表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/20

雪に紅(2)

 ホールには十分な広さがあり、審判も人数は足りている。進行を迅速に行う為、一試合目は、三試合全て、同時に行う事になっていた。

 とは言え――市のレベルでは、あまりに力の差が有りすぎた。


「止めっ! 赤、上段蹴り一本、赤の勝ち!」


 慶次は9-0で、つまりは上段蹴りが三度で、山口 明良に勝ちを収めた。

 互いに礼をし、試合場から降りる。面を外して深呼吸を一度すれば、それだけで鼓動のリズムは元に戻った。


「お疲れー。慶次、もうちょっと突きを使ってもいいんじゃないの?」


「押忍っ!」


 返事は、押忍だけでいい。はいも分かりましたも、全部が押忍――それが尚武館である。その流儀に合わせて試合を終えた慶次は、さて、と他の試合を見ようとした。

 が、一つは既に終わっていた。修はきっかり8ー0で、鈴木 猛に勝利を収めていた。


「修は、どうやって?」


「開始と同時に上段ワンツーで技有り。その後、投げで一本からマウント取って終わり。十秒ちょっとじゃない?」


「……はっや」


 組技はやはり、一気にポイントを稼ぐ手段があるから強い。修と当たるなら、やはり組み付かれない手段を考えねば――慶次はそういう算段を立てていた。

 そこでふと、別な事に思考を回して気づく。試合の終わった修は何処だ、と。とはいうが、所詮は同じホールの中。少し目を動かせば、すぐにそこに見つかった。


「お、修――」


「見てろ!」


 慶次が声を掛けると、修は試合場を指さして、語気も荒く言った。

 試合場では、玲が、あの二人組の少年の片方と対峙していた。二人の内の、背の高い方。修に手を振った方だ。

 上着は柔道着に近いが、真っ黒で、少し生地が堅そうだ。腰から下は袴で、これも黒。松風 紗織のスタイルによく似ている。

 どういう試合展開かと、慶次は得点版を見て――


「……マジかよ」


 2ー7。

 玲は、一方的に追い詰められていた。

 玲が、鞭のような蹴りを乱打する。それを相手の少年は、見事に両腕で捌いていく。

 上段の蹴りも、中段の蹴りも、下段に至るまで、腕だけで――脚を持ち上げて脛で受けるような事もせず、避ける。

 容易く出来る芸当では無い。

 腕と脚なら、脚の力が勝るのは当然の事。だから蹴りを腕で捌くのは、力の向きに応じて、上手く流してやる必要があるのだ。

 玲の蹴りは、矢継ぎ早に、あらゆる角度から繰り出される。膝を狙った蹴りが軌道を変え、頭の上から落ちて来るような事さえ有る。それを少年は、事も無げに受け流しているのだ。


「どうなってるんすか……?」


「最初に玲が、中段蹴りで技有り。後はあの子が……ひたすら、上段突きと中段突きだけで、有効七つよ」


 同時に複数試合を見ていた紗織が、顛末を短く説明する。

 蹴りでなく突きか――それも、慶次を驚かせた。

 玲と、対戦相手の少年は、25cmは身長差が有る。玲の脚と相手の腕だと、リーチ差は30cm以上にもなるだろう。それを埋めて打ち込むという事は――


「修、あいつは誰だ」


 呟きを、聞いたものだろうか。試合中であるのに、その少年は、慶次の方へ顔を向けて、あの微笑を零した。

 横を向いた頭へ、玲の蹴りが迫る。

 右足、上段、後ろ回しの踵蹴り。

 それを少年は掴み、軸となる左足を払って、玲を背中から落とした。


神巫かなぎ (こう)……柔術が専門だが、空手も柔道もやっていた」


 2ー10。

 試合が終わり、試合場を出た紅は、修と慶次の方へ、また笑いかけて手を振る。


「俺が東北で勝てなかったのは、あいつが居たからだ」


 手を振りかえす余裕などは無い。修は拳を握りしめ、両肩を震わせていた。






 三分間とは言え、高校総合格闘は、運動量の多い種目である。

 また、防具の上からでも打撃を加えるとなると、試合中は良くとも、その後で不調を訴える者も、稀に出る。そういう事があるので、試合と試合の間には、比較的長い休憩時間が設けられている。

 修は、一人で何処かへ、準備運動に行ってしまった。玲は――恐らく、帰ってしまったのだろう。紗織と御幸が昼食を取る姿を横目に、慶次は、二人でぽつんと座っている、背の低い少年達の元へ向かっていた。

 何故か――理由は良く分かっていない。

 玲が負けたからと言って、その恨みを吐くつもりはないし、修の為に何かを聞き出そうというつもりでも無い。

 初対面の人間と会話が弾むような、社交的な人間に育ったつもりも、毛頭無い。

 ならば、何をしに行くというのか。


「なあ」


 声を掛けると、合わせて四つの目が、慶次に向いた。

 二つは穏やかで、先程まで誰かと争っていたとは、とても思えないような目であるが、さて一方は、躾けの悪い犬のようであった。


「なんだ、あんた」


「尚武館流、龍堂 慶次」


「喧嘩か!?」


 160cmも無い少年は、立ち上がり、今にも慶次に掴みかからんばかりの形相である。生来きつい作りなのだろう目が、余計に角度が吊り上っている。

 それを、紅が、手で制した。

 手で制するばかりで何も言わぬのは、その口の中は、握り飯で埋まっていたからである。もごもごと頬を膨らましたりへこましたりしながら、目つきの悪い少年の袖を、ぐいと引いて座らせた。


「んっ、んん。……ふぅ」


 喉が動いて、どうやら飲み込んだと見える。水筒を口に付け、咥内を空にして、やっと紅は一息付いた心地で、


「正人、座りなさい。……多く作りすぎたんですけど、食べます?」


「お……おう」


 慶次に、特大の握り飯を差し出した。

 取り立てて断る理由もなく、慶次はそれを受け取ってしまう。立って食うのもなんだったので、その場に胡坐を掻いた。

 その間に紅は、こちらも同じくらいの大きさの握り飯を、もう一つ手に取って食べ始める。二人が食事を始めたので、残された正人――目付きの悪い少年まで、やはり握り飯をかっ食らい始めた。

 味は薄いが、塩。具は、缶詰か何かだろうが、ツナが入っている。

 割と美味い。

 割と美味いのだが、俺は何をやっているのかと、慶次は良く分からなくなった。

 そもそも、此処へ来た理由も分からないまま、身内でなく、何処かの赤の他人と昼飯を食っている、この状況が分からない。

 食いながら慶次は、目の前の二人を観察していた。

 いずれも小柄で、だが骨格は出来上がっているように見える。背は殆ど伸びきってしまっているようだ。

 肩が分厚く、腕も強そうだ。だが、特に目を引くのは、指先である。

 指の関節が太く、爪が短くも分厚い。指先の皮膚が硬質で、爪との継ぎ目があいまいになっている。


「……すげえ手だな」


 思わず、慶次は言った。

 日常的な使い方どころか、普通の格闘技を学んでいたとて、こういう手は仕上がらない。指先を、特別に鍛えない限り、こんな手は完成しないのだ。


「指相撲でもします?」


「……いや、いい」


 紅は、友好的に手を伸ばして来る。ほんの一瞬だが慶次は、受けてもいいかと血迷った。正人が今にも噛み付きそうな目をしていなければ、実際に一戦始めていたかもしれない。

 指を抑え込んだり、抑える指から逃れるように、紅は親指を動かしてみせた。

 こういう茶目っ気は、裕也に似ているかも知れない。

 けれど裕也の陽気は、子供の無邪気と残酷の和だ。楽しさという絶対の基準を元に動く、大きな子供が、裕也である。

 紅は、少女の洒落気を帯びていた。

 少女という生き物は、ただ笑って咲いているだけで、人の目を惹く花になる。

 子供であれば賢しいと、大人であれば幼いと、嘲笑われるか細い線の上を、よろめきもせずに歩くのが、少女である。


「尚武館流、でしたっけ?」


「おう」


「私の所は、仙岳無尽流と言いまして」


 ――俺は何を考えている。

 紅の指は、骨に肉が被さるのではなく、骨が太くなって、そこに殻が被さったような指である。

 こんなものを備えているからには、こいつは紛れも無く、武術家なのだ。

 スポーツ格闘技とは一線を画す、現代では用いる場所も無い技術の持ち主。無益の労を嬉々として積み重ねたのが、この少年なのだ。


「……大仰な」


 意識を引き戻さんが為、無理にでも、何か言葉を繋ぐ。


「ですよねぇ」


 それでも、手で口元を隠し苦笑する紅は、女のようだった。

 髪も――これは正人もそうなのだが――男にしては、少し長すぎるようにも見える。

 それを見ていると、紅が、慶次の視線の正面に移動した。


「まずは手で、次が髪。気になります?」


「長えよな、とは思うが」


「掴みやすそうだと思います?」


 右手に己の髪を乗せ、左手には正人の髪を乗せ、常人ならば思わぬだろう事を言った。

 ――師範代と、同じ種類の生き物だ。

 高校生が行うあらゆる競技で、対戦相手の髪を掴むのは反則行為であろう。本来ならば警戒さえ、不要な事象である。


「このルールはいいですね、頭髪を防具の内側に隠せる。……私はどうも、長い髪が好きでして」


「掴めるのなら、掴むのか」


「貴方はどうです?」


 言われて、慶次は腕を組み、首を捻った。


「……やるかもなぁ」


「でしょう?」


 慶次自身は、相手の髪を掴むという発想は、あまり持ち合わせていない。だが、例えばそれが許されるルールの中で、そういう必要が有ったら、反射的に掴んでいるのではないか。

 それでも慶次は、殴る蹴るで勝ちたいという人種だ。掴んでやろうと思って、相手の髪を掴む事はするまい。

 然し目の前の、女のような顔をしたこいつは、そういう事を自分からやるだろうし、される事を想定しているのだ。


「高虎 修さん。貴方のご友人ですか」


「…………」


「私が勝ちますよ」


 握り飯が無くなった頃、紅は、天気の話題をするかの如き気軽さで言った。


「お前、やりあうのは好きか?」


 慶次が、そういう風な聞き方をすると、


「ええ、とっても」


 手の甲で口を隠し、神巫 紅は上品に笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ