世界を超えて
意識をしたからか、次の瞬間にはリヒトも服を着ていた。パッと魔術で着替えたかのように。これもお父さんから聞いた通りだ。不思議なものである。
「メグがいる、ってことは……そうか。夢渡りがうまくいったんだな」
気を取り直したリヒトは、周囲を見回してから私を見て、すぐに状況を理解したようだった。子どもの頃からそうだったけど、リヒトは本当に順応性が高いよね。とても助かる。
「そのことなんだけど、ごめんね。ここに来るまでに、リヒトの夢を見ちゃったの」
「俺の夢? ……あー。さっきまで見てたやつか。まぁいいよ。メグはなんとなく知ってた話だろうし」
そう言いつつもリヒトははぁ、と大きなため息を吐く。その気持ちはとてもわかるよ。恋する気持ちまではわからないけど、切ないのはさっき伝わってきたから痛いほどよくわかる。
「まぁいい。で、魂を分け合うんだっけか? ……どうやって?」
そして切り替えが早い! 尊敬するよ、そういうところ。私も切り替えは早い方だけど、結構引きずるタイプだから。
でも、そうだよね。今はこっちの問題を解決するのが先だ。じゃないと、リヒトもクロンさんとの問題に向き合うどころじゃなくなってしまう。
「それが、よくわからないんだよねぇ……」
でも、残念ながら私にもどうしたらいいのかはわからない。ここに来るまでは面白いくらいにあれこれわかったというのに、肝心な部分が全然わからないのだ。なんなの、魂を分け合うって。食べ物じゃないんだから。
「弱ったな。んー、じゃあとりあえず、ユージンさんが話してくれてたことをもう一度振り返ってみるか?」
「そうだね、そうしようか」
経験者の話を思い出して、同じようにやってみよう作戦である。ひとまず、私たちはその場に並んで座り込んだ。
意識さえすればなんでも出来る、みたいなことを言ってたよね、確か。だから、私たちも意識をすれば魂を取り出して、まさに食べ物のように半分に分け合えるはずなんだけど……。やることはわかる。実際に胸のあたりに手を当てて挑戦はしてみるものの、どうしてもうまく出来ない。
私たちは揃って首を傾げた。ここへきて手詰まりである。するとリヒトがあー、と声を上げながらパタリと後ろに倒れこんだ。手を広げて仰向けになっている。見事な大の字だ。
「……もしかして、何か気になることでもあるの?」
考えるのに飽きたのかな、とも思ったんだけど……。なんとなく、今のリヒトを見ていたら他に気になることがあるような気がした。リヒトの意識の中にいるからかな、そういう細かいことに気付きやすいんだよね。
リヒトは、やっぱりわかるか? と言いながら頭の後ろで手を組む。それからまた小さくため息を吐きながら自分の気持ちを吐き出してくれた。
「ここで魂を分け合ったらさ、俺は本当の意味でこの世界の住人になるんだな、って思って……」
この世界の住人、か。その複雑な心境はわからなくもない。私もこの世界に来てしばらくは、なかなか受け入れられなかったもん。
でも私にはこの世界にお父さんがいた。それに、身体の父親もいたし、父親代わりになってくれる人や母親代わりのようなお姉さんたち、他にも家族のように扱ってくれる仲間がたくさんいたから、比較的早く馴染むことが出来たと思う。
でも、じゃあリヒトは?
そりゃあ、心を許せるような仲間はいると思う。ラビィさんという家族のような存在もいる。けど、ラビィさんとはあんなことがあったし、どれだけ気の許せる仲間がいたとしても、家族とはまた違うもんね。
そして、リヒトの本当の家族は日本にいる。それはきっと、お父さんがこの世界に来てしまった時の心境と同じなのかもしれない。
家族を残して異世界に来てしまった者の気持ちを、私は本当の意味で理解は出来ないからなんて声をかければいいのかわからなかった。
「ごめん、メグ。俺は、まだ前の世界に未練があるみたいだ。だから、うまくいかないんだと、思う」
そして、リヒトはついに本音を告げた。
……うん、そうだよね。いくら、前の世界での自分が命を落としていたとしても、今ここにいるリヒトは前の世界のリヒトと同じ人物であり、記憶が残っているんだもん。
日本で過ごした時間よりここでの時間の方が長いとしても、家族の絆はそう簡単に断ち切ることなんて出来ないよね。家族を大事に思っていたのなら余計に。それは、とてもよく理解できる。
私に出来ることはないかな? 何か、リヒトのためにしてあげられること。
胸に手を当てて考えてみる。そこで、ふと一つの考えが降ってきた。これならリヒトも、そしてうまくいけばリヒトの家族の心の重石を少しは軽くすることが出来るかもしれない。
「……渡ろう」
「は?」
私は、寝転がっているリヒトに覆いかぶさるように床ドンした。言葉だけを聞くとなんともハレンチな展開だけど、子どもが大人を組み敷いているので情けない絵面である。
そんな私の突然の行動とセリフに、リヒトは目を丸くしている。
「夢を渡ろう、リヒト。一緒に。リヒトのご両親の夢に入ろうよ」
「そ、そんなこと出来るのかよ……。だ、だって、世界も渡ることになるんだぞ!?」
きっと、出来る。そんな気がしたのだ。私のこの特殊体質を使えば、夢伝いではあるけどリヒトを家族に会わせてあげられるって、そんな確信があった。
意味を理解したリヒトは目を白黒させながら身体を起こし、私の両肩を掴んで問い返す。その目には心配の色が見て取れた。もう、優しいなぁ。
「……リヒトと縁のある人なら、出来ると思う。当然、夢の中でしか会えないから、ご両親はリヒトに会っても夢だと思うかもしれないけど」
でも、リヒトの言葉は伝えられる。それがたとえ夢でも、目覚めた後のご両親の心には何かが残るはず。それが悪影響にならない、とは言い切れないけど……。でも、リヒトはご両親を大事に思っているのがわかるから、きっとおかしなことにはならないって、信じたいんだ。
「それに! 今の私なら、ものすごーく魔力があるからね。だから、夢の中だけど世界も越えられる。魂を分け合って魔力が等分になったら、それが出来るかはわからないもん。やるなら、今だよ!」
すでに私は乗り気である。リスクのことばかり考えていたら、きっとこの状態から抜け出せないし。
今出来ることを、やれることを精一杯やる。
それが私の座右の銘なんだから。ニッと笑って見せると、リヒトは泣きそうな顔で眉尻を下げた。もー、情けない顔になってるぞ!
「……悪い、メグ。でも、頼む!」
「うん、任せて!」
けど、決意を固めたのか、リヒトは一瞬でその顔つきを変えた。さすがは切り替えの早い男。それでこそリヒトだよ。私たちはその場で両手を取り合ってふふっと笑った。
「じゃあリヒト。渡りたい夢の相手を強く思い浮かべてくれる? お父さんかお母さんかな? どちらでもいいけどまずは一人だけ」
「わかった。まぁ……母さん、かな」
考えなくてもどうすればいいのかがわかる、さっきみたいな現象が再び起きた。こんなに簡単にわかるのに、魂の分け方だけがわからないなんて、意地悪な仕様だよね。まぁいい。まずは目の前の課題をクリアすることを考えなきゃね。
目を閉じて真剣に思い浮かべ始めたリヒトを見て、私も集中する。うーん。世界が違うのだから、時間軸がまったく同じってわけにもいかないかな。そうなると、リヒトのお母さんが眠っていて、かつ夢を見ているその瞬間に渡らないといけない。
難しそうに聞こえるかもしれないけど、要はリヒトのお母さんの夢を探せばいいだけなので、結構簡単である。ものすごく魔力を消費はするけど。
さて、集中だ。リヒトの手を通じてイメージを受け取る。魂同士だからかな? すぐにイメージをキャッチすることが出来た。黒い髪を後ろで一つに結った、優しそうな人。笑顔も穏やかなんだろうなって思うんだけど……その表情は悲しみに染まっている。
『理人! 理人!! どこなの!? 理人ぉぉぉ!!』
次第に、泣き叫ぶような声が聞こえてきた。これは、リヒトのお母さんの声かな?
『理人! どこだ! 返事をしろっ!』
そして、男の人の声。もしかして、リヒトのお父さん? 声に交じって風が吹き荒れる音と、ゴゴゴという水の渦巻くような音。
ゆっくりと目を開けると、さっきまでの白い世界とは違って私たちは山の中にいた。強風と大雨、それから川が増水してものすごい勢いで流れている光景が目の前に広がっている。ここが夢の中だってわかってはいるけど、恐怖で身体が竦んだ。
「母さんだ……。それに、父さんも。俺が、いなくなった台風の日、か?」
リヒトも目を開けたようだ。呆然とした様子で周囲を見回し、それから両親の姿に目を止めている。心なしか顔色が悪いな……。トラウマを刺激されていたりしないかな?
「母さんも父さんも、こんな台風の中、俺を探して……?」
よろよろとリヒトが足を踏み出す。その様子がすごく不安定で、私は思わずリヒトの腕にギュッとしがみついた。
恐怖と悲しみ、信じたくないという強い思いが私の中に流れ込んでくる。これは夢の主である、リヒトのお母さんの感情だ。そしてそれはたぶん、リヒトも受け取っている。
「リヒト、大丈夫? しっかりして!」
実際にこの光景を目の当たりにしたことのあるリヒトにとって、この夢はかなり精神的にくるものがあると思った。指先が震えているのがわかる。
……怖いんだ。怖いよね。だっておそらくここは、リヒトが日本で一度死んだ場所なんだから。
「メ、グ……。ふぅ。……ん、大丈夫。ごめんな、助かった」
肩で息をしていたリヒトは、私の声にハッとなって深呼吸を繰り返した。それから泣きそうな顔でごめんと言う。よかった、持ち堪えてくれたみたい。
「私の方こそ、ごめんね。リヒトにとっては、辛い夢だよね……。戻る?」
失念していた。まさかリヒトのお母さんがこんな夢を見ていたなんて思ってもみなかったから。けど、きっと夢に見るほどこの日の出来事は忘れがたく、衝撃的だったんだろう。同じ夢をこの人が何度も見ているのが感覚でわかった。
ちょっと考えればわかることだった。当たり前だよね。大事な息子が行方不明になったんだもん。悪夢にもなる。
そう思ったら、今大きく成長したリヒトの隣にいるのがものすごく心苦しくなった。ご両親は、成長したリヒトに会えなかったというのに、私はこうして会うことが出来ているんだもん。しかも、魂を半分に分け合うだなんて危険なことをさせようとしててさ。そもそも、この世界に呼び寄せた元凶だし……。
あーっ、ダメだ。これはダメ。私がこの感情に飲み込まれたらいけない。夢渡りの術者たる私はここで心を揺さぶられるわけにはいかないんだ。下手したらこの夢から抜け出せなくなっちゃう。落ち着いて、落ち着いて。
「いや、戻らない。けどさ、悪いんだけど……手は繋いでいてくれるか? いい年したおっさんが情けないって思うけど、なんかさ。心強いんだよ」
私が密かに深呼吸を繰り返していると、笑顔のリヒトがそんなことを告げた。顔色はまだ悪いけど、ちゃんと微笑んでる。
む、私より立ち直りが早いな。これは負けていられない。
「ふふっ、リヒトはまだまだ若いよ。20代前半に見えるもん」
「おいおい、そりゃないだろ? 俺、もう30後半なんだけど。まーでも、魔力のせいで成長が遅いんだよな、きっと」
「リヒトは特に童顔なんだよ。それでなくても日本人は若く見えるっていうし」
「うるせ、今に見てろよ? ユージンさんみたいな渋いおっさんになって見返してやるからな」
手を握り合って軽口を叩く。おかげで私もだいぶ落ち着けた。リヒトはすごいな。やっぱりすごい。私は握る手にもう少しだけ力を込めた。
「私はちゃんとここにいるから。だから、安心して声を届けてあげてよ。リヒトのお母さんに」
「……ああ」
リヒトが握り返してくれた。瞳は真っ直ぐな輝きを保っている。うん、これならきっと大丈夫。
どうか、どうかリヒトのお母さんに声が届きますように。
膝から崩れ落ちて泣き叫ぶお母さんに、ゆっくりと近付いていくリヒト。手を引かれている私も一緒にその近くへと向かった。
やがて立ち止まり、リヒトが口を開く。私はただ祈るようにその光景を見つめ続けたのだ。





