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桜の季節(3)

 〝高校総合格闘〟――これは飽く迄、スポーツである。

 スポーツである以上、学生の成長に悪影響を及ぼしてはならないし、ましてや死亡事故など有ってはならない。そういう前提の元、ルールは作られている。

 胴当て、脛当て、ファウルカップ、フルコンタクト用のセーフガード、オープンフィンガーグローブまでが、着用を義務付けられている。マウスピースは当人の好み次第だが、用いる者が多い。

 その上で――服装に、それ以上の指定は無い。

 ボクシングスタイルでも、柔道着を着ていても、空手道着でも構わない。衣服それ自体が凶器とならない形状であり、着用義務として定められた以外の防具を仕込んでいなければ、極論、学生服でも許される。

 ――そして根幹だが、ポイント制である。

 打撃、投げ技、絞め技、関節技、あらゆる方法でポイントが取れ、公式ルールでは8ポイント先取制である。

 例えば拳だと、友好打は腰から上、全て。体正面への単発打は有効として、1ポイント。立て続けに顔面へ二打が入った場合は2ポイントで、背面への打撃は3ポイント。腰から下への拳打は反則である。

 付け加えるに、有効打と見なされるのは、拳が最大の威力を持つ一点――即ち、完全に伸び切る、僅かに手前で当てた時だ。至近距離から腹部へ乱打したとしても、ポイントにはならない――が、反則にもならない。

 蹴りであれば、やはり有効打は腰から上。腹部への前蹴りは1ポイント、胴体への回し蹴りは2ポイント、頭部への蹴りは3ポイント。ちなみに蹴りは、腰から下への打撃を反則に取らない。

 肘は拳に、膝は蹴りに準ずる。加えて、指先での打撃も、拳に準ずるものとして、これを許可される。

 投げは柔道と同じで、綺麗に落とせば一本。これを3ポイントとし、技有りは2ポイント、有効で1ポイント。

 そして、ここからが面白いのだが――絞めと、関節の扱いである。

 絞めが完全に入り、落ちたとしても、一本で3ポイントに留まる。が――20秒以内に立ち上がって構えられない場合は負けとなる。

 関節技が完全に決まり、タップをしたとしても、やはり一本の3ポイント。

 だが――絞めも関節も、立ったままで行う事を許されている。

 更に。制止のタイミングと、グラウンドでの体勢も、また独特である。

 例えば、高総体等の空手道ルールであれば、いずれか一方の打撃が有効打であった場合、〝待て〟が掛かり、二者が開始線に戻される。

 〝総合格闘〟の場合は、打撃→投げや打撃→関節等、一連の動作が続いていると判断された場合、〝待て〟は直ぐには掛からない。グラウンドの攻防などで膠着が続いた時、初めて審判が介入して二者を分ける。

 つまり、背負い投げでマットに落とし、すかさず腕ひしぎを決めてタップを取るなどすれば、投げの一本と関節の一本を合わせ、6ポイント獲得となるのだ。

 抑え込みは、それ自体はポイントとならないが、その体勢から打撃を出す事は許される。但し、一発有効打が入れば、立ち上がらされる。

 マウントポジションは、その体勢になった瞬間、一本扱いで3ポイントとなる。

 反則を取られるのは、金的、爪での攻撃、転倒している相手への蹴り、後頭部への打撃、等。当然だが、意図的かつ不要に危険な技を用いる事も反則であるし、消極的であれば注意、指導などの失点も受ける。

 このように列挙すれば、一つ、分かる事がある。

 それは、このルールがそもそも、組み技への比重をかなり高く置いているという点だ。

 打撃だけで戦う場合、どうやっても、一度に取れるポイントは3つまで。

 対して組み技であれば、倍の6ポイントを一気に狙える。

 ルール構築の時点で、この指摘は既に有った。プロ世界でも、打撃格闘家がグラウンドで翻弄される展開は多いが、果たしてそれをより強調したルールにして良いのか、と。

 然し、打撃系格闘技の代表者の、この提案が採用されて――〝高校総合格闘〟は、異質な格闘技に変わった。

 〝スリーノックダウン制〟の採用である。

 例えば、強い打撃で相手をダウンさせた場合、相手が10秒以内に立たねば勝ちである。

 立ったとしても、それが許されるのは二回まで。三度目のダウンで、敗北が宣告される。

 投げで背中を打って、立てなくなれば、それもやはり負けだ。

 空手でも、柔道でも、高校の試合であれば、いわば〝偶発的〟にしか狙えない勝利をルールの中に組み込んだ、それこそが〝総合格闘〟であった。


 然し、ルールが変わっても、普遍の技術がある。

 いや――これがフルコンタクトルールであれば、それ程に使われる事は無いのだろうが。

 同じポイント制という事ならば、空手には――〝伝統派〟には、必殺の武器がある。


「ぃあいっ、っさあああいぃ!!」


 ――飛び込み上段。

 後ろ足でマットを蹴り、前手で顔面を狙う、ただそれだけの打では有るが――

 まず、間合いが広い。前進で『飛び込み』、目一杯に前手の拳を伸ばすと、最初に立っていた位置から、ほんの一息で1.5m以上先に拳が届く――多少の練習経験が有れば、完成度はさておき、これは誰でも出来る。

 それを、195cmの龍堂慶次が放つのである。

 間合いは優に2m以上――ともすれば最初の踏み込みと合わせ、2.5mにも届きかねない。

 パン、と鞭にも似た打撃音。防具をつけた修の顔が、30度ばかり上を向いた。


「止めっ! 赤、上段突き、有効!」


「えっ!?」


 先程、矢のように飛び出した慶次は、今はまた、開始線の後ろに舞い戻っていた。

 が――困惑するのは、修である。何せ――


「いや、まだ始まって無いでしょう!?」


 裕也が開始の合図をする前に、慶次は奇襲を仕掛けたのである。

 無論、突き自体の速度も相当なものであったが、合図と同時の攻撃は定石の一つ。実際、開始と同時に双方が飛び込み、双方の突きが交錯するのは、全く珍しくない光景である。

 空手の心得もある修ならば、相打ちに持ち込むか、叶わずともどうにか受けるまでは出来た筈なのだ。

 それが、開始を待たずの不意打ちで先制されたのでは、憤りもあろうというものだ。


「ちっちっちっ。修、甘ーい! 聞き入れません!」


 然し、裕也は、それを一言で斬り捨ててしまった。


「いや、ごめんごめん。始めって言ったら始めるとは、確かに言わなかったよねぇ。まま、殴り合いっていうのはこういうもんだと思って我慢我慢。殴り殺されてから、今のは反則だーなんて言えないんだからさ!」


「……へぇ」


 裕也が説く、理とも言えぬ道理を、寧ろ納得したのは慶次であった。

 空手のポイント制というのは、少なくとも建前は、〝拳が当たれば一撃で倒れるから〟なのだ。

 つまり、あれこれ理屈を付けようが、拳が自分の顔面――防具越しとはいえ――に触れた時点で、死んだ事になる。

 ――そういう事を言っていた男を、慶次は知っていた。


「まぁ、という訳だ、慶次! とりあえず、待てが掛かったら戻って貰うし、始めと言ったら始め。そのルールで納得してもらうよ、ここからは。……じゃないと修が怒っちゃうしさー」


「当然でしょう! ……ったく、この先輩は……!」


 裕也が懸念するまでも無く、既に修は怒り心頭に達したと見え、握った拳をぶるぶると振るわせる。

 防具越しの、ポイント狙いの軽い一撃だ。ダメージはまるで無いのだが、頭に血は上ったらしい。


「はい、両者線に戻って……始め!」


 ――好都合だと、慶次はほくそ笑んだ。

 開始の合図を待たずしての奇襲は、慶次本人としても、本当に思わずやってしまったようなものだったが――それで相手がカッカしてくれるなら儲けものだ。

 そも、本来の慶次のスタイルは、あれではない。

 あれはポイント制の空手のやり方で――慶次が学んでいるのは、本来は、フルコンタクトの空手である。

 伝統派の型、構えを重んじながら、フルコンタクト制を取り入れている尚武館の戦術は――もっと、重苦しく纏まる。

 左脚を前、右脚を後ろ――この配置を変えぬまま、摺足で、慶次は前に出た。

 長身の慶次は、腰を多少落としたとて、頭の位置が高いのは変わらない。顔面が敵から遠いというのは、それだけで有利である。加えて、手足の長さも、慶次は日本人離れしている。

 そこへ、修が飛び込んできた。

 やられたらやりかえすとばかりの、左飛び込み上段。身長の差の為、下から斜めに突き上げるような軌道となる。

 左手で払落し、ガードが空いた左側頭部目掛けて、慶次が右鉤突きを放つ。肩の高さを水平に薙ぐ、重い打撃である。

 修は、体ごと後退してそれを避けていた。

 ならばと、追い掛けて左足から踏み出せば、再び左上段突きが飛んでくる。

 内心、慶次は感嘆した。リーチ差は10cm近くも有り、先に攻撃権を得られるのは慶次であるにも関わらず、修は先手を取ってくるのだ。

 踏み込んでくる速度も有るし、戻りも速い。何より、タイミングの見極めが良い。このタイミングだと打ち返すのが難しいという所へ、適格に差し込んでくる。

 然し、これなら――自分が上だ。

 左上段突きから右中段突きへ繋ぐ。空手流の、右膝をマットすれすれまで落とし、真っ直ぐに打ち出す突きである。この二連打は避けられるが、これは織り込み済み。後退した修を追って、再び飛び込み上段から――


「っつあああぁいぃっ!」


 中段前蹴り。

 動かず打つ技の中では、最もリーチが長くなるのが、これである。親指の付け根が胴当ての上から、修の鳩尾に突き刺さる。


「止めっ! 赤、中段蹴り、有効!」


 0-2。


「始め!」


 同時、飛び込み上段。リーチの差で慶次が先に当てる。

 上段突き、有効――0-3。


「始め!」


 修の飛び込み上段を、慶次が模範的な上げ受け(横向きにした前腕を、下から上へと持ち上げるような防御)の後、鳩尾への突き。

 中段突き、有効――0-4。


「始め!」


 焦り、飛び込んでくる修を、中段前蹴りで迎撃。

 中段蹴り、有効――0-5。


「ふんっ!」


「うおおおおお、やっぱ強えわこの子……!」


 細かく中断される為、実際以上に、過ぎる時間は長く感じる。ここまでの攻防を終えて、残り時間はまだ二分も有った。

 そして、カウント上は一分程度の時間の中――慶次の拳足は、見事に修の動きを捉えていた。

 先手先手を取りながら、仮に先んじられたとしても、確りと防御して打ち返す。熱気や勢いばかりでなく、確かな技量が伴っているのだと、誰にも示すような戦いぶりであった。


「くっ……そ、くそ、くそっ、ああああああぁっ!」


 収まらぬのは、修である。

 彼にしてみれば現状は、初手でしてやられ、そこから良い所が一つも無いという、正に踏んだり蹴ったりの有様なのだ。

 どうしても負けたくない相手というものはあるが、今の修には、丁度、慶次がそれだった。

 その様を見かねたか、裕也が動いた。

 つつっ、と滑るように横歩きして、修の耳元に口を運んで、


「こーらー、かっかしなーい」


 肩をがっしと掴みながら、あの調子を崩さずに言った。


「しゅーうー、ビークールよビークールー! もっと冷静にならないと! 昨日みたいに! 斜めが似合うダンディズム!」


「意味が分かりません!」


「考えるな、感じるんだ! ついでに〝余計な事も考えるな〟!」


 がっくんがっくんと修を揺さぶりながら、裕也は笑ってそう言った。

 試合中の事でもあり、修はその手を振り払おうとして――初めて、気付く。

 自分のそれより小さな手、短い指が、サイズから想像出来ない力強さで肩を抑えている。

 引き剥がせないし、抑えられない――揺さぶられるままに、成らざるを得ないのだ。


「修、相手は空手専門だぞ? そりゃ殴り合いじゃ勝てないよ、仕方ない仕方ない! ……分かるよな?」


「先輩……?」


「なんだよあんた、構えまで変えちゃってさー。違う違う、あんたはもっとこう、自分を変えない奴だろ?」


 どん、と修の背中が圧された。

 裕也が二人の中央に戻り、再び審判の役目に戻る。

 戻ってしまえば、そこに個人の意思など全く介在しないのだが――然し、その前の助言だけで、十分だった。


「……先輩、ありがとうございます」


「賢い後輩を持って幸せだよ、俺。始め!」


 ざん、と二人が前へ出た。

 慶次は変わらず、伝統派の空手の形である。

 対して、修の構えが変わった。


「お……」


 ベタ足、軽くしか曲がらない膝、高い位置にある拳。

 重心は後方――自分から進む気は無いとでも言うのだろうか。

 打撃には向かない構えである、と見えた。

 足の置き方が、跳ねたり馳せたりに適していない上に、防御も半端に高い。これでは隙だらけでは無いかと、慶次は訝る。

 ――それでも、油断はするまい。

 慶次が選んだのは、最速の初段から繋げるコンビネーション。即ち、飛び込み上段を左手で防がせ、空いた腹に右中段突きを差し込む連携である。

 数秒間のラッシュであれば、ボクシングに拳速で数歩譲るのが空手であろうが、この二段連携に限っては、兎角、速い。

 右足の爪先が良しと言った時、慶次は矢と化して放たれた。

 飛び込み上段、初撃――


「おっ!?」


 慶次の視界の中で、修が沈んだ。

 ダッキングと、同時の踏み込み――重心を前へ動かした反動が加わり、180cmの体が恐ろしい勢いですっ飛んでくる。

 ――中段突きでは止められない。

 右膝蹴りに切り替えた。

 左前腕で受け止められたと思った時には、修が右腕で慶次の右膝裏を掬い上げ、同時に右肩で胸を押して、体重を預けていた。


「投げ、一本――」


 背中から、落とされる。

 相手の動きを制して、背中から綺麗に落とす、文句のつけ様も無い投げ――投げとも呼びづらいかも知れないが、少なくともこの競技では、そう分類される。

 組み技には、これが有るのだ。天井が視界に入った時、今更ながらに慶次は、投げという武器に底知れぬ恐怖を覚え――


「――継続!」


 ――ルールに馴染んでおらず、忘れていた。

 倒され、ポイントを奪われただけでは終わらない。

 長い脚を振り回し、修の頭を狙う。倒れている男の蹴りなど、恐れるような修では無い。打ち払いながら慶次に覆いかぶさり、遂に胴体に跨った。

 マウントポジション。

 この形になった場合、上に乗った者が、跨られた者を存分に殴りつける事が出来る。無論、実行するのはあまりに危険である為、高校総合格闘では、この体制は上段蹴りや投げ、関節によるタップなどと同じ扱いとされ、跨った時点で3ポイントが与えられる。


「止めっ! 青、マウントポジション、一本!」


 6-5。

 ほんの、一瞬の出来事であった。

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