人間ってすごい
「ふー、緊張したな―」
「え? リヒト、緊張していたのー? 全然、そんな風には見えなかった」
アルベルト工房を出て大通りを歩いていると、リヒトが軽く深呼吸をしながら両腕を伸ばした。ふふ、私は気付いていたよ。なんせ魂が繋がっているからね。
平気そうな素振りだったけど、内心ではドキドキしていたもん。でも、その気持ちはわかるなー。
「初めての交渉だったもんね。いい人たちで良かったよね!」
「おー、それが何よりの救いだな」
いくら魔大陸で似たような経験をしていたとしても、やっぱり大陸代表で来ている身としては失敗出来ないっていうプレッシャーがあったと思うんだよね。
たぶん、リヒトだって自信はあったはず。きっとうまく伝えられるって疑ってはいなかったんじゃないかな。それはそれ、これはこれである。
でも、それがあまり理解出来ないのか、アスカは首を傾げていた。あ、あれ? まだ鼻眼鏡かけていたの? 気に入ったんだね?
「変なの。もし問題になって荒事になっても、ぼくたちをどうこう出来るわけないじゃん」
「そういうこっちゃねーの。もし問題に発展したら、魔大陸のヤツらは悪いヤツ、みたいな噂が流れるかもしんねーだろ? ほら、留学したら帰って来られないって思い込んでいたのがいい例だ。噂なんてどう形を変えていくかわかったもんじゃねーんだから」
そう、私たちの言動が全て魔大陸のイメージになってしまうのだ。責任重大!
ポン、とアスカの頭に手を置いたリヒトは、見上げてきたアスカの顔を見てまたしても吹き出す。鼻眼鏡はリヒトのツボだね。
「知れば知るほど人間って不思議だね。どうして間違った噂が広まるんだろ? 本当のことだけを伝えればいいだけなのにー」
外してくれ、と頼まれたアスカは仕方なくといった様子で眼鏡を外しながら難しい顔をしている。
あー、それは人間だから、としかいいようがないかも。人間は、個が弱い種族だから。
身を守るために、まず脅威から逃れることを考える。危険な物には近づかないってやつだね。だから不安や恐怖の感情が大きくなりがちで、よくわからない魔大陸は怖いものとして広まりやすいのだろう。
一方で魔大陸の住人は個々でそれなりに戦う力を持っているから。もちろん、戦闘に不向きな人もたくさんいるけど、何かあった時は自分たちでどうにかすればいい、って考えなんだよね。なんとかなる、って。
そう思えるだけの対策も実力もちゃんと備わっているからこその考えなのだろうけど、やっぱり種族柄って感じだなぁ。私なんかは中途半端なので魔大陸の者の中ではかなりビビりな方になる。リヒトだってそうだ。
「人間ってのは慎重な種族なんだよ。石橋があったらしっかり叩いて壊れないかを確認するような、な」
「何それ! 面白いねー! ぼくらだったらもし橋が壊れても魔術で何とかするだけだもん」
「けど、慎重だからこそあらゆる事態を想定して準備が出来る。オルトゥスの依頼達成率が高いのも、頭領が人間で、石橋を叩いて確認するタイプだからだって俺は思ってる」
あ、なーるほど。今リヒトに言われて初めて私も納得したよ! 言われてみればそうだ。不測の事態を想定する、自分の弱点を補う術を持つ、っていうのはオルトゥス独自のルールだもんね。成長することを忘れない、っていうのも人間らしい考えかもしれない。
「人間って弱いだけだって思ってたけど、実はすごいんだね。ぼく、もっと知りたいかも」
「おう。じゃあ次に工房に行くまで、この街をもっと見て回ろうな」
「賛成ーっ!」
アスカって本当に素直だなー。感想が正直すぎてヒヤヒヤすることも多いけど、柔軟に色んな意見を吸収していくのは見ていて気分もいい。
人や自分の良いところも悪いところも、目を逸らさず真っ直ぐ見てる。そういうところは見習いたい。
私は元人間だからって甘く見ている部分があったもん。新たな発見があるだろうから、ちゃんと気持ちを入れ替えて街の様子を見ていくぞー!
まず、私たちはこのまま大通りを歩きながら、一つ一つのお店を見ていくことにした。ただ、ゆっくり見て回る余裕はない。5日では全てを見て回るのは無理なのでは? というくらい、この街は広いからね。
ただ、この通りは商店街にもなっているメインストリートだ。せめてこの通りに並んでいるお店は全部見ようということになったのである。
時々、趣のある小道が見えて入って行きたい衝動に駆られるけど我慢。くっ、ああいう道って冒険心がくすぐられるんだよねー!
「ふふ、全部見回って、時間が合ったらあっちにも行こう」
「ろ、ロニー! ……バレてた?」
「メグはすぐ、顔に出るから」
つまりバレバレということだね? ああ、もう。相変わらずすぐ顔に出るなぁ。恥ずかしい。
「ねー、この街の治安ってどうなのかな? 警備隊とかにも話を聞いてみたいなー」
「ああ、それは俺も聞いてみたい。俺がいた頃はああいう小道に行くと必ずスリにやられる程度に治安は良くなかったから。今は改善してるのか気になるな」
なるほど、治安ね。アスカはなかなか目の付け所がいい。人間の大陸は魔大陸よりも貧困層が多いって聞いたことがある。というか、人数が桁違いなのだから当たり前と言えば当たり前なんだけど。
そうなるとやっぱり、どうしても治安が悪くなるよね。大きな街であればあるほど、町の中にそういう地区があったりするのだ。
人通りが少ない路地を抜けると貧困街に出たりとかね。もしかすると、私が気になった小道がそういった場所に繋がっていたのかもしれない。
普通だったら避けていく場所になるけれど、私たちは今調査のために来ている。だから気になったのなら進んで見に行くことになる。とはいっても、どんな状況であれ迂闊に手は出せないんだけど。
だってここは人間の大陸。彼らのルールがあるのだから余計な手は入れない方がいいもん。それに自分達の立場を考えると、後々問題になりかねないのだ。
だから私たちがすることと言ったら、現状を知り、その街の責任者に伝えることくらい。必要であればアドバイスもするけど、たぶんそういうのは未熟な私たちがするより人間たちに考えてもらった方がいい案が出るだろうからね。
「ねー、二手に分かれた方が良くない? これだけ大きい街なんだもん。全部見て回るのに時間がかかりぎると思うんだけどー」
「それも一理あるな……。よし、そんじゃ二手に分かれてザックリみて、今日の夜にそれぞれ報告。それを3日くらいやって、残り2日で気になったところをみんなで見て回る。で、どうだ?」
なるほど、効率は良さそうだね。私たちはもう単独行動をしても問題はないくらいの実力を持っているんだから。もちろん、私とアスカは成人前なので単独行動はしないけど。
「本当はぼく、メグと2人が良かったけどー。さすがにわかってるから文句は言わないよ。ああ、メグぅ! また今日の夜にね!」
「自分で提案したんじゃねぇか。面白いやつだな、アスカは。とりあえず大通りを抜けたら二手に分かれるか」
確かに、アスカったら矛盾したことを……。でも、ちゃんと調査をすることを一番に考えているからえらいっ! お土産話が出来るようにいろいろ見ておこうっと。
ちなみに、組み合わせはリヒトとアスカ、ロニーと私だ。何かあった時に魂のつながりがあるリヒトの方が早く連絡がつくからね。それに、ロニーの大地の精霊とアスカの土の精霊は属性が同じだから連絡が取り合えるし。
アスカの土の子は眠っていることが多くてあまり呼び出せないらしいけれど。
よろしくね、とロニーに微笑むとこちらこそ、と笑みを返されてほっこりした。ロニーと一緒にいると本当に癒される。
それから私たちは4人で大通りに並ぶお店を一軒ずつ見て回り、この街に流通している物や物価、人気商品などなどをザックリ調べていった。
やっぱり魔道具がある分、魔大陸の方が便利な生活をしているよね。でも前に旅をした時より、魔道具を見かける気はする。
前は街にあまり立ち寄らなかったからそれもちょっと自信はなかったけど、リヒトもそうだと言っていたからそうなのだろう。
これも、少しずつ両大陸が歩み寄っている成果なのかもね。地道にコツコツと進めていくのが大事。
突然、便利な物で溢れても混乱を招くだけだしね。焦る必要はないのだ。
「やっぱり、物作りのレベルが高い、ね。たくさん作る機械、も人間なら作ってしまえる、かも」
「ぼくたちが魔術でやることを、人間は機械で出来るってこと? それって魔術が使えなくても、訓練を頑張らなくても、誰でも出来ちゃうってことじゃん! 人間ってすごい。ぼくたちも負けてられないや」
本当にいいところに気付くなぁ。アスカは模範生徒の様だ。そうなんだよ、人間って実はすごいんだよ。
「数十年もしたら、この景色もガラッと変わっているかもな。なんか、心中は複雑だけど」
メグならわかるよな? とリヒトに小さく声をかけられ、そっと頷く。まるで日本みたいだなって言いたいんだよね。
だからこそ、ゆっくり進めていきたいのだ。技術を手に入れたら人間は勝手に急成長していくと思うから。楽しみだけど、あそこまでゴチャゴチャした大陸になるのはちょっと嫌だなぁ。
「その点も踏まえて、調査が終わった後もたまに様子を見に来ないとなぁ」
「ぼくも変わっていく様子、見たーい! その時はぼくも連れて行ってよ、リヒト!」
「おう、予定があえばな」
無邪気だなぁ。でも、それでいい。この複雑な感情は元日本人だからこそであって、説明が難しいからね。
この大陸の未来がどう変わるかはわからないけど、変化のキッカケを作っていることに変わりはないんだもん。ちゃんとありのままの変化を受け止めて、見守っていこうって改めて思った。





