~アルマの手紙~
アインには馴染み深い思い出の場所、レーゲン湿原の手前の丘にやってきた。この場所だけは空から通り抜けることも出来ないらしい。上空までそびえ立つ雲の壁は、空から入る侵入者に対しては決して優しくはないだろう。
地上だけでしかここを抜ける手立てはなく、その先を超えると始まりの樹に行くことが出来るのだ。
しかし、何キロ離れた先がこの湿原の終着点なのだろうか?
止むことのない雨に遅れてやってきた竜騎士達もその足を止めていく。
「どうするんだアイン?」
「いや、どうするも何も、行くしかないし、ここの場所以外から抜けられる道を僕は知らない」
「む、それじゃあしょうがないか。他の奴らはどうする? 一緒に入るしかないなら全員でここを抜けるしかないとは思うけど」
「一度だけここに来たことはあるけど、危険は無いとは思いたい。けど、万が一に備えて二十人一組っていう組み合わせで行こう」
「なるほど、昔とは違うからってことね」
フィンは納得したように丘からレーゲン湿原を眺める。
昔の時に湿原を覆っていた雲は禍々しくは無かったような気持でいたアインだが、小さい時に見たころの風景というものは、思い出でしかない。
その時も同じ風景だったのかもしれないが、やはり違うような気もする。
考えたところで前には進まないと思ったアインは先陣を切ってレーゲン湿原の中へと入っていった。
止まない雨に昔の風景を投影させる。前を見ることが出来ない豪雨の中で迷子となってしまった時、手を握って先導してくれたのはアルマだった。
初めて出会った時のことは未だに覚えている。
悲しい目をしていた、それでいて僕と会話をしているときは何かを思い出すように涙をこらえ、明るく振舞っていた。
今を思えば、あの時からアルマは僕の正体の事を分かっていたのかもしれない。生き別れた弟との会話を楽しんでいたのかもしれない。
王宮のアルマは冷酷非道だと言われる人物だったが、本当のアルマはただの女の子ではないのか。いや、そもそも王宮さえ無ければ僕たちは平和に暮らしていた筈だった。
今更あがいても死んだ人は生き返っては来ないし、アルマの中にいる寄生竜につかれる心配だってなかっただろう。
始まりの樹に近づくものを拒むかのようにレーゲンの雨は激しさを増していく。
近くに誰もいないような錯覚に陥るほどに視界は雨によって霞んでいる。ここを入るなら全員が手を繋いで入った方が良いと言えばよかったとアインは少しだけ後悔する。
「コラッ!」
「あ、キーア」
アインの背中を、小さな手が叩く。先走ったアインに追いついたのだろう、キーアだけではなく、隣にはナーガもいた。
「先に行ったらこんな所から抜け出そうにも抜け出せられないでしょう」
「え、でもこの先には始まりの樹があるでしょ?」
アインの言葉にキーアはため息を吐く。
「馬鹿ね、今あなたが指をさしている方向は入口の方よ」
「なんで? だって向こうから真っ直ぐ歩いてきているんだよ?」
「あのね、ここの雨がなんで止まないのか知らないでしょ? ただの異常気象じゃないのよ」
レーゲン湿原は一度目の寄生竜が成長しきった時に出来た代物だ。この湿原は始まりの樹の手前にあるのだが、木の根が作り出された一つの壁だ。
あらゆる生物が始まりの樹へと安易に入ることが出来ぬように自然がそうなるように仕向けられている。
「この雨は、セトの意思で降っているの。この星そのものが始まりの樹に近づけさせないようにそうなっている」
「じゃあ、なんで僕は始まりの樹に行けたの?」
「ああ、それは簡単よ」
キーアは片手を掲げると、キーアの手のひらを中心に風が集まってくる。
「それはミーナと一緒にいたから。この雨がセトの意思で降り続けているのなら、混じり物である私たちはこの雨をどうにかすることが出来るというわけなの」
キーアの言葉には確かに信憑性が一つある。アインもこのレーゲン湿原から抜け出すことが出来た時の事だ。ミーナが肌身離さずに持っていた一振りの刀を取り出し、その抜き身を空に向かって切り払った時だ。
分厚い雲が縦に割れたことで、レーゲンの雨は数分の間だけだが湿原全体を見通すことが出来るようになった。その一瞬の間をミーナはアインを連れて始まりの樹へ行くことが出来たのだ。
今、キーアが行おうとしているのもその一端だ。黒い渦のようなものがキーアの手のひらに収まるほどの大きさで蠢いている。
リンゴ程の大きさであるにも関わらずその存在は異質なほどに巨大なものだ。きっとこれも竜人が使える魔法の一つだろう。
「これくらいなら湿原くらい飲み込めるでしょう」
キーアの手元からふわりと黒い球は空へと飛んでいく。雨をものともしないでゆっくりと上昇していった黒い球は雲の中へと入り込み、ピカリと黒い光が黒雲の中で輝いた。
分厚い雲の塊が黒い渦の中へと吸い込まれていく。黒い渦は少しずつ大きくなっていきながらレーゲン湿原の雲を全て吸い込んでしまったのだ。
その光景は、今まで見て来たものを一蹴するほどの光景だった。
竜人の力は凄いと思ってきていたアインは、確かに竜人の力は一般人の目から見ても常人では成し遂げられないほどの逸脱した力だ。
自分の中にはその竜人の血が半分入っているため魔法がつかえる。しかし、キーアが行使した魔法はアインの力が霞んでしまうほどに強かった。
ミーナでさえとこの分厚く覆われたレーゲンの雲を割ることしかできなかったが、目の前にいる少女は息をするのと同等の扱いでこの湿原の雲を取り払ったのだ。
豪雨だった雨が嘘のように止み、今では太陽を拝むことが出来る。三メートル先も見通せなかった視界も今では何処に誰がいるのかが分かるほどだ。
「それじゃあ行きましょうか、三時間経つまでは多分雲は発達しないだろうし」
「あ、うん」
キーアはナーガの背中に乗り込んでアインの前を歩いていく。快晴となった空にはこの星を突き抜ける程に伸びた始まりの樹が見えた。
遅れてやってきたアクセス達と合流を果たしたアインはキーアの後ろをついていこうとした時だった。
一つの樹がアインの目に留まった。
レーゲン湿原の雨を物ともしないほどの巨大な大樹。それはまさしくアインとアルマが初めて出会った思い出の場所だった。
他にも樹はあったが、雨をしのげるほどの大きい大樹はこれしかない。何もかもが懐かしいとアインは感じながら樹に触れる。
「………ん?」
触れた場所よりも下には一枚の紙切れが根に引っかかっていた。何となく、誰がこの手紙を書いたのかが察しがついていた。
ここに来る人間なんて数える程度しかいない。手紙を開いて目に入ったのはアルマの名前だった。
「やっぱり」
「どうしたアイン?」
「あ、ううん。皆は先に行っていて。後で追いつくから」
アクセスが立ち止まっていたアインに問いかけるが、アインは手紙を一人で読みたかったために二人を先に行かせると、木の根に腰かけて手紙へと目を向ける。
―――アインへ
この手紙を見ているということは、貴方はいっぱい旅をしてきて、いっぱい色々な人や色々な世界を見てきたんだと思います。
それで、貴方のやりたかったことがしっかりと決まったからこそ、始まりの樹に向かっているのだと思います。
本当ならこんな手紙なんて読んでほしくないけれど。
ねえ、アイン。アインはどこまで私の事を知ったのかな? 王宮の元総長、英雄の娘、王宮によって人体実験された人間?
アインが私について知ったことは全て本当の事です。私は既に人ではなくなっています。
ここでアインと初めて出会った時から既に人竜であり、寄生竜を体内に宿していました。
そしてムシュフシュで戦った時、私はアインに嘘をついていました。可笑しいよねここで約束した筈の望みは、私自身が踏みにじったんだから。
嘘をついてまでやらなければいけないこと、初めは自分の体内に宿った寄生竜を引き剥がしたいという気持ちでいっぱいだったけれど今は違う。
私はこの寄生竜をこの世に産み落とすことに決めたの。
本当ならやってはいけないことなんだろうけれど、決めたことは曲げないつもり。願望樹だと貴方の中にいる竜人に聞いたこともあるしね。
そういえば、アインも竜人だったんだね。うすうすは感じていたんだよ? お兄ちゃんとお姉ちゃんの子供なら、やっぱりなんだって確信もつくことができたしね。
ねえアイン、私はこの世界を滅ぼすことに決めたよ。こんな世界なんて壊れてしまえばいいって私は願望樹に願う。もしその願いが叶えられている最中にこの手紙を読んだのなら、私を止めに来るのなら、始まりの樹の頂上でアインを待つよ。
アインの全てを持って私を殺しに来なさい。そうしないと世界はこのまま滅亡するだけだよ。
―――アルマより。




