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喧嘩も華の一つ(5)

 紗織の指導は二日続いて、三日目になった。

 この日、総合格闘部の道場周辺には、人の気配が殆ど無かった。

 いや――正確に言うと、二十人ばかりが道場を囲んでいる。ボタンも詰襟もきっちり閉じているが、不良の集団である。

 彼らは道場を背に、此処へ誰も近付かせぬという風に直立していた。

 規律ある軍隊じみた姿であるが――つい数日前まで、廊下でしゃがみ込むのが粋と信じていたのが、彼らである。近くを通り過ぎる生徒達は、おかしなものを見たと、首を傾げて行くのであった。

 そして道場の内では、総合格闘部の三人が、〝道場破り〟と向かい合っていた。


「待ってたよー、玲だっけ? んもー、停学なんて駄目でしょ、真面目に学生やりなさい!」


「……その点については、言うことは無い。書状は確かに読んだが……これに、自分は異存は無い」


 浅上あさがみ れい。身長188cm、体重82kg――この背丈にしては、軽量と言えるかも知れない。事実、見た目は細身である。

 一切の部活動に、所属した経験は無い。視力はやや低く、普段は眼鏡を掛けている。

 然し両脚は、引き締まった獣のそれである。

 何をせずとも肉食獣は、草食獣を狩る武器を備えているが、彼が持つのは二本の脚であった。

 この日彼は、運動用のズボンを履いて、上半身はランニングシャツ一枚の、まさに健康的な姿であった。


「ふむ、オーケーオーケー、じゃあルールを確認するよ!」


 試合自体は、一般的な高校総合格闘ルールだ。8ポイント先取で勝負が決まり、立ち技有り寝技有り、投げも有り。

 試合場は10m四方、防具の着用義務有り、武器は使用禁止。広い視点で見て、素手で強いのは誰かを競うルールである。


「だけどね、俺は思った! 俺達は人数が多いし、このルールに慣れてる! これで勝っても嬉しくは無いし、何より俺達の得るものがない!」


「……なんだと?」


 裕也の〝煽り〟に、玲の目が厳しく変わる。元より鋭い雰囲気だが、こうなると剥き出しの刃の如しである。


「そこで、幾つか提案をしたい!

 一つ、試合時間は一分! その間に8点を取れない場合、総合格闘部側の負けとする!

 二つ、俺達が用意した選手全員に、そのルールであんたが勝ったら、俺達はさっぱりと廃部になってやろうじゃないか!」


「……裕也さん、また気前の良い」


 突然の提案――無論、慶次や修への相談は無しである。それでも、文句を言う二人では無い。

 試合時間が一分だとして、蹴りが三つ入れば終わる。それだけの事では無いかと、慶次は考えているからだ。

 修は、もっと極端である。投げてマウントを取り、その後は顔に突きを二つ。それで試合は終わる、と。


「そして、最後に一つ! このルールであんたが負けたら、玲! 総合格闘部へ入部してもらおう!」


「……!?」


 玲の、表情の薄い顔に、珍しく驚愕の色が見えた。

 然しそれも直ぐに消えて、普段のような色を取り戻しながら、


「……いいだろう、受けよう。最初は誰かが相手だ」


 マットの中央、開始線の手前に立ち、審判の位置に立つ裕也へ聞いた。


「最初、最初かー……修! やっぱりお前からやってくれる?」


「はい!」


 この日の修は、知らぬ者が見れば、サンボのそれにも見える服装をしていた。柔道着の上に、下はキックボクサーが穿くようなトランクス。後は純正の防具一式である。

 対戦相手の玲にも、当然のように防具が貸し出される。胴当て、脛当て、顔面用のセーフガード、オープンフィンガーグローブ、ファールカップ――予備は十分に揃っていたという。

 防具は不要とも玲は言ったが、これがルールだからと裕也が押し切り、装着させたのである。

 向かい合う両者の、身長差は8cm、体重差は7kg。何れも玲が上である。だが、慶次も裕也も、修が勝つという確信は、全く捨てないままであった。


「構えて!」


 修はこの日、打撃選手のような構えを取った。踵を浮かせ、握った拳を顎の下に置き、背を軽く丸めるスタイルである。

 ――あいつ、騙す気か。

 素人にもまるで手を抜かない姿勢に、慶次は内心で賞賛した。

 一方で玲は、構えなかった。

 いや、右脚を僅かに引き、左半身を修に向けた。其処までは、確かに構えている。だが、腕をまるで動かさず、体の横に吊り下げているだけなのだ。

 然し、それもまた良し。構えはこうであるべきというルールは、何処にも存在しないのだから。


「始め!」


 ともあれ、修が前に出た。

 右足でマットを蹴り、左拳を突き出す――飛び込み上段。修の打ち方は空手より、寧ろボクシングのジャブに近かった。

 それも、超射程のジャブである。開始の合図と共に動いたこれを、完全に避けるのは難しい――防ぐことなら出来るだろうが、玲の構えは、防御を完全に捨てている。

 早くも先制点か――思った時は既に、音が二つ、炸裂していた。


「お……」


「止めっ! 青、上段突き、有効!」


 0-1。

 裕也の合図で、二人は開始線に戻った。

 防具の下、ポイントを取られた玲は、相変わらずの顔のままで――ポイントを取った筈の修が、苦い顔をしている。


「おー、確かに良い蹴り打つわね……あっ、慶次ー、こんにちはー」


「お、押忍っ! 師範代、お疲れ様ですっ!」


 いつの間にやら、道着に袴の格好で、道場に紗織が上がり込んでいた。

 慶次の横に胡座で座って、楽しげに目を細めて言うには、


「下段蹴りは難しいのにねぇ。格闘技はやってない、って言うのが信じられないわ」


 先の〝相打ち〟の評であった。

 修が玲の顔面に突きを入れた時、同時に玲の左足は、修の右太腿を打ち据えていたのである。

 体を前方に運ぶ為、マットから足を浮かす事が出来ぬタイミングに差し込んだ蹴り――速く、そしてやはり、鞭の如くしなる蹴りであった。


「前足での蹴りであれだけ打てるのは、そういないわよ。ちょっと締まってかかった方が良いんじゃ……」


「……押忍」


 道場破りが、いきなり道場主――此処で言うなら大将の裕也と戦えないのは、先に戦わせて疲労を蓄積させ、また技を見る為である。それを熟知している紗織と慶次は、瞬き一つも惜しいという顔で、戦う二人に釘付けになっていた。


「始め!」


 裕也の合図で、また二人が動く。

 修は防御を固め、狭い歩幅で一歩進み――その倍以上の距離を、玲が後退した。

 間合いが遠い――修がもう一度、左足から踏み込んで追いかける。その足目掛け、玲が右足の下段蹴りを放った。

 足を上げ、脛で受ける。そして、後ろ足で体を押し出しながら、左拳を――


「!?」


 模範的な修の動きに、玲の足が割り込んだ。

 下段蹴りを打った右足が、マットに戻らぬままに舞い上がって、修の左側頭部を狙ったのだ。

 防がず、ダッキングで避ける。もう一度、足が戻って行って――また、マットに降りぬままで翻る。


「ふっ!」


 中段右足刀――足の小指側側面を用いての、押し込むような蹴りが、裕也の喉を下から狙う。

 これは避けられない――防いだ。両腕を交差させ、がっしりと正面から受け止め、逆に押し返そうとする。

 蹴り足が伸びた瞬間に押してやると、相手は面白いようにひっくり返るものである。だが、この時、玲の足は驚く程素直に戻って行った。

 ――まだ先があるのか!?

 足に重さを感じなかった――端から引き戻す前提だったのだと、修は知る。知った瞬間には、顔面目掛け、再び右足刀が向かって来た。

 スウェーバック、身を仰け反らせて、どうにか避ける。玲の足は、やっと腰より低い位置へ帰って行った。

 ――この野郎、好きにやりやがって。

 防戦一方になりながら、それでも修は、四連続の蹴りを捌き切った。

 次は、俺だ。

 戻って行く足を追い掛けて、姿勢を低くしながら、絶妙のタイミングで飛び込んで行く。足がマットに触れるだろう時に、丁度修が、玲に組みつくように出来たタックルだ。

 降りて行く足の、足首に手を伸ばした。肩を、玲の腹にぶつけに行く。片足立ちで受けられるようなものではない、もはやそれは技術でなく、相撲の立ち合いにも似た性質の体当たりであった。

 然し、其処まで飛び込んでも尚、玲の足は翻った。

 右足がマットに着く、ほんの一瞬だけ手前。玲の足は再び、宙空を舞う燕と化す。

 それはなんと、一度大きく体の外側へ飛び出してから、膝を畳んで、その膝の頂点を、向かってくる修の頭へぶつけに行ったのだ。

 ごっ、と鈍い音がした。

 防具の上から修は、根刮ぎにされて、横に倒れていた。



「んなっ……!?」


「うわーっ……!」


 観客二人――慶次と紗織が、同時に立ち上がる。

 足を一度もマットに降ろさぬままの五連蹴り――それも、全てが違う部位への蹴り。

 紗織とて似た芸当は出来るし、慶次も三連の蹴りならば易々とやってのけるが、


「止めっ! 赤、上段膝蹴り、一本!」


 3-1。

 慶次は、己にあの蹴りが打てるかと自問した。考えるまでも無い、出来ない。

 一度蹴りを放ち、引き戻す。この時点で足の運動量は大きく損なわれており、次の蹴りを放つ為には、十分な加速を与えねばならない。

 平常であれば、マットや床、地面を押す反動で、蹴り足を跳ね上げる事が出来る。然し玲が見せたのは、その反動を一切用いない蹴りであった。

 並みのバランス感覚では、そも二つ目の蹴りさえ出せない。

 並みの脚力では、当たったとて、むしろ自分が押されるような蹴りになり――速度も乗らず、容易く避けられる。

 だのに玲は、四度の蹴りをフェイントに用いて、修の低空タックルに、更に膝を合わせたのである。


「ぐおっ……!」


 呻きながらも、修が立ち上がる。

 無理に踏みとどまらず、素直に倒されたのが功を奏したか、脳震盪のダメージは薄い。開始線の後ろに立ち、


「く、ぉ……」


 それでも、一度、たたらを踏んだ。

 それを見る玲は、勝ち誇るでも、嘲るでもない。こうなるのが当然だという顔をして、またあの、構えとも言えぬ構えに戻る。

 修は変わらず、打撃の構えのままで開始の合図を待ち、合図と同時に、すうと半歩だけ前へ出た。

 玲が後退し、広く間合いが開く。修の拳は踏み込んでもまだ届かないが、玲の爪先は修に十分届く距離である。

 だが、玲は先手を取っては来ない。間合いの優位を用いずに、後ろに引いた右足の踵を、時々思い出したように持ち上げるばかりであった。

 ――こういう奴か。

 修は理解する。

 ――そういう奴か。

 慶次は見て取った。

 玲は、不動の王気取りである。

 敵が動き、飛び込んでくるのを待ち、自分のタイミングと距離で迎撃する。そしてその間合いは、足技には異常とも言える程の、近距離を好むのだ。

 近眼の為もあるのか、それとも身体の柔軟性に由来するものか。余程の近さでも蹴りが打てるからと、むしろその距離を主戦場とする。

 ならば、見参に入れろ。修は上段の防御を開けて、もう半歩だけ踏み込んだ。

 途端、玲の左足が、修の右側頭部目掛けて食いついてくる。頭を下げて避けると、ひょう、と風切り音が防具越しに聞こえた。

 そして、先程の焼き直しのように、玲の左足は再び翻って、修の左側頭部へ、踵をぶつけに来る。これを修は、体ごと一歩後退して避けた。すると玲は、足をマットに降ろして、また君臨するのだ。

 ――ようし、ようし。

 修が、笑った。

 誰よりも緻密に流れを組み立てながら、腹に呑んだ本性も、誰よりも熱いのが修だ。

 ――こいつは強いが、俺が勝つ。

 玲の足がマットに触れ、体重が確かに後ろ――右足に乗った瞬間、修は恐ろしい程の速さで飛び込んだ。

 軽く背を曲げて、玲の胸に肩をぶつける高さで、思い切り正面衝突をする。体二つが合わせて傾いた時には、修は玲の左手首を掴みつつ、右足で、左膝の裏を刈っていた。

 ばたんと、玲の長い体が後ろに倒れた。その時には既に修が、仰向けの玲の頭を胸で押しつぶすようにして側面から覆いかぶさっていた。


「投げ、一本、継続!」


 修の足が、玲の左腕に絡み、胴に絡む。捕まえた左手首は離さない。

 玲が、己が点を取られたと知った時には、修の右足が玲の首を、左足は腕を離れて、玲の胸を押さえつけていた。

 そして、修が反る。


「うおっ――ぉおお!?」


 玲が初めて、動揺に叫んだ。

 ジャッキの如き怪力で修は体を反らせ、両脚で挟んだ玲の腕を、ぴんと真っ直ぐに伸ばした。

 ――腕ひしぎ十字固め。

 腕が一度伸びてしまえば、これを覆す術は、まず無い。腕一本で相手の四肢全てと力比べをするようなものだ。

 こうなれば、修の加減次第で、痛みを与え続ける事も、そうしようと思えば肘をへし折る事さえ出来る。


「ギブアップ?」


 審判の裕也が、玲に問う。玲は首を振り、続行の意思を示す。

 だが、此処から何が出来るのか。関節技が完全に決まった時、競技の範疇でどうにかなるものでは無い。耐えれば耐えるだけ、痛みが続くばかりである筈だ。


「ぐっ、ぎ……ぎぃいいいいっ!」


 おおよそ玲の怜悧な顔からは予想も付かぬ、悍ましい叫びが上がった。

 玲は右手で、修の左足を、ほんの僅かにだが押し下げた。

 この程度の抵抗で、腕ひしぎ十字固めは外れない。

 然し玲は、修の左足首を強く押し下げて、歯を食いしばった。

 ごつん。

 鈍い音がした。

 玲の右膝が、修の左脚を、その伸びる向きと直角に蹴り上げていた。

 立っていて、蹴りを受けたのなら、衝撃を逃がす事も出来ただろう。だが、修の左脚は、足首を抑えられ、攻撃と同方向に逃げる事が出来ない。

 ごつん。


「うごぉっ……!?」


 玲の右膝が、修の左膝を、外側から突き刺した。

 修が、玲の左腕を、折れる寸前まで引き延ばす。

 みしみしと、音がする。

 ごつんと、打ち鳴らされる。

 そして二人が、痛みを堪えて呻きながら、相手に痛みを積み重ねる。

 このゲームを終わらせる権利は、修が持っている。玲の肘を折れば、それで試合は終わりであるが、

 ――そうしたら、負けだ。

 意地を張らぬなら、高虎 修では無い。

 折ればつまり、痛みに音を上げた事になる。音を上げたら、負けだ。

 腕を軋ませながらも、それを堪えて膝をぶつけてくる玲に、忍耐で負けた事になる。


「があぁっ!」


「ふううっ!」


 どちらがどちらとも付かぬ獣声で、二人は意地を通し合う。修の膝が変色し始めた頃、道場にブザーが鳴った。


「止めっ! 止めだ止め、時間切れ! やーめーてー!」


 音の意味に気付かず、しばし二人が意地を張り合ったが、そこに裕也が割り込んだ。

 試合時間は、一組一分。終わってみればあっという間の出来事で――二人が立ち上がり、開始線の後ろへ下がる。

 修は、左脚を引きずっていた。玲の、腕を下げた立ち方は変わらないが、右手で左肘を庇っている。


「3-4、但し特別ルールにより、赤の勝ち!」


 ポイントは修が優った。だが、時間内に8ポイントを取れなかった以上、ハンデに従い、玲の勝ちである。二人は何れも、勝者らしからぬ顔であった。


「修くん! 膝、冷やしなさい!」


「くそっ……!」


 マットの外に出た修に、紗織が肩を貸して、少し広めのスペースまで運ぶ。

 内出血は後から痛む。手慣れた様子で紗織は、応急処置を済ませて行く。


「良く、折らずに頑張った! 偉いよ修くん!」


「……うす」


 兎にも角にも、これで一戦。さて、次の試合である。

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