弐
年は十歳、身長は百三十cm、体重は二十四と、年齢と比べるといささか小さいのと痩せているということになるのか。子供にしては少し大人びたような雰囲気を醸しだしている。金髪と空にも溶けてしまいそうな青色の瞳。
「ぁ――かはっ!!」
殴られた時の衝撃がまだ余韻に残っていたのか、木の根元に膝をついて口を開けていた。が、もともと胃の中には何も入っていないかったために、逆流してきた時の感覚だけが続いていたようだ。
ガサガサと草村を掻き分ける音に気づいたアインは、背負っていた弓矢を取り出して引き絞り、躊躇いなく弦を離した。
一本目、地面に当たった手応えがあり失敗、指の間に挟んでいた二本目を素早く引き絞り、草に身体を当てながら逃げている獲物の走る方向に照準を定め、弦を離した。
二本目、ドスリと鈍い音と、泣きわめく鳴き声をあげた獲物の感触。成功はしたが、まだ仕留めていないと判断したアインは、三本目の矢を引き絞り離した。
矢の尾の部分には回収出来るように身体に括り付けたロープがある。最長、二十mは飛ぶように出来ている。誰かが教えたとかではない、生きるため、必死に考えた代物だった。
ズルズルと矢の紐を身体に巻き付けながら回収をしていると、やがてその獲物の体が茂みから這い出てくる。
頭と胴体を穿たれた一匹の兎だ。
アインはズボンと腰の間に挟んでいたナイフを取り出して、砕かれて商品にならない頭を取り除く為に、首元から切断。血を搾り出そうと、胴体を強く締め上げる。
赤黒いような血液が地面に吸い込まれ、血にそまった地面は時間をかけて元の姿に戻っていく。それまるで、汚物を浄化しているようにも見えた。
アインは切り落とした兎の頭に付いている長い耳を頬張り食した。これは朝ごはん。焼いてもいない、煮てもいない。ただの生肉。普通だったら腹を壊しそうなものだ。
アインは携えていた獲物用のカゴに兎の胴体を入れる。この籠にはすべて村に行って換金用の金と取り替えてもらうための品だ。まだ一匹、この季節は冬眠している動物が多いため、不況極まりない。
それでも、村の換金所では虫以外はなんでも取り扱ってくれるために小物で数を稼いでいた。そのほとんどは爬虫類や蛙といった両生類が多い。哺乳類系統はほとんどが土の中から出ていないので初めに捕まえることができた兎に運がよかっただけだ。たかだかうさぎの耳だけでは腹の足しにもならない。だからといって商品になるものを食べることも許されないのだから、アインは土を掘って出てきたタンパク源となる幼虫を食している。
この生活をアインは三年間続けていた。ずっとずっと一人で。春のような陽気な日も、雨しか降らない梅雨の日も、灼熱の太陽に照らされながら金のために森に出かけて狩りをする。秋には木の実をとりながら飽食の季節が過ぎた今では何もないに等しい。冬の季節は一番嫌いな季節らしい。
寒さで手は悴かじかみ、夜は極寒。いいところなんて一つもない。
日の光が頂点に達したことを見越してアインは森を下りアーク村へと歩を進めた。アインの住んでいたあの森も、一応アーク村の領土となっており、村民としては認められている。だが、親代わりとなっていた親も変わり者だったらしく、ああして森の中に立てた小屋でひっそりと暮らしていたのだ。
やがて森を抜けたアインはまっすぐに換金所へと向かっていく。
だが、道を歩くだけで、大人は嫌そうな目をして通り過ぎ、傍らにいる子供はクスクスと笑い通り過ぎる。通りすぎる度に不思議な生命体を連れているとアインは昔から思っていた。自分たちとは違う、人よりも強大な生命体だと、本能的に感じ取っていたのが、竜だった。
成竜と違い、子供が一緒に連れ添うような形で小さな仔竜がノシノシと歩いているのを目にしてきた。だが、ほかの子供にはあるのに自分の近くには何もないという思案もしたが、アインにとってはなんら、どうでもいいようなことだったらしい。
いないものはいない。
大人のように割り切った考えを持ってしまい、いつしか、竜に憧れを抱かなくなっていた。
じきに換金所へと着いたアインは窓口にいる担当の男に話しかけた。
「今日も、お願いします・・・」
「はいはい。それじゃぁ籠だして」
男の言うとおりに籠を窓口のカウンターに置くと、男は困り顔で籠を触った。
「あ~えっと・・・どれを換金して欲しいんだい?」
「全部です。これ全部」
「はぁ?」
眉根を寄せ、男は籠を返却した。
「すいませんね、ウチではちょっと換金できないかもしれません、あ、でも一つだけ、これだけならいいですよ。二十Mになりますね」
そう言って、男は二十Mをそそくさと手に取り、アインに渡した。
「これからは哺乳類系列の大きな素材でないと換金でいませんのであしからず」
「・・・・そう・・・・ですか」
アインは一瞬なにか言おうと口ごもった。それもそのはず。昨日までなら、この籠の中に入っていた蛇とかなら換金してくれていたが、今日に限って哺乳類系じゃなければダメと断られたからだ。これは、去年、一昨年にわたって、狭まってきた換金方法だったからだ。
一度アインは反論した時、手痛くあしらわれたのを知っていたため、今回のことも水に流したのだった。
「ありがとうございます・・・・・」
アインは何も言わず、ただお礼だけを行って換金所を後にした。
「あ~あ、お前も悪い奴だよなぁ?」
「はぁ?なんでだよ?」
アインの姿が見えなくなったことを見越して、担当していた男に同僚の男は話しかけた。同僚の言葉に少しだけ担当の男はイラッとしたが、次の同僚の言葉でそのいらいらは無くなった。
「去年一昨年もさ、めんどくさいから、今日と同じようなことしたんだろ?しかも、今日のやつだって5分の1の安値で取引してさ?」
「ったりめぇだ。あんなガキに大金なんて持たせてやれるかってんだ。あんなの雀の涙程でいいんだよ」
同僚の男は腹を抱えて笑い出す。
「ははっ、ちげえねえ」
かっかっかと笑っているところに、普通のお客さんがアインと同じように獲物籠を取り出して並べると。
「さすが、オヤジさん。プロですねぇ?」
途端に営業スマイルを引き出して、換金の用意を立てた。
「それでは、合計・・・3,560Mとなります」
「なにぃ?ちと、安くないか?今回は綺麗に取ったんじゃぞ?」
「むむ、さすが旦那、引きませんね。それじゃあ、3,700でどうでしょう?」
「うむ」
髭の濃いオヤジはジャラりと膨らんだ金袋を携えて出て行く。
「あ~あ、彼女とか欲しいよ・・・」
「それ、わかるわぁ。俺も欲しい」
二人の男は暇そうに、いつもの日常会話を喋り出した。
「あのぉ?」
「はい、なんでしょうか?」
素早く営業スマイル。このへんは一応プロとでも言っておこうか。
「聞きたいことがあるんですけど?」
同僚の男が相手を仕出した。
「はい、そちらは換金所となっておりますので、役場の窓口はこちらでございます。お客さま、お手数ですが、こちらにおかけになってください」
男の誘導に、銀髪の女性は従った。
「おや?お客様、外から来たのですか?見ないお顔ですので‥‥‥」
「あ、やっぱり分かるんですか?」
「はい、私は一応役場の人間なので、村民の顔を全部把握しております故」
女性は関心したように頷きながら男の話を聞いている。
「それじゃあお兄さんに聞きたいんだけど‥‥‥」
「はい」
「アインっていう子供、ご存知かしら?」
瞬間、ほんの一瞬だけ、同僚の男と女性の間にピシリと亀裂が入るような音が走る。それは近くに居た担当の男も感じとっていた。
「‥‥‥」
「その顔は知っているようね?写真とか無いの?」
内心迷っていた同僚の男だったが、ニコリと笑いながら男は女性に応える。
「残念ながら、個人情報ゆえ、見せられません」
ニコニコとしている男は、女性を見ているだけだ。とにかく、早く帰ってほしい。そう思う以外何も考えていなかった。
女性は呆れたように溜め息をついて、一歩同僚の男に詰め寄ると。
「貴方の意見は聞いていないの」
と、小声で呟き。
「いいから見せなさい?」
「───はい、わかりました」
「おい、何を言って───」
先の言っていることとは反対になった同僚の男の肩に、担当の男が触れようとした瞬間。
「邪魔しないで?」
冷たくあしらう様に担当の男へと告げ。
「はい、失礼しました」
担当の男はくるりと何事も無かったかのように踵を反し、自分の職務へと戻って行く。
「こちらが村民全員の顔写真による名簿です」
「ありがとう」
女性は礼だけを言って、名簿の中身を広げた。アインアイン、a、aっと。女性はアルファベットの順を追いながらやがて目標の写真を見つけたようだ。
「この子か・・・」
女性は写真を引き抜いて同僚の男に名簿を渡して立ち上がる。
「ありがとうね、役に立ったわ」
女性はそれだけを言って役場を出て行ったのだった。