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創造力の限界

『人間の脳 約五〇%解明!』

 アメリカはカリフォルニア州・オークランド市にあるカリフォルニア大学の脳神経科学の権威、ダレル・モリソン教授が、今月十二日、人間の脳のメカニズムを約五〇%解明したことを明らかにした。

 モリソン教授は、「脳科学は現在、急速に発達している分野であり、脳のメカニズムを明らかにすることによって、これから様々な現象や病気の原因の解明にも役立つようになるであろう。二〇五〇年までには人間の脳を完全に解明することも不可能なことではない」と自信を持って述べていた。

 モリソン教授はまた、この研究過程でトリオキシロセラトニンという新たな脳内物質を発見したものの、現段階ではその物質がどのように人体に影響を与えるのかはわかっていないという。

 二〇三〇年五月十四日付、明朝新聞


『創造力の源――トリオキシロセラトニン』

 イギリスの脳科学研究の権威、グレッグ・アッパーフィールド博士の率いる研究チームが、今月三日、人間の創造力を生み出している物質がトリオキシロセラトニンであることを発見した。トリオキシロセラトニン自体は二〇三〇年にアメリカの脳神経科学者である、ダレル・モリソン教授によって既に発見された物質であったが、具体的にどのような働きをするかについてはこれまで解明されてはいなかった。トリオキシロセラトニンは、運動したり、未知の現象を目の当たりにしたりすることで脳内に分泌され、創造力が働くようになる。アッパーフィールド博士はこの発見に対し、「創造力の源が判明した今、誰もが多くのクリエイティブな発想を自在に思いつくようにすることができるようになるだろう」と述べ、トリオキシロセラトニンを用いた研究をこれからも続けていくと決意していた。

 二〇四〇年七月四日付、明朝新聞


『創造力には限界がある』

 イギリスの脳科学研究の権威で、創造力を生み出す脳内物質・トリオキシロセラトニンに関する研究の第一人者であるグレッグ・アッパーフィールド博士が、今月十日、人間の創造力についての新しい研究成果を発表した。その発表は、一人の人間が一生の間で生み出すトリオキシロセラトニンの量には限界がある。即ち、一人の人間の創造力には限界があり、生み出すアイディアには数限りがあるとの内容だった。その限界量には個人差があるものの、一定の値に近似することができ、例えば、作家や画家のようなクリエイティブな職業の人間の場合は一般的な職業の人間と比較すると、早い段階でトリオキシロセラトニンが限界量に達することが判明している。

 アッパーフィールド博士は新たに、人間一人が一生に生み出すアイディアの総数を測定する装置を発明したものの、その顔には翳りがあり、複雑な面持ちであった。

 二〇四一年十一月十一日付、明朝新聞


 俺は担当編集者である南戸孝介(みなとこうすけ)の持ち込んできた資料にざっと目を通すと、それをテーブルの上にばさりと置いた。

真北(まきた)先生はテレビや新聞を御覧になられないそうなので、こちらで資料を作らせていただきました。いかがですか?」

「なるほど、それで、この装置がその、アイディアの残量を測る装置なんだね」

 彼が必死で部屋の中に運び込んだ装置を、俺は指さす。

「ええ、そうです」

 南戸はあまり浮かない表情をしている。

「なんでまたこんなことを?」

 俺は腕を組んで顔を顰めた。

「それは、真北先生にやる気を出してもらおうかと……。ここ最近、スランプでアイディアが全く出てこないと仰っておられたので、この装置でアイディアがどれだけ残されているか分かれば、また安心して小説が書けるようになるかと思いまして……」

 南戸は袖で顔の汗を拭った。

「それで、実際測定してみたわけだ」

「はい」

「それで、俺に残されたアイディアの数だけど」

「はい」

「ゼロなんだな?」

「はい」

「間違いなく?」

「はい」

「本当にゼロ?」

「はい」

 親に叱られている子供のように、正座した南戸は俯きながら同じ言葉を繰り返す。そわそわして落ち着きがない。居心地が悪そうだ。執拗に手の汗を拭っている。

 しかしそんな彼に構っていられるほど、俺も落ち着いてはいられなかった。何せ、科学的にアイディアの残量がないと証明されてしまったのだ。こうなると、俺の仕事は成り立たなくなる。

 こんな機械で俺の何がわかるというのだ。

 こんな機械に俺のこの先の人生が奪われるなんて、そんな事あっていいわけがない。

 俺は拳をきつく握りしめ、テーブルを力強く叩いた。上に乗っていた茶碗や資料や雑誌が飛び跳ね、南戸はびくりと身を竦めた。

「こんな事はあり得ない。これはただのスランプだ。その証拠に俺はこの通り、新しい小説を書き上げたんだからな」

 俺は書斎の机から、原稿の束を持ってきて乱暴に南戸へ突き出した。

「本当ですか!?」

 南戸は驚きながらも嬉しそうに受け取ると、食い入るようにそれを読み始めた。先に進むにつれて、ページを繰る手の動きがどんどんと速くなっていった。

 しかしそれは、面白いからというわけではないと、彼の顔の変化を見ればすぐにわかる。最初は口元を綻ばせ、嬉々としていたその顔は、次第に険しくなり始め、眉根に皺を寄せて、首を傾げて斜め読みするようになった。

 隠し事が下手な男だ。

「それで、どうだった? 正直に言ってくれ」

 結構な分量だったが、早々に読み終えた南戸に俺は訊いた。

「ええ、スランプなのに、ここまで書いてくれたことは素直に喜ばしいことなのですが、その……」

 俺に遠慮して、言葉を濁す南戸に促す。

「ハッキリ言ってくれ」

「そうですね。正直言うと、どのアイディアも過去作からいいとこ取りしてきた、寄せ集めの小説って感じですね。新作という感じがしない。そうでなくても、どこかで見たことがあるような、ありふれた展開ですし……」

「それで?」

「これだと、流石に本として出せるレベルではないですね」

 読んでいる時の南戸の反応で、大体予想はできていたが、実際に人の口からそう言われると結構こたえるものだ。しかし俺は、南戸の前で自らの弱い姿を晒したくはなかった。

 南戸の手から原稿を奪い取って、丸めてごみ箱に投げ入れた。

「その小説はもういい。だが、俺は書いてみせる。あれがポンコツの使えないクソマシーンだってこと、証明してやるからな」

 そうやって啖呵を切り、部屋の隅に置かれた大きな創造力測定装置を睨み付け、書斎に引きこもった。

 しかし、湧き出るものは何もない。すっからかんに干からびた脳味噌からは、アイディアが生まれてこなかった。自分の腕を、頭を、叩き壊してしまいたい衝動に駆られたが、出来るはずもなかった。


 俺は、小説家だった。

 大学時代に暇つぶしに書いて、気まぐれに投稿してしまった処女作が当時の編集の目に留まり、異例の大ヒットとなった。持て囃され、おだてられて書いた次の作品もまたヒット。それを繰り返している内に、少なくとも国内では、真北星一(せいいち)と言えば知らない者はいないであろうベストセラー作家となったのである。そんな生活が、もう十数年続いていた。

 しかしそれが、今やこんなにも無様な生活を送っている。何の生産性もない、ただ同じ事を繰り返す毎日。

 書いては消し、書いては消し。一向に前には進まない。

 それでもどうにか書き上げた小説は、編集にぼろくそに言われるレベルのあまりにもお粗末なものだ。

 スランプは突然のことだった。

 いつのことだったかは覚えていないが、パッタリと書けなくなったのだ。それまでアイディアで煮詰まることなんて殆どなかったのに、本当に一切書けなくなった。

 考えても考えても、興味をそそらせるような設定も展開も思いつけない。頑張って捻り出そうとするが、そうするとありふれたものばかりしか出てこない。

 自らの進む道だと信じて昇ってきた階段の先は、真っ暗な無の空間だったのだ。


 鍵をかけた机の引き出しから取り出したタバコを、床に転がって吹かした。

 最初に小説を書き始めてからこれまで、ずっと我慢していた一本だ。もういいだろう。

 天井を見上げ、煙を吐き出すと、少しは気持ちが冷静になってきた。しかし、やはりアイディアが思いつくことはなかった。

 煙草を揉み消して、大の字で寝転がっていると、次第にうつらうつらし始め、ぼんやりと霧のかかった脳内では、ふと、作家仲間の西生新一(にしおいしんいち)のことを思い出した。

 出版社で処女作の打ち合わせをしている時に、偶然出会ったのがきっかけで仲良くなり、最近では同じ仕事をしている者同士、飲みに行っては互いに愚痴を零しあう仲だった。

 俺がスランプになった時も、その悩みや愚痴を不満も言わずに聞いてくれた。

「アイディアに限りがあるなんてないと思うんだよ、俺は。だからさ、気長に待てばいいんだよ。そうすればあっちから降ってくるようになるよ」

 ひとしきり聞いた後、彼はそう言って、俺を慰めてくれた。

 そう言えばあいつとも、最近全然会ってないよなあ。

 思い立ったが吉日。襲いくる眠気を振り払い、俺は携帯を手に取って西生に電話をかけた。が、スピーカーから流れてきたのは、無感情なはきはきとした女性の音声。

「この電話番号は、現在使われておりません」

 いつもの俺だったら、携帯を変えたのだろうと一人納得して、そのまま放っておいただろう。

 だが今日は何だか妙な胸騒ぎがした。

 丁度、居間の時計が午後四時の鐘を鳴らした。

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