もうちょっとばかり続きます
うろたえる俺に、南戸は冷静な口調で言った。
「落ち着いてください。これからネタばらしです」
「ネ、ネタばらしって、ど、どういういうことだ?」
隠しきれない狼狽が、汗と吃りとなって表面に現れた。
訳が分からずに、部屋に入ってきた謎の人物たち――カメラマンやマイクを持った音響と思われるテレビクルーたち――の姿をキョロキョロと見回す。
「ドッキリだったんですよ」
「ドッキリ?」
言葉を訊きかえすことしかできない。
「先生のスランプをどうにかするために、テレビ局の力を借りたんです。僕一人ではなかなか大変だったので……。企画を持ち込んだら面白そうだって事で、割とすんなり承諾してくれました。最初のあの、アイディアを測定する装置の件、あれはまあ、僕の考えた大嘘だったわけなんですが、あれから始まってたんです」
「何がどうなってるんだ? ちゃんと説明してくれ」
「今まですらすら書けてた人がスランプにはまると、どうしても長引いてしまうし、下手をするとそのままやめてしまう可能性が高いんです。だったらもういっそのこと、早々に小説を諦めさせて、社会経験を積ませたうえで、自分には小説しかないと改めてわからせれば、先生の価値観や視点に変化が出て、何かしら新作へのヒントも出るんじゃないかと思って。そこで、あのアイディア測定装置です。あれによって暗示をかけて、僕の脚本通りになるように先生を誘導したんです」
「じゃあ、あの機械も新聞の資料も全部偽物か?」
「ええ、勿論そうです。流石にアイディアの数を測定する装置なんて、まだ作られてませんよ。
で、僕の考えだと、先生は大学からずっと小説家としてやってきたので、社会で働いた経験がないと仰ってましたから、そうすれば小説を書く時にも今まで以上にリアリティも出るようになるとも思いましてね。
それに先生はデビュー作からずっと、特定のジャンルに固執しているように思えましたので。これはいつか限界に達してしまうだろう、とも。だから、これを機に幅広いジャンルが書けるようになれば、と思いまして。そうなるように誘導していたんです。直接指摘すれば、プライドの高い先生の場合は逆効果になりかねませんし、それに自分で打開策を思いついた方が、先生もやる気が起きるはずですから、こうするべきかと」
彼の昔話も、最初から俺へのヒントだったのだ。
彼の方が、俺なんかよりもよっぽど真北星一と言う男を知っている。俺は感嘆の溜息を吐いた。
「……確かに、君の思惑通りになったわけだが、一度は死のうともしてたんだぞ。本気でやってたらどうするつもりだったんだ?」
「あの時は確かにハラハラしました。でも、ちゃんと外で待機してたんですよ。本当にやったらすぐに救出して、全てを明らかにすることになってました」
そうは言っているが、南戸は恐らく俺がそんなことの出来るタマではないことを知っていたのではあるまいか。そんな風にさえ思えた。
あまりに突飛で非常識な方法に怒りが湧いてきたものの、それよりも先に感心していた。事実この計画のお陰もあって、こうしてスランプを脱出し、新作を上げることができたのだ。この点においては、感謝するしかないだろう。
「うーん、俺としては釈然としないけど、お陰で復活できたし、良しとするしかないのかなあ。それに、今はアイディアが次から次から溢れてきて、もう次作の構想も頭の中では出来上がってるくらいなんだ。今からでも次の仕事に移りたいくらいだし、上機嫌だよ」
「本当ですか!? 良かった」
ホッと胸をなでおろして、南戸は続ける。
「実を言うと、こっちも大変だったんですよ? 先生のパソコンに細工をして、ネットの検索結果をこっちが用意していたサイトだけしか見られない様にしたり」
「えっ、ってことは、もしかしてあのサイトの情報って」
「勿論偽物です」
「じゃあ、あそこで探したバイトも……」
「はい、こちらの息のかかったものです。先生が基本情報収集にネットしか使わないから助かりました」
「そんなのありかよ……」
俺はショックで顔を覆った。
「それから、西生さんを死んだことにしたり」
「ちょ、ちょっと待て。西生は死んでないのか?」
「ええ、長野の別荘で、今も元気に新作を書いているところですよ。事情を説明して、協力してもらったんです」
「マジかよ……」
言葉が出ないとはこのことだ。彼が生きているのなら、嬉しいことは間違いないのだが、あれだけ悲しんだ事がバカらしく思えて、複雑な心境だった。
「じゃあ、東田のことも嘘なのか?」
「お察しの通り、真北先生と東田さんが会ったのは僕の差し金です。プライドの高い先生の事ですから、こうすれば書くようになると思いまして。でも、東田さんの名誉のために言っておきますけど、新人賞を取ったというのは本当ですよ」
俺はすっかり一本、いや一本どころか、二本も三本も取られて頭を掻いた。
「全く……君は作家や編集者というより、詐欺師に向いてるよ」
弱々しく、そう毒づくことしかできなかった。
色々あったものの、新作は無事に世に出されることになった。小説家、真北星一の復活作となった『復活の狼煙』は、瞬く間に世間の話題をかっさらっていった。書店からは見る間に平積みされた本が次々と売れていき、売り切れになる店が相次いだ。映像化の話も異例の速さで持ち上がり、編集部でも大騒ぎだった。
「真北星一、完全復活」
どこもかしこもそんな話で持ち切りだった。しかし、その一方でがらりと変わった作風に、どこからかゴーストライターの噂も立ち始めていた。
二代目真北星一か!?
などといった見出しで、ゴシップ雑誌は大した証拠もないのに、センセーショナルに報じて噂に拍車をかけようとしていた。
だが心配には及ばず、噂は例のドッキリ企画の番組がテレビで放送されると、すぐに下火になった。ドキュメンタリー風に編集されたあの映像には、全てが映されていた。あれを見れば、あの話を俺が書いたということは誰が見ても一目瞭然だろう。
あとになって南戸から聞いたのだが、ここまで計算してテレビ局に協力を依頼していたらしい。
全く、編集者にしておくにはもったいない逸材だ。
俺は新作を出してからも、まるで取り憑かれたように小説を書き続けた。これまでの苦痛が嘘のように、アイディアは望まなくてもどんどん溢れ出てきた。
アイディアの数に本当の限界なんてない。自分が勝手に決めていただけだった。今回のことでそれがハッキリとわかった。
今の俺なら何だって出来る。
そう思えた。
かくして、俺はスランプから完全脱出した。
それから数年が経った。今も南戸が俺の担当をしている。あれだけのことをされたので、全幅の信頼とまではいかないが、実績は確かなものだ。ある程度の信頼はしている。事実小説の売れ行きはどれも好調で、俺はすっかり元の調子を取り戻していた。
もうこれで問題は何もない。全てが順調に進んでいる。
はずだった。
長編と短編と合わせて、復活してから三十作近い小説を世に出した頃、俺はまたもスランプに襲われ、書けなくなったのだ。しかし、以前のように深刻には考えていなかった。なにせ、アイディアの数に限界はないのだから。
だからこそ、楽な気持ちでいられたし、南戸の方もわかってくれていた。
今日はその彼と、仕事の打ち合わせがあった。書けなくてもやることは沢山ある。講演会にトークショー、コメンテーターとしてのテレビ出演。そのスケジュールについて、話し合うことになっていた。
久々に家にやってきた南戸は、その変貌ぶりに驚いて口をあんぐりと開けたまま、玄関に突っ立ていた。
「いやあ、驚きました。リフォームしたんですか?」
「まあね、金が入ったことだし、使いやすいように変えてみたんだ。パソコンも買い換えて、新しくテレビも買ったんだ。もう君に騙されないようにね」
「まだ根に持ってたんですか。参ったな」
南戸は苦笑して頭を掻いた。
打ち合わせはスムーズに進んで、予定よりも早く終わったらしく、南戸は少しばかりここでのんびりしていくつもりだと言った。淹れてやったコーヒーを飲み終えると、手持ち無沙汰な彼は、真新しい大きなテレビを見て、
「こうして折角テレビも買ったんだし、見てみたらどうです? 先生の次回作の話で持ち切りだと思いますよ」
南戸はテレビのスイッチを入れた。丁度午後のワイドショーの時間帯で、アナウンサーがニュースを読み上げていた。
『アメリカの脳神経科学の権威であるリチャード・カーソン教授が、人間の創造力を測定する装置を発明し、大きな話題となっています。カーソン教授は、人間が創造力を発揮するのは、クラジオニンと呼ばれる脳内物質のお陰であり、一人の人間の生み出すクラジオニンには限界量があるという研究の過程で、この装置の開発に成功しました。この装置は脳内で、そのクラジオニンの分泌量や脳波などを測定することで、一人の人間が一生のうちに生み出すアイディアの数を測定することができるというものです』
似たような文句を前に見かけたな。再びやってきた俺のスランプを救いたいがために、今度はテレビ放送まで使うのか。しかし、二度同じ手は食わないぞ。
俺は南戸に笑いかけた。
「おいおい、これはちょっとやり過ぎじゃないか?」
「え? いや、違いますよ。僕は関係ありませんよ」
南戸は必死に頭を振る。
「なかなかどうして演技がうまいな、君は」
「本当に知りませんよ。第一、こんな策を二回も同じ人にやったって、効果ありませんからね」
そう言う南戸の顔は、本当に驚き、困惑しているように見えた。彼の言うことももっともだ。事実俺はこうして、もう彼のことを疑っている。と言うことは、恐らくこのニュースは本物なのだ。
もしかして、今度のスランプは本当に……。
いつもの俺だったら、ただの考え過ぎだろうと一人納得して、そのまま放っておいただろう。
だが今日は何だか妙な胸騒ぎがした。
丁度、居間の時計が午後四時の鐘を鳴らした。




