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喧嘩も華の一つ(1)

 日差しは変わらず柔らかなままで、また少しだけ暖かくなった。

 早咲きだった桜が散り、風の温度も上がり始めた頃合い。

 時節としては――新入生が入学してから、まだ二週間程という所。難易度の上がった授業に、適応する者としない者が、しっかりと別れ始めた頃合いでもある。

 二年生にもなると、うたた寝をする者が増える。

 三年生は両極端で、進路の為に目を血走らせる者と、焦るのは後回しにしようという者と、二つがいる。

 一年生はやはり殊勝なもので、よほどの豪胆でも無い限り、この時期くらいは真面目に授業を受けようとするのが、普通である。

 然し、やはり普通で無い奴は、何処にでもいるのだ。


「――なので、ここからここまで課題に出すぞ。……課題に出すぞー、おーい」


 国語担当の若い教員が、一年教室の隅の席で、長身を丸めて居眠りする少年を、呆れたような顔で見ていた。

 椅子も机も、同年代に比べて一回り大きいものを使っている筈だが、それでも狭苦しそうな彼は、机の上に纏めた腕を枕にして、すうすうと寝息を立てている。

 あんまりに、安らかな寝顔だ。

 隣の席には眼鏡を掛けた女子が座っているが、彼女も授業中、何度か少年を起こそうとしたのだ。だが、この世全ての幸福を一手に引き受けたような寝顔を見れば、そんな気も失せてしまう。


「……あの、私が伝えておきますから」


「そうか……すまんな、佐渡。それではチャイムまで二分も無い、板書を書き写すように――」


 眼鏡女子が申し出ると、何故か国語担任は礼を言い、教卓の片付けを始める。

 皆がノートに鉛筆を走らせる間も、龍堂 慶次は安らかに居眠りを続けて、


「あの阿呆は……!」


 教室の窓側では高虎 修が、二人分、頭を抱えていた。






「お前はなぁ! いつもいつも、その図体で居眠りばかりして……!」


「図体、関係有るのか?」


「目立つんだよ!」


 そして、放課後である。

 三人前はあろうかという弁当の、残り半分をがっついている慶次の横で、修が机を叩きながら叫んでいた。

 慶次は、当たり前のように修の怒りを聞き流しながら、タッパーに詰まった白米を、水を飲むような勢いで掻き込んで行く。

 これだけ食えばデカくもなるだろう――無論、普通の胃なら、腹に収まり切らず、消化も間に合わないのだろうが。

 大食いを繰り返し、体に無茶を慣れさせ、そうして巨大化した体は、常に大量のエネルギーを必要としているのだ。

 この弁当を持つのが慶次でなかったら、傍目にはどれだけの大食漢かと、畏怖さえされるに違いない。

 然し、195cmの長身の手に有ると、比率だけは似合いなのが、また奇妙であった。

 修の言うように、目立つ。

 多々規格外のこの少年に、興味を持つ者は多い。

 そして、この日――


「良く食べるねぇ……そんなお腹空くの?」


 ――慶次と修の丁度横から、声を掛けて来た少女があった。慶次の隣席に座る、佐渡 御幸である。

 縁のしっかりした眼鏡を掛けていて、それが生む印象に違わず、勉学は全般的に得意らしい。こういうのも何だが、慶次達にはあまり縁のない人種という見た目である。

 団子にした髪も、校則を遵守してか、あまり派手に染めるような事はしていない。僅かにブラウンを入れた程度の、よく言えば慎ましい、悪く言うと地味な少女であった。


「んぉ? ……んぐ、ん。おう、すっげえ腹減る」


「そ、そうなんだ……」


 口に溜めた米を飲み込んでから、慶次は端的に答えて、そしてまた白米を呑み続ける。人間掃除機という様相を呈した慶次を見て、佐渡は気圧されたか、こちらは言葉を飲み込んだ。


「……部活、行かないのか。美術部だろ?」


 授業が終わって、今は学生の花、部活動の時間帯である。修が、机に額を引っ付け、項垂れたような格好で聞いた。


「あれ、よく知ってたね?」


「クラス全員の部活くらい把握してる」


「……なんで?」


「なんとなくだ」


 御幸は、変なの、と言って笑った。

 笑う声など聞けば、見た目より随分と明るげな少女であるが――慶次は少し、笑い方に違和感を覚えた。

 何せとは言えないいが、本当に楽しいと思って笑っているのか分からない、という気がするのだ。


「どうかしたのか、佐渡」


 箸を止めて、慶次は聞いた。気になった事をそのままにしておかないという、せっかちな気質である。


「えっ。な、なんでもないよ……」


 御幸は首と手を同時に振って否定するのだが、あまりポーカーフェイスとは言い難い少女である。四つの目が自分の方向へ向いているとなると、その空気に耐えられなかったのか、


「……実は、美術部昨日辞めちゃって」


「なんで」


 分からないという心中を、修は顔にはっきりと浮かべる。

 高虎修と佐渡御幸は、中学が同じである。学級数も少ないので、三年間、同じ教室で過ごした。中学には美術部というものがなく、彼女は陸上競技部に参加していたが、授業では際立って良い絵を描く少女であった。

 だから美術部など、まさに似合いと思えたのだが、辞めたとはどういうことか――極めて短い言葉で、ほぼ反射的に、修は訊ねていた。


「………」


 御幸は何も言えないで、床に視線を落としている。どう言えば良いのかをそもそも計り兼ねているようであるし、これから続ける言葉を、本当に口にして良いのか迷っているようでもある。両手を体の前で組み合わせている様は、叱責を受けているようですらあった。


「喧嘩でもしたのか?」


「えっ!?」


 タッパーを空にした慶次が、脈絡も無く、そう言った。


「こいつに限って、それは無いだろ……流石に」


「え、ああ、うん? あー、うー……」


 修はそう言うが、その一方、御幸は酷く狼狽している。落ち着かないのは視線ばかりでなく、足までそわそわ動き始めている。


「……なんで、そんな風に?」


「うちの兄貴が喧嘩して帰ってきた時、そんな顔してた」


 それ以上は、慶次は何も言わなかった。空のタッパーをカバンに押し込むと、椅子を机の下に蹴り込みつつ立ち上がり、


「うっし! 修、行くぞ!」


「どれだけ待たせんだ、この馬鹿……」


 195cm89kgと180cm75kgは、体格を感じさせない敏捷さで、競うように教室を飛び出して行く。


「あっ、ちょっと、あっ」


 何かを言いかけた御幸は、その場に取り残される。暫くすると校庭の方から、慶次の無駄に大きな声と、窘めているのだろうが声量の然程変わらない修の声が聞こえてきた。

 教室は、40人の生徒を詰め込むには狭いが、一人で居るには広すぎる。しん、と無音が聞こえてきそうな静寂も、外からの音に掻き乱されて、


「……総合格闘技部、だっけなぁ」


 すこうしばかり、興味を持った。 








 空手に柔道に剣道、それから総合格闘と、閉伊宮高校には格闘技関連の部活が多い――となると、問題になるのが練習スペースである。

 普段は第二体育館を剣道部が使い、第一格技場を空手部と柔道部が使う。そして、第二格技場――正しくは〝旧格技場〟を、総合格闘部が利用している。

 旧格技場は――一言でいうと、狭かった。

 10m四方のマットの他には、ベンチプレス台とサンドバッグがある側面スペースと、更衣室兼物置が二つ。物置の広さは、畳二畳分もあるかどうかという所である。

 梅雨の時期になると、雨漏りさえするという老朽化度合いだが、取り壊すのにも金が掛かるので残していた――という所を、総合格闘部が使うと言い出したのである。

 確かに狭いが、一人で使うには十分過ぎる広さで――そこに二人ばかり増えたとて、さして変わりは無かった。


「正面に向かい、礼!」


「押忍!」


「お願いします!」


 三つ、声が有った。先導する一つの後、全く不揃いの声が二つ、同時に鳴る。

 号令を掛けたのは部長の剣条 裕也。空手式の挨拶をしたのは龍堂 慶次で、高校生らしい爽やかな挨拶をしたのは高虎 修。この三人が、総合格闘部の全メンバーである。

 そして、この三人を、道場の窓から覗いて居る者がいた。


「おー、本当にやってる……当たり前か」


 先程まで一年教室に取り残されていた佐渡 御幸が、体半分を物陰に隠すようにして、練習風景を眺めていたのである。

 小さな道場とは言えど、たった三人での使用となると、傍目には些か物寂しい。

 然し、部活を辞めてしまった御幸は、暇を持て余して居るのである。彼らの練習風景を、見ていれば退屈も紛れるかと、そこで見ていた。


「はい、いーっちにーさーんしー」


「ごーろーっくしーちはーち」


 彼らはマットを広く使って、準備体操を始めていた。体をほぐし体温を高め、体を運動させる為の下準備は、決して欠かしてはならないものである。

 内容は、何処の部活でもやっていそうな伸脚だったり屈伸だったり、腕を大きく回したりであるが――加えて、柔軟体操の比率がかなり多い。

 御幸が時計を見ながら計っていた所、とうとう彼らは、柔軟体操だけに30分近くを費やしていた。

 そこから、基礎的な筋トレに入る。

 道具はベンチプレス台と、バーベルが一セット程度。順番にそれを使いもするが、殆どは腕立て伏せであったりスクワットであったり、自重だけを用いる練習だ。

 此方も、負荷をたんと掛けてを数セットずつ行って、やっと格闘技らしい練習が始まる――防具を着けての組み技練習である。

 慶次と修が向かい合い、互いの襟と袖を掴み合う。それから、修が一歩踏み込んで慶次の脚を払い、慶次は受け身を取って倒れる。そして立ち上がると、攻守を交代してもう一度、同じことを繰り返す。

 その合間合間に、裕也が二人に何か指導をすると、二人は頷いてから、また同じ事を始める。

 ここまででもう、一時間半が過ぎていた。


「うーっし、きゅーけーい! ちょっと休んでからガツガツ行くよー!」


「うーっす! ……うーぉう、汗ヤべぇ」


 掴み合いと足払いの押収に、腰投げが混ざり、背負い投げが混ざり、更に関節技の攻防まで混ざった所で、裕也が休憩の合図を発した。

 その頃には既に、彼らは顎先から雫が滴る程の汗をかいて、肩で息を繰り返していた。

 特に慶次は、体格の分だけ貯水量も大きいのか、袖で拭った端から顔を汗が埋める程で、


「はっはっは、慶次! 顔すごいぞ、洗ってこーい!」


「うっす、裕也さん」


 裸足のままで道場の外へ出て、一直線に水飲み場へ向かう。蛇口を最大に捻り、まずは水流を顔へぶつけてから、続けてぐわっと開いた口を、水流の行き先へと運んだ。

 温い水だ――だが、汗を大量に流した慶次には、何にも勝る甘露。どれだけでも飲み込めそうに思えてしまう水を、コップ二杯分程で止めた。


「っ…………ぶ、はあぁっ!」


 深呼吸すれば、空気まで美味い。

 運動の後はとにかく、水でも空気でもなんでも、どんなご馳走より美味と感じるものだ。

 上半身、空手道着を脱いで上半身を風に晒すと、汗が冷えて心地よい冷たさに変わる。思い切り、慶次は伸びをした。


「ん……っぷ、はっ!」


「おう?」


 慶次は、自分がしたのと同じような息の音を聞いた。思い切り息を溜めて吐き出すと、そういう音になるだろう呼吸音――誰かとおもって見て見れば、そこには佐渡御幸がいた。

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