?』
ダメだ。呼んだはいいけど苦しくて何も指示を出せない。視界がぼやけているのが涙のせいなのか意識が遠のいているのか判断も出来ないや。
『ま、待ってて主様っ! ネフリーさんを呼んでくるからっ!!』
でも、私の様子を見て察したのかフウちゃんは的確な判断をして動いてくれた。流石は風の精霊だけあって、伝達は数秒で行われ、すぐに室内に誰かが駆けつけてくれた。
「メグっ!!」
あ、この声はシュリエさんだ。久しぶりに聞いたな、シュリエさんの声。
「ギル! すぐにルドを!」
「もう呼んでる!」
あぁ、また心配かけちゃった。ダメダメだなぁ私は。ごめんねメグ。あなたの身体に負担をかけてしまって。
でもごめんね。私、自分が死んだなんてとても信じられなくて、かなりショックを受けたみたいだ。
苦しい。苦しい。息も苦しいけど、心が苦しい。
バタバタと、室内が慌ただしくなる気配がした。聞き取れたのはシュリエさんとギルさん、そして遅れて来たルド医師の声。他にも何人かいる気がしたけど、今の私にはわからない。身体を抱かれて口元に何か当てられている? でも、苦しいのは変わらない。
————誰か、助けて。
これまでもずっと、誰にも言えなかったこの言葉を、私はひたすら心の中で繰り返し叫んだのだった。
どれくらいの時間が経ったのかわからない。すごく長く感じたけど、それは私が苦しかったからかもしれないしね。ほんの数10分程度だった可能性もある。
「よしよし。メグ、大丈夫だよ。みんな側にいるからね」
今、どうやら私はルド医師の膝の上で横抱きにされているらしい。場所は私の部屋のままだ。ルド医師が床に胡座をかいて座っているところを見ると、私は床に倒れていたのかな。そんな事をぼんやり考えながらウトウトしていた。
「落ち着いたか……」
「メグは大丈夫なんですか?」
どことなくホッとしたようなギルさんとシュリエさんの声。私は疲れ切っていたから目を閉じてその声だけを何となく聞いている。
「何かがメグの記憶に触れたのかもしれないね。過去の何かを思い出したか、あるいは別の原因かはわからないけど。過呼吸はとても辛いが、大丈夫だよ」
「良かった……原因は色々考えられる事があります。私が調べてきた事に関係するかもしれません」
「ハイエルフについて、かな?」
「ええ。今夜にでも頭領と共に皆に話すつもりです」
今夜? 私に関する事かな。だとしたら、私も聞きたい。でも、心が追いつくだろうか。……ううん。自分がもう死んでいるという事実に比べたら、他の事なんて些細な事だ。どんな事を聞かされても心を乱すまい。
私は決めたんだから。メグを、この身体を守るって。
「……も。私も、聞きたいでしゅ……」
「メグ……」
みんなの眉間にシワがより、眉が揃って下がる。ふふ、おかしいよね。こんな状態で何を言ってるんだって。心配してくれてるのがよくわかるよ。私だって逆の立場なら心配する。けど、ハッキリと断らないのはみんな知ってるからだ。
話が私に関係するものだって。子どもだからと、当事者なのに隠すのはどうかと思っているんだ、きっと。
「夜には、元気になるでしゅ。今しっかり眠りましゅから」
お昼寝から起きてすぐだし、今日は寝てばっかりだけどね。夜の大切な話し合いに参加する事を思えば今また寝ておくべきだろう。過呼吸で苦しんだ後で疲れているし。
「……わかりました。頭領や皆にも伝えておきましょう。ですが約束通りしっかり休むのともう1つ」
シュリエさんが1度言葉を切って、私の近くに来ると、屈んで目を合わせ、微笑みながら告げた。
「精霊魔術について、私がいない間の話を聞かせてくださいね」
あ、そっか。そうだったよね。ホムラくんの紹介と、今は初めての任務でショーちゃんがネーモにいる事なんかも伝えなきゃ。あえて話題を変えてくれたことに深い感謝の気持ちが込み上げてくる。
優しく目を細めて頭を撫でるシュリエさん。その香りと安心感に、私もつられて頰が緩むのを感じた。
「やっと笑顔を見せてくれましたね。大丈夫ですよ、メグ。……何があろうと、私たちはあなたの味方ですから」
シュリエさんがエルフの郷でどんな情報を得てきたのかはわからないけど、その一言で私は心底安心する事が出来た。きっと、大丈夫だって。
そしてそれは、本当の私を曝け出しても大丈夫かもしれないと私に思わせてくれる笑みだった。