sideマルティネルシーラ 前編
イェンナは郷を出て行くのも突然だったけれど、戻ってくるのも突然だったわ。私たちにとってはほんの僅かな期間の家出。子どもの反抗期みたいなものね。シェルメルホルン以外はみんなそう思っていたから、誰も何も咎めなかったの。
だから、帰って来たあの子はすぐシェルメルホルンにこっ酷く叱られて、反省部屋で数年過ごすようにと命じられたのよ。私は食事を運ぶために、あの子の元へ行っては少しの間あの子とお喋りをするのが日課になっていたの。
「族長の考えには賛同しかねますわ。人をその辺の石くらいにしか思っていないくせに、人の不幸を見て楽しみたいがために人の世でギルドを作るだなんて。趣味が悪いにも程があるのですっ!」
「そうね、たしかに趣味が悪いわ。それに幼稚。そう、シェルメルホルンはまだ子どもなのよ」
自分よりも遥かに長生きしているというのに? とイェンナは苦虫を噛み潰したような表情でそう言っていたわね。え? ああ、そうよ。あの子が人の世でギルドを設立したのは、人を支配下に置くことで自らの優位を感じるため。幼稚でしょう?
あらあら、まぁそんなに怒った顔をしないでちょうだい? あなた方からすれば迷惑極まりないかもしれないけれど、あの子にとっては真剣な問題で、私たちにとってはただの子どものワガママに見えるの。どんな物事だって、見る者が違えば感じ方も違う、という事よ。
「あの子は絶対に認めようとしないでしょうけれどね、あの子は人に憧れを持っているのよ」
「嘘ですわそんな事! 誰よりも人を忌み嫌っているのに!」
イェンナもまた、子どもだと思ったわ。物事を、自分側の目線からしか見られないのだもの。この子は外へ出て何を学んで来たのかしら? と思ったものよ。けれど、これもきっと人によるのでしょうね。
「あの子は真面目なの。ただ真面目で、族長としてハイエルフの郷を守ろうと必死なの。だから、本当は心の奥底で人に興味を持っているのに、人を害虫だと思う事でその思いを否定しているに過ぎないのだわ」
「そんな事……信じられませんわ。人を簡単に虐殺しますもの。もう、時代は変わるべきですわ。ハイエルフが神にだなんて……そもそも人を見下しているような神になどなりたくありません」
確かに、あの子の心情は他者にはわかりにくいでしょう。あの子自身、それを否定しているのだから余計に。人を虐殺しようだなどと、考えること自体人に執着していると言っているようなものなのに。悲しいことだわ。イェンナリエアルの言うことは一理あったけれど、神を冒涜するような発言はいただけなかった。神が全てそうとは限らないのだから。
「イェンナリエアル、不謹慎ですよ」
「……ごめんなさい」
その点について、彼女はすぐに反省の意を示したの。だけど、その後にとんでもないことを言ったわ。
「でも、私はこう思うのです。神は、きっと複数存在するのですわ。そうでなければ、人の世はもっと混沌としたものになるはずですもの。私たちの祖先は、人に対して愛情を持たない神だったのでしょうね。いくら祖先がそうだったとしても、同じ思想を持つ必要はないと思いますのよ。私は人を愛する神を信仰したいのですわ。祖先ではなく」
ハイエルフとしては驚くべき若さでそこに気付くとは。やはりこの子は優秀な個体だと改めて思ったの。ただ、少しだけ思考が幼いだけで。やはり親子、血筋かしらね?
私の知る真実もまさにそこだったわ。けれど、同じ意見だからと言って、必ずしもそれが正解とは限らないものよ。だから、私はこう答える事にしたわ。
「イェンナリエアル。私は頭ごなしにその意見を反対したりしないわ。自分で考えて自分で導いた、貴女だけの答えなのですもの。素晴らしい事だわ。ただ、今は貴女の周りの小さな世界を守りなさい」
「え……?」
「私はね、貴女と、貴女のその子どもには幸せになってもらいたいと思っているのよ?」
「……知っていたのですか」
イェンナリエアルが帰ってきた理由は、その時の顔つきと、雰囲気で何となく察していたの。
彼女は、外で子を身籠ってきたのだって。もちろん、相手が誰なのか、気にはなったわ。でも彼女の事だから心配はしていなかったし、何よりも。
「子を成せるだなんて、貴女はやはり特別なハイエルフよ」
「……でも、相手はハイエルフではないのですわ」
そりゃあそうでしょう、と私は答えたわ。だって、外にハイエルフがいるとは思えないもの。シェルメルホルンがいるけれど、まず考えられない事だものね?
「いいこと? 貴女が外で子を身籠ったというのは、確かに問題が山積みな事よ? だけどね、まずは貴女の身体に新しい命が芽生えた事を何より喜ぶべきなのよ」
「……っ!!」
きっと不安でいっぱいだったのでしょう。他種族との間に出来た子が生まれた場合の呪いを真っ先に調べて、悲しみと不安でいっぱいだったはず。それを1人で抱え込もうとするなんて、無理に決まっているのよ。
イェンナリエアルは、その日私がその場を立ち去るまでずっと、私の服の裾を握りしめて泣き続けたわ。私は、落ち着くまで彼女の手を握りしめていたの。思い切り、吐き出せばいいと思って。
こうして、私は毎日イェンナリエアルの話を少しずつ聞いていったの。時間はたくさんありましたからね。お相手が現魔王だと聞いた時は流石に驚いたわ。まさかこの歳になって驚くことがあるなんて、貴重な体験をさせてもらったわよ?
月日が経って、イェンナリエアルのお腹が少しずつ目立ってきたわ。幸いな事に、彼女はお腹が目立つ方ではなかったし、彼女は反省部屋に籠もりきりで会う人もいなかったから誰にも気付かれる事はなかったけれど。
それでも、出産する時はとてもヒヤヒヤしたわ。シェルメルホルンは近頃ここにあまり帰ってこないから、あの子がいなくて本当に良かったと、幸運に感謝したものよ。
出産はね、とても厳しいものだったわ。私も出産なんて経験がないし、誰かの出産する様子なんて見たこともなかったから。そりゃあたくさん調べたわ。数1000年前の記録や、子を産んだことのある同胞にそれとなく話を聞いてみたりしてね? 様々な文献を読んでみたり、勉強なんてそれこそ何年ぶりだったかしら。
でも、だからこそよくわかったの。あの子は、いわゆる難産というものだった、って。あの子が苦しみだして、いよいよ生まれるはずなのに、そこから丸2日かかったのよ。イェンナリエアルはずっと苦しんでいたわ。私が防音の結界を張っていたというのに、大声をあげる事もせず、ひたすら涙を流して耐えていた。
頑張って、頑張って、私の赤ちゃんって。繰り返しそう呟いて。
魂がなかったのだもの。自ら生まれてくる、という事がまず難しいのよ。そこに気付いた私は細心の注意を払って魔術を行使し、出産を手伝ったわ。合っているかなんてわからない。だけど、やるしかないと思ったの。だって、そうしないと、イェンナリエアルも、赤ちゃんも、命はないと思ってね?
こっちに向かってきなさい、と魔力で赤ちゃんを誘導して。少しずつ、少しずつ。
そうして、2度目の夜が明ける頃、貴女が生まれたのよ、メグ。イェンナリエアルの最初の言葉はこうだったわ。
「……やっぱり、女の子でしたわね。ありがとう、頑張ってくれて。これから、精一杯生きましょうね。……メグ」
名前は、すでに決まっていたようだったわ。あの時の幸せそうな顔を、私は一生忘れないと思ったの。それほど、出産を終えたイェンナリエアルは美しかったわ。





