魔術陣
暗くて妙に広い部屋中に、リヒトの悲痛な叫び声が響き渡った。あんなに地面を何度も叩くから、両手の拳から血が出てる。やめさせたいのに、なんて声をかけたらいいのかわからない。
「俺のせいだ……全部、俺が悪い……」
あ、この光景……!
「お前らは何も悪くない……! 何とかして、逃げなきゃ……」
こんな時まで、私たちの事も考えてくれるなんて、お人好しすぎるよリヒト。
「リヒト、悪くない。……誰も、悪くない」
思うように言葉が出てこない私に代わって、ロニーが静かに声を出した。だけど、リヒトは首をブンブンと横に振る。
「そんなわけあるかよ! そもそも俺が……っ!」
リヒトは息を詰まらせた。うん……言いたい事がわかったよ。自分があの時、城から逃げ出さなきゃこんな事にならなかったって思ってるんだね。少なくとも、私たちを放っておけば、私たちは助かったんだって、自分を責めているんだ。
「なんで……どうしてこんな事……」
どうして、なんで。あの時こうしていれば、ああしていればって思うことは、生きていればたくさんある。だけど、これはないよね。こんなの、酷いよね……ずっと信じてた人に、裏切られてしまったんだもん。
それでも信じたいっていう思いや、ラビィさんに対する怒りや悲しみが、ごちゃごちゃになっちゃうよね。
そうやって、気持ちを察する事は出来るけど……本当の意味で理解はできない。私がかける言葉に、重みなんかきっとない。リヒトを救えるとも思えない。
『優しい人が突然裏切ったり、悪い人だと思っていた人物が本当は誰よりも色んな事を考える人だったり。人間はそんな複雑な者たちばかりじゃ』
そうだね。レオ爺の言う通りだった。こんな風に実感するなんて。
どうしたらいい? なんて言えば?
そんなくだらない事を考えてしまって、どうしても声が出てこない。
……ううん。ダメだ。しっかりしろ、メグ。私はこの光景を夢で見たでしょう? このまま何もしなかったら、それはただの夢だ。せっかく予知夢としてみたんだから、きっと私に出来ることがあるって事。夢の中の私やロニーは、このまま項垂れてしまうだけで、何もできなかった。
でも、現実の私は違う。行動を、起こすんだ! レオ爺だって、話の終わりにはいつもこう言ってたじゃないか。
『ただ1つ、魔の者と人間に共通点があるとするならそれは──』
……諦めない。私に出来ることをしよう。私も信じるよ、レオ爺。だから、どうか見守っていてね。
私はぐっとお腹に力を入れて、項垂れるリヒトを見据え、深く息を吸った。
「私がいる! 私がいるよ! リヒト!」
突然、大きな声をあげた私にリヒトは驚いたように顔をあげた。ロニーもびっくりしたみたいでこちらを見ている。
「私だけじゃない、ロニーだっている! リヒトはひとりぼっちじゃ、ないよ!」
ぽかん、と口を半開きにしてリヒトは私を見つめていた。アホ面になってるぞー!
「それに、まだわからないでしょ? ラビィさんの本心がどこにあるかなんて」
私の言葉にハッとしたようにリヒトは目を丸くした。そうなのだ。まだラビィさんが、本心を隠している可能性だって残ってるよね? こんな状況だから、わざと嫌われようとあんな事を言ったのかもしれないもん。私は諦めの悪い幼女なのだ。
「もし、もしね? それで、本当にラビィさんの本心が、さっき言ったみたいなものだったら……」
私は繋がれたままの手を頭上で握りしめながら、強気に言い放つ。
「いっぱい怒ってやろうよ! よくも騙したなー? って!」
しばらくして、静かな室内にリヒトが吹き出す声が聞こえた。あ、笑った。
「うん、そうだな……そうだ。悲しんでなんかやらねーし。本心がどうあれ、絶対怒ってやらなきゃ気が済まない!」
ニヤリと笑ったリヒトは、心なしかさっきより顔色が良くなったように見えた。
「僕も、いる。僕も一緒に、怒ってあげる」
隣にいるロニーがリヒトを見て、そして私を見てニコリと笑った。うんうん、心強いよ!
「ああ、ありがと、な。メグも、ロニーも……俺の兄弟みたいなもんだし!」
問題はまだ何も解決していないけど、心は持ち直せたよね? 夢と違って、絶望のまま時を待つなんて事にはならなかったもん。大丈夫。きっとなんとかなる。そのためにはまずこの状況をなんとかしないと!
「ところで……どうしてリヒトだけそんな離れた場所にいるのかな?」
ひとまず、気になっていたけど言えずにいた事を口にしてみた。いやぁ、言える雰囲気じゃなかったしね。
「さぁ……俺にもわかんねぇ」
「……リヒト、足元に何か、描いてない?」
不思議そうに首を傾げるリヒトに、ロニーが真剣な顔で質問した。足元?
「いや……ん? 待って。うっすらと何か描いてあるっぽい。薄暗いからハッキリとはわかんねぇけど……」
「もしかして、円形の模様みたいなものが、描いてない?」
よくわかったな、と答えるリヒトは驚いた顔だ。私はロニーのその言葉にハッとする。円形の模様って言ったら……
「ま、まさか魔術陣!?」
「えっ、これが? そういえば、東の王城に飛ばされた時も似たようなのが足元に出てきたっけ……でも、あん時とは模様が違うみたいだぜ? もっと簡単になった、みたいな図だ」
リヒトは床に這いつくばるような姿勢で魔術陣を観察している。ここからはよく見えないなぁ。見えても魔術陣を見ただけで、どんな効果があるのかまではわかんないけど。あー、もっと勉強しておくんだった! あ、ここからは見えないから意味ないじゃん……とほー。
「その効果はわからないけど、リヒトがそこに繋がれてるって事は、リヒトの魔力を使って、魔術を発動させる気、なんだと思う……」
「電池かよ、俺は」
「電池……?」
いや、なんでもない、とリヒトは言ったけど、私にはわかったよ、その例え! でもそういう事だよね、たぶん。人間の大陸ではとにかく魔力が足りない。魔力さえあれば魔術が発動できてしまうんだから。そして私やロニーはストックだ。リヒトの魔力が切れたら、回復するまで私たちのどちらかが電池の役目をするって事ね? それを繰り返す、のかな。
身動き取れずに、ひたすら魔力を奪われ、なくなっては回復して、また魔力を奪われ続けるっていうの……? そう考えて、背筋が凍った。そ、そんなのいやだ!
でもそうまでして発動したい魔術ってなんだろう。……って、そんな事考えるまでもないか。私たちはてっきり商品として誰かに売られるものかと思ってたけど、そうじゃない。ということは商品は?
「これ……魔大陸から、亜人を転移させる術なんじゃない……? そうすれば、常に商品が、手に入る……」
私の推測に、2人とも息を飲んだ。たぶん、当たってると思ったからだ。そんなの、そんなの許せない! 魔大陸に住む人たちが、知らない間に転移されて、売られるだなんて! それも、私たちの魔力を使って。
「おぉ、賢いじゃねぇか。大正解だぜ? お嬢ちゃん」
ワナワナと震えていると、部屋の奥からそんな声が聞こえてくる。ゴードンさんだ……!





