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桜の季節(4)

「お……うえっ!?」


 初め、慶次は、自分が何をされたのかも、良く分からずに居た。

 マウントポジションの存在は知っているし、格闘技イベントがテレビ放映されれば、マウントの取り合いは多々見られる。

 だが――こんなに、速いのか。慶次は、それを初めて知った。

 あんな鈍重な構えから、人の体が砲弾のように跳んだ。懐へ入ると、砲弾が壁に変化して、膝の一撃をやすやすと受け止めた。そして、重機に変わって、88kgは超えている体をぐいと引き抜き、倒した。

 自在に変幻する機械装置と戦っているような――明文化出来なくとも、そういう感覚が、慶次の喉に纏わり付く。

 息苦しい。

 訳が分からないものに、取り憑かれた気分だ。

 けれど、不快ではない。

 そういう事を思うより先に、どうやって今の技を防げばいいか、考えてしまう。

 快の有無を問う余裕さえ、削ぎ取られて居た。


「始めっ!」


「おう!」


 修が、開始の号令に合わせて吠え、前に出た。

 構えは同じ、ベタ足。然し、拳に力が、ぐうと込められていた。

 ――打ってくる。

 予想の通り、慶次の左腕に、衝撃が二つ走った。

 防御に出した腕を、間髪入れずにぱん、ぱんと叩いた拳。

 重さは然程は無い――然し、速い。加えて、恐ろしく正確だ。

 打ち終わった修は、きっちりと慶次の間合いから10cmだけ交代し――次の瞬間、踏み込みと共に、また拳を二つ飛ばしてくる。

 それが、幾度も繰り返される。

 慶次は防ぎ続けた――防がねば確実に、顔面を捉えるワンツーである。そして、あと2ポイントを取られたら、慶次の負けが決まる。

 ――顔面へのワンツーは技有り扱い、2ポイントだ。不味い。

 ぱ、ぱん。ぱ、ぱん。精密に同じリズムで、拳が飛んでくる。

 然し、そのリズムに割り込んでカウンターを狙えば――

 だん。


「おわっ!?」


 修は、ただ一歩、足を踏み鳴らしただけだ。

 然し、ポイントを奪われてはならないと焦る余り、慶次は思わず後退した――タックルに備えてだ。

 その後退を、修は完全に読み切った。


「さあぁあああーいぃっ!」


「うわ、った!」


 これまた、教本の写真に見られそうな、見事なフォームの飛び込み上段。

 もはや慶次はなりふり構わず、尻からマットに座り、そのまま後方へ回転して逃れた。


「赤、消極的、注意! 継続!」


 注意勧告――同点で判定になった場合、勝ちの目は薄くなった。

 ――然し、これでも止めないのか。慶次は内心、仰天していた。

           ――思考に割り込む、逆構えへシフトしての飛び込み上段。びっくりさせやがって。

 中学でやらされた、グローブ空手は違う。倒れれば起こされ、当たれば倒され、その度に仕切り直しだ。こちらは、注意勧告程度であれば、試合を止めずに行ってしまう。

 羨ましいな――おかしな事を、思った。

 合わせて、ずるいなとも思う。

           ――左、右、左、拳の乱打。両手を使って捌く。

 忙しいが、退屈をしないルールだ。

 考える事もやる事も、途方も無く、多い。

           ――突然のタックル。組むのは不味い、全力で後退する。

 けれど、考えるのは――嫌ではなかった。

           ――追いつかれた、まただ。

 あいつの攻撃をどうして避けようとか、どうしてやり返そうとか、体を動かしながら考えていると、目の前のあいつが、「その想定じゃ足りないぞ」と言いに来るのだ。

 こんな楽しいルールを、こいつは昔から知っているのか――ずるい。

           ――打点の高い回し蹴り。両腕で受けても、痺れるような重さ。やはり、打撃も良い。

           ――床に戻った筈の右脚が、再び舞い上がって顔面狙いの前蹴り。左手で落とす。

           ――降りた足を踏み込みに変えての、

 そうだ、ずるい。

           ――胴タックル。左右にも後ろにも、もう避けられない。

 お前一人、やりたい放題やるんじゃなく、

           ――今!


「おおおおっ、せええええいぃぃっ!!」


 ――俺にも、使わせてくれ!


 獲物に飛びかかる猫のように伸びた、修の胴体目掛け、慶次は右脚を振り抜いた。

 日本人――東洋人離れした体格、長い脚が、急角度に折り畳まれて割り込む。

 密着戦において、蹴りは、普通ならば用いない。

 然し、余程柔軟性に長ける者ならば、拳の間合いより近くから、対戦相手の顎を蹴り上げる事もある。

 今、慶次が用いた蹴りは、そういう類の技では有ったが――少し、違う。

 途中までの起動は、大外から膝を回し込む、まっとうな回し蹴り。然し、膝を開くタイミングが、極度に遅かったのだ。

 結果、膝が修の正面を通り過ぎ、慶次の体の中心軸から左へ抜けた時、初めて膝下が展開され、爪先がほぼ正面から、修のみぞおちへ突き刺さった。


「止めっ! 赤、中段蹴り、技有り!」


 6-7。


「しゃあぁっ!」


 慶次は、雄叫びを上げていた。

 ――見たか、修。お前だけじゃ無いぞ。

 お前の組み技――柔術系だろうが、確かに驚かされた。空手だって、県代表レベルの力は、十分に有る。

 けれど空手なら、俺だって、これだけやっているんだ。

 お前がグラウンドで誰かと組み合っている間も、サンドバッグを蹴り、柱を蹴り、人を蹴り、それで作ったのが、この脚だ。 


「うっひょお~、かあっこ良い! あんたイイねえ、華が有るよ今の! 懐からスペツナズ・ナイフでも出てきたみたいな……はっ!?」


 審判で有る筈の裕也は、今の蹴りが余程気に入ったと見えて、虚空に向けて、そのフォームを真似ている。形ばかりの再現は出来るが、展開タイミングも速度も、やはり、慶次が見せたものには及ばない。


「……〝スペツナズ・ニードル〟なんてどうだろう……!」


「おい、ダっせえ名前付けんな……〝展兼〟って名前があんだよ、尚武流の……」


 ――すうぅ、ぅ。

 子供より尚もはしゃぎ回る裕也へ、一応ばかりの静止をかけた後――慶次は、息を吸った。

 目一杯というところから、無理矢理、少し吸い足して――膨らませた胸郭の内側で、暫し息を留めた。

 そして、吐く。

 たっぷり五秒程掛けて、息を吐き出す。

 その間、修も深呼吸を繰り返して、呼吸を整えていた。


「うんうん、いいな本当に、くっそ羨ましいなあんた達! 始めっ!」


 再び間合いを詰める二人。

 しかし、何れも、飛び込みはしなかった。

 互いに、初撃を捌いてカウンターを打つ技量は有ると分かっている。慎重になろうとも言うものだ。

 だが――〝馬鹿〟は、いるものである。

 慶次は両拳を腰の高さに構え、脚もかるく開いただけの、ほぼ棒立ちになって――ぐわっ、と笑った。

 目玉をひんむき、唇がめくれ上がり、噛み締めた歯が見えるような笑い方で棒立ちになった。

 初め、修は、困惑の色を浮かべた。

 対戦相手がおかしくなったかと、打ち所の心配をする程に。

 それが――〝伝わった〟瞬間に、笑い方まで伝染した。


「おおおおぉっ!」


 ぶっ壊れた笑みのまま、修は飛び込み上段を放ち、全く同じ笑みを浮かべた慶次は、無防備にそれを受けた。


「止めっ!」


 二人は、開始線の内側まで後退する。それでも、笑みは消えなかった。

 良しが掛かれば直ぐにでも飛び出してやろうという気持ちが、汗になって、後から後から吹き出しているようだ。

 楽しすぎて、じっとしていられない。

 手足をやたらと動かして、体温が少しでも下がるのを妨げながら、開始の合図を待つ。


「青、上段突き、有効! ……7-7だよ、あんた達!」


 審判役の裕也も、上ずった声だ。

 〝こういう事〟が好きで好きで仕方が無いという、高揚が声に滲み出す。

 無論、裕也は、二人の今の攻防の意味を知っている。

 高校総合格闘は8ポイント先取制。慶次が修にポイントを一つ〝返し〟て、今は双方とも7ポイント――後1ポイントで試合が終わる。

 そう、返したのだ。

 合図前の奇襲で奪ったポイントを返して、これで本当の意味で互角。

 その上で、判定となれば、これは修が勝つだろう。消極的行動による注意を、慶次は受けている。

 当然だが、これで平等だと、試合の当事者二人は思っていた。

 互いに奪い合った6ポイントも、受けた注意も、全ては身一つで作った結果。

 ――判定なら、あいつの勝ちだ。

 ――判定なら、俺の勝ちだ。

 そんな事は分かっている。

 分かっているし、判定に持ち込めば勝てるだとか負けるだとか、そういう懸念や打算は不要で、無意味な事であるとも分かっている。


「やるか、修」


「やろうぜ、慶次」


 二人は、万年の知己同士であるように呼び合い、身構えた。

 一方は腰を落とし、曲げた左膝に力を溜めて。

 一方はベタ足のまま、拳では無く、開手を顎の前に置いて。


「残り時間、一分。始めっ!」


 二人は、遊びに出掛ける。

 友人が楽しそうに笑って、待っている。

 挨拶の代わりに、慶次は右拳を顔目掛けて打ち出した。

 左掌で受けて、修が踏み込んで来る。

 間合いの奪い合いが始まった。

 腕の内側へ入らせるまいと、矢継ぎ早に繰り出される慶次の拳。

 腕を傘に使って、修は拳の雨を防ぎ、進む。

 オープンフィンガーの拳サポーターは、打撃で皮膚や肉が裂けるのを防ぐが、衝撃を完全に殺す事は出来ない。修の両腕に、熱のとような痛みが蓄積する。

 修の右膝が上がる。腰の高さまで跳ね上がってから、膝下がしなり、慶次の左大腿目掛け落ちる。

 ローキック――近代空手の打ち方だ。脛で受ける。

 上げた脚を抱えに、修が行く。

 カウンター気味に、逆膝が側面から、修の頭を狙う。

 両腕で受け止め、押し返す。

 ――いい蹴り打つじゃねえか、修。

 ――避けるな、このやろう。

 何も言わないが、思いは通じて、喜び合う。

 膝を持ち上げれば、相手の太腿に当たる距離で、慶次は修の腹へ、ショートレンジの拳を振るった。

 フルコンタクト空手でまま見られる、密着してひたすら腹筋を打つ、我慢比べ。

 修がそれを嫌がり、慶次の右手首を掴み、跳ねた。

 高く上がった右脚が、慶次の首に絡み付く。左脚が、慶次の右肩を越えて、自分の右足首を引っ掛けようとする。


「うおっ!?」


 三角絞め――決まれば、意識を絶たれる。とんでも無いタイミングと角度から割り込んできた。首を引き、空いた左手で修を突き飛ばして、慶次は難を逃れる。

 ――無茶をしやがる!

 ――俺も、中々やるだろ?

 僅かに離れて向かい合った二人は、もう、構えが変わっていた。

 踵を浮かせ、小刻みにステップを踏み、両拳を顎下、肘で腹を守る――完全に、殴りに行く構えの、慶次。

 腰を落とし、頭を低くし、開いた両手を前方に伸ばす――組みに行く事だけを考えている、修。


「三十秒前!」


 裕也の声が、聞こえているのか、いないのか。兎角、二人はまた、互いに引き合って、ぶつかる。

 慶次の右拳。

 肘で防ぎ、下段蹴り。

 脛で防ぎ、左拳。

 首を振っていなし、伸びた肘を掴む。

 ――次は、何をしてくれる?

 左肘を左手で引き、その腕の下を潜りながら、修は慶次の背後を狙う。

 横を抜けて行こうとする修へ、慶次が左下段蹴り。突き刺さった。

 痛みだとか、そういうものでは無い。短時間だが機能を阻害する毒針が、下段蹴り――ローキックである。

 追う脚が緩んだ修を置き去りにして、慶次は一度、大きく後方へ逃れた。

 深呼吸を一度――酸素が美味い。

 もう一度、もう一度と繰り返したくはなるが、三回目までやった所で、


「二十秒前!」


 なんだ、まだ時間が有る。

 修は安堵した。

 認める、打撃では勝てない。リーチも速度も、威力もまるで違う。

 だが、食い下がる事は出来る。頭が冷えていれば、負けているにせよ、圧倒的に叩き伏せられる事は無い。

 今もまた、左右の拳が頭を狙ってくる。

 腹には、中々打てないだろう――身長差と、自分の構えの低さで、それは分かる。だから、頭を集中して守りながら、距離を詰める。

 肘で防ぎ、前腕で防ぎ――そろそろ左腕に痣が出来そうだ。

 石をタオルで包んで投げつけられたら、こういう衝撃になるんじゃあないか。

 乱打の中に割り込んで、膝を手で刈りに行く。すると、向こうも必死で逃げる。

 組み打ちなら、自分がずっとずっと上だ。二秒動きを止めたら、投げてやる。

 けれどその二秒という時間は、恐ろしく長いんじゃあ無いかと思えてきた。

 一秒の間に、俺達はどれだけ動いているのか。

 本当に動く以上に、俺達は動いている。

 目でフェイントを掛け、肩でフェイントを掛け、それを先読みしたり、後追いで防いだり、手も足も頭も全部、一瞬一瞬、全部動かしている。

 つまり、全部で、全部と戦っている。

 嗚呼、こんな分かり易い尺度が、他に有るか。

 だから、空手も柔道も半端な内から、総合格闘に魅入られたのだ。

 飛んでくる石のような拳を、掴んで、打ち払って、胴体へ近付く。

 逃げても、追う。

 そうしながら、考えた。

 俺があいつなら、どうするだろう。

 構えの高さの違いで、胸より下は狙い難い。蹴りで腹を打つのは出来るが、そんな事をしてくれたら、俺はその足を掴んで極めてやる。

 そういう練習は、幾らでもやってきた。

 手が出ないから、防御に徹している訳では無い。力と速度を、燃やす時に備えて残しているのだ。

 技とは、システムである。

 必要な要素を備えて待ち、状況が許す時、発動する。

 鍛錬で身につけた技術は、急場でも自分を裏切らない。

 必ず掴んで――投げるか、極めるか、絞めてやる。

 じゃあ、狙いは何に絞るか。

 修は、自分がどんな技を防いできたか、思い返した。

 拳は、もう百以上も防いだ気がする。ミドルキックも、エルボーもニーも、兎角様々な打撃を、喰らったり受け止めたりしてきた。

 俺なら、俺がまだ見ていない技を出す。

 アッパー――空手家が好まない技だ。

 組み技――それで来るなら、俺の勝ち。

 ローキック――少し怖いが、受け方は知っているし、ポイントにもならない。

 となると、あれだな。

 防御を少し低くしながら、修は考える。

 ――ハイキック。

 リーチ、破壊力共に、あの長身から打てば、恐ろしいものがあるだろう。俺の両腕でも、抑え切れるとは思えない。

 だが――潜り抜ける事なら、出来る。

 脚が頭上を抜けて、床に降りて、体勢を立て直す前に、組み付く事は出来る。

 そうだ、それを待とう。

 それにしても――余計な事を考えるなと言われたが、俺はあれこれ考えているな。今も腕の隙間を狙って、あいつの右拳がすっ飛んできたっていうのに。

 いいや、これは余計じゃない。

 打撃で張り合ってやろうとか、綺麗に決めてやろうとか、そういうのが余計な考えであって、こういう算段はやって当然の事なのだ。

 ダッキング――頭を深く沈めて拳を避けながら、


「十秒前!」


 修は、それを聞く。

 なんだ、まだまだ時間は有るじゃないか。

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