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喧嘩も華の一つ(7)

「……っ!」


 慶次は跳ね起き、拳を構えた。そして、どこから次の蹴りが飛んでくるかと身構えた。


「止めっ!」


 目の前にいたのは、裕也であった。

 試合中断の合図を出し、慶次と玲の間に立ち塞がっている。

 何か、どちらかの有効打が決まったらしく――


「赤、絞め技、一本! 但し特別ルールにより――」


 6-5。

 初めて慶次は、一分が過ぎていた事に気づいた。

 慶次が立ち上がった時、残り時間はほんの僅か。絞めで血流を阻害され、ほんの数秒だが意識を失い――その直後、試合が終わった。

 玲の顔はもう、笑ってはいなかった。

 惜しい時間が終わったと、慶次は後ろ髪をひかれながら、マットの外に出た。

 これで、玲の二人抜き。本来ならば、大将の裕也が出るべき頃合いである。

 だが裕也は、審判の位置に立ったまま、防具をつけようともしなかった。


「……次の、自分の相手は?」


 玲が、次を求める。待ちきれぬ様子である。

 息は荒く、呼吸一つの度に肩が上下する。汗は滝のように顔を濡らす。

 然し、休もうという様子は見えない。


「玲。ねーえ、玲ー。あんたさ、すっげえ蹴り打つのな!」


 裕也は、やはり何も用意をせぬまま、玲に気安い言葉を投げた。


「………………」


「俺は、大体の技は真似られるつもりだったんだけどさ、その蹴りは流石に無理! 格闘技は習ってないって聞いたけど、するとあれだね、練習は欠かしてないね? あんた、見た感じで生真面目だろうし――」


「何が言いたい」


「勿体無い」


 裕也は、玲の目を正面から見て、そう言った。見せるのは獣の笑みでなく、普段から顔に浮かべた、底抜けに陽気な笑みだった。


「ルールで、無理やり手に入れるのが惜しくなった。玲、総合格闘部に来いよ! 一緒にやろう! それだけの蹴りを、喧嘩でしか使えないのは勿体無い――本当に強いやつは、喧嘩しないで、いつも表舞台にいるんだぞ!

 俺はあんたに約束する、あんたを絶対に退屈はさせない! 俺が引退するまで、一年と何か月かだけど……その間、毎日を、最っ高に楽しくさせてやるよ! ……本気だよ?」


「……」


 楽しいか、楽しくないか。それは裕也に取って、最大の関心事項であった。そして裕也の興は、周囲に同調して拡大するものであった。皆が楽しむのならば、自分も楽しいと、そういう性質に生まれ育っていた。

 他の誰よりも近くで、二つの試合を見て、裕也はもう、玲を諦めるという選択肢を捨てていたのだ。

 だが、玲は答えなかった。

 否定では無い。否も応も、返さなかったのだ。


「信じてない顔じゃないくせにー、頑固なんだから玲ったらー。……それじゃあね、次の試合!」


 次――その言葉を聞いて、外野になった修と慶次が顔を見合わせた。

 総合格闘部は、部員が三名。うちの二人が試合を終えて、残る一人は審判である。

 すると、二人の横を抜けて、道場の真ん中、開始線の後ろに立つ者がいた。


「構えて――始め!」


「…………っ!?」


 玲は、呆けたような顔をして、もはや裕也の号令など聞こえていないようであった。


「総合格闘部、佐渡 御幸! オッス!」


 いつの間にやら御幸が、お下がりの胴着を着て、防具一揃いを身に着けていた。






「御幸……お前、何して」


 あまりの事に玲は、思わず御幸に歩み寄って、その肩を掴もうとした。


「さぁーい!」


 その顔目掛け、拳が走る。右の、上段突きであった。

 ぽすっ、と柔らかい音がして、拳は元の位置に戻って行き、


「浅い! 続けて!」


 裕也のジャッジでは、これはポイントにならなかったが、玲には十分以上の衝撃であった。


「御幸、危ないだろう! なんでそんな恰好をしている!」


 御幸は答えない。もう一度、腰にしっかりと引き付けた拳を、ひねりを加えながら、玲の顔目掛けて突き出した。

 未熟で不安定だが、それは空手の正拳である。十分に鍛えた、例えば慶次などが打てば、瓦などでさえ叩き割る技だ。今度は、ぱしっ、と音がした。


「止めっ!」


「やったっ!」


 中断の声に、御幸は小さくガッツポーズを作って、それから開始線の後ろへ下がる。此処へ来ても裕也は、状況が読めぬようで、その場に仁王立ちするばかりであった。


「青、上段突き、有効! 始め!」


 0-1。

 もう一度、意気揚々と、御幸は玲に向かって行く。


「やあぁっ!」


 そして、愚直に同じ上段突きを放った。

 玲は後方にステップを踏んで、あっさりとそれを避けながら、2m程の距離を開ける。


「おい、待て御幸! 御幸!?」


「こーらー、真剣にやりなさい!」


 こんな面白いものは無いと、裕也は笑いを堪えながら、玲に試合するよう促す。

 それに応じられるなら、苦労は無いのだ。

 御幸が追い掛けていって、顔目掛けて拳を突き出すと、玲はそれを弾いたりはせず、体全部で避けて逃げ回るのだ。

 それが暫く続くが、流石に中学では陸上部だっただけ有り、御幸は疲れた様子も無く、しつこく追い回す。


「御幸!」


 業を煮やして、御幸の手を玲が掴むが、


「痛っ!?」


「お、すまん……」


 御幸が少し大きな声を出せば、玲は眉の端をぐうと下げ、あっさりと手を引いた。


「隙有りー!」


 すぱん、とまた上段突きが、玲の顔面を捉えた。


「止めっ! 青、上段突き、有効!」


 0-2。

 未だに玲は、自分が何をされているのか、全く分からぬ様子であった。


「……裕也さん、ひっでえ」


「本当だな……剣条先輩だけは、敵にしたくない」


 してやったりという顔の御幸

 試合を終えた二人は、その光景を、冷や汗流して眺めていた。

 何を言って口説いたかは知らないが、裕也は御幸を誘い、玲の道場破りにぶつけたのだ。

 あまりの事に動転しているのか、玲の目は、御幸から一度も離れない。

 だから気付かないのだろう――試合場の端のブザーは、何時の間にか3分に設定が直っている。


「うんうん、あの子もひどい事を考えるわよねぇ。私も共犯者だけど」


「……師範代が居るのも、もしかして」


「うん。裕也くんが負けたら私が出るのよ、その為よ。御幸ちゃんにも、突き蹴り一通りは教えたしね」


「やっぱり……」


 慶次はもう、何を言う気力も無くなって、引き攣った笑いを零す事しか出来なくなっていた。

 こうやって網を張って、がっちりと捉えてまで、あの蹴りが欲しいのか。

 いいや、そんな小さな事じゃない。そうした方が楽しいから、裕也はそうしたのだ。

 どんな根が、あの木を育てたのかは知らないが、玲は、慶次や修と同じような人種だ。

 其処に至るまでの、理由はどうでも良い。

 いざ、戦ってみたのなら、それを真っ当せずにはいられない。

 だのに、戦うのが終わるのを惜しむ程に、殴り合ったり掴みあったり、蹴り合うのが大好きなのだ。

 そういう人間を従弟に持って、過保護な程に守られながら育った御幸もまた、同じような気性が育つのを抑えられなかった。


「玲ちゃん! 私、美術部を止めたっていうのは言ったけど、なんでかって玲ちゃん聞いたよね!」


「…………!」


 玲のそれに比べれば、何倍も遅い蹴りを打って、よろめきながらも御幸が叫ぶ。玲は、御幸の足が届かない距離まで下がりながら、目を見開いて答えを待った。


「私……私、美術部の先輩を殴っちゃったの!」


「はぁ!?」


 修と玲が、二人同時に、半分裏返った声で叫んでいた。


「……おーう」


「はりゃー……意外にやるわねあの子……」


 平静に見える慶次も言葉を失っていたし、紗織は他人の揉め事を、聞き逃すまいと身を乗り出す。

 たった一人、裕也だけは訳知り顔だが、そういう観衆の前で、御幸は続けるのだ。


「だって……だって、私は絵を描きたかったのに、あの人達、おしゃべりばっかりなんだもん! それに混ざらなかったら、付き合いが悪いとか感じ悪いとか、あのアニメ見てないなんて信じられないとか、ああもうーっ! 談話部にでも名前変えてろーっ!」


「御幸、お前……」


 脚が上がり切らない上段蹴りを、玲は前腕で受けた。

 体重の乗らない中段突きを、玲は掌で受けた。

 下段蹴りは、脛を上げて。

 中段前蹴りは、膝で。

 御幸の放つ技を、易々とではあるが、玲は防ぎ、捌き、いなした。

 ――あんなに弱かったのに。

 人と争ったりなんて、出来ない少女だと思っていた。

 けれど、その見方は、一面的な物だったのではないかと――そう、玲は思い始めもしていた。

 そもそも御幸は、どうして、こんな部活動に興味を持ったのか。

 喧嘩ばかりをしている自分に、ちょろちょろと付いて回っていたのか。

 もしかしたら、ずっと昔から――


「っせええええいっ!」


 右上段回し蹴り。御幸の肩までしか上がらない、重さも無い打撃。それでも、確りと両腕で受け止めながら、玲は思う。

 最初に、守ってやろうとか考えた理由は、もう本当は覚えていない。続けている内に、それが普通になっていただけだ。

 けれど、そんな普通はもう、捨ててしまっても良いのかも知れない。

 こんな下手くそな蹴りは、もしかして自分の真似事なのか。だとしたら――

 ――楽しいな、御幸。


「うんうん! 歓迎するよー、二人とも……これから宜しく!」


 時間一杯止める声も無いまま、打ち続ける御幸と、防ぎ続ける玲を、裕也は一番近くで見ていた。

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