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喧嘩も華の一つ(3)

「くそ、重い……起きてくださいよ大垣さーん!」


「駄目だな、こりゃ……はーぁ」


 少しばかり時間は遡る。

 大垣が取り巻き五人を連れて、皆で叩きのめされてから直ぐの事。

 腹に一撃喰らっただけの面々は、痛みが引けば直ぐに立ち上がったのだが、大垣だけは引っ繰り返ったままだった。

 半端に体格が良い為、これを運ぶのには一苦労と見えて、取り巻きの内の二人が肩を貸しても、歩みは遅々としたものである。


「……大垣さん、駄目じゃね?」


「だよな、うん」


 そして彼等は既に、彼に見切りを付け始めていた。

 こういう事をするからには、弱みを見せた時点で負けなのである。

 下級生に為す術も無く叩き伏せられたとなれば、もう不良などやっていられない。


「けどなぁ……」


 とは言え、ヒエラルキーというのは、これはこれで複雑だ。

 閉伊宮高校には、600人以上の学生が在籍している。この内、不良と呼ばれる生徒は案外多く、5%程――つまり三十人前後は居る訳だ。

 部活にも出ず、校舎の一画でたむろするような連中の、今のトップが、ここで引きずられている大垣である。

 トップが居れば下も生まれるし、忠臣気取りも生まれてくる。大垣が大した奴で無かったと判明しても、周りがヒエラルキーを保とうと努力してしまうのである。

 つまり、ここの取り巻き五名――いわば側近が離反しようとするなら、残り二十人以上に裏切り者と謗られる覚悟が必要な訳だ。


「どーすんべなぁ」


「どーすっかなぁ」


 暗澹とした気分で、彼等は溜まり場まで、大垣を引きずって行く。

 彼等不良生徒の溜まり場は、よりによって校舎四階の一番端に有る――尚、使われていない旧会議室である。

 そこそこの広さも有り、人があまり来ないという事も有って、だらだらと時間を潰すには良い場所だ。

 戸を開けて、五人組は中へ入って行こうとして、


「……!?」


 まるで理解出来ないものを見て、五人ともが硬直した。

 不良というからには、集会場に律儀に集まるかと言うと、そもそも登校してこない者も居る。

 だから、三十人の内、実際に集まるのは半分程度で、その内の六人は今まで外に出ていた。つまり、十人前後が其処に居る筈だが――


「おっ、おい!?」


 全員が、床に倒れていた。

 仰向けだったり俯せだったり、大の字だったり体を丸めていたり、様々な倒れ方が有るが、立っている者は居ない。

 何人かは呻いているが、残りは気絶しているようで、呼吸以外の動きが無い。


「どうしたんだ、おい――、……あぁ?」


 取り巻き五人組のうち、一人が手近に倒れている不良を助け起こそうとして、考え直したかのように足を止めた。

 会議室の中央には、何処から拾って来たか、やけに質の良いソファが有る。

 手先の器用な奴が内側の骨組みを直したり、表面のカバーを張り替えたりして、十分に快適に修理したものだが――それに腰掛けている男子学生が居た。

 彼の第一印象は――細長い、という事である。

 特に脚がやたらと長い。肘掛に足を乗せ、両脚を組んでの格好は、見事なまでに傲慢であるし――キザでもある。

 何せ彼は、二人がけのソファに一人で寝そべりながら、悠々と読書を楽しんでいたのだ。

 時折、親指と薬指を使って眼鏡のフレームを押し上げる動作まで、無用な程にしっくりくる、物憂げな顔立ち。

 それは或る種、絵として成立している姿であった。


「何だこらてめえこらあぁっ!?」

 

 取り巻き組の一人が叫んでも、ソファの上の彼は、さしたる反応も見せない。ただ、悠々と本を閉じて、上体を起こしただけである。

 ヒエラルキーに敏感なのが不良の常。取り巻きはとっさに、彼の襟を見る。

 ローマ数字の1――一年生の学章を、彼は身につけていた。


「……そこの豚が、長だな」


 全く不良には厄日である。先程は二年生にトップを叩き伏せられ、


「今日からは、自分が長だ」


 今また一年生に、今度はトップの座を奪われるのだから。






 翌日の事である。

 この日も総合格闘部は、部員三人に見学一人の、変速四人体制で活動していた。

 昨日は組み技に比重を置いた練習だったが、この日は打撃が主体の練習である。サンドバッグは幾度も幾度も、打撃を受けては跳ね上がっていた。

 その合間の、休憩時間の事。


「お、慶次。お前、また馬鹿をやってないだろうな」


「な、何のことだ……今日は早弁しかしてねえぞ」


 修が、水飲み場で頭を洗う慶次の横で、声を潜めて言った。

 慶次としては、修の言葉が指す馬鹿とは、果たしてどれの事か、身に覚えが有り過ぎる。つっかえながらの言葉には、修も何時ものように頭を抱えた。


「昨日、うちに殴り込んできた大垣っていたろ」


「大垣?」


「三年のデブ」


「ああ、あのデブ」


 そういう奴がいたとは分かっていても、乱入者の名前など覚えていない慶次である。身体的特徴の方が、よほど個人を特定する手掛かりとなるらしい。


「あのデブがどうしたって?」


「部活出る前に聞いたんだが、ちょっと面白い事になってるらしいぞ」


「面白いって、どういう」


 慶次が聞き返すと、修は、組手以外ではまず見せないような、良い笑顔になる。慶次はこの時点で、つまりは暴力沙汰に関係有る事かと勘付いて、同じような笑みを返した。

 この二週間ばかりで慶次は、修の人間性を深く理解していた。試合運びは恐ろしく冷静だが、その実、本性は自分よりよほど熱く、また喧嘩っ早い奴だと。昨日の乱入者も、もし自分や裕也の目が無かったら、どんな技をしかけていたか分かったものではない。

 それがこうまで楽しそうなのだ――さて、どんな話題やら。慶次はぐいと身を乗り出す。


「あのデブの一味、昨日な、全員ボコボコにされたらしいぞ」


「俺たちがやったんじゃねえか」


「馬鹿、それだけじゃない。サボってた連中は抜いて合計十五人だか十六人だか、一年生一人にやられたんだと」


「へぇ……」


 慶次の反応は鈍かったが、実際は、酷く驚いていたし、興奮もしていた。

 多人数を相手に、ルール無用の喧嘩というのは、簡単なものではない。どこからどういう凶器が飛び出すかも分からないし、背後から襲われても誰にも文句が言えない。

 慶次は、体格が体格だからほとんど喧嘩を売られる事は無いのだが、ほんの僅かの喧嘩の経験では、相手が四人以上いると面倒だった。

 それが、相手が端とは言え、十数人。どんな奴なのか、知りたくなった。


「一年で、俺がやってない。お前じゃないかと思ったんだけど、違うよな」


「違う。出来るかも良く分からん」


「そうか」


 修は、短くそう言ってから、堪えきれないというように、声を立てて笑い始めた。こういう笑い方は珍しいと、慶次が怪訝な顔をしていると、


「本当は、お前じゃないのは知ってるんだ。だってな、その犯人が今、校舎を練り歩いてるんだからよ」


「はあ?」


「へーえ?」


 話が見えぬと、慶次が頓狂な声を上げ――それを上書きする、底抜けの明るい声。いつの間にやら裕也も、そこに混ざって話を聞いていた。


「何さしゅーうー、そんな面白い話有るんならさあ、練習の前に教えてくれていーじゃーん」


「剣条先輩、直ぐに面白がるんですから……」


「当然! いいかね真面目な修君、世の中の重大事項とは、いかに物事を楽しむかなのだよ。一期一会、覆水盆に返らず、それを逃しては後悔役立たず!」


「先に立たず」


「大差は無い!」


 修が茶々を入れても、もはや止まるような裕也では無かった。

 道義姿のまま、上履きだけを引っ掛けて、


「さあ、野次馬に行こうでは無いか! 修、案内してー」


「はいはい……って佐渡、なんでお前まで」


「あ、あははー……一応、見学までに」


 合計四人はぞろぞろと、校舎へ向かうのであった。






 閉伊宮高校の校舎は、四階建てである。

 一年教室が一階、二年教室が二階、三年教室が三階。図書室やら視聴覚室やらの特殊設備は四階に、幾つかの例外を除いて纏まっている。

 職員室は三階に有るのだが、メインとして使われる会議室は、その直ぐ近くに一つ有る。だから自然と、四階の旧会議室が使われなくなり、不良の溜まり場となっていた訳である。

 名目上は進学校だが、不良が生まれる程度には緩やかな気風と言おうか、校風と言おうか――伸びやかな学校であった。

 その一階を、慶次達が歩いている。


「しゅうー、しゅうー、しゅーうー、面白いのって何処に居るのさー」


 廊下を歩く間も、裕也は落ち着かない様子で、修の袖を引っ張っていた。一度引く度に修が後ろに反り、つんのめり、歩くのを妨げられる様を、慶次と御幸が後ろから見ている


「子供じゃないんですから落ち着いてください。……四階から部室を回ってましたし、もうそろそろ外へ出てくるんじゃないかと――」


 そもそもこの日、修は、委員会の用事が有った為、少し遅れて部活に参加した。道場へ向かう前は、校舎の四階にいたのである。

 其処で見た光景があんまりにおかしかったから、それを慶次に告げたのだが、それから時間は幾分か過ぎている。

 見た光景が終わっていないと、断言できる理由は何か。慶次は訝っていたのだが、


「――あ」


 修が、廊下の端を指差す。


「ん。……んん?」


 そこに、残りの三人の目が向いて、多少の差はあれど、似たような反応を見せた。

 向こうから歩いて来るのは、大名行列である。

 その規模、二十数人。皆、面構えは悪たれのものだが、妙な緊張が伺える。

 大人数だが通行の妨げにならぬよう、廊下の片端に寄って、二列で歩く彼等は、学ランのボタンを全て閉じているばかりか、詰襟のホックまでを留めている。そして、背をしゃんと伸ばし、きびきびと歩いている――歩かされているのだ。


「なんだありゃあ……!?」


 その先頭を歩くのは、尚更に異常なものだった。

 片方は、慶次たちにも見覚えが有る。昨日叩き出した、三年の大垣である。彼もまた、ボタンやホックを確りと閉じて、模範学生のような恰好をしていたのだが、足りないものがある――靴である。

 大垣は靴を履かず、そればかりか足の裏を床に着けてもいない。手と膝を床に着け、動物のように歩かされていた。

 首には、紙紐を束ねて作ったようなロープが巻き付けられ――逆の一端を、もう一人が掴んでいる。


「れ、玲ちゃん……!? 何してんの!?」


 その顔を見て、御幸が頓狂な声を上げていた。


「御幸、その呼び方は止めろとあれ程……」


 ロープを引いているのは、襟に一年の学章を着けた男子学生だった。

 彼の第一印象は――兎角、細長いという事だろうか。背はかなり高いのだが、骨格がすらりと長く、余分な肉も全く無い、長距離走者の如き体格である。

 御幸の声に驚いたか――と言うよりも、羞恥と苦悶の間で悩むという風に、顔に手を与えて呻く彼。顔に掛けた眼鏡のフレームを、親指と薬指で持ち上げ、調節した。


「お、おいっ! 助けてくれよ、昨日のは謝るから――」


 動物のように引き回されている大垣が、情けない声を上げるが、


「ぶげっ!?」


「豚が喋るな」


 その尻を、玲と呼ばれた男子学生が、思い切り蹴り飛ばした。脚の良くしなる、鋭い炸裂音の蹴りであった。

 総合格闘部の三人が、思わず目を見張るような速度と、音の重さ。しなりは鞭、強度は鋼の、痛みがこちらまで伝わりそうな蹴りである。


「……なんで俺達に助け求めんだよお前」


「お、お前達強いだろ!? 強いだろ、なっ!?」


 動物扱いされて引き回しを受けている大垣は、もはや見栄も外聞も投げ捨てているらしい。それでも立ち上がらない辺り、余程痛めつけられたのであろうが――


「余計な口を叩くな!」


「ふぎいっ!?」


 また、玲が蹴った。一々、良い音のなる鋭い蹴りであった。


「れ、玲ちゃん、もうやめてあげてよ……可哀想だってば……」


「そうはいかん。こいつがしでかした事は重罪だ。十倍にして返させても、自分は飽き足らない」


「だからぁ……そういう事ばっかりするからいけないんだって、いっつも――」


 旧知の仲であるのか、御幸と玲は、まるで日常会話の延線戦上にあるように話す。

 その間も大垣の首のロープは握られたままであるし、御幸は御幸で、それを外してやろうというそぶりも見せない。或る種、こういう事態に変な慣れ方をしてしまって、正しい対応を選べないようになってしまっているのかも知れない。

 30cmの身長差、急角度で話す二人の間に、丁度その中間程の背の裕也が割り込んだ。


「おっと、お取込み中失礼! ねえねえ、今の蹴り凄くない!? 何か格闘技やってるの? 玲くーん?」


「ぉ……なんだ、この人は……」


「俺? 総合格闘部部長、剣条 裕也!」


 急に間合いを詰められて驚いたか、玲はかかんと小気味良い音を鳴らして後退した。

 その足取りも、軽い。兎角鍛えられた身体機能を持つ少年だというのが、何処から見ても分かる。増々裕也は楽しげになった。


「ねえ、総合格闘技って興味なーいー? その蹴りは凄いよー、才能というかなんというか……兎に角凄い! めっちゃ凄い! そんだけ蹴れるんだったら、俺がちょーっと教えたら……」


「……総合格闘、だと」


 目の前ではしゃぐ、玲から見れば子供のような、だが年長者。初め、玲はその勢いに気圧されていたが――


「――危険だ、廃部してもらおう」


「……は?」


「ちょっと、玲ちゃん!」


 また突拍子も無い事を言い出したと、御幸が玲の胸に殴りかかって、黙らせようとした。小さな拳であり、些かのダメージも無いようで、玲はそのまま言葉を続ける。


「一時間程待て。その後、自分は道場へ向かう。そこでお前達を叩き伏せて、廃部を認めさせてやろう」


「……随分といきなりに言ってくれるねー。俺達、何か恨みを買うような事はしたっけ?」


 裕也は、陽性の笑みはそのままだが、少しばかり凄みのある顔にシフトして問う。後ろに立つ慶次と修が、僅かにたじろぐような笑顔である。

 それを受けて、玲は表情をまるで変えぬまま、


「待っていろ。襲名披露を済ませてから行く」


「はーいはーい、全力で待ってるよ。歩いて帰れると思わないでねー」


 裕也に背を向けぬまま数歩下がってから、初めて体の向きを変えた。

 背後から殴りかかられる事を前提に置いての動き方は、格闘技者というよりも寧ろ――


「……喧嘩屋だな、あいつ。修には荷が重いんじゃねえか」


「何を言う、俺の方が強い」


 慶次の評の通りと、裕也が頷いた。にこやかな顔のまま、両手をがっちりと握り込んでいるのは、怒りか、猛りか、慶次にも修にも判断する術が無い。


「あああ……待ってよ、玲ちゃん! こらー!」


 そしてたった一人、自分で暴れる性質でない御幸が、去った大名行列を追って走って行く。

 いきなりの宣戦布告を仲裁しようというのか、ばたばたと走ってあっという間に追い付き、何事かまた会話を始めている。

 然し、それを眺めるのは、裕也達の目的では無い。


「剣条先輩、ああ言ってましたがどうします」


「うん、挑戦は受けないとないからね! 全員でアップをして、柔軟でもしながら待とう! ……あと、担架も用意しとかないと」


「運んでやるんですか?」


「自分の足で帰って貰ったら困るの、分かるー? 正面から道場破りをされたらね、そういう風にしないといけない! 舐められる! 人が見てないなら尚更! ……あ、観客が居る時は駄目よ。観客を煽って、俺達が勝ったって言いふらして貰えば良いだけだから!」


「……裕也さん、やっぱ性質悪いな……」


 呆れたように慶次が言うも、裕也はやはり高いテンションを保ったまま、廊下を跳ねるように歩いて行く。道場へ戻ろうというのだ。

 善良な人間は常に善良であると、そう錯覚する者も居るが、少なくとも剣条 裕也はそうではない。善良性も、凶暴性も、並行して抱えているのが彼である――そうでなくては慶次や修のような人間を、曲がりなりにも従えてはおけない。

 早く時間が過ぎないかと祈りながら、遠足前の子供より胸を躍らせて、裕也は戻って行く。


「先輩、せんぱーい……!」


 その後から、御幸が追い掛けて来た。

 話が纏まるようには思えない相手で、随分早い戻りだと、三人とも呆れるばかりであるが、


「た、大変です、大変……ふぅ、ふぅ……」


「どうしたの、御幸ちゃん。そんな急いで走って来ちゃってー」


 そこで告げられたのは、衝撃の事実であった。


「玲ちゃんが、停学二日だって……先生があれを見つけて……!」


「はい!?」


 あれ――上級生の首にロープを引っ掛けて、引きずり回していた事であろう。突然の事実に、裕也は思わず、周囲の皆が振り向くような大声で聞き返してしまう。


「……そりゃあ、まあ」


「そうなるでしょうよ、剣条先輩……」


 その後で慶次と修が、顔を見合わせて頷いていた。

 少なくとも道場破りがやってくるのは、二日の停学を挟んで、三日先になるという事であった。

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