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桜の季節(1)

 春、花、四月で桜の盛り――今年はすこうし暑いらしい。

 川縁の校庭に吹き込む風も、いつもに比べて暖かく、黙って座っていれば眠気に呑まれる。

 実際、今年の新入生達にも、放課後の平穏の中、うつらうつらとしている者がいる。

 入学式が終わって、最初の授業も一通り終えて、けれど部活は未決定で――新しい環境の疲れが抜けないからだ。

 この閉伊宮高校、新入生を迎えてから、まだ二日目であった。


「陸上部、陸上部ー!」


「野球部体験入学、こちらでーす!」


 そして、この時期の花と言えば――各部活動の、新入部員勧誘である。


「ねえ君、いい体格してるね! 是非ラグビー部に――」


「いやいや、柔道部にどうぞ! お菓子とかいろいろ準備してるから、まずは見て行くだけでも――」


 どの部活も、試合並に必死でずらりと並び、声を張り上げている。

 背の高い男子生徒の肩を叩き、恰幅の良い生徒の袖を引き、こっちへ来い、こっちへ来いと誘う彼等――

 いや勿論、女子は女子で必死である。バレー部など、男子顔負けの長身がずらりならんで、新入生女子を呼び込んでいる。


「おっ、そっちのき……いや、すげえな!?」


「うお、ほんとすげえ!? え、中学で何してたの?」


「いや、あの、野球の補欠で……」


「補欠!? 勿体無え!?」


 さて、新入生の一人が、数件の部活勧誘員に取り囲まれていた。

 彼の身長は、目算で185cmという所か。体重も82から85は有りそうだが、全く肥満体では無い。寧ろ健康的な筋肉の塊だ。15歳でこの体格というのは、滅多にいない逸材である。


「じゃあ、うちに来いよ、サッカー部! 当たり負けしないだろうし、フォワードでもなんでも――」


「いやいや、ラグビーやろうぜ! 合宿では部費で飯食い放題だぞ!」


「砲丸投げよう砲丸! 槍でもいいけど! 陸上やろうぜ!」


「い、いやあの先輩、あの、俺……」


 方々からの勧誘に困り果てる一年生、そして勧誘の使命を帯びた二年生――彼等は昇降口の付近で、団子になっていた。

 それを三年生やら教員やらが、ほほえましげに眺めて通り過ぎて行く――団子が邪魔なので、大きく横へ回ってだが。


「せめて見学だけでも柔道部ー……!」


「高校でも野球やるんだよな新入生ー……!」


「先輩、ちょ、引っ張らないでくださ、あの、俺合唱やりたいんで……」


 新入生が意思表明をしたが、無論、これで直ぐ諦める勧誘員達でも無い。

 腕を引いたり襟を引いたり――じゃれ合いのような物ではあるが、それぞれ必死で引き留めていた。

 そうなると、兎角、場所を取る。

 ガタイの良い若者が数人、動き回っているのだから、通行の妨げにはなる。

 けれども新年の風物詩と、殆どの学生は笑いながら眺めていたのだが――


「おい、邪魔になってるだろ」


 真っ直ぐ歩きたがる奴が、居た。


「あん!? ……ぅお」


 わらわらと新入生一人に寄り集まっていた勧誘員の中の、一番体格がいいのが――190cmはあるラグビー部が、声の方に振り返った。

 そうして、仰天して、声を失った。

 そこに立っていた奴の顔は知らないが、学生服の襟に付いたバッジを見れば、


「お……お前、一年かぁ……!」


 新入生の一人である事は分かった。

 然し、この乱入者は、デカかった。

 ラグビー部の彼は、190cmの92kgだが――乱入者の背は、もう少し高い。195か、もしかすると196cmは有る。体重は少し軽いのだろうが、88kgを下回る事は無いだろう。

 学生服のサイズはかなり大きいが、それでも肩幅はギリギリの――日本人離れした、15歳の少年がそこに居た。


「わ、でっけえな……ねえねえ、野球とか興味ない?」


「いや、体格的にバスケでしょー。バスケやろうよバスケ、ねえ!」


 先程囲まれていた新入生を放り出して、皆が一斉に、長身の乱入者を勧誘し始める。

 身長だけでない、骨格も明らかに運動部向け――そういうのは、曲がりなりにもスポーツマンである彼等なら分かるのだ。

 これは絶対に逸材だと見て分かるからこそ、誰も彼も、にこやかに、だがしつこい勧誘を始めた。


「50mのタイム何秒? やっぱ6秒台は行けてる?」


「ちょっとうちの部室来てさー、ベンチプレスの記録だけでも計ってみない?」


 然し、乱入者はというと、その声を聞いているのか居ないのか、目も空を見たり足元を見たりで――返事も、一つも無く。


「だから、邪魔だって」


「……あ?」


 たった一言、短く言うのだった。


「あんた達が道塞いでるから通れねえってんだよ、邪魔」


 世の中、大なり小なり、年功序列というものがある。特に日本の場合、それは顕著だ。

 入学してまだ二日目の新入生に、こんな口を、しかも人前で叩かれたからには、


「おい一年、生意気だぞこら」


 黙っていられないのが、血気盛んな若者でもあった。

 ラグビー部の巨漢が、乱入者の胸倉を掴む――学生服は、ボタンをしっかり締めていると、かなり掴みやすく出来ている。

 年中、巨体同士で激突しあい、怪力というなら人間二人も担げるだろう程に鍛えているのがラグビー部。ユニフォームの袖が今にもはち切れそうな程、彼の腕は太かった。


「生意気だ?」


「んがっ……!?」


 その手首を、乱入者は、左手でがっしと掴んだ。するとラグビー部の顔に、苦悶の表情が浮かぶ。

 痛みの耐性ならば、並みの格闘技者より余程上だろう彼が、苦痛で顔色を変えたのは――乱入者の、握力が故だった。

 ぎし、と指が骨に沈まんばかりの馬鹿力が、丸太のような腕の動きを殺して、


「半端が生意気抜かすんじゃねえっ!」


 一喝、吠えた。

 指を振り払い、仁王立ちになる乱入者。

 ほんの僅か、乱入者を囲む輪が広がった。


「俺はな、空手部に入るんだ。他のお遊びなんかやってるつもりはねえんだよ!」


「お遊びだと!?」


 その輪の中心で吠えた乱入者は――何か一つ、見ているもの以外が目に入らぬような人種だった。

 遊びと断じられて反発したのは、柔道着に黒帯を締めた少年――見ての通りの柔道部である。


「おう。背中を畳に落としていっぽーん、だろ? 馬鹿馬鹿しい、組む前に殴れば一発じゃねえか!」


「一発……はっ、古臭い〝一撃必殺〟かよ? 昭和の空手漫画の読み過ぎじゃねえのか?」


 傾向の大小は有るが、格闘技者に通じる思考が有る。自分の学ぶ技は、強いのだと信じたがる精神だ。

 最強だと誇りはせずとも、弱いと謗られて、そうだと素直には頷けない。そして柔道部の彼は、反骨精神が余程強いらしかった。


「漫画の出来事かどうか、試してみるか!?」


「当たらねえんだよ、一年坊のトロ臭い拳骨なんかよぉ!」


 売り言葉に買い言葉、忽ちに険悪な雰囲気が出来上がる。

 のんびり眺めていた筈の在校生達も、異常を嗅ぎ取って、表情がこわばった。


「おい、ヤバいって、やめとけよ……県大会あんだろ?」


 先程突っかかっていったラグビー部の巨漢が、柔道部の肩を叩いて制止しようとする。頭が冷えれば、そして他人の事であれば冷静になる性質なのだろうが――加えて、もう一つ。

 目に、怯えが浮かんでいた。

 触れない方が良い相手というものが、この世にはある。

 それを見つけてしまった時の怯えが、彼の目に浮かんでいた。


「問題ねえよ。投げは使わねえからよ……!」


 柔道部は、ラグビー部の怯えを一蹴した。

 身長は180cmに少し足りず、体重も80kg前後だろうが、慣れが違う。

 それは、力で比べればラグビー部がずっと上だろうが――人間と組み合って、投げるの投げられるのとやっているのが柔道部。そも、競技の目的が、相手を打ち負かす事なのだ。

 踏み出し、両手を伸ばした。

 右手で襟、左手で右袖――乱入者の学生服を、道着に見立てて組み付く。


「そうりゃあぁっ!」


 そこから、右肩で乱入者の胸を押しつつ、右脚で左膝の裏を刈りに行く。

 素人なら耐えられない――というより、耐えようと思う前に転がされる足払い。

 然し、乱入者は、左脚をきっちり半歩ぶんだけ引いて留まり――


「だから、お遊びだってんだろ……はいぁっ!」


 右拳、一閃。

 顎の5cm手前で、乱入者の拳は止まったが――そこまでの過程を、見て取ったものは居なかった。


「は、速……」


「こんなもんでビビってんじゃねえよ」


 腰の高さから放たれた、一直線の右拳。

 なんの変哲も、フェイントも無いものだが――見えず、防げねば、どうにも出来ない。

 これが顎に突き刺されば、打撃になれていない人間が、二本の脚で立っていられる筈が無い。そういう拳であった。


「もう一度言うぞ、邪魔だ。俺は空手部の部室に行きたいんだよ、何処だ!?」


 柔道部の腕も振り払って、乱入者は吠える。

 気が立っているのか――原因が自分とはいえ、要は〝絡まれた〟のだから無理も無いのかも知れない。

 兎に角、これ以上の妨害が入るならば、次は何をしでかすか分からない、そういう気炎を上げる乱入者であった。

 周囲の野次馬も、どよめきの温度が下がる。

 喧噪にも種類があり、陽性のものと陰性のものがあるが、これは確実に後者だ。

 厄介なものを見る目、畏れる声――暗く重苦しい空気が、這うように広がっていく。

 冷えた視線の中に、乱入者は晒された。


「……おーうおう。萎えさせてくれたじゃないか、新入生!」


 その、野次馬の群の中から、やけに明るい声がした。

 世界中の気苦労というものを、何一つ知らないのではないかという程、その声は明るいのである。

 そして、声が上がった瞬間に、場の空気までが少し塗り替えられた。

 皆が知っている声らしい。

 何か、良い事を運ぶ声であるらしい。

 力があるが、やはり印象としては、明るさが上げられるような声だった。


「駄目だなぁ、人の目を気にしないのは! そういう奴は強くても、面白くない奴で終わっちまうんだぞ!」


「……なんだこいつ」


「おっ、こいつとは失礼な、上級生に向かって。……はいはい通してー、通してねー」


 野次馬を掻き分けて現れた少年は、勧誘員たちとは違い、学生服姿だった。

 鞄を肩に引っ掛けて、もう片方の肩には――


「……空手道着か」


「イエース! でも空手部じゃないよ」


 黒帯できゅっと纏めた道着は、柔道着より少し薄手のもの。これは、乱入者にも馴染の深いものである。

 それを担いだ少年は、自分の襟に付いたバッジを指差していた。

 ローマ数字でⅡ――二学年の生徒である事を示している装飾品。然し体格だと、乱入者に随分勝る――加えていうと、顔立ちも些か幼い少年が其処に居た。


「空手部志望? 強そうだ、けれど喧嘩はいかん! 見ろよ周りを、引いちゃってるし……あーあ、暗い顔」


「……喧嘩、売られただけだ。寸止めで許してやったろうが」


 身長は――170cm、有るか無いか。体重も、70kg無いかも知れないような――小柄である。

 然し、乱入者との身長差に全く怖じず、少年はずいずいと前に出てきて、


「んー……弱い!」


「はぁ……?」


 乱入者の顔を指差し、そう言った。


「よーうし生意気な新入生、一つ勉強させてやろう……空手部志望だよね?」


「……なんだこいつ」


「こいつじゃない、他人に敬意を払わない奴だなー。いいかね、人のやる事をお遊び呼ばわりするんじゃありません空手ボーイ。怒るよ?」


 そう言うと少年は、少し不思議な構えを作った。

 両足ともベタ足――踵までべったり地面に付けて、膝もあまり曲げない。両手は顎を守っている。

 空手だとかボクシングだとか、そういう競技の構え方では無いが――


「組み技……なんだあんた、空手じゃねえのか」


「うん! 空手部も頑張ってるけど、多分俺達の方が強いよ!」


 にっこりと素敵に笑って、少年は言う。


「〝総合格闘部〟二年、剣条けんじょう 裕也ゆうや! だーいじょうぶ、新入生に怪我はさせないさ!」


 そうして、ベタ足のままで踏み込んで行った。

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